精霊の助言/作戦始動
更新しました。朝って気持ちいいですね。
ニクテスとの会談まで、あと一日。
ユウタは暗い部屋の中、既に目を覚ましていた。ベッドから上体を起こして、横で眠る少女に毛布を掛ける。裁付袴の腰紐を絞って、単衣を羽織った。腰帯を結んで身支度を整えると、足下の草履を足で探って履いた。体を解すために体操を緩慢な動作で行いながら、部屋を出て行く。
廊下を進んで階下へと降り、大広間の全景を見渡す。まだ人の気配もない場所は、寂寞とした空気が流れていた。ユウタは薄闇の中をそぞろ歩く。
玄関を押して、開かれた空隙にするりと身を滑り込ませて外へ出る。まだ黎明の光もないリィテルの静寂の中で、庭の芝生に腰を下ろし、胡座のまま瞑想する。昨日の出来事で受けた動揺や感情を、己から切り離すべく無心になる。
神樹の村でも、以前こうしていると、いつの間にか背後に音もなく佇んでいる師の姿がある。こちらを林間の間に蟠る闇に紛れ、一切の気配も悟らせずに居るのだ。
彼が死去してからも、不意にユウタは振り向いてしまう。そこに、まだ師が立っている気がする。
リィテルを囲う山から、太陽が姿を現す。闇色だった空が照らされた。町に届く陽光はまだ僅かで、屋敷の前の路地が微かに明るみを帯びる程度だ。日の出と共に目を開ける。
「おはようございます」
振り向かずに言うと、背後で答える声があった。寝起きで嗄れてはいるが、ドネイルだと察する。無言で庭へと出て、ユウタの隣に並ぶ。この早朝から、既に甲冑を装着していた。この静かな町の中では、ドネイルの足音が騒音に思える。
「朝ぐらい、別に鎧兜をしなくても」
「いや、八咫烏は夜は活動しない。日が現れた瞬間から、既に奴等の警戒を始めなくてはならないのだ。ユウタ殿も、任務期間が短いとはいえ、油断しないで頂きたい」
「……はい」
八咫烏が夜分に行動できぬ、という事実は初耳であると、抗議の意を籠めた眼差しは、空を見上げるドネイルに躱わされた。
若干の不満を懐きながら、ユウタは玄関へと戻る。ふと庭の草花に撒く為の水が桶に入っているのに気付いた。覗き込んだ水面に、目元を黒く縁取る深い隈があるのを見て気が沈む。今日は随分と長い睡眠が取れたが、やはりそれだけでは消えるものではない。これも右腕の烙印と同様のモノではないのか、と疑ってしまう程だった。
部屋へ戻ると、テイも起床していた。窓の外を見詰めている。そこからは海──遠景にニクテスのいる離島だ。ユウタが扉を開けたことにも気付かず、後ろから肩を軽く叩くと、飛び上がって驚いた。笑うユウタに顔を赤く染めて恥じる。
屋敷内で床を鳴らす固い靴音が響いた。朝食の準備が始まる。聖女を迎える為にも、ユウタは紫檀の杖を持つと、テイを連れて退室した。
× × ×
黄昏時も過ぎて、完全に空が暗くなった。
リィテルの学舎の修練場を借り、ユウタは特訓に打ち込んでいた。時間も忘れて、技の開発に没頭する。聖女レミーナという名を使うだけで、安易にこの空間を独占できた。教師達は難色を示したが、一夜を此所で過ごせるのは大きかった。
既に、ニクテスとの共同戦線で行う作戦は、脳内で完成していた。八咫衆との戦闘を除けば、どれも弊害とならない。失敗した場合は、ニクテス族長に施された契約呪術で命を失う事になる。
リィテルに来てから、冒険者としては一切行動していない。ムスビが一時的にソーシャルと一党を組み、セリシアを同行させて依頼をこなしていると聞いて、言い表せぬ焦燥感が募った。自分が担当するのは大抵が剣呑な仕事ばかりである。ムスビはその間も堅実に経験を積んでいるのだ。
相棒でありながらも、一種の競争相手としても意識している。だからこそ、劣るわけにはいかないと焦慮を懐くのは必然だった。
ユウタは修練場の長椅子に座って項垂れる。状況はあまり芳しくない。彼は新たな氣巧法の発見を目指して休憩も取らずにやってはいたが、光明は未だ見えない。暗澹たる思いで、足下に視線を落としていた。
