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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
第二幕:神人の黄昏
290/302

再会の太陽と開戦の血霧

明けましておめでとうございます。

更新が遅れて誠に申し訳ありません。これからは後れを取り戻せるよう頑張ります。

今年も宜しくお願い致します。


(加筆に伴い、再投稿しました。すみません。)




『ねえ、ガフマン』


 北の離島の『黄鉄の遺跡』を探索した後だった。

 腰に二本の短剣を腰に差すのは、青みがかった黒髪の女性である。

 古びた石積の塀から身を乗り出して、遠い海原を見詰めていた。黒曜石をはめたような瞳は、澄んだ青空を美しい夜空に変えて映す。

 隣で長剣を研いでいた青年ガフマンは、既に獅子じみた迫力を有する面相で見上げた。

 そんな彼に、女性はまるで悪戯っ子のように無邪気な笑みを浮かべて対する。

 穏やかな潮風に吹かれた高所で、二人の時間だけが交錯する。

 ガフマンには、不思議とそれが幸福に思えた。

 彼は未知を探求する為の戦場だけが願い、そこで命果てる事こそ本望だった。

 それなのに、標榜していた意志が嘘だと思わせるほど、彼女の隣にいると戦場よりも安らいでいる。熱く滾り荒れ狂う奔流の心を、不快感もなく凪いだ海へと変えていく。


『どうした、我に訊きたい事でもあるのか?』

『私ね、夢が二つあるの』

『何だ?』

『いつか……故郷に行きたいの』


 女性はそっと、包帯をした右肩を強く抱く。

 常日頃から、怪我をしている訳でもないのに包帯をしているそれを、仲間やガフマンは人目を憚りたい傷痕があるのだと思っている。

 北の海を、強く睨め付けていた。

 尋常ならざる意気込みを感じ、軽口を叩こうとしたガフマンは閉口する。

 両親と喧嘩しながらも冒険者として出た彼には、そこまで故郷に懸ける想いなどなかった。その、彼女の言葉を聞くまで。


『これは、私の一族の悲願なんだけどね』

『個人的な願いは無いのか?』

『うーん……笑わない?』

『むははっ!笑う訳がないわい!』

『信用ならないなぁ』


 相好を崩した女性に心臓が止まりかける。

 硬直したガフマンの反応を知ってか識らずか、彼女は再び北へと眼差しを注ぎつつ、しかし今度は柔らかい目で海を眺めた。

 その雰囲気の一転に、世界そのものが変わったみたい錯覚した。赤い瞳で映す風景が、意味合いを根幹から変える衝撃すらある。


『一族の執念とかに縛られず、自由に往きたい』

『…………』

『冒険者になったのは、私には戦う才能しかなかったし、戦い続ける運命の中なんだって漠然と自覚してたから。でも、そんな事にも縛られたくない』

『…………』

『ガフマンには悪いけど、冒険者なんて仕事は止めたいって思ってるの。戦場を脱け出したい。

 いつか、誰かと……(つがい)になって、子供を得て、普通に暮らしたい。もう家族には会えないけれど、今在るモノと、自分の手で作ったモノを守って、囲まれて、そうして死にたい』


