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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
第二幕:神人の黄昏
288/302

開戦の裏で



 誰が手を伸ばしても届かない空間。

 異次元とも称される場所は、どんな世界観にも必ずある。卓越した技術、模倣のしようがない味覚、努力の範疇を逸した位階の不条理がそれに該当する。

 しかし物事の始まりは、すべて真似事から始まる。基本は理想であり、再現すべく作った型は模造に過ぎず、更に派生し、理想から遠退きつつも特性を育む。

 云わば理想とは起源であり、絶対に辿り着けない『異次元』なのだ。

 職の技能で異次元とされるのは、派生した時代の先端から、誰も為し得ない理想への肉薄を成功させた例である。


 異次元とは、理想であり、起源であり、世界の中枢。

 この出雲島(せかい)には、それがある。


 神の大地として分離した北海付近に、太古に分かたれた種族達が集う様を、何処よりも高く、何処よりも遠い地から眺める者たち。

 空の一部を歪ませ、地上を睨む。

 中は不定形であり、色彩に限りはなく人が立てば正気を保てない異空間である。無論、そこに身を置くのは決まって、五感などの束縛を受けずに存立する条理を逸した存在だけ。

 現世も黄泉國も普く監視する原初の地――高天原。

 その支配者たる天津神(あまつかみ)たちは、混ざりつつある死者と生者の相克する戦局を俯瞰し、不安に騒めく。

 二神という支柱を以て支えたきた世界だが、その瓦解はたった約半世紀前に始まった。神の存在を疑わなかった人々が、神を滅ぼす為に牙を剥く様相は、彼らの懐いた理想とは全く異なる。


 何が原因であったか、それを突き詰めることは容易い。

 すべては『二神』である。

 黄泉國の主となったイザナミを取り戻さんとしたイザナギの行動。結果として力を奪われ、後にヤミビトを生み出す要因となったそれらは、全て仕組まれた事だった。

 それは、何者に?

 決まっている――あの二神の自作自演。

 誰かによって決定された運命に抗い、打破する策を探して、彼等はヤミビトを作り出した。敢えて離別し、策謀を巡らせて互いに反目する立場を演じている。

 いずれ、作り出す為に。

 ただ唯一無二の、世界を滅ぼす存在――『別天つ神』を誕生させんとして。


 高天原は本能的に察知していた。

 それは一度は誕生し、如何なる沙汰か世界を再生させた。果たして何者が成し得たのか、仔細までは把握しておらず、けれど自身らが一度の破滅を経ているのは納得している。

 完全な誕生ではなかったのだ。

 だからこそ、次は間違いなく、神を掃討する為の『真の別天つ神』が降臨する。


 着実に人々が摂理を破壊する方向へと導かれていた。誰しも幸福に生を謳歌しようと進めば、訝る事もなく神々が敵意の的になる。

 その運びに懐疑的になる者は少数だが、みなが束縛を嫌い、同じ方向性を向く。最初に生まれ出た『別天つ神』も、その産物である。

 遡ればカムイの来訪も、その一つだった。

 今考えるなら、ミランによる魔族の離別も、大陸の分離も、魔術師の死とヤミビトの追放、現今に至るまで、何もかもが布石。

 元から“人を神に変えた”、あの時にこそ破滅の一途の始点がある。神は人間によって淘汰される、産み出した存在に滅ぼされる運命。

 いつだってそうなのだ。


『貴方がたは、やり過ぎたんですよ』


 高天原に涼やかな声が響き渡った。

 青緑色の長髪をした女性は、腰の後ろに手を組んで直立する。嫋やかな仕草で腰を曲げ、姿形もない神を下から睨め上げながら微笑んだ。

 異空間で唯一、自我を保つ闖入者は文字通りの異彩を放つ。人の立ち入れない天界の如き場所に揚々と立っていた。

 声はない、しかし天津神は動揺する。


『人の信仰でしか存続不能な貴方がたが、人を束縛しようとする時点で、その在り方を違えてしまったんです』


 彼女の言葉に反駁できない。

 人々の信心でのみ存在を維持する他ないのは事実であり、そのか細い命綱もまた人間によって切断されんとしている。

 女性の口から告げられる鋭鋒は、形のない空間を固まらせた。

 二神の策謀も、ヤミビトの暗躍も、『約束の子』の成長も、すべてが慮外の見逃しである。今まで些事と見なして看過していた害は、幾星霜幾星霜に亘って根元たる高天原を照らす一条の光へと集束した。

