表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:優太と道行きの麋──下
275/302

確めたい想い



 幾星霜も続いたカムイ同士の戦が終わった。

 大陸全体に及んだ戦争の勝者は同盟軍という結果であったが、それは解放軍総司令トライゾンの投降のみが戦果である。

 熾烈を極めた戦況は、魔物の大軍すら出動する事態とあり、前回よりも規模と参加戦力ともに比較にならぬ巨大さ。

 これまでトライゾンが暗躍し、糸を引いた数々の事件の真相も暴露され、同盟軍の存続は守られた。彼の自供があって説得力もあり、世間からの辛辣な視線は避けられないが、火乃聿の牢獄に身柄を拘束という名義での保護が決定する。

 解放軍に所属していた戦士も、改心したトライゾンの意向によって同盟軍の傘下へと加わり、戦力の増強と、遂に大陸の全勢力が総括された。

 魔物の集団――恷眞軍に関しては、第二次大陸同盟戦争への参戦を考慮していると伝えられ、その返事は年中に受け取れる運びとなっている。

 意識を回復した優太が仲介人となって、よもや誰もが予測し得なかった魔物との協定すら実現まで夢物語ではなくなった。

 能力の傾向別に部隊の再編成を行い、的確な戦力配置で北大陸を制圧する。分断していた中央大陸の内憂、永久不滅の禍根と思われていた南大陸の魔族との軋轢、これらを解消したいまの敵勢力は一つのみ。

 消息を絶っていた言義の学院長、及びに西国から密かに誘拐された叶を連れてゼーダが帰還したが、その名が表沙汰に取り上げられる事はない。

 その隠密性は同盟軍随一である故に存在感の主張を控え、彼自身もまた功績として扱われるのを厭わしく思って拒否した。

 皇都は今も大陸北部に残り、調査隊を派遣して探索中である。これにガフマンが自らを推薦したが、グレイワンとの死闘で負った傷の療養があって認められなかった。

 代わりにゼーダが立候補し、カリーナの命で少人数を率いて赴く。出発前に叶からの猛追を受けたが、今は恙無く調査も開始された。

 学院長は戦争にて有力な兵器の生産などに尽力する姿勢を見せる。半ば強迫観念じみたそれは、この戦時に恐怖を芯まで刷り込まれる体験があっての事だろう。

 解放軍が取り込んでいた反『御三家』の集団や魔王体制に反発する組織なども、解放軍の情報提供で所在を突き止め、支部などを完全解体した。憂いの種となる物を徹底して壊滅させたが、まだ関知していない反政府組織も多数存在する。

 それは【太陽】が主体となって、二年前から続く解放軍殲滅の手順で遂行を始めた。


 目まぐるしい展開は、これまで目を背けていた問題と対峙し、各個撃破を成し遂げた末の成果である。

 中でも大きな立役者としては阿吽一族の元腹心だった灯羣(ヒムラ)、今は蒼火と名告る人間の奮闘があって終戦した。

 本名はウィルトス、過去に滅亡した部族カムイの生き残りであり、『勇者の加護』を所持していた前任者。争う両軍に偏らず、単身で動いて皇都の停止という目的を完遂した。

 カムイの秘匿する歴史などの開示を交えながら『加護』の性質、その“解放”などを推進すべく大陸中にいる『加護持ち』――通称“縛られし者”を広告で火乃聿に集合させ、精力的な解放活動に勤しんでいる。迷宮を創造した一族の末裔なる身分を喧伝すれば、その注目度はかつて無いものであり、作業は爆発的な促進を得た。