 ありきたりな平和だった。

 それでも、彼女の口振りは手の届き難い高みにすら感じる、遠い理想なのだと判る。仲間として活動した以外の半生を知らないガフマンには、彼女の存在は未知そのものだった。

 名は西国の出身を思わせるが、その容姿は混血の余地を窺わせぬ東国の人間のそれである。

 何者かは知らない。

 ただ、奥底から溢れ出たのは平穏を求める声。

 常に命すら脅かす危険と未知の真実に満ちた場所こそが聖地とするガフマンには、到底共感の叶わない心情である。


 ガフマンは反応に困る言葉に狼狽しつつも、静かに深呼吸して返答する。


『そうするが良い。北大陸には我が行くから、勝手に身を退け』

『……ねえ、ガフマン』

『何だ?』


 顰めっ面で返したガフマンの頬が抓ねられる。

 女性は、やや不機嫌な顔になっていた。


『何で気づかないかな~?』

『むぅ??』

『怖いだけじゃ、嫌われるぞ』

『我を迂鈍且つ凶悪というのか、貴様』

『とんでもないお(どん)怪物ですよ~』


 口ではガフマンを謗りながらも、その笑顔は清々しかった。黒の瞳が、柔らかい陽光に濡れている。



 彼女との関係が更に数年の月日を重ねる。

 ガフマンはある迷宮最奥で入手した『輝く石』を片手に弄びながら、冒険者協会の食堂に一人座して無聊を慰めていた。

 女性が依頼達成の報告を受付で済ませるまで待機する途中である。その隣では、同じ一党に属する少年バルダが杖を抱えて眠っていた。

 彼らのいる椅子に戻って来た女性は、二人の様子に微笑む。


『ガフマン、暇そうね』

『最近は手応えの無い物ばかりでつまらん!』

『冒険に志す者、設けられた依頼の難易や貴賤に捉われず、常に全力を尽くすこと!グレイワン先生の(おし)えで、ガフマンが好きだった言葉でしょ?』

『音沙汰なく消え失せた薄情者を先生と慕う貴様も殊勝な女だな』

『ええ、寛大ですもの』


 胸を張った彼女は、懐中から一枚の依頼書を取り出す。


『でも――退屈なら吉報があるよ』

『むうん?』

『最近、南の海域を荒らしてる『海ノ王・バハムンテ討伐』の大船団に参加できる物』


 その内容に、ガフマンの両目が輝く。

 中央大陸でも未だ倒された記録すら無い三体の魔物、いつしか『魔獣』と区別されて最も危険視される存在。その足取りは災厄の動きとし、如何な猛者とて撤退こそ英断という言い訳が誰にも通じる強者たちだった。

 その一角――伝承に依れば、普段は海底に潜みつつも気紛れに姿を現し、気紛れに大量殺戮を行う。魚ではなく人間を対象に栄養補給として動く怪物だ。

 海上へと躍り出れば、その影で地上を覆う巨躯。体表には珊瑚(サンゴ)に似た体毛が蠢き、鼻先に多眼と牙を有する猪頭の魚。戦闘力は計りしれず、その一口が百を飲むと言い伝えられる。

 

