追放とハナエの願い
暇とは言うものの、今は忙しい時期なのになぁ。
小説内だけでも、事は上手く進んで欲しいです。
少年は幼い頃を思い出す。
その人は、どんな事にも興味が薄そうで、何かに目を惹く事や、唐突な衝動に駆られる事なども見た事がない。機械的な人なのかと言われれば、そうではない。少年に対する態度などは厳しいものの、時折ほんのり見せるものは愛情を感じさせる。
本当に彼が何を考えているのか、少年には解らなかった。果たして、少年に彼は死に際になっても語る事はなかった。ただ優しく目を細めながら、一言を囁いたのだ。それは、未だに少年の胸を打ち震わせ、しっかりと心に刻まれている。
────愛している、と。
× × ×
やけに風が強い。
黒髪の少年──ユウタがそう感じたのは、神樹の村に近くなった頃だった。夏は穏やかな風が抜けるだけであるこの森に、強風がやってくることは中々ない。何かの予兆を感じさせるほどではなくとも、疑問を持ってしまうほどだった。
この一帯は、日差しを森が覆い尽くしてしまうから僅かな湿気のみが、夏の訪れを知らせる。逆に、冬になると夜は極寒とまで言わしめる。
「ユウタ、どうしたの?」
尋ねるハナエに頭を振り、再び歩を進めた。彼女を魔物から守った彼は、村まで送り返す約束の下、その手を引いて護衛に努めている。彼女は既に嫁入り前の娘。自分と同じ歳ではあるが、既に複数人から婚約を持ちかけられるほどだ。容姿は言わずもがな、とても美しい。宝石を閉じ込めたような瞳は、長く付き合っているユウタにとっても、時折心臓が跳ねてしまう。
村からは“外れ者”とされているユウタに、結婚や商売などの話はない。ただ、掟はある。
自分を育てた師と、別れ際に結んだ契り。それこそ、ユウタの起源とも呼べるであろう。
右腕の包帯を見る。
この力が、いずれ呪いと呼ばれぬようにしたい。
少年が抱いた初志は、何よりも固かった。
村まであと少しとなる時、ユウタは足を止める。木々の向こう側に、城壁のような石を積み上げて形成された壁がある。十尺はあろう高さで聳えるその向こう側に、空へと伸びる巨木の影が朧気に見受けられた。あれこそ、この村を神聖とさせる象徴だ。
ここまで村の近くに来れば、自分はもう用が無いだろう。ユウタは彼女の手を放し、静かに身を引いた。
後退した彼に、ハナエが少し寂しげに顔を俯かせる。友人とは雖も、鉄則は守らなければならない。それが、彼女と彼に画然とした一線を引かせていた。忠実にそれに従うユウタを、もどかしい気持ちで見詰めるが、流されてしまう。
二人が離れたのを見計らってか、二人から少し距離を置いた木陰から、音もなく人影が前に現れる。その存在を既に察知していたユウタは、表情を消し、握っている仕込み杖を地面に置いた。後ろで腕を組んで見せたのは、自分に害意がないことを示すため。
その態度を見咎めた影は、ゆっくりと頷くとハナエを連れて村の入り口に向かう。その足取りからも、鍛えられているのがわかる。絹のローブに身を包んでいるが、布越しに修練で鍛錬された筋肉が躍動していた。
その人物が、おもむろに足を止めて、肩越しに少年を見た。その視線を避けず、真っ向から見詰め返す。
「ユウタ、貴様ともう一人、男がいなかったか?」
「ハナエ様の縁談相手、でしょうか?」
首肯する彼は、ハナエを村の方向へと押しやると、ユウタと向き直る。一回りも大きい男を前に、思わず顔が引きつる。
「彼はどうした?」
「ハナエ様をお連れの際に、スノウマンからの襲撃受けました。奴の力によって、急激な体温低下をしていましたが、事後に我が家で火を起こし、いま養生しています」
「スノウマン?」
やはり、ここで引っ掛かった。
高山地帯に生息するスノウマンが、ここまで降りて来ることはない。山々を移動する冬の時期ならばまだしも、今は夏なのだ。ユウタと同じ観点に疑問を抱き、少年を訝る男にどう弁解して良いか解らなかった。
「その死体は?」
「川の近くに放置しています。討伐してまだ時間が経過していないので、野犬の餌にはなっていないとは思います」
「すぐに確認しよう」
男──ギゼルがローブの裾を翻した。腰に帯びた無数の短刀に、思わず息を呑む。
彼は、神樹の森を守護する警護団の一員で、“短刀使いのギゼル”と呼ばれている。その手練は凄まじく、今まで森を侵すために差し向けられた傭兵や暗殺部隊を壊滅させた。その戦歴が、彼を村の守護者たらしめる証左だ。
「ユウタ。村長が貴様と面会をしたいそうだ」
「え、村長が、ですか?」
「早く来い。事前に忠告しておくが、村長の御前で粗相を起こせば、その首はないと思え」
鋭い声音とともに発された脅迫に、苦笑しながら付いていく。歩幅が違うため、軽く早足で後を追うが、ユウタに調子を合わせず歩くギゼルの態度が、少年に対する村人の嫌悪感を示している。
