表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
第二幕:神人の黄昏
295/302

問い糺す亡霊

改稿しました。

報告も無く申し訳ありません。



 恷眞の本隊は北上していた。

 次なる敵は神、行く末に立てた牙の鋭さたるや、かつてない狂喜の光が宿る。

 祖なる者にも狂い咲く敵意の花を束ね、毒を吐いて突き進んだ。大地を揺るがす群の進撃は、その足音をまだ見えぬ海の向こうにすら轟かせんばかりの気勢である。

 しかし、獰猛な野性に駆られながらも、彼らにもまた人間と同じく領地があり、それを保守する為の入念な準備が整えられていた。

 防衛の兵力を置き、警護に当たっている。

 天嚴との間に絶やさず連絡を取り、常に戦況の悉皆を把握する気構え。


 包帯の男ゼーダは、岩に座して熾火に体を照らしていた。

 恷眞北部と合流し、ヤヨイなる裏切者の工作の一報を同盟軍本部へと伝えるべく恷眞に来た判断は、一時の共同戦線といえど人類の敵という確固たる認識の魔物でさえ英断だと称する。

 敵軍の尖兵が大陸に潜伏している事実は、確かに北大陸の戦局よりも優先すべき情報だ。本部が潰されては元の木阿弥である。

 故に、彼の功を讃えて恷眞軍からは体力回復に効く木の実などの細やかな糧食が供された。

 険しい山地で育ったとあり、実も硬いそれをゼーダは噛み砕いて咀嚼する。顎が疲れると不平を糾したいが、余計な文句が危難の種となるので不如意を呑んで静かに腹に押し込む。

 嚥下は難しいが、胃の腑に収まれば存外その効果が現れるのも早く、ゼーダの四肢を重くしていた疲労感は緩和された。

 その生の殆どが東奔西走の日々だったゼーダは、識らぬ事こそ神代の神秘だけとも言うべき広範に及ぶ見識でも驚かされる。

 いや、驚きはしない。

 彼の脳内を占有するのは、あの未知の世界。

 謎の異人――イセイジンによって視せられた異界の景観、その中で自分を呼ぶ亡き片割れと想い人の幻影が鮮やかに過ぎた。

 そして、その後に叩き付けられた宣告。


 自分自身の――死。


 覚悟していたにしても、それは重い響きを孕んでいた。さも万事を知ると嘯く面持ちのイセイジンが語ると、奇妙な信憑性が言葉を包んだ。

 あの獰悪な獣すらも惑わし誑す魔性の瞳が、悪意も殺意もなく告げた。

 だが、たとえ変えられぬ運命なのだとしても、ゼーダは粛々と受け容れる。自身の命を擲って繋いだユウタとハナエが、また次なる命を芽吹かせる日が来るなら必要な犠牲に変わりない。