『貴様にしては大胆な選択だな』

『控えめな物ばかり選んできたしね。引き際には、丁度良いでしょ?』

『引き際……ルクスも最近はそれを口にするな』

『いや、正直彼の男漁りが酷すぎて先に冒険者証を剥奪されかねないけど』


 二人が苦笑する。


『ねえ、ガフマン』

『むうん?』

『もし、私は冒険者を辞めたら結婚する積もりだけど……こんな強い女、誰も娶ってくれなさそうなんだよね~』


 女性がガフマンを露骨に斜視する。

 彼はその意図をさすがに理解して、自身も視線を右往左往させた。険相だが、隠しきれない内心が汗として滲み出ている。

 しばし沈黙が続いたあと、ガフマンが声を絞り出す。


『け、見当しておこう』

『……へたれ』

『ぬう!?』

『自己申告制なので、早い者勝ちだからね』


 髪色に劣るとも明らかに赤面するガフマン。

 女性はその反応が愛しく感じる。胸裏で獅子を手玉に取ることの楽しさと、飽きさせぬ彼に抱く愛情が甘く混ざる。

 ガフマンは、そんな彼女の意中を察することもなく、ただ新たに芽生えた一つの決意の焔を滾らせていた。

 摑み所がなく、花や蝶の如く儚い。

 戦場しか知らない自分に、もう一つの理想の形を教えてくれる。そんな存在に、遅くとも恋慕していた自身の心を自覚したガフマンを誰が責められようか。


 いつか、自ら愛を伝えに征く。

 彼女の笑顔が、永劫の帰るべき場所で咲いている為に。

 未知を考覈する足先が、戦場以外に求める世界として。


 ――それでも、そんな未来はもう来なかった。





 壊滅した討伐大船団。

 荒波に揉まれた船の残骸たちが浜辺に打ち上げられ、海水を含んだ赤黒い肉塊や木っ端の中にガフマンは倒れ伏していた。

 その付近には、仲間も同じく満身創痍で砂に身を埋める。

 遠海より轟く禍々しい魔獣の矯声。

 それはあたかも、果敢に挑んだ末に惨敗を喫した人間たちを蛮勇と嘲笑う声のようだった。水平線から、こちらめがけて荒波を率いる巨影が迫る。


 一人、砂浜から体を起こす。

 ガフマンは朦朧とする意識で、糸を手繰るように彼女を探した。行く手を閉ざす船の骸を支えに立ち上がり、虚心で周囲を見回す。

 雑然と散乱する物、足を取られて転倒しつつも歩いた。

 水平線を膨らませて肉薄する禍々しい魚影の存在すらも無視して。

 そして――ようやく発見した。

 左半身を損失した惨状で、砂浜に仰臥する彼女。隣に膝を突いて、ガフマンは見詰めた。


『死ぬな……頼む……!』

『ガフマ……わた、し……』

『誰か……ルクス、治癒を……誰か……!』


 彼女の右手が、ガフマンの頬を撫でた。

 その瞬間、体内の魔力の巡りが加速し、疲労感が緩和されていく。湧いていく力とは裏腹に、触れた掌から感じる死の気配が増す。

 手を重ねて包み込む。

 巌のようなガフマンの手では、小さな彼女のそれなど簡単に掌握できる。なのに、その命自体は遠くへと脱け出していた。


『ごめん……ね……』

『何に対する謝罪だ?貴様へ企画した我渾身の計略がまだ完遂されていない!我を……我の申告を、待ってたんじゃないのか!?』

『ガフマン……』


 口元を血で濡らした女性は。

 凄惨な有り様に似つかわしくない、柔らかい笑みを作った。


『大……好き……だ……か……ら…………――――』

『……待て……せめて、我の言葉を聞いてからでも……!』


 ガフマンの掌中から命が消える。

 脱力した彼女の、意志の潰えた昏い瞳が空を仰いだ。生命の活力を失い澱む瞳から、涙が一筋だけ流れ落ちた。

 ガフマンは、最期に彼女の遺した熱い感情の澱を指で掬って俯く。

 暫く彼女の傍を離れなかったが、やがて浜辺の直近まで到達していた魔獣の不快な声が響き渡る。

 ガフマンの満身から、真紅の火炎が充溢した。

 波打ち際から蒸気を立てて、唐突に発生した熱波で海が気化して退いていく。自身の方へと後退して来る波の終点に、魔獣が疑問に目を瞬きさせる。

 そして、海を圧倒する熱源となったガフマンが進み出て、長剣を片手に対峙した。


『この戦果、お前に捧げよう……ミッシェル』


 ガフマンが獅子そのものの咆哮を上げる。

 海を熱で劈いて、魔獣の巨影と交わり、炎が踊り狂う。


 その日、誰もが討ち獲れなかった海ノ王は斃された。

 同時に。

