表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:優太と道行きの麋──下
273/302

不滅の皇都(肆―1)/可哀想なカムイ




 カリーナ一行は絶句した。

 トライゾンの現在地と思しき摩天楼の一階の有り様は、一事の過ぎた後である。瓦解した建物と間を縫う道々の橋に草臥れた遺体の数々。

 未だに崩壊の収まらない地点もあり、高度な技術で加工された天井が崩れて落石を降らせている。

 天災のあった場所とさえ勘違いする被害は、カリーナでさえも一瞬その思考を停止させた。

 摩天楼内部の都市の中央に立つ昇降機を見付けた上連が斥候として街衢へと降りていく。仲間の遠退く後ろ姿で我に返り、カリーナは現状の分析を開始した。


 トライゾンがこの摩天楼に居るのは間違いない。

 理由としては、“不思議な輝石”で鍛造された掟流の短剣が接近するほどに鞘の内側から漏れる光が強くなった。トライゾンに回収されたもう一振りに反応していると推測すれば、敵の攻め難い摩天楼の頂上に居ると思われる。

 この場に至るまでに『契約者』を自称する戦士と幾度か交戦して辿り着いた。おそらくカリーナ達より先んじて侵入に成功した者が激戦を繰り広げた結果。

 ややもすると、被害状況からして摩天楼内部に復活する『契約者』の実力は、外部で迎撃する部隊よりも格上の強者となるやもしれない。

 しかし、考えうる破壊の実行人は別に思い当たる節がある。

 先行しているのは闇人優太、そして敵陣に忍び込んだ仁那。

 後者の動きについては、大抵の予測が付いていた。トライゾンによって捕縛された情報を得た際は不用意な行動の末路と嘲ったが、大胆な彼女が易々と敵の手に囚われている事はない。現に、厳戒体制の首都を飄々と脱した程である。

 つまりは潜入し、内部からトライゾンを制止する為の捨て身。元は彼に大陸改革の為の要人として要求された身柄だからこそ通じる手段。

 皇都の出現で多少の移動はあれど、仁那はトライゾンに近い位置に居た。その彼女が摩天楼に先鋒として突入していない理由はない。

 問題は、あの異常状態の優太と鉢合わせとなっていないか。

 仮に二人が遭遇したとなれば、仁那の思考からしても前進を阻止する。時代が大きく動いた二年前の立役者、そして今年からの事態を激変させた問題児の立場としては共感があり、だからこそ異質な差異に感付きやすい。

 主を持たぬ闇人の呪縛として、無意識に血に飢えた戦闘狂と化していく優太を危険物と断じて一戦を交える場合も否めないのだ。

 二人の勝敗はカリーナにも予想は出来ないが、その争闘が勃発していたなら、この天災の光景にも納得する。


 高度な文明を築いたにも拘わらず、人々の記憶からも消滅していた皇都。第一次大陸同盟戦争の以降、どんな経緯で姿を消したかさえも不明だった。

 皇族の所有する特殊な力に起因するのかもしれないが、凡ゆる人間の記憶から存在を抹消するとなれば力の及ぶ規模は大陸全土。

 死後の人間の魂を拘束し、『契約者』として使役する。皇都に純粋な忠誠を誓う者の意思を利用した機能が備わっているのは、都市の力なのか、支配者の力なのかの判別も付かない。

 皇国の滅亡は東西の紛糾に巻き込まれ、破滅を危惧した皇王が逃竄したといわれている。

 花衣の父親――神樹の村の村長の身に何があったのか。そこにも暁が関与しているのは明白だが、彼らの間であった事象の仔細までは解明されていない。

 なぜ彼等が皇都を捨てたのか。

 これほど強力な兵の忠信を有していれば、東西の間に立っていても侵害される恐れは無い筈だった。都市の力で大陸全土の人間を絶対的なその権能で支配し、鎮圧だって容易である。

 そこまで考えた上で、可能性として挙げられるのは皇族内での抗争。予断は許されないが、この筋が極めて力強く響く。


 斥候の上連が慌てて帰還した。

 黒頭巾から見えた目許の焦燥を看取って、一同に緊張が走る。摩天楼内部に進行を中断させるような脅威があるのか。


「どうした、犬」

「実は皇都の中心部で――っておい!流すところだったよ、人を犬って呼ぶな!」

「仕方無いだろう、名前を憶えていない」

「それで、よくその職が務まりますね」

「お前が特別なだけだ」

「そんなところで特別視されても嬉しくねぇ!」


 緊張を解すカリーナの冗談に、些か託ち顔で不満を露にする上連だったが、報告を再開した。


「都市中心部で、優太と仁那の両名が倒れてます。どっちも酷い怪我ですね」

「やはり戦ったか」

「どうします?」


 怪我人を背負ったまま戦場を進むのは危険。

 誰にでも判る理だが、何処もかしこも『契約者』が目を光らせて襲撃する現状で放置するのもまた同じ。

 二人の実力と勝敗の結果が相討ちである事を鑑みるに、目覚めても自分の身を守れるほどの余力も無いだろう。

 ここ以外の戦況も気になるが、皇都を脱したとて出動した解放軍の襲撃部隊に遭遇する。同盟軍と合流するまで、果たして庇いきれる自信もない。


 判断は道中で済ませるとして、上連の案内で中心部まで移動する。荒れ果てた都の道では何度も瓦礫で塞がれており、その都度通行には難儀した。

 目的地に着くまでに見た死体の数は夥しく、その中には剣閃で屠られた物もあれば、嘔吐や出血などの痕跡も見当たらない不審死もあった。

 おそらくは優太の仕業であり、先に到着したのは彼だと察する。後に駆け付けた仁那と意思の相違、互いに認められないとなって衝突に発展した末に相討ちに終えた。

 あの二人の実力が拮抗した事実には驚かされたが、それ以上に落胆がある。

 優太と仁那、二大戦力が互いに倒れたいまではトライゾンを止める切り札が二つ潰えた状態。中心部で、落胤といえど真っ当な皇族である彼が皇都復活が果たされ、尋常な状態にあるとは思えない。

 これではトライゾン打倒が困難となった。


 カリーナ達の行く手で、地面に仰ぎ臥す優太が居る。襤褸となった黒装束の上着からは、多くの傷が覗いていた。

 セリシアがいの一番に駆け寄り、『加護』の力による治癒を行使する。その安否を憂慮していた觝や綯伊までもが傍に急ぎ、付着した血などを手拭いで拭き取った。

 掟流は複雑な表情で倒れる彼の顔を見て、その場に膝を突いた。


「ごめんよ。俺を助けてくれたのに、俺は君の事を救ってやれなかった……一生を懸けてもいいくらいの恩があったのに……!」


 意識のない相手に低頭し、震えた声音で謝罪する。掟流としては、いま彼が真面な道に立ち、仲間と歩めているのは二年前に優太に救われたからだと感じていた。

 家族を顧みず他人の為に命を使う事に躊躇わなかった、あの自滅的な惨状を経験していながら、恩人の抱える異常を察してやれなかったのだ。

 そこに深甚なる後悔があり、掟流の胸を穿つ痛みとなっている。

 それは、隣にいる觝も同様だった。

 彼が手を引いて導いてくれたから、ニクテスで迫害を受けていた自分にも自信を持ち、生きる勇気を与えてくれた。

 逆境にも立ち向かう、そんな活力と意思の強さを教えられたのに、窮状にある彼の救抜ができなかった己の非力さを悔いる。


 暗い面持ちになる面子に囲われた従弟の姿に、カリーナは嘆息して傍に近づく。

 皆に誓って、過酷な宿命を背負った少年は一人で処すには無謀なほどの戦いに身を擲った。誰もが彼の背中を追い、次第に自らの道を見出だして進めたのだ。

 途方もない絶望の暗中から歩み出せた人間は、優太へ深い謝意を持っている。

 けれど、前進を止めなかった、止められなかった彼に蓄積する苦痛と絶望、悪意を誰も察知してやれなかった。


「……すまんな、無名。私たちはお前一人に任せ過ぎてしまった」


 カリーナは優太から視線を外し、対岸で伏臥する仁那を見遣った。

 意思を持たなければ、友を止める事は叶わない。他者を想い遣る強さ、その権化とも思える仁那ほどまではいけずとも、人間は誰が為に戦う覚悟と優しさがある。


「ありがとう、仁那」


 上連が仁那を背負った。

 傷を塞ぐ応急処置を済ませた優太の頭を膝の上に安置したセリシアは、背後に己が半身の銀狼を出現させる。

 カリーナは昇降機を振り仰いだ。

 幸いにも戦闘で傷付いた様子は見受けられない。尤も、衝撃の余波で中身の機構が故障している可能性もある。


「どうします、姐さん?」

「死にたいのか上連」

「覚えてんじゃねぇか!責任追及の時だけ都合よく名前出すなよ!?」


 己の不遇を糾する上連を無視する。


「我々は進むぞ、ここでは撤退も危険だ。セリシア、優太と仁那を銀狼で運びながら移動する。いいな?」

「了解」


 上連の背から仁那を受け取った銀狼の背に、三人がかりで優太を乗せる。その安定性を確認した後、昇降機へと向かった。

 カリーナは道中で天井を見上げ、そこにまだ見えぬトライゾンの顔に思いを馳せて睨んだ。彼女には珍しく、平生の如く少し余裕を持った表情ではなく、己の戦場に挑む闘志だけを瞳の奥で滾らせていた。


「待っていろ、必ず倒す」


 静かなる覚悟で呟かれた一言に、近衛たちもまた同意して頷いた。



 




  ×       ×       ×




 最大の摩天楼の頂に、一つの星が瞬く。

 花衣は円形に拡がる屋上で目を覚ました。

 果てしない空と雲海だけが周囲を満たす景色な筈なのに、篭に押し留められたかの如き閉塞感に囚われる。全てを見下ろす無風の高所は地上の蛮声がよく響く。

 多方向から一斉に摩天楼へ収斂する戦争の音。

 鈍痛すら覚えるほど強く空気を振動させて鼓膜に届き、花衣は頭を抱えて踞った。

 屋敷の広間に居たが、瞬間的な閃光に全景が切り裂かれた後に意識を失い、雲上の空を衝く高さに移動した奇異なる現状に至る。

 トライゾンの仕業に相違ないが、屋敷から天上に転移するなど神の御技にも等しき力。最後に準備が整ったと宣っていたが、その『準備』がこの不条理を実現した要因なのか。


 花衣は並ぶことなき高さから、更に頭上を見上げた。

 高空に太陽に似た幾何学模様に発光する紋章が浮かぶ。地上から見上げてもなかった筈なのに、さも当然とばかりに空に刻印されていた。

 黄金に染められた雲上にて、唯一の異色の彩りを持つ。


「あれを我が一族では、“贋の天頂(ケルサス・ファルサ)”と呼ぶ」


 背後からかけられた声に素早く振り返った。

 そこには、トライゾンが立っていたが、花衣の知る彼とは些か様相の異なる風体で立ち構えている。

 妖艶な竜胆色だった髪は、金とも銀とも依らぬ彩色を帯びた糸で編まれた様だった。頭頂に掲げた冠には、白金の如き宝玉が一つ填められている。

 顔貌にも赤い刺繍があり、瞳さえもが頭髪と同じ色に変じ、人ならざる者と判別できる縦に鋭く伸びた瞳孔が中心に据えられていた。

 東西の文化にも見ない装束を纏い、鋒の他に六つの枝刃を持つ奇態な白刀を提げる。その背後の虚空に整然と十枚の鏡が浮かび、反射した光でトライゾンの立ち姿を神々しく照らす。

 摩天楼や天頂に刻まれた謎の紋章、そしてトライゾンの姿に現れた変化に理解が追い付かず、花衣は声を絞り出すのが精一杯だった。


「“贋の天頂”……?」

「皇族は、この摩天楼(ハイタワー)を使って“故郷の蒼空”を眺めたかったそうだ」

「故郷……西の土地の事?」

「もっと遠い場所さ、私でも判らない。でも、どれだけ階層を重ねても、届かなかったらしい」


 トライゾンが視線を横に投げた。

 花衣がその先を目で追うと、紫陽花が床に伏している。意識を失っており、傍にいる弟の泥吉が遮るように躄って立ちはだかる。

 異形の刀を軽く一振りして、トライゾンは二人の方へと歩んだ。剣呑な白銀の光を宿した刀身からは殺気が伝わってこない。

 害する積もりがないのか――花衣は息を飲んで見詰めた。

 その視線を背に受けながら、直近まで進んだトライゾンが泥吉の前で微笑んだ。


「君達は時代に必要とされた人間だ。怯えなくて良い、私に委ねてくれれば安寧を約束しよう」

「だ、黙れ金ぴか野郎!お前の話なんか聞かねぇぞ」


 牙を剥いて唸る泥吉に苦笑する。

 トライゾンは刀の平で肩を叩きながら首を捻り、対応に困っていた。

 確かに不信感か懐かないこの男に、何を委ねようというのか。


「怖くなんかねぇよ、てめぇみたいな見た目だけの薄っぺらより、兄ちゃんや姉ちゃんの方がずっと凄いんだ」

「うーん……仕方がない。少し強引になってしまうが、平和的に済む」


 トライゾンの王冠の宝玉が光った。

 その威光に照らされた時、泥吉の顔から表情が抜け落ちていく。瞳は色を失い、人形のようになった。

 その場から退いて、紫陽花の隣に正座する。

 急激な態度の変化に、花衣はその正体が宝玉の力だと瞬時に察した。あの威光で他者を操作するのだ。

 一つひとつに力が備わっているとすれば、刀や背面の鏡にも強力な異能が宿っている。トライゾンが収集せんとした秘宝とは、間違いなくこの三つの品だろう。


 トライゾンが体を花衣へと向き直らせた。


「わたしにも、同じ事を?」

「同じ皇族には通用しないからね。でも見ただろう、これなら君達の描く真の平和が成就する」


 花衣は咄嗟に、「真の平和」という一語に失笑した。

 何を以てして(まこと)と豪語するのか。

 合意もなく力で捩じ伏せただけの信頼など、脆弱で錆び付いた鍍金に過ぎない。それを貼り付けて築いた国家の威光など、見るに堪えない醜悪さを溢れさせているだけである。

 手を差し出すトライゾンを、手首から叩いて拒絶した。


「可哀想な人」

「……なに?」


 花衣の一言に、トライゾンが眉を顰める。


「強者に従う兵の国なら、力こそ正義でしょう。けれど、貴方の行使する力はそれとも異質」

「…………」

「貴方が力を使って支配しても、その背後から付いて来るのは人形だけ。信頼も敬愛もない、見かけだけの国」


 花衣の声に力が込められ、同時にトライゾンの顔がみるみる怒りの相へと変わる。

 転移する前にも聞いた、聞きたくない言葉の続き。トライゾンの内面を見透かした相手の鋭い一言が、深々と胸を抉る。


「前にも言いました、貴方は憧れている。自力で道を切り開く優太や仁那に」

「違う、私は誰もが敬う王だ」

「自信がないから、そうする以外に人の信頼を得られなかった。その血統以外に、誰かと結ばれる力を自分に見出だせなかった」


 トライゾンが俯く。

 刀を握る手元から軋む音、震える腕に浮かんだ血管は急速に蓄積する憤懣を抑えている証左。相手の言葉が正鵠を射ていると自白しているも同然だった。

 特殊な血統、それは確かに誇りにはなる。

 カムイの当主の血から輩出された皇族、誰よりも苛烈な栄枯盛衰を演じた者たち。 


 その起源たる異境の民――カムイ。

 神への怨毒の歴史、迷宮を創造して密かに兵器を秘匿した者。中央大陸最古の時代から存在し、いつも鳴りを潜めていた彼等の末裔たる花衣でも、その全貌を知悉していない。

 それでも、父がカムイと協力し、都を捨てて森に遁走した感情だけは理解する。

 皇都を支配する者の醜い我欲、権能を揮って己が栄華の為だけに動く。一族が築いた神への叛逆を妨害し、自在に人々の記憶を操作する。

 悪辣きわまりない力に、何の躊躇も懐かない。

 だからこそ、同族によって滅ぼされ、一度は失墜した。凋落の一途を辿った原因を顧みず、トライゾンという毒素がなおも再興を目論んだ。

 それは闇人と同じ、血の呪縛かもしれない。

 父はある頃まで、心根の優しく思慮深い人物だった。誰もが敬い、『先生』とは別に村を守る要人として認められていたのだ。

 けれども、その人格が急変したのは花衣が齢十を過ぎる頃。

 村が『先生』の訃報で悲しみ、遺された弟子(ユウタ)を慮る声が上がり始めると、父の様子は別人となった。まるで誰かの制御から解放されたかの如く、優太を懐疑的に見て遠ざけたり、花衣への異常な執着と奇妙な教育が始まる。

 初期兆候としては、時折その片鱗がみられるのみだったが、僅かな期間で過激なほどに表層化した。

 花衣は人よりも上位に立つ存在としての教育――初めは村長としての立ち居振舞いを教示しているのかと思った。

 それが後々、政治についてなどにも変わり始め、また王の妃となった場合の訓練さえも追加される。優太が村からの追放宣告を受けた時も、丁度その訓練が開始された時だった。

 父もまた、トライゾン同様に何らかの因果に縛られている。

 それも人格を左右するほど甚大な力の影響で、皇族の繁栄を願うよう次代を教育するよう産毛の毛先に至るまでも設定されていた。


 皆が宿命の奴隷となっている。

 何かに縋らねば、前へと足を進ませることもできぬほど脆い。だからこそ人間は、他者と連携して進んだり、時に振り返って道行きを案じる。

 しかし、いま人が依存しているのは同じ人間ではなく、神によって決定された血の権威のみ。

 それは崩壊を防ぐ代わりに、己の自我を差し出す事に同義である。

 花衣は呪縛の影響を受けているか、自覚も無い上にトライゾンとは対立していた。

 皇族としてではなく、一人の“花衣”としてこの場に居る理由など知れている。


 神ではなく、『加護』でもなく、血でもない。

 隣にいると誓った優太がいるからだった。

 トライゾンには、その拠り所がなかったのだ。


「人を形成するのは、血だけじゃない。貴方自身