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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
第二幕:神人の黄昏
291/302

透き通った怨嗟



 太陽を遮る雲霞すら見下ろす高山地帯。

 澄み渡った紺碧の空の下、山嶺に建造された慰霊碑の隣に男は座っている。雲海を貫いた峻険たる岸壁と、辺りを無骨に彩る岩場の景観を眺めた。

 意思の無い琥珀の瞳は、慰霊碑に彫られた文字の羅列を斜視し、再び沈鬱な影を孕んで伏せられる。空の酒瓶を片手に、薄く生えた無精髭の下の白い肌に酔いの紅潮はない。

 着古した黒衣の裾は襤褸であり、束ねた黒髪の毛先は煤汚れが酷かった。外観からも磨耗しきった男は、半ば死体に見られても可怪しくない。

 清明な天下で、そんな男だけが暗い影として世界から孤立していた。景色の美しさが、あたかも彼の存在を批難しているかの様であった。

 冴えざえとした空と大気の一点を澱ませる。

 何処へ往こうと、自然にすら峻拒された。

 凄惨な有り様は、醜態と称されるよりも暗愚で痛々しい。


「いつまで、そうしてるの?」


 慰霊碑の上に、青緑の髪の少女が座した。

 男を愉快げに見下ろし、宙に浮いた足を振っている。下駄の踵が石碑を打つ都度に硬い音を立て、それが黙殺する男への応答確認を促した。

 空の酒瓶が投げられた。

 慰霊碑に繋がる参道の中心で割れる。落下の衝撃で破片が辺りに散らばり、僅かに残った中身が斑に道を染めた。

 昏い瞳が、望洋と残骸を映した。

 無色の相貌を風に押し戻された白い吐息が撫でる。


「死場所を探す為に、傭兵生活して幾つもの修羅場を経巡って」

「…………」

「また生き延びてしまったね」


 男は片手で顔を覆った。

 故郷を追放されて一年を骸同然に過ごし、その一年後を苛烈な扮装地帯で傭兵として戦った。生きる為ではなく、死地に身を擲って果てることを目的として。

 それでも。

 どんな戦場も彼を屠れなかった。

 自らの高い戦闘力が仇となって、更なる戦を経ていく毎に、死の影は遠ざかっていく。

 絶望的な戦局でも、男だけが生き残る。男よりも未来に希望を抱き、強く在ろうとした者ばかりが先立って逝った。

 純然たる力が生きて。

 人の心だけは枯れ果てる。

 獰悪な修羅場では、酷烈な現実しかない。

 それを痛感した男は、最近参加した戦で共闘した者の名が刻まれた慰霊碑を訪れ、現在に至る。


「過去との決着、付けたくない?」

「…………俺は、出雲島の悪霊だ」

「……?」

「一度死んで、未だ現世を彷徨いて、無益にも生者を奪う。どうすれば死ねるかも、もうわからない」


 男は立ち上がった。

 慰霊碑の前にもう一つの酒瓶を置く。

 擦り切れた黒外套の裾から、風に靡いて千切れた生地が飛んで行った。

 その足先が何処へと向かうのか。

 少女には具体的な位置は判らないが、概ね戦場であるとは察した。そこへ往こうとも死ねないと理解しながら、破滅に導かれる一縷の望みに縋る。


「ねえ、故郷に帰りたくない?」

