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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
第二幕:神人の黄昏
289/302

原初の大地へ



 いつからか夢を見るようになった。

 誇り高き獣人族の中で、最大の名誉たる魔術師の一家に生まれた。出生から神の恩寵を享け、それを余念無く鍛える英才教育で瑳いた。

 愛する家族は言う。

 ――貴女は選ばれし子だ、と。

 矛剴に滅ぼされるまでの間、その祝福に(あやか)り、皆から愛された。途方も無い凋落を経てから、長い虚無の時間を過ごす。

 生きる為に必死だった。

 同じく苦境にあった相棒を得て冒険が始まり、組織を作り、遂に東西を平定する場にまで集う大役を務め果せたのは、はたして所以が魔術師であるからか。


 あの頃から、すべて変わり始めた。

 転機は三つ。

 一つは相棒に対する独占欲を自覚した、あのカルデラの迷宮。偽者といえど花衣を一度殺めたとき、胸を焦がす嫉妬を払拭した解放感を得た。

 そして西国で、既に隣にいるはずの彼が誰かの傍を選んだことを知って強引に繋がったとき。途方も無い愛憎に体の芯を衝かれ、己が行く末を見定めた。

 最後に、解放軍と激突した戦線でいちど死んだとき。強敵との邂逅、これまでも苛烈な修羅場は幾度もあったが、力量の差は歴然としていた。

 奇跡もなく敗北し、人生の幕を下ろす。

 その筈だった。


 ムスビは白い空間の中に立つ。

 自身の体は所々が欠け、流血や痛痒は無くとも悲惨にも骨や神経が表出している。

 これまでの旅路で治癒した傷が、修復される前の原型を保っていた。

 肩を流れる髪は黒い。

 港町で変色して以来、変わって戻らなかった黒漆に濡れており、ムスビの中にますます肉体が回帰している事実を突きつける。

 幻覚の類いだと疑った。

 対象の記憶を媒体として幻惑する呪術の罠に不覚にも嵌められたかと歯噛みする。

 歯が立たなかった。

 何をしようとも集る羽虫を払い落とすも同然に(あしら)われ、それだけでも侮辱極まれるにも関わらず、真っ向から存在を否定する数々の雑言。

 赫怒に身を委ねて突進しても、捻り潰されたことが悔しい。その上、呪術の罠にまで陥れて苦痛を与え、悶える様を愉悦の材にする積もりか。

 そう予測すると尚更に悔しい。


 しかし、呪術の可能性を否定するように前の白い空間に薄く何者かの輪郭が浮かんだ。

 頭頂に一対の獣の耳介、琥珀色の瞳、そして白銀の髪。

 自分の現在と相対したかと思ったが、雰囲気などが心做しか似て非なるモノを感じ取れる。自分よりも濃く、近くにいるだけで常人が狂乱しそうな色香を漂わせる。

 ムスビの精神は、戦慄と未知に対する畏怖でその蠱惑的な脅威から免れた。呆然と見入るしかない。

 こんな女性は見た憶えがない。

 自分の記憶に無い者を投影するなど呪術には不可能である。相手が深層心理に抱える恐怖などを抽象的な形で描き、虚像として映せるが、よもやムスビの恐怖を具現化したものか。


 女性がゆっくりと手を伸ばし、ムスビの頬を撫でる。触れられた箇所から悪寒が奔り、どうしようもない嫌悪感が催す。

 肉体が完全だったなら、幻覚であろうと容赦なく魔法を炸裂させていた。

 ここまで総毛を立たせる感覚はムスビにとって初めてである。


「可愛いかわいい、あたしの計画の“結び”。あとはもう、あたしに任せなさい」


 女性の一言が鼓膜を支配する。

 脳で幾重にも反響すると、意識を白く染め上げていく。体が空間に一体化していく。

 ここでは終われない。

 如何に精神で抵抗しようとも虚しかった。薄れる意識の消滅を、ただ僅かに先延ばすだけ。

 走馬灯のように、これまでの旅路の記憶が甦る。

焼き払われる故郷と家族。冷たい路地裏で石に齧り付きながら過ごした夜たち。隣を歩いて軽口を叩く相棒の小憎たらしい顔。行く先々で出会った友人たち。道を示してくれた赤い髪の師。

