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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
第二幕:神人の黄昏
287/302

それは先の話

間に合わなかった……!



 『篭』を外より望む海峡。

 海峡北部には夥しい軍艦によって鉄色に染められた軍港がある。二つの崖に挟まれた入江に体積し、新たに出来たその土地が軍部の要所として発達した地域である。

 海辺を堅固に守る者たちは、甚く南部の人間を嫌い、その来訪を阻まんと敵意を剥き出しにしていた。『篭』の出雲島より歴史は浅けれども、その因縁は数世紀以上の星霜を数える。

 最近では、数年前に勃発した出雲島を巡る事件によって各国の特務機関が争奪戦を繰り広げ、その戦端が世界にも類を見ない大戦であり、突如として誰も戦果を挙げられずに終戦した。

 無論、それを“中の者”が知る由はない。

 その日は、事件の最後に出雲島から上がった『衝天の光柱(こうちゅう)』が確認されて以来、初めての変化である。

 出雲島付近の海流が不規則に変化し、島全体を取り囲う“薄い膜”――『篭』が表出した。表面に幾何学模様が隙間無く描かれたそれに、南北では大きな騒動が起きていた。

 しかし、剣呑なのは港のみであり、それらを見下ろす後部の町は、比較的に穏やかな生活を営んでいる。


 住宅街の一画に建つ家で、赤髪の女性が洗濯物を干していた。港の騒ぎに動揺する隣家などの様子を気にも留めず、眩しい陽光に目を細める。

 高地に建つゆえに、道に出ればしぜんと崖に挟まれた水平線が望める場所であり、彼女もまた遠目から出雲島の変化を知った。

 女性が洗濯物を片手に遠景を眺めていると、道の方から、禿頭に帽子を被った中年の男が慌てて家の敷地内に駆け入る。

 物干し竿を手に、彼女は男の足下を鮮やかに払った。出会い頭の奇襲に対応できず、庭に転倒して彼女の隣を転がり過ぎて行く。

 顔面を強打した鈍痛に喘ぎながら、男がすわ立ち上がって女性の傍に寄った。


「アシーナちゃん、()ぇ変だ!」

「どうしたのよ」

「出雲島に変化が……!」

「知ってるわよ、ここからでも見えるし」

「あ、本当だ」


 男は今更に気付いて、その場に座り込む。

 ここに至るまでの慌てた己の力走が徒労に終えたようで、酷使した肺を休めるよう呼吸を整えつつ島を見遣った。時折、遠くからでも膜の模様が明滅したりしているのが判る。

 女性は物干し竿を改めて設置し、洗濯物を一つずつ配置していく。


「これ、ヤミビトの兄ちゃんに何かあったんじゃ……?」

「知らないわ」

「ええ、そんな薄情な……」


 庭で話す二人の下へ、釣竿と桶を持った少年が道から駆け寄った。片手に妹の手を引きながら、直近で顔を覗く。


「何で李さん座ってんの?」

「あの人が帰って来るんじゃないかって話だよ」

「……四年も私たちを放置してるのよ。今さら戻って来ても」

「アリーが一番待ってるくせに」


 女性が赤面して少年の頭頂に拳骨を落とす。

 照れ隠しの加減を些か逸した威力に少年は踞り、男は蒼褪めて引き下がる。

 少年の妹は、隣で苦痛に呻く兄よりも、出雲島に意識を傾注した。耳朶に手を添えて、何かを聞こうとしている。

 何か、音が聞こえる。

 音楽だった、歌声も聞こえる、夥しい人々の声、まるで狭い空間に反響しているかの様に輻輳し、気が狂いそうになった。

 歌ではあるが、それを構成する声の一つずつに意識を集中すると、怨嗟、歓呼、悲鳴、怒声……有りと凡ゆる声色が(せめ)ぎ合って、けれど偶然なのか精緻に折り重なって歌を作っていると判明した。


「たぶん、『別天つ神』が降臨する」


 妹の声に、一同が勢いよく振り返った。


「ヤミビトが約束を守る」

「……アイツは、私たちよりも妹を選んだ男よ」

「アシーナ、そりゃ仕方ねぇよ。憶えてんだろ、兄ちゃんが荒れ果てた故郷を見た時の顔をよ」


 女性は口を噤んでうつむく。

 その場の全員の、誰もが記憶していたこと。彼等の脳裏で鮮烈で、陰険で、黒く濃い影を残す一人の男ヤミビトの姿である。

 後に出雲島から追放されたと判明した人間。

 過去、神の國とされるそこへ唯一入行を可能にしたカムイを巡り、勃発した争闘で現れた彼は、世界中が欲したカムイの子供を連れて逃亡した。

 偏に、出雲島へ戻る手段を求めてである。

 その際の彼と行動を共にした四人は、旅路の果てで見せた、荒廃した故郷の有り様に憂いと諦念に満ちた笑みを浮かべる横顔、かつての仲間の亡骸を前に膝を突いて虚心で見詰める後ろ姿を憶えていた。