「拒絶された身だ。資格もない……俺達は、結局“兄妹”にはなれなかった」

「それは矛剴の(さが)で――」


 陽気に笑って返答する少女。

 その耳を、高速で投擲された短剣が掠めた。

 振り向きざまに放った体勢のまま、男は冷然とした眼差しで慰霊碑の上に座る影を射竦める。

 襤褸となった黒装束と雰囲気から相俟って、そこに死神が佇んでいるとさえ余人に錯覚させる殺気を漂わせた。

 少女は慰霊碑の上に落ちた自身の髪を見て、尖らせた唇から剽軽な口笛を一吹きする。


「俺に構うな。貴様らが何なのかは知らないが、余計な干渉を続けるなら排除する」

「助けてあげる、って言っても?」

「求めていない」


 背を向けて、男が歩み出す。

 散乱した瓶の破片を踏み割って、雲に包まれた山麓へと下りる。岩場に舗装された粗い(きざはし)の段差を踏む足からは音をさせない。

 慰霊碑から飛び降りた少女は、その後を軽快な足取りで追従する。

 殺伐とした忠告を受けたにも拘わらず、黒い影に付き添った。まるで敵意のない様子、けれどそれが男の苛立ちを誘う。

 振り向いた男が眼光を鋭くすると。

 少女が含み笑いをしながら、魔性の言葉を口にする。


「……妹さんを、まだ救う術があるよ」


 男の表情が強張る。

 誰もが見逃してしまう微かな反応に、しかし機敏に看取した少女は確かな手応えを摑んで顔を綻ばせる。

 山頂付近には二人しかいない。

 彼女の声だけが男の鼓膜を支配した。


「これより遥か西方、蝦夷ヶ島(えぞがしま)がある。そこに住む部族『蝦夷(えみし)』の中には、昔から特殊な力を有する個体が現れる」

「……何の話だ?」

「その特殊体を……『カムイ』と呼ぶ」


 男が瞠目して、少女を見上げる。

 赤袴の裾を裁いて段差に腰掛けた彼女は、西の空を指差して微笑む。外見年齢に似合わぬ嫣然とした笑みが、男の胸中で不快感を催す。

 それは、自身が最も嫌悪した魔族の道化師に共通する悪意を感じてのことだった。

 記憶の隅から滲み出るように、耳許で醜悪な笑みを貼り付けた異形の顔面が囁く。


『悲劇しか演じれなかった男が、今さら救済をまた希うんだ?あんな目に遭って、懲りないよね君も。

 判らないかな?また、地獄の始まりに立とうとしてるって事がさ。僕らは同じなんだ、他人の血でしか進む道がない獣なんだよ。

 妹を心の底から救ってやれた?

 恋人の気持ちに全霊で応えられた?

 仲間を見殺しにせず守り果せた?

 結局は修羅の道を貫いて、君は一番守りたかった妹が抗いたい運命すら捻じ曲げて、最低最悪の結果に導いた。僕という障害がなくとも、きっとそうだったはずさ』


 痛烈な過去からの批判だった。

 男の意識を蝕む声は、嫌悪した物なのに心根に強く響いてくる。脳裏に這いずる音がし、邪悪な触手が背後から伸びてくる風景が浮かんだ。

 故郷で最後に戦った最悪の敵の姿。


『君は悪霊だよ。

 そして妹は怨霊だ。

 名前を失って、暗い昏い世界に独り残されてしまった哀れな少女だ。君がそうした、君がそうさせた。そして無様にも、滑稽にも、君は彼女とは別に世界から切り離された孤独に喘ぐ。