 既に大陸に存在する『加護』の六割近くの“解放”が完了した。


 そして、仁那の活躍はまた世間に知れ渡った。

 学院長を何者が捕縛したか、その案件でゼーダの名が出せぬ以上、必然的に仁那の存在感が利用され、次々と道中での善行などもまた話に持ち上がること頻りである。

 本人も甚だ不満であるようだが、周囲からの諫言と暫しの安息、行動範囲を城郭の外部まで延長する条件で納得した。

 仁那だけでなく、カリーナも終戦に導いた救世主として名が語られ、彼女の視線は平時より冷たさを増した。

 同盟軍を謗る声は、転じて中枢で働く彼女への攻撃でもある。傷付いた評判を回復させる為の弥縫策として、ジーデスの独断で世間に公表する。

 彼としては、主が不在の間にいつも以上の仕事を請け負って過労で床に臥す寸前まで切迫したため、カリーナも強くは言い出せず、渋々と受け容れた。


 仁那の単騎行動の責任は有耶無耶となってしまったが、優太に関しては取り繕う名誉もなく、周囲から忌諱と猜疑の注目が募った。

 傘下に降ったといえど、過去に幾百もの同朋を屠った悪魔の如き存在を容易く許容する者はいない。

 たとえ、最高指導者(トライゾン)の言葉があっても鵜呑みにする人間は少なく、剣呑な事件の発端になりかねない。

 故に、城郭でも東端にある納戸で生活する事になった。寝食には充分な空間があること、また己の所業を悔い改める心構えを確立すべく、優太は粛々と処罰を甘受した。

 無論、それでも元解放軍の鬱憤が解消される訳でもないので、討ち果たしたい者にのみ決闘を受け付ける。それも、彼は不殺を誓った上で相手に殺意の真剣を許可した。

 それを善い事に、実力を量りたいガフマンが幾度も手合わせを申し出ては、優太との戦闘に興じる。両者はまだ傷も癒えていない状態とはいえど危険だった。

 しかし、制止に踏み出そうとする者は怪我すら意に介さず高度な格闘に踏み出せず、その勝敗を予想して観戦するのが当たり前となり、今では城内での風物詩となり始めている。

 彼の率いていた【鵺】は特殊部隊として存続し、同盟軍の拠点がある天嚴にて北海峡の偵察部隊として働く。北大陸からの来訪者である東西吾と眞菜は、その場で誰よりも情報源として重宝された。

 

 第二次大陸同盟戦争。

 その時まで、着々と迫っている。

 敵は宣戦布告から沈黙を続け、北大陸に息を潜めた。怯えではなく、迎撃以外に彼等の戦法が無いと語っている。

 それもまた、劣勢の苦境ではなく強者たる軍団の自負と覚悟。中央大陸でも名を馳せた殺し屋が顔を揃え、神族とそれが孕む未知の戦力たちは油断ならない。

 神族の首級を上げ、二神たる伊邪那美と伊耶那岐を滅ぼすまでが勝利条件。世界を創造した後者まで戦わねばならぬ真の理由について知るのは、いま優太以外にはいない。

 それでも、神の支配から逃れんとする人の時代の黎明は近いと誰もが予期していた。

 仕組まれた時の流れからは既に逸脱している。

 暁の描いた計画(シナリオ)に問題が生じているのは周知の事実、両軍の勝敗は誰にも判らない。

 『四片』を奪還して仁那を神格化すれば、存在だけの伊耶那岐は消滅する。

 黄泉國にいる伊邪那美の対抗手段は仙術と仁那のみであるため、現段階で仙術の位階に最も近い優太の進化が要求された。余人には理解し難い領域であり、無理難題である事に代わり無い。

 人の力によって辿り着けるのか否か、その実情は不明である。能うならば努力の仕様があるが、これ以上進めるかという手応えは今の優太には実際になかったのである。

 極限状態以外に活路を見出だせない現状では、日々の鍛練で補える範疇ではなく、優太は己の前途の困窮を感じた。

 仙術を会得した人間の教訓があれば、そう考えようにも暁以外に該当する例がないので規矩もない。

 優太は最大の窮地だった拓真との戦闘を想起し、その最中に原点へ立ち返ること、愚直に基本に忠実に行う事で未来視や様々な技術の体得に成功したと分析し、ガフマンとの決闘の傍らで実行した。

 彼だけではない。

 多くの者が決戦まで自身を高めるべく、努力を惜しまずに過ごしていた。年暮れの空はそんな熱意に焦がされた地面を癒すかのように雪を降らせる。

 


