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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:優太と道行きの麋──下
274/302

不滅の皇都(肆―2)/不滅よりも尊く



 死屍の累々と堆積する街。

 犠牲者の数が途絶えず増える中、生存者のいない大地で踊る一つの影があった。その周囲を淡く蒼い燐光を帯びる球体が緒を引いて旋回する。

 愉快げに回る彼女の挙止に合わせ、次々と死体から吸い上げられた発光体が群を成し、そこに星空を作り上げた。

 途方もない数に無邪気な笑みを溢す女性。

 花緑青の長髪は、戦場には似合わぬ鮮やかさで風に靡いていた。身の丈に合わぬ貫頭衣の裾は、彼女が回れば円盤のように膨らむ。

 地獄絵図を描く戦場で華麗に舞う姿は、益々その雰囲気を異質に際立てていく。

 そこにもう一人の影が近寄った。

 同色の短髪をした男であり、彼女の様子を呆れ半ばに見ながらも、宙を駆け巡る発光体の夥しさに笑む。

 二人を中心に密度を増していく青い物の群は、回転速度を上げて渦中の二人の姿を蔽い尽くす。

 地上の薄闇に流れる魂たちは、黄泉國以上に磁力を持った存在によって引き付けられており、救済を求める一心で離れない。


「随分と『契約者』の魂を回収したな」

「こっちの仕事は順調!大陸の神様反発運動が促進されてるお蔭で、高天原の力も弱くなってるしね」

(クロガネ)は回収したぞ」


 男が掌中に一つの青い球を持つ。

 彼がそれを揺する度に錫杖に似た鈴の音が鳴って戦場に谺していく。女性は己の耳に手を当てて心地良さそうに耳を澄ます。

 冬の寒空を突き抜ける音色は、清らかな鎮魂歌の如く浸透する。

 顔を綻ばせていた女性は、しかし突然頬を膨らせて少年の胸を肘で詰った。


「それって報われなかった魂かな?」

「舞台設定には必要だろ」

「そうだけどさー」


 二人は北東に聳える断崖と塔を見遣った。

 頂上では恐らく戦闘が繰り広げられている。

 予見していたカムイ同士の対決がついに実現していた。摩天楼の頂点で瞬く星の煌めきが忙しなくなったのがその証拠である。


「“最大目標”に比すれば問題無いだろ」

「これだけ状況が停滞してると、本来なら軽微でも、この現状だと後顧の憂いになるの」

「あー、早く帰りてぇなぁ。かれこれ半世紀も滞在してるぞ」

「神亡曲が完成するまで、出して貰えないかも」


 嘆息する二名は、ふと街の中を彷徨する小さな人影を見咎める。煤汚れた金の長髪を揺らして、肩口から衣服に血を滲ませていた。

 重傷の少女が覚束無い足取りで右往左往し、遂には地面に倒れ伏す。風前の灯となった幽し命の焔を発見した二人の顔が嬉々として輝く。

 意気揚々と少女まで霊魂の群を率いて駆け寄ると、その瀕死の肢体を持ち上げた。

 か細い呼吸を必死に続け、虚ろな眼差しで空を仰ぐ少女は、もう既に言葉を発するまでもできない状態である。

 手で簡易的な圧迫止血を行っているが、出血量を見れば既に手遅れだった。重篤な損傷を負い、長く時間が経過した所為で救命の余地がない。

 抱えた女性の掌からも、血が漏れ出ていた。


「これは助からないね。どうしよう?」

「連れてくだけだろ」


 ナーリンを見る二人の背後で、建物が爆ぜた。

 飛散する瓦礫と濁流の様に押し寄せる土煙が視界の一切を遮蔽する。驚いて振り返ると、煙の中から黒い物体が飛び出した。前へ猛然と転がるそれは、血の軌跡を描きながら足元で止まる。

 その正体は、怪物の頭部だった。

 口腔と首の断面から血を吐き、激しく痙攣している。凄惨な様相に女性の顔が思わず引き攣り、男性はナーリンを庇うように後退りした。

 頚のみの怪物は、眼球を回してナーリンへと視線を向ける。


『ナー……リン……』


 異形の魔物の苦し気な誰何。

 その声を聞くや、腕の中の少女がそちらへと手を伸ばした。視線は変わらず望洋と何処に定められているかさえ不明瞭だが、意思や体は反応している。

 女性は肩を竦めてみせると、ナーリンを怪物の頭部の傍に置いた。遅々と再生を始める頚部から伸びた血管が自在に伸びて彼女に搦み付く。

 捕食するかと想定して、男性が取り押さえようと身を乗り出して停止する。

 怪物は無防備なナーリンを害さず、腕で優しく抱き留めるように包む。彼女もまた、手でその血管を優しく握ると、笑みを浮かべる。

 醜く惨たらしい絵面であるのに、二人は息を呑んで見入った。

 人外と人が互いに求める奇々怪々とした光景には奇妙な感動がある。既に危険性の高い生物と断定され、相見えた途端に敵として狩られ、逆に狩る者たち。

 如何なる経緯でその心が繋がったのかは知らないが、そこに奇跡の一端を見た。


 破壊された建物の瓦礫を蹴散らし、路地に大量の魔物が雪崩れ込む。

 二人は即座に振り向いた。

 先頭を切るのは比類なき威厳のある黒い大麋であり、体の節々に迸った蒼銀の炎を滾らせた偉容。鼻を鳴らしながら、一歩ずつ前に歩むと威圧感で空気が重く感じる。

 背後には冒険者が遭遇した場合は撤退を優先する強力且つ凶悪な魔物が顔を揃えていた。

 目を合わせるだけで殺傷力を発揮するような眼光は、二人の足下にいる怪物とナーリンに束ねられている。


 そう、二人の姿はナーリンや怪物、魔物達には視認されていない。

 大麋が怪物の首に視線を移す。

 蒸気を発する程度で、再生が一向に進まない様子から既に回復力の限界に達したのだと悟った。瀕死の敵は、止めを刺さずとも終わる。

 残る再生能力を、戦闘に消尽するのではなく少女を抱き締める為に費やした。その理解のできない思考の追及はせず、大麋たちは更に都の奥へと進行する。

 大群が地鳴りと共に進攻し、北東の断崖を目指して建物の影へと消えていく。

 再び静寂の取り戻された路地に残ったグラウロスの肉体が塵へと返還し始めた。


『ナーリ……ン、ずっトと……一緒』

「どうして……私みたいな人間を、想ってくれるの?」

『友達……トモダチ、だから』


 その一言に、ナーリンの眦から涙が垂れる。

 グラウロスの塵に帰す頭部を抱き寄せて、その言葉を反芻し、何度も確かめるように頷く。

 胸の中で潰えていく友の命を感じ取りながら、またナーリンの瞳も光を失いつつある。


「そうだね……私達、ずっと一緒だね」

『う……ン……ズっ……と……』


 最後に交わした一言のあと、事切れた。

 塵となったグラウロス、ナーリンの遺体から二つの淡い発光体が二人を取り囲む円環の中へと加わる。夥しい魂の渦の中でも、恐らく二人は離れたりしない。

 奇妙な確信を持って女性が恍惚としているのを隣で男性は顔を引き攣らせて流眄した。


「銕の回収完了。目標(ノルマ)は達成したし、そろそろ薄気味悪いこの場所から離れるぞ」

「どうだろうね」

「はっ?」

「もう一人いるかもしれない」


 女性が見上げる先は、やはり雲底を貫く摩天楼の方角だった。

 訝って男性が顔を覗くと、その相貌が珍しく悲哀を滲ませている。


「どうした?」

「……いや、別に」

「んん?」

「少し離れた方が良いかな」


 二人が街路を進むと、その後方を魂の団塊が追従する。

 遠ざかる背後の摩天楼の頂上で、断続的に光っていた星の輝きが増した。断崖の上全体を呑み込み、雲を切り払って黄金の天穹を露出させる。

 形のなかった光は、やがて翼を象って第二皇都まで包む広さまで成長した。翼によって照らされた街へも降り落ちるのは、粉雪に見紛うほど小さな羽である。

 女性は掌で受けたそれを矯めつ眇めつし、無造作に払い捨てた。


「盛大で美しい散華……嫌になる」

「珍しいな、おまえにしては」

「どうしても結局、闇人は幸せにはなれない宿命なんだよ」

「ははっ。俺たち風に言わせれば、『そういう星の下に生まれた』ってやつか!」


 女性が一睨みして諫めると、物憂げな視線で再び摩天楼を顧みた。彼女の脳裏に、一人の男の苦しみ(もが)く姿が浮かんだ。

 廃墟に犇めく複数の大勢力を一人で相手取り、全方位から攻撃を受けながらも敵を斃して猛進する。武器を摑む握力もなく、跛行しながらでも目的地を目指す。

 ただ一人の為に、魂すら賭ける人間。

 彼は結果として報われず、今もまだ苦しんでいる。

 その苦痛と懊悩は、次代にも受け継がれた。


「貴方は“こっち”に来るべきだよ……優太」


 女性は小さく、哀れな少年を想って囁いた。






  ×       ×       ×




 摩天楼の屋上で鮮紅の花が咲く。

 王冠に触れた途端、カムイの技を解除して何かに気を取られた蒼火へと、トライゾンは容赦無く七支刀で斬り付けた。

 攻撃を阻止すべく駆け出した紫陽花だったが、背後から服を摑んだ花衣と泥吉に制止され、想定していた最悪の展開が目前に再現される。

 至近距離から胴を寸断する意図でふるわれた異形の凶刃、その枝刃が一つ、二つと蒼火の肉を抉って血が飛び散った。

 七支刀の威力ならば、人体を断ち切るなど容易い。数瞬の後には、無惨にも両断された蒼火の死体が転がる。

 紫陽花が彼の名を再び叫ぶ、それよりも早く事は済むだろう。


 そんな予感がする中、七支刀が遂に振り抜かれた。刃先に血が付着して周囲に円弧を描いて振り撒く。

 蒼火は刀を受ける直前に飛び退いていたが、既に攻撃動作に入っていたトライゾンからは逃れられず、予定よりは浅く、それでも重い剣撃が命中した。

 その一刀から放出される氣の刃が敵対者の死滅を確約する。先刻と同じ鋭い真空の刃を同時に出力した。七支刀で腹を裂かれた蒼火は、間違いなく肉体を二つに割られて死ぬ。

 トライゾンはその光景を今かいまかと待ち、後ろへと傾いていく蒼火の体に目を凝らす。刃傷からの出血を噴いて、空を仰ぐ彼は確かに致命傷を負っている。

 しかし――()()()()だった。

 刀剣による傷以外に、何の効果も見られない。振るった刃先から更なる第二撃として機能する筈の真空の刃で切断されていない。

 信じ難い光景に目を瞠り、振り抜いた姿勢で固まるトライゾンは、ふと右手に激痛を覚えて振り返る。

 七支刀を携えた腕の手首から、蒼火の負傷に劣らぬ勢いで血が噴出していた。漸う見れば、痛みから骨まで深く異物が体内を堀削しており、未だ貪欲に血肉を貪って潜る。

 それは――鋭利な破片たち。

 粉砕した蒼火の短剣の破片が一度は食い込み続ける。カムイの“叛逆”によって、失敗に終えた攻撃が再度相手を襲撃する力を付加された短剣は、たとえ破壊されて粉になろうとトライゾンを追撃するのだ。

 一撃に渾身の力を乗せた積もりだったが、握力が失われていた。毒の如く身を冒し食らう刃の愚直な侵攻で折角の必殺が阻害される。

 その事実に了解して、前に向き直ったトライゾンの前方で、傾いていく上体を捻って回し、遅れて振り回される足の踵を突き付ける蒼火がいた。

 動揺で回避にも移行しなかった状態で、横っ面を打擲されて首が後ろに弾ける。

 続け様に飛び散った蒼火の血の滴が発光し、トライゾンの体を複数の凶弾と化して射抜く。更なる痛撃で数歩後退して、欄に腕を絡め辛うじて倒れるのを堪えた。

 皇族でもない存在に対して膝を突く、それ即ち敗北であるとするトライゾンは、意地でも脱力感に萎えそうな足を奮い起たせる。


 蒼火は腹部に刻まれた深傷に手を当てて膝を屈した。俯いた顔から出された吐血が床を汚し、咳き込むと細かい喀血が落ちる。

 己が流血を“月光弾”として即座に利用する機転を利かせたが、その損耗は甚大であった。

 常人とは違い、火傷の影響で新陳代謝の機能不全を起こしている蒼火の体は、主に短期決戦以外に適さない。

 そこに大きな傷を受ければ、その痛痒(ダメージ)は一入だった。


 欄に預けた体に鞭を打って前に進み出たトライゾンは、相手の様子に嘲笑する。


「他愛ないな、所詮皇族の『人心掌握』の力を行使するまでも無かったか」

「その言葉、そっくりそのまま返すぜ」

「何を言う?私には不滅の肉体があるのだ。こんな傷も忽ちに回復する」


 トライゾンには、『神器』で得た不滅の肉体がある。完全な神豪(こうぞく)の能力を有した現状ならば、どれだけの負傷を受けても何ら問題にならない。

 余裕の構えを見せる彼に、しかし蒼火は傷の痛みも忘れて大笑した。

 トライゾンがその奇怪な反応に顔を顰めると、痛々しい火傷の左手で彼の体を指差した。


「“不滅”の意味、あまりにも滑稽すぎるだろ」

「何……?」

「聞いて呆れるっつってんだよ」


 蒼火が何を言っているのか。

 トライゾンはその真意を推理しながら、己の傷口を見る。胴体を何発か貫通した血の弾丸を受けた箇所には、依然として穴が空いている。出血は無いが、傷は塞がらない。

 驚いて右手首を面前に翳すと、“叛逆”で受けた部分も治癒しておらず、血の噴出は収まっても抉られた肉の跡が残っていた。

 驚いたトライゾンは、得物を落として自分の傷口を何度も検める。変わらぬ現実で恐慴し、後退する中で蒼火が代わりに七支刀を摑んだ。

 彼が手にした瞬間、刀身から白銀の光が失われ、枝刃が消えて以前の黒刀へと回帰する。

 手元から『神器』の一つが奪取され、トライゾンの身を保護していた白装束が消滅した。背面の鏡から氣が散逸し、宝玉の輝きも蒼白い光へと変化する。

 肉体を強化していた『加護』の消滅に伴い、傷口から滂沱と血が溢れた。氾濫を抑えていた濁流が堰を切ったかの如く、瞬く間に彼の足下に血溜まりが形成される。

 未だに己が現状を信じられず、血に浸った膝を引き摺り、悍しく太い朱線を描きながら欄干に縋り付いた。多量の出血で四肢に力が入らず、幾度も床に摺り落ちる。

 傍観していた三人の中で、泥吉の正気が戻った。意識を失っていた間の出来事は記憶しておらず、知らぬ間に重傷に苦しむ蒼火の惨状に目を剥いている。


「ほら見ろ、碌なモンじゃねぇ。不滅とか豪語すれば、所詮はそんな粗末な仕上がりだ」

「わ、私は……私が純粋な神豪でないからか!?」

「『神殺し』なんて大層な期待込めた名付(ネーミング)するんだからな。どうせ、“肉一片になるまで役目を果たせる体”ってだけで再生も何も無いんだろ」


 つまり――胴を両断されようとも、四肢をもがれようとも、頭を失おうとも、活動に充分な肉体が残っていれば意識を保持する。

 換言すれば、“死ぬ事のできない体”。

 それ故に不滅、王の不死性。

 トライゾンが想い描いた理想とは、大きく異なる歪で醜悪な能力だった。


「だから捨てられた。醜い欲望に縛られて、都市の心臓として永遠に機能するなんて様がな。そこの娘の父親は、賢明だった」


 蒼火は花衣を一瞥してから、手を差し出す。


「さあ、残りの『神器』も寄越しな。全部破壊してやる」


 トライゾンは床に散乱した黒い羊皮紙を掻き集める。

 黒刀の柄頭を案じ、辛うじて立ち上がった蒼火の隣に紫陽花と泥吉が走った。左右から半身ずつを寄り添って支える。踉々とする体は自力で立っておらず、支えを得た途端に傾く。

 二人の助力を借りてトライゾンの傍に寄ると、顔を鷲摑みにして正面に向かせた。

 血と怯懦に染まった醜貌には、既に以前のような傲然とした自負がない。今や計画の残骸に潰えた理想を求め、情けなく縋っている。

 この男の謀略により、故郷の同族は掃討され、帰る家がなくなった。元より追放された蒼火には二度と帰れぬ場所だが、それでも事件の後に訪れた焼け跡の景色はまだ目に鮮やかである。

 存立するカムイの血は大陸中に多くいる。

 それでも、純血は蒼火以外に存立していない。

 カムイ同士で相争わねばならない事態に、故郷と名を捨てた身となっても疑問だった。


「今さら血に拘泥する積もりじゃねぇが、お前のやってきた事は一人の人間として許せねぇ」

「ぐ……痴れ者……皇族でも無い奴が……!」

「皇族なら何でも許されるのか。生憎と、この大陸の現況を見てまだ理解しないのかよ」


 蒼火は宝玉の王冠と、胸に抱き締められた十枚の黒い紙を奪い取った。項垂れるトライゾンを無視し、屋上の中央へと移動する。

 三つを自身を中心として三角の頂点となるように安置した。両の掌を合わせ、傷の痛みを和らげようと深呼吸しながら瞑目する。

 正直、屋敷や道中の戦闘を加えて体内の氣を殆ど消費した。『神器』破壊の為に武具を装備して節約したが、初手で粉砕されたのもあって限り限りである。

 この儀式が完了すれば、即座に治癒魔法での回復を受けぬと死までの猶予は直ぐになくなる。

 今は居ないが、治癒魔法に類する技を使える者が接近している確信はあった。

 ただいま接近している奇跡の問題児の仁那、或いはその仲間さえ間に合えば助かる。


 皇都の復活、及び機能の再起動は『神器』が領内に再び集合することである。

 だからこそ、封印場所は主に大陸中心の神樹の遺跡、南の辺境近くの炭鉱街、西端にある帝竜の住処と北の地を避けて散在していた。

 トライゾンの計略にあらゆる者が参加し、その所在を暴いてしまった故に招かれた此度の危険事態を、二度と起こさぬ為にも破壊するしかない。

 そして、『神器』が破損すれば皇都に『契約者』として魂が束縛されることも、皇族が力を発揮する機会も永遠に失われる。


 掌を打ち合わせた蒼火の瞼の裏に、記憶の断片がちらつく。

 幼き日に族長から『加護』の解放の術を教えて貰った際の場面である。祈祷の祭壇で密かに時代の動く予感を得ていた族長が、歴史も交えて語っていた。


『いずれ人の時代が来る。我々が故郷へと還る日もな』

『その為に、何で『加護』を消さなきゃいけないのさ』

『『加護』とは神とある種の契約で得た対価でもある。強力な力を得る反面、有事には神に支配される呪いだ』

『ふーん……?』


 幼い蒼火――ウィルトスは自身の掌を見る。

 七つの『加護』を持つ彼は、それ相応に深く重く神と繋がっているのだ。


『それに『加護』はな、我らカムイの力を模した力なのだよ。縛られた大陸の皆を救うのも、また我々の使命だ』

『……外からは、どうやって来たの?』

『ふふ。この世界自体が云わば『加護(かご)』で縛られた存在。私がこれから教える『加護消滅』の詠唱は、当時の族長アイテール様が扉を開けたのと同なのだ』


 祭壇の岩壁に刻まれた女性の姿。

 ウィルトスは、それを見てもまだ判らず首を捻る。


『その……アイテール様は、死んだの?』

『さあな。だが我々が神に反逆するのは彼女の意思に端を発する。だからこそ、彼女の為にも願いを遂げなければ』

『……そっか』

『では、よく聞きなさい』


 記憶の中の族長が、柔らかい声色で告げる。


 蒼火はその声に従い、自身も詠唱を紡いだ。


「《神に抗いし戦士(ミレス)よ、ウィルトスの名に於いて、其方等に新たな道を》」







  ×       ×       ×





 蒼火の声が呪文を唱えた。

 花衣たちが見守るなか、『神器』が独りでに震動し始めた。黒い十枚の紙には裂目が生じ、黒刀と輝石に亀裂が走る。

 共振したかの様に摩天楼全体もまた震え、皇都全体からも地鳴りが轟く。穏やかだった雲海は、地上へと無数の落雷を叩き落とした。街に張り巡らせていた水路は氾濫し、建物や道を飲み込んでいく。

 天変地異さながらの現象が連鎖的に発生する。

 各地でも皇都に突入を開始していた部隊は撤退し、『契約者』は事の次第を本能的に悟って回避せずに留まった。

 破裂した『神器』より溢れる光が屋上を呑み、翼の形となって広がると都市全体に金に瞬く小さな羽を落とす。地面に触れた瞬間、その場で金色の波紋となって消失した。


 天下を薙ぎ倒す勢いで拡散した光が消えた後、皆は屋上で倒れていた。

 誰よりも先に覚醒した蒼火は、破片と化した『神器』を眺め回す。隣で眠る紫陽花と泥吉、花衣などは無事だ。トライゾンの傷も消えており、気絶したまま伏している。

 遠景に見える都は、道々に水流の行き渡る遺跡の如き風致となっていた。

 都市の機能は停止したのだろう。

 前回の皇都消滅は記憶からの除去のみだったが、今回は徹底的に消し尽くした。人々の記憶に歴史の姿を刻みながら、二度と過たぬよう皇都の核を潰す。

 紛うことなき終焉に安堵した蒼火は、ひと呼吸が楽になったことに気づく。

 自身の腹部を触って探ると、傷が癒えている。


「やれやれ。漸く一仕事終えたって感じか」


 肩を竦める蒼火の前で、トライゾンが意識を復調して立ち上がった。周囲の景観に唖然とし、未だ夢現をさまよっているのかと己の目を疑って動揺している。

 そんな彼に破片の一つを投げ遣った。

 攻撃と見謝って腕で防御した彼は、服に刺さる程度の軽い投射に訝る。しかし『神器』の破片なのだと瞬時に察知して目を伏せた。

 憂い、怒り、悲しみ……それらが綯い混ぜとなって、彼が導き出した結論(表情)は安堵だった。


「大人しく投降しろ。俺もどうせ、これから事情聴取とか受けて忙しくなるからな」

「……どうして、私を殺さない?」

「お前を殺したら、英雄とか、或いは犯罪者ってまた騒ぎ立てられるだろ。この現状が最善なんだよ」

「英雄になれば、もう逃げる必要も無い」

「静かに暮らしたいんだよ、こいつらと」


 隣で眠る紫陽花たちの頭を撫でて、蒼火は微笑した。腹部の致命傷は消えても、その火傷までは消えない。

 それでも彼は外衣を脱ぎ捨て、その皮膚を外気に晒すのも厭わず涼んでいる。


「守る物が無いと、人間は廃れてくだけだ。お前も、何か大事な人とか物を見つけろ」

「……これから、どうする」

「俺か……。まあ、大陸中の“縛られし者”を解放してカムイの責務を全うしたら、戦争とも無縁な場所で生活する」

「……カムイの責務、か」

「本当は要らないだろうが、せめてもの弔いだ」


 トライゾンは彼の横顔から視線をはずした。


 父親から継承した道以外、己の高貴な血以外に自信の持てなかった自分は、非道な手段を選んででも進んだ。幼少期から自分が高潔な一族の末裔だと知らされたが、秀でるのは容姿と血筋のみ。

 何が正しいのか、何が間違っているのか。

 正誤も、自分の下した判断が絶対的であると信じてきた所為か、付いて来る者の意思に耳を傾けなかった。

 余計に他人との距離が生じたのだ。


 この男は真逆である。

 過酷な環境下に放り出され、その中を生き抜く為に自分を信じた。血に依存した力ではなく、他人の声を聞いて、動きを見て、次に迫る危機の接近を読んで逃げた。

 他者をよく観察するからこそ、他者を信頼できない。

 常に幾重もの壁で他人と自分を隔てた。


 しかし、今の彼は違う。

 大切なモノを得たとき、忌避していた戦場や宿命を真っ向から受け止め、なおも守る為に身を呈した。

 その姿が輝いて、何よりも尊く映えたからこそ苛立ったのだ。

 トライゾンは、これから自身も知っていかねばならないと自戒する。ひとり不滅の肉体を得れば、誰にも縛られず、他者から羨望と畏敬を集める存在になれる。

 欲望に取り憑かれた結果、危うく生き永らえる以外に何も為せない肉片となるところだった。


「ならば私も、罪を償うよ」

「そうしろ阿呆め」


 軽口気味で罵る蒼火は脱力し、床に転がった。

 それと同時期に、彼の直下の床が円柱状にせり上がり、昇降機の扉が出現する。三人を上に掲げたそれから、カリーナ達が次々と躍り出た。

 一事の終局を迎えた景色を見て察すると、カリーナは迷わぬ足取りでトライゾンの前に出た。

 その背後では、花衣を保護した面々が歓喜していた。昇降機の上に居る三名に気づくには、まだ時間を要する。

 縁から頭が垂れた蒼火を振り仰いだカリーナは、改めてトライゾンに向く。


「先客の戯れで力を使い果たしたか」

「ああ、降参するよ。私を捕縛してくれ」

「……本来なら、その面に説法を食らわせてやる所存だったが良いだろう。どうだ、復活を目論んだ道行きの終着点は」


 トライゾンは再び青さを取り戻した空を見上げて笑う。


「無為な旅路だった。私は憧れていたのだろう、不滅よりも儚く、けれども強い絆に」


 カリーナは沈黙して、傍に侍らせた邪氣の球を縄の形状に変化させ、トライゾンを縛る。

 彼を伴って皆の下に戻ると、蒼火たちも回収されていた。セリシアの銀狼の背に、優太と花衣の寝顔が揃う。

 二人の意識が目覚める頃に、真っ当な再会となるのだろうか。


「火乃聿に帰るぞ」

「おっ、やっとか。年越しまでに終わればと考えたけど、いや一件落着だな」

「おい犬、まだお前には仕事が残っているぞ」

「ゆっくりさせろよ!!てか犬言うな!!」


 不満を垂れる上連の愚痴を流しながら、去ろうとするカリーナの脳裏に誰かの囁く声が響く。

 振り返ると、欄干に銀色の影が腰掛けていた。


『あーあ、失敗ね』

「……魔女か?」

『ふふっ、もう結以外の手はないみたいね』


 銀の影が消え失せる。

 呆然とするカリーナに気付いて、上連が足を止めた。


「何してるんです、姐さん?」

「……いや、何でもない。お前の仕事量が三倍に増える計算をしていただけだ」

「了解、あとで()とゆっくり話そうや」


 今のは何だったのか。

 疑問と一抹の不安を抱えながら、カリーナはその場を後にした。






アクセスして頂き、誠に有り難うございます。


これにて第二次ベリオン大戦は終わりです。

次回か、更に次回かで『五章――下』も完結します。

恒例の登場人物紹介(めちゃくちゃ溜まってる)をやれば、【第二部】のエピローグ。


いよいよ【第三部】のプロローグ!……となるんですが、短編を幾つか載せて休憩する予定です。


本作に長くお付き合い頂き、本当に感謝感激です。

次回も宜しくお願い致します。




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