 常に敵意の的の外であり恒久の存在だった天津神は、その在り方を問われている。


『我々は鎖国を宜しく思っていません』

 ――何だと?

『いま地球からも、転生者を募っているんですよ。交換留学みたいな物ですね』

 ――貴様らは何者だ?

『それは最期の最後までのお楽しみ。ただ時代はグローバルですから、いつまでも篭の中に閉じ籠っているだけではいけません』


 女性は高天原を見回す。

 あたかもそこに人が居るかの様に視線を巡らせた彼女の所作に、絶え間なく色の変遷する空間が停止と再始動を幾度も行った。神々の匿し遂せぬ緊張が現れている。

 女性の足下に孔が開いた。

 不定形の空間から地上に向かって緩やかに降下する。微笑を湛えながら落ちていく彼女に、天津神は最後に、悲鳴にすら似た苦悶の唸り声を上げた。


 着地点は北大陸の北端。

 先には何も無い水平線が広がる景観しかない岬であり、女性は隆起した岩の上に腰を下ろす。真に大陸の北端といえる崖の先に立って海を眺めるのも一興だが、既に先客がいた。

 海を前に、襤褸になった白装束の裾を靡かせている。抜き身の太刀を肩に担いだまま、禿げかかった自分の頭を撫でて、潮風に老人が身を震わせた。


『神殿に居なくて良いの?』

「どうせ、もう見なくなる物ねい」

『……やっと、帰れるね』

「ミラルナには、申し訳ない事をしたわい」

『大丈夫。ユウタとジンナが貴方に会えば、全部丸く収まるんでしょう』


 老人は小さく首肯した。

 自信と不安の葛藤が見受けられる反応に、女性は嘆息する。太刀を担いだ勇ましい背中は、頼りなく丸められていた。

 白銀の刃にも劣らない鋭さを有する老人の眼は、ただ望洋と水平線を眺めていない。その先にあるモノ、この世界の出口でも探すような視線だった。


「自分で作ったとはいえ、迷惑をかけてしまったねい」

『良いじゃない。“不幸係数”が高ければ高いほど、我々も嬉しくなる。特にアキラは美味しい獲物だからね』

「……結局、アンタ達ゃそこかい。言っとくが、アキラもユウタも、自分なりの幸福を求めて旅してる。アンタの色眼鏡に適う男じゃない」

『道を託して死んだ前者、託された後者が道半ばに死んだら、どうなる?』


 老人は瞠目して振り返る。

 女性は飄々と足下の花を一輪摘んで、香りを嗅いでいた。その相貌に蕾の花弁が綻んで開くような笑みが咲くと、ますます老人の背中を戦慄が悪寒となって駆け上がる。


「アンタら、まさか……!!」

『我々は魔術師の娘に全て懸けてる。どんな形であれ、世界が滅ぼされれば良いの。『輪廻の円環』が消えれば魂の循環も消滅し、貴方の故郷との相互交換が可能になる』

「それが目的か。まさか、マキを()()したのは……」

『魔術師自体に歪みがあり、そこにヒビキちゃんが覗いた事で因果的な変容もあった。だから教えて利用した。――力があれば、何でも叶うって』


 女性の獰悪さが鎌首を持ち上げる。

 老人は、片手の太刀を強く握り締めた。彼女を薙ぎ払う気迫を放つが、攻撃を意図した瞬間に手元は固まり、一切の挙動を封じられる。

 体の奥底を縛る“存在意義”が、真っ向からその意思を否定していた。老人が悔しげに歯軋りすることしか出来ず、またその状態を女性に笑われたことで悔恨は一入である。

 老人の顎を白い指が撫でた。