 そんな日に、同じ空の下で二人は再会した。







  ×       ×       ×





 火乃聿天守閣――。


 降り頻る雪に遠景の山々は薄く朧で、首都を囲う市壁の隅塔の姿も曖曖とする。番兵を襲うのは敵の脅威だけでなく時季の洗礼であった。

 街衢の路地に霜が降り、雪と戯れる子供は僅かな時間で屋内へと逃げ帰る。骨身を凍てつかせる寒気に堪える者はおらず、互いに寄り添って暖を取った。

 風水の悉くを雪が圧倒し、肉食獣の姿はぱったりと消え、代わって草食獣が新天地を求めて移動を始める。遷り往く季節に景色もまた同じ変化を得て、極寒に凍える都市の人々も適応すべく各々の支度をした。

 舗装された天嚴までの軍備を整える為の街道も完成し、あとは新年の曙光を浴びた大地を踏み鳴らして本格的な配置に入る。

 

 新たな日の出を待つ人々の息吹が密かに犇めき合うなか、花衣は毛布で包んだ身を起こす。

 火を焚いて暖房を利かせた一室で、花衣は寝惚け眼のまま寝台から降りる。毛布を払って残る体温の名残が催す眠気をもはね除けた。

 私服に着替え、設置された鏡面に映る自分の姿を検めながら身嗜みを整え終える。

 壁に立て掛けた厚手の外衣(ガウン)を羽織り、床を軋ませながら廊下へと出た。

 衣服の隙間から肌を撫でる冷気で微かに身震いし、襟元をややきつく締める。神樹の森の冬に比すれば他愛ないが、二年も離れた月日が体を変えていた。

 天守閣上階に位置する場所だが、僧衣の戦士や侍女が忙しなく往来するところから、普段に比べて寝坊したと悟る。

 彼等に会釈しながら下階へと下り、水汲み場までの道のりを急ぐ。道の途上で会った綯伊の伴を得て、雑談を交えながら進んだ。


 トライゾンの事件より、不思議な閃光に当てられて目を醒ましたのが数日後。

 体に異変はなかったが、これまで拘束されていた疲れはまだ完全に消えておらず、近衛たちにひどく心配された。

 体調や傷心について慮る皆から、暫くの間は外の空気に当たることすら禁じられる。尤も、いま屋外に満ちる空気に誰もが外出を厭う。

 心身の憩いに浸りながら、花衣は自身の無力さを呪った。トライゾンを言葉では止められず、最後は蒼火に委ねてしまった結末。

 同じ神豪でありながら、彼を救えなかった。

 誰もが自分が虎口に立つのを止めるが、周囲が代行する姿が却って己の非力ばかりを強く刻み付ける。

 何かを為せるという傲岸なる一考はなくとも、何かを為さねばならないという焦燥に駆られてしまう。

 どうして、こうも自分は無為な存在なのか。

 水汲み場に着いて、花衣は水で清めたばかりの顔に悲嘆を滲ませる。

 膚の表面で氷結しそうな水滴を綯伊から受け取った新しい布で拭いた後も嘆息しかない。

 様子の異変を悟られまいと、隣に居る彼女へ気丈に笑ってみせるが、それでも隠しおおせない翳りがあった。