 二人さえ生き存らえているなら……。


 ゼーダは乾いた衣服を纏う。

 熾火の薪を雪で潰し、再び出立の準備をした。

 ここから先は独断行動で戦場を巡るのが命令である。今から北側へと最短で駆け付けるか、それとも殿を務めるユウタとムスビ両名を補助するかが悩まれた。

 あの二人なら大抵の敵も討滅する。

 いや、北側の雑兵が如何なる位階の強者かは測り知れない以上、今は油断ができない。

 幽かな煙を立てる熾火の名残から視線を外して歩み出した。その足先を現在地より見える東の山々を見据えて運ぶ。

 次なる場所はユウタの戦場だ。

 ヤヨイの部隊に加え、更に別動隊で敵軍が仕込んでいたなら厄介である。憂いの種が禍々しい毒の萌芽を果たす前に加勢しなければならない。


 思索に耽るゼーダが歩いていると、進行方向の地面に異様な魔方陣が光を伴って現れた。

 数歩先の地面から煌々と溢れる氣の波動に、進んでいた足が後退する。本能的な危険を察知した体の反応だった。

 常駐の魔物たちも異常を悟って注視する。

 注目を集めた魔方陣の中に、複数の人影が出現した。光の粒子が集合して形作られた者たちから、次々と明瞭な輪郭が与えられる。

 目を凝らしたゼーダは、その瞳を大きく見開く。


「……守護者たち……!」


 そこに亡霊が佇んでいた。

 魔物たちには何者かなど知られていない。否、元より中央大陸も南大陸すらも知らなかった、知ることのなかった武力である。

 何故なら、それは戦乱の火が立ち上がる前に潰えたからだ。

 伝説上のモノと実存を否定されている。

 神樹の森を神聖にして不可侵領域たらしめた力の正体、それをゼーダは誰よりも熟知していた。


 集団の先頭に立つのは身を超える魁偉な剣を背負う壮年の男。高く括った緑髪と潰れた鼻梁、窪んだ眼窩の奥から光る鋭い瞳のフジタ。

 他にもレーラ、ニール、バッカ……錚々たる顔触れが魔方陣の中から踏み出す。風格そのものが神秘的にすら感じる一団は、恷眞軍の衆目の中で堂々と動いた。

 ただ真っ直ぐ、ゼーダを見詰めて。

 ゼーダもまた腰に忍ばせた双刀の氣巧剣の柄に手を伸ばして身構える。吐く息は重く、喉を急激に乾かしていく。

 先頭のフジタから発せられる敵意の眼差しが魔物たちを牽制していた。視線を向けられていない者でさえも竦んでいる。


「……黄泉の主から事の顛末は聞き及んだ。ゼーダ、この愚劣な裏切者めが」


 冷たい一言が放たれる。

 ゼーダは無造作な仕草で双刀の柄を上に投げ放った。宙へと回転しながら飛んだそれは、両端から三尺を上回る光の刀身を発現させる。

 更に懐中から取り出した木の横笛を一笛を取り出す。

 フジタの言葉には応えず、周囲を鋭く見回して魔物たちを確認した。突然の闖入に動じて動けない様子であった。

 次に敵の面子である。

 歴代の守護者――かと思われたが、彼らはゼーダが村入りを果たし、滅ぶまでの編成と変わらない。

 しかし……いない者がいる。


「村を滅ぼす奸計に加え、ハナエ様に残酷な事を……!ユウタもどれほど傷付いた事か」

「……ゴウセンとギゼルが見当たりませんね」

「二人には適所がある」

「そうですか。……ああ、成る程。あなた方も中々に残酷ではありませんか」


 不在のゴウセンとギゼル。

 守護者の面子が復活したなら、彼らもまた蘇生されている筈である。この場にいないというなら、別の地に出現している可能性が高い。

 その二人が復活し、対峙する敵。

 概ね予想ができて、ゼーダは苦笑した。

 人を残酷と謗りながら、彼らもまたゴウセンとギゼルを用いて同じ事を行っている。


「心優しきユウタの慈悲で免れたのだろうが、今度ばかりは逃れられんぞ」

「……私は貴方がたに裁かれなければならない罪人、それは重々承知している。だが余命の宣告もされたとあっては、もはや構うまい」


 ゼーダが笛を鳴らした。

 軽やかな音色が小波(さざなみ)のように周囲へ伝播すると、緊張の枷に捕らわれていた魔物たちの体が動く。神経を高揚させる呪術の発動だった。