 いつも関わる毎に死と悲劇が付きまとう呪われた男。冷徹になりきれない、優しい殺し屋。そんな彼の擁する奇妙な魅力に吸い寄せられて、生存できた者はいなかった。

 この四人は一度は死して、彼の嘆願を承諾した出雲島の『ある神』の力で蘇った異例である。詳細な過去を語らずとも、戦に塗れた様子は常に疲弊していた。

 戦うこと、殺すこと、生きることにさえ疲れていたのだ。

 四人はその過酷な道行きを僅かながらも共有した仲だからこそ、不幸な男だと断言できた。


「あんな顔、出来る奴なんざ見たことねぇ」

「ミカサ、あんたは最後まで一緒に居たんでしょ。ヤミビトは……どうなったの?」


 女性が少年へと問を投げる。

 少年は自分の掌へと視線を落とした。

 あの男と最後に別れたのは、鈴の音に満ちた花畠の丘陵。戦闘で瀕死の傷を負った少年を、最後に看取ったのが彼だった。


『お前たちとなら、このまま一緒でも良いと思った。――でも、それはこれからも永劫あいつが一人でいることになる。

 あいつを独りにはできない。だから、決着を付けてくる』


 ヤミビトの手によって目を塞がれた。

 それから、彼の顔は一度も見ていない。

 次に目が覚めた時には傷がなく、海峡の北部へと転移されていた。ただ、それから数年もの間に彼が帰還することはなかった。


 少年は首を横に振る。


「わかんないよ。俺は途中で倒れて、アイツの最後は知らない」

「ヤミビトはヒビキに会った」


 おもむろに少女が話した。

 全員の顔が驚愕の色に染まる。


「そして契約した。いま、その最終段階」

「……帰って来れるのね?」

「ヤミビトは、約束を守る。ただ、いつもそれが凄く長いだけ」


 少女が微笑んだ。


「ヒビキが言ってる。ユウタが、皆の願いを叶えてくれるって」

「ユウタ……誰それ?」

「知らない。でも、その人がアキラを救う」


 平時は滔々と物を語る彼女の声に、喜色が滲んでいた。唖然としていた一同の顔も、島の方角を見て祈った。

 顔も知らない誰か――そのユウタに(こいねが)う。あの男を救って欲しい、彼の決断が間違いではなかったと思わせる幸福を与えて欲しい。


 その日、『篭』は壊れる。

 内部の破滅か、救済か。どちらかは判らない。


 それでも外界の人間たちは、自然と納得した。


 いま、時代に新たな暁光が差したのだと。






  ×       ×       ×




 天嚴に軍備が調った。

 カリーナはその報せを受け、火乃聿からの移動を始める。新たに舗装された軍用街道、いずれは戦無き世で旅人の通路となるそれを辿った。

 商機と見做して路肩に雑然と軒を連ねる行商の(たな)にしばしば気を取られつつ、幾分かの緊張感を保った足取りだった。

 道中の伴を担うのは、そんな様子に焦慮してしまうヴァレンである。一刻も早く天嚴で仲間と合流しなくてはならない。

 此度の戦では、ヴァレンの配置は【猟犬】総員を伴っての参戦。支部のある炭鉱町のみならず、西国では名の知れた暗殺者集団、その先代棟梁はヤミビトにすら比肩する化け物じみた手練れである。

 肩書だけでも同盟軍を震撼させる集団の統率を委任された。先代のシュゲンから棟梁の座を受け継いだ同僚からの推挙があってのこと。

 組織を抜けて冒険者、あまつさえ二年も音沙汰無しで要人の護衛に努めた身勝手を行った罪悪感で固辞するも、有無を言わさぬカリーナからの任命に押されて渋りながらも承った。