 こんな絆の形があるんだね。

 ずーっと、二人で苦しみを分かち合う。

 最高の道化になれるよ、君は』


 最高の道化。

 踊らされ、弄ばれ、狂わされるだけの玩具。

 望んで傀儡となる意志がなくとも、男の現状は記憶に染み付いた仇敵と重なる。無為な争いに身を窶し、流血に浸る悪道の途上だった。

 果てのない難路。

 答えを求めて彷徨するのではなく、ただ先も見ず、何も希求せずに走り続けた。自分の立ち位置が不明になるまで。

 そんな人間の末路は、決定している。

 いずれは道化になる。


「いいや、俺はそうはならない」


 男の昏い瞳に活力の焔が灯る。

 道化師の影が脳裏から一蹴され、意識を苛んでいた闇と苦悶が消えた。

 自ら少女の方へと歩み、その胸ぐらを摑み上げて顔を近付ける。鼻先が触れ合うほどの至近で、容赦ない殺意を向けた。

 物怖じしない少女の面前で、男が牙を剥く。


「カムイを、どう使えば戻れる?」

「さあ。そこまでは援助できない。貴方で模索して欲しい」


 この現状すら興じる姿勢の少女に。

 男はただ突き放すようにして、階段を再び下りる。有益な情報が得られないとなれば、次に向かうべき場所は決まっている。

 男の道行きは、もう始まっていた。

 雲海の彼方、その下の海に浮かぶ島に可能性が宿っている。


「貴様らの思惑に乗ってやる。喩え、かつて無い過酷な戦場だろうと、乗り越える。……そして必ず、あいつを解放する」

「夜明けを待つ故郷、本当の暁になれるかな?」


 遠く離れていく男の背中に囁く。

 少女の姿が空に溶けつつあった。


「言っといてなんだけど……本当に、良いんだね?」


 男はその一声を聞き咎める。

 拳を握り直し、もう消えたであろう少女に、それでも返答した。

 まるで自分自身に誓わせるように。


「ああ。――故郷に、帰ろう」


 黎明が動き出した。








  ×       ×       ×




 雪景色の一端に火柱が上がる。


 残光が鼻先を擦過した。

 斜に構えて疾駆するユウタに並走し、軍服の男が執念深く追随する。二人の辿る道には、途上で障害と見なして斬り刻まれた死体が積み上がった。

 体術のみなら、実力は拮抗している。

 若くして百戦錬磨のユウタに対し、男の武器捌きにも優るとも劣らぬ冴えがあった。相手を殺すことに余念のない一刀の応酬が交わされる。

 次第に、二人を避けるようにして錐形陣は完全に崩壊を期した。

 先頭を牽引していたヤヨイは、自らが師と仰ぐムスビとの戦闘に意識を傾注し、部隊の被害など眼中にない。

 彼らを阻害する、否、出来る者はいない。

 もはや歪にも決闘として成立していた。

 だからこそ。


「貴様ッ……!」

「邪魔だよ、本当に」


 ユウタの流儀に好適な環境が整っていた。

 元より暗殺者の技、多勢に無勢では通用する範疇も限られる。氣術による撹乱で補い、その戦況を強引に組み伏せていただけに過ぎない。

 一騎討ち――騎士じみた正々堂々さではなく、一人ならば如何様にも処しようがあるという狡猾にして非情な判断。

 進展しない戦局に焦慮で身を焼く男。

 対するは、相手を屠る為に稼働する機械。

 体術にて互角となれば、明暗を分かつのは判断力、それを成す冷静さである。

 これまでユウタの必殺の威力を掻い潜ってきた男の判断の正確さは精巧、速度は砲弾のそれに勝る。それでも、十全な回避はできておらず、その身体中に刃傷が刻まれていた。

 二人が走る軌道の違い。

 それは――一方が血の足跡を残していること。


 流血に濡れる男と。

 伶俐な眼差しで隙を窺うユウタが並走する。