 フジタ達も立ち止まり、円形に固まって武器を手にする。物量では圧倒的といえど、全く安心感など抱かせない気迫を放っていた。

 恷眞に吹き付ける風が一層鋭さを増す。

 吐いた息が凍り付くほどの冷たさに、魔物たちも微かに身震いする。フジタ達を捉える眼力もまた研ぎ澄まされていった。

 ゼーダの頭上にある氣巧剣が回転運動を始める。高速で光の円環を描いて周囲を緩やかに旋回した。


「今は戦争中です。贖罪は再び墓前に参った時、すべてを清算する積もりです」

「それでは済まされん」

「赦しを得ようとは思いません、私の自己満足ですので」


 ゼーダが合図の一笛を鳴らすべく息を吸う。

 その直後、遠くに並ぶ峰の一つが雷鳴とともに崩れ落ちた。恷眞に開くはずだった戦端が閉ざされ、一旦全員がそちらを振り仰いだ。

 山裾を猛然と転落する過去の頂に一同が愕然となる。

 これには返報と息巻いていたフジタ達も憎悪を忘れ、ただそこで起きた現象に釘付けだった。

 そして、ようやく遅れて突風が吹き荒れる。踏ん張って耐えたゼーダたちは、風が過ぎた後に噴煙で隠れた山頂に眉を顰める。

 暫くして、山の上に篝火が灯った。

 その火が次第に山巓を染め上げていく。列なる山々の一角が、火山と化したように。


「何だ、あれは……?」


 そして、空を照らすほどの噴火が起きた。






  ×       ×       ×




 崩落する岩の雪崩。

 傾斜を唸り転がる群れの一部が、火柱を上げて砕け散った。熱に炙られた礫は半溶解して、赤い緒を引いて地面に液状となって広がる。

 轟々と烈風吹き荒ぶ山巓は、その景色を更に荒れ果てた物へと変えた。

 一寸先の視界までをも蔽って風に撹拌された土煙が晴れると、焦熱が炸裂して煌々と赤熱する岩盤が現れる。

 ヤヨイは振り抜いた小刀を再び引き絞り、溶岩となって煮え滾る眼前の景色に警戒を強くした。

 火花が四方八方から飛び交う溶岩地帯と化した山の一部に、揺蕩う人影が立ち上がる。陽炎の中に銀の髪を揺らして、炎熱地獄にあって憔悴が滲んでなおも美貌を保っていた。

 流動体となった岩が赤い河川を形成し、人影は蒸気の煙り立つ汀まで歩んだ。


「聖氣って回復も遅くするんだっけ?」


 汗を拭ってムスビが口内の血を吐き捨てた。

 まだ回復途中にある左手の傷口から、魔力で生成された筋繊維が編まれて腕を修復していく。速度が低下してからか、その生々しい絵を鮮明に目視できるため、ヤヨイは思わず顔を歪める。

 先刻の大きな一撃による負傷は見当たらない。

 勝負を急いで広範囲に放って命中の精度も落ちたのだろう。経験も戦術も、自分よりも格上の敵とあってヤヨイには聖氣のみが勝利への手懸かりだった。

 想定よりも大きな効果がある。

 相手を追い詰めている自信と手応え。

 それでも――世に『白き魔女』と畏れられた少女は、劣勢の最中にあってより昂然と構える。打ち払うほど毒性を増して還ってくる悪夢のようだった。

 胸の中にある不安の種火を煽る風は熱い。

 ヤヨイは奥歯を噛み締めて、小刀を目の前に薙ぎ払った。さらに重ねるように縦一文字を刻む。

 十字に空間を切り裂く風が巻き、熱風を押し返して驀進した。

 ムスビの視界には、十字の基礎形態はあるが長短や大小が常時変形する風である。視野の一部が霞んだり澄んだりする繰り返しを擬似的に味わわされていた。


()えないのが厄介ね」


 ムスビの体から溢れた氣が紫色に明滅しながら編まれる。糸から縄になり、光沢を作って巨大な十字の剣を二つ形成した。


「擬・魔術――《信心の剣》」


 生成直後に水平に横倒しとなった剣の上に飛び乗り、もう一方の剣を垂直に立てて構える。衝突までの数瞬で練り上げた巨大な壁に、ヤヨイはそれでも己が攻撃力を信じた。

 斬撃は屹立する剣の平に激突する。

 深い河面に岩を叩き付ける水音に似た怪音が鳴り、白刃の表面が青白い火花を弾けさせて熔解していく。稠密で緻密に練り込まれた氣の重厚な剣身を、ゆっくり着実に削っていた。

