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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:優太と道行きの麋──下
276/302

顧みれば蹄跡は続いて



 孤独な少女が水面の上に佇む世界。

 俯いたまま、椅子に座る彼女の背後に二つの影が浮かぶ。


「早く還りたいんだけど」

『…………』

「今回の戦争で死んだ分の三割は回収させて貰った。あとは君と君のお兄ちゃんだけだぜっ」


 少女は目も遣らず、声も返さない。

 その反応に些か不満の色を見せた影は、深く大袈裟な溜め息を吐き捨てた。


「招いておいて、その態度は無いと思うよ?」

『……兄様と居られるなら、何処でも良い』

「ブラコンって凄い……さすがは()()

「近親でも躊躇わないってところが恐ろしいわ」


 少女の顔を、二つの歪んだ相貌が覗く。

 依然として変わらぬ彼女の顔に、またも溜め息が溢れた。


「ま、良いけどさ」

「ちゃんと回収させて貰うよ、君らと……優太くんはね?」






  ×       ×       ×




 雪が降る昼の天下で、またも歓声が上がった。

 今日も今日とて、決闘は行われる。

 ガフマンの猛攻を前に、回避に専念する優太。

 彼の得物は都市内部の戦闘で被害を受けた家屋の修繕に使われる材木。一階の支柱にすら相当する重量の物を高速で振り抜く。

 機敏に躱して流す優太は、相手の攻勢を止めるまでの余裕は無く、如何にして劣勢を覆すか手を拱いていた。

 観戦者には、憂慮で怪我に備えて心中穏やかではない花衣と、次にガフマンに決闘を挑む為に控えた結。他に暇を持て余した城内の野次馬が大勢で円形に囲い、即席の闘技場を形成する。

 衆目に晒されながら、猛獣を相手取る優太は空振った際に肌を撫でていく凶悪な風に冷や汗が絶えない。

 対するガフマンは、ただ欣然と自身より小柄な戦士に向けて(はし)らせる。力加減の知らない彼だからこそ、図らずも相手の全力を引き出す。


 庭園の雪を吹き乱す暴風となって、ガフマンは一層烈しい攻撃を繰り出す。

 横に薙がれた丸太を掻い潜って内懐に滑り込む。踏み込んだ中腰の彼の太腿を足場に跳び上がると、宙で半回転して振りかぶった右の脛を顎から首にかけて叩き付けた。

 ガフマンの顔が横へ僅かに弾けるが、それでも倒れぬと判断して蹴り足を肩にかけて固定し、次なる矢として左の拳で逆側から顳顬を打ち抜く。

 撥ね上がった顔に手応えを感じたが、彼の手は攻撃に動じず丸太を手放して背後から太い五指を拡げて迫っていた。

 察知した優太は、ガフマンの胸面を蹴って後ろに高く飛び上がる。跳躍して離脱する刹那、振り上げた爪先で顎を強か打擲しながら、空中で背転し後方の手を避けて着地した。

 以前に矛剴の里が襲撃された中、同じ体格の巨人と対峙した時の打ち込みである。

 優太は面を上げて反応に注目した。

 曇天を仰ぐ赤獅子の表情は高すぎる余り、この場の誰にも見えない。

 しかし、彼が首を左右に傾げて骨を鳴らした時には、相手の急所を正確に衝く優太の攻撃が全くもって痛痒になっていないと判る。

 打ち込む力、角度、速度は完璧だった。

 優太は苦笑して構え直す。これでも有効打にならないとなれば、眼前の男が難攻不落の砦にさえ思える。

 巨躯の節々から火炎が上がり、再び前面に向けられたガフマンの獰猛な笑顔が帰還した。その大きな掌が強く握られると、ぶ厚い手の皮が軋んで荒縄を締め上げた時に似た音がする。