 これからの筈だった――冒険は。

 この世の未知を考覈する覇道は、まだ続いている。断念する積もりなど一切無いのに、ここで断たれるのは甚だ不満だ。

 それでも、理不尽にも自我は霧散していく。

 (たお)やかに微笑む女性の顔が霞む。


「さようなら」


 女性が終の別れを告げた。

 しかし、その声が耳に届いた途端、意識が復活する。白く霞のかかった視界が鮮明になり、失われていた思考力も取り戻す。

 ムスビの異変に、女性の相貌が不可解だと歪む。

 何事かを把握していない。

 ムスビの気力が跳ね退けたのではない、何かが起きている。


『あたしは小石』


 女性でも、ムスビでもない声がする。

 二人で周囲を目で探ると、二人を側面から眺める位置に誰かが踞っていた。

 姿は少女の形をしている。

 しかし、輪郭が曖昧に揺れ動く影としか形容できない。白い空間だからこそ、辛うじて少女の姿形であると判別が付く。

 女性は沈黙して、怪訝にそちらを睨んだ。


『時に穏やかに流れる(ムスビ)に吹かれ、時に烈しい氾濫の河川(マキ)に流されて形ができた。

 いつしか犇めく二つの狭間で、強引に岸壁から削り出された小石。まだ定まった形もなく、自然の流れではなく恣意的に取り出された贋物。

 教えてよ、あたしが何なのか。

 答えてよ、あたしが何なのか。

 欲しいよ、あたしだけの名が』


 影の足下から、空間全体に強風を伴って闇が広がる。

 女性は小さな悲鳴の後に呑み込まれて姿を消したが、ムスビだけは渦巻く闇の中に取り残された。これもまた抗えず、ただ風に流れるしかない。

 影は闇の中で、唯一の光に変化していた。

 今度は少女の形をした光である。


「あ、アンタは何者なの!?」


 風に巻かれながら訊ねる。

 空間全体の躍動がさらなる激しさを増し、ムスビを流す闇の奔流が強くなった。天地左右も目まぐるしく変転する。

 失われた痛覚に合わせ、平衡感覚まで失って闇に消えてしまいそうになる。

 闇色の乱気流に振り回される最中、光から声が響いた。


『アンタが決めて』

「あ、あたし……?」

世界(あたし)の在り方を、(あたし)の進む矛先(さき)を、未来(あたし)の名前を!』


 光が悲痛な声で叫ぶ。

 闇の渦動が停止し、ムスビは地面に倒れた。

 暗黒が吹き掃われた後は、漆黒の夜空と自ら光る花達が足元を埋め尽くす地面に挟まれた別世界である。触れた花弁が鈴に似た音を鳴らす。

 また見覚えの無い大地だった。

 呪術の範疇を超えている、明らかに別の力に起因した事象である。死を前にした夢だとしても、些か壮大に過ぎる。

 いつしか四肢は再生していた。

 ムスビが起き上がる。

 その正面に光の少女が膝を抱えて座っていた。


『名前が欲しい』


 ムスビは呆れて肩を落とす。

 自らの意思が無いのか、誰かに命名されることを望む受動的な態度が癪に障った。

 誰かの指図も受けずに、進む先は己が意思で選ぶことを信念とするムスビが厭う典型的なものである。

 ムスビは胡座を掻いて正対する。


「……自分で決められないの?」

『そうよ』

「口調だけは、あたしに似るのね」

『アンタが原型だから』

「何か腹立つわね」


 自分を相手にしている。

 そう考えると、態度の端々から傲慢さなどが窺えて自己嫌悪になりそうだった。自身の振る舞いを改めれば解決するが、彼女を見て行いを反省すると敗北感があって容易に認められない。