 貫通まで――一呼吸になる。

 その瞬間、剣が光を放って数倍の大きさに膨張した。聖氣の斬撃が呑み込まれ、周囲に巻き起こっていた強風が消える。


「え。な……何が、起きたの?」


 当惑するヤヨイ。

 その横合いから岩を裂いて別の剣が接近していた。走った後から遅れて土煙が噴水の如く上がり、左側の山の景色を塗り潰す。

 反射的に火廣金の小刀を構えて受け止める。

 剣による防御の際、ムスビの姿が隠されていた。遮蔽物が肥大化した事に加え、聖氣との衝突で生じた衝撃と掻き消された驚愕で惑わされていた。

 ムスビ本人の存在感が脳内から消されていたのだ。


 尚、この防御は悪手だった。


 火廣金の性能は――万能ではない。

 接触者の聖氣を捻出される性質があり、武具として鍛造すれば強大な兵器になる。効力は上質な魔装ですら追随が敵わない。

 しかし、普く武具にも須く欠点がある。

 火廣金の武具は、本来加工が至難とされる金属であり、形を定めると発動する効果すらも限定される。

 刀剣の形状にされると、火廣金は刃に一定以上の速度で振り出されないと機能しない。

 槍棒の場合、穂先や末端の刺突など以外では聖氣が反応しない。

 加工次第では武器としての役割自体が発揮されないのである。

 ヤヨイの小刀では――武器を捻りながら振り出すことで、捩じ切る風が発生する仕掛けとなる。即ち、それ以外では聖氣の恩恵が与えられない。


「ぅぐあッッ!?」


 ムスビの剣が激突した途端、寸陰の拮抗すらなく弾き飛ばされた。

 火廣金が従来有する強度のみが救いとなり、小刀と共に剣の軌道が逸れてヤヨイから過ぎていく。小刀は宙を回転しながら飛び、溶岩流の中に落ちる寸前でムスビが摑み取る。

 ムスビの手に収まると、刀身の色が黒へと変じた。


「え゛!?邪氣、ではないわよね」

「はは……(きたな)いですね」

「あ?」


 衝撃で倒れ伏していたヤヨイが立ち上がる。

 挑発と捉えられる言葉にムスビの全身から紫の火花が散る。これで冷静さを欠く精神ではないが本人の聖氣、即ち潜在的な人の性質を色で表す金属が黒く染まる事には生理的な不安が煽られた。

 ヤミビトでもない。

 それでも示される色が禍々しい。


「何だか、色々混じってるみたいですね。火廣金も困惑してるんじゃないんですか?」

「……混じる?」

「聞きましたよ、ムスビさんの体」


 ヤヨイが不敵に嗤った。


「複数の人格が生まれる原因って、何ですか?」

「はあ?そんなのあるの?」

「あるんですよ。

 第二人格が発生するのは、主に心身への負担が大きくて耐えきれない場合、その負荷を分散、またはそれの耐久に特化した別の人格を作る。

 第三人格は簡単です。今度は一つの体に二つの人格がある。自覚せずとも、それは精神的負荷を生み出し、大きくなると途轍もない軋轢が生じる。

 すると……軋轢による負荷への耐える人格が生まれる。または、軋轢そのものが肉体を蝕む人格になるんですよ」


 ヤヨイの弁に、ムスビの顔が曇る。

 一つの体に複数の人格がある――それに似て非なる状態にあった。

 夢で何度も視た、自分の体を蝕んでいる別の存在たち。

 成長過程で生まれたのではなく、ムスビ本人が誕生した時点から魂そのものを仕組んでいる。あのマキが内側に姿を見せるのも、結果として魔術師としての(さが)、魂の転生だからだ。

