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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
第二幕:神人の黄昏
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邂逅の記憶



 戦火に焼かれた町。

 小枝を折るような音を立てて燻る黒煙。

 風に吹かれると風致を汚す火の粉が舞う。

 夜空を仄かに照らすのは大地を焼く悪意たち。

 かつて家族で青空を見上げた緑の丘、その頂からでも河底の見える清らかな小川は涸れ果てた。

 一夜にして。

 私は知らない地獄に産み落とされていた。


 何が端緒(ひきがね)だったか。

 それが些事であったとしても、ただ赤い波の中で崩れていく人の影しか記憶していない、始まりは唐突だった。

 慎ましく営まれる小さな集落。

 将来は美人になるだろうと持て囃された幼少の砌、誰も彼も婚礼の白装束を着る私を拝むまでの過程に、自らが滅ぼされる絵など想像できたか。

 あと数年も経てば、実現しただろう。

 この世界の歳に比すればほんの一時。

 されど人はその成就すらも待たなかった。

 幼い私が懐いた夢も、私に夢を託した者たちさえも、灰塵となって集落の残骸に加わっている。


 西国の反乱軍に支配された。

 彼らは西の争乱を平らげ、新たに救世の徒として反旗を翻し、今よりも美しい国を作ると宣っている人間たち。

 されど実態は逆だった。

 拠点として彼らが胡座を掻いてから、私は雑事を強要され、親とも離反し、時折は暴力すら受けていた。体のいい、欲望の捌け口にされていた。

 当然、町人たちは反乱軍の真意を疑い、虎視眈々と反撃の隙を窺ったけれど、どうやら私が人質に捕られているとあって迂闊に動けない。

 私は自覚している以上に、町の重りとなっていた。

 そして、西国中央から部隊が派遣されると知った彼らは、兵力差やその進退を勘案し、結果としてこの町を放棄する方針を定めた。


 そして。

 死の瀬戸際。


 崩れた家屋の下敷きになっていた。

 私は燃える軒木に圧迫されて身動きの取れず、奥では瓦礫に足が挟まれた窮状だった。喉を焼く熱で乾いていく。

 先に脱していた両親が軒木を持ち上げようと奮闘している。

 炙られた空気が肺を焼く。呼吸すら苦しい炎熱の地獄では力なんて出ない。

 それでも、彼らは必死に抵抗する。

 死の間際にあってくすんだ視界、自分の為に死力を尽くす姿を眺めた。まるで脳が心臓に変わったように頭の中で鼓動が響く。

 世界から隔離される感覚だった。音も痛みも無くなって、自身の外郭が熱に溶けていく。


 思い出も、友人も、家族も、感覚も。

 何もかも失われる。

 それでも眼前の景色だけは鮮明であった。


 両親の背後に踊る影が剣を掲げている。

 火に揺られて、徐々に近付いて来ていた。

 軒木は持ち上がらない、微かに軋むだけで私を圧迫する重量は緩和されない。

 逃げて――嗄れた喉からは声が出なかった。


 逃げて――手振りで示そうにも指先も動かず。

 逃げて――訴える目に果たして力はあったか。

 このとき、私を溺愛していた両親でさえも、必死さのあまり、こちらを見てはいなかった。

 肝心な時に限り、いつだって伝わらない。

 それを痛感したのも、ここだった。


 両親が深紅を迸らせて倒れる。

 私を避けるように倒れ伏し、軒木を伝う炎を食い止める衝立のようになった。生体の焼ける臭いに鼻を殴られたような錯覚がする。

 吐き気がした。

 両親を斬った兵士が瓦礫を軽々と持ち上げる。二人があれだけ苦闘していた作業なのに。

 いや、両親は随分と痩せていた。

 見窄らしい幣衣で身を包み、頬骨の浮きだった顔は死相に見紛う血色だったと思う。

 見た目の良し悪しで選別され、若い娘が兵舎で奉仕し、他は食糧すら与えられず労働を課せられていたと耳にした。

 革命とは何ぞや。

 救世とは。

 平和とは。

 瓦礫の下から出て物理的重圧からの解放を噛み締めるのも束の間、すぐに兵士によって地面に投げ捨てられた。

 倒れた私を眺め回した兵士の一人が、私を踏みつけて遊ぶ。他の数名も同じように集って来て、同じことをする。

 ふと、何人かの顔に見覚えがあった。

 兵士じゃない。

 町人だ、それも確か若い人たち。

 中には私に告白してくれた年上の少年だっている。どうして、反乱軍に?

