信じて託された印
プロローグ形式となっているので、通常の三分の一となっています、ご容赦下さい。
いつも、それは隣にいた。
戦を忘れて、安寧が数年と続いた生活。
晩年に、これから人類の鋒を担う弟子を育てる使命感と、宿命も責務も忘れて耽溺したいと願う本能が葛藤する。
神樹の森に小屋を建て、我が子同然に育てる弟子の名はユウタ。
育成した一番弟子すら計略の為に排斥し、愛する人の最期にすら間に合わぬのを悟っていながらも“舞台設定”に勤しんだ。そんな機械的な存在である自分を、唯一人間として繋ぎ留めてくれる太陽でもあった。
ユウタの熱心に追従する姿、微笑んだ顔、小さな体から感じる体温が、如何に罪深く、そしてこの子を守らねばならない必要性を痛感させる。
幼い心は穢れを知らず、純心で憧憬する。
その対象となったとき、苛まれた苦辛は筆舌に尽くし難かった。共感してくれる者はいない、ただ包み匿すことに必死だった。
それを――“隣人”は責める。
いつからか、隣に視えている人影。
若かりし頃から寄り添うそれは、自身の生き写しの如く酷似しているが、眼差しは自分が経験してきた以上の悲劇を視た慟哭を秘めている。
苦楽を共有する事はなく、こちらの為すこと全般を批難した。一時は自身の行いを顧みて後悔した己が心の作り出す幻影かに思えたこともある。
しかし、姿形は似ようとも、内包するモノは全く以て異質だった。
何者なのかは知っている。
本人に訊ねたこともない、訊ねる意思すら懐かなかった。疎んで遠ざけんとした時期もあったし、自然と踏み込まぬことを己に課したのは本能的である。
理論の埒外にある事情。
知らない筈なのに、我が身の経てきた道と思える。前世などと簡潔に集約の能う関係性ではない、彼と自分の中に繋がる特別な因果を、自発的に認知していた。
『弟子を殺した貴様に、師事される資格はない』
「確かに。それでも、わしには出来ない――君の様な生き方は」
屋外では剣の素振りをする弟子の姿。
戸口に立って、隣人と共に眺めていた。熱意の火を一切絶やさず、師承された型を更に追究していく剣筋は、ますます最適な角度と速度を更新していく。
風切りの音も、今や無音にも近い。剣を摑む腕に込められていた余分な力も抜けて、少しずつ己が完成形へと確実に進んでいた。
その鍛練に微塵も無為はなく、血の一滴まで戦術を叩き込むが如く、弟子は剣筋を何度も確かめては直ぐに改善点を発見しては即座に実行へと移す。
隣人は、愚直に剣を振って邁進する少年の姿に目を眇めた。
『俺はヒビキに寄り添おうとした。その結末が現状なら、突き放した貴様が正解なのかもしれない』
「正誤は判らない。寧ろ、将来的に他人へ厳酷な役目を強要してしまうわしの生き方も、過ちといえば否めない」
自分にだけ聞こえる声に、弟子に聞き咎められる事も厭わず応える。不意に吹き抜けた一迅の風が音を掻き消したのは偶然的な救済か、無意識に慴れて氣術で行った隠蔽か。
果たして、弟子には聞こえなかったらしく、虚空に奔る紫電は鋭さを弥増すばかり。純粋な琥珀色の瞳は、刃先の動きにのみ注意している。
隣人は依然険相のまま、戸口を離れて弟子の方へと近寄る。正面に立ち、自身に向かって放たれる剣閃を視線で追っていた。
弟子には視認不能である歪な存在。
隣人はその特性を利して、堂々と構えていた。ただその眼光は剣先ばかりではなく、弟子の中にあるモノも見透かす様に広く物事を捉える性質を孕んでいた。
やがて中身の検分を終えたのか、隣人は再びこちらへと戻って来る。
『あれは、俺と貴様の……悪質な部分のみを継承している』
「如何だろうか」
『可及的速やかに、矯正した方が身の為だ』
悪質な部分とは――?
目的の成就の為なら、過程を問わず愛する者すら顧みずに猛進し、犠牲が生じても結果が当初の形に反しないならば是とする。
無謀と弁えながら、相手取るには不遜な敵との対峙も厭わない。頑固にも手放さず、後の破滅を招こうとも咫子の間にも等しい幸福の維持に生を費やす。
仮にそれらを受け継いでいるのなら、危険極まりない。処理できない数多の矛盾を抱え、それでも止まらない愚者の極致。
弟子の末路は、本当に計画通りに運ぶのか。
隣人の忠告が正しければ、予想だにしない結果へと繋がる。
「わしらとは、きっと違う道を歩む」
『その確信は、何を根拠にしている?辿らせる道筋の危険を説かずして、未だ師を自称するなら滑稽だ』
「嘲られようとも、わしはあの子の導き出す一縷の可能性に懸ける。それがきっと幸福であると、その礎になった君やわしにすら報いるモノを与えてくれると」
『……ガキに任せて、自分は身を退く気か』
「寧ろ、わしが邪魔になる。弊害になることこそ師としての本分に違反するだろう」
隣人は黙り込み、弟子から目を逸らした。
屋内の薄闇へと近付いていくと、その輪郭が朧気になって、遂には霧散して消える。これ以上の言葉を無意味だと感じたのではなく、その背中からは自分と同じ期待が宿っているように見えた。
剣を執る者は往々にして尋常な末路を辿らない。
滅びを誉れとする者を除き、流血と悲劇は必至。誰かを守ろうとするだけ、悪意の跋扈する周囲は猖蹶を極める。
誰かを憎悪する機が多くなり、退ける手先は守るよりも殺意ばかりが先立つ。気付いた時には、果たして自分は人間か獣かさえ定かではない境界に在る。
その理すら、ユウタは超越するモノを有していた。
誰よりも優しく、如何なる難事にも折れぬ屈強な剣となる。
「師匠、どうかしました?」
「……いや、何でもない。ユウタ、昼餉にしよう」
「はい!」
駆け寄って来る希望に屈み込んで、視線の高さを合わせる。困惑する幼い相貌に、そっと手を添えた。
これから経験していく戦乱で濁っていくのだと想像すると、役目すら投げ棄てたくなる。それでも、彼自身の宿命がそれを許さない。
既にこの師弟関係を始めた瞬間から、その道行きは決定していた。
氣術で周囲から音を消し去る。
ユウタの耳にも音が届かぬようにし、その目を手で杜いでやった。
『本当に背負わせる気か』
「神はこの子を野放しにはしないだろう。矛剴も、『イセージン』も、伊邪那美も」
『……誰も“別天津神”からは逃れられない。たとえヒビキが居なくとも、別の誰かがそうなる。高天原が消滅する前に、必ずそれは誕生する』
「それでも、ユウタは折れないだろう」
『無駄な足掻きになる』
「無類の頑固さを誇る君が、諦念とはおかしいな」
『………………』
「別に良い。わしがこの子を信じる」
弟子の目を閉ざした掌が赤く微光する。
自分の背から腕へ、血管を蠕動させながら移動する力の奔流を感じながら、後悔が胸の内で生まれる前に事を済ませるべく作業を進めた。
「《我が愛しき未来よ、アキラの名を以て、其方を第二の“黒”とする》」
背から腕に向かい、そして手背から掌へと、皮膚を滑り抜けて黒印の一部が移動する。紋様さながらに蛇となって、触れる別の体へと住処を変えた。
氣術を解除すると、今まで制止されていた音が蘇る。
触れていた手を引き戻すと、ユウタが小首を傾げていた。顔面の皮膚に巡る痛覚を限定的に遮断させたため、何をされたかさえも把握していないだろう。
手で蔽っていた目許には、縁取るように『隈』があった。
『何をした』
「拒絶反応が起きると危険だ。仙術で存在自体を分解、再構築する際にわしの黒印の一部を組み込んだだけのこと」
『……流石だ。“ヒビキ”が作った機械なだけはある』
「……そうだな。だがこの子は違う」
ユウタを抱き締めて抱え上げた。
「誰かを守る度に傷付いた君とは違う道を征くだろう。何より、先を諦めた君の予想を裏切る。
だから、ユウタ――」
愛する我が子を面前に掲げた。
途方に暮れた幼い顔は、正視に堪えぬ眩さ。
いつか、その光で宿願を果たした未来を照らしてくれるなら、隣人も、自分も報われる。
だからこそ――。
「どうか、“彼”のようにはならないでくれ」
読んで頂き、誠に有り難うございます。
何気ない『隈』移植の謎解禁でした。
来週から現実での予定が忙しくなりそうです。
第一幕を年中に終わらせ、第二幕の始まり辺りには触れたいですね。
更新はなるべく早くなるよう頑張ります。
因みに、外伝を始めました。
『外典-Ruined dark knights-』
( https://ncode.syosetu.com/n1209fw/ )
暇潰しに覗いて頂ける程度でも嬉しいです(こちらの更新は、本作より遅くなります)。
次回も宜しくお願い致します。