「今日は互いに完治とあって祭日だ」

「祭り気分ですか」

「つまりだ。そろそろ魔法も氣術も解禁だぞ」

「げ……嘘だろ」


 ガフマンの言葉は、聴く者によって意味が変わる。

優太には死刑宣告であり、観戦者には災害予報。この小さな闘技場では、安全性が一欠片とて無いと悟る瞬間であった。

 観戦者が花衣を担ぎながら全速力で退避し、この中で唯一の危機感がない結は、その一同の行動を呆然と見送って残る。

 優太の前では、高々と掲げられた丸太が回旋され、その両端に迸った炎で高熱の円環が描かれた。熱気で周囲の雪が気化し、辺りに霧が発生し始める。

 漸く危険を感じた結は蒼褪め、優太は氣術で振りかかる災害を斥ける為に意識を集中させた。ただの打ち合いではない、完全な修羅場になりそうである。

 ガフマンは大笑と共に、遠心力も乗せた凶悪無比の丸太を地面に向けて叩き下ろした。


「さあ、おっぱじめるぞッ!!」

「ちょ、待ちなさ――」


 城郭の一角で、巨大な火柱が上がった。

 一時は雪ではなく火の粉か降り、延焼する家屋すらある。二次被害も壮大なガフマンの猛威を前に、程無くして優太と結は共闘したが敢えなく敗北した。

 後に何事かと現場に駆け付けた花衣の近衛やカリーナの面々は、焦土と化した闘技場の跡地で、倒れる二人に哄笑するだけのガフマンに厳しい説法を喰らわせる。

 無論、彼が反省する素振りは微塵もなかった。



 その喧騒を城の一室から聞く仁那。

 室内を温めながら、襦袢を着て厚手の毛布に半身を埋めていた。平生一つに束ねていた髪も解いて、力無く布団の上に草臥れる。

 その隣で正座し、夜影が彼女の左手の包帯を取っていた。丁寧に脆く崩れやすい硝子物を扱う慎重さで、華奢な腕から取り除く。

 屋外の轟音や悲鳴を聞いて、仁那は苦笑する。


「あはは、みんな楽しそう」


 夜影は深刻な面持ちで見た。

 包帯が取り除かれた皮膚には、鈍い紫色の斑点が浮かんでいる。それらは前腕部から手にかけて見られ、特に刻印の方は密集した状態だった。

 これが何なのか、夜影は知悉いている。

 強いていうなら、自分の殺めた者たちに見受けられる人体の反応だった。


 これは――死斑(しはん)

 死後に現れ、心拍の停止による血液供給がなされない部分が壊死して生じる。云わば人の死後経過時間を示すもの。

 カリーナの診察を受けたが、生きている仁那の場合は血液ではなく氣の循環が無く、前腕の肉体が死滅している。

 まだ不明な点は多く断定はできず、原因は優太から受けた刀傷と診断されたが、仁那は明確な理由を自覚しており、それを否定する。

 後に夜影はそれを聞いて、優太を叱責しようとしたが、仁那が告白した内容に誰にも非が無いと悟って遣る瀬ない想いだった。


 原因は――『仁那・神楽の型』。

 元より『四片』の力を一時的に保有できたのは矛剴に似た肉体だったからであり、その後に修復と保持の役割を担う純度の高い”神族の血“を取り入れたからこそ生存した。

 身体保護にのみ活用されていた物を、今回の戦争で攻撃に転用する術を会得した。神族の飛行及び余人には真似できない特殊な力にも目覚める。

 しかし、その反動は大きかった。

 “神族の血”を保護から攻撃に転じた際、仁那の肉体は無防備となった状態で聖氣解放や『四片』の力の負荷を受けた。短時間だからこそ保ち堪えたが、与えられた損傷は甚大、肉体の一部が死滅した。