 本来は魔術師でも二つ以上の魂を有する事はないが、マキが何かを仕組んだとしか考えられない。それ故に“不祥事”が起きている。

 あの三人目――名を欲する影。

 得体が知れない。仮にムスビとマキが我知らず肉体の主導権を争った故にできた負荷の産物なのだとしても、それは余りに凶悪に見えた。

 空虚そのものが人の形を成した様。

 マキの有する狂気と純然たる力への自信の総量すら比肩しない、ヤミビトの邪氣よりも濃く見える闇を窺わせた。


「あたしの場合は、人格じゃないわよ」

「三人目は、どうなんですか?」


 ムスビは凝然とヤヨイを見詰めた。


「何で知ってるのよ」

「ある人から聞いたんです。過去に……っていうか別世界にいたんですって。

 幼少から黄泉の神様と力や人格そのものも肉体に宿した少女が、侵食に抗っていく過程で両者の力を吸収して育った化け物が生まれたんです。

 確か……別天つ神(コトアマツカミ)、でしたね」


 ムスビの手元で乾いた音が鳴る。

 驚いて視線を落とすと、火廣金の刀身に罅が入っていた。亀裂の間から燻るように黒煙が立ち上っており、細かな微振動を起こす。

 一欠片ずつが地面に落ちていく。

 自身の武具が破損することに些か託ち顔になるが、それよりも火廣金に現れた怪異の異質さに戦いていた。

 その間、ムスビの脳内に声が聞こえていた。


『耳を傾けるな。惑うな。消えろ』


 自己暗示にすら誤解する自分と似た声。

 マキすらも掻き消したほどの闇が耳許で語りかけてくる。原因が小刀であるなら、五指を緩めて手放せば声も消えるだろう。

 その単純なことが不可能だった。


「試しに振ってみたらどうで――」


 それが、いつしか。

 ムスビの体の主導権を奪っていた。


 ヤヨイの腹部を、ムスビの腰元から皮膚を突き破って出現した尾が貫いた。各所に口や牙が生え揃った異物が、内側から彼女の体を咀嚼する。

 ムスビもまた、それを呆然と見詰めた。

 その際、今まで意識しようとしなかった感覚が満身を焼いた。


 まるで。

 自分の体が自分の物ではない感覚。

 この“ムスビ”という人格そのものが――体の主人でない。

 寧ろ、本来ある形に回帰しようとしている。


『明け渡せ』

「やめて」


 ムスビの目を、白い手が塞いだ。





  ×       ×       ×




「ムスビ、これは……僕への嫌がらせか」


 山を駆け上がっていたユウタの眼前から、岩の雪崩が迫っていた。岩盤を捲り上げたような物量と勢威に険相で対する。

 氣術で十分に捌けるが、一刻を争う事態に行く手から荒れ狂う岩、反動で失われた時間などの障害が多い。ヤヨイの狂気はユウタの到着を待たない。

 ユウタは右腕の包帯を取り除く。

 黒印の形を崩して邪氣が充溢し、瞬く間に右半身へと巡ると翼を生成した。両翼の感覚を摑むやいなや空間中の氣を叩いて上昇する。

 岩が足下を流れ落ち、ユウタはそれらを無視して斜面を舐めるように頂点を目指す。見上げる先では大気が爆ぜる音が止まない。

 ムスビ自体もかなり疲弊している。

 別の魂からの干渉を受けることが堪えがたい苦痛を催し、後で肉体的に行動不能に陥る負荷が生まれた。たとえ本来肉体に有しているとしても、北の尖兵を殲滅した際の力には相応の反動がある。

