結婚披露宴(1)/仕組まれた宴会
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今度は背中も痛い!
領主の息子であるビバイの、突然の結婚披露宴の決定に町中が震撼した。如何なる女性にも興味を示さなかった、あの美男子がついに娶る妻を見付けたのである。彼に恋い焦がれていた娘たちは嫉妬に叫び、領主を慕う人間たちは祝福した。
町のあらゆる場所に貼付された報せは、町人の目に行き届く。誰もが注目するその日は、町の中心である広場にて開催される。
その日、誰もが興味に足を運んだ。
祝宴として屋台が陳列し、広場から町の中央道は、今までにない賑わいを見せる。活気に溢れた町の至る場所で、ビバイを祝う人間の話だった。
ビバイはほくそ笑みを浮かべ、館で開宴の時間を待つ。衛兵を死角がないよう配置させ、傭兵クロガネは神父の近くに潜ませる。完璧な守備で開いたこの結婚式を、一体誰が妨害できようか。長らく焦らされてはいたが、漸く娘と夫婦の契りを結べるのである。
この数日間、逃げられないと消沈していたが、今はもう現実として弁えたのか、そこに拒絶も抵抗も見られない。結婚式を終わらせ、初夜を過ごせば確実な絆となる。
珍しい黒髪は艶に濡れ、左のこめかみにある白いメッシュがあるとなお、それは映えた。美しく整った顔に、一五とは思えぬ体の発育が彼の欲望を掻き立てる。彩りなど必要はなく、それだけで美術品として完成してしまっているようだった。
性格はまさに、ビバイの好みを体現したもの。完全に手放すには惜しい女性だ。五つ下の人間にこれほど燃える事があるのだろうか。
ビバイは白いスーツの袖に腕を通す。
着替えを終えて、隣室で待機する彼女を迎えに行った。廊下に出てすぐ、隣の扉の前でクロガネが立っている。その光景に驚き、思わず数歩も後退してしまった。
「何をしている?」
「あの小娘の護衛だ。奴は必ず来る……娘を狙われぬように傍で待ち構えようとしたが、着替え中とあって追い出された」
不服そうなクロガネに、ビバイは笑った。仕事に、特にあの晩に戦った少年が忘れられず失態も反省しない彼を嘲る。
それにしても、あの琥珀色の瞳をした少年。もしかすると、彼がムスビを護衛していた手練れなのかもしれない。町で根回しを行い、彼女らしき人間を探って、最近冒険者登録をした人物に居ると入った。ギルドを訪ねた時、護衛も居ない彼女を見て、そう思った。ビバイは心の底から安堵する。
その手練れがクロガネに勝らぬ者なら、杞憂なのだ。これで心置無く、ムスビを妻にできる。
クロガネに退くよう命令し、扉を軽く叩く。
少し間を置いて応答する声があり、ドアノブを捻って入室した。心臓が騒がしく、体が熱い。
そこには、純白のドレスを着たムスビ。薄いベールの向こう側で、口紅を塗った唇は赤く情熱的な色だった。肩から胸元まで晒した姿は妖艶で、開けられた扉の隙間から見てしまったクロガネも思わず息を呑む。きっと、誰もが羨む美貌を備えた妻であろう。
ビバイは彼女の手を引こうとするが、それを払われた。
「玄関で待ってて」
弱々しい声音を聞いて、ビバイは渋々引き下がった。
階下へと降りていった彼を見送ったクロガネが、錫杖を片手に自身も配置に向かおうと動いた。
「待って」
長作務衣の裾を摘まんで引き留めた彼女を肩越しに見た。ムスビが自分を見詰め、何か物言いたげな表情をしている。誘惑されているように感じ、背後の彼女に振り向いた事をクロガネは後悔した。殺伐とした日常に身を置き続けていたためか、女性に対する知識や免疫がない。
クロガネは努めて平静を装い、小さく返答した。
「何か用か?」
「……あの、アイツは殺さないで」
恥ずかしげに告げられた想いに、クロガネは溜め息をついて、首を横に振った。それだけは認められない──あの少年は、自身の右目を潰した人間の業を受け継ぐ。敗北の無念を晴らす為にも、討ち取らなくてはならない。
しかし、希う彼女の眼差しに耐えられず、服の裾から彼女の手を払い、階段を降りる。
「全力で戦う。……だが、子童の命なんぞ、取る気が失せたわ」
「ありがとう」
顔まで頭頂から足首まで隠れる長い外套を羽織り、裏口から出て路地を伝い、中央道の人混みに紛れる。ムスビの言葉が、脳内で反響して彼は煩悶としていた。心臓に悪い、と一言内心で吐くと、広場に辿り着いた。