 どうにか『四片』の力の総員で、右手を従前通り十全に動かせる。

 それでも消費する力などを考え、普段の生活では肉体の腐食がこれ以上進行しない程度の治癒に傾注した。

 現状として、まだ他の傷の回復速度が遅くなっており、今も臥せっている。この容態は皆の不安を煽るため、夜影とカリーナ以外に口外していない。

 闇人、つまり優太の氣術を用いれば復活が可能かという案も上がったが、仁那がそれを固辞した。


「わっせも混ざって来ようかな?」

『テメェは絶対安静だ!』

「然り。仁那は動くな」


 厳しく咎められ、仁那は不貞腐れて枕を顔の上に乗せる。養生する以外に何も出来ぬ現況に不満しかないのだ。

 夜影が常に横で監視する限りは、行動不能も同然である。内側からは身を案ずる『四片』が目を光らせているとなれば、他人の目を掻い潜るなど絶対にできない。

 力ない息を吐く仁那に、夜影は新しい包帯を左手に巻いた。


「肉体の蘇生、なぜ断った?」

「……元から寿命が短い身だから」

「皆が仁那の生存を願う。将来、たとえ私がお前の隣に居らずとも、幸福な生活を謳歌するならば善しとした」


 夜影はそっと仁那の左手を握る。

 小さな手にわずかな力もなく、本当に死体のようだった。体温が無く、それ故に夜影は胸を締め付けられる。

 自分達でも優太を止めようとすれば、仁那の肉体異常を未然に防げた筈であった。

 その後悔が骨の髄まで達する痛みを催す。


 夜影の心中を察した仁那は、それでも笑顔で首を横に振った。

 右手を夜影の手の上に重ねる。


「同じ『院』出身の友達に言われたんだ。わっせの道を貫いて生きろって」

「……それは……」

「これも、わっせが選んだ道。後悔しない為に選んだ戦いだから。その結果なら、わっせは受け容れるし、きっと後悔するわっせを皆は見たくない」


 仁那は夜影を見上げた。

 盲目の瞳から涙を流し、俯いている。


「ずっと不幸だったけど、皆といれたから幸せなんだ」


 だから――と少女は言葉を紡ぐ。

 自分を想う他人の意思に反するとしても、それでも貫くべき自分だけの意志を宿していた。


「だから未来(さき)なんて望まない、いま皆と歩める今を全力で生きたい」


 夜影は背を丸めて、仁那の左手を額に押し当てる。祈りにさえ似た想いを込めて、涙に濡れた面を隠した。

 彼女は迷わず、進み続ける。

 隣を歩むみんなと歩幅を揃えて、その今をより良い未来に繋げる為に。


「ならば共に征こう。私はいつでも、お前の傍にいる」

「……えへへ、ありがとう!」


 夜影には、破顔した仁那の笑顔だけが心の支えとなった。





  ×       ×       ×




 カリーナは書斎の文机に突っ伏した。

 帰還後にかつてない仕事量を睡眠以外の休暇なしで処理し続けたため、さしものカルデラ当主も限界を迎える。ジーデスは過労で倒れてしまい、秘書に抜擢した量胡(料理以外は専門外)が存外仕事が上手くて使い(こな)していたが、蓄積する疲労は想定を上回った。

 ここぞと優太の氣術と仁那の力(ドーピング)を乱用したが、本人らが傍を離れれば、その効力さえも途絶する。

 これだけ働いても、まだ問題は山積みだった。


 戦争が終わったとて、状況は芳しくない。


 仁那の力には限度がある。

 濫用すれば、切り札を同時に失う悪手。

 その『四片』の力は最小限に抑え、敵を滅する好機にのみ傾注してもらう。完全なる伊耶那岐に成り代わる際に、彼女の肉体の負荷も解消されるのかもしれない。

 非合法の実験で肉体的にも寿命の短い彼女に、これ以上の変化を与えるのも良策ではない。

 仁那から聞いた話ならば、二神を倒すまで終わらない。それらを産み出した高天原の神々という未知の脅威もまだ潜んでいる。

 元北大陸所属の東西吾や眞菜によれば、北大陸は空間圧縮で縮小されており、実態は中央大陸の数倍に及ぶ面積を孕む。本当の敵地は間違いなく深遠であり、『四片』奪還なども勘案すると数日に亘る長期戦となる。

 物資の補給などを考えると些か以上に距離が遠いが、その心配は無いと彼等は嘯く。内容が要領を得ない為に物資は天嚴に保管されているが、果たして実際に有り得るかは疑問が尽きない。

 恃みとなる優太の氣術――これが仙術へと昇華されるには、皮肉にも戦闘の極限状態で練磨されなければ不可能という見込み、それも上位の存在である暁との果たし合い。

 仁那や優太、ガフマンなどを総動員して暁一人に対峙しても勝機は薄い。世界各地に大岩を使った同時爆撃を披露された時点で、実力が雲泥の差ほどあるのは知れている。

 それでも打倒せねば先に征けない。

 しかし、神を斃して永らく続いた神代を終わらせたとて、何かが変わるのか。『加護』による束縛など以外に、暁が問題視した障害の根源が神族なのだ。

 そもそも、二神を倒した先に待っている未来が全く解らない。


 薄れる意識でも悶々と思考を巡らせていたカリーナは、遠くから聞こえる叩扉に面を上げた。疲弊している危殆へ新たな仕事の追加かと辟易しながらも、己が立場を弁えて室内に招く。