 艶かしい所作、表面だけに触れる指先が与える感覚は、殊更に老人の胸懐にある憤怒を増長させる。


『我々の行動は、『番人』にも『二神』にも見えない。だから好都合だったの』

「………………」

『みんな連れて帰る。この星は天津神の勝手だから、存在自体が許されない』


 女性の姿が薄くなり始めた。

 老人は目を凝らすように視線を鋭くし、彼女の姿が完全に消失するまで睨んだ。歴史を裏から左右する者は、何も一人ではない。

 いつだって悪意は潜んでいる。


『それじゃあ、楽しい終演(フィナーレ)を』


 不吉な一声を残して、彼女は消えた。





  ×       ×       ×




 中央大陸の北端に展開する防衛戦線。

 その要たる天嚴要塞の下には、数十万の戦士が集っていた。第一次大陸同盟戦争から幾つかの種族が絶滅したが、それでも顔触れは明らかに属する種族の数が違う。

 中央大陸と南大陸の全勢力が集合し、歴史上にない景観を生み出していた。

 満を持して組織された部隊は、既に各々で絆を深め合っており、種族間の隔たりも皆無に等しい気の知れた仲へと関係性を成長させている。


 要塞に到着したカリーナは、颯爽と新しい黒衣の袖に腕を通す。着替え中、ジーデスは部屋の外で両手に彼女用の外衣を抱えて待機した。

 久々に見る主が泥塗れで参上したとあって同盟軍に一時動揺の波が伝わったが、本人の気にも留めない様子と、颯爽と要塞に姿を消す様に呆気に取られて鎮まる。

 刺客に襲われても動じぬ豪胆さが幸いし、同盟軍全体を不安の淵に陥れる事態は避けられた。護衛を務めたヴァレンも、その振る舞いに安心して身形を整え、要塞下に構える配属された部隊へと合流した。

 ジーデスとしては、予定通りに到着して安心したと同時に新たな不安要素を発見して心中穏やかではない、今もまだ混乱中だった。


 カリーナは清潔な黒衣姿で部屋を出て、ジーデスの手から外衣を取る。

 簡単に羽織りながら廊下を早足で歩き、途中から合流して脇に付く戦線指揮の面々に指示を飛ばした。

 休憩を考えたジーデスだったが、カリーナは冴えきった眼差しで周囲の状況を把握していく。もう構える戦士達を慮ってとも考えられたが、彼女自身も彼らに劣らぬ気迫で臨んでいるゆえに休憩を要しなかったのかもしれない。


「ジーデス、報告はあるか」

「はい、実は恷眞から至急伝達すべき事があると」

「言え」

「――北の擬装は機能停止、山間に烽あり……とだけ」

「……ご苦労だった」


 予想は的中した。

 カリーナは、その内容が伝達したい事実を了解し、内心で細く笑む。

 ジーデスはそれを見咎めて眉を顰めた。悪義を働いて省みない商人が相手を詐術の罠に嵌めたような笑顔である。およそ婦女子の浮かべてよい表情ではなかった。

 二年前から傍で見てきたジーデスとしては見慣れたが、カルデラの威光を知る民が見れば信用を失うほどの悪意が感じられる。


 西側に遽然(きょぜん)到来した敵の先遣隊。

 烽火の上がる地から、既に付近まで悪意は手を伸ばしていた。静かな波紋は確かな刃を以て侵攻を始める。

 カリーナはその気配を誰よりも敏く感じ取っており、統率者及び大まかな員数も見当を付けていた。彼らが天嚴に打撃を与え、動揺したところを間髪入れずに神族に属する戦士たちが海を渡ってくる手筈である。