 二人で水汲み場の小屋から出ると、東西で変わった異彩の装束に身を包む兵士が互いに背中を押しやって一方向に急ぐ。

 列を成したその人波の中には侍女なども紛れており、事の異常さを看取した花衣たちも流れに従った。

 長く続く人混みに入ると、兵士たちが花衣の存在を気取って道を開けた。四方八方から先へ催促する声に、同じ様に多方向へ礼を返して進んだ。

 それは城郭の東側へと長蛇の列となっており、先はまだ遠い。途中で通過した城内の鍛冶が軒を連ねる区画も、何やら熱狂していた。


 見世物かと予想し、漸う目的地に着いた花衣は先の光景に言葉を失う。


 踏み荒らされた雪路で円形に散開する兵士。

 その中央では、優太が素手で構えていた。

 寝込みを襲われたのか、この寒さでも彼は裁付袴に薄い上着のみで対する。相手は甲冑を着込んだ者さえいるのに、戦闘の絵面としては何とも不当に思えた。

 然れど、準備する猶予を訴える訳でもなく、冷静な面持ちで周囲を斜視する。装備すら無い状態での戦闘に、何ら異存の無い姿勢だった。

 彼の背後にいた兵士が先鋒となって、大上段に剣を掲げたまま踏み出す。その手元に容赦は無く、鞘から放たれた抜き身は危うい光沢を帯びる。

 優太はそちらを一瞥もせず、前を見据えたまま後ろに飛んで距離を詰める。その背が甲冑の胴に当たるや否やのところで、振り下ろされる直前の剣の柄頭を後ろ手で放った掌底で軽く叩きながら、振り向くと同時に踏み込もうとした相手の足を払う。

 兵士の手から長剣は抜け、続け様に体勢を崩して雪上に倒れた。

 失敗に終えて唖然とする先鋒を、観客から上がる歓声が打ちのめす。羞恥でその場から跳ね起きんとしたが、優太が鋭く踵で顎を打つと酩酊したようにふらふらと首を傾げて地面に伏した。

 倒れた兵士に続き、全員が剣先に殺意を宿らせて進撃する。

 これをまた、優太は流麗な体捌きで丁寧に一人ずつ処して行き、自身は徒手空拳で甲冑の相手をすべて雪へと沈めた。

 彼がいつか斬られるのではないかと心底落ち着かずに観ていた花衣の隣では、綯伊が当然とばかりに深く頷いている。


「私も一度、手合わせして頂きました」

「……抜き身の短剣で?」

「勿論」


 花衣の心中を知ってか知らずか、自慢気に短剣での本気の勝負に挑んだと語った。立ち眩みすら覚える話だが、花衣はどうにか堪える。

 綯伊を含め、曾ての仲間も興味本意で優太へと挑戦した。機会を改めず、食事中であろうと睡眠中だろうと、奇襲じみた例もあったが、彼は逃げずに応じる。

 それでも、誰も一勝を獲得できなかった。

 会わぬ間に彼は凄まじい成長を遂げている。

 武器や氣術を使わずして卓越したこの手練。

 いつの間にか、怨恨を抱く兵士のみならず彼を認める仲間さえもが勝利をもぎ取らんとした。重ねられる敗北の数に驕らず、粛然と勝負を受諾する態度もまた気にくわないという風潮が流れる。