 彼らは笑っていた。

 若いのは使える、などと煽られて兵士になったのではないか。きっと、そうなのだろう。

 そう考えると。

 人の好意なんて、所詮は消えてなくなるモノ。

 どうせ外見云々に惹かれた連中の戯れ、一時の精神の高揚だ。けれど、それは人生で尊くとらえられるのだろう。

 それすら経験せず、私は死していくのだ。

 我ながら憐憫しかなかった。


「やめろ」


 どこからか、澄んだ一声。

 私を踏みつける足並みが止まった。

 地面に伏せていた目を動かして見ると、煙火に巻かれる家屋を背に黒い影が立っている。炯々とこちら――兵士だろう――を睨め付けるのは、夜の獣のように静かな凶暴さを孕む琥珀の耀き。

 私から離れて、兵士はそちらへと歩んでいく。

 ただ一人、それでも少年は退かない。


「アンタらは、アンタらが卑下する家畜にも劣る暗愚な屑だよ」


 威圧的な殺気を放つ少年。

 数の利を得ている兵士たちは余裕の構えで対していた。私としても、それが当たり前だと思う。

 相手は剣も持っていない。……杖、が片手にあるけれど、一摑みすら無さそうな細身のそれで、相手を打擲したりしても効果は薄そうだ。

 得物、体格から勝算があると踏んだ兵士は弛まぬ足取りでにじり寄る。

 逆に少年は両手を脇に垂らして自然な直立の姿勢だった。

 どう見ても無防備。――その尋常ではなく鋭い眼光さえ無ければ。


 兵士たちが剣を掲げ、槍の穂先を据えて。

 いざ殺しかかろうと地面を蹴った。

 少年もまた、やや前傾姿勢になって杖を持つ手を後ろ側に回す。こちらから完全に杖が隠れてしまった。

 第一刃として飛び出した一人の剣が迫る。

 少年の鼻っ面を一刀両断にする軌道を描き――それが中途で停止した。訝る後方の仲間たち、その眼前で首から血を噴いて斃れていく。

 戦いた面子が立ち尽くす中、少年だけは悠々と歩み出る。

 通りすがりに銀の光が閃く。

 一人、また一人と流血に濡れて息絶えた。

 私には彼の手元すら見えない。速すぎる、痛めつける事ではなく即殺のみを念頭に置いた一刀だった。

 彼は私のそばに屈むと、私を抱き上げた。


「すまない、遅くなった」


 少年の登場を皮切りに。

 村へと殺到する武装した集団の波頭が見えた。

 人々を虐げた野蛮な影が火へと追いやられ、両親と同じ紅を散らして絶える。

 虚ろな意識でそれを眺めていると、視野が狭まってきていた。気を失ってしまう、皆が無事かを確かめたいのに。

 隅に捉えた少年の顔を盗み見た。

 苦悶とも安堵ともいえない面持ちで、燃える町の景観を眺めていた。

 それが意識を失う前の最後に見た光景だった。




 次に目を覚ましたとき。

 私は町人が集められた長屋の一室に居た。