 扉を開けて現れたのは優太だった。

 衣服の端々が焦げており、カリーナの元を訪ねるには適さぬ風采である。酷い有り様から概ね察した。

 先刻のガフマンによる騒動で、優太が荷物を保管していた物置小屋まで延焼したのだ。故に、唯一まともに残った服で赴いたに違いない。

 火を扱う鍛冶からも、さすがに苦情の声が上がったほどの災害を起こしてなお、本人は謝罪と工房再築の協力はしても笑って反省の感がない態度だった。

 その内、ガフマンこそ優太よりも厳しい視線の的になるやもしれない。


 優太は目礼すると、後ろ手で扉を閉める。

 耳を澄まして廊下の様子を窺っていた。

 カリーナには、その警戒心を剥き出しにした降る舞いに違和感を覚える。おそらく氣術による空間把握も同時並行していた。

 入念に二人だけである事を確認した後、優太は促されるより先に椅子に腰掛ける。平生と異なる様子の彼に猜疑の目を光らせて見詰めた。


「どうした、無名?」

「……話すか迷っていました。もしかすると、同盟軍の士気を台無しにする、そんな気がして」

「……何か、重要な“記憶”でもあったのか」


 優太は首肯した。

 ここ最近は騒動が立て続いたが、それでも以前の彼ならば合間を縫って夢に視た師の記憶で得る情報を逐次報告している。その連絡が拓真戦の後の少しの休憩でも途絶えたのは不思議だった。

 忙殺されていたカリーナとしては、後回しにしていた小さな案件だが、優太自ら進言しにここへ赴き、更に言葉には報告を躊躇っていた節が感じられる。

 カリーナにさえも伝達するか否かを惑う、余人の耳には憚られる事実。

 今までで最大の情報なのだと判断し、カリーナは先を催促した。


「これを識ったのは、拓真との戦闘の後です。僕は世界の果てを見ました」



 それから優太は滔々と語り始めた。

 この世界が成立した原初の時代から、外に存在するカムイが住んでいた異界と、この三大陸を擁する『還り廟』、その出入口である扉と番人。

 この場所を起点として世界が創造され、後に篭として隔絶された後、数十年の周期で帰還する神族が己を信仰する土地の先行きの規矩として運営される世界の見本。

 それを守護する為に、二神は想像主として束縛されている。『還り廟』の役割は、主に高天原の保護と魂の帰還する『輪廻の環』を擁する為の場所でもある。


 ここは広い海峡に浮かぶ神出る国――『出雲島』。


 他にも、カルデラや闇人の鍛冶、魔術師が怖れられる原因と暗躍。暁の予知した未来を改編する不確定要素の出現の素因まで語った。

 そして――あの暁が最強たる所以であり、計画の原点となった()()()()()の存在まで。

 始終その話を傾聴するカリーナは目を瞠っているばかりだった。

 当然、実際に“彼女”と接触した優太でさえも俄には信じ難く、だからこそ物的証拠が多く信用せざるを得ぬことでもどかしさがある。


 この戦争も、何もかもが。

 神の『器』としてのみ生産された少女と、その隣に寄り添おうとして時代の特異点と成り果てた哀れな男によって築かれた。

 二人がいつか自由になる為に。

 今度こそ悲運によって引き去られる事がなくなるように。


 語り終えたとき、優太の背後に男が立っていた。

 裾の擦り切れた長い単衣と袴をした黒装束の男である。

 その男は全体的に痛んだ外観の中、優太のよく知る人物に似た端麗な面相を怒りで歪めた。僅かな変化でも、優太にはよく判る。

 その足下には血が滴っている。

 彼は、『隈』の中に宿る“二人目の響”の魂の残り滓、それを介して“一人目”から流れ込んだ記憶の作り出す像。

 愛した師の――原型。


『話したのか』

 “――話しますよ。これは僕の独り善がりですが、貴方の苦しみを分かち合える人が誰もいないなんて……。”

『思い上がるな。誰にも判らない……世界を敵に回し、どう足掻いても、守れなかった苦しみを』


 周囲の景色か一変した。

 荒廃した大地と崩れた遺跡や廃墟が雑多する場所で、様々な種族が攻撃を仕掛け合う。絶え間無く多方向で爆撃や悲鳴、血煙が上がった。

 その地獄を、優太の背後から歩み出した男が躊躇い無く進んでいく。掌からは返り血と自身の血が混ざった物を垂れ流しながら、奥に佇む廃墟の城に向かう。

 優太はその背中に問うた。


 “――そんなに傷付いても、どうして進むんですか。”