 不敗、常勝、不動の強者、そんな言葉が彼に付き纏うようになる。

 だからこそ、あの男の闘志を滾らせた。


「さあ、坊主!今日も始めるぞいッ!」


 観戦者を退けて高く聳える巨体が躍り出た。

 その頂で赤い鬣に囲った面貌に獰猛な笑みを浮かべる。同色の瞳は果てしない貪欲さと、芳しくない戦況を塗り替えんとする革命の志が宿っていた。

 両手に木を削っただけの己と長剣だが、どちらも迫力は鉄製のそれに劣らず、重量は一撃で相手を昏倒させるのに申し分ない。

 最大の挑戦者――ガフマンの登場に、場の一同がけたたましい歓声を響かせた。

 花衣はそれを目にし、綯伊に振り返る。

 彼女は何やら、この戦局に期待の眼差しを込めて不敵な笑顔だった。花衣は完全に、こちらの心内を察していないのだと痛感する。

 恋人が強さの権化と対峙しているとあって心配であり、駆け出して制止しようとするも、綯伊の他に数名がかりで阻止された。

 優太はそれを気取っているのか、それとも目前の強敵に意識が向かないのか、そちらに目も遣らずに深呼吸する。


 ガフマンが唐突に斧を薙いだ。

 上体を反らして避けた優太の鼻先を轟然と擦過した。威力のあまり振り抜いた後に暴風を吹かせて煽られた雪が巻き上がる。

 反り身で体勢の崩れた相手に、今度は長剣で突く。鋭い刃先を作るべく削られたそれは、鈍器のような風切りの唸りを上げた。

 その攻撃を予備動作で察知しており、優太は背転倒立で逃げる。空を切った木製の鋒からまたしても突風が生じ、着地すると前景が氷砂の飛沫に遮蔽された。

 その奥で気配が躍動する。

 雪煙を断ち割り、疾風怒濤の攻撃が繰り出された。優太は全力を回避に消尽し、ガフマンの攻勢を辛うじて処理している。

 有効打と思われたガフマンの一手が空振りに終えると、観客は更なる熱狂さを増した。もはや高揚で天に向かって拳を突き出し、淑やかな侍女までもが野蛮な声で煽る始末である。

 壊滅的な現況に花衣は思考を放棄した。


 巧みな攻防が続いた後、ガフマンのある一撃が足元の雪の団塊ごと優太を払い飛ばした。観客の足下まで転がる彼を猛追する。

 斧を振り上げて待望した好機にいざ叩き込まんとした時、優太を庇うように飛び出した花衣に手を止めた。

 一同が驚き、慌てて次々と彼女を囲ってガフマンとの間に厚い壁を築く。

 その様子にガフマンは肩を竦めて白い息を吐き散らす勢いで哄笑した。


「いや何、少し熱くなってしもうたわい。如何せん坊主がやるもんでな!」


 冗談ではないと、冷静になった観客の苦笑が重なる。

 優太は半ば安堵し、その場で額の汗を拭った。


「強くなったな坊主、手応えなら(ムスビ)よりあったぞ!」

「恐縮です。……これは、僕の敗けですか」

「むはははッ!!魔法も氣術も禁じた勝負、これにて二十二戦一勝二十一分けか」


 優太は微笑んで一礼すると、花衣へと向き直る。腰の抜けた彼女を両腕で抱え上げると、観客の頭を氣術で浮遊させた体で飛び越えた。

 そのまま半ば誘拐じみた速度で花衣を連れて何処かへ向けて走る。


「ちょっと……ゆ、優太?」

「少し静かな場所に行こう」


 背中を後押しする黄色い声と怨嗟と背後に、二人は雪路を駆け抜けた。





  ×       ×       ×




 白熱する戦場を脱出して数分後。

 休まずに走り続けた優太が漸く下ろしてくれたのは、城郭にて北東に位置する区画。落葉の後に雪を軽く被った梢が交差する中に、簡素な小屋が佇んでいる。

 彼は外衣の中にあった花衣の手を躊躇いなく右手で取ると小屋へ引いた。

 陽炎の如く足下から上がる冷気に震えながら少し前を進む背中を盗み見ると、薄着でありながら全く寒さに動じる気配はない。

 いっそ皮膚が獣の皮さながらに醇いのではないかと疑うほど、優太は足袋に草履で雪を踏み分けて行く。

 戸を開けて屋内に入ると、そこは囲炉裏と僅かな物が置かれた空間となっていた。催促されて閾を超えると独りでに戸が閉まる。

 優太は早速薪を放り込んで火を熾すと、自分の隣に花衣を座らせた。久闊を叙すこともなく、自然体で対応する優太に懐かしさが先立った。

 仲間に聞いた通り、凛々しく美しい少年に成長している。一目を惹かずに目標を暗殺する仕事を為してきたとは思えぬ秀麗な容貌だった。

 それでも内面的に変わらない所為なのか、容姿の変化も全く違和感にならない。


 そんな彼が今まで苦境にあったと識った今では、ただ罪悪感しかなかった。

 何も出来ないにせよ、その隣に居る事で状況は変わったのではないか。心に寄り添えば、大軍を前にして総身を血染めにする危殆に瀕する事態も避けられた、そう考えずにはいられない。