 なれば、その撃滅を為しうる人選と、その動きの最適解は、事態を予測した後に脳内で導き出されていた。機略の策を完成させるのには、“彼の性格”を把握して行動を読み、状況を設定するだけで事足りる。


 先遣隊の統率者ヤヨイは、精神的に重篤な瑕がある。ユウタや【太陽】の構成員にとっては公然の秘密だった。

 気心を許した師に依存し、一定期間の別行動をすると不安や極度の錯乱状態に陥るため、指導役などとしてもユウタが近くに居ることが多かった。

 一時は症状を克服する為の処置が施されたが、潜在能力の高さ、比類し難い成長力が注視を集め、戦場での活躍を期待され、必然的に無視できぬ存在となる。皮肉にもユウタの補佐が適任であるとなり、快復を見込める機会は自然消滅した。

 認められる変化は、悪化のみを示す。

 共有する時間が長いほどに、単独行動の能う時間が短縮され、行動範囲も極端に狭くなる。ユウタの存在を過剰にも要として、自分自身でさえ喪失する始末だった。


 ならば――そこには対処ではなく清算が必要。

 彼女を怪物にしてしまった人間の責任、時機と環境が全てを後手に回してしまったとしても、引責以外の手立てがない実害なのだ。

 ヤヨイの裏切りが同盟軍全体に伝わる前に、事の収拾を付ける。

 カリーナの予測が的中しているのなら、その時はもう既に到来していた。


 あとは事態の趨勢を“彼”に委ねる。

 ジンナと同様に扱い難いが、最低限の行動などを予て決定し、放していれば戦局を優勢に運ぶ働きが期待できる。把握していないジーデスや同盟軍が聞けば批難殺到だが、カリーナには委細構わない。


「北に動きは?」

「何も。もし【鵺】の連中の話が本当なら、移動も直ぐ実行可能です」

「私が食い歩きをしている間に進んだな」

「ええ、皆の尽力のお蔭です。……食い歩き?」

「ああ」


 カリーナは天嚴要塞の正面中央にある隅塔の上に出た。

 城門が開かれ、冬の鋭い日差しが差し込む。氾濫する川のごとく間隙から寒風が容赦無く吹き込んで、外衣の襟元を掻き寄せる。道草をしてヴァレンと食した鍋の味を想起する。

 戦が終われば、また行く約束をした。

 その際には彼との結婚を一考しなくてはならない憂いがあるが、それを密かな楽しみとしている自分が居るのも否めない。

 自嘲気味に笑い、カリーナは前へ進んだ。


 異種混淆とした奇観が広がる。

 そこに図鑑で一覧が列べられているかのよくに、カリーナが出た先に多種多様な人間が顔を揃えて自分を歓迎していた。歓声が重なって耳を圧する音圧を発し、カリーナは耳を指で塞いで顔全面に不快感を示す。

 呆れるジーデスに導かれ、戦士一同を見下ろせる要塞の隅塔の欄干近くに立ち、全員に手を挙げて応えた。


「騒々しい連中だな」

「みなカリーナ様を英雄と讃えているものですからね」

「そんな薄ら寒い称号より、悪大官や悪魔の方が親しみやすいがな」

「またそういう事を」


 ジーデスの嘆息に冷笑を返し、整列した同盟軍に向き直る。

 カリーナが表情を引き締めると、遠目に雰囲気を察して眼下から湧いていた声と震動が止む。一瞬にして静まり返り、それが更に全員の緊張感を促す。


「私達はこれより、世界そのものと対峙する。

 巧妙に『加護』という名の束縛、『御三家』という傀儡、『魔族』が敵という誂えられた認識によって、永らく逸らされてきた。

 この際、切っ掛けはどうでも良い。

 我々はこれまで、神々の思惑に従い、その掌中で常に踊らされていた。これまで多くの命を奪った戦争も、全責任が彼らにあるとは断言できない。

 しかし、彼らによって我々は相争うことしか出来なかった。その機会を奪ってきた陋劣を働いて平気な外道の奴儕どもと、遂に戦える」


 魔族と中央大陸。

 神族が大陸を分けてから、争闘の足跡は絶える事がなかった。人は魔族は全人類を、神を恨む世界の悪と断じて疑わなかった。しかし、触れ合えばその心は戦場での印象と全く違う。