 険しくなるムスビの顔に、光は首を傾げる。

 名前がない――だから自我も意思もないし、形もない。存在意義が定まらないから、曖昧な影にも光にも転じる。

 ただ確かなのは、“それ”は己が現状に苦しんでいることだけ。


「あたしと、あの女……から生まれたの?」

『そうなるわね』

「じゃあ、親代わりに決めろって事?」

『そう』


 ムスビは嘆息する。


「あんたがあたしだってんなら、自分で決めなさい」

『え?』

「あたしも名前が無かったら、そうしてるわ」

『…………』


 光が俯く気配がした。

 ムスビは小さな罪悪感に苛まれながらも、自分の発言を撤回するつもりは毛頭無い。

 たとえ名が無くて低迷している哀れな存在であっても、自分の中から生まれたのだというのなら、自分で決める強さを持つべきだと断じた。


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 光が怒りを滲ませた声色で告げる。


 その時、視界が見知らぬ天井に変転する。

 ムスビは寝台の上で毛布に包まれながら驚愕に打ちのめされていた。呆然自失と、頭上を仰ぐだけだった。

 すべて夢だった。

 上体を起こし、顔を手で覆う。


「……何なのよ、あいつ」


 ムスビの言葉は、隣から発せられるガフマンの鼾に掻き消される。


 解放軍と激突した戦より帰還し、その寝台で見る夢は、以降も度々見ることになった。

 そこで、再び『彼女』は希う。

 名前が欲しい、と。






  ×       ×       ×




 中央大陸北部。


 殿として充分に機能している。

 しかし、予想した敵とは異質な姿で目前にする。

 北の先遣隊と対峙したユウタとムスビは、大量の烏と未知の種族で構成された大軍、それを統率するのは見知った顔だった。

 敵軍に仲間の面を拝む異観に甚だ疑問しか浮かばない。驚愕必至の現況に、瞠目して開いた口が塞がらなかった。

 わずかに北風が強くなる。

 毅然と敵軍の先頭に立つヤヨイの相は、二人とは対照的に憂いの影もない。

 片手にした短刀のように、曇りない瞳でこちらを見詰める――そう、敵側の位置で。


 眼前の相手にユウタは忘我していた。

 しかし、ヤヨイの後ろから前に躍り出た敵に視線を鋭くする。杖を手中で一旋し、斬り伏せる体勢になった。

 片手に巨大な戦鎚(ウォーハンマー)を携えた女性だった。柔和な笑みを浮かべながら、得物に劣らぬ質量を感じさせる迫力を発する。踏み込みで足下の地面を割った。

 頭上から氷柱のごとき鎚頭が迫る。

 (かち)は六尺以上、そして直径が三尺余りで一方が研がれる著しく大きな円錐状の鎚頭。紛うことなき鈍器、さりとて先端が発揮する速度は直線軌道の槍にも優る。

 既に踏み出していたユウタは、そのまま前進して落ちてくる鎚頭を通過し、相手の内懐に踏み込まんとしていた。

 しかし、直前で錬磨された氣術が未来の危険を報せる。

 円形の底がある鎚頭の方から、炸裂音がはぜて先端が加速した。

 足を止めて頭上に掲げた掌中から斥力を放つ。

 舞う氷砂や風に乗る塵も差別無く、力の働く方向に吹き飛んだ。空気を鈍く裂いていた凶器の先端もまた然り。質量も関係なく弾け飛んだ。

 女性が驚嘆の声。

 ユウタは低く馳せて、今度こそ懐に入った。仕込み杖の柄を摑む手が霞む。刃先から迸る光の閃きさえもが遅い(すむ)やけし一刀を見舞った。

 ところが、女性の肝臓を衝いて損傷させることを意図した剣先が一条の光となって貫く前に、女性の胴体が歪んだ。

 卒然と腹部が伸び上がって上体が高く持ち上がり、刃先が雪景色の中に鋭い閃光となって空振りした。臓器にまで達することはなく、腹を裂く程度に終える。

 柔らかく動き伸縮する胴は蛇体もかくや、彼女は身をくねらせて頭上からユウタを俯瞰する。双眸は依然として笑っていた。

 血を噴きながら飛び退いて、ヤヨイを先頭にした錐形陣の前線に戻る。雪上に敵までの道を作ったような深紅が滲む。

 ユウタは鞘に納刀して彼女を分析する。

 後部の空気を破裂させて武器の加速、相手の攻撃には変幻自在に伸縮する体が対応。攻防においては優れているが、それでもユウタに与し難い敵ではない。体を支える脚部は容易に変形出来ないので、膝を損傷させるか大腿の脈を断てば殺傷には事足りる。