 男からすれば、優勢に傲らず、蔑まない態度が尚更に余裕を醸し出し、男の苛立ちを加速させた。正確且つ鋭い判断力を粗く削っていく。

 削り落とされた断片を拾う余力もない。

 容赦の無い凶刃の妨害に防がれる。

 緩やかに決闘の戦況は、ユウタによって操作されていた。

 男は自刃さながらの覚悟で決定打に出る。

 ユウタの前に回り込みつつ、雪ごと前進する足を薙ぎ払わんとした。氷砂の飛沫が燦めいて飛び散り、彼の踵を雪煙が追走するように噴き上がる。

 ユウタが跳躍して足払いを躱す。

 身軽に虚空を舞い、男の頭上を過ぎる最中で上下が反転した体勢のまま回転し、仕込みを抜刀する。

 鋭い鋼が儚い光の弧を描く。

 男の首筋に一文字が走り、血潮が背中一面を染めた。

 ユウタがその背後に着地すると、足を振り抜いた姿勢のまま項垂れて沈黙する。男の瞳から獰猛な生気の光が消えた。

 かちり――納刀の音で背中を押されたように倒れる。自らが荒らした雪に顔を埋め、その躯体は赤黒く染まっていく。

 脊椎を一刀で断った正確な攻撃。

 間隙すら見えない鬨ぎ合いの勝者として、黒衣のユウタが佇立している。

 僅かな着衣の乱ればかりで返り血もない様を一見すれば、足下に積んだ夥しい屍を積んだのが彼だと言われようとも荒唐無稽な話にしか思われない。

 凶刃の包囲網が後退する。

 ユウタが一瞥した方向から、空気が凍てつく。

 若い死神の戦い様に、誰もが圧倒された。次は己が命が危ういと、脳髄から全身に危険信号が喧しく発せられる。

 それでも、伝染した恐怖は体の芯まで支配し、逃避すらも容赦しない。神経の末端までもが萎縮していた。


 慄然とする戦士たちに、ユウタは残心を解いて着衣の乱れを正す。

 男との戦闘中に倒した敵数は三十名を超える。陣形を破壊するのは成功したが、依然この勢力の一割程度しか削げていない。

 目視したよりも数が多かった。

 手合わせして理解したのは、員数が多くとも組織力は目を瞠るほど低い烏合の衆。個々の力が高いだけで、連携動作や集団戦法は杜撰である。

 その結果、単騎で挑むユウタに一太刀も刻めない。

 まだ単独で仕掛けた方がよほど脅威だ。

 絶対的信頼を寄せる仕込みの一太刀を体術で遣り過ごした先刻の男もそうだが、高い戦闘力を有しているのに、力を無為に貶めているとしか思えない。

 そんな敵軍の愚鈍な動き。

 しかし、ユウタにはすべてが罠だと読めた。

 多方面に才覚を顕すヤヨイが、集団を操る上で判断を誤る筈がない。仮に敵に通用せずとも、ここまで稚拙な策を講じるなど有り得ぬ話なのだ。

 何かが仕組まれている。

 隊列を乱されるのも予想の範疇で、この敵軍の恐怖した状況すら作戦の内に組み込み、こちらを油断させた上で確実に嵌める凶悪な罠。

 あの無邪気な笑みの裏側に湛えた仄暗い狂気を牙に換えた兇手。

 全容を見せない、敵の陥穽が……――。


 沈思するユウタ。

 その前へと、一人が歩み出る。

 腰に六本の佩剣をした壮年の男、穏やかな赤い眼差しは、奥底に戦意の火を燃やしていた。儀杖兵の礼服に似た白装束は、侵しがたい純白である。

 相対する二人。

 若き死神は黒装束の少年。

 対するは老いを感じさせぬ気迫の白い剣士。


「貴方も強敵、みたいですね」

「この老骨には過大な評価ですな」

「強さに老若なんて関係ありません」

「そうですね」


 老人が剣を一振り握る。

 細い銀の刀身が鋭い冬の日差しを照り返した。


「私は黄泉國の主と契約し、現世に返り咲いた者。過去に王直属騎士団の団長を務めました、ヨークと申します」

「騎士団長って、凄いじゃないですか」

「しかし、生前は【血蚕】によって討ち果たされた忸怩たる身分です」


 ユウタはある一語に気を留めた。