 周りでは、怪我をした人々が治療を受けていて、診療を行うのは太陽の紋様をあしらった白装束たち。

 状況が理解できず途方に暮れていると、部屋の中にあの少年が入って来た。

 入室して直ぐ近くにいた怪我人の傍に寄り添う。


「ヤミビト様、彼は右手の神経が……」

「わかった、少し離れていて下さい」


 少年が右腕に触れて数呼吸が経つ。

 そして手を放すと、石となっていた怪我人の右腕の関節が軋みながらも駆動し、その皮膚に少しずつ血色が蘇る。

 怪我人は驚愕すると共に、己が右腕の復活に随喜の涙を溢れさせ、少年に深甚なる謝意をひたすら口にする。それに対して微笑んで応える少年は、あまりにも尊く映った。

 立ち上がって、次々と別の怪我人を診る。

 彼がそれぞれを経巡って、遂に私の元に来た。

 私の痣だらけの体を見るなり、沈痛な表情で頭を撫でてくれる。触れた部分からあたたかい熱が血とともに身体中を巡る感覚がした。


「大丈夫、すぐ良くなるよ」

「……何で、悲しそうな顔をするの?」


 意図せず口から出た私の問。

 少年は瞬刻だけ目を瞠り、そして慈しむような笑みを浮かべる。


「君が受けてきた痛みや悲しみ、それを理解する努力はしても、きっと共感し切れない。それが苦しいんだ」

「……他人の痛みなんて……」

「理解する事をやめたら、人は君を虐げた連中と同じになる」


 私の心臓が大きく鼓動した。

 どうして。

 あれだけ世界の醜さを見せつけられたのに、少年の心を見ていると、諦めた綺麗事の景色を望んでしまう。人の苦痛を共感しようと努める姿勢と、その都度に胸を痛める彼の眼差しから目が離せない。

 なら。

 私の苦しみを、受け止めてくれるのはきっと彼だけだ。

 何処までも付いて行こう。

 彼の傍にいれば、きっと世界は明るく見える。


 もう、離さない。






  ×       ×       ×




 誰かの記憶をみていた。

 夢から浮上していく。


 そして、雪上に伏していた。

 ユウタは薄く開いた瞼の隙間から、横倒しになった視界の意味を悟る。我知らぬ内に意識を手放していたらしい。

 異界の住人と体を共有する強引な力の行使で蓄積した負荷に耐えられず、強制的な休憩へと移行させられた。血反吐を吐き切っても対価にならないほどの奇跡を為遂げた。

 仙術の一端に触れた。

 氣術の本懐を完全に解した者が辿り着ける境地でありながら、既にその段階に片足を踏み入れたユウタでさえも未知と称する以外に表現し得ない。

 だからこそ。

 異界の住人による干渉と、手に負えない分不相応な力の発動は、ユウタという人間そのものとの軋轢を生んで心身を蝕んだ。死者との共感は、本人が自覚する以上の危うい橋渡しである。