 次は討ち損じない。


 飛び退いてムスビの隣に戻ろうとして。

 ユウタは足を止め、逆手持ちにした仕込みを右の虚空へと一閃する。何もない場所にふるわれた刃先は、しかし振り抜いた後に血が付着していた。

 隣の景色が歪む。

 山の一部が揺らいで、そこに人影が現れた。

 妖精族の男性が、褐色の頚部から血を迸らせながら驚愕した面持ちで後ろに傾いでいき、天を仰いで倒れる。


「足音を立てすぎだよ」


 ユウタは血を払ってから仕込みを鞘に納める。

 ムスビの傍に駆け戻り、彼女の隣にある虚空へと手を伸ばす。五指を開いた掌は、何かを摑んだ。

 先刻と同様に、また別の人影が忽然と現れる。

 同じ褐色肌の男性だった。

 ユウタが握力を強くすると、指先まで狂奔じみた勢いで四肢を振るような痙攣を起こす。手を放せば、力無く足元に崩れ落ちた。

 やがて振り返ってヤヨイに笑みを向ける。


「透明化に、変形可能な体。曲者ばかり揃えたね、ヤヨイ」

「ね、面白いでしょう?」

「君は本当に敵なんだね」

「先生が欲しいので」

「僕?」


 ヤヨイは満悦の相で一足前に出た。

 小刀を横に軽く薙いで、彼女は停止する。それから再び前進することもせず、ただ振り抜いた姿勢で止まっていた。

 訝って目を凝らしたユウタは、とつぜん背中を予期せぬ悪寒が駆け上がるのを感じる。琥珀色の瞳を見開き、咄嗟に胴の前面を邪氣で武装した。


 寸陰の後。

 ユウタの腹部を衝撃が突き抜ける。

 桃色に弾ける閃光に、瞼の裏で火花が散った。途轍もない威力に臓腑を鷲摑みにされたような激痛を覚えて吐血する。

 体は後方へと衝撃波に引っ張られ、枯れ木の樹幹に背を打ち付けた。ユウタは前に頽れて、片膝を地面に突く。

 睨め上げた先では、小刀の平に頬を擦り寄せるヤヨイの恍惚とした微笑。

 邪氣で防御したのに貫通する勢威、その一様のみで力の正体は推測できる。ヤヨイの武器、一目で錬鉄の刀身に見えるが、微弱にも異様な氣の気配があった。


火廣金(ヒヒイロカネ)製か……!」

「えへへ、先生が聖氣に弱いって聞いたのでっ」


 無邪気に凶器を振り回す。

 周囲で無作為(ランダム)に木々が爆散する。地面には深く抉られた軌跡が走る。風で巻かれた。氷霧が切り裂かれる。

 ユウタは(あつ)い邪氣の防壁を自分とムスビの前に展開した。壁の向こう側で雪が不自然に噴き上がり、衝突した邪氣が削れて散る。

 軽く振るわれた様子だが、聖氣の質量は重厚。タクマほど尨大ではないにせよ、軽業で放出れる威力にしては桁が違う。

 氣術では操作不能、実質的な対抗手段は邪氣こみだが、ジンナとの戦闘で痛感したが、互いに衝突した邪氣と聖氣は、数分は回帰しない。

 ヤヨイは大軍を随えている。

 彼女を止めるまでに枯渇する恐れは無くとも、十全に保有しておきたい。


 ムスビが壁から小さく身を乗り出し、指先から圧縮された火炎の弾丸を発射する。弟子であろうが仲間であろうが、倒すことに余念がない連弾を放つ。