 この日を以て、【灼熱】の異名を持つ最強の冒険者が誕生した。






  ×       ×       ×




 北大陸南端の地勢は美観の一語に尽きた。


 左右に聳り立つ岬の間に大地が窺える景観である。峻険に正面に構える岸壁が威圧的に異人たちを遇し、内に招けば絢爛たる花の咲き乱れた大地が到着を祝う。

 風に撫でられる岸壁は、千歳(ちとせ)の春を幾度むかえたとも知れぬほど風化の影響を受け、端々には異様に切り立った小さな崖が分岐していた。

 崖下は奇妙な潮流によって渦潮を生じ、瀑布じみた音を岬の懐に轟かせる。自然が、船の通り路を限定するかのように海面を騒がせていた。


 砲門を揃えた重厚な船は緩く水面を裂いた。

 静かに静止すると、船体が(もや)いを水面に擲って浜辺の砂を揉む。

 浜辺付近に隆起した岩が停船所に好適となり、皆は伏兵の迎撃を予想しつつ、船をそちらに付けた。

 岬の外側の潮風は、威圧的な岸壁と猛烈な渦潮、敵意を剥き出しにしたかの如き様相だったにも拘わらず海辺は静穏である。

 陽光に磨かれた浅瀬の水面は、侵し難い青さが宿っていた。船の影で翳った部分が澱みにすら感じる。


 人類は息を飲んだ。

 かつて、これほど美しい大地を見たことがない。

 普遍的に理想郷と形容される景観が体現されており、今まで自身らが居た場所を苦界(くがい)に思わせる美景である。

 それは、そこから切り離された祖先より遺伝する回帰への希望か、或いは神のすべてを貴く敬うよう人類そのものに設定された感情。

 そうなのだとしても、北大陸の景色は皆の言葉を失わせた。


 次々と同盟軍の全軍艦が到着する。

 一隻からは、船首より大胆に飛び降りて上陸するガフマン。足下を埋め尽くす花々が幻想的な色彩の飛沫となって散る。

 ガフマンは奇妙な充足感を得た。

 これから戦争に臨むに当たっては不遜な感想。

 神の大地に降り立てた、その名誉だけで充分だと本能の底からの訴えが身を叩く。けれど、それが自分自身も不審に思えた。

 自分の中にあるモノであって、だが自分の中から湧き出たモノではない。

 そんな不自然で、奇怪な違和感が同時に生じる。甚だ不快で仕方がなく、喉元を掻き回す蟻走感を覚えた。

 周囲一帯に満ちた心地好い空気が、ガフマンの胸中に不穏な気配を察知させる。


 これほどまでに甘美で、美観で、そして危険な 場所はない。


 迷宮の深層には、人の気を惹く物ばかり。

 財宝が疑わしいくらいに雑多するそこは、なるほど如何に平生財に目の眩まぬ殊勝な人心をも懐柔する輝きがある。

 しかし、そこには相応の危うさが内包されていた。

 宝物を守護する怪物、或いは仕組まれた罠の毒牙が潜伏する。飢えた人が欲を充たすべく近づく習性を狡獪に利して落命の危機に陥れる。


 ガフマンは、この北の大地にも同じ危険性を垣間見る。

 幾度も危地を切り抜けて練磨された彼の感性が、この場が潜在的な危機感を煽る要素で満ちていると看破した。

 危うく上陸のみで絆されるところだった。

 他の面々は、膝を突いて天を仰ぐ者さえいる。神の恵みに溢れ、理想を具現した世界は誰しも魅了した。

 戦士たちの出鼻を挫くには充分に過ぎる。

 この調子で敵軍と相見えれば、初手で殺されてしまう。弛緩しきった神経で織り成す戦意など、倒せる相手の実力の高が知れている。

 剣は自らを死から遠ざける護身であり矛、しかし今やその間合いが、実際の死との距離になりつつあった。

 あまりにも近い。


「戦士たちよ!ここは敵地、剣を執れ!!」


 ガフマンの(こえ)が轟く。

 その途端、戦意を取り戻した者たちは得難い充足感をも(なげう)ち、各々の矛を手にして立ち上がる。

 油断の一切さえ禁物の戦地に、同盟軍は気を引き締め直して進軍した。軍艦から降りて部隊ごとに集合すると、後は示し合わせた通りに動く。


 先ずは地勢を調査すべく斥候が前に出る。

 ガフマンはその背を見送り、長剣の平で肩を叩きながら唸る。

 ユウタが率いた【鵺】の中に、北大陸出身の者がいる。彼等の提供した情報を参照して戦場に臨んだ現状だが、やはり今更ながらその内容を疑わしく思う。

 濃密な氣で満ちた大気と物質に囲われた環境の北大陸は、普く生物が食事を摂らずとも生活することが可能であり、消費した氣の回復も速いとされる。即ち、長期戦になろうとも物資の補給として懸念するのは武器のみ。