 ヤヨイとの戦闘では、魔法の発動すら危うい。

 消耗した氣は、戦闘を中断されたので枯渇はない。治癒すら難しい損傷を抱えた現在の肉体で、多量の氣を要する攻撃は寿命すら削る。

 無論、それを自覚するのも落命の淵に立った瞬間である。


 飛行を続けるユウタの行く手。

 そこで大きな火柱が上がった。岩の間から炎が溢れ、雪崩の隙間を走って麓まで流れる。噴火にすら見紛う現象に、ユウタはその場で滞空した。

 雪崩自体が光を放って溶岩流へと変貌する。

 熱と同時に感じられる氣の波動から、ムスビが危ぶんでいた行動に出たと察した。氣術師でなくとも、眼下の景色を焼き尽くす火炎の激湍がそれを証明している。


「急がないと本当に死ぬかもしれない」


 再び羽ばたいて山頂を目指す。

 しかし、上昇を始める寸前でユウタは山腹にひらめく光を見咎めた。そちらへと体を巡らせた瞬間に、邪氣を武装した右半身を強い衝撃が打つ。

 喫驚に目を見開いて、卒然と起きた出来事の正体を探る。

 ユウタの腹部に、矢が命中していた。

 邪氣によって鋒は皮膚を貫通するには至らないが、光を発した位置から放たれたにしては威力がおよそ人の投擲とは考え難い代物だった。

 発射されたと思しき地点から、今度は唸りを上げて回転する槍が飛来する。

 およそ槍の使い手には有り得ない投擲であった。躱す暇もなく、長柄が胴を横殴りする。

 邪氣の性質を遮断に設定しているので、槍による打擲で痛痒にはなり得ない。このまま無視してムスビの救援に向かえる。


「これって……!」


 それが慢心だった。

 直撃したと同時に、槍が爆風を炸裂させながら鉄片となって散る。柄の中に組み込まれていた機構でもあったのか、長槍に擬装した爆弾が至近距離で起動した。

 さしものユウタも宙で爆散する暴力に吹き飛び、溶岩流からやや離れた木立に墜落する。折り重なる梢を突き破って、雪煙を立てて地面に叩きつけられた。

 しばし凶悪な奇襲を受けた驚愕で空を見上げていたが、即座に立ち上がって周囲を警戒する。林間にはユウタの落下に際してそこかしこで落雪の音がした。

 氣術で槍の発射されたおおよその位置の周辺を探知するが、そこに人の気配はなかった。狡猾にも、相手が氣術師と認識した上で隠密を行いつつ相手を狙撃する術に長けた人間だと解する。

 位置を悟られぬよう常に移動し、再び狙撃を行う。墜落した方角から、現在地を予測して次弾が射出する。


 ユウタは耳を澄ませた。

 目視可能な範囲にいないとなれば、音による感知以外の手立てはない。

 こちらが動いて撹乱すれば相手の狙撃を難しくすることもできる。然りとて、狙撃が無理だと断じた敵が標的を変更してムスビに迫る危険性も否めない。

 ならば、次の狙撃と同時に攻撃を捌きつつ、その位置を即時感知する。

 あの槍は着弾の衝撃で作動する仕掛だった。

 なら、命中前に静止させてしまえば爆弾の火力は実質無効化される。そして撃った直後なら、如何に獣のごとき速力があろうとも氣術の感知から逃れられる範囲の大移動は能わない。

 あちらも着弾するまでは、ユウタを捕捉できない。槍によって位置を確かめる目的も加味しているのなら、爆弾の仕掛けは生体にしか反応しないようになっているのだろう。

 もし狙撃のみに依存ない戦闘手段の持ち主ならば、ここからユウタへと自身で突撃を敢行する。

 即ち、どちらにしても迎撃のみが確実な撃滅の手立てである。


 ユウタは泰然として構えて襲来を待つ。

 槍か、それとも人か。


 集中力を研ぎ澄ます。

 すると、投射されて宙を槍の穂先が切り裂く音を聞き咎める。方角から山腹よりも少し上、速度よりも命中精度を重視した斜方投射。

 ユウタがその方向を振り仰ぐと、夕闇に紛れていた凶刃が光を照り返した。

 槍の位置を捕捉してから、氣術でその力の運動を操作した。槍は宙で静止すると、見えざる手によって摑まれたかのように回旋して他方向へと落下する。

 ユウタは槍を斥けながら敵を探知した。


「遅ぇよ、オイ。相手が獣以上だって予想しなかったのか?」


 氣術に専念していた意識が途絶する。

 横腹を固い槍の石突が殴打した。鈍痛と筋肉の間に割り込んで内臓を撫でるような一打に呼吸も阻害される。

 ユウタは喀血して横へと転がった。

 仰向けに転倒したところへ、顔めがけ槍の尖端が振り下ろされた。刺突から長柄を一旋させて切るまでの動作に無駄がなく、ユウタには先手からの所要時間が咫子の間すら無いとさえ感じる。

