幕間:狂者と守護者~火乃聿・城下町~
茶番に感じるかもしれません。
城塞都市なる火乃聿に祭が催される。
この時期に予定されていなかったが、解放軍参入によって中央大陸全土が統一された事を祝う為に開催した。
カリーナは把握しておらず、しかし士気を上げる目的にしても存外支障が無い上に、なんなら自分も執務を捨てて繰り出す機だと了承する。
公認を得た結果、城下町の賑わいは降雪の天下でも路上を埋め尽くす人々がいた。吹き付ける寒風に矯声が上がり、路上に張った氷に足を滑らせた者は笑声を漏らす。
何をしようとも笑いの種にしかならず、城下の隅々から戦争に備える恐怖や緊張の一切が吹き掃われていた。冬の冷気を一蹴して夏に劣らぬ人の熱気が雪を溶かす。
今日はと休暇を申し出て外出する重職の者も続出し、対照的に天守閣は静けさを増す。
その頃、上連は憂いていた。
静寂の天守閣、活気に溢れる西側を眺め下ろす屋根に腰掛ける。外套を羽織った肩には、小さく積雪ができていた。
頭巾の隙間から白い息を吐き、忌々しげに都市の眺望を睨む。
誰もが祭事に加わらんと急ぐ中、上連だけが彼らに付いて行けずにいた。熱を帯びる仲間に対して、胸の底が凍てついていく。
そんな彼の下へ、棟瓦の上を移動してゼーダが歩み寄った。城内から孤独に佇む彼の後ろ姿を見咎めて赴いたのである。
接近に際して、上連から発せられる深憂の焔を感じて足を止めた。
頭巾で目許しか判らないが、町をどこか怨むような眼差しを投げ掛けている。殺意には至らぬとも、深い怒りが滲んだ表情だった。
ゼーダは再び進み、彼の隣に座る。
「……アンタは町に行かないのか?」
「叶に誘われたが、私は祭りが苦手でな」
上連の問いに、ゼーダは苦笑して応えた。
無論、これは嘘である。
ゼーダは自身の能力で、隠密性の高さのみが恃みとしていた。これまでの二年間も、そして解放軍の目を欺いて行動できたのも、すべて存在を認識されていない所為である。
一人で市井に紛れるならば兎も角、皇族生き残りという身分もさることながら、容姿端麗な少女の叶を引き連れていれば視線が募り、しぜんと周囲に記憶されてしまう。
第二次大陸同盟戦争でも同じ立ち回りを要する可能性が十二分にあるため、ここで一時の幸福に浸って後の戦果に支障を来しては痛打となる。
烈火の如く怒る叶には申し訳無かったが、護衛に掟流を遣って祭りへ出た。
上連はそれを聞いた後、突然笑い出した。
静まり返った城内では、その哄笑もよく響く。
不気味にも笑い出した彼の様子に、ゼーダは怪訝な視線を向けて見守った。最初から様子に違和感があったが、今の話で彼の中の何かが決壊したのだ。
暫くして元に戻った上連は、瓦を踏み鳴らして立ち上がる。
両の拳固を強く握り締めており、あまりの力に皮膚が蒼褪めていた。
余程の怒りに衝き動かされているのだろう。
ゼーダはその穏やかではない心中を察し、能う限り共感できるよう努める心構えを作った。仲間が惑うているのなら、正しい方向へ導いてやらねばならない。
真摯に向き合うべく、ゼーダも立ち上がった。
「そうだよな、やっぱりな……!」
「如何した?何か気に障ったのなら謝罪しよう」
「いや、違うんだよ……」
上連が町を指差した。
「どいつもこいつも!!恋人がいるからって!?仕事を捨てて!!現を抜かしてキャッキャウフフしてんのが腹立つんだよォォ――――――ッ!!!!」
上連の叫びに、ゼーダも町を見たあと。
「……なるほど、判らん」