 神の大地と雖も、荒唐無稽な話と一蹴したい想念を飲んで上陸した。軍艦には一応の備えを用意しているが、これが無用となるか否か。


「戦なんて久し振りよ」

「先刻までの男を勧誘(ナンパ)していた調子で挑むなよ」

「まさか!敵陣に可愛い子がいたら、どうだろうな」


 隣から呪術師のルクスが顔を出す。

 平生の白衣ではなく、戦支度に身を包んでいた。色褪せたり傷の見えるそれらは、ガフマンが共闘してた時代からの物である。

 久しく見なかった旧友の装備に、自然と顔が綻ぶ。彼が隠居生活に入ってから単独での活動が専らだったガフマンには、懐郷に近い念があった。


 逆側からは、鼻眼鏡をした魔導師のバルダが早くも疲労感を滲ませて立つ。

 一時期は一党を組んでいた中でも最年少だった彼は船旅に弱く、離島の迷宮探索を苦手としていた節がある。道中で衰弱しても、その魔法の精細さを欠く失態なかったが。


「……貴様は知っているか?」

「何を?」

「ミッシェルは、ここを目指しておった」


 その一言に、普段は剽軽なルクスも黙る。

 脳裏に浮かんだのは同一の女性、されど投影された面影の印象は異なった。

 短剣使いの女性、艶やかな黒髪、年の割にはあどけない容姿、それと反して纏う雰囲気には慈愛か母性か相手を内包できるほどの優しさが内在している。

 偏屈な者ばかりの一党だったが、それでも彼女の放つ異彩は誰よりも際立っていた。


「ミッシェル……っていうのも、きっと偽名だし、あの人の事判らずじまいだったな」

「…………」

「後にも先にも、きっとお前が愛せたのは彼女だけだと思うよ」


 ガフマンは失笑する。

 いや、自嘲した。

 たしかに、失うには命よりも惜しいモノだった。元より己が生命など戦いの果てに擲って散るなら本懐だが、そんなガフマンの信条すらねじ曲げる貴さが彼女の命にあった。

 余人には理解し難いだろう。

 ()の最強の名を恣にして人類が未知とした荒野を開拓し続けた英雄が、心はたった一人の女を懸想して一歩も進めずにいる事実を。


 払拭できない悔恨がある。

 救えなかった己の無力感がある。

 消えていく命の感触を覚えている。


 英雄は人に非ず。

 常人の尺では計れず、人の域を脱した者。

 しかし、ガフマンと接した人間は破格の実力を目の当たりにしてこそ、そうではないと悟る。

 英雄とは、人に在るモノを極端に突き詰めた極致そのもの。寧ろ、誰よりも人間らしいとさえ称する人格の形態なのだ。

 ガフマンにも、他人と同じく悔やむ想いがある。

 ミッシェルというかつての仲間にして、恋い焦がれた人。彼女を失って以来、絶対に後悔の無い生を歩むと決意した。それに恥じず、悖らぬ道を切り開いてきた。

 それでも――やはり根源にあるのは、彼女の死。

 誰かの骸を始まりとして、ガフマンの旅路は出来ている。重ねた屍の数ではない、誰の屍を踏み台にしたか、それが一歩ずつの意義を決定付ける。


「引き際じゃないか?」

「何がだ」

「お前も、冒険者として辞め刻って事だよ」

「…………」

「お前の遺志を継げる人間、居たんだろ?」


 ルクスの不意な言葉に面食らった。

 ガフマンは真っ先に、一人の少女の顔を想起する。

 路地裏を駆け回るだけだった鼠同然の子供が、大陸に名を馳せる女傑。再会の後も、自身が示した冒険者の道を、(したが)うのではなく、自らの力で彼とは違う開拓を試みる精神を育んでいた。

 世界の変革に、静かな挫折と死を予感させる未来への不安を噛み締めていた醜態に、発破をかけてくれた素直でなくとも健気な心遣い。

 ミッシェルのいなくなった心の部分に、別の存在が温かく充たしてくれる。無論、そこに眷恋の情愛があるのではなく、傍で支えてくれる我が子への惜しみ無い感謝だった。

 あの娘の果てを見届けたい。

 この戦争が終われば――それを懐きながら、前線を退いて最強の位を彼女に移譲し、また別の最強へと変遷させていく様を遠くから見守る。

 かつて、ミッシェルが見せてくれた、もう一つの理想の形。ガフマンには有り得ぬと断じた、安寧という世界を再現させてくれる。

 父母の墓前に赴き、その幸福を語りたい。

 街の跡地に腰を据え、未来を紡いぎたい。


「お前は充分戦ったよ、誰よりも」

「…………」

「俺は治癒魔法薬(ポーション)を作るって夢があって辞めたからさ。お前らは後押ししてくれた……特にミッシェルがさ」

「……彼奴は、自身よりも人を優先するからな」


 船酔いから復調したバルダが苦笑する。


「私が飯屋を()りたいと打ち明けても、反対せず真っ先に受け容れてくれました。途中でいなくなったグレイワンが死亡だと内々に協会で処理された時、彼女だけが涙していましたし」