『友人を失って、恋人も失った。それでもまだ、あいつが残っている』

 “――……どうしてそこまで。”

『独りにしないと、約束した』

 “――貴方が独りになりたくないだけでしょう。”


 男は応えず前進を続ける。

 単身で挑むには無謀に過ぎる絶望的な戦況だと一見して判断の付く修羅場を、傷を負った痛々しい姿で挑む。

 襲い来る敵を抹殺しながら、城に向かって馳せた。縦横無尽に飛来する殺意の矢を躱し、撃退し、或いは喰らいながらも戦う。

 報われないと知りながら、夢であっても男は求める存在を目指して奔っていた。

 優太は彼に自分を重ねて共感しようと努める。

 もし花衣の為に、全世界を敵に回せるだろうか。彼のように深傷を負ってでも、確固たる意志を以て戦い続けられるのか。


 周囲の景色がカリーナの書斎へと戻る。

 沈黙した優太を訝る彼女が、文机越しに顔を覗き込んでいた。面を上げると、嘆息して再び椅子に背を凭れる。


「……信じ難いが、そうなのか」

「いまの師匠――暁は、“一人目の響”との約束を守る為に動く装置です。その実力も、“一人目の響”の仙術、従前通りに暁が有していた戦闘能力を融合させたモノ」

「そして今は、肉体だけ伊邪那美の手駒か」


 カリーナは軽く頭を抱えた。

 真実ならば、自分達は古代から篭の中の鳥であり、これまでの戦争もすべて“外界”を運営する為に被害状況や人々の心理を試し見る実験として神に仕組まれたもの。

 幾世代を経ても復活の転機が訪れぬ闇人の遅々とした働きに業を煮やした伊邪那美が、自身の力を傾注して過去最大の『器』を製造した。

 しかし、そうして生まれた不条理は闇人を二分し、響を『器』とした。既に仙術や千里眼を持ち併せており、戦闘力の無い彼女を補いながら守護するように好都合な暁がいる。

 互いを想って数々の闘争を潜り抜けた結果、いつか真の自由となる『還り廟』の外への逸脱を目論んで、響が時間の流れに細工して現代に至る。

 優太やカリーナは、云わば時代の特異点で生まれた要素。暁という人間を中点に、二つの世界の因果が交わっている。


 壮大すぎる時間交錯という術は、カリーナでも想像できなかった。

 仙術ならば、対象の肉体の“記憶”を遡って祖先を突き止める事も容易いとあった。更には『分解(はかい)』と『構築(そうぞう)』で存在意義などを書き換え、有効範囲は普く自然界まで及ぶ。

 神の御技という一語で片付けなければ困窮してしまうほどに理の埒外にある。


「それを私に伝えて、どうしたい?」

「せめてカリーナ様には、この戦争の行き着く先を知っていて欲しかった」

「要約すれば、運命に抗った兄妹が幸福になる為の戦いだ」

「……そうですね」

「だが暁と我々の幸福は違う」

「……?」


 カリーナがその表情を疲労で暗くした。

 鬱積が足下の影から黒く煙り立つような雰囲気に、優太は我知らず顔を引き攣らせて後退する。

 漆黒の長髪から艶が消え、生気が失われていく彼女の相貌が、虚ろな瞳で優太を見上げた。


「『還り廟』の扉が開放され、外界からこちらへと入る者もいる。我々もいずれ、外交の幅を広げて応じるだろう」

「え、ええ……それが?」

「そうなれば激変する国勢に右顧左眄する衆を導くべく、引退を控える政府の重鎮や私が酷使される未来がありありと思い浮かぶ」


 カリーナが憂いているのは己の安寧。

 確かに、二国の反目や南の牽制の策で衝突する険悪な中枢政権、これを横から円滑にすべく活動してきたカルデラは大陸随一の功労者。今では『出雲島』全体の英雄とさえいえる。