共感してやれることが不可能だと悟った。
× × ×
上連曰く、仕事を放棄して恋人、または意中の相手を連れて町に出る連中が気に食わぬとのこと。
即ち――猛烈な嫉妬である。
カリーナに扱き使われて休暇が少なく、今日も今日とて仕事をし、早々に終えて休もうかと思えば、城下町は祭りに盛況している。
これを逸速く察知した者から、現を抜かして城を脱した。
確り働いていた上連は誰一人にも誘われず、人知れず孤独となっていたのである。
いま城下町には為すべき事を放って恋を謳歌する奴儕が跳梁跋扈していた。彼らの欣声が混じっていると考えると、遠くの喧騒も忌々しく感じる。
これを聞いたゼーダは憐憫と、底知れぬ彼の嫉妬を感じて身震いした。謎の怖気が脊髄に冷たい感覚をもたらす。
ゼーダ自身は事情あって城内に居たが、上連は理由もなく取り残されていたのである。
「もうキレたぜ!!野郎共に悪戯してやる!!」
「……そう、か。私は……応援しておこう」
立ち去ろうとしたゼーダの肩が摑まれる。
振り返ると、上連が目許に笑みを浮かべていた。嫌な予感がして、脳内に警鐘が鳴り響く。
ゼーダは途轍もない危機感を覚え、しかし逃れられぬ現状に嫌気が差しながらも彼に向き直った。
「……まさか上連、君は――」
「ここで出会った誼だろ。一緒に……な?」
「済まない、私は君を哀れむ側の人間。つまりは怒りの矛先でもあるんだ。それを取り込んで人の恋路を阻害するなど……正気か?」
「正気でこんな事する訳ねぇだろ!?狂気の沙汰でも大いに結構!!俺を独りにした奴らの恋路を復讐の血で染めてやるぜェエ!!」
「…………」
ゼーダは彼の手を払った。
恐らく、いま城下町には花衣と優太もいる。
顔の見知った上連ならば、攻撃対象として間違いなく二人を害するだろう。そうなれば、二年振りに再会した恋人の営みは最悪の展開を迎える。
いまの上連は狂気に駆られており、如何なる凶行に出るかも予測不能。
二人を守るゼーダからすれば、悲哀ではなく一転して敵対者である。
ゼーダは決然とした声で告げた。
「おい上連――お前が皆の幸福に害為すならば、私は全力を以て阻止する!」
「やってみやがれ!!」
上連は屋根から飛び降りて、城の壁面に籠手から抜き放った鉄爪を突き立てると、器用に降りて行く。颯爽と猿のように素早く下に着地し、城郭の外へ通ずる門を潜った。
ゼーダは氣術で強化した身体能力を用いて、屋根から跳躍する。姿を見失ったが、まだ気配は遠くに離れておらず、追走の可能な範疇だった。
街路に降り立ったゼーダは、人を躱して目標を追う。
仮に気配に不審な動きがあれば、それは標的を見付けた証左、優太と花衣の可能性がある。二人の妨害だけは、何としても阻止せねばならない。
家屋の屋根上に飛び乗り、気配を消して低く馳せる。
雪を踏んだ足音も氣術による操作で無音となり、露店や共に祭りを巡る相手に意識を注ぐ一般人の目を掻い潜れた。
上連の動きが止まった。
ゼーダは彼の位置を捕捉し、その様子を窺う。
彼は建物の物陰に身を潜め、路地を覗いている。一見して俯瞰すれば怪しさ際立つ人影だが、うまく人波に紛れた姿だった。
その注目を寄せる方向をゼーダが目で辿ると、そこには歌姫セリシアとサーシャルがいる。それぞれ片耳に同じ耳飾りを付け、射的の露店で楽しんでいる最中。
上連が足元の雪を摑み、丸め始めた。時に軽く叩いて、それを固く小さくしていく。
次の行動を予測したゼーダは蒼褪める。
よもや恋人との逢瀬に、凶弾を擲つ心算か!