 偏屈者ばかりで、千々に乱れてしまいそうだった仲間達を繋ぎ止める絆は、たとえどれだけ月日が経とうとも、色褪せずに彼らの胸に生きる。

 本当の故郷すらわからず。

 本当の名前すら知らず。

 悩み果てた末に、『ミッシェル』と刻んだ墓をガフマンの故郷に建てた。

 冒険者を辞めた彼女に、ガフマンは想いを告げ、受け容れた後に生活したであろうと。

 その推測に、当時の誰もが反対しなかった。

 半身しかない遺体を丁重に葬り、皆で祈りを捧げる。ガフマン率いる中央大陸最強のパーティが解散したのは、その墓前だった。


 だからこそ。

 時を経て再会した面子は、そこに彼女を想い、笑い合う。


「それにしても、ガフマンさんが私の潜伏先に来た時は驚きましたよ。まさか山の狩人を連れて東国を逃げ回っているのが本当だったとは」

「ルクスの呪術で全力を封じていた貴様、昔はかなり尖った性格だったからな、我も別人かと思うて流してしまったわい」


 バルダ――彼は白豪の飯屋で昆旦(コンダン)の偽名を使って生活していた。赤髭の内政の闇を探るべく、裏では情報屋として。

 実力を秘匿する為に、ルクスの呪術で入念に全力を封じながら生活していた為、そんな折りに再会したガフマンからは別人かと錯覚させた。

 元は一匹狼として冒険者協会に名を馳せたバルダを、ミッシェルが勧誘してガフマン達の一党に加えたのが、彼らの交流の始点である。

 全員の重要な場面に、必ずミッシェルはいた。


「ミッシェルは、(ここ)に来たかったんだよな」

「そうさな」

「なら、俺たちで探索してやろう。――彼女の分まで」


 三人で、決然と前に向き直った。

 亡き友に捧げる、最後の戦いに望むべく。



 その彼らの視界に――脅威の影が紛れ込んだ。






  ×       ×       ×




 蒼穹(そら)を泳ぐ、巨大な影。二対となった雄大なる翼で大気を轟然と唸らせて、こちらに向かっていた。

 ガフマンが唖然とする。


 空を泳いで来るのは、既視感のある怪物。

 幾重にも丁寧に漆を塗り重ねたような鱗の列なる体表を波打たせ、総身を高空の暴風に磨く巨躯の全長は十数丈にも及ぶ。地上に落とす影は、積乱雲にも勝る範囲を翳した。

 碧の隻眼が前を見据えて賢しげに細められる。金色の牙が口内から覗き、呼気が洩れる度に隙間からは天上を焼き焦がす熱気が火花を伴って溢れた。

 四本ある角の尖端は四色の水晶となっており、天使の輪に似た円環模様の光体(こうたい)を頭上に掲げる。

 同盟軍の到着した場所へと、悠然と推進する巨影の存在を皆が振り仰いだ。


「……帝竜ガルムンド」


 それは、三体いる魔獣の一角。

 空ノ王という号を持ちながら、迷宮の最奥に身を沈めた災厄。魔獣の中でも最たる強さを誇り、一部の人間には(かたち)ある神の一柱として崇められた。

 ガフマンにとって、最悪の相手として記憶し、命からがらで打倒した宿命の敵。

 中央大陸の創成から存在する伝説の竜族であり、気紛れに大陸の地図を書き換える大災害として顕現していた。

 歴代の勇者すら手出しを躊躇った。

 その脅威は一種の魔王でありながら唯我独尊。軍門に下らんとする千の魔物を、挑まんとする万の軍を息吹で大地もろとも焼き払った。

 だからこそ。

 迷宮の奥に潜み、実害を地上にまで及ぼさなかったとしても存在する事そのものを危ぶまれたのである。

 ガフマンの手によって討たれた時、中央大陸全土が歓喜に震撼させた。


 ガルムンドが空で一度、四の翼を羽ばたかせて静止する。滞空しながら空に首を擡げて、口を大きく開いた。

 口内より、太陽すら掻き消す赫耀を生み出し、空、大気、海を激しく鳴動させるほどの衝撃と共に放出する。火の輪が波紋の如く天上に大きく広がり、中心から更なる高みの空に擲たれた耀きが雲を薙ぎ払う。

 光が遠ざかって半瞬。

 皆がガルムンドに注視する中、空は色を失い、白く染め上げられた。それに遅れて発生した轟音は、音圧が重力そのものになって広範囲の空間を圧迫し、同盟軍は思わず膝を折りそうにさせる。

 これが地に匿れる事を望み、その膝下に訪れる者に威を以て遇する竜族の帝王。


 竜の出現と、その威力に動揺する同盟軍たち。

 それに次いで、遠くから鬨の声が轟いた。

 先を急いでいた尖兵の一人が、戦艦の集う場所へと戻って来る。


「何事だ」

「北の軍勢が来ています。……が、その面子が些か面妖でして」

「どうした」

「……皇都の契約者と同じです。その中の大半を、中央大陸で驍名を響かせた猛者たちが見受けられるようです!」


 ガフマンの顔が曇る。

 契約者――中央大陸の英雄たちが亡者となって、いま生者へと牙を剥いた悪辣な戦端が、いま切り開かれんとしていた。

 アキラが宣告した、過去と(わか)つ戦という主旨の意を、漸う遺憾ながら把握する。即ち、尖兵が相見えたのは、皆が敬う者たちであった。


 ガルムンドが再始動する。

 次いで、背後の水平線の一端が躍動した。穏やかな空気を、さらに不穏当にしていく潮騒に振り返った一人が見咎め、連なって次々と人の目が募る。

 ガフマンもまた、そちらに体を巡らせた。

 そこに、海底から珊瑚礁が凝然と魚影を象って海上に迫り上がったかの如き異貌。顔の側面に湾曲した牙と、鼻先に大きく開く穴を取り巻いた複数の眼球が四方八方へと乱れ動く。