 触れ合った肩から伝わる体温が、再会の喜びを押し潰していく。


 俯いた花衣の面を、優太が横から覗いた。


「どうしたのさ、表情が暗いよ」

「……ごめんね」

「全くだ、僕がどれだけ君が変な男に捕まってないか心配したか」

「うん……えっ?うん?ああ、トライゾンさんの事かな?」

「いや、花衣の近辺にいるすべての男」


 かなり的はずれな優太に、花衣は呆然とする。


「わたしが謝りたいのは、優太の事だよ」

「僕のこと……?」

「わたしは、重荷にしかなっていない。あなたへの有効な人質だったり、判断力を鈍らせたり……」

「…………」

「大事に想ってくれているのは判る、だからこそ駄目なのかな。わたしが一緒に居ると、優太を壊してしまう」


 常に足枷だった。

 一度は花衣を殺めかけたことで優太をより過酷な道へ進み、二年間の逃亡も友人さえ危険に巻き込む憂慮もありながら嘆願し、トライゾンによって(むかわり)にされた際は迷わず突貫を敢行した。

 常に優太を窮地に立たせる要因に花衣がいる。

 その自覚があるからこそ、彼の隣に自分がいることを不遜に感じ、罪であると断じた。誰かに護られるしかない非力さが、最も大切な人の危険を呼ぶ。

 全うすべき自分の宿命も、結局は他人によって解決させてしまった。それが万人に望まれた結果と雖も、花衣自身は何一つ果たせなかった後悔がある。

 今回の終戦を期に悟った。


「優太……別れよう」


 優太の救済を願うのなら、離れた方が良い。


「一緒に居ることで、あなたを苦しめるのなら……別れて生きる以外ない」


 自身の言葉は諸刃の剣となっており、口にしていく内に心痛で苦しくなった。花衣は外衣の中に隠した手で、掻き寄せた襟を握りつぶす。

 花衣が最低限として願うのは優太の幸福。

 そこに自分が居らずとも、彼さえ笑顔で過ごせていたなら最善とする。たとえ花衣を捨てた事に優しい彼が後悔していたとしても、それに勝る幸せに浸ってくれるなら。

 そう切に願う以外、優太に報いる想いがない。


 顔を伏せ、涙で歪む景色に目を閉じた。

 返答はまだない。

 優太が沈黙したまま見詰めているのがわかる。

 花衣は諦念と覚悟で顔を上げ、次なる言葉を紡ごうとした。この惜別を早く終わらせて、彼を次なる旅路に押し出す為の一声を絞り出す。

 その寸前で、額を優太の指が鋭く叩いた。

 瞠目した花衣に対し、彼は穏やかに笑んだ。


「前に君が言わなかったかな。わたしのしたいことを、優太が勝手に決めないでってさ」

「あ……」


 二年前の秋だった。

 カルデラの屋敷で、未遂といえど花衣を殺害する寸前までの惨事となって、優太が一方的に永久の別れを切り出した際に糾弾したこと。

 花衣の声には耳を傾けず自己完結する優太の判断を押し退けて傍に居ると誓ったあの日が、まだ鮮明に思い出せる。

 互いにとっての最善と自分勝手に決定した優太と、今の自分が重なっている。

 今度は自分が一方的に突き放そうとしていた。


「過酷な道なのは認める。一度は見失いかけたけど、今の僕には連れ戻してくれる仲間がいるから心配ないよ」

「でも、でも……」

「それに、僕は戦が嫌いだ。だからこそ、戦場から離れた場所に君が居てくれることで、僕の“帰るべき場所”が平穏な場所になる」


 優太が帰るべき場所と定めたのは花衣の隣。

 そこが戦場でない為には、常に彼女が安全であること。周囲に危険ばかりを呼ぶ性質だからこそ一度は離別を選んだが、それでも隣に寄り添おうとした彼女を守る為に戦いを選んだ。