予想通り、上連は手中の雪玉を投擲した。
さすがは暗殺者、その正確な手捌きは二人へと向かって行く。命中必至、恋を謳う者は気配すら悟れない。
「――勝った!」
「――させるか!」
雪玉が中空で停止する。
瞠目した上連は、屋根上から身を乗り出したゼーダを捉えて歯噛みした。氣術で妨害を防がれてしまったのだ。
続いて連続投射した弾丸も、余さず中途で止まると、淡く崩れていった。
ゼーダは安堵した。
危惧した優太と花衣で無かったにせよ、あの幸せそうな二人を前にして守らぬのは後味が悪い。最悪、あの雪玉で一般人が怪我する場合だってあった。
胸を撫で下ろしたゼーダだったが、再び動き出した上連に再び追走を開始する。
油断なら無い。
何も彼にとって標的は一人とは限らぬのである。
次に上連が目標としたのは、飯屋から出てきたカリーナとジーデスであった。あの二人は恋人ではないが、仲睦まじく見えれば今の上連は恋人関係だと速了する。
上連は背後から二人に接近した。
今度の標的は上司!
ゼーダは顔の包帯を引き剥がし、額の白印だけが隠れるように巻いてから、自身も小路へと降りる。
カリーナ達の横から合流するよう近付く。
上連が二人に向かって掌いっぱいに摑んだ泥団子を叩き付けんと飛び掛かる。
跳躍した彼の魔手が伸びていく――その寸前で、顔面に連続で二つの雪玉が飛来した。
慌てて身を捻って躱した上連は、周囲を見回したが、ゼーダらしき人物が見当たらない。
「くそ、扮装か!」
「ここだ」
後ろから腕を摑まれる。
上連が振り向くと、浅黒い肌をした男が立っていた。額に鉢巻のように包帯を巻いている特徴からゼーダだと察する。
「やるな、アンタも……!」
「必ずその下らぬ企みを潰す。お前の心が折れるまで!」
「へッ!やれるモンならやって――あ!」
上連がある方向へと視線を固定した。
ゼーダもそちらを見て――硬直する。
水路に沿った道。
そこには、結と花衣を連れた優太が片手に串肉を持って歩いている。
両手に花とはこの事、美男美女の揃った面子に町人たちは感嘆した。
周囲の視線を一身に浴び、結は胸を張り、花衣は照れ臭そうに笑い、微笑みながらも二人に手を出す害悪がいないかと気を配っている優太。
上連がゼーダの胸面に肘を打ち込んで突き放す。
一瞬の不覚を取られたゼーダは、そちらへと駆けていく彼の姿を慌てて追いかける。
優太と花衣。
ただでさえ美々しい面の揃い踏み。
そこへ更に結を加えているとなれば、優太に対する怨恨は凄まじい。周囲の人間で躱せる余裕も無いいま、確実にどんな攻撃も当てられる。
上連は笑顔で手を振りながら、優太を呼んだ。
「おーい、優太!」
「上連さん?どうしたんで――」
「死ねぇえ!!」
「ええ!?」
上連は跳躍し、飛び蹴りを繰り出す。
避けられぬ状況に、優太は交差させた両腕で受け止めんと考えた。
しかし、彼は更なる第二の兇手も用意している。
手には、カリーナの際に未遂で済んだ泥団子が摑まれていた。蹴りを受け止めた途端、三人めがけて散弾として振る舞う積もりだ。
その次手も悟った優太は、花衣と結の手を引いて、体で防ぐ体勢に移行する。
「泥に溺れろ優太ァ!!」
「沈むのは貴様だァ!!」
虚空を切り裂いて包帯が飛んだ。
氣術で操られたそれは、素早くしなやかに動いて上連の両手首に巻き付く。突然の事に驚いた彼は、限界を迎えた包帯の張力に阻まれ、蹴りは直撃寸前で止まり、勢いを失って地面に大の字で倒れる。