 開いた口からは、幾千もの鈴虫が鳴き喚いたような声を口内で反響させ、不協和音を奏でる。

 バルダは心底から不快感で精神を撹拌する声、遠方で聞いていても耳を塞ぎたくなった。船酔いから復活したばかりの体には毒である。


「海ノ王バハムンテ、か」


 遠海より、二度と聞きたくなかった矯声。

 ガフマンが討った至上の魔が蘇って、前後から災厄が肉薄している。


「成る程な、人も魔も見境ない黄泉からの出陣って訳か」

「どうする?」


 ガフマンが再び北へと向き直る。

 ガルムンドと視線が交錯し、熱い意志の赤と脅かす蒼の眼差しの交点で火花が散る。よもや迎撃に亡者を、それも魔物まで使役するとは慮外の事――でもなかった。


「さて、カルデラの娘の考えが的中したな」

「信じたくは無かったけど」


 悠長なガフマン達の周囲では、既に同盟軍の兵士が出動していた。軍艦に乗り、海へと向かう者もいる。ガルムンドの存在にも怖気を震わず、前進を再開する部隊もあった。

 皆は、この事態を想定していた。

 カリーナは、黄泉国から過去の戦力と衝突する事態を予測し、それに対する戦術も用意している。北大陸が黄泉國を孕み、アキラの体を黄泉の主が操作する以上、死者もまた敵として戦野を踏み荒らす。

 既に脳内に彼女から授かりし戦術を叩き込まれた兵士は、末端に至るまで動きに滞りがない。


 ガフマンは前に歩み出す。


「我が竜の面倒を見る。貴様らは、後ろの猪でも狩っとれ」

「あれ、鯨じゃないの?」

「鯨に湾曲した牙なんてありませんよ」


 三人が二方向に散る。

 前に進むガフマンは、ガルムンド一点に視線を注ぎ込みつつ、長剣を振り回した。次第に、その剣身が白熱し、大気を急激に熱する。彼を中心とした一帯の景色が陽炎に揺らめいた。

 迸る熱量が充填される過程で、周辺の草花は触れていないのに発火し、草原の一部が焦土へと変わっていく。

 自然にすら多大に影響する破壊力の余波。

 遠距離から、大火力で沈める心算だった。

 彼の剣は、その圧を、鋭さを、熱を、地の果てまで衰えさせずに放てる。今やガフマンそのものが、ガルムンドに劣らぬ災厄そのものに匹敵している。

 そんな炎の災禍たる赤い獅子の姿に。

 ガルムンドが顔を高く上げ、再び口内に光を矯める。遠い中央大陸の空の昼夜まで反転させる暴力的な熱と光を緻密に練り上げ、敵のいる南部の大地じたいを消すことを意図した。