 艱難辛苦の絶えぬ道程に優太は信念を喪失する場合もある。

 それでも、今回の様に仁那や仲間が救いに来てくれると信じることができた。


 優太は花衣の手を両手で包み、正面から翡翠の瞳を見据える。

 もう二度と、離れぬように強く握った。


「だから、改めて……僕の家族になって下さい。これからも君と、一緒に居たいから」


 心底に湧いた感情のままに言葉にした。

 その含意は褪せることなく、微塵も削れるこてなく声音に出される。感情の澱すら残さぬよう努めて、優太は有りの侭を伝えた。

 果たして――それを聞いた花衣は、まだ涙を流したまま当惑の顔でいる。


「本当に、いいの?……優太のそばにいても」

「僕は君以外に考えられない」

「また、苦しめることになる」

「それが試練なら、僕は何度でも乗り越えるよ」


 花衣は外衣を脱ぎ捨てて、優太に飛び込んだ。

 胸の中に顔を埋める彼女の頭を撫で、抱き寄せながら温もりを分かち合う。囲炉裏の火を近くに感じながら、互いに身を寄せ合うのは何度目か。

 森に暮らしていた頃は、冬だけでなく二人で火を眺めながら、隣で笑い合って過ごした。

 その過去から随分と遠ざかった今でも、優太の胸中で記憶は風化せずに残っている。家族として寄り添おうと誓ってくれた彼女もまた磨耗し、苦しんだ。

 それでも、花衣と別れる未来など考えられなかった。

 望んだ離反ならば受け容れるが、彼女がまだ自分の隣を望んでくれるのならば、優太は全力で守り徹す決意がある。


 花衣は目の周りを赤く腫れさせた顔を上げた。

 優太は困惑気味に笑みで返す。


「ずっと一緒に居させて」

「うん」


 その言葉を受けて暫し笑顔だった優太は、戸口の方を睨んだ。


「入って来てもいいよ、ゼーダと綯伊」

「えっ?」


 優太が口にした名に、花衣は思わず奇声を上げた。

 戸が開くと、ゼーダと綯伊がやや居たたまれぬ感を滲ませながら入室する。包帯で匿している所為で判り難いが、ゼーダは苦笑していた。

 二人が戸の前に居た――その事実を知って、花衣は今までの会話がすべて聞かれていたと察すると、赤面した顔を優太の胸に再び隠す。

 綯伊は、その反応から自分なりに解釈し、花衣の心中を読む。


「たまには良いと思う。こういう会話をしても、恋人なんだからさ」

「綯伊は先刻(さっき)から全然察してないでしょ!」


 ガフマンとの決闘を見守っている時から抱いていた不満を口にする。綯伊は他人の心を読む術に疎い。

 対するゼーダは無言のまま囲炉裏へと腰掛けると、黒外套の下から持ち込んだ鍋を囲炉裏の火の上に吊るす。蓋の内側から漂う香りに優太の目が輝いた。

 花衣は鍋を隠していた手品の種に若干の疑問を抱きつつも、涙の乾いた顔を一度手拭いで拭ってから、優太の隣に正座する。

 ゼーダから次々と配られる器を手に、開けられた鍋の中身の料理に手を伸ばした。


「私が言うのも筋違いだが……いずれ皆で帰ろう、あの村に」

「うん」

「その前に、お前たちの婚儀があるがな」

「村で開催すれば良い」

「……設営は苦手なんだがな」

「祭りの度もそうだったよね」

「ビューダに任せっきりだったし」

「……弟に任せていた()()というやつか……」


 肩を落とすゼーダに三人が笑う。

 もう五人しかいない神樹の森の住人。

 たとえ村は滅びても、皆が必ず帰ると誓った場所である。


 四人で談笑しながら、花衣は優太の方を見た。

 優太はその視線を受け止めて振り返る。


「……大好きだよ、優太」


 虚を衝かれて黙った優太の前で、再び花衣が会話に参加する。その耳が赤くなっているのが、決して囲炉裏の火の所為ではないと察して優太は嬉しくなった。


 それからも城から離れた小屋の中で、四人の楽しげな会話は晩を過ぎても続いた。






アクセスして頂き、誠に有り難うございます。


次回、五章完結です!


次回も宜しくお願い致します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