 だからこそ、本来ならば誰よりも早く前線に立って、仲間の状況の仔細を把握し、早期的な立ち回りの詮議を済ませたかった。

 この屈託を知ってか識らずか、この姫様(カリーナ)に配慮する気配はない。


 その日、二件目の惣菜屋で食事を摂っていた。

 仏頂面で煮汁を啜るヴァレンの眼前では、美味を堪能して頗る笑顔のカリーナ。この対照的な両者の様相に、付近の卓に飯を食らう者は不安の眼差しを秘して送った。

 ヴァレンとしては、苛立ち半ばに疑念が胸底から浮上していた。

 戦場で荒事に当たる訳ではないとしても、同盟軍では最重要、比する者なき重責に堪えなければならない彼女が、どうしてこうも落ち着いて歩き食いに興じられるのか。

 あの赤髭でさえ緊張で体調に乱れが見られたり、ジーデスは過労も否めないが自身に正確な仕事捌きを強いて無理をしていた。

 戦時の総督職など未経験の筈である。

 果たして、この余裕はどこから湧くのか。必勝の算段でも秘匿しているのなら兎も角、この史上でも無い大戦で、たかが一策二策が通じるとも思えない。それを悟らぬカリーナでないのも然り。

 だからこそ不可解だった。


 しかし、この店の商いは中々に度し難い。

 よもや新設されたばかりの街道で米にありつけるとは露ほどにも想像していなかった。

 カリーナは別注の白米を椀から口に掻き込んで笑む。……高位な要職の人間にある品が無い。

 普段は人心を底冷えさせる冷笑ばかりの相が綻ばせるのは、この店の成した偉業と称しても過言ではない。

 刻まれた煮大根を咀嚼し、口内に溢れる汁を一思いに飲む。冬とあって店内に鍋を囲わない卓は見受けられなかった。

 ヴァレンは彼女の自費でありがたく飯に付ける事に謝意を抱きつつ、訝らずにはいられない。


「姐さん、余裕だな」

「何がだ」

「あれ、お咎め無しか?」

「カリーナと呼べ」

「やっぱ駄目か」


 カリーナが鍋用の椀を差し出す。

 受け取ったヴァレンが、鍋から具を盛って、汁を注ぐ。双方の配分を案配して、自身が絶妙だと思える加減に留めた物を差し出す。

 待機中も童のごとく灰色の双眸を輝かせるのは、従姉ともあってユウタに似ていた。この二人は食分に差異はあれど、どちらも健啖家である。

 ユウタは兎も角、書斎に篭って執務をこなす彼女は、大量摂食で贅肉が付かないのが不可思議。


「ほんとに幸せそうに食うな」

「ああ、これで最期になるだろうからな」

「はい……?」


 その言い回しに違和感を覚える。

 ヴァレンは手を止めて、彼女を凝視した。

 一見明るい相貌の彼女に、一瞬だけ暗い翳りがあったのだ。


「どういう事で?」

「敵が重要戦力の不在な中央大陸を襲撃しないと思うか?予備戦力を警衛に就けたが、司令塔を潰すのもまた善き策。私のいる場所も安全ではない」


 ヴァレンは我ながら恥ずべき失念に絶句した。

 東国の諺に、将を射んと欲すれば、先ず馬を射よ、という言葉がある。これは、一手では届かない目的の達成には、その周辺にある問題から処理するのが捷径という意。

 戦で頭脳を担う者さえ潰せば、戦地の兵の行動力は半減し、大きな動揺の波が与えられる。戦勝の必定策の一つとして挙げられやすい一例だ。

 そう、決して安全ではない。

 隙を衝いて、神族の襲来すらあり得る。

 残念ながら、予備戦力の対応力で処しおおせる脅威ではない。カリーナは己の落命も計算の内に入れて挑まんとしていた。

 この街道で見せたのは、事前の息抜き。

 最期になるやもしれないとした彼女なりの弱さだった。


「私の見立では、既にその部隊は組織されている」