 ガフマン腰を低く落としながら後ろに長剣を引き絞って構えた。

 ガルムンドが口を閉ざし、首を振るった。

 双方の動きが連動し、同時に放たれる。


『――ゴルルルァァァァァアッッ!!』

「――『カラドボルグ』ッッ!!」


 大地へ直線で墜ちる火山の岩漿じみた熱塊、空を切り裂く劫火の一閃。

 それらが中間地点の上空で激突した。

 異色の火が混じり、互いを喰らい合う。そこに一つ、擬似的な太陽が作られ、内側では煮えたぎった氣の連鎖爆発が起こる。

 数秒もの間の沈黙が破られて。

 直下にあった山々が光に包まれて溶解し、熱が大地を抉りながら拡散する。噴煙が巨大な湖を形成するほどの広さまで駆け抜ければ、そこに広大な盆地が完成した。


 二度目の太陽を消す赫耀の炸裂。

 同盟軍は圧巻の光景に一度立ち止まる。

 その光に目を瞑らないのは、最強を冠する竜と冒険者。


「むははは!貴様との再戦を快く引き受けよう!たが、我が勝利は絶対、今度は日の下にて屍を晒すが良いわ!!」


 竜の咆哮が空を叩く。

 ガフマンは長剣を手に、大地を踏み割りながら北の大地へと踏み出した。



 その背後では、海を推進する戦艦の船首にバルダとルクスが昂然と立つ。その左右では迎撃の砲門で稠密な矢衾を作る何隻もの戦艦が構える。

 しかし。

 それにも萎縮せず、海面を捲り上げて突進する珊瑚の塊。猛り狂った波を率いて、不快な鳴き声で叫び散らす。

 バルダは身の丈よりもある樫の大杖を揮う。

 その動作を合図に、船体を容易く覆える質量の氷柱が頭上に幾つも生成された。陸がガフマンによって熱されるのに対し、海面すら凍土に変える寒気を放つ。

 寒さに身震いしつつ、ルクスが諸手(もろて)を挙げた。

 すると、すべての氷柱に赤い蔦のような紋様が浮かび上がる。


「見ててくれ、ミッシェル。

 ――《氷の弾丸(アイス・バレット)》」


 巨大な氷柱が発射される。

 僅かな氷片を撒いて飛んだそれらは、初速から燕の如く高速で大気を滑り、バハムンテを正面から乱打する。

 下級の氷結の魔法でありながら、彼が扱うのは上級にすら比肩した。ルクスによる呪術的束縛から解き放たれ、その身に秘めた魔力が火を噴く。

 しかし、複雑に隆起した珊瑚礁によって削られ、その猛威は皮膚に届くまで削られた。

 食らい付く破片――欠片でも巨石ほどある――が奥底の体皮を貫く。間歇泉に似て、そこから夥しい血量が溢れ出す。

 たしかに単純な火薬の砲撃では為し得ないだろう。この氷結魔法の威力は高く、しかしそれでも致命打にはならない。

 バハムンテの前進は止まらない。

 血を垂れ流し、より悍ましい姿で戦艦へと詰める。


 バハムンテが氷を物ともせぬ中。

 氷柱の破片が血に濡れると、付帯していた蔦の模様が赤く微光を発した。


「行くよ~。――――類感呪術《雨乞い》」


 欠片の刺さる傷口から、血が噴き上がる。

 直上へと撒いて、バハムンテの浮かぶ海面を赤く染める雨が降り注いだ。自らの体液を浴びて、怪物は悲鳴を上げる。

 更なる強い降雨の為に、体内から強引に血が絞り出された。

 破壊的な氷柱と、凶悪な呪術の併合。

 バハムンテは激痛に悶え、暴れる。

 二人はその様を嘲笑い、次弾を用意した。


「ただで死んで貰っては困る」

「オスかメスか知らないけど気に入らない。だから無様を晒してくれなきゃね」

「さて、どう調理しますか?」

「海に触れられたら、この海一帯を毒に変換出来るけど?」

「うわ……相変わらず戦闘では冷酷ですね」


 蒼褪めるバルダに、ルクスは微笑む。

 陸地と海で発揮される最強の戦士たちの力。

 目の当たりにした兵士の士気が上がり、軍艦から次々と魔法や砲弾の投射が行われる。血霧の奥で、爆炎が咲き乱れ、バハムンテはより凄惨な鳴き声を上げる。

 その最中、無造作に薙ぎ払った尾に海全体が揺れ動いた。大きな海震に蹂躙された海面から、やがてバハムンテを中心に高い津波が発生する。

 波の高さ、水量から目測でも戦艦が受けては拙い水圧を被ることになると予測したバルダが、即座に杖を波へと翳す。


「――《大気の鼓動(エア・バウンド)》」


 バルダから半円状に無色透明の衝撃波が飛ぶ。

 広域を洗う高い津波が爆散し、血霧を一掃してバハムンテの姿を暴く。

 悔しそうに鳴く怪物に対し、魔導師は笑った。


「前回はこれでやられてしまったのでね。弔合戦、させて貰うよ」


 ミッシェルを亡き者にした仇敵。

 意図せぬ再会に、二人は感謝すらした。


 開戦の狼煙が、仇討ちの血霧として上げられる。


「さ、準備運動は終わりです」

「たっぷり、殺してあげよ」


 二人は満身から殺意を放って、暴れる歪な巨影に目を眇めた。




読んで頂き、誠に有り難うございます。


最強人間vs最強魔物です。

次は同盟軍vsリメンタル軍となりそうです。

途中からヤヨイさんかもしれません。


次回も宜しくお願い致します。



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