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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
第一幕:進み出す烽火
283/302

暁光の裔たち

更新遅れてすみません!


どうぞ!



 星のない夜空の下で鈴の音がする。

 緩やかな丘陵は、隙間無く虹色の花が咲き乱れていた。一迅の風が吹けば、花吹雪が景色全体を包んでしまうほど(はげ)しく散り、一瞬の後には再び足下を新たな葩で充たす。

 夜闇に人が縋る光明の月は、中天にて中心が穿たれ、上弦と下弦に分かたれていた。

 それでも変わらず楚々(そそ)と地上を照らすこの光は、果たして真に月光か。

 真贋を問う者はおらず、悉皆はこの花畑に埋もれて安らかに眠る者たちとなった。

 生命が途絶えて閑散とした世界を慰撫(いぶ)するかの如く、花は自ら虹色の光を放って地上を彩る。

 上下から照らす歪な赫耀がどれほど強く輝こうとも、夜の闇を払拭するにまでは至らない。

 ただ、月なる者は地上にて帰りを待つ。


 夜空の下で花の丘陵に黒衣の男と、濡れ羽色の両翼を背にした(カラス)の男が立つ。

 前者は遠景にまで続く絢爛たる花の色彩と、隙間に窺える腐食しない遺体の数々を見回した。

 先を行く烏が足で花の海を掻き分けると、その度に花たちが遊環に似た音を立てる。

 黒衣の男は足下に眠る一人のそばに屈み込んだ。

 血が通ってすらいるとさえ思える色の頬を、黒い手套で優しく綏撫した。懐かしむように、愛おしげに手を滑らせる。

 けれども男の表情は冴えない、相手を悼む哀感を湛えていた。平生は僅かな感情の機微も見せぬ顔貌に灯る情の火。

 返答はない、死んでいると承知している。

 それでも掌に伝わる温かさは生者だと誤認させる、不朽の肉体が胸中を穿つ虚無感を与えた。

 烏は両翼を広げながら近付く。


「どうだ、およそ三年振りに会う恋人の骸は」

「……皆が、こうなのか」


 男の問に首肯も否定もせず、ただ返答の代わりに辺りを眺め回す。地に臥しながら、誰一人も声を上げず、昏昏と眠る様子は語らずも事実を告げていた。

 風が吹いて花吹雪に一時だけ姿が隠れる。

 男は烏の目を免れたその間に、恋人だった相手の体を掻き抱く。額と額を合わせ、祈るように瞑目した。

 花吹雪が途絶えて、烏は二人が身を寄せる姿に複雑な感情を相貌に滲ませる。


「貴様が『下界』に追放されてから、ずっとここは静かだ」

「……お前は、どうして」

「私は、予備だ。仮にもし、貴様が帰還したら、その案内人を務めよと生かされた」

「俺が還るのを、あいつは予知していたのか」


 烏は緩やかに首肯する。

 男は遺体をよこたえて、再び立ち上がった。

 丘陵を上がっていく先には木々が立ち塞がり、花に照らされた林間の奥までは窺えないが、向こう側の上空には夥しい魂が形成する渦が見えた。

 まだ辿り着いてすらいない先。

 それでも、男には何が起きて、そこに何がいるかを熟知している。


「“別天津神(彼女)”は諦め気味に、来るだろうと」

「…………」

「貴様は、そういう男だからな。その頑固一徹で世界を滅ぼした」

「…………」

「彼女を利して世界を根底から崩そうと画策した道化師(バカ)もだが、貴様も大概だ」

「…………」

「あれだけの忠告を受けながら――あれだけの惨劇に遭いながら――何を夢見た?」


 烏から滔々と叱責を受ける。

 その声に、これまでの旅路が脳裏で蘇った。

 顧みることも忌避した足跡が鮮明に浮かび上がる。その中枢では、左右で異色に変じた瞳を潤ませて、別れを告げる家族がいた。

 夢見て追い求めた理想とは、大きくかけ離れて己と他者の血潮に染まる難路。過程に芽吹いた友情も、初恋も、すべてが塵と帰した。

 何者にも安寧を許されなかった。

 ただ口を揃えて皆が一言――家族を殺せ、と。


 選択の余地を与えられなかった。

 いくら反逆しようとも万事が神の意向へと従う流れに委ねられ、最後の足掻きが曾てない災厄を招いた。正誤の判断を付けるなら、紛う事なき過ちであるに違いない。

 守りたかった者の死を強要され、守り徹すことも叶わず、すべて失ってしまった。

 擲ったモノは数知れず、けれど得られたモノは何一つとしてない。


 何の為に(はし)ったか、成就させる願望は唯一つと最初から決定していたにも拘わらず、邪な底意や悪辣な陥穽を仕込んだ者ばかりが目的を完遂する。

 その苦境を脱せぬまま、否、その苦境を共にする家族を救えぬままに事は最悪の収束を迎えた。


「貴様は『下界』で仲間を得たようだが」

「…………」

「また失ったな」

「…………もう、終わりにしよう」


 無窮の夜空に砕かれた月、その直下に渦巻く魂の群の方へと再発進する。


 決然と進み出した男の背中に烏は追従した。

 あの中心地に辿り着けば、これまでの因果に決着が付けられる。

 案内人として冥界となった故郷の惨憺たる一様を虚心で眺め続けた日々も、ひた隠してはいるが彼の帰還を心待ちにした少女の孤独も。


 男と烏の背後で、潮騒の如き音の波が押し寄せる。静寂だった天下に充ちる騒音に、喫驚して振り返った。

 身構える両名、或いはそれよりも向こう側にある魂の渦を目指して、花畠の燐光を踏み躙り、圧倒する人影が躍動する。

 その数は一隊に留まらず、一軍に匹濤する物量。

 男を庇うように前へ出て烏が手に携えた棍棒を振り翳した。艶のある羽毛が逆立ち、周囲の空気を震動させんばかりの怒気を発散する。

 一驚する彼に、烏は広げた翼で胸面を叩きて突き飛ばす。


 花畠を蹂躙する怒濤の先頭が立ち止まる。

 圧倒的物量を擁する軍隊は、前景に佇む両名に向かって戦力差の余裕に昂然と胸を張る。


「そこまでだ、ヤミビト。貴様が何を意図するかは我々も察せぬ処だが、概ね妨害だとは判る」


 強引に決め付けた軍隊の一人。

 その一声に眉間の皺をいっそう険しくした烏は、後ろに控える男へと問う。


「知り合いか?」

「侵略者たちだ、あいつを狙っている」

「そうか、なれば我が務めなり」

「お前でもあの物量は処し遂せない」

「何を今更、案内(あない)の任を果たした時点で望んでも先は無い」


 翼を一度羽ばたかせる。

 強風が吹き荒れ、男を押した。


「――行け。妹が貴様を待っている!」


 肩越しに放たれた烏の叱咤へ応答するか逡巡した後に肯いた。

 黒い翼に背を向けて、立ち塞がる林間へ向けて飛び込む。

 程なくして鬨の声、それを劈く烏の鳴き声、金属の衝突音、轟く火薬の炸裂、一撃された者の断末魔の悲鳴。

 静謐の花畠の景観が、一瞬にして野蛮な戦端へと変貌した。濡れることのなかった鮮血に塗れ、死屍の累々と堆積する彼岸へと堕ちる。

 烏の身には抱えきれぬ戦意の束に、樹間を疾走する男はその結末を達観していた。再度(にど)と会う事は無い。

 またしても、自分の為に一人死ぬ。

 最後の犠牲と嘯きながら、また不要な屍を積み重ねてしまった。感傷に浸る暇も残されていない、為すべき事を成す、正にそうだった。


 森を駆け抜けて、近付くに連れて次第に体に奇妙な圧力がかかる。全体ではなく、体の芯だけを的確に圧迫する力の波動だった。

 それを受けて、脳裏に懐かしい影が浮かんだ。

 再会はすぐ目前、もう立ち止まるには遅い距離、選択肢は一つであり惑うことはない。


 “どうして、戻って来たの?”


 ――お前が独りになろうとしていたから。


 ”どうして、自由を放棄するの?“


 ――あれが自由というなら、俺は要らない。


 ”どうして……まだ、愛してくれるの?“


 心に語りかける美声。

 三年前まで聞き馴染んでいた声だが、まるで遥か昔の記憶から蘇ったかのように懐かしい。脳裏に浮かんでいた影が、より明瞭な輪郭を帯びる。

 今にも眼前に姿を現出させるようで、それでも男は油断無く足を止めない。


 (ひら)けた場所に躍り出る。

 疾駆していた体の勢いを、華麗に体を捌いて音も無く急停止をきめた。黒衣の裾とともに葩が煽られて舞う。

 振り仰げば、頭上の夜空を自由に飛行する流星の如き魂たち。それらが群を成し、旋回して大きな渦を成し、渦中に在る者の存在を照らす。

 そこには、中空に佇む少女がいた。

 身の丈よりも長く、毛先まで淡く微光する銀髪を渦の作る風に靡かせて、無感情に足下に広がる花畠を真紅の双眸で見下ろす。

 この世界で唯一、完全な(かたち)を保つ者。

 彼女こそ本物の月とさえ思えるほど美々しい完全体だった。

 彼女の直下へと緩やかに上っていく傾斜を、鈴の音を鳴らしながら進む。


 彼が進んでいく様に、少女も地面へとゆっくり降下した。それに伴って魂たちが花畠の上を忙しなく滑空する。

 そのまま丘陵の頂に立った。

 直近まで寄った男は、いつしか手中に出現させた長槍を地面に突き立てる。空手となった両の腕を広げ、少女を包み込んだ。


「ヒビキ」

『……兄様は、わたしを独りにしない』

「そうだ」

「兄様を、こんなにも不幸にしても」

「ああ」

『………………わかった』


 二人の足元から、周囲の景色を塗り潰すほどの光が溢れる。

 驚いて離れた男は、急いで長槍を手にしようとするが、光によってすべてが呑み込まれる。伸ばした手は虚空を摑んだ。

 突然の現象に振り返ると、穏やかに微笑する少女が消える寸前だった。


「何をする積もりだ」

『もう一度、わたしの勝手を許して』

「待て、今度こそ俺はおまえと……!」

『始める。兄様とわたしの自由を手にする為の』


 足元から消えていく己の様子に瞠目する。

 少女が消えた後、間も無く男の意識も潰えたが、それでも不思議と少女の声だけが響いていた。


『――わたし達の神亡曲を』


 再び意識が覚醒する。

 星々がまたたく夜空の中に浮かんでいた。後ろには、自分のいた世界がある。それだけでここが凄まじい高度にあることを了解した。

 下では、ある一点を中心に拡散する青白い光に全体が包まれつつある。

 男は変遷する世界に唖然としながらも、自身が空に漂いながら仰ぐ前の先に、それを見つけた。

 いままで見たことのない。


 ――美しい、青と緑の混在する別の世界を。




  ×       ×       ×




 氷原を縦断する街道は導くように北へ。

 新造された軍備に用途を置く新街道とは対照的に、路傍に棄てられた屋台が建ち並ぶ人気失せて久しい。獣の足すら途絶えて、路上の積雪はひたすらに白い床面を何処までも延ばしていく。

 風が吹けば、氷霧のなかを舞う氷砂の一粒ずつが陽に照らされ、無造作に(ちりば)められた星となった。


 雪景色を切り裂きながら進む黒装束。袷と袴が寒風に殴られて肌に貼り付く。冷たさを覚えても表情の色は変えない。

 ユウタは時折、己の足跡を顧みて追手の気配を探りながら進路を選択した。

 (けだもの)のような感覚を持つ彼は、常に産毛の一本までも鋭い探針に変えて警戒する。寒冷な冬とて、その研ぎ澄まされた神経は幽かな変化さえ看過しない。

 ときおり刻まれていく己の足跡を顧みる。

 もはや呼吸も同然に行える氣術で足音を消してはいるが、辿った道の痕跡までは消せない。敵勢からは相手の所在を知らせる必見の徴憑である。

 ここで敵と称するのは、北大陸(リメンタル)の手勢に他ならない。

 如何に泰然自若と迎撃の姿勢で構え、去年の騒乱に介入しなかったといえど、潜伏させている間者の存在はいる。

 先方にて進路に屹立する山々の稜線は、平生よりも雪に覆われて幾分か豊かに膨らみ、より厳かな姿勢を以て対する。

 雪山の偉容が孕むのは、自然の持つ危険ばかりではなく、天険を利して構える悪意の牙。山地を避けて通過するのは難しく、仮に罠が設えられているならば甘んじて受け容れる以外ない。

 山を越えていける体力はある、しかし伏兵の数によっては、途中で断念するほどの大きい消耗が予想される。

 果たして、夜を待つべきか。


 ユウタの単騎行動は、本来ならばカリーナから厳しい制止を受ける筈だった。

 矛剴の里の件も、解放軍との戦線に飛び込んだ暴挙についても、後日冷たい言葉と罰責を受けたのである。

 しかし、今回は許可が下っていた。

 理由としては、神族が注視するのは『計画』の柱であるユウタの活動である。最高位の種族である自負が相手を危険視することを許さない、その矜持などに背いてでも眼中に入れてしまうのだ。

 先代のアキラという破格の存在が育てた弟子、という要素と急激な成長が敵意の的にならない道理はなかった。

 だからこそ、カリーナは本隊から離れて彼に隠密行動を取らせ、敵の裏を掻く策を採った。

 大軍を囮にして本命を忍ばせる戦法の定石ではあるが有効なのだ。ヤミビトの性質を利用すれば、如何に留意していようとも大軍との衝突で一時は忘れ、その僅かな隙に姿を晦ませられる。

 最強の矛こそ敵から秘匿し、ここぞという間合いに敵の命を捉えた好機で放つ。

 それがカリーナの作戦だった。

 だからといって、すべてが自由ではない。

 最低限でも本隊との連絡を可能にすべく、同伴者が彼女の裁量で付けられた。足手纏いにならず隠密という主旨に添う人材である。

 ユウタは漠然と、ゼーダかサミ、或いは上連などを想像していた。気配を消して動く上で、彼らを伴うほど心強いことはない。


 山麓部に広がる森林へと差し掛かる。

 見上げれば葉の一枚いちまいに重く乗った雪が落ちそうだった。先の樹間ではいま正に重圧に耐えられなくなった梢が折れて、落下した雪塊が降り積もる。

 行く手で上がった雪煙に、山道は上からの落下物にも気を配らねばならない状況だと改めて了解した。あわよくば潜伏する敵の頭上に落ちやしないかと考えながら進む。

 同伴者がいつ合流するかの時機は知らされていない。

 互いに把握していない状況が、敵味方問わず撹乱し、間者の目を誤魔化せる。その工夫の一つではあるが、伏兵の可能性が高いこの森で合流しても味方と証明するのに手間だとユウタは感じた。

 一目で判る仲でも、偽装の巧い敵だと勘繰ってしまう剣呑な環境。示し合わせの暗号、約束の文句だってない現状、何を(しるし)に仲間を区別すれば善いか。


 ユウタは不意に足を止め、直近に立つ木の樹幹に身を隠した。右手に摑んだ紫檀の杖を一旋させて、他方向にも警戒しながら覗き込む。

 進行方向に人影を見咎めた、こちらを見るなり急いで身を隠す素振りを見せた。

 刺客にしては些か迂闊な立ち回り、遮蔽物の多い地勢を活かさず、既に油断して姿を晒した失態は隠密の技量の程度が知れる。

 意図せず虚を衝いたのかもしれないが、原因が何であろうと姿を捕捉できたのは幸い。

 氣術でより正確な位置を探索し――そこでユウタははたと止まった。

 相手から発せられる氣の波長に憶えがあった。

 手練の氣術師ならば個人によって異なる波長の性質を心得ており、記憶すれば即座に何者かを判じられる。これは、如何に巧緻な偽装であっても正体を看破する。

 ユウタが感じた気配は、慣れ親しんだもの。

 木陰から出て、そちらへと向かった。

 伏兵と思われた人影もユウタに気付いて、木陰から胸を撫で下ろしながら出る。


「おい、何やってるんだ」

「声かけなさいよ。思わず隠れたじゃない」


 ユウタの声に応じたのは相棒(ムスビ)だった。

 頭頂に立つ黒い獣の耳は、本人の焦燥の心情を示すように忙しなく動いている。一房だけ黒の混じった白髪は、襟足で二つに結わえた後ろ髪に至るまで針葉樹の葉が付いていた。

 やや熱を帯びた白く肌理の細かい肌をやや上気させ、琥珀色の瞳が批判の視線を飛ばす。

 面前に迫る美貌にも、ユウタは同様の視線を返して一蹴した。

 隠密という建前上、あまり目立たぬ人物が好ましい配役にも拘わらず、対照的にも程がある人物が宛がわれている。

 カリーナの判断に誤りは無い、何かの底意があってと推察するが、ユウタとしては同伴者として慮外の人物に甚だ呆れと困惑を抱くしかなかった。

 黒のチューブトップに白い上着(パーカー)を羽織っただけの風体、胴着を着込んで防寒対策をしている。解放軍との戦線では下衣同然で立っていたとの話を耳にしたユウタだが、彼女は年末から急激に寒気への耐性が無くなるのを知っていた。

 種族中でも魔術師を継承するのは狼の獣人族。寧ろ夏こそ弱い筈だが、彼女の体質は逆転する。旅の中でそこに生じる問題の面倒を見たユウタとしては知悉したことだった。

 しかし、意外だったのは裾が護謨で絞られた脚衣(ズボン)は、生肌の臑を半ばまで外気に曝している事である。厚い靴底は雪との接触を拒んでかと考えると、上下の外観にしても些か矛盾した装備だった。


「……寒くないの?」

「脚は何か大丈夫なの。ていうか、戦闘とかで動けば存外あたし寒くなくなるし」

「絶対途中で体を壊すだろう」

「あんたに言われたくないわよ。何で素肌に袷の一着で済むわけ?袴の下だって褌一丁でしょ」

「女性にそんな指摘を受けたのは初めてだ」

「代弁してるのよ、あたしの一声は世の女の総意よ」

「それはそれは、君に過分な役で」

「蹴るわよ」


 太股を蹴られた。

 痛みに堪えながら、ユウタは未だに人選に納得していない。

 カリーナの深遠な心算を看破する頭脳は持ち合わせていないが、これが隠密ではないという事に勘づき始めている。ムスビの存在が、明らかな証明だった。

 敵意の的にしかならない代表格二名を同現場に揃えて行動させるのは、どうあっても不利が働く。敵の戦力が集中して押し寄せ、殲滅戦を仕掛ける。


 黙考するユウタの前で、ムスビはそれを可笑しそうに見ていた。

 訝った彼が面を上げると、尚更その相貌の笑みを深める。


「どうかした?」

「あんたと二人って、懐かしいわよね」

「……ああ、確かに」


 ユウタは面食らって声が上擦った。

 【太陽】が組織されるより前までは二人で動いていた。尤も、あの時期からユウタは西国政府の指示で異端者を狩る仕事に明け暮れていた所為もあって、更に昔の事に感じる。

 まだ駆け出しの頃、奇遇にも利害の一致から炭鉱町を発ち、苦楽を共にした日々があった。

 その日から想像すれば、彼女の外見は大きな変化が見受けられる。


「君とも出会って、もう二年か」

「あたしも驚いたわよ。あんた毎回死にそうだから、ここまで()つなんて考えもしなかった」

「どういう事だ、それ?寧ろ君の方が毎回死に体だろ」

「あたしは自分の特性を活かした戦いだからそうなるだけ。比較しないでくれる?」


 あたしの特性――その言葉にユウタは眉を顰める。知らず識らずの内に、脇に垂れていた左の空の手を強く握り締めていた。

 彼女は前回の戦闘でガフマンと共闘し、過去最強と謳われた冒険者と交戦したのである。辛くも勝利に終えた顛末は、それでも後々聞いたユウタには懸念を残す内容だった。

 組成不能という危殆に瀕した状態から、ガフマンすら倒れた後に覚醒したと思しきムスビの反撃が相手を斃す。

 ユウタは直接現場に居合わせたガフマンに訊ねたが、彼すらも解らないと応える始末。

 『番人』の言葉に従うならば、彼女の中で()()が目覚めている段階にあるのかもしれない。

 魔術師の魂は人格や記憶、感情は各代で一個人なれど、(カタチ)は変わらない。貪欲で妄執に囚われた破壊の怪物である。

 北大陸追放前に、わざわざ決闘で伊耶那岐が殺害をヤミビトに命じるほどの危険性。

 その魂の容を継承しているのなら、ムスビはいずれ計画の弊害となる。今や『還り廟』の破壊は人類の総意であり、さらに自由を求めたアキラとヒビキを礎にしているとなれば退路無き道であった。

 もし、彼女の中のモノが覚醒すれば、その時は殺さねばならない。


「なによ、気難しそうな顔して」

「え、あ、いや」

「もしかして、あたしと一緒が厭とかいう禁忌を口にするんじゃないでしょうね?」

「誰だよ、そんなの決めた奴」

「チームじゃ、あたしが頭目でしょ。あたしがルールなの」

「二人組で頭目も何もあるか。それに君が手綱を握ると碌な事がない」


 キスリートの一件の後、漸く得た休日に二人で臨んだ迷宮探索でも、ガフマンに感化されたのか危険な方向へと推進する彼女によって招かれた災厄は多かった。

 その後も彼女の指示で従った先でも、余計な問題(トラブル)に遭遇した数もまた夥しい。こればかりは己の性だけに要因は無いと感じる出来事ばかりだった。


「本当に君に隠密なんて出来るのか」

「は?隠密?何言ってるのよ」

「え?」


 胸を張って任せろ、その反応を予想していたユウタに対し、彼女は逆に困惑顔だった。

 胸の内で(つっか)えていた疑問が腑に落ちたような気がする。


「君は、カリーナ様に何を言われて来たんだ?」

「何って、そんなの――」


 嫌な予感にユウタの額に冷や汗が滲む。

 薄々正体を捉みつつある危機感に悪寒が背筋を駆け上がる。

 朗らかな笑顔で、ムスビは言葉を紡いだ。


「あたしとあんたで大暴れして、奴等を惹き付けるんでしょ?」

「ああ……そうだと思ったよ」


 ユウタは落胆し――その直後、ムスビの襟首を摑んで木陰に飛び込んだ。

 突然の行いに驚くムスビの側の地面に、次々と槍が突き立つ。乾いた木々を打ち、梢を斬り落としていく。

 身を潜めた樹木を槍が貫通する未来を予知して、ユウタは限定した方向に斥力を放つ。発生した力の運動に雪が()り上がり、周囲で飛散していた木っ端もが高速で何処かへと飛んでいく。凶刃を弾丸とした空襲は、ユウタ達を貫く手前で急停止し、逆方向へと以前よりも高速で遡行する。

 全弾を斥けたユウタは、頭上の空を仰いだ。

 雲の切れ間から、黒い鳥影が続々と出現する。数を増していく軍勢に、嘆息を禁じ得なかった。


八咫烏(ヤタガラス)だ」

「姑息な奴等ね。あんたの間合いを知ってて、あの高度から仕掛けるなんて」

「君の部下じゃなかったかな?」

「要らないって()ったから拗ねてんのよ」

「成る程、逆怨みか。じゃあ、君だけで処理は頼むよ」

「良いけど、今度はあんたの背中に槍が突き立つわよ。……八咫烏って怖いわ」

「いや、最後のは明らかに君だろ」


 先頭を飛行していた鳥影が急降下する。

 ムスビが彼らに向けて手を払う仕草の後に、前景を蔽い尽くすかの如き火炎の矢が発生した。精緻に統御された魔力が、空中で静止させたまま熱気をより熱く滾らせる。

 ユウタはその背後で、杖の柄にかけた右手を後ろに引いていく。握り締めていた左を後ろ手に回し、杖の中程を摑んだ。

 ムスビは獰猛な笑みを浮かべ、一足前へ出した踏み込みと同時に、拳固で前の虚空を突く。


「食らいなさい――《狂炎の放擲(フレイム・ガトリング)》!!」


 発射された火炎たちは、正面から退こうとした鳥影を次々と燃し墜とす。それは熱反応という現象に威力を留めておらず、射止めた肉体を貫き、木々などの障害物をも突破してなお威勢を失わない。

 命中した八咫烏は、内外問わず肉を()く猛火に、苦悶もなく刹那の断末魔を経て焼尽する。木々にも命中するが、僅かな時間で灰塵となってしまうため、延焼することもなかった。

 あたかも対象を破壊する炎。

 獰悪な烈火が荒れ狂い、回避する烏すら猛追して食い尽くした。


 必殺の凶弾を際限なく発砲するムスビ。

 その背面からは、滑翔した烏が巧みに体を左右に煽りながら、樹間をすり抜けて接近する。手にした黒刀を、抜き身のまま前に突き付けていた。

 狙うは少女の背筋に一刺。

 しかし、その前に黒衣の少年が立つ。

 後ろで手を組んだまま、超然と背筋を伸ばして直立している。彼女を庇い立っている積もりかもしれないが、無防備に変わり無い。

 烏は翼を畳み、彼ごと貫かん勢いで加速した。

 接敵の直前、少年が駆け出す。

 自ら黒刀の鋒に飛び込むかの如く、やや前傾になって足を前に進める。自殺の沙汰にしては、その相は殺意や絶望もない静穏であった。

 引かれ合う少年の体と黒刀の尖端。

 烏は血飛沫を覚悟して目を眇めた。


 刃と衝突する転瞬。

 ユウタは小さく上体を左に煽りながら背に匿していた仕込み杖を抜刀した。

 黒刀は仕込みを抜いた腕を貫くことなく、脇を通過した。擦れ違う寸陰に、烏の手元に()ぎ澄まされた銀の光が閃く。

 血飛沫が乾いた樹幹に染みる。

 ムスビの足下に、腕と頚を捨てた烏の亡骸が猛然と転がり込む。雪上にて血達磨になったそれを中心に、雪は赤く溶けていく。

 一驚したムスビが悲鳴を上げる。


「ちょッ、吃驚するからやめなさいよ!?」

「散々燃やしてる人間が何を言うんだ」


 次に襲い来る烏の首を刎ねる。

 横合いから急下降とともに突貫する第三の烏に対し、そちらへ低く体を巡らせ、血払いを済ませた仕込みを納刀した。

 轟然と肉薄する烏の突撃を躱した瞬刻の後、音もなく仕込みが唸る。

 胴を撫で斬りにされた烏の遺骸が、盛大な衝突音を立てて樹幹と熱烈な邂逅を果たし、翼を広げて根本に草臥れる。

 ユウタは後ろへと飛び退り、ムスビの背に己のそれを付けた。


「僕らが同盟軍の殿か」

「突入までに時間があるから、あたし達で惹き付けるって手筈よ」

「くっ……僕にだけ伝わって無いのか……!」


 脳裏に意地悪なカリーナの顔が浮かぶ。

 ユウタは短く息を吐いて、背中に感じる奇妙な安心感に微笑む。


「まあ、そうだよな」

「どうしたのよ?」

「やっぱり、背中を任せられるのは君だなって」

「……ふふ、当然でしょっ!」


 雪崩も斯くやという勢力で迫る烏に、二人は毅然として対した。



  ×       ×       ×





「暁月の少女は、君の死で世界を救う積もりだよ」


 火乃聿天守閣の擁する霊園で、赤袴の少女が囁いた。

 正対するジンナは、静かな憤怒を湛えて睨め付けていたが、やがて背を向けて歩み出す。視線を感じても、振り返る心積もりはない。

 苛立ちの滲む荒々しい歩調で土を蹴る。

 くすくすと鳴く少女の笑声。

 それが遠ざかってくると、漸う落ち着きを取り戻した。

 墓参りに訪れた先で出会った『イセージン』を名告る人物の、理解した上で死者を侮辱した行為もだが、その後に彼女が告げた言葉の数々がジンナを怒らせる。旧友を弄ばれた時と似た感覚を催していた。

 冷静になるよう自分に言い聞かせる。


「ジンナ、大丈夫?」

「……うん」


 天守閣の城門へと向かう道の途上、いつの間にか目前にスズネが立っていた。

 黄金の双眸が思案げに揺れている。

 既に旅支度のような服装で立つ彼女に、ジンナは自然と顔が綻んだ。


「わっせは大丈夫。――行こっか、スズネ、ユウブ」

「うん」

『おうよ』


 内と外から、頼もしい仲間の返答。

 そう、大丈夫。

 たとえ死んだとしても、それが後悔がないのなら。死因までも、誰かの意に操られてなるものか。

 最後まで己の信念(いし)を貫く。

 その先でなら、きっと自分が望んだ未来が――仲間の笑顔がある筈だから。


 驍名(ぎょうめい)を轟かせた少女は、そう決意して左拳を握る。




 一方、火乃聿の城下町。

 ある一軒の戸口で、半袖の黒外套を着た男もまた旅立とうとしていた。

 灰色がかった黒髪と、火傷の目立つ青年。

 彼を見送る視線は二つ、どちらも不安を秘めて気丈に振る舞っていた。

 その心情を見抜いて、彼が二人の肩を叩く。


「いくのね?」

「ああ。やっぱ、少しだけ神様とやらに物申さなくちゃならねぇからな」

「……兄ちゃん」

「ドロ、帰る頃には飯の一つでも作れるようになっとけよ。腹空かして来るからな」

「おう!」


 戸口で男児の頭を撫で、その姉と抱擁を交わした。

 彼らに背を向け、城塞都市の空を見上げながら青年――アオビはふっと息を吹く。


「さて、大仕事を片付けるか」







アクセスして頂き、誠に有り難うございます。


次回か次々回で第一幕(プロローグ)は終幕です。登場人物紹介も小話もありませんが、更に話を先に進めていきます!


次回も宜しくお願い致します。




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