このままでは、圧倒的劣勢のまま八咫衆と対する事となる。船の戦闘で体験した通り、彼等を凌駕するには期間が短すぎる。氣巧剣を会得した時は、目指すべき形が明確だからこそ、見たその日に試行錯誤しながら再現できた。
聖女──ケルトテウスの声を聞き届ける神聖なる存在。ケルトテウスに仕える者として、八咫烏はそれを否定する。一人の人間が神の意思を伝えるなど甚だしいと。過去の記録からも、聖女は悉く暗殺されている。シートンから教えられ、漸く聖女が彼等の襲撃を危惧する本意を知った。確かに、あの手練れを畏れても仕方がない。
即ち、今回も例外なく聖女を殺しに八咫烏は動くだろう。考えられる策──国家に敵対せず、聖女を如何にして打倒するか。概ねその作戦は、やはりシェイサイトの焼き直しになりそうだ。
「旦那様、こちらに居られましたか」
その声に顔を上げた。もう夜深く、この学舎にも人が居る筈のない時間帯だ。予め氣術で気配を察していたからこそ、驚きはしなかったが、相手が此所を訪れたことに動揺した。
セリシアが銀の髪を揺らして、こちらへと歩み寄る。ユウタから贈られた髪留めは付けておらず、腰の下まで伸ばされたままの毛先が照明の光を反射していた。
座るユウタの前で頭を下げる。奴隷の主人に対する敬服を示した礼儀だ。自分と彼女が、どこまでも主従関係であることを再確認してしまう。
「どうして、此所に?」
「旦那様の気配を探知しました」
セリシアの能力は、汎用性が秘められている。声を主軸として、あらゆる使用法があるのだ。音響を使った衝撃波や、空間把握、他にも治癒魔法に相似した効果を与えることも可能だとされる。刀剣による白兵戦に依存する者ならば、彼女は難敵だ。接近を許さぬ歌の力は、間違いなく声の主に辿り着く前に膝を屈することとなろう。
ダンジョンでムスビと協力する中で、その用途を広げている。ユウタとは反し、その力の開拓は著しい成果を挙げていた。まだ自身の手の内を完全に把握していないという点もあるが、主人と比較して順調な力の増幅だ。
「旦那様、何かお悩みでしたなら、僭越ながら私が相談相手に……」
「じゃあ、頼もうかな」
ユウタは自分の横を叩いて、座るように催促する。それからセリシアの行動は迅速で、ワンピースの裾を正し、腰掛けるとユウタを真っ直ぐに見詰めて待ち構えていた。ムスビからの指示が多かったため、本来の主人を蔑ろにしていると感じていたセリシアは、彼の言葉に全力で応じる心持ちである。
異様な気迫を持つ相手の姿勢にやや気圧されたが、すぐに気を取り直して、いま己が立ち向かっている難題について話した。魔法と同等の火力が欲しいなど、度が過ぎているのかもしれない。ほう考え始めていただけに、皮肉も混じってしまう。だが、セリシアはそんな彼の本心を悟って、真摯に受け止めていた。
「旦那様の懊悩、確かに理解できます」
「やっぱり、無理かな?」
対象を速やかに沈黙させる火力や速度。氣術が性質上は防御として使用される。しかし、発動に至るまでの所要時間が、魔法や呪術と比較すると長い。だからこそ、敵の手を予測し、先んじて氣術を操る。八咫衆の場合、それが連続して行えそうに無い。
「そうですね……。お姉様の魔法は、主に指先から魔力を射出した攻撃となります。呪文を詠唱することで、魔力に現象としての形を与えるのです。そういった作業を遂行する事で、魔法は真価を発揮します」
「僕は詠唱する必要が無いから、確かにその点では早いけれど……」
「攻撃として氣術を用いるならば、形を与えるのが先決と思われます。遠距離攻撃に特化した形状に、氣を変形させる………とは可能でしょうか?」
セリシアの言葉に、何かが閃いた気がした。