 地面を叩いて起き上がったユウタが、その穂先を紙一重で避けながら体勢を立て直し、紫檀の杖の石突で相手の胴を強打した。

 槍の遣い手は反撃を喰らって踏鞴を踏んだ。

 間髪入れずに、さらに一足踏み込んで掌打を下顎を掬うように叩き込む。吸い込まれた掌底が顎骨を包んだ後、相手の頭蓋を下から震撼させた。

 槍を抱え込むように後ろへ転がった敵に対し、ユウタは追撃しようと前進して。


 ――その足を止めた。

 その人物に見憶えがあった。


「何で……君が」

「――生きてるか、ってか?」


 ユウタが紡げなかった部分を、相手が補完する。驚愕で絶句する相手を前に、愉快げに含み笑いを溢していた。

 黄金色の後ろ髪を結った中性的な顔立ちの少年が、その面貌を獰猛さで染めた。ユウタを映した瞳には懐郷と、それを凌駕する敵意が渦巻いていた。

 赤い装束に身を包んだ体を起こし、穂先を真紅に染めた長槍に縋って立ち上がる。


 死者が復活して襲い来る。

 その現象には慣れた筈だった。裏切られる事には未だ慣れずとも、死者と鎬を削った経験は誰よりもある。

 それでも、その経験を有してもなお眼前の光景には唖然とするしかなかった。


「ゴウセン……!」

「三年振りか、少し背が伸びたんじゃねぇか?顔も男前になりやがって」


 憮然とするユウタに、赤装束の槍遣い――ゴウセンが笑った。

 三年前、ユウタがその腕の中で看取った人物である。ハナエと同時期から交流のある、神樹の村で数少ない友人だった。

 若年で森の守護者になり、自他共に実力を認められた気鋭。ハナエへの愛を公然と示すほど、彼女を想い遣っていた。


「……復活して、僕を倒しに来た?」

「まあ、訊きたい事があったからな」

「何を?」

「村を出た後、ハナエを置き去りにして旅に出たらしいじゃねぇか。その後も、他人に護衛任せて自分は外界を……気楽なもんだな」


 否定しようと口を開いて。

 槍の先端が鼻先に差し向けられた。


「しかも、頂上にいる女を救う為に今は走ってやがる」

「……」

「なぁ、お前……()()()を取るんだ?」


 ゴウセンの問にユウタは閉口した。

 容易には答えられない。

 以前から苦悩していた問題、誰よりも両者と密接に関わってきたユウタにしかない懊悩である。戦場から離れた理想の象徴がハナエであり、戦う意義も姿も憧憬したのはムスビだった。

 殺人機械ではなく平穏を望み。

 しかし、特有の力をその用途に反して、別の何かを探る姿に憧れた。

 ハナエを選び、ムスビを取る。

 その選択は、ユウタの願望そのものを左右する事に直結している。


「今から、お前にそれを問い糺す」


 ゴウセンの問が白刃となって突き付けられた。

 何よりも鋭く凶悪な威力をもって。





読んで頂き、誠に有り難うございます。


ゴウセン君の趣味は、意外にも料理です。よくハナエがユウタの家でご相伴に与っていたのを知って対抗心を燃やしたのが始まりです。

しかし、始めて見ると彼にとっては奥深い道になっていると悟り、ハナエに振る舞って共に食事するという目的を忘れています。


尤も、ハナエの好物が魚の素焼きです。ユウタに餌付けされた結果です。


……恒例のオチがない話でした、退屈させてしまって申し訳ありません。


次回も宜しくお願い致します。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