 自惚れていた。

 氣術の極北に辿り着く資格を得てから。

 戦以外の前途を見出だして進むことを選んでから、何かを極めることの危険性を失念していたのだ。

 人として在るなら、何かを得ようとすれば相応の対価を費やすのが摂理。それは異界と手を繋いだユウタとて逃れられない必定の楔。

 むしろ感謝すべきだった。

 仮に負荷もなく扱える頃には、ユウタ自身が人ではなくなっている。或いは、氣術の極意たる『自然との一体化』そのものを為したとき、人としての形を保てない。

 ならば、アキラとは――。

 深く思考していたユウタは、起き上がって周囲を見渡した。

 枯れた木立、落葉の絨毯に新雪を重ねて敷いた足下の冷たさが意識を醒ましていく。密着していた部分には、人の跡と僅かな雪融けの名残り。

 濡れた頬を袖で拭い、立ち上がりしなに服に付いた粉雪を叩いて落とした。

 頭上は天頂を過ぎた黄金の日に染められ、雪原へと伸びる山蔭の孕んだ陰気が濃くなりつつある。直に日が沈めば、月光のみを恃みに進む宵闇に包まれる。

 紫檀の杖を片手に、漸うユウタは奇異なる現状に目を鋭くさせた。


 ムスビと、ヤヨイが見当たらない。


 ユウタは再度まわりの雪を検める。

 数多の敵が斃れた怪奇現象から数刻、降雪は無いので足跡が消えることはない。探せば二人の動向を証す物がある。

 五感を研ぎ澄まし、蜘蛛の巣じみた神経を張り詰めさせて幽かな徴憑をも看過すまいとする。

 目を凝らす――直近に人の足跡、または不自然に隠された痕跡もまた無かった。

 耳を澄ます――獣の息遣いや跫すらも途絶えて久しい山間に、人の発する音も同じだった。

 二人が完全に消失した、としか考えられないほど気配は皆無である。

 物理的現象からの感知が通用しないと知って、次に氣術による探知へと変更する。まだ負荷による軋轢に苛まれて間も無い体は、ユウタの中で励起した氣の運動に僅かな悲鳴を上げた。

 苦痛に堪えながらの捜索。

 痛みに歪んだ眉間を、額から伝った汗が伝う。

 矛剴の異端児を師事して特殊な術理を把捉したことで、調べられる範囲は途方もなく広くなった。広範に及ぶ視野は、今や鷹の体を得たように何処までも伸びていく。 

 北側に広がる山巓の列なり。

 雲と戯れる岩場の中に正対する二つの影を見咎めた。風に磨かれた巌を踏み締める足、体からは闘気が充ち満ちて、交わす視線は殺意以外の余計な情念を排している。

 一触即発――決闘の様相だった。

 ユウタは遠くを捉えていた意識を体に引き戻し、雪を蹴って件の岩場を一直線に目指す。

 二人が行おうとしているのは殺し合い、相手を滅するまでは旗を振れない破滅的な対決である。一刻も早急に止めなければならない。

 しかし、前に振り上げた爪先は海底を進むが如く重く、いまだし十全に回復していない四肢の疲労が幾度も転倒を誘った。

 加えて、喉を荒縄で括られたように呼吸が苦しい。筋肉が不審な緊張で縛られ、肺腑が摩擦する感覚など、あまりに絶不調だった。

 いま敵襲を受ければ倒される。

 ムスビとヤヨイの下に馳せるには、千夜を経ても辿り着けない無力感が胸底から湧き上がった。


 そして。

 遂に意思に反して堪えられなくなった足が崩れる。飛び込むように突いた両手の指先から弾ける雪飛沫を顔に受けて、それだけで意識が揺らいで突っ伏す。

 足の痙攣が止まない。

 これまで死ぬ思い――それこそ一度死んだ――をしてきたが、今は比較にならない苦しさ。決して絶命には至らないからこそ、致死の寸前まで肉体を苛む痛みは筆舌には表せない。

 体を回復させる為の氣術すらも、苦痛の種となるのなら逃げ道がなかった。

 ユウタは仰向けに転がる。


『貴方の敵は、彼女だけ』

「ヒビキさん?」


 唐突に耳に立つ声に意識を傾ける。

 ユウタには、それしかできない。


『大いなる脅威は、ムスビのみ』

「……貴女も、そう言うんですね」

『彼女を倒せるのは、貴方だけ』


 忽然とユウタの隣に影が浮かぶ。

 半透明に景色の一部を歪ませて現出したのは、倒れる少年を案じる初代ヒビキの面影だった。師によく似て感情の機微の読み難い顔は、しかしそういった人物と何度か交流を重ねた経験もあり、僅かながら心配していると察せられる。