春先での“あの件”以来、村は少年に一切踏み入る事を固く禁じていた。故に、何ヵ月振りになる場所に、想いを馳せる。特に変化はないだろうが、知人がどうなっているか、その興味だけがある。村を追い出された不満は無い。
× × ×
石造りの壁に作られた門を潜り抜け、ギゼルとともに入った村の様子は、まだ立ち寄る事を許可されていた時期と変わっていなかった。
村の端々にまで伸びる神樹の根と、その隙間に建てられた家々。根を使ってアクロバティックに遊んでいる子供たちは、以前も見かけた事がある。
少年を見るなり、子供たちの目に畏怖が浮かんだ。即座に遊びを中断し、姿の見えない場所まで颯爽と駆け抜けていく。その後ろ姿に眉を下げて、薄い笑みを湛えたユウタを、ギゼルが睨んだ。
「貴様の噂は、村中に轟いている。味方はいないだろうな。お嬢様くらいだ」
「そう、ですね」
ユウタにとっても、今はハナエが恃みでもある。彼女が元気に、こちらと交流を持ってくれている事で、彼は孤独とは無縁でいられるのだ。それさえ奪われれば、少年はたちまち暗然とした闇に放逐された犬も同然である。
ギゼルに付いて、暫く歩く。神樹に近付いて来た時、一際大きい一軒家に辿り着いた。他の家がユウタと同じく木造なのに対し、こちらは煉瓦などで建設された洋館の様相を呈している。入る事すら憚られるような雰囲気を醸し出す建物に、少年は屋根を見上げながら放心していると、ギゼルに背後から蹴られて扉の前に立たされた。
見上げる事を止め、扉を軽く三回叩く。
「ユウタです。村長から面会を言われ、ギゼル同伴の下、こちらに伺いました」
扉が声もなく開けられる。
中から身を覗かせたのは、髪と瞳の色がハナエと同じ子供。ユウタより一つ歳の低い女の子で、ハナエよりも少しつり目で腰の位置まである長い髪が特徴である。
ハナエの妹──カナエが、少年を恐る恐る見上げた。琥珀色の瞳に敵意がないことを確かめたように、小さく首を縦に振って扉を更に開く。
ギゼルに催促され、住居内に入り、玄関で待ち構えているような中央階段を上って、すぐ眼前にある扉を叩く。澱みなくそこへ辿り着いた足取りから、ギゼルはまだこの場所の記憶が薄れていない事を察した。
「僕です、ユウタです」
「入れ」
扉の向こう側から、素っ気ない声が返された。
扉を押して中に入ると、そこは書斎だった。稠密に揃えられた書物を封じ込めた棚が、整然と部屋の壁に並んでいる。魔物の毛皮が敷かれた床は、あたかもユウタを威嚇しているようにも思えた。村の様子からすれば、この一室と言い、建物と言い、些か豪奢な気もする。
その内心を口に出す事なく、室内で優雅に足を組んで座っていた人物の前に立った。
「お久し振りです、村長」
「あの時以来だな、ユウタ」
そう出迎えたのは、村長──ダイキだった。
膝に置いた本を、脇に控えていた人へと差し出すと、その人は受け取る。その人物にぎょっとし、ユウタは目を見開いた。
ハナエが父である彼から渡された本を棚に戻していた。それは、娘を使用人のように扱っている画で、思わずユウタは顔を顰めてしまう。背後に立つギゼルも、低く唸ったのが聞こえた。どうやら、彼も認められないものらしい。
そんな二人の心を察する事なく、村長は長い髭を手で弄びながら、卑屈な笑みを浮かべた。
「お前を呼びつけた理由はわかるか?」
「……いえ」
思い当たる節もなく、ユウタは首を横に振った。既に邪魔者とされている少年にとっては、その第一人者でもある彼の思惑を知る由もない。あるとするならば、この地から立ち去れ、という完全な追放のみ。
ユウタの想像通りなのかは判らない。
「貴様が今日まで、神樹の森に滞在できた理由。それは、お前の先代が成した偉業と、ハナエの頼みあっての事だ」
「……心得ています」
とは言ったものの、まさかハナエによる説得があったのは想像だにしなかった。彼女の信頼は、ただ害意を持たない寂しい友人に対する友情と、微かな同情だけだと思っていたのだ。その感情で接していてくれた、そう勘違いしていた己を叱責したい気分になり、後ろで組んだ腕を強張らせた。
「“あの出来事”があって、混乱も続いたが、ようやく村は安定期へ向かおうとしている。もう、此所に“お前達”は要らない」
やはり──そう思った。
「ユウタよ、一週間後、この森を出て行くがいい。異存は認めない。貴様が従わぬのならば、守護者たちを総動員しよう」
「……了解しました」
ハナエの肩が、驚愕に震えた。声を押し殺してはいるが、今にも泣きそうになっている。彼女を見て、ユウタは微笑すると、村長へ一礼してから書斎を辞した。ギゼルは依然として同じ位置に佇み、横を通過していく少年を流し目で盗み見る。その表情には、悲しみがないと悟ると、気に入らないと鼻で息をついた。