 ただ、話し合えば良かった。

 剣を事とするのではなく、簡単な対話を行うだけでも、互いの正義が何を拠す処にするかを探るだけでも、こうした結果に辿り着く。

 関係性を疑わず、歴史を顧みなかった人々の罪であり、意図的に目を眩ませた神々の悪意が窺える。拭えないほど根深い遺恨は残っているが、解決法を導き出そうと双方が努力していた。

 だからこそ、すべての禍根に決着を付ける為に、先ずは神々と戦わなければならない。

 最終決戦、されどそれもまた通過点に過ぎない。


「まだ我々は神代の夜の中にある。

 本当の神の姿形を目にしていない。奴等が如何なる存在かを、これから問い糺す時点から始めなくてはならない。

 しかし――案ずるな、夜明けは近い。

 誰が始点であろうと、今や神の掃討は人類の総意。魔族もまた同じ人間だ。歴史を築くには、大陸間の隔たりなど関係ない、双方の協力が必須だ。

 共に征こう、北の果てに。

 そこに我々が築くべき、本当の未来の形がある。私もその為に尽力する、だから皆の力を貸してくれ。


 ここに――第二次大陸同盟戦争、開戦を告げる」


 カリーナの演説に、戦士が鬨の声を上がった。

 若年の女性が総指揮を務めるとあって、そこかしかで不安は渦巻いていたが、毅然とした振る舞いと、戦士を叱咤する気勢は戦場で実際に剣を振るう者と比肩する。

 最後の憂いが払拭され、同盟軍全体が鼓舞された瞬間だった。


 一歩身を引いて、彼らの視界から隠れたカリーナは、細く息を吐いてジーデスに凭れる。


「お見事でした」

「これで一つ役目が済んだな。……()は頼むぞ無名」









  ×       ×       ×




 烏の大群は地に墜ちて、地上を骸で埋め尽くした。

 獲物を狙いに降下したところを全滅させられ、彼等が仕留めるには分不相応な相手といえど、そこに一勝も無いとなれば忸怩たる想いしかない。

 唯一の救いは、それすら抱く暇も無く命を終えたこと。救済と呼ぶにはあまりに惨たらしくも、烏が最も悔いる時間は免れた。

 尤も、黄泉国で自我が保てる者ならば、怨念となって終ぞ悔やみ続ける。


 仕込みを納刀し、優太は油断なく周囲を見回しつつ構えを解いた。雪上は赤黒く染まって地獄もかくやとばかりの景色、しかし本人には全く返り血はない。

 多勢に無勢という窮地を凌いだ後でも、その顔は僅かな汗が滲むだけで、呼気の乱れは無く涼しい面持ちだった。

 二年以上も飽くことなく襲撃を繰り返してきた相手との慣れた戦闘とあり、相手の戦術も対処法も熟知している。たとえ物量で勝負を仕掛けて来ようとも、今のユウタにとって全滅させるのは容易かった。