 ムスビこそ敵――そう告げる。

 ユウタは卑屈な笑顔で応えた。

 戦争で敗れるのなら、勝利の道を鎖す闇になるなら討ち果たす。覚悟したユウタの真意を、執念(しつこ)く問うようだった。

 ただ、問われる度に揺らぐ。

 断固たる意思力に欠ける。

 己の抱いた覚悟が如何に脆弱か思い知らされた。


「僕が旅で初めて得たのが彼女だ。それをどうして、自ら摘まなきゃいけないんだ」

『彼女にとっても、初めて得たのが貴方だから。資格は貴方しか無い』

「皮肉な運命ですね」

『憶えていない?……貴方と彼女が初めて出会った日のこと』


 ユウタは愚問だとばかりに笑う。

 月夜の静寂に沈んだ炭鉱町、暗殺者が跋扈する暗澹とした界隈で、無知だった当時の自分が果たした運命的な邂逅の瞬間。

 助けられながらも傲然と振る舞い、互いの名を交換する際に秘匿していた顔が露になった光景は、今でも色鮮やかに思い出せる。

 ハナエと同等に。

 欠け替えの無いモノを手にした日だった。


『そうじゃない』


 それを――ヒビキは否定する。

 他人に記憶を誤りだと言われるのは横柄だと反駁出来ない。一方的とはいえど一時は体を共有した間柄とあって、ユウタ自身以上に『ユウタという人間』を理解している。

 その彼女が否めるならば、それこそが正当な解なのだ。


『七年前の季節』

「えっ……?」

『出逢ったのは、ハナエだけでは無いはず。貴方は……ムスビの内面と、出逢っている』


 その言葉の底意が知れない。

 思索するユウタの前で、ヒビキの幻影が霞む。輪郭が捉めないほど曖昧になり、音もなく消え失せる。

 唖然としていたが、ふと疲労感が消えているのを感じた。起き上がれば、苦痛の一切が掻き消されていた。具合を調べるべく掌を何度か握るが軋みは無い。

 立ち上がって深呼吸を繰り返した。

 復調した体は、北の尖兵と対峙する前よりも軽くなっている。奇妙な問答に際して、ヒビキが回復させたのか否か。

 それよりも。

 ユウタは先刻の言葉に抱いた疑念で、他の事が気にならなかった。


「僕とムスビが、七年前に?まさか、そんな……」


 全く身に覚えが無い。

 しかし、ヒビキが無為な言葉を弄することもまた考えられなかった。真実かを探りたい一心で記憶を遡る。無論、その指標となるのは師との惜別であった。

 彼が死してから爛漫と咲く花々、旅立ちを言祝ぐような鳥の囀りにさえも怨むほど殺気立ち、また虚無感と悲しみに暮れている頃を経て。

 そして、世界が師と森で完結していたのもあって、万事に無関心になりつつあり、人格が色褪せていく自覚があった。

 それから、河で隔たれた先にハナエを見出だし、ユウタの世界は再び色付いていった筈である。

 入念に記憶を探った。

 やはり、何処にもムスビの影は無い。


 ならば――師との惜別(その前)か?


 そうならばあり得るのか。

 たとえムスビと邂逅しても、何らかの不都合が生じるとあって、死の砌にある師から不要な記憶として削除された。――仙術を操り、実際に記憶の改竄すら為し得たアキラならば行うであろう所業だ。

 いや、“削除”は出来ない。

 蘇生したアキラは抹消と称して、黒印を介した遠隔操作でユウタの記憶からハナエを消す際、あれは改竄に似た記憶の封印である。完全な削除ならば、今頃ユウタは記憶を取り戻せはしなかった。