氣巧法は、氣という空気も同然のモノに、形状の概念を付加し、武器とする。氣巧剣ならば剣の形、氣巧拳は鎧。主に近接戦闘の経験しかない故に、発想が出なかった。遠距離に適した武器としての形さえあれば、氣術は新たな攻撃形態を手に入れる。最も大事な部分を見落としていた。
「武器としての、か」
「何か、助力となれたでしょうか?」
「うん。これで捗る。セリシアのお蔭で、上手くやれそうだ」
ユウタは霞んでいた新たな氣巧法の輪郭を明瞭に捉え、高揚感に打ち震えた。八咫衆への対抗手段を得られる。
セリシアが両腕を広げた。もう言葉も必要無く、飛び込むようにユウタは彼女を抱き締めた。
「そういえば、セリシアってどうして、時々こうしたがるの?」
率直な疑問を述べると、セリシアは躊躇いなく返答した。
「最初は少し事情があったから、ですが……今は、旦那様を兄のように感じているから、です。………失礼でしたか?」
「いや、全然嬉しいよ」
ユウタが、セリシアの想いが聞けて嬉しかったのは、主人としてではなく兄妹と同様に慕ってくれていたこと。奴隷として彼女を扱う事が、何よりも苦しかったからこそ、いま告げられた本心は救いとなった。
「奴隷の首輪って、確か誰かに所有されている証明、だよね」
「そう聞いていますが……?」
「わかった。それじゃあ、少しじっとしてて」
ユウタが小太刀の把を抜いて、氣巧剣を発動させた。通常と違うのは、一メートルある刃渡りが、微小な長さとなり、包丁程度となっている。
セリシアの首輪に刃の尖端を慎重に当てた。剣が有する熱量で、次第に溶解していく。熱さに彼女が顔を歪ませたところで氣巧法を解除し、首輪を両手で掴んで亀裂から真っ二つに割る。
慌てて自身の首を手で探って、セリシアは足下に転がる首輪の残骸に視線を落とした。
「旦那様。こんな事をしても、私は貴方の奴隷で在り続けますよ」
「えぇ……?兄妹じゃ、駄目なの?」
「私にとっては、主従こそ好ましいのです。貴方を慕い、貴方に仕える。それを生き甲斐にしています」
断固として主張を変えない彼女に、ユウタは苦笑した。
「有り難いけど、君は君自身の欲望にもう少し忠実になるんだ」
「私の欲ですか……?考えられません」
「まだ思い付かないなら、それで良いよ。その内見つかればね」
ユウタは立ち上がると、肩を回して修練場の中心へと向かって歩く。
「それじゃ、再開しようかな」
× × ×
翌朝、ユウタは漁港に立っていた。既に聖女レミーナとドネイルが乗船した船を見上げている。その横には、ゼスが並んでいた。
今日の潮風は前回の時よりも穏やかで、海も荒れていない。島を安全に渡れることは、船乗りでもないユウタでも読み取れた。ニクテスとも無事に合流できるだろう。
「それじゃあ、ゼス。船員の皆に、よろしく頼むよ」
「おう!任せとけよ!」
自身の胸を叩いてみせる少年に、何とも頼もしいと感じた。シェイサイトで出会ったミミナもそうだが、存外年齢が低いからといって、侮ってはならないところがある。
テイとゼスを連れて、船へと乗り込む。あまり悠長に構えてはいられない。昨晩から一睡もしていないが、ユウタの意識は冴えている。結果的に新しい技術の開発に耽溺して、セリシアを付き合わせてしまった。ムスビの下へ届け、作戦を同時に伝えると快く引き受けてくれた。今回の仲間も心強い者達ばかりだ。
離島へ向かって移動する。ゼスが船員に何かを伝える姿を遠目で観察しながら、ユウタはテイの傍で到着を待った。彼女の顔は緊張に強張って、何度も深呼吸をしている。これから、故郷の全員が聖女と対立する──そのリスクをシートンの授業で弁えたからこそ、不安や恐怖があるのだろう。
だがユウタにそれは無かった。一度決定してしまえば、もう未練はない。それまで掲げていた物も瞬時に切り捨てて、機械の如く立ち回れる。そういった部分は冷徹なのだと自覚していた。ムスビ達を守るべく全身全霊で臨む所存だ。作戦の失敗への憂慮など微塵も存在しない。