 しかし、これが外界との折衝も管理するとなれば、単独で処理し果せる規模の話ではない。

 仕事に疲れ果てた状態で耳にした優太の話の捉え方は、どうあっても次なる労苦の種のみ。

 今回の皇国への覊旅、尨大な量の後処理が重なった時機に話すべきではなかったと優太は後悔する。


「確かに明確な目的が曖昧だった。神族の長男(カグツチ)が造り出す戦乱のみの世界、それを阻止する為に神を滅する」

「それと、伊邪那美の復活材料になるかもしれない今の暁を制すること」

「それだけだったが、二神打倒を益々推し進めなければならない訳か」


 カリーナは一呼吸置き、背凭れに頭も預けて天井を仰いだ。


「たとえ私でなくとも、誰かがやらねばならなかったのかもしれない」

「……誰か、ですか」

「そう、それが仁那のような英雄なのだろうな。時代の転換期に必ず現れる……『出雲島』に渡航したカムイ、北大陸追放という汚名を背負いながら任務を全うした闇人もそうだ」


 先々代が夢見て、暁が始めた計画。

 その前提が覆れば、また物の見方も変わる。

 人間が神を淘汰して自らを英雄にする戦争である。そこに思惑は違えど、“篭”の消滅を望んだ複数の意志が宿っていた。

 まだ判らない暁と伊耶那岐の契約内容。

 そして後者が目的とする『チキュー』と、そこに深く関与する『イセイジン』。これから暴いていくべき真相はまだまだある。


 優太は一礼して書斎を去ろうとした。

 扉を開けて廊下に出る直前、ばっと振り返った。


「すみません。そういえば最近……弥生を見ないんですが」

「ああ、お前の弟子か。本人からの戦闘参加の意を示す同意書を貰っていないな」

「そんな物あったんですか?」

「ある、お前にも回ってるはず……そうか、燃えたのか」

「小さい頃から火の扱いで非常に気を使う生活でしたので、まさか火災になるとは」


 カリーナは脳裏に浮かんだガフマンの笑顔に顔を苦々しくする。

 優太はその様子に、いよいよ末期だと思いながらも、頭の片隅に佇む弥生の姿が気になった。

 自分を心の拠り所としてくれる彼女と、既に数ヵ月も離れている。その間の様子などをまだ【太陽】の構成員に訊ねてはいないが、少なからず異変はあるだろう。

 これまで確認した症状としては、精神錯乱による自傷行為や他人への暴力、夜泣き、突然の絶叫が挙げられた。

 ここまで長く離れた事もなかったため、恐らく重篤な状態に違いない。その懸念が帰還してから屡々脳内を占有していた。


「……判った、あとで手配しておく。弥生とやらについても、後で訊いてみよう」

「ありがとうございます」


 鼻の頭を揉むカリーナに苦笑して、優太は書斎を出た。

 弥生も気になるが、先ずは目先の人を労る。……後で差し入れを持っていこう。



 書斎を出て、暫し城内を散策する。

 ガフマンとの決闘があった東側は修繕作業で忙しく、手伝いに行こうとしたがガフマンが現地で力仕事に勤しんでいた。これまでの所業への罰として如何なる対決も承諾する身の優太だったが、名指しでガフマンとの接触禁止令が発令される。

 故に、東側へは進めない。

 迂回しながら寝食を過ごす物置小屋へ向かう。

 北側に修練場と霊園があり、仁那が一時の宿とした先代千極帝の終の家がある。

 見に行くのも一興ではあったが、それよりも先に訪れるべき場所がある。


 長く続く階段をひたすら上がり、円卓のある最上階へと辿り着いた。屋根の一部しか修繕されていない吹き晒しの状態であり、城塞都市の内部がよく見渡せる。

 高欄まで寄って、その景観を眺めた。

 自分が不在の間、形骸化したとはいえど師が世界へ宣戦布告を発した。響が望んだ形通りであるか否かを差し引いても、これまで無かった人類の一揆。

 記憶の断片に登場した『イセイジン』の話に依れば、伊耶那岐は『チキュー』に行く為に自らの破滅を条件としている。これまで“篭”に入れなかった外様の彼らしか識らない『チキュー』を、伊耶那岐は予め認識している風だった。

 行く為には“転生”が必要といっている。

 ならば、徒歩は勿論のこと渡航や飛行、それらでも辿り着けない異界。

 高天原の神々に創造されたなら、この『還り廟』を起点とした世界しか認知していない筈である。この世界とも違う、“本物の異界”をどうして把握していたのか。


 大人の思惑で、事はすべて動いている。

 ただ“約束の子”は想定外の事態を招いても、同じ方向へと進む。


「大人の言いなりだな」


 故郷を追われたあの日から、もうすぐ三年の月日が経ってしまう。当初は更に長い時間を要するとさえ想像するほど途方もなかった終着点が近い。

 兎に角、前進を中断()めないことを意識した。師の宿願を成就し、闇人の性質に抗い、いつか幸せな家庭を築くまで。

 それでも、今では残酷にも前に進むばかりが最善ではないと知った。人を殺める数が急増した日から、師の記憶以外に顧みるものは無いと理由付け、無意識に避けてきたのかもしれない。

