結婚披露宴(2)/傭兵と暗殺者と少年
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体の痛みが引かないので病院行きます!片手間なので、少し短いです。
騒然となったシェイサイトの中央道で、ビバイを批判する声が広場へと殺到する。その流れは激しく、氾濫を起こした川の濁流のようであった。先程まで和気藹々としていた雰囲気を幻だったと錯覚させる怨嗟と怒声が、町中を満たしているのである。
広場から時折、金属の叩き合う音がした。連続で鳴らされるそれは、更に殺伐とした空気を醸し出していた。
一人の町娘は、その雰囲気が恐ろしく壁の隅で踞っていた。頭を抱えて、事が早急に終わることだけを祈る。夏の日差しの中、暑さも疲労も忘れた町人による怒気は、周囲の温度を更に高くした。その熱気に当てられ、意識が朦朧とする。
苦しくてその場に倒れそうになった時、誰かが横からそれを支えた。町娘の両肩を優しく捕まえて、そっと元の体勢に直す。こんな状況下で、自分を気遣ってくれる人間がいるとは思いもよらず、前に立つ相手に目を見開いた。
「大丈夫?」
優しい声で話しかけてくれたのは、髑髏の仮面に黒衣の人間──【猟犬】の服装をした人物だった。少し低い声音は、男性だと判断した町娘は小さく身構えるが、彼は懐から水入りの竹筒の栓を抜いて、それを娘に渡す。
町で暗躍する暗殺者集団の一員。だと言うのに、何故気遣ってくれるのか町娘は解らず、自然と受け取って水を飲む。自分が飲み終わるまで待っていた【猟犬】に感謝の一礼をして返す。
彼はそれを貰うと、残りを飲み干した。そしてその場に置くと、町娘の隣に腰を下ろした。
二人で荒れ狂う人間たちの騒動を静観し、同時に溜め息をついた。今まで信じてきた物が見せる獰猛な姿に、ただ悲嘆の念を懐く。
「これは酷いね。いつものシェイサイトとは、到底信じられない」
「この町の優しき空気が大好きだったの。でもこれじゃ酷いよ」
「そうだね。これは好きじゃない……大丈夫、すぐに終わらせる」
短い会話を切り上げ、【猟犬】は早々に人混みへと向かう。立ち上がる際、やや蹌踉めいた彼を町娘が咄嗟に支えた。それが一種の優しい意趣返しのようで、彼は仮面の下から笑声を上げる。町娘も彼に笑ってしまった。
ふと屋根の上から降る紙を一枚取り、二人で眺める。指名手配書の内容を見て、町娘はまた顔を曇らせた。大して年の変わらぬ少女が、指名手配される事を好ましく思わないのである。
【猟犬】はそれを散り散りに破り捨てて、足下に撒いた。人混みへと再び進む彼を呼び止める。
「が、頑張って下さい!」
「……」
彼は一度振り返ると、手を小さく振って人波の中へと紛れた。
町娘は一人、その場に再び腰を下ろすと、今度はこちらに長髪の男が駆け寄ってきた。あまりの急ぎように面食らってしまう。
「ごめん、そこの君!さっき、少年を見なかった!?優しそうで、その、黒髪の」
「いえ…知りません」
「そっか、ありがとう!ああ、もう!あの子は本当に……!」
男も早々に走り去っていった。
一体、彼等が何だったのか。町娘は知らない。
ただ、あの【猟犬】の言葉が忘れられないのである。
“──大丈夫、すぐに終わらせる。”
彼にただ期待し、その場から再び祈った。
× × ×
広場に絶叫が響いた。それは民衆が一体となって叫んだものである。
ビバイを拘束しようと飛び掛かった人間が、クロガネが投擲したナイフによって致命傷を負った。次々と死傷者が続出し、領主の息子を止める者が誰一人としていなくなる。未だ後方から流れてくる人間達を押し留め、動かなくなった町人達によって円形の闘技場が作られる。
その空間には五人。
壇上からその景色を眺望するビバイとムスビ。
広場でクロガネと対立したヴァレンとティル。
周囲が息を飲んで見守る中、七尺ある錫杖を体の後ろで少し斜めに傾けて待ち構えている。その傭兵は、戦場で名を知らしめた強者。如何なる時もその身を誰かの血で染めてきた人間兵器である。
「勝つ自信とやらはあるのか?」
クロガネが徐に問うと、ヴァレンは首を捻った。
「さあな。まぁ、せめて一太刀は入れてやるよ」
「それは、楽しみだな」
ヴァレンが地面を蹴った。
接近してくる【猟犬】に対し、錫杖を横薙ぎに振る。水平に切られたそれは、今まで数多くの戦いで長い間合いを保ちながら敵を蹂躙できた。今回も、敵の命を容赦なく刈り取る。杖を振り切り、鈴の音が鳴った瞬間こそ一つの命が潰えた合図なのだ。
ヴァレンの視界に、異形の武器が迫る。それは本来、武器として使用される筈のない物なのである。だからこそ、槍と同等の長さをしたそれがこちらを戸惑わせ、更にはその輪形の遊環が作り出す催眠術が、感覚と現実の齟齬を生み出す。それがあの無双と思われたユウタを撃退してみせた彼の手際である。
ヴァレンは裏拳で錫杖を殴打する。まず敵の動きを止めない限りは、ヴァレンにも勝機が無い。全力で武器を弾き、隙ができたところを衝く。その算段で振るった拳。
しかし、その拳撃と杖の威力は五分──見事に相殺され、互いの手元に振動を伝えるのみだった。全力の拳で、相手の攻撃と互角となれば少々分が悪い。
錫杖を止められた。死の宣告たる鈴の音が初めて過つ。予測していた行動速度と凌駕した相手の攻撃に、少なからず驚嘆した。しかし、彼にとっては全力とは程遠い試し打ちに過ぎず、相手がそれをも凌ぐというのなら応じなくてはなるまい。
杖を掴んだヴァレンに、渾身の蹴りを見舞う。唸りを上げて振り上げられた爪先が、【猟犬】の黒衣の腹部へ深々と突き刺さる。小さく乾いた声が敵から漏れた。その手応えで、クロガネは敵の沈黙を確信する。
振り抜いた足と共に、風に煽られて飛んだ藁の如く広場の地面に体をもんどり打って倒れる。腹部を貫いた鈍痛に声すら出せず、その場で悶えた。
町人の付近まで転がった彼と入れ代わるように、漆黒のナイフを携えたティルが敢然と突き進む。逆手に持つ得物の刃を顔の前で交錯させ、低い姿勢を保ったままクロガネの間合いに入った。
錫杖を上から振り下ろすと、振り上げたナイフで受け止められ、そのまま横へといなされる。地面に叩き付けられた杖を踏んで固定する。クロガネの武器を封じ、肉弾戦に持ち込む所存である。間合いを惑わす武器も、取り上げてしまえば格闘しかない。それならば、体格からでも判断できる。ガフマンに比較すれば、ティルにとって相手の速度は遅い。
クロガネが不敵に笑った。
ティルは危機を察知し、錫杖を蹴って飛び退く。力強く跳躍し、彼の左へと回り込む。横合いからナイフによる刺突を連続で叩き込んだ。至近距離から放たれたこの攻撃を、錫杖では対処できないだろう。地面から引き抜き、左へと体を巡らすまでに急所を貫ける。
全身の力を振り絞り、最大の速度で放つ。ナイフによる斬撃を、より速く、正確に繰り出す。
クロガネは体を動かさず、寧ろ左手のみで応戦する。一撃、二撃、三撃を前腕だけで軌道を逸らし、四撃目を突き出したティルの腕を掴んで止める。凄まじい握力で捕まえた相手に、クロガネは錫杖を持ち上げると遊環の吊り下がっている先端を軽く足で蹴った。
空中で回転する長い杖を掴み取り、錫杖の石突をティルの眉間に目掛けて振り下ろす。
「……ッ…!」
僅かに首を横へ傾けて回避したが、肩を抉っていく。鋭い刃物ではなく、打撃系となる錫杖で肉体を切り刻む膂力は計り知れない。ティルに直撃せずに、地面へと突き刺さると砂と石を盛大に飛ばした。その場で地雷が作動したも同然の威力である。これが館で【猟犬】の精鋭をバラバラにしてみせた正体。
攻撃を躱わして安堵した途端、腹部をクロガネの膝が打ち抜く。体内を震撼させ、吐血が食い縛った歯の隙間から滲む。
打ち出された砲弾のように民衆の方に直進し、数人を巻き込んで吹き飛んだ。屋台の屋根に落下すると、瓦解した屋台の木材と共に沈む。腹部を穿つ蹴りに、ティルは全身が痺れた。
「足止めか。中々楽しめたぞ」
クロガネが屋根の上に立つ【猟犬】の集団へと向かおうとするが、その行く先にヴァレンが立つ。ティルも夢遊病を患った病人じみた覚束ない足取りで広場へと戻る。二人に前後を挟まれ、クロガネは仁王立ちで構えた。
「いきますよ!」
ティルが烈帛の気合いと共に咆哮しながら、クロガネへと肉薄する。クロガネは後方へと身を翻し、ティルを目指して走った。
錫杖を振り翳す長作務衣の男へ、黒塗りのナイフを一本投擲する。
放たれたそれを撃墜しようと睨んだ彼の視界が、閃光に瞑れた。彼は突然、網膜を焼くような眩さに目蓋を閉じる。一体何が起こったのか──漆を塗ったナイフが、あれほど強く日差しを反射する訳がない。偶然の範疇にも収まらない、まるでナイフが光を発しているかのようだった。
クロガネの肩に着弾したナイフを見て、ティルは薄笑いを浮かべる。
そのナイフの原材料は、ガフマンがダンジョンから採取した希少な金属。恋人へ贈呈する為に作られた特注品のナイフに使用されている。それは、硬度は鋼を凌駕しているがその金属固有の性質により自ら発光する。故に、使い手が困る故に漆塗りを施したのである。
屋台に弾き飛ばされた彼は、打撃の影響で痺れる体に鞭を打ち、砥石で一本のナイフの漆を剥ぎ落としたのである。これを投じた時、隻眼のクロガネはただ一つの視界を光に潰される事となるだろう。
ヴァレンとティルは、光に怯んだクロガネの内懐に踏み込んだ。ティルは彼の膝を足場に跳躍して肩に乗ると、突き刺さっているナイフの把を掴む。ヴァレンもまた、相手の右腹部へと鉄の爪を突き刺した。
「貴…様ら……ッ!」
二人は躊躇いなく、切り裂くように肉を抉りながら、その武器を引き抜く。クロガネの肩と右脇から血が飛散し、広場の地面に赤い斑点を作る。
「オオオオオッ!!」
獣じみた咆を上げて、錫杖で叩く。弾かれて遠くへ飛ぶ二人を睨みながら、クロガネは傷口を押さえた。負傷は行動に支障のない程度であるが、一太刀浴びせられたことが意外だった。
ティルとヴァレンは、地面に仰臥して沈黙していた。流石の直撃には耐えられず、意識を刈り取るに至ったらしい。
「よくやった、クロガネ!次は奴等だ!」
ビバイの歓声が聞こえる。
クロガネは錫杖で体を支えながら、今度こそ任務遂行に向かう。戦闘を見守っていた【猟犬】達が一斉にナイフを握る。
しかし、彼等の動きが止まった。不審に思ったクロガネは、敵の視線が自身に向いていないと悟ると、周囲を検める。彼等の注目を浴びる景色とは、一体なんなのか。
未だ壇上へと恐怖で寄り付かずに包囲された広場。五人しかいないその空間に、一人進み出て来た。左右へと頼りなく揺れながら、倒れそうな体を踏み留まって耐える人物。
片手に小太刀を握り締め、髑髏の仮面を脱ぎ捨てる。【猟犬】の服装を解いて全貌を明かすのは、中から単衣と袴を着た少年だった。
その登場にクロガネは歓喜し、【猟犬】へと向けていた足を方向転換して、そちらに向かう。錫杖で地面を叩きながら接近すると、少年もまた小太刀の把に手を添えた。
「待っていたぞ、氣術師」
「約束を果たしに来たよ、クロガネ」
クロガネの一方的な約定に応じ、手負いの姿で現れたユウタ。額に浮いた玉の汗、顔色の悪さや蹌踉めく体。未だ完治していないのは一目瞭然である。そして奇しくも、現在クロガネも二人から受けた傷がある。
「互いに条件は、平等ということか」
「僕の方が、重傷だっての」
クロガネは、右目の傷痕を撫でる。その時に浮かべた狂喜の笑みに、広場の人間達が戦慄する。正対するユウタは、眉根を寄せて質問した。
「どうして、僕との決闘に執着する?」
「決まっている。お前が奴の継承者だからだ」
「僕が逃げる可能性は考慮しなかったのか?」
「それなら、それまでだ。だが、貴様の性格でこれを置き去りになど出来ようか?」
クロガネは腰元にある紫檀の杖を見せて、ユウタを挑発した。しかし、依然としてユウタは冷静なままである。冷ややかな視線を彼に投げ掛けながら、その背後にいるムスビをちらりと見た。
壇上で彼女が口を両手で覆い、涙しているのが判る。あれは歓喜ではなく、これから訪れる展開に対する恐怖だ。ユウタは微笑して、小太刀を抜刀する。鞘を捨てずに逆手に提げ、クロガネを見る。
「悪いけど、杖だけじゃない。仲間も返して貰う」
「それは管轄外だ。だが、確かにここを押し通らぬ限りは、小娘を救うことが出来ぬのが道理か」
ユウタを睥睨し、錫杖を旋回させる。
「アキラ……だったか。この右目を潰され、唯一敗北を味わった相手。確かに、あの頃は若造だったが、あれ程の敵は見たことがない。時を経て、こうしてまた相対する事になるとは……何たる僥倖」
「僕はあの人の弟子として、二度も負ける訳にはいかない」
ユウタは右腕の包帯を千切った。
「絶対に、勝つさ」
読んで頂き、誠にありがとうございます!
引き続き次回も楽しんで頂けたら幸いです。
ちなみに、医師には運動しましょう、の一言で診療が終わりました。帰路を爆走しているのを知人に見咎められ、噂になりました。