 聖氣によって消滅しながらも、数弾は彼女いる場所まで到達した。それでも、横を通過して後方に控える敵勢に命中するばかり。

 どれもヤヨイを押さえる一手にならない。

 壁に身を隠し、その隙を窺う。


「どうして敵対した?」

「先生が帰って来ないからです。戦争があるし、何より他の女の人に感けて、ヤヨイを見てくれないじゃないですか」

「それは――」

「ずっとナデナデして貰えるの待ってたのに。だから――敵側に回って、先生を手に入れちゃおうって。誰も手出し出来なくよう殺して」


 ユウタは彼女の一言に愕然とした。

 裏切りの動機が、すべて自分であること。ヤヨイが自分の存在を重要とし、依存している節があるのは知っていた。

 だから傍に置いた。

 しかし、矛剴の一件を片付けるべく離れ、それから僅か約二月以上の時間が経っただけで、彼女は強行手段で応じるまでになった。


 二人を防護していた邪氣の壁が崩れる。

 ユウタとムスビは左右に散開するように疾駆した。獣じみた低い姿勢で俊敏に動き、不可視の聖氣を躱し続ける。

 ヤヨイは一歩も動かず。

 雪を薙ぎ払う凶悪な風を発する。

 二次被害を恐れて、ヤヨイの背後にいる者たちは動かなかった。今の彼女は狂喜に笑顔を咲かせており、無差別に人を殺めかねないほど感情に身を委ねている。


「要は、あたしも邪魔ってわけ――ね!」


 ヤヨイへと方向転換し、ムスビは火炎の矢を連続投射する。逆方向からユウタがそれを氣術で操作し、聖氣の脅威が及ばぬよう邪氣で保守しながら標的に導く。

 ヤヨイがその場から後ろに飛ぶ。

 それでも炎熱の鏃は猟犬となって追走した。

 引き下がる彼女に、戦鎚を持つ女性が代わりに出てそれらを撃墜した。尋常一様ではない武具の一打が魔法を掻き消す。

 しかし、単純な熱ではなく、対象を燃焼する性質を有するムスビの魔法は、彼女の鎚を柄まで焼き付くした。脅威を退けた対価に武器を失った女性が落胆の声を漏らす。

 舌打ちしたムスビだったが、横の樹木が爆発したのに顔色を変え、再び走り出す。常に動かなければ確実に聖氣の餌食になる。


「師匠、ヤヨイ知ってるんですよ?」

「何をよ――ひゃッ!?」


 近くで破裂した木の破片が肩に突き刺さる。

 ムスビは雪上に倒れ込んだ。

 ユウタは邪氣の防壁をムスビの所に再展開させ、自らは錐形陣形の中衛を叩く。芋を洗うような軍勢の中、邪氣による攻撃を織り交ぜつつ蹂躙する。

 陣形が乱れ、距離を置こうと兵士が散っていく。

 ヤヨイは孤軍奮闘する彼の姿に目を眇めた後、無表情になってそちらに向かう。

 しかし、その前にムスビが回り込んで立ち塞ぐ。


「何を知ってるのよ?」

「……師匠と寝てるの、知ってるんです」

「相棒だからね、成り行きでそうなるのよ」

「嫌です、先生はヤヨイだけの物です!」


 ヤヨイが一閃する。

 ――その手元を振り上げた足で踏み押さえ、ムスビが鼻で嗤う。そして姿勢を支える片足で跳躍し、尾のように二つに結った襟髪をひらめかせながら踵を彼女の肩に叩き落とした。