 カリーナの企みを露知らず襲撃に遭ったが、無傷で乗り越えた感慨が彼女への文句を揉み消す。よもや、これもまた彼女の策なのだとすれば業腹ではある。

 同盟軍が出陣するまでの猶予を稼ぐ殿(しんがり)ならば快く引き受けたが、ユウタ自身にさえ内容を伏せる徹底さは大軍の差配を与る者として当然の心構えか。

 幼い頃から政敵を相手に大人も舌を巻く腹芸を物としていた彼女からすれば、味方を欺くのも容易く、そこに躊躇も罪悪感もない。相手が従兄弟であろうとも。

 ユウタが剣を以て敵を討ち、カリーナは策をもって危険を捌く。そもそも戦の土俵が違うにしても、配慮の欠片もない。

 愚痴を幾ら捏ねても、彼女らしいと呆れる他なかった。


 背後で火柱が立ち上がる。

 熱風と火の粉が背中を強襲し、ユウタは皮膚を焦がす感覚に悲鳴を上げた。氣術で襲い来る熱を操作し、他方向へと散らす。

 振り返れば、森の一部を焦土に変えたムスビが蒸気の煙り立つ大地に仁王立ちをしていた。手にしている焼け残った烏の片翼を投げ捨てる。

 満足げに吐息を洩らす相棒の姿に批難の眼差しを注ぎ、ユウタは闊歩してその直近に寄った。草履の足の裏からでも、高熱で炙られた地面の熱が伝わる。

 ユウタが背嚢から出した手拭いを渡すと、ムスビは受け取って自身の汗を拭き取って顔に投げ返した。それを顔を僅かに傾けて避け、耳の横で摑み取る。

 自分の汗も拭いてから、改めて畳んで背嚢にしまう。ムスビが礼を言うことなど稀であると承知しており、ユウタもその態度に言及する気力すらなかった。

 風に乗る熱の冷めきらない森で、二人は再び北を目指して歩く。


「どうよ、あたしの戦いぶり」

「迷惑だ、火力に無駄があり過ぎる」

「でも使用魔力は微々たる物よ。最悪はあんたで回復する訳だし」

「逆に吸引してやる」

「あんたは剣に頼りっきりね」

「これまでは氣術に傾注していた反省を活かしているだけだ」

「本当は八咫烏に集中する余裕が無かっただけでしょ」


 ムスビの顔に雪塊が飛来した。

 咄嗟に体を捻って躱した彼女を、梢の上に乗っていた雪が不自然な急速落下し、顔面を強かに打つ。弾けて冷水を鼻先に残すそれに、彼女は苦悶に声なき絶叫を上げる。

 ほくそ笑むユウタの腰を回し蹴りで攻撃するも、鮮やかに手で払って受け流された。


「何すんのよ!」

「八咫烏よりも君相手の方が余裕あって氣術が使えるね」

「へえ……?」


 ユウタの一言を皮切りに、喧嘩が始まった。

 敵襲への警戒もなく小さな諍いの火蓋が切って落とされ、互いを罵り合う言葉の応酬が際限なく交わされる。中には年齢を疑うほど幼稚な文句もあったが、同じ土俵で戦う両者にその自覚はなかった。


 敵の第一陣を退けたといえども、戦場の只中に依然変わりなく、二人の隙を見過ごす者はいない。

 進行方向の山間より、轟音が鳴り響く。

 北の空を焼き裂いて飛ぶ一つの火花が、緩やかに円弧を描いて二人のいる森へと落下した。二人の居る地点をやや外れた位置で爆発し、林間に轟風が吹き荒れる。

 ユウタは震動と熱に転倒しかけるムスビを抱き止め、杖の石突を地面に突き立てて耐えた。炸裂した威力は砲弾の物ではなく、着弾地点から間断なく暴力的な魔力が溢れている。剰さず熱へと変換されて、ユウタ達の方向へと扇状に拡散していた。