「ええ!?」

「先日、天嚴とは別に設えた要塞があったが、そこからの連絡が途絶えた。恐らく襲撃を受け、占領されただろう。そこを出城に、同盟軍の総本部を侵攻する積もり」

「そ、そんな……」

「しかも、率いるのは裏切り者。私が一番可能性として考えるのは……無名の弟子ヤヨイだな。私の推理を語りたいところだが、鍋が冷めてしまうからな」


 まさか、襲撃者の見当も付いているとは。

 裏切り者、この時期にそんな存在が発覚すれば、同盟軍の中に生まれつつある団結力が一瞬で崩れ去る。

 ヴァレンは押し黙って椀を卓上に置いた。

 自身の暗い未来を口にしながら平然と食事を続けるカリーナが、彼を訝って首を僅かに傾いだ。何事かを問うより、次の一口を催促する箸先が早い。


「なあ、姐さん」

「何だ、無礼者」

「終戦の後は、どうする?」

「……私よりも戦に長けたお前が、始まってもいない戦の後を憂慮するのか」

「考えたって、良いだろ。それを支えにしてる奴等も()()にいる」


 ヴァレンの一言に漸く手を止めた。

 彼女は腕を組んで、うんと唸る。沈思をしなければならぬほど、何も考えていなかったのか。

 その間に、ヴァレンは自分の椀を空にした。それほど、彼女は思い悩んでいた。

 暫しして、カリーナが応える。


「戦後の内憂外患を平らげた後、『先の外交』問題についても処理したら、余命のあらん限りを尽くして生を謳歌する」

「外患って、何かあります?」

「先ずは魔王体制の新改革、延いては南大陸と今後の行く末を定める条約締結」

「ああ……なるほど」

「それだけではない。仮に神族を斃せば、北大陸を管理する者がいない。まだ何があるとも判らないが、それを如何とするかも」

「『先の外交』は?」

「戦後の楽しみにしておけ」


 カリーナの韜晦に首を捻る。

 『還り廟』の話は聞き及んでいた。『先の外交』とは、“外界”との折衝についてだろう。

 既知のヴァレンに今さら秘する意図は何なのか。やはり彼女の思考は読めない。


「それ、早く終わりますかね」

「二十年あるか否かの猶予では、難しいかも知れんな」

「その間も俺は扱き使われるんですよね」

「ああ、その事についてだが」


 カリーナが悪戯気味に笑う。

 頬杖を突いて、やや卓上に身を乗り出した。

 声を潜めてでしか話せぬ内容かと思って、ヴァレンも少し顔を前に突き出す。それが面白かったのか、口許に手を当てて彼女が笑い出した。

 自分なりの気遣いが一笑に付して捨てられたと、ヴァレンは不貞腐れて椅子の背凭れに体重を預けて遠ざかる。

 抱腹するほどの可笑しさに堪え、一頻り笑った後のカリーナが眦に浮いた小さな涙の珠を指で拭った。


「無論、お前は使う」

「【猟犬】から腕の良いのを紹介しますよ」

「いいや、お前でないと話が通らん」

「何にですか……」


 カリーナは腕を組みながら鍋をみる。


「穏やかな隠居も良いが、私も旅がしてみたい」

「旅か、確かに良いもんですよ」

「私が外に出るのは、大抵が職務遠征」

「そりゃ、良い思い出がないっすね」

「だから、三年前後を要して旅行する。満足すれば屋敷に骨を埋めるかな」

「はあ。それと俺がどう関係するんで?」


 カリーナの笑みが深まる。

 良からぬ企みと思って、ヴァレンは背筋に悪寒が走った。


「その間、お前に護衛を依頼する」


 護衛とは……その間?どこからどこの?

 ヴァレンは首を捻って思索した。それは、戦後の外交などで書簡を届ける遣い手としてだろうか、それとも余生の旅などについてもか。

 まさか、命尽きるまで遣い潰す心算か!