 攻撃を受けて後ろに転倒し、即座に体勢を戻して構える。

 不敵に笑うムスビの笑顔と視線が交わる。

 ヤヨイは外套を脱ぎ払った。

 風にさらわれて、ゆっくりと地面に落ちる。


「なら。まずは、あたしから奪ってみなさい」

「上等です」


 ヤヨイが刀を振り絞る。

 その刀身が、不吉な光を帯びた。


 彼女の手元が煌めくのを遠目で見咎めて。

 しかし、ユウタは頭上に舞う男の影に集中した。前へと車輪さながらに回転しつつ、こちらへ降下してくる。膝を抱えて丸くなっていた。

 ユウタは刃を一閃する隙を窺い、神経を研ぎ澄ます。瞬きせず、相手を斃すことのみを機能とする機械となる。

 男性が直近まで迫り、上体のみを横に煽る。頭上を回転物が擦過した。

 同時に、頭を振った動作に合わせて仕込みを抜刀し、縦に猛然と回る相手を腰元から撫で斬りにせんと振るう。

 刃が空気を滑り、相手の肉体を噛む。


「甘いぞ!」

「……!?」


 男性が体を開放した。

 宙で四肢を広げて、背を反り上げる。

 ユウタの剣は空を裂き、男性は無傷で背後を取った。雪煙を盛大に足元から上げ、これまで体を推進させていた猛烈な慣性を地面に突き立てた踵で急停止させて削ぐ。

 僅か数歩の位置で静止した男性が身を翻し、片手に短剣を握った。

 人間に可能な範疇外の動きだった。

 金髪碧眼に体格の良い男は、その重量感を嘘だと思わせる身軽な体術で、ヤミビトの剣技を躱し遂せる。


 当惑より先んじて、ユウタも即座に後ろに前面を巡らせた。

 それより男性が一瞬はやく短剣を突き出す。

 相手の頚部を狙う刺突は、濃密な実戦経験を積んだ練兵の為せる流麗さが宿る。滞りない体捌きで最速で男性が放つ。

 間に合わず、ユウタは右半身のみで応じる。

 小さく後ろに身を傾けて切っ先を避け、短剣を駆る腕を手刀で下から掬い上げる。

 男性が返す刀で、今度は振り下ろす。

 ユウタが横へと鮮やかに押し退ける。

 高速の絶技で繰り出される短剣の連撃を、悉く捌いていく。うち数撃が視野の外からであるのに対し、それさえも受け流した。

 凶刃の閃きは、ユウタの端整な顔に傷ひとつ付けられない。五感のみではない、戦闘経験を合成して為せる妙技であった。

 触れ合って払った相手の次の手を読み、攻撃動作で体にかかる運動力の脆い部分を衝いていなしている。

 男性が嗟嘆し、後方へと跳躍する。

 短剣を捌ききった右手が仕込みの柄を摑み、ユウタの足は彼に追い縋る。相手の頚を刎ねる横薙ぎの一刀が趨った。

 全力で上体を反らして、再び飛び退く。頬を裂いた刃先の痛みを噛み締めつつ、男性は背転倒立でユウタの間合いの外へと脱した。

 右の顔から溢れる血を舐めて、男性が獰猛に嗤う。

 ユウタは獣を相手にした錯覚とともに、こめかみから一筋の冷や汗が垂れる。


「こいつ……強いな」

「貴様の相手はおれだ、ヤミビト」


 二人の近くで火柱が立つ。

 それを合図に、互いに前へと飛び出した。苛烈に散る魔法の衝突と、剣戟の光が交わる


 ここに乱戦の火蓋が切って落とされた。

 




  ×       ×       ×




 船頭で飛沫が散る。

 潮風が舳先で分かたれて風切り音を立てた。陽光を受けた厳酷な海は波立ち、強く船体を打って揺らし、北の水平線上に遠くかすむ大地の輪郭が明瞭になっていく。

 帆は畳まれているが、それでも風を孕んで膨らんでいる。はためく音、軋む音が潮騒以外に索莫とした寒い海上の彩り。

 橙色の短髪を風に煽られて額を露にしながらも、正面から受け止めるテイの瞳は、空を見上げていた。瞳の色があって、他人から見ればそこに黄昏色の空が映って見える。

 南海峡諸島の原住民ニクテスの装束で戦場に臨む彼女の風貌は、周囲とは明らかな異彩を放っていた。畏怖も何も無いが、この戦争に参加しているニクテスは彼女一人。


 これは珍しいことではなかった。

 独特の文化を擁する少数部族は、全滅を危惧してほとんどが戦争に参加しない意思を表明している。ニクテスの場合はテイの独断あって、戦争自体を認知していない。

 その強力な呪術で戦うニクテスは、この二年以上の動乱の中でも魔族や外部からの干渉を撥ね付けていた。

 これは島を出て自由に生きるテイが、自らがニクテス代表として戦いに参加することで彼らの分まで戦果を持ち、後世にも彼らが許容される働きを生むためだった。

 あの閉鎖的な島で、同族に嫌悪され、少ない味方だけを頼りとしていた小さな少女が、よもや二年の月日を戦いの中に身を置いた奇想天外な顛末。

 当時の自分には予想だにしなかった。

 テイは自嘲気味に笑った。


 その後ろから、ティルが心配して近くに来ていた。

 船首で煢然とした立つ姿に、だが言葉をかける言葉がなく逡巡する。彼女のことだから、既に気配は察知していることだろう。それでも一瞥もくれないのは、今を一人で過ごしたい意思の示唆なのかもしれない。