 故に。

 努力の次第では、ヒビキが示唆するムスビとの邂逅も思い出せるのではないか。本当の出会い……ムスビさえも知らない、“ムスビの内面”と邂逅した刻の記憶を。


「……それが、僕が彼女を倒す為に必要なのか」


 ユウタは独りごちて、再び北の山へと走った。







  ×       ×       ×





 ユウタの目指す地点。

 人々が見上げる高さを泳ぐ雲霞と触れ合う高所の(ガレ)場は、そこから北の海と南の雪原が眺望できる奇妙な分岐点となっていた。

 あまりの高度に動植物の立ち寄らない幽冥境。

 そこにムスビは立っていた。

 戦闘中、とつぜん意識を失った。唐突な記憶の断絶から立ち直れば、自分を抱えたまま倒れたユウタの寝顔である。

 呆然とすると同時に、周囲から敵影が消えていることから、庇いながら相棒が危地を脱出したのだと察した。

 そして、ヤヨイも伴って。


 火廣金の短刀が構えられる。

 ヤヨイを前にして、ムスビは余裕綽々の構えで対する。……本当に、外観だけ平静を装った。

 体は未だに回復の途上。異様なほど体温が低下しており、寒風吹き荒ぶ高地は却って体調が悪化する恐れがあったが、ヤヨイとの戦いに相棒を巻き込む訳にもいかない。

 彼女との戦闘は避けられない。

 何故なら、自分が目の敵にされているから。

 いま彼の隣にいるムスビ自身が、ヤヨイの願望を妨げる最悪の弊害である。よもや自らが鍛え上げた少女が反旗を翻すとは思いも依らなかったが……。


「私にとって、先生が世界(すべて)です」


 ヤヨイの述懐か。

 敵意を向ける相手に手を出すよりも先に胸懐の吐露を行って戦闘まで迂回する姿勢に託ち顔になりそうなのを堪えた。相手を逆撫でする態度を控えなければならない。無駄な時間であっても、回復ができる。

 尤も、ヤヨイがこちらの損耗を把握していない可能性自体は望み薄だ。


「醜い世界の在り方を、少しでも美化してくれる。彼がいるから、生きる価値があるんだって思わせてくれる。――師匠だって、そうでしょう?」


 ムスビは無言だった。

 応える価値の無い問として黙殺する。声なき肯定でもあった。

 彼との出会いを初めに、復讐ではなく自身の為に生きようと邁進できるようになった。今となっては一片もない復讐心を始点とした彼方に、歪な独占欲だけが渦巻いている。

 いや、それが自分のモノかさえ判然としない。

 夢見る冒険者(ムスビ)か。

 執着の魔術師(マキ)か。

 心に萌芽した何かか。


「まあ、何でも構いません。兎に角、私は貴女の立ち位置が羨ましい、妬ましい。だから奪います」

「悪いけど、アンタに構ってらんないのよ。あたしとあいつで、あっちに見える海の向こうを目指さなくちゃいけないから」


 その言葉を聞いて。

 ヤヨイが牙を剥いた――短刀が振り放たれる。見えない烈風が生じ、轟音を鳴らしながら岩肌を撫で斬りにした。強い衝撃波を受けてムスビの体が横へと吹き飛ぶ。

 側転の要領で着地するも、粗悪な足場に加えて体調不良が重なり、地面に突いた片膝が持ち上がらない。普段ならば剣筋から攻撃範囲を予測して回避しているが、今は横へ飛ぶのも儘ならない。

 聖氣の一刀は、魔法や魔術擬きでは防ぐことが困難である。

 回避一択、ヤヨイから短刀を取り上げるまでは、それ以外の戦法はない。


 ムスビの満身創痍による無様を見て、その体の不調を知ってか識らずか、愉悦に満ち足りた笑顔でヤヨイは進み出る。

 狙いは雑――しかし、暴力的な風が岩場を撹拌する。山頂を切り落とさんばかりの勢いで放出された聖氣が地勢を変えていく。

 魔法を発動する寸暇すらないムスビとしては、意思通りに動作しない体の不如意で歯噛みする。直撃した左腕が斬り飛ばされても、痛みすら感じなかった。

 再生が遅い――聖氣の所為だ。


「どうしました?言葉のままにしてみて下さいよ」

「……!」


 ヤヨイが一文字に低く横へ薙いだ。

 その瞬間、ムスビの背筋が凍る。

 束ねられた聖氣は鋭さを得ながら、その効果範囲は視界の縦横を殆ど占有するほど広かった。今のムスビには回避など敵わない一撃である。


 ユウタが目指す場所。

 それが雷鳴のような音を轟かせて消えた。







読んで頂き、誠に有り難うございます。


かなり二部でも出番が少なかったですが、本作メインヒロインはハナエではなくムスビです。

……自分としてはジンナは外伝主人公のような立ち位置で捉えています。

皆をメインヒロインにしたいですが、本作は非ハーレムですので、ご容赦下さい。


次回(3/9(月))も宜しくお願い致します。

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