× × ×
村を出ようとしてユウタは、沈思していた。──村長から告げられた一週間を、如何にして過ごすか。旅の準備は、いずれ言い渡される事を予期し、事前にしていたのだが、それがまだ余裕のあるとなると、少し手が余る。
顎に手を当て、黙考するユウタの肩を指でつつく小さな感触に、意識が剥ぎ取られた。
横に立っていたのは、カナエである。
「どうした」
「…村、出てくんだ」
どうやら、話を聞いていたらしい。一階に居た筈だが、どうやら内容が気になったのだろう。恐らく、ギゼルが入室してすぐ、扉越しに立って聞き耳を立てていたのだ。ユウタでも気付かなかった。
邪気のない瞳に、ユウタは神妙に頷いてみせる。
「辛い?」
「全然。ハナエに言われたら、心底苦しかったと思うけど、村長なら別段気にしないかな。いつか言われるとは感じてたから」
そのあっさりとした反応に、カナエは少し驚いていた。もっと深刻に感じていると思っていたのか、予想を裏切る彼の軽さに少し身を引いている。
「もしかして、心配してくれてる?」
「…ユウタなら、大丈夫だと思う」
小さい返答は、彼女なりの応援なのかもしれない。普段から消極的で、他人との争い事を苦手とするカナエから送られた言葉には、未だ向けられる友情を感じた。
ユウタは小さな手を手元に寄せて握手をすると、村を後にする。
森林の中、思考に意識を費やしながらも帰路を辿る。少年は一度振り返って、遠くなる石壁を見た。あの無粋な隔壁の向こうに、ハナエを使用人のように扱う村長が居ると、どうも近寄りたくない。
すぐに前へと向き直り、家に続く道を進む。
川を横断し、岩を跳んで濡れずに対岸へと立ったユウタは、ギゼルと出会った場所に仕込み杖を置き去りにした事を失念していた。あれも恐らく、旅で必要となるだろう。
己の管理の悪さに嘆息を溢して、来た道を駆け戻った。
× × ×
村の近くまで戻ると、置いた位置からさして動かずに杖は地面に転がっていた。それを発見し、喜びとともに駆け寄ろうとしたが、そのすぐ傍にある木に隠れた気配を覚り、身を固くして立ち止まった。
杖を広いながら、ハナエが姿を現した。
「家に帰ったんじゃなかったの?」
「父親にうんざりして、出てきちゃった」
片目を瞑りながら舌を出して笑うハナエに、どう対応していいかわからず困惑するユウタ。優しく柔らかい眼差しで見詰めてくる彼女が、此所に待ち構えていた真意が解らない。
「どうした、ハナエ?」
「ねえ、ユウタ」
甘い声で囁きながら、ユウタの胸の内に飛び込んで来た彼女を咄嗟に受け止める。耳元で言葉を紡ぐ彼女は、普段からは思えない魔性じみた何かを秘めていた。固く背で結ばれた手は、ユウタを断固として逃さない強い意思が籠められている。
「わたしをさ、連れ出して」
「駄目だ」
にべもなく、即断するユウタ。
村長の娘が自分に付いて行こうとすれば、娘を手元に置くために、使用人の役目をさせるような父親は、妄執に囚われ刺客を寄越してくるかもしれない。そうなった場合、彼女を守りがら戦える保証はない。
それでも、とハナエは言う。
「ユウタと一緒に行きたい」
「・・・無理だ、君は此所で幸せになるしかない」
ユウタは諭す口調でハナエに告げると、優しく腕をほどいた。
「心配要らないよ。僕は、一人でもやっていけるから。だから安心して、君は君の人生を歩め」
ユウタは杖を取ろうと手を伸ばす。
すると、ハナエはそれを胸の内に引き寄せ、強く拒んだ。悲痛に顔を歪めて、想いを叫ぶ。
「いやッ!ユウタと一緒に行く!わたしはあなたとじゃなきゃ嫌!」
「ハナエ…聞き分けてくれよ。僕は、あの時でもう気付いたんだ。──君と一緒にいるべきじゃない」
「……」
ハナエを傷付けてしまった“あの時”。それから、ユウタは断固として自身に、「ハナエに甘える」を固く禁ずる事にしていた。誰に命ぜられる訳でもなく、自分で打ち立てた約定。それを棄却する事は、断じて許されない。許さない。
涙を流しながら、それでも訴えかけてくる彼女に、ユウタはその手中から強引に杖を奪うと、何も言わずに背を向けて歩き出した。背後で、ハナエが地面に崩れ落ちる音がする。振り向きたい衝動を抑え、早足にその場を去った。
連れていきなよ、ユウタくん。なんて言いたくなるのは、私だけですかね。
塾で居眠りしてるカップルを見て、思わず微笑んでしまった……(要らぬ余談)。
読んで頂き、本当に有り難うございます。
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次回も宜しくお願い致します。