 その【血蚕】というのは、カーゼの異名である。

 つまり、まさか彼の代表的な武勇伝として語られる王直属騎士団の団長を暗殺したという話の、殺された団長とは彼の事なのか。

 微かに目を見開いたユウタに、ヨークは微笑む。


「慚愧に堪えぬ不覚、彼と同業の臭いをさせる貴殿に勝つことで未練を絶ちましょう」

「終の言葉は、それで良いですか?」

「ええ、充分です」


 不敵なユウタの言葉を受け流す。

 壮年の剣士ヨークは、剣の先を相手に翳した。

 肩書は西国の王直属騎士団元団長、歴史や著名人に疎かった森林出身のユウタには判らずとも、恐らく名の知れた人物である。

 何故なら。

 正面に立つ老人から、ユウタは骨を軋ませるほどの重圧を感じている。並大抵の戦士では、もう恐怖させられないほど鍛え上げた精神の耐久力を超える迫力だった。

 北大陸の軍勢に与しており、更に黄泉國との関係性が窺える言動から、彼は故人であると察せる。加えて、皇都で出現した契約者と同じ類いの力で駆動する過去の亡霊なのだ。

 敵である事実に変わりはない。

 ユウタは仕込み杖を一旋させて後ろに持ち、腰を落として上体を前傾に構える。


「騎士ヨーク、推して参――」


 騎士然と決闘の礼儀として口上を述べる。

 そのヨークに対し。

 ユウタは挨拶も無しに地面を蹴った。

 暗殺者に作法はない、挨拶も不要、礼儀を重んじる人殺しなどいない。ヨークとは対照的な性質が染み付いた体は、彼の隙を見過ごす訳もなく襲い掛かる。

 間合いへと一気に踏み込み、杖の柄を摑む。

 剣士の命たる手首から切断し、次いで臓腑の一つを刺突で穿つ。伶俐で凶々しいユウタの意図を遂行すべく、体は加速した。

 ところが。

 悠長な騎士の言葉を無視して奪った隙を衝いたユウタの首に銀の刃が迫った。

 首を下に振り、慌てて攻撃から回避に移行する。剣の光を潜って、今度こそ仕込みの一刀を見舞う。

 それを、頭上から落ちてくる刃の脅威が防ぐ。

 視認して直後、ユウタは横へと体を運んで避けた。袂を僅かに切り落とすに終えた銀剣が滑らかに空を滑る。

 二度目の不意に肝を冷やしたユウタ。

 しかし、胸を撫で下ろす間もなく第三刃が足下から逆袈裟に走っていた。

 飛び退いて躱す。

 間髪入れずに第四の剣撃。

 即座に剣の峰を杖で叩いて逸らす。

 続く五の閃きが眉間めがけ直線に飛ぶ。

 上体を反らして避ける。

 六撃目が横薙ぎに胴を狙って光った。

 氣術を行使して斥力で撥ね返す。

 間断無い剣刃の連撃に、ユウタは隙を奪った優位性を捨て、背転倒立で間合いから脱する。否、隙ではなかった。

 十数歩ほど距離を置いたところで静止し、改めてヨークを睨んだ。

 そこに立つ彼は、背後に五本の剣を中空に待機させて立っていた。剣は彼を中心に、円を描いて旋回する。刀剣というよりも、従えられた鳥獣のようである。


「やはり野蛮ですね、貴殿らの遣り方は」


 ヨークが朗らかな笑みを浮かべた。

 ユウタは敵の手を分析する。

 刀剣を操って、同時に動作させていた。一つ凌いでも、隙の無い連続攻撃が押し寄せる。間合いに踏み込むのは、むしろ勝利まで険しすぎる難路だった。

 果たして、カーゼは如何にして彼を攻略したのか。

 思案するユウタは、隣の戦場を見た。

 そこではムスビがヤヨイと魔法戦を繰り広げていた。苛烈な氣の火花が散るそこは、ヨークの刃圏よりも踏み入れられない魔境と化している。

 烈しい炎を放射する相棒の姿に苦笑した。

 戦況は彼女が優勢に見える。

 ヤヨイは聖氣の一刀も織り混ぜているが、その表情は曇っている。武具と魔法で実現したかった戦局の理想図が描けていない証拠だ。

 このまま行けば、間違いなくムスビが勝利する。

 そう、このままいけば。