 臆病に物を捉えてしまう自分の癖なのか、それともその通りなのか。


「ティル、どうしたの」

「……いや、何か思い詰めてる感じがしたから」


 声がかかった事に安堵しながら、当惑に呑まれて震えた声が出る。自身の狼狽えが露骨に出てしまったのを自覚して顔が赤くなる。

 その機微もテイには読めず、望洋と空を見上げて彼の言葉を聞く。


「島で見る空は、狭かった。大陸に来て、とても広いと思ったけど、私はやっぱり島で見る空がいちばん好き」

「……俺も、故郷の路地裏で見る方が安心するよ」


 ティルは懐郷の念に微笑む。

 密集した建物の間を縫う細道、そこで灰と煤に塗れながら幼少期を過ごし、炭鉱に通って妹と必死に生きた日々がある。その路地から見上げる昼の空は窮屈で、夜になればただ恐ろしく見えた。

 それでも、妹と寄り添い合った路地裏だからこその温かさ、ティルという人間を作る骨子がある。

 ユウタとの出会いがもたらした自由には謝意しかない。

 それでも、故郷の空を思えばいつも路地裏であり、そして何よりも尊く感じる。


「でも、これも贋物の空」

「あ、ああ。そうだったな」

「本物の空を、故郷で見たら、また違うのかな」


 ティルは押し黙った。


 皇都跡地の最も高い摩天楼からは、『籠』の最上部が見えるらしい。幾何学模様が天頂に浮かび、そこに空の限界があることを証明しているのだという。

 すなわち、いま自分たちが見上げている空は偽りであること。圧縮された空間の歪んだ膜越しに見た天穹である。

 今さら贋物と言われたからといって、そこにまつわる思い出にまで変化を及ぼす訳ではないが、これから今まで見ていた物が失われる寂しさもまたある。

 しかし、テイにはどこか、テイが憂いている事の根本がそこでは無いように思えた。


「寂しいのか?」

「ううん。いや、そう」

「曖昧だな」

「……これから、色々な物が変革()えられていく。それはきっと、今回みたいに良いことばかりじゃない。私、ニクテスとかも、きっとその時代の波に飲み込まれていく」

「……古い物が消えていくのが、悲しいってこと?」

「うん」


 ティルは彼女の隣に移動する。

 途中、揺れる船体によって頼りなくよろめきながら辿り着き、彼女に耳を赤くして笑いかける。テイはまたも小首を傾げて訝った。


「変わるのが寂しいのはわかる」

「…………」

「気休めになるけど、ユウタを見てると変わらないモノがあるってわかる」

「なに?」

「人の心だよ」


 ティルの回答に、些か不満の色を示す。

 死んでしまえば、それもまた消えるものだ。

 しかし、ティルは否定した。


「だって、アキラが心に抱いていたモノを受け継いで、ユウタは進んでいる」

「……それが、変わらない人の心?」

「継承の仕方さえ間違っていなければ、の話だけど」


 託した心は、夢は変わらない。

 その遣り方さえ過たなければ。

 アキラの意志を継いで飛び出したユウタを中心に世界が突き動かされた。変わらずに継いでいく事も可能なのだと彼の行動が証明している。

 テイが望めば、故郷の空を永久な守ることはできるのだ。世界が幾度も変遷しても、心中に根付いた想いだけは風化せず残る。


 そう考えれば、これから向かう場所は――。


 二人の視線が北方に束ねられる。

 変化を拒み、世界を牛耳って不変の歴史を築かんとした者たちのいる大地。

 そこは世界が誕生してから神聖と嘯き、侵略を退け、身から出た錆……魔族や矛剴を追放し、大地の一部を切り離してでも保存しようとした風景がある。

 神の執着によって、時が止まったままの場所。


「あそこから見る空は、どうだろうな」

「……きっと、綺麗だけど吐き気がする」

「ムスビの故郷だけどな……でも、同じだ」


 そこには何があるのか。

 皆目見当もつかない。

 ただ、叛逆者を待ち構えるのは荘厳な虚飾で塗り固めた原始の時代の産物。紛うことなき世界の真実と、人間たちを支配する神々の根城。


 原初の大地は、彼らを迎え入れようとしている。







読んで頂き、誠に有り難うございます。


おそらく、もう一話、或いはこれが年内最後の更新になりそうです。今年中に二部が完結できて良かった。

恐らく来年の夏前に、物語が終結すると思います。去年も、一昨年も読んで頂いた皆様には本当に感謝しかありません。


それでは、よいお年を。


これからも宜しくお願い致します。



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