 段々と強くなる颶風の勢威に杖のみでは耐えられず、ユウタは氣術で直撃する気流と熱を分散させて自身の周囲を無風状態に変える。

 まだ相手に擲つ面罵の言葉を満足に言い終えていない二人は、砲撃された場所と互いを見遣る。


「ムスビ、これは流石に無いと思うよ」

「あたしがやったって言うの!?」

「君の事だから、悪戯気分で罠を設置してたんじゃないのか?」

「あー、そんな手段もあったわね。それを思い付くあんたこそ性根腐ってんじゃない?」

「…………」

「……ってちょッ!?氣術であたしにだけ熱風来るようにしてんじゃないわよ!」

「炎の魔法使うくらいなんだから、好きなんだろ」

「意味判んないわよ!」


 砲弾の効果が消え、風が止む。

 氣術を解除して安堵するユウタは煙で塞がれた前景を見詰めた。

 数分間の熱の拡散や風の猛威、放射範囲と指向性を設定した攻撃だった。爆薬ではないし、明らかに何者かによる操作を受けていた魔法。

 先刻の砲撃は、含有された(まりょく)の量が途轍もなかった。ムスビの様に体内の氣の総量が桁違いな人間か、それとも多数の者によって生成されたとしか思えない。

 後者だとしても、尋常な魔導師が複数名で行っても不可能な芸当である。

 高位な魔法を駆使する魔導師数人、それかムスビと同等以上の存在だと推測すれば、そんな手勢を抱え込むのは北側の刺客以外に有り得ない。

 烏の大軍を壊滅させてから、まだ半時も経っていない襲来。ムスビと合流した途端に進行速度が減速したように感じて、相棒に対して八つ当たりにも近い恨みを抱く。

 ムスビはその意中を察し、睨み返す。


「僕一人の方が良いんじゃないか?」

「あんた作戦無視する積もり?」

「いつもカリーナ様の方針に渋面を作るのは君なのに、僕の場合は責めるのか」

「あの高飛車な女が人の物を扱き使うのが気に食わないの」

「どの口が言ってるんだ」


 腕の中から眼光が飛ぶ。

 ユウタは未だにムスビを抱えていると漸く思い出して地面に下ろす。立つやいなや肩を強く拳で突いてくる彼女を批難しながら、杖の石突に付いた土を払い落とす。

 焦げて少し灰となった上着の裾を叩く。

 ムスビは外套の袖を帯状に捲り上げた。


「焦げたわね」

「こうなるから、次は控えてくれ」

「素っ裸も案外可能なのね」

「真面目にやってくれ。――ほら、来る 」


 煙の中に揺蕩う影が浮かび上がった。

 身構えるユウタとムスビへ、悠々と歩み寄って来る。雑踏が森の木々を揺らし、二人の足下まで震動を伝えていた。

 氣術で気配の数を探知する。

 敵の数は百余名、大体の氣の波長は烏だが他にも特定不能な個体が大勢いた。確認できる領域でこの数、まだ前進する都度に数は更新される。

 第一波よりも激戦は必至だと予感した。


「ムスビ、数が凄いぞ」

「いつもの事でしょ」

「いや、感じた事のない波長がある。油断ならない」

「油断なんてした事ないわよ」

「本当に?」

「……ちょっとだけよ、ほんのちょっと」


 敵を前に、二人は変わらず緊張感が無かった。


「相変わらず仲が良いですね、お二人は」


 熱で茹だる林間に、涼やかな声。

 しかし胸の芯を衝く冷たさを有した一声は、明らかに敵意を含んでいた。

 二人は聞き覚えのある声に顔を顰め、互いに顔を見合わせる。すでに脳裏に声の正体を思い描けていたが、攻撃された事実に懐疑的になってしまう。

 何故なら、その人物なら自分達へ絶対に牙を剥いたりしない。敵意で襲い掛かる事など無いと知っている。

 だが聞き間違えようがない。


 だからこそ、二人は目を疑った。

 煙幕を割り、背後に烏や多様な種族を率いる小さな少女の姿を凝視する。

 冬の風采に咲いた一輪の花の如き桃色の装束。烏の死体を踏みしめながら進む笑顔は、見知った存在であった。

 気勢を削がれ、驚愕に硬直する。

 有り得ない、その一言が白い吐息に混じって溶けていく。


「ヤヨイ……!?」


 当惑するユウタの声。

 応えるように、先頭を歩むヤヨイが狂喜で顔を歪ませた。





読んで頂き、誠に有り難うございます。


漸く開戦です。……が、ヤヨイちゃんの話も書いて行きます。


次回も宜しくお願い致します。

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