「どういう事です?」

「私に終身雇用してみないか、という話だ」

「結婚しろって事ですか?」

「どこにそんな意味があった」

「え、違うんですか?」

「カルデラの従者として、だ」


 カリーナは興醒めしたとばかりの顔。

 それが虚飾ないので、ヴァレンも些か不満ではあったが、それよりも内容に注目する。

 恐らくその依頼を無視しても、逃してはくれない。もう考えるだけ、無駄なのだろう。


「なら結婚しましょうよ」

「何故?」

「カリーナさん、隠居すんなら一般女性としての幸福を知るべきです」

「生憎と世俗の女性の幸福は結婚一理に尽きない。その在り方は千差万別だ」

「姐さんは違う?」

「少なくとも、そう考えてない」


 カリーナに言われて、再び椀に具と汁をいれる。


「でも俺、それに付き合ってたら適齢期を逃しちまいます」

「知ったことか」

「酷ぇな!?」

「知り合いから見繕えるだろう」

「それが、最近周囲の女性が恋に色づき始めて。つまり、みんな意中の相手がいるんですよ」

「ほう、そんなことが」


 カリーナは得心して頷いた。

 確かに、ユウタを中心に各地で多くの絆が繋がった。本来ならば終生まで離れている筈の人々が絆を結び、中には互いを家族と呼び慕う者まで現れる始末。

 そこに恋愛が生じても、なるほど不思議ではない。


「お前にはいないのか」

「いないんですよね。ゼーダとは、戦後に考えようって話したから、いま思い出して」

「その相手に私を選ぶ時点で狂気の沙汰だな」

「自分で言って悲しくない?」

「無いな」

「凄ぇな、この人」


 ヴァレンは卓に突っ伏す。

 カリーナの心を動かせる者などいるのか。


「ジーデスはどうです?」

「無理だな。ヤツもセラと懇意にしている」

「片方が強引だと聞いてますが?」

「ヤツも別段嫌っていないがな」

「じゃあ時間の問題か」


 鍋の底が見え始めていた。

 ヴァレンは最後の一杯と覚悟して椀に盛る。約八割はカリーナの胃袋に直行したので、せめて張り合いがあるように多めにした。

 その細やかな意気を察して、カリーナが残りを根刮ぎ奪っていった。鍋底の澱までしっかりと掬って取る。

 空の鍋を前に、二人は最後の一杯を啜った。


「まあ、一考しておこう」

「約束ですよ?」

「お前が生きていたらな」

「じゃあ約束して下さい。生還したらいつか結婚て事で」

「蓼食う虫も好き好き、というやつか」

「悲しくない?」

「全く」

「本当に凄ぇな」


 カリーナは、自らを藜の羮とさえ言う口振り。性格の難さえ無ければ、美しい女性である。

 ヴァレンは自身を皮肉めいた口調で卑下する様子に若干の残念さを感じながら、しかし彼女らしいと笑った。

 最後の椀を空にしたカリーナが席を立つ。

 勘定を検めに来た店員に支払いを済ませ、颯爽と街道に戻る。慌てて追従するヴァレンは、その隣で街道先に見えた遠い天嚴前の小山を見据える。


「……ま、今度は仕事以外で来ましょうか」

「そうだな。次いでにゼーダの奴を加えておくか」

「あ、良いなそれ。独身勢の孤独感を慰撫する旅行、的な」

「最悪だな」

「すみません」


 カリーナの口から洩れる含み笑いに忸怩たる想いを抱きながら、ヴァレンは進路の方へと向き直る。いまは彼女の戦線まで安全に導くことを意図するのみ。

 戦後の営みについての詮議はまた後の話。


 ヴァレンはふと、足を止めた。

 街道の中央で、立ち尽くしたままでいる黒装束が佇立している。頭巾で隠した顔を俯かせており、外套で体も隠していて全身を秘匿していた。

 それでも、往来のある道の中央では邪魔なはずのそれが、誰の気にも留められず、静かに立つその不気味さが、自分達にとっての何なのかを理解させる。

 ヴァレンは鉄爪を抜き、カリーナの前に立った。


「姐さん、来てるぞ」

「奴等も存外短絡的な手段を講じたな」


 黒装束の前身頃が開かれる。

 内側から銀の剣を駆る両手が現れた。

 ヴァレンは正面のみならず、周辺一帯を鋭く見回した。カリーナはその背中に寄って、自身も警戒の眼差しを辺りに送った。


「どうだ?」

「いますね、十余りってとこです」

「すべて捌けるか?」

「護衛としちゃ恥ずかしいんですが、少しお力添え頂きたいな」

「やはり、先ほどの話は再考の余地がありそうだな」


 カリーナも懐中から特殊な意匠の鵞ペンを取り出す。二人で背中合わせに立ち、それぞれの武器を構えた。


「呼吸を合わせろ、突破する」

「了解」


 人の合間を縫って疾駆する敵意。

 それらを泰然と迎え撃つ姿勢の彼らは、背中に感じる互いの気配に笑いながら、その襲撃に立ち向かう。


 その数刻の後、カリーナとヴァレンは泥塗れになりながら、天嚴に到着した。





読んで頂き、誠に有り難うございます。


関東でも雪の可能性があるとニュースで報じられていたので、期待して窓の外を見ましたが……うん、さすが関東、うん、手強い。


雪と言えば、友人との雪合戦の際に雪玉を相手に投げようとしたら、玉を手中で握り潰してしまい、腕を振り抜くと自分の顔に振りかかった事故がありました。

その隙を衝いて、滅多撃ちされたのは言わずもがな。

雪が降って、奇跡的に積雪があったらリベンジしようと思ってたのに……。

何歳になっても、雪って良いですよね。


あれ、珍しくオチができた。


次回も宜しくお願い致します。



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