ゼスが二人へと駆け寄る。船上でも揺るがずに直進した小さい体は、勢いよく二人の間に座った。
「みんなが是非!ってさ。この前のお礼として」
「ありがとう。それじゃ、僕は自分の仕事をするだけだ」
「て、テイ、頑張る」
気丈に振る舞う彼女の手を握る。この数日間で何度も結んだ感触は、テイを落ち着かせるのに事欠かなかった。一瞬だけ驚悸がしたが、すぐに顔を綻ばせて橙色の髪に顔を隠す。尤も、短髪の彼女は隠しているつもりでも、ゼスからは表情が筒抜けだった。
ユウタの方へ振り向き、意地悪そうに笑う。真意に気付かないユウタは首を捻るだけである。
「兄ちゃんも罪な男だな」
「確かに、顔が犯罪者みたいなのはわかる」
「いや、隈を除けばそんな事ねぇぞ」
「せめて、そこ弄って欲しくなかった」
他人に指摘されて落胆するユウタを笑っていると、船が島へ着いた。浜辺に停められ、波打ち際にユウタとテイが降り立つ。船の上から手を振る船員達に応えて会釈すると、そのまま迷わず森の中へと踏み入った。
以前出た時のように、テイを両腕で抱えて森の中を疾走する。逸る気持ちを抑えながら、集落を目指した。誤解した自警団シャンディに呪術で眠らされることが無いよう、慎重に気配を探(ながら進む。森の静けさは不気味に思われるが、ユウタはやはり懐かしさしかない。
太く地面から隆起した木の根の上を跳躍していたユウタは、殺意を感じて、着地とともに咄嗟にその場で身を屈めた。乾いた音が頭上から鳴る。見上げてみれば、槍が樹幹を貫通していた。
近くの木陰から躍り出てきたのは、ニクテスと思われる人物。
「なんだ、テイを連れているな」
「ぞ、族長から聞いてませんか?協力者なんですが……」
「そうだったか、お前か。入れ」
先を歩く槍の主に背筋が凍る。一歩間違えれば、確実に死んでいた。相変わらず侵入者に容赦ない姿勢は、やはり神樹の村を守護する戦士に酷似する。溜め息をついて、彼に後続した。
集落へは程無くして到着し、周囲から再び冷たい視線を浴びながらも、族長の家に入る。
前回と同じように待っていた彼は、元気そうなテイの様子に、満足げな表情をする。どうやら、この三日間心配していたのだろう。テイもまた、彼を見て感涙していた。
「族長、約束を果たしに来ました」
「うむ、ご苦労。私もこの日の為に準備していたよ。我々に可能な限りの援助を惜しまぬつもりだ」
「有り難うございます。早速ですが、作戦の説明をしても良いでしょうか?」
ユウタは作戦の詳細を話す。勿論、聖女の危険性を解説した上で、全て伝えると族長も険しい顔付きとなった。
「君は、それで良いのか?」
「仕方ありません。少なくとも、僕はニクテスの味方ですから」
「よし、ならば、もう問う必要もない」
族長も意を決して、床から立ち上がった。戸口の方に、シャンディ全員と思われる人物が現れる。集落の人間が、錚々たる面子の集合に戦いていた。彼等もユウタの作戦を聞いていたのか、族長に伝えられる事もなく、そのまま家を出た彼に続いた。
慌てて追うユウタとテイは、シャンディの背後で静かに会話をする。
「ユウタ、これ、大丈夫?シャンディ、問題、無し?」
「うん、頼もしい限りだよ。あとは僕が失敗しなければ、事は上手く運べる。ただ、今回ヒーローになれないのが残念だ」
「??」
「いや、以前話した町の時。相手が悪党と暴露できたけど、今回は違うからね」
この作戦実行の決意は、即ち首謀者としてユウタが露呈した場合、犯罪者として世間に認知されることとなる。ニクテスは唆されただけだという事実が自然と作られ、悪役となるのは彼一人。ただ、ユウタが考えられる最小限の犠牲こそがその他に思い当たらなかった。
「絶対に勝とう」
決然と囁くユウタの手を、テイが固く握り締めた。
次回から波乱の展開・・・に出来たら良いですね。頑張ります。
今回読んで頂き、大変ありがとうございます。
次回もどうぞよろしくお願い致します。