 魔法を連発していたムスビ。

 出会った頃から変わらぬ獰猛な笑顔で炎を操る彼女の体が、不自然に横へと傾いだ。

 訝って、ユウタは眉を顰める。

 すると、ムスビはそのまま地面に倒れた。

 脱力して、雪上に眠っている。

 唖然としてしまったのは、ユウタだけではない。戦っていたヤヨイも、見守るしかなかった北の軍も、ヨークも同様である。


「……ムスビ?」


 彼女は応えない。動かない。

 まるで、死んでしまったかのようだった。








  ×       ×       ×




 北大陸(リメンタル)南部の平原。


 斥候として出陣したティルは、前景に(ひろ)がる草原と、それを対岸から蹂躙する夥しい敵影を目に焼き付ける。

 これが戦争。

 太古から人が繰り返した闘争体系の一つ。

 これまで要人の近衛として、何度も扮装地帯を渡り歩いた経験はあるが、見聞きしてきたものとは比較にならない。

 束ねられた殺意を、一身に受ける。

 これが総て敵であり、滅するべき害悪なのだ。

 西の方角では、山々を吹き飛ばす噴火――否、業火の衝突が繰り広げられている。被害規模は尋常一様ではなく、世界を均すほどの火勢を双方が揮う。

 ガフマンが帝竜を食い止めている間、ティルの使命は敵勢力の分析と伝達、そして足止めである。相手の数から、足止めなど到底不可能だと頭の隅に浮かぶ悲観を圧し殺し、代わりに故郷で待つ妹の姿を想像した。

 心を鼓舞するには不足ない、大切な笑顔。

 萎縮しそうな手足に活力が宿る。


「やってやる。――絶対に勝つ!」


 両手の短剣を握り直す。

 一振りは現存した皇族の宝具『翠鬼』を素材にした物。解放軍の騒動の後も、手元に残っていた。今やガフマンの父が製作した遺物でもある。

 もう片方は、この戦に際して都合した短剣。尤も、小人族の鍛冶ドゥイに依頼した業物だ。

 これらで、幾つもの命を散華させる。

 ティルは前から殺到する敵軍に向かって、敢然と走って行った。隣を同じ部隊の人間たちが並んだ。

 甲冑と陣羽織を着たダンが、二本の太刀を手にして並走する。足を踏み出す都度に踊る防具は、走る事すら億劫になる重量だ。

 されど彼は止まらない。

 ムスビの腹心として働く彼は、西国では迷宮内部で負傷した仲間の避難が済むまで、押し寄せる討伐難易度上位級の魔物千体を一人で狩った偉業から、『殺戮のダン』と畏怖される傑物。

 彼がムスビに忠義する経緯は知らないが、実力は誰の耳にも届いている。円卓でもムスビが護衛として随伴させるほどの信頼が預けられるのだ。

 同盟軍主戦力の猛者に匹敵する人材だ。

 ティルは、気合いだけでも彼に負けじと速度を上げた。


 先頭を駆けるティルを、頭上から垂直落下で狙う影。

 四枚の翅を畳み、高速で下降して来る。全身は緑の外骨格、昆虫と同様に六本の脚を有する異形の体躯をした蝿蜂族(ビーベイン)だった。

 四本の脚で戦斧を振り上げ、落下でティルと激突する瞬間に合わせて叩き下ろす心積もりで構えている。落下速度と翅による強引な加速が体を引っ張る慣性を凶悪なまでに促進させた。

 戦斧が命中すれば、肉体は原型すら留められない。無論、受け太刀など以ての外である。

 完全に死角からの一撃。

 避けられる筈もないと確信した完璧な奇襲。

 果たして。

 急速に潰れていくティルと蝿蜂族の距離。

 あと半瞬で邂逅する――寸前で、黄金の瞳が頭上を振り仰いだ。足を止め、短剣の刃先を上に向けたまま直上に投射する。

 すると、体は強引に重ねた加速で停止など利かず、短剣に自ら眉間を献上するような形で突っ込んだ。望まぬ地面と熱烈な邂逅、同時に肉体が拉げて潰れ、最後に緑の体液を散らして肉片となった。