用意された舞台の周辺は人が避けている。あたかも、闘技場のようだった。それを見たクロガネは、煩悩を捨て去り、再び傭兵として感覚を完成させていく。
いつ現れるかも解らぬ少年に思いを馳せ、静かに舞台の裏側に回って、その時を待った。
× × ×
クロガネが去り、そして静かに玄関のビバイと再会する。彼に手を取られ、扉を開いた。握られているのは白い手袋で、皮膚だというのに全身に走った悪寒にムスビは悲鳴を上げそうになる。
ユウタが敗北し、あれから助けを待ったが、一向に誰も姿を見せない。恐らくは、救出を諦めたか、それとも全員滅ぼされたか。ガフマンがいれば何事も解決可能だが、彼が居ないからこその現状である。故に、導きだされた解答は、見放されたという終着点。
大人しくビバイの妻となり、彼の期待に答えていくしかないのだろう。
一時であったが、楽しかった。
ムスビは黒髪の少年を思い出す。自分に振り向かなかった男はいなかったのに、彼は全く自分に興味を示さない。それどころか、皮肉を言ったり、今まで誰もが口にしなかったムスビへの注意を怒気を隠そうともせずに、彼女を咎める。今まで出会った人間とは異なる存在だった。
ムスビに対して厳しいが、それでも家族以外で自分をこれ程見守ってくれた人間がいなかった。何よりも、口では自分を咎めてばかりだったが、ダンジョンで【冒険者殺し】との戦闘後に自分を想って、正体を教えてくれた。ユウタは、自身が憎しみのあまり、彼女に殺されるであろう覚悟を決め、諭してくれたのである。
優しかった。嬉しかった。頼もしかった。
感謝をしていたが、それでも素直に伝えられる自信がなかった。彼の背を見て感じたのだ。彼は常に一人、その隣は常に空虚だった。誰かと時間を過ごしていても、孤独なのである。
同じだ──この町に来た時の自分と相似する思った。
自分の事を守る余裕しか無く、それが摂理だと幼いながらに弁え、己の為ならどのような蛮行も是とする。ユウタは、そういう人生を歩んできたのだと勝手に納得した。
自分を助けるのも、単なる余興だと。優しさではない、自分に向けられる態度が単に穏やかなだけだ。いずれ、冷たくなる。
しかし、ムスビは己の解釈が間違っていた事に気づく。
シュゲン救出から帰還した朝、傷付きながらギルドに辿り着いた彼は、ムスビに一言だけを告げた。
“──ムスビ、逃げろ。”
それが、自分を生かす為に<印>と戦う道を選んだ家族に重なる。自分の為に命を擲つ行為をしてくれる──そんな人間は、血の繋がった人間だけなのだと悟っていた筈なのに。
身を隠して傷の治癒に専念すれば良かった。しかし、自身の身よりもムスビを按じて警告しに来た彼は、紛れもなく彼が本性から心優しい人間だと識った。
これ以上、彼を巻き込む事はできない。
館で最後に覚悟したムスビの答えは、ユウタを救う為に抵抗を止めること。
外へ出ると、二人を公衆の喝采が迎えた。口々に述べられる言葉と拍手が不協和音に聞こえ、ムスビは思わず顔を顰めそうになった。
しかし、笑顔を取り繕い、ビバイに寄り添うようにする。努めて幸せそうに、虚飾の愛を真実の愛に少しでも近づけるように。
広場まで恙無く歩めた二人が、舞台に上がった。壇上からは周囲の人間達を一望できる。円形にこちらを囲んで、広く間隔を取った場所が最前列であり、そこから花束が投げられる。
ムスビはビバイと向き直った。視界の隅で、クロガネが静かに佇立している。ちらりと微笑すると、彼は顔を逸らしてしまった。ムスビは少し不満を抱きつつ、眼前の男に向き直る。
今から向き直らなければならない現実は、彼女にとっては永い苦悶にも等しい束縛を与えるだろう。本来なら憎むべき相手なのに、これからは愛さなくてはならない、その軋轢に心が軋みを上げていた。
神父が誓いの言葉を始める。
ビバイの悦びが最高潮に達し、ムスビの絶望が絶頂を迎えようとしている。儚げな彼女の表情が、何よりも衆目を釘付けにさせた。
「その結婚式、ちょっと待った!!」
大声と共に、神父の声が遮られる。
すると、ビバイめがけて高速で矢が飛来した。町人は頭上から襲来した矢を茫然と見詰め、ビバイは身構える。完全な奇襲に、警備をしていた衛兵達は完全に出遅れた。領主の息子が、無惨に突き刺される光景を想像し、全員が目を塞いだ。
乾いた音が、静寂に包まれた会場内に鳴る。
ゆっくりと目を開けた町人は、壇上に現れた長身に異国の服装をした男に瞠目する。その足下に散乱するのは、鏃ごと粉砕された矢。全員が驚愕の連続に硬直し、広場へと進み出る二人組を止める事が出来なかった。
クロガネは予期していた相手の到着を裏切り、現れた別の人物に憤然とした。
ビバイは式を妨げた相手の末路に嗤った。
ムスビは信じられぬ光景に、ただ黙ってその場に膝を着いた。
広場に現れたのは、全身に黒衣を纏い、髑髏の仮面をして貌を隠した二人。ムスビのよく知る、この町では畏れられた【猟犬】の姿だった。
× × ×
「な・・・何で、アンタらがここに?」
「悪いな、小僧の代わりに助けに来たぜ!」
「ああ……アンタ、アレね。えと……名前判んないやつ」
「みんな酷くね。ユウタ以外、みんな俺の名前を記憶しない。と言うか明らかに落胆しただろ、お前!?」
【猟犬】のヴァレンとムスビが会話をしていると、壇上からクロガネが飛び降りた。広場の地面を叩き、錫杖を鳴らす。鈴の音が奇妙にも一帯に反響した。
その時、ヴァレンはクロガネの姿が歪み、視界で彼の姿が拡大されていく様を見て、耳を塞いだ。隣に立つ相方にも注意する。
「耳を塞げ!これだ………奴がユウタを倒せた理由は、これなんだ!」
ヴァレンは納得した。ユウタを倒せる彼の手段とは、一体何なのだろうか。この数日の思考をその点に費やし、考え続けたが、一向に答えは出ない。ガフマンとの修行中であったが故に、ユウタから敵の情報を聞く暇もなく、この場で理解する他無かった。
クロガネは、錫杖の輪で鳴らした音を操り、相手を催眠する技術を用いて、ユウタとの距離感を鈍らせたのだ。本人は常人よりも聴覚が敏感であるために、この音で撹乱されたのだろう。あのユウタが、背後から切られる筈がない。確かにクロガネは破格の戦士だが、対峙してそれを解する。
「良いか?まだ動くなよ──ティル」
「了解です、ヴァレンさん」
もう一人の【猟犬】、顔を隠している人物──ティルは、静かに答えた。既にナイフの把に手を伸ばし、いつでも抜刀できる体勢で待機している。
クロガネが立ち止まり、錫杖による催眠を止めた。敵が正体を一瞬で察した事に驚嘆したが、それでも純然たる戦闘力はまだ己の方が上していると自負していた。早々に排除できる。先日に館を侵入した【猟犬】の数人を、瞬間で切り刻んだ手応えで判る。
ユウタではなく、彼等が現れた事に苛立っていた。腰には紫檀の杖を帯びて、常に彼を迎えられる備えをしている。だが、少年は依然として姿を見せなかった。傷の回復を見積もっても、今日が完治する筈だ──“彼の持つ業”を知るクロガネだからこそ、確信できたのである。
仮に、ユウタがこの【猟犬】を恃みにした、間接的な再戦なのかもしれない。そうなのだとすれば、そのクロガネの焦慮を助長させる行為だ。即座にこの二人組を排斥する意気で、錫杖を握りしめる。
ヴァレンが挙手すると、それを合図に会場に居た守衛が次々と倒れた。その奇妙な光景に、呪術や魔法を用いたのかとビバイは怯えたが、彼の予想よりも単純な方法で、それは行われていた。
屋根の上に、次々と【猟犬】が現れる。
「守衛は排して、ここからが本仕事だ」
現れた複数の【猟犬】は、懐から取り出した紙束を人々の頭上へと撒いた。宙を舞い、総て満遍に町人へと行き届く。
クロガネは突然行われた彼らの行動に怪訝な表情で、目的を探る。目の前の二人組が主犯だと思われるが、顔も見えず淡々としていた。【猟犬】から何かを読み取る事は不可能だと断ずると、黙って事の成り行きを観察する。
「おやぁ!?こりゃ、どういう事だ!?」
民衆の中から、一人大きな声が轟く。砲撃が放たれたような衝撃を伴うその声は、ムスビには覚えのあるものだった。彼女は目を凝らし、音源の居る場所を注視した。混雑する町人で形成された高い二層目の地面から、胸部より上が生えた男。赤く燃える火を連想させる髪を撫でながら、大袈裟に叫んでいた。
「……ガフマン!」
一人が呟くと、全員が戦いて離れる。
ヴァレンとしては、平時から際立っている彼が、今まで気付かれなかった事を不審に思った。
「おかしいぞ。領主の息子、そのビバイの新しき妻の容姿が……指名手配者に似とるぞ?」
舞台で唖然とするムスビに、ガフマンはベールを脱ぐ仕草をした。何かを実行中の彼な顔は意地悪く笑っており、彼女の正体の暴露を促している。
ガフマンの言葉は、誰もが意識を向ける。
会場に【猟犬】が散布したのは、以前まで町中に貼られていた手配書である。可能な限り行き届くよう、更に写しを用意していた。
町人は特徴を列挙した紙面の字から、その姿を思い浮かべ、そして壇上にいる花嫁と比較した。明らかに掃除しているのである。この奇妙な偶然に誰もが口を噤み、領主の息子を見詰めた。
「ううん?おいおい、花嫁さんよ、こりゃあどーゆー事だい?説明してくれよ」
ヴァレンが諧謔に満ちた言葉で、ムスビを問い質す。
ビバイは完全に予想外の展開に口を開いたまま硬直している。【猟犬】の仕業ならば、まだ許容できたが、それがあのLv.10の冒険者、【灼熱】のガフマンと世に知られた偉人も、彼等に加担している様子だった。自身を貶める為に講じた策、そこにあの冒険者の存在を置く。【猟犬】の狡猾な作戦に翻弄された事が、顔を羞恥と怒りで赤面させた。
ビバイの横で、ムスビがベールを脱ぐと、町人は悲鳴に近い声を上げた。すると、彼女はこの場に居る人間に聞こえるよう、語調を強めた声で話し始める。
「実はあたし、この男に脅迫されて結婚を強いられてるの。
元来、貧しくて盗みを働いていたあたしが、偶然にもコイツの所有物を盗んで捕らえられた時に、一目惚れされちゃったのよ。それから【猟犬】を使って追跡し、手配書にあらぬ事書き込んで町中に撒き散らす。ホント、執念深くて怖い。
そして最近、そこの男を雇ってあたしの仲間を傷付けたの」
ムスビがクロガネを指差す。
クロガネは思わず笑みを溢し、主張するように頭上で錫杖を旋回させた。彼も相手の暴露に興味を感じて、町人の前で大胆に振る舞う。今のムスビの姿が自然に感じ、寧ろ先程よりも好ましく感じられた彼は喜んでビバイに背馳する役を買って出る。
先程までのムスビからは考えられぬ言動に、民衆がただ憮然としていた。
ヴァレンが両腕を広げて、声を張り上げた。
「おう、そりゃ大変だな嬢さん!
さてさて、我々【猟犬】も実のところ、仲間を領主の息子の護衛に殺されてまして。その弔いをしたいのですが……。
今一度、ここに集った人間に問う。お前達は、どちらを信じる?」
ヴァレンの言葉に、騒然となった。
数瞬の間を置いて、花束ではなく靴が投げ入れられた。それも舞台に向かって、迷いなく投じられる。次々と、道具や帽子、衣類などが無造作に飛んだ。総てビバイを標的に狙っている。
町が完全に、ビバイを罪人だと断じた。恋い焦がれていた娘は、ムスビから聞いた彼の手際に幻滅し、純心で祝っていた人間は彼に憤怒を向ける。味方は広場に存在しなかった。
ビバイは、苦し紛れにクロガネを見る。
「ッ………クロガネ、奴等を殺せ!」
「承知した」
クロガネが動いた。
彼からすれば、今もまだビバイが雇用主である。故に、その命令や要求には従わなくてはならない。契約内容は、彼の障害を斥けること。それに従う事こそ、クロガネの本分なのだ。
屋根の上で、未だに手配書を撒き散らす【猟犬】に向かって走ろうとしたが、その行く手を二つの人影が阻む。
「おおっと、させねぇぞ。此所でお前を足止めさせて貰うぜ」
「貴方を食い止める」
仮面とフードを脱ぎ捨てたティルと反し、依然として【猟犬】の格好を貫くヴァレン。
ヴァレンは、館で仲間を惨殺したのが彼だという事を理解していた。あの精鋭が、そう容易に殺せる筈がない。恐らくは、化け物と形容される位階にいる人間の仕業だ。ならば、彼等を弔い為に【猟犬】として戦わなくてはならない。
ティルは黒塗りのナイフを引き抜いて、逆手に持った二本の刃を振った。
ヴァレンもまた鉄の爪が突出した籠手を装着し、爪先を錫杖を携えた男へ翳す。
「良いだろう、来い」
クロガネが杖を打ち鳴らした。
二人は敢然と、目の前に聳える敵に向かって地面を蹴った。
いよいよ二章も終わりそうです。
今回アクセスした方に、深甚なる感謝の念を持ち、更なる物語の執筆に臨みたいです!
読んで頂き、大変ありがとうございます!
これからもよろしくお願いいたします!