優太は飛び散った泥から彼女らを庇いつつ、倒れた上連と、その手を拘束した包帯の持ち手、つまりゼーダを交互に見た。
「な、何やってるの二人とも」
「行け、優太!この男は私が食い止める!」
「いや、だから――」
「行け!」
「……もう、何だろう。うん、取り敢えず逃げようか」
優太は二人の手を引いて走り去った。
仰臥する上連へと歩み寄ったゼーダは、その両手を後ろ手に縛めを作って拘束する。
「もう懲りたか?」
「……ああ、もう懲りた――ってのは嘘!」
「何!?」
上連の籠手から爪が抜かれた。
その拍子に包帯が切り裂かれ、束縛を脱した彼は再び疾駆する。
「祭りは、まだまだこれからだぜ!」
「待て!!」
× × ×
「恥ずかしい」
「全くだ」
その晩、上連は城内南東の物置小屋にいた。
正気を失って、町中を奔走した己の恥ずべき蛮行を省みて、消え入りそうな声を漏らす。
小屋の外で火を熾し、氣術で浮遊させた鍋で煮汁を作りながらゼーダが応えた。
あの後、幾度も恋人たちを集中して狙った上連をゼーダが食い止め、最終的に失神させて城へと強制送還したのだ。
事の経緯を説明した結果、カリーナからは物置小屋にて謹慎という処罰を受ける。
ゼーダはそんな彼の介抱だった。
「明日はみんなに謝罪する」
「それが良い」
「……でもさぁ、俺も誘えよなぁ、誰かぁ」
ゼーダは苦笑すると、充分に煮た汁を碗の一つに注いで、上連に渡す。
受け取って喉に流すと、腹の底から心地好い熱が広がる。
粗末な物置小屋では風雪を凌ぐには些か不安な夜に、体を温める汁は染みた。
二人で火を囲い、ゼーダは上連の前に腰かけながら笑う。
「叶が私を想うのも、若気の至りだ」
「本当かねぇ」
「私に、もう恋はできぬ。ただ、誰かの幸せを見届けた後でなくては、自分の事も始められない」
「……俺もアンタも、大人だな」
ゼーダの初恋は、恐らく叶より低い年頃。
優太の母親である薫に対して抱いた想い以来、誰かを恋い慕うことを恐れている。
その所為あって、今は優太と花衣が婚儀を経て夫婦になり、矛剴として大陸全土が平定するまでは自分自身の事に目が向かない。
今は只菅に、他人の幸福を祈る日々。
対する上連は、恋などない。
暗殺業に勤しむ日々で、いつしか恋など忘れた。尋常な人の生活など、全く自身に関係ないと断じてきたのである。【猟犬】の中の絆だけが重要だった。
気付いたのは、優太たちと出会い、【猟犬】以外の仲間との繋がりが深くなってからである。
「気付くのが遅かったかねぇ。……銕もそうだったのか」
「そうだな。彼の場合も、君と同じでその感情を知らなかっただけかもしれない」
「やれやれ。他人の幸せを守ろうって走った二年間で、俺もこんなに変えられるとはな」
ゼーダは懐中から酒瓶を取り出す。
続いて盃を二つ持ち、上連に渡したそれに注ぐ。
「ならば互いに、今は人の幸福を見届けよう。そして、いつか来る己の幸福を祈って」
「……大人として、って事だな」
「まあ、そうだな」
その日、二人は夜が明けるまで盃を乾かした。
読んで頂き、誠に有り難うございます。
今回、カップリングの話を書こうかと思ったのですが、浮いた話の一つもない上連さんが訴えてくる姿が頭から離れず、こんな結果に……。
ゼーダには、抑制機として奔走して貰いました(ありがとう、ゼーダ!)。
次回も小話、或いは登場人物紹介です。
まだエピローグが遠い!
次回も宜しくお願い致します。