 ティルは凄惨な異色の血溜まりの中から短剣を拾い上げて、血払いをする。


「こんな天気の良い日に空から来るなんて悪手だよ」


 蝿蜂族は死角と践んで頭上から迫った。

 しかし、戦場の空は快晴である。

 日の光が出ている以上、万物は足下に影を投げるのが必定。それは陸空海、何処に在ろうとも逃れられない条理である。

 蝿蜂族の影は、やや先にてティルの目前に落ちていた。故に、その接敵も用意に察知可能とさせてしまっているのだ。

 慢心が呼んだ呆気ない戦死。

 ティルは憐憫の眼差しを少し注いで、すぐに前へと再始動する。

 ティルが止まっている間も進行していた者たちが、既に敵と剣の一合目を交わしていた。

 一瞬で剣戟の音が戦場を満たす。

 鋼と土、草、そして血臭が瀰漫した平原を野蛮に彩る戦の気配は熱を帯びていった。


「敵の数は、……ざっと二百からまだ増加中か」


 ティルは側頭部を狙った剣閃を躱す。

 屈んだまま飛び出し、東国の装束を纏う総髪の男が駆る刀の刺突を潜って内懐に入り込む。そのまま頚部と左脇から短剣を突き入れた。

 急所を抉り抜いた刃に生温かい血が付着する。

 血反吐を撒いて倒れる男を飛び越え、短槍と長槍を片手に携える軽甲冑の青年に向かう。

 異なる間合いの武具が演じる二つの刃の舞い、ティルの行く手を阻んで接近を制止し、且つ命を刈り取りに牙を剥いた。

 短剣で片方を受け流しても、次なる一刺しが放たれており、慌てて防いで肝を冷やす。


「く……芸達者だな……ッ!」


 青年が長槍で足下を薙ぎ払う。

 草を刈る穂先を、ティルは冷静に跳躍で躱した。足下から長槍の風圧に巻かれた草が吹き上がる。

 宙にあるティルへと。

 青年は一歩前進しつつ、短槍を脇から捻り出した。回転力を加えた鋒が、相手の肉を食い千切らんとする勢いで空を穿つ。

 回避するには至難の体勢、時機、速度。


 だからこそ――青年は瞠目させられる。


 ティルは股を大きく開くと、交差させた短剣で穂先を上から打ち下ろした。尖端は狙った胴体から逸れて行き、股下を紙一重で擦過する。

 唖然とする青年の前で、ティルは槍を短剣で押さえつけたまま跨がる様にして着地し、足で(かち)を踏み下ろすと、呆然とする相手の面を短剣で衝く。

 青年の顔が溢れる血に濡れ、断末魔の痙攣を残して倒れた。

 斃れた敵の姿に安堵の息を吐くティルは、休む暇を与えまいと襲い来る次の刃に、慌てて気を引き締めて応戦する。

 荒れた海に身を浸したように体は重く、絶え間無い攻撃に囁く晒される。必死でいなし、躱し、弾き、そして一つの命を沈めた。終わりがなく、足下に倒れていく者たちを悼む時間すらない。

 まさに地獄そのもの。

 ティルは酩酊したような感覚に、いま自分が何処にいるかさえ定かではない混乱状態に陥る。それでも手元は相手を確実に斬り、撃退していく。時間の経過も忘れ、延々と屠殺する。

 人を守る為に振るってきた刃が。

 大切なモノを脅かす害といえど、簡単に滅した。


 やがて、ティルの周囲に敵はいなくなった。

 憔悴しきった黄金の双眸は、血が混ざった泥濘よりも濁っている。返り血で染めた顔は、貼り付くような湿気を帯びて不快感ばかりを掻き立てる。

 まだそこかしこで戦闘は続いている。

 ティルを畏れて、近辺の敵は他を当たるか、手を拱いている状態だった。


「まだ、やらないと……俺は……」

「落ち着きなされ、少年」


 虚ろな瞳で立ち上がろうとしたティルに、ダンの片手が上から肩を押さえた。

 彼もまた甲冑を血で彩った(よそお)いに変わっている。慰撫にもならない光景に、ティルは乾いた笑みを溢す。


「落ち着けるわけ無いでしょう。こんなに人が死んでる……いや、人を殺して、落ち着いてられません」

「大半が元より死者だ。気に病む必要はありませんぞ」

「それでも、人に変わりない……!」


 ティルは自身の甘さを自嘲しながらも。

 この現状の理不尽を今更ながら訴えられずにはいられなかった。


「過去に生きた人達ってことは。過去に俺が守る為に戦い、代わりに死んでいった人や、俺が以前殺した人も還ってくるんだ」

「…………」


 頭を抱えるティルに。

 ダンは言葉を失って立ち尽くす。

 蛮声が飛び交い、磨耗したティルの心を斟酌しない金属音が鳴り響く。救いようのない悲惨な戦い、どんな大義名分があろうとも、命の奪い合いは醜い。


「また殺すんだ。今度は世界を守る為に、殺しを続けなくちゃいけない」

「……ティル」


 いつしか傍にテイが来ていた。

 ティルは名を呼ばれて彼女を見上げる。


「ティル」

「甘いよね。俺に構ってると死ぬよ……二人とも早く行ってくれ」

「ティル」

「少ししたら俺もまた戦う。だから――」

「ティル!!」


 言葉を遮るテイの声。

 普段から小さい声量で話す彼女から発せられたとは思えない大声、いや、怒声にティルは面食らって固まる。

 血で汚れた泥濘に、テイも膝を突く。

 彼の顔を両手で挟み込み、自分へと真っ正面に向かせた。


「これまで殺した人、これから殺す人。それを取り戻す術は無いし、未然に防ぐのは難しい」

「……そんな……」

「ティルは言った。気休めだけど、変わらないモノは人の心って」

「…………」

「ティルかここに居るのは、何の為?世界の為?違う……故郷に帰って、妹に会う為。そうでしょ?」

「……そうだよ」

「気遣えなくてごめん。でも、もう後戻りできない。人を殺せば、殺す前の自分になんて戻れない。

 なら――せめて、何の為に戦っているかを考えて。その為に何を犠牲にしたかを思うのは後にして」


 ティルは縋るように彼女を見た。

 そこに厳しい眼差しで正面から見詰めるテイの相貌がある。戦場に臨む前にティルがかけたのは優しい言葉、それに反してテイは厳然たる現実を告げる。

 ここで甘さは通じない。

 悔やむよりも、明日を想え。

 そこに辿り着く為に何が出来るか、何をするかを考えよと説く。

 ティルは血濡れた手元を見下ろす。


「ユウタから学んだ。辛い感情を人と分かち合えば、また道を踏み外しても戻って来れる」

「分かち合う……?」

「ティルの苦しみ、分かる。だから、一人で苦しまないで。テイも居る、だから一緒に故郷の空を目指そう」


 彼女に手を引かれ、ティルは立ち上がる。

 まだ言葉の意味を飲み込めていない。

 それでも、励まされているのは判った。

 辛い現実を受け止め、前に進めと。

 ティルは彼女の手を強く握り、目を伏せて涙を拭った。まだ意味を理解できていない、それでも手の温もりが教えてくれる。

 ティルは深呼吸して、短剣を摑んだ。


「ありがとう、テイ」

「ううん」

「……良かったらだけど、戦いが終わったら話そう。分かち合うって意味、考えてみるから」

「ん」


 短く応えたテイが笑む。

 ティルも笑顔を返した。

 その隣で静観していたダンは、冑の庇の下で柔和な笑顔を作る。




 その笑顔が、胴を離れて空を舞った。



 呆然とする二人の前で、噴出する血。

 首を失った陣羽織を着る体が地面に倒れていく。

 その直近に、外套の頭巾で顔を隠した人物がいた。隙間から長い黒髪が流れており、両手には短剣が握られている。

 ティルは、テイを自身の背後に回して構える。

 感傷に浸っていたとはいえ、接近を覚れなかった。ダンの警戒すら掻い潜って首を刎ねるのは、余程の手練れでない限り不可能である。


 女性が指差した。

 その指先は、ティルの手元を示している。


「それ……私の物」


 ぞっとするほど綺麗で。

 そして憎しみを込めた声音だった。







読んで頂き、誠に有り難うございます。


次もまたティル君が頑張る回です。

短剣使い同士の戦闘、既に書き始めてはいます。が、結構戦術とか難しくて作業が難航していて……。

確り書いて完成させたいですね。


次回も宜しくお願い致します。



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