船上の戦/浜辺の火花(2)
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陸海で演じられる人と魔物の衝突。
山頂の洞窟から、それを眺望する二人組は薄暗い中でも際立つ漆黒の翼を折り畳み、その惨状を見て唸っていた。騒動の正体は、リィテルを監視していた彼等にも理解不能だ。
先日、獣人族の魔術師──正確には、儀式も果たしていない未熟者だが、彼等にとっては光明であり、生存が確認できただけでも充分な収穫である。仲間の下へと送り届けたいが、本人は下界で旅に興じることを希望していた。故に、一度は拒絶されたが、彼等とて諦めるつもりはない。
ムスビについて語ると、聞いていた烏は首を回して、騒々しい町を遠目に嘆息をついた。五年ほど探し求めた存在が、すぐそこにいる。しかし、彼女は下界に慣れてしまった。自身が神族の末裔であるという、誇りを忘れている。
取り戻さなくてはならない矜持。神族を守護した八咫衆の威厳としても、彼女を必ず連れ立って帰らなくてはならない。
更に、その烏の懸案が一つ。
二〇年前から、忽然と姿を消したヤミビト。今では、負の遺産と呼ばれる犯罪者の一族もまた、生き延びている。ムスビの口から、“黒印”を持つ者を仄めかされ、彼等も様子を窺った。彼女の話した時の様子などを鑑みるに、深い親交がある相手と読んだ。
仮に、現在は聖女の護衛を務めるムスビの相棒が、そのヤミビトなのだとしよう。実際、反応を見るとその可能性は無視できぬほど高い。
だとすれば、その目的は何か。
魔術師を手駒に、新たな策謀を張り巡らせているとしか考えられない。
恐らく、自分達の知るヤミビト本人ではない。だが、ムガイの血筋であることに相違無いだろう。
「カズヤ、お前は姫の奪還を急げ」
「では、貴方はやはり……」
意を察したカズヤと呼ばれる烏が言うと、小柄な烏が立ち上がる。黙って歩く彼の背は、まだ幼さが感じられた。しかし、毅然とした態度は凛々しく、大人に引けを取らない威風を放っている。
山頂に吹き付ける風に煽られることも厭わず、町の上空へと翼を広げて飛翔した。続けて、その背後をカズヤが追う。
二羽の烏が、リィテルを包む不可思議な力の波動を感知した。眉を顰めた先頭の彼の横に、カズヤが並ぶ。
異常事態だ。このリィテルで何かが発生している。敵は自然か、それとも人か。思索して、浜辺まで飛ぶと、カズヤが旋回した。どうやら、俯瞰する景色の中にムスビを発見したらしい。
急降下していくカズヤを見送ると、ふと海上で動きを止めた一隻の船を見とがめる。
「……そこか、聖女」
風を切り裂きながら猛進し、一羽は船を目指した。
× × ×
ユウタの氣巧剣が魚人を亡き者へと変えて行く。一振りで数体を葬り去ると、身を翻した一閃でそれ以上の数を仕留めた。船員が奮い立たされるのは、その恐ろしく強い少年が、仲間の子供を救うべく奮闘しているためだろう。
ドネイルは湾刀で、魚人を既に十数体は狩っていた。相手が人間であろうと魔物であろうと、斬るべき敵に変わり無い。躊躇い無い一撃が、海上から押し寄せる命を潰す。
「ぐ……ッ!」
「貴方は船首で休んで!ここは僕が面倒を見ます」
傷付いた人間を引き寄せながら、魚人を両断する。血も噴かずに倒れるそれを蹴り飛ばして迫る敵の侵攻を阻害した。
テイはユウタの邪魔とならぬよう、船長と共にその様子を見守っていた。隣で戦う人々を眺めるゼスは、胸部に顔を蒼白にさせて震える。子供には残酷な世界だ。
眼前で沸く血煙と、力なく倒れる肉体。死屍が累々と船上に積もっていく。森の外は、過酷な戦いを繰り広げる世界だった。
テイは、別人のように相手を斃すユウタを畏敬の念で見詰める。彼は、この世界で生き延びてきたんだ。だから、あんなにも強い。到底自分には得難い物を掌握している。ユウタに守られるばかりで、何も成し遂げられない自分が腹立たしい。
魚人を容赦なく光の剣で討ち滅ぼす。その刀身で屠った命は、もう幾つになったのだろうか。無尽蔵かと思わせるほどに海から増員される魚人は、次第に船員の体力を奪っていく。原因を絶たないと、これはずっと続いてくだろう。
ユウタの傍にいた魚人の頭部を、投擲された湾刀が射止める。引き抜いて手中で一旋させると、ドネイルは血を払った。夏の中でも、竜の兜を外さない彼からも疲労は見えない。
「如何とするか。このままでは、船員も疲弊してしまう」
「町に原因がある……でも遠すぎる!」
横薙ぎで魚人の胴を切断すると、その背後に行列を作って突進していた四体の腹部を刺し貫く。貫通した氣巧剣を振り上げて、頭部まで切り裂いた。転倒する死体を避けて、次の敵へと躍りかかる。
リィテルに原因があるのは明白だ。町を中心に広がる奇怪な波がそれを証明している。それが、遠い海域に住まう魔物を引き寄せている。
ふと、ユウタは思い当たる節があり、動きを止めた。
「遠い……魔物?」
不自然な魔物の出現、普段はそこにいる筈の無いモノが姿を見せる。その事態を、ユウタは過去に経験しているのだ。必死に記憶を遡る。
「……同じだ…!」
ユウタは、神樹の森での最後の数日間を想起する。
スノウマンやゴブリンが森を徘徊し、それがハナエを襲った事。原因不明のまま、謎として処理した問題。
確かに状況は同じだ。
不自然に強く吹く風と魔物の大量発生。森の中でふと意識した瞬間を忘れもしない。あの後に、村長からの追放を受けたのだから。
呪術師か魔導師か、誰かが人為的に呼び寄せたものだと推測していた。容疑者はゼーダとビューダだが、彼らは今首都に向けての遠征中である。
まさか、この町にいるのか?
遠征は様々な町を巡りながら行われていると聞く。クロガネからその情報を入手したので、それは確かだ。
魚人の頭を切り飛ばして、ユウタは町へと振り向く。では、浜辺の影も、戦闘の最中なのか。あの場所にも魔物がいるのだとすれば、その中にムスビはいる。前線に率先して立って、戦いに臨んでいるだろう。
ユウタは歯軋りをして、剣の把を強く握り締めた。その正体がどうであれ、神樹の村を壊滅に追いやった存在がリィテルに潜伏している。
「ユウタ殿ッ!」
ドネイルの声に、ユウタが反応する。
頭上から、何かが墜落してくる。砲弾の如く、それは船上に突風を巻き起こして着弾した。船員だけでなく、魚人までもがそれを中心に斥けられる。唯一、踏み留まったユウタとドネイルは、飛散する木片を避けながら正体を探るべく刮目した。
謎の落下物は、中心で静かに立ち上がる。全員が呼吸も忘れて注目すると、背から黒い翼を振り、瓦礫が舞い上がって、足下に転がる。
ユウタが氣巧剣の切っ先を、魚人から変えた。
「これは、何だ……?ユウタ殿」
「知らない」
ユウタは眼前の物を正確に認識した。
全身が黒い鳥族。だが、驚くべきなのは三本の足がある。通常の鳥族よりは大きな翼は、広げるだけでその場に大きな影を落とす。眼光は鋭くユウタを見据えていた。
「ほう……氣術師か」
氣術師──その言葉に、ユウタは総毛立つ。
東国出身のクロガネの場合は“アキラ”に対する憎悪だったが、彼とは異質な憎しみを感じる。視線から訴えられる感情は、下手をすれば、シェイサイトの結婚披露宴で対峙したモノよりも危険だと直感した。
正体を把握してるならば、もはや惑う必要もない。ユウタは包帯を取り除き、氣術を全力で行使した戦闘の体勢を整える。
相手の目が、一気にユウタの右手に集中した。
「ヤミビト……!やはり、貴様がムスビ様を唆す下賤な犬畜生か」
「ヤミビト?人違いだし、唆すというより寧ろムスビに振り回されてるの僕だから」
「問答無用。私は八咫衆若頭のセイジ!聖女もろとも殺してくれるッ!」
「!?」
セイジと名乗る烏が蹴爪で床を蹴った瞬間、ユウタの視界から消えた。──否。完全に消えてはいない。視認し得ない速度で飛び出した相手は、憤然とした激情と共に襲い掛かって来ていた。出発地点は膨大な空気が破裂したみたいに破砕される。
風が吹き抜けたと思った途端、体が衝撃に叩かれて船の縁まで吹き飛ぶ。不可視の打擲がユウタを強襲したのである。
セイジがユウタの過去位置で、黒い棍棒を構えている。細く、しかし長大なそれは使用者の身の丈を上回っていた。旋回させると、剣を振るったように鋭い風切り音がする。
縁から立ち上がったユウタを追撃しようと、再び跳躍した。風を巻いて迫るセイジに、氣巧剣を解除すると、一歩踏み込みを決めて、掌を眼前へと突き出す。
棍棒を振り翳したセイジの動きが静止する。それは単に、敵の攻撃を予測して中途で停止させた訳ではなく、力によって押し止められた。ユウタの手に集積していた氣が、一気に斥力を放って自分を突きはなそうとしている。
踏み堪えていたが、氣術に圧迫され、数秒の均衡を打ち破ってセイジが弾かれる。船上をもんどり返って、棍棒を抱えながら対岸まで後退した。初撃を回避できなかったことを見て、少年の実力を侮ってしまったのだ。強力な氣の波動を感じ、認識を改める。
ユウタは小太刀の把を腰紐に括り付け、代わりに仕込みを手に取る。柄を握った姿勢で、烏を見据える。
「魚人よりも、柔らかそうだ」
ユウタの発言に、全員が戦慄した。氣巧剣から武器を変更した途端に、彼の纏う自信が違うモノとなった。それを握れば、如何なるモノだろうと切り伏せるという、絶対的な覚悟だった。刃の通る相手なら可能だとでも言っている気迫だった。
「どこまで足掻く?」
セイジが前へ出る。
距離を刹那で潰すと、棍棒が斜めに振り下ろされた。唸りを上げて、螺旋状の風でも纏うような威力を有する一撃。触れるだけで肉体が爆散でもしてしまいそうな膂力だった。
ユウタは攻撃の軌道に敢えて身を寄せるように体を傾けながら、柄に掛けた手を捻る。その動作が開始されたと誰もが認識した時には、既に白銀の光を閃かせて抜刀していた。刺突は最短距離を辿り、セイジの頸動脈を包む皮へと迸る。
剛力で迫る棍棒と、鋭く疾走する刃。
「ッ……!」
剣の方が速い。そう悟った烏は首を反らす。棍棒が敵に直撃する前に訪れる命の終わりを察知したのである。
ユウタは回避される未来を予感し、攻撃を中断させてその場から横へと飛び退く。初手で仕留められなかったことに後悔しながら、五歩以上の距離を取って、その場で納刀した。身を低く屈め、また振り抜く体勢になる。今度こそ確実に討つ、その一念だけだ。
セイジが空を見た。
ユウタも警戒を解かずにその視線の先を追った。
夕刻前だが、既に空が茜色に染まり始めている。水平線へと溶けていく太陽を険しい目付きで眺め、舌打ちすると直上に飛翔する。翼で空気を叩く度に爆音を鳴らして上昇した。
ユウタ達が見上げる先──空の上でセイジの翼が肥大化した。根から地面より剥がされて大樹が倒木 したかのような音が谺する。その不気味な光景に、船員も戦いて魚人ではなく頭上を睨んでいた。
何か落としてくる──本能が叫んでいた。ユウタだけでなく、セイジは船全体を標的として捉えている。この聖女が乗る船を撃沈させる何かがある。
ユウタは杖を足下に置いて、頭上へと手を伸ばす。あたかも見えざる何かを掲げ、神へ供物として捧げていると周囲には見えた。
「海の藻屑となるが良い」
セイジは不穏な発言を一つ吐く。
翼が唸りながら振られると、鋭い羽毛が虚空より降り注ぐ黒い雨水となった。いや、戦場で弓兵の部隊に放たれた夥しい矢が滑空してくるようだ。瞬く間に船上の全域へと襲い掛かる羽に対し、ユウタは全力で氣術を発動させる。
倒れていた魚人の肉塊、船にある武器、総てが迎撃に出た。空へと打ち上げられ、黒い弾丸たちと衝突する。互いに喰い合う連射攻撃は、時に血の雨を降らせながら交わった。
結果的に、床に三つの羽毛が着弾したのみに済んだ。それら以外は、海へ落下させた。ユウタは完全に防御を為し遂げると、その場に膝をついて頭を垂れた。虚脱感に息を荒々しくついて、苦悶に歪んだ相貌で上を見る。
そこにセイジの姿は無かった。船を破壊したと慢心して、撤退したのだ。仮にいま、続く第二撃を開始されれば、今度は防げない。氣巧剣と連続して強力な氣術の行使は、多大な負担をユウタの体にかけていた。
八咫衆とまさかここで相まみえるとは思いもよらず、未だ驚愕している。あの漆黒の翼が脳裏に焼き付いて離れない。
杖に縋り付いて立ち上がるが、その足はふらふらと覚束無い。立つ事にすら苦慮し、朦朧とする視界、断線してしまいそうな意識を繋ぎ止める。
満身創痍のユウタを狙い、新たに上がってきた魚人たちが駆けるが、それを撃滅していく船員とドネイル。ユウタを中心に円陣を組み、全方位に対処できるよう構えた。
テイは船長の傍から離れてユウタに駆け寄り、体を抱いて支えた。
「ごめん、みんな……」
「私、ユウタ、守る」
テイが決然と誓言すると、ドネイルがふっと笑う。船員が低く沈痛な響きを持った声で、背後のユウタに話しかけた。
「悪い……俺達、君に失礼な態度とってた。氣術使いだろうが何だろうが、君は君だもんな。歴史なんて関係ない」
「歴史……?」
「俺達を守ってくれた恩人に、応えてやらねぇと」
ドネイルが剣先を魚人へと翳して、猛然と突き進む。後進として大勢が付いて行く中、数人を伴ってユウタが船長の下まで避難した。テイに引かれて、漸く床に腰を下ろす。
烏の登場と退場で止まっていた戦争が再開された。魚人と人が鎬を削る。
「僕も、行かなくちゃ」
「動かない、安静、してる」
テイが制止し、鉈を持った船長が接近する魚人を一体ずつ確実に斃した。
「休んでな。小僧なんかよりも俺達に向いてる仕事だ」
ぶっきらぼうだが、気遣ってくれた船長の言葉に安堵して、目蓋を閉じる。何故、烏が退いたのか、その理由を思考しながら、意識が溶けていった。
× × ×
ミノタウロスの死骸の上で、ムスビは倒れ伏していた。返り血に染まった服は、本来の色を侵食して生臭い臭いを立てる。俯せになっている彼女を、サーシャルが立ち上がらせた。
「先行し過ぎだ!」
「あたし、かなり働いたと思う」
既に百体近くを討伐したが、未だに魔物の勢いが途絶えない。ミノタウロスの数は着実に減少しているが、今度はスティールクラブと呼ばれる、鋼鉄と同等の硬度をした甲殻類の魔物。敏捷はミノタウロスに劣るが、耐久力と一撃の重さならばこれを凌駕する。第三層でリーヴァンネと同じ深い場所で姿が確認されるのだが、地上へと現れるその群れに冒険者たちは劣勢を強いられた。
一体を殺傷する間に、二体がダンジョンから増える。手が追い付かないのが現状だった。
周囲を驚かせていたムスビだったが、もう疲弊して動けない。萎えた手足に力は入らず、サーシャルが肩を貸してようやく立てる。
「これじゃ、埒が明かないわ」
ムスビを庇いながら、スティールクラブの関節を射抜くサーシャルは、時折足を砂に取られながらも進む。彼女を避難させなければならない。これ以上の戦闘の続行は不可能だ。
焦燥に周りの見えていなかったサーシャルの胸を、ミノタウロスの蹄が強かに打つ。ムスビを取り残し、彼は地面の上を転がって喀血した。胴を打った衝撃は、数本の骨に亀裂を入れた。痛みに踞りながらも顔を上げる。
ムスビの両手を拘束したミノタウロスが、彼女の服に舌を這わせる。
「ッ……なに触ってんのよ、変態!!」
憤怒に全身から魔力を漲らせて、一帯に爆風を発生させた。至近距離で受けたミノタウロスの角が片方だけ粉砕され、彼女の上から退けられた。
「魔装・【烈風の槍】ッ!」
番えた矢を、ミノタウロスを側面から射る。自身が叩打されな箇所と同じ部位に着弾すると、下半身を残して上空へと吹き飛んだ。ミノタウロスが血を振り撒きながら浜に墜落する。
這いずりながらムスビに近付くと、彼女は苦笑していた。
「ミノタウロスの痴漢って怖い。あたし、あんなに気持ち悪いの初めてだったわ」
「!ムスビ、それ……!?」
サーシャルは狼狽えて、彼女の髪を一房掴んだ。ムスビは怪訝な表情で、自分の毛先を摘まんで眺める。
ムスビの髪色が反転していた。色を失い白髪となったが、白のメッシュが黒に変色している。この奇異なる変化に顔を顰めて、本人は溜め息をついた。
「何よこれ。一気に老けた?」
「いや、その、なんと言うか」
言い淀むサーシャルに、彼女はいよいよ自分の老化を心配したが、現実はそうではない。
彼が戸惑ったのは、髪が白くなったことで、不思議と肌の白さがより際立っているのだ。触れれば散る花の如く儚くも美しい。その相貌に老化とみられる症状はない。
慌てるムスビを窘めて、サーシャルは彼女を担ぎ上げる。骨が軋む痛みに呻くが、震える足を一歩、また一歩と前に出す。
「む、無理しないでよ。あたし、これでも相棒に重いって言われたから」
「随分と薄情な奴だな。というか運動不足だソイツは」
サーシャルは自分の怪我を心配された事に、少し嬉しくて顔を綻ばせた。
頭上から何かが舞い降りる。
黒装束の男が目前で跪いた。
「姫、よくぞご無事で」
慇懃な態度の男に、サーシャルが退いた。彼の肩越しに会釈したムスビは、敵ではないと諭す。カズヤは立ち上がって、彼からムスビを受け取った。彼女を取られたとサーシャルは慌てるが、素直に身を委ねているムスビに押し黙る。
「姫は預かります。貴方は浜で魔物の掃討に尽力して下さい」
無感情な声で告げ、背を向けて歩くカズヤの肩を掴んだ。サーシャルに振り仰いで、首を傾げる。
「待てよ、何処に連れてく」
「……安全な場所に、ですが?」
「俺も負傷者だ、連れてけ」
「それは出来ません。僕は姫を」
「女だけを運ぶってのは、何だか怪しい臭いがするね」
サーシャルに、カズヤは心外だと言い張るが、彼の耳には届かない。
「うん………仕方ありませんね」
カズヤが手を手刀の形にすると、サーシャルの後頭部に振り下ろした。その攻撃を察知して、身を屈めた彼の腹部を足で強打する。相手の傷を狙い定めた打擲を無慈悲に叩き込んだ。
砂の上に転倒する彼を無感動に見下ろして、太刀を抜く。ムスビが悲鳴じみた声で、必死に制止した。
「や、やめて!こいつは何もしてないじゃない!」
「いえ、姫に近付く不埒者は成敗しなくては」
太刀の尖端で、仰臥するサーシャルの眉間を貫かんと力を込める。ムスビが必死に彼を叩くが、止まる気配がない。速やかにサーシャルを殺処分しようとした。
「な……!?」
背後から叩き付ける衝撃に、カズヤの体が浜の上を跳ね転がった。ムスビはサーシャルの傍に落ち、彼を確認する。吐血してはいたが、まだ生きている。
「あんた、大丈夫!?」
「心配ねぇよ……めちゃくちゃ痛いけど」
二人で支え合いながら立つと、目の前にに小さな影が佇んでいた。それがカズヤを飛ばした衝撃の正体なのだろう。サーシャルはそれに瞠目し、ムスビは喫驚に固まってしまった。
銀色の髪を風に靡かせて、襟巻きで汗を拭っているセリシアだった。涼しい顔で、地面から立ち上がったカズヤを見詰めている。
「何をするんですか!」
「お姉様が中止を求めたので、私はカズヤ様を突き放しただけです。旦那様なら、きっとこうしたでしょう」
「敵対、しますか」
「貴方がお姉様を意思を問わずに連行しようとするなら、私は旦那様の為に戦います」
カズヤが笑った。前傾姿勢で走り出した彼に、二人が慄然とする中でセリシアは進み出る。細く息をついて、口を開ける。
セリシアから聴こえたのは、歌だった。万人の意識を引き寄せる魅力を帯びた旋律。激しい波の如く荒々しい表現と、穏やかな風を連想させる寂寥を交えていた。礼賛の声を上げたくなるほどの、美々しい歌声は音響を波紋に変えて、空間を強く殴打した。
突貫しようと踏み出していたカズヤが、正面から激突した空気の波に押され、血を吐きながら波打ち際まで飛ぶ。水柱を立てて倒れる彼を憮然とした態度で立つセリシアに、サーシャルとムスビは顔を引き攣らせるしかなかった。
「まだ、やりますか?」
「くっ……!?こんな力、一体どんな」
二人の視線が交錯する中間点に、上空から現れた黒の鳥族が割り込んだ。カズヤを一瞥すると、ムスビに黙礼した。
「カズヤ、撤退だ」
「し、しかし」
海に振り返ると、船が次第に近付いて来ている。
「ヤミビトが来る。今の内に逃げるぞ」
「なっ、ヤミビトが?……承知しました」
二人は翼を広げて、空へと飛び上がる。その場に置き去りにされた三人は、呆然と眺める他なかった。
「何なのよ、あれ」
「お姉様、魔力を消耗したのですね」
「そうね、かなりやったわ」
ムスビの両の頬に手を添えると、セリシアが耳元で囁くように歌った。その音は滑らかに、鼓膜から全身へと波打つように浸透していく。彼女の体が僅かな光を帯びる。
回復していく体力にムスビは唖然とし、離れたセリシアが続いてサーシャルにも歌を送る。傷の修復が早いと驚く彼に一礼した。
「な、セリシア、これ何したのよ?」
「解りません。ですが少し前に、会得したものです。私はお姉様を支える為に、この場へ馳せ参じました」
セリシア自身も理解し得ない力。
サーシャルとムスビは、考えるのも野暮だと思考を切り捨てて立ち上がる。先程まで全身を苛んでいた疲労感が払拭され、快調な体を動かす。
「ま、後で解明するとして……サーシャル、準備は良いかしら」
「やるしか無いんだろ?金の為に」
「じゃあ改めて、殺りまくるわよ!!」
「頑張ろうとか、もっと柔らかい表現はないのかよ?」
二人で再び、浜辺の魔物へと構えた。
やけに臀部の痛みを感じて、手探りで痛みの元を探ったところ、服に木片が突き刺さっていました。怖いですね。何したんでしょうか。ずっと家の中なのに。
今回も読んで下さり、本当に有り難うございます。もし楽しんで貰えたなら、作者としてはとても嬉しいです。
次回もよろしくお願いいたします。