 過去はそれだけ、血に塗れている。

 父兄を喪失したいま、肉親はいなくなった。師は敵となり、相棒は脅威だと示唆される。

 進む毎に先行きに暗い影ばかり落とされ、いつしか闇が道を鎖す。そして再び無為に殺戮を重ねる日々が始まる。

 これからも犠牲は増える。


「本当、戦えば失う物しか無いよな」


 これから再発進できるか不安になった。

 優太の胸中には、暗鬱とした未来以外が浮かばず、幾度も想像した夢さえ暗中に沈んでしまう。

 この暗闇を進んでいけるのか……?


 不意に、下から誰何の声を聞き咎める。

 優太がそちらを見遣ると、はるか眼下の道の中央で結と花衣が手を振っていた。随分前から呼んでいたのかもしれない、怒声が混じっているのは、恐らく無視を続けたことに憤慨した結。

 冷ややかな視線を送りつつ、優太は高欄を蹴って飛び降りた。

 氣術で発生させた浮力及び気流操作で落下速度を案配して、二人の隣へ静かに着地する。


「び、吃驚した。心臓に悪いからやめてよ」

「はは、ごめん」


 花衣の声に、優太は微笑んで応える。


「そのまま地面に突き刺されば良かったのに」

「着地地点を見誤ったな」

「は?何よそれ」

「君の顔面が衝撃吸収に優れているのを失念してたよ」

「吸収した衝撃をそのまま返す優れ物よ」

「氣術を鍛えた僕に、そんな技は効かない」

「あんたとの間に花衣を挟めば不可能じゃないわ」

「血も涙もないな」

「そんな事になったら泣いてあげるわよ」

「そんな必死に爆笑を堪えた顔で言われてもね」


 相も変わらぬ結の口の悪さに、優太も悪意で応じる。軽口の応酬を展開する二人を傍観する花衣は、微笑ましげに、そしてどこか寂しそうにしていた。

 花衣にしか通じぬ想いがあり、結にもまた同じ想いがある。


 呆れた結と、先を催促する花衣が前を歩み出す。

 優太は二人の後ろ姿に困惑した。

 自分が進む道は、いま二択である。

 花衣との幸福の為には、計画の弊害となる魔術師を排除しなければならない。結を生かせば夢は叶わない。

 直接言われたことはないが、“門番”も矛剴も皆がそう暗示している。


 この暗い道行きに、優太は進み出す勇気が持てなかった。


『これから辛ぇ事……沢山あるけど……それでも、めげずに頑張んな』


 背後から、そんな声が聞こえた。

 優太が勢いよく振り返った先では、雪上には二人の足跡と思しき物が刻まれている。それでも声の所為か、一瞬だけそれらが蹄の跡だと錯覚した。

 森の中で別れた、あの大麋の姿をした先祖。

 彼が最期に遺した言葉が、今になって熱を再び帯びる。


「どうしたの?」

「さっさと歩きなさいよ」


 優太は正面に向き直って、振り向く花衣と結を交互に見た。

 まだこの道行きは鎖されていない。

 蹄跡はずっと続いている。

 背中を押してくれた天隠神や煌人、死してなお皆の意志が自分を常に支え、傍にいてくれる。

 花衣と結、どちらか一方の取捨選択の必要性ひ皆無だった。二人の隣を選び続ける限り、選択肢にない未来が切り開かれる。

 仁那が自分に示してくれたように。

 孤独ではない暗闇なら怖くない。


「いや、いま行くよ」


 優太は新たな旅路の予感を胸に抱きながら、雪を蹴って二人の横を並び歩いた。






アクセスして頂き、誠に有り難うございます。


これにて、『上・中・下』と長らく展開した五章が完結です。小話も含めて、登場人物紹介を投稿した後に【第二部】エピローグです。


着々と完結に……(まだ遠い)。


本作を読んで下さっている皆様、お付き合い頂き本当に有り難うございます。これからも誠心誠意、楽しんで頂けるよう、納得して貰えるような作品にしていきます。


 これからも宜しくお願い致します。




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