結婚披露宴(3)/ユウタVSクロガネ
更新しました!
朝方の更新が多い・・・寝れないんです。そしてまた負の生活が循環する・・・。
旅立ちの朝は早い。
川から桶に水を汲み、帰宅すると戸口を通過して中へ入る。まだ朝霧に包まれた森の中は神秘的で、これからその景色とも別れなくてはならない心惜しさに、それでも準備の手を止めず苦笑した。
室内で布擦れの音がして、ゆっくりと振り向いた。ハナエは、寝惚け眼のまま、こちらを見ると酷く驚いて、挨拶をするか逡巡している。昨晩の出来事もあってか、憔悴の色が窺える。
ふたたび手元に視線を戻して、「おはよう」と短く返すと、背後で小さく答える声がした。
魚の出汁に漬け込んだ山菜を器に盛り、それを前の床に置いて彼女に差し出す。まだ完全に意識が覚醒していないのか、熱した汁の温度も確認せずに啜って悲鳴を上げた。
袴の腰紐を締め、足袋を吐くと草履の鼻緒に指を滑らせる。南の町までは、そう距離は遠くないため、草鞋を吐く必要もない。背嚢に入れた荷物には、一対の脚絆と移動中の食事、他には最低限の衣類がある。
万全を期して、護身用の仕込み杖を携える。昨夜の戦闘で鹵獲した短刀は、抜き身のままだと町人に畏れられるため、厚い包帯を巻いて即席の鞘を作った。当然、これでも不自然ではあるが、少なくとも警戒を和らげるには必要だった。
外で待機していると、金の髪を揺らして現れた。ハナエの身なりは軽装で、移動の妨げとなる要素を排している。彼女の、枷とならぬよう努める姿勢を感じて、思わず目を伏せた。
村で家族との朝の食卓を囲んでいる筈の時間帯に、故郷を捨てて移住先を目指さなくてはならない。そう考えると、悲哀の念を向けてしまう。
「やっぱり、駄目なの?わたし達だけで、此所で静かに暮らすなんて、許されないのかしら」
寂しげな声音に、首を横へ振って否定する。
「それじゃ、ハナエが可哀想だ。君の幸せの為にも、次の町に移ることが一番なんだよ」
此所に居座る。彼女が居れば、何も不自由なく、不満のない生活が遅れる。孤独も無い、平和な日々。
だが、春の戦いや昨晩を経験し、既にハナエを巻き込んでしまっていることを改めて理解した。人の慎ましくも幸せな営みを、彼女にもして欲しい。そこに自分が居ることで、それが叶わないと知ったのだ。
何よりも、ハナエが自分に固執してしまうのだ。ただその視界に長く留まっただけの男と、永い刻を共にしようと誓うのは危うい。
「でも、あなたは旅に出る……。その先で、きっと戦いを強いられる。そしたら、今は勝てても、次は強敵に討ち滅ぼされるかもしれない。そう考えたら、わたしは………此所に留まった方が良いと思う」
ハナエの手を引いて、その翡翠色の瞳から顔を逸らし、前方を見据えて歩く。大人しく従う彼女から伝わる掌の温もりを噛み締めた。何度も二人で歩いた森の中も、今は沈痛な気持ちになる。いつもなら揚々と踏み締める土も、重く鈍く、まるで足が埋もれたように感じてしまう。
こうして、遠ざかる家からも逃げるようにハナエの手を握った。いまは、これに縋り付くしかないから。自分の心の弱さを、今は彼女という隣にいる存在で希釈する。それが麻薬のようでも。
「強敵でも、それが僕と君の道を阻むなら、必ず斃す。避けて通れぬ道なら、押し通るまでだよ。──今までの自分を超えて」
遠くから聞こえる河水の音。鳥の囀り。風が吹くと枝葉の奏でる木々の声。
「ああ、でも死ぬ時は、君か大切な人に看取られながらが良いかな」
× × ×
ティルは意識を取り戻した。手先の感覚まで痺れて、指を動かすのも難しい。ただ空を仰ぎ見ている体勢から、どうにか視線だけを巡らせて、周囲の状況把握を試みる。一体自分はどれだけ眠っていたのか。数分、数時間、或いは半日……そう考えていると、視界の隅に捉えた人影に驚嘆した。
そこには、ユウタが立っている。時折、ふらふらと揺れては、足に力を入れて堪える姿。浅く荒い息をついて、滲んだ汗や顔色からも具合の悪さを読み取れる。未だ完全に復調していない証左であった。
ティルは必死に叫ぼうとした。いま、クロガネに挑んでも勝てない。たとえ相手が手負いだろうと、ユウタとの相性が最悪だ。感覚を翻弄する錫杖の業に、ユウタの能力は劣勢を強いられる。敵と打ち合う間も無く、一撃で叩き伏せられるだろう。
× × ×
クロガネは腰の杖を取ると、ユウタへ無造作に投げ渡した。弧を描きながら宙で旋回し、飛来するそれをユウタは難なく手で掴んだ。手に馴染む感触に、思わず笑みが溢れる。返戻された武器だったが、それを地面に置いた。
ユウタの行動の意図が読めず、驚いたクロガネは眉を顰めて観察した。その両手に握られているのは、一振りの小太刀と鞘。少年が杖以外に帯びる武器だ。だが、彼が最も得手とする物ではない筈である。それをどうして……
「落ち着け、このままじゃ勝てない。超えるんだ……」
「?何を言っている?」
訝るクロガネに対し、ユウタは鞘を投げ付けた。鞘を捨てぬ理由、その剣術が双刀を模した型で攻めるのかと思索した。しかし、その予想を逸した一投に当惑し、脊髄反射で錫杖の刺突によって弾き返す。
ユウタが地面を蹴り、クロガネとの間隙を詰め寄った。突き出された錫杖の下を潜り、獣のように低く馳せる。
ユウタは前回の戦闘の際、対面して早々に遊環の発する催眠効果を鵜呑みにしてしまい、距離も掴めぬままに挑んでしまった。その相手の間合いを鞘の投擲で認識し、その内側で攻撃する戦法。ガフマン達による企画でムスビの救出が成功しようとも、ユウタは必然的にクロガネに挑戦する所存だった。だからこそ、この策を練り、再戦に臨んだのである。
敵の右側へと滑りながら、小太刀をその胴へと振る。如何なる剣士も称賛の声を上げるであろう流麗な太刀筋。岩すらも人の柔肌の如く撫で切りにしてしまいそうだった。
クロガネは肉体と刀身の隙間に引き戻した錫杖を割り込ませ、辛うじて防御に成功する。危うく受けそうになった相手の刃を見て冷や汗が首筋を伝った。熱に火照った体を底冷えさせるような敵の剣筋。一瞬の油断、刹那の慢心が勝敗を喫すると解する。
それから、ユウタはクロガネの間合いの中で剣を振るった。それを防御し、跳ね返して逆襲をかける相手の攻撃を受け流す。町人達には果てしなく続く攻防にも思われた。
町中に響く筈のない無粋で野蛮な音。攻めの応酬、防御の展開。目紛るしく変わる攻勢と守備に、誰もが観戦に集中する。
五〇合、いや一〇〇合かもしれない。
クロガネは異質な戦闘の空気に気付いた。己の感覚を擽る謎の違和感の正体。
ユウタの剣から敵意も害意も殺意も感じられない。その事に戸惑っていた。いつだって己の敵は戦場に立ち、その体は戦意を充溢させた戦士だ。己を害する為に、排する為に、いつだって兇刃を振る。
しかし、目前で自身に挑む少年からは、それらが無い。滞る事を知らず、ただどちらにも偏らずに流れ続ける水。気が付けば、この場から消えてしまいそうな儚さを感じたのだった。
清流を思わせる巧みな技、荒々しい激流を連想させた強引な力で振る剣をランダムに畳み込んでいる。武器を執る理由は戦う為──では、誰と?
無論、このクロガネである。──本当にそうだろうか?
クロガネは敵と交わす自身の一撃に自信が持てなくなった。判然としない胸の内に蟠る異様な感覚。ユウタの瞳を見ると、それはクロガネではなく、どこか遠くを見据えたように澄んでいる。何よりも決定的なのは、一度も視線が合わない。
「?!」
ユウタは、誰一人としていない虚空へ小太刀を振った。クロガネに背を向けながら、何かと対峙している。一人、彼にしか見えない何かと切り結んでいるのだ。
あたかも、それが己を挑発していると感じたクロガネは容赦なく、その無防備な背中へ錫杖を一突きする。彼の剛力ならば、間違いなく背骨を打ち砕くだろう。一撃の下に少年を葬ることが可能だ。
「ああ、そっちか」
小さく呟く。小太刀の柄頭を後ろ手に振って、錫杖の先端と接触させる。振り抜く前に、脇に引き絞った瞬間を狙って衝突させた。軽い音が鳴る。
クロガネは錫杖を突き出し、刀もろとも少年を弾き返そうとしたが、腕が石のように硬直して前に出なかった。その異常な事態に、動揺しながら何度も腕を動かそうとするが、武器を固く握り締めた指先すらも動かない。
クロガネの体を巡る氣の流れを読んだユウタは、氣巧法で柄頭に充填させた力を用いて、突き出される錫杖を振るう腕力を相殺した。それは、振り出そうとした彼の腕の運動に伴う氣と同等の氣が衝突した事で、運動力を殺し動作を封じたのである。
刺突を抑えたユウタは、今度は身を翻してクロガネの胸に一閃した。長作務衣を裂き、その中から血が迸る。
傷の痛みを知覚するまでの間、忘我していたクロガネは自分の胸を見下ろし、服を赤く染めた血を眺める。すぐに一撃を受けたと悟ると、猛り狂って錫杖を振り回す。
ユウタは上体を前後左右に傾けて躱わす。その場から動かず、ただ嵐のような連撃を避け続けた。町人から見える少年は、荒波に翻弄される小舟そのものだった。だが、決してその流れに転覆せずにいる。その奇妙な姿に全員が息を飲んだ。
ガフマンは腕を組みながら、ユウタの姿を見て確信する。ルクスの家での療養中や、クロガネとの戦闘前に見せていた畏怖、憤怒、憎悪が無い。どこまでも落ち着いており、心ここに在らずの様子だ。ガフマンは自分の中に、彼が戦うモノ、見据えた先の情景を鮮明に思い描けた。
彼が剣を交わしている相手はクロガネにあらず。その切っ先が捉えるのは、目前よりも遥か遠く。
ユウタの視界には今、もう一人の自分が居るのだ。恐れや迷い、自身を苛む念の全てを倒そうと、必死に抗っていた。
少年は誰もが辿り着けない、自分だけにしか見えない境地に達しようとしている。
回避していたユウタを、ついに捉える。手応えを感じて口角を上げるクロガネだったが、その歓喜もすぐに霧散する。
ユウタの小太刀が、横に薙いだ錫杖の先端を受け止めていた。はばきの部分で、力が拮抗している。接触したところで、火花が小さくはぜた。
押し込もうと、クロガネは腕を振り抜こうと力を込める。ユウタも踏ん張るが、小太刀の刀身に罅が入り始めた。相手の剛腕で操られた異形の武具を受け止め続け、とうとう限界を迎えたのである。
刃を粉砕し、その衝撃でユウタは後方へと吹き飛んだ。クロガネは追撃に踏み出そうとして、慄然とした。
足に僅かに残った刀の先端が刺さっている。それは足の甲と地面を貫通していた。離れ際にユウタは破片となった刀身の欠片を蹴り下ろし、クロガネを捉えていたのだ。
ユウタは宙で背転し、地面に安置された仕込みの傍に着地する。把だけの小太刀を腰紐に吊るすと、紫檀の杖を拾い上げた。
クロガネが苦しげな声で言う。ユウタも伏せていた顔を彼に向ける。
「まさか、この数日間も修練に打ち込んでいたのか?」
「……まあ、それと変わらない事をしてた。頭の中で常にお前を考えて、剣を交えて。それでいつも、自分が敗北する未来が浮かぶんだ。じゃあ、お前に勝つ為に何が必要かって、それだけを探り続けて………辿り着いた」
ユウタの右腕の烙印が、仄かに赤い光を帯びる。黒い蛇の筋が、上腕の半ば手前まで伸びる。
「今の自分を超える。そうすれば、お前に勝利することのできる自分になれると」
「成る程。納得した」
以前は簡単に倒して見せた相手に、ここまで苦慮していた謎。その解答を得て、クロガネは静かに笑った。相手を超える為に、まず己を凌駕する事に視点を置いた。その発想を高く評価する。
長作務衣の上を脱ぎ捨て、上半身を晒すと錫杖を一旋して、地面を石突で打つ。
「強くなった。その力、間違いなく数日前の貴様を超え、このクロガネに肉薄している」
強敵に認められるも、慢心せずにユウタは心を落ち着かせる。腰を落として頭を下げ、低く低く構える。瞑目して、全神経、肉体機能の感覚を集中させていた。
クロガネは胸の傷を撫で、指の腹に付着した脂と血を舐めとると、鬼の形相で駆け出す。その一足が地面を打ち砕く膂力を有しており、地面を穿ち土を蹴散らしながら猛然と突き進んだ。
「ユウタ!!」
静かな広場に響く。
ユウタの脳に反響する声は、ムスビのものだった。初めて彼女が自身の名を呼んだ事に、可笑しくて笑ってしまう。あれだけ「あんた」なんて個性を廃した呼び方をしていたのに。その声音は憂慮の色に染まっていた。
目蓋の裏に、一歩ずつ迫るクロガネの姿が映った。まるで本当に見ているかのように、鮮明な映像だった。
体の氣の流れを加速させ、全身の身体能力を強化する。変革される体内の力との軋轢に、肉体や神経が悲鳴を上げた。背筋を伝って、脳に電流が走ったような感覚に呻く。
「行くぞ、氣術師!」
クロガネが踏み込みを決める。その足下の地面が陥没し、土が風に巻き上げられる。いま放てる渾身の一撃を、容赦なく少年の頭蓋を破砕する為に振るう。武器による打擲が、過たずその命脈を絶つだろう。
「………────」
ティルやヴァレン、そしてガフマンとムスビはユウタが何者であるかを弁えていた。彼が戦う姿はこれが初見でもない筈である。しかし、いまクロガネを前にしたユウタを見た全員が本能的に感じたのは恐怖だった。
加速するユウタの感覚が、刹那を永遠へと拡張する。世界から、クロガネと自分以外の存在を掻き消した。どこに振れば、どこに与えれば、相手を打ち破れるか。
相手を切り伏せる為の最適な一撃を選択した死神が、目蓋を開けて琥珀色の瞳を覗かせる。
クロガネが錫杖を振り上げた。ユウタは左の仕込みを少し後方に引き、相手に半身を斜めに晒して身を屈めて対する。クロガネが振り下ろした一瞬、ユウタの手が仕込みの柄に掛かった。
剣が錫杖と交錯する。クロガネが振り抜いたとき、ユウタはすでにその後ろで抜刀していた。稲妻じみた剣閃は終端の速度があまりに速く、ガフマンにも視認できなかった。額から一筋の汗が伝った。
誰もが呼吸を忘れて静観する中、重い静寂を破って少年の体が動く。背筋を正し、深く息を吐いている。
ユウタの納刀する音が響くと、錫杖の先端が持ち手を取り残したように切り離され、地面に落下した。鈴の音が鳴り、クロガネの体の均衡を失い、前へと頽れた。
唖然とした町人達は、次第に状況を理解できたことで歓声が沸き上がった。眼前で繰り広げられた死闘に胸を打たれ、その決着を全員が喜ぶ。ユウタへの賛辞の声が飛び、ガフマンは耳を塞ぐ。普段は己の声でも騒々しいと思わぬ彼が、町人の歓喜が束ねられた叫びには耐えられなかった。
壇上からムスビがドレスの裾を引きちぎり、飛び降りた。それを慌てて制止しようとしたビバイは、自分の視界が傾き地面に横臥した事に困惑する。思考回路を回して理由を探るよりも先に、意識が途絶えた。
暫く直立していたが、脱力して倒れそうになったユウタを、ムスビが間一髪で抱き止める。攻撃を受けた部位に走る痛みに耐えながら、ティルとヴァレンは歩み寄った。民衆の中からガフマンが跳躍し、二人の傍に着地する。彼の所為で巻き起こった旋風に煽られ、危うく転倒しそうになるのを耐える。
「よく勝ちよったな、坊主!全く面白いわい!」
哄笑しているガフマンを無視し、ヴァレンは壇上を見た。首と体を分断された領主の息子の亡骸を、仲間が見下ろす光景である。手を振って退却の合図を送り、ムスビとユウタに視線を移した。
ユウタは杖を掲げる。
「勝った……勝ちましたよ師匠」
「あたしは、あんたを弟子にした憶えはないから」
「……あれ、ムスビ?」
「そうよ」
「なんか老けた?」
「これでも化粧してるんですけど!?」
「そっか…残念になったね」
「普通逆でしょうが!」
すると、ユウタはぱったりと意識を失って、彼女に凭れ掛かるように眠る。静かに寝息を立てている彼を、仕方ないと背に腕を回してあやすように撫でる。
「今回はよくやったわ」
「おーい!!」
その言葉にその場の全員が苦笑していると、遠くから呼び掛ける声に振り向く。
汗を滝のように流し、よれた服と荒い息をしたルクスとミミナが、膝に両手をついていた。その様子だけでも、かなり疲弊しているのが解る。
ルクスは呼吸を整え、無言でユウタの背中を確認すると安堵の息を漏らす。
「傷は悪化してなくて良かったよ。ホントにどうなってんのこの子の体は。一回ベッドの上でくまなく検査」
「おい!ユウタが危険だ!コイツ引き剥がせ!」
ヴァレンがルクスを羽交い締めにして、ユウタから離すと、今度はミミナが大泣きする。
「うぇぇ~~ん!ごめんなさいぃ!私が目を離したばかりに、ユウタさんがあああ!!」
「落ち着けミミナ。死んでない、死んでないから!」
ミミナを宥め、ティルは微笑んだ。
ガフマンがユウタを担ぎ上げ、その後を全員が付いて広場を出る。
最後列にいたティルは、広場に落ちていた黒塗りのナイフを拾い上げ、再び彼らの後を追った。
長々とした戦闘にもお付き合い頂きありがとうございました!大変目が疲れたでしょう。それでも、読んでくれて嬉しい限りです。
次回、第二章も完結します。
これからよろしくお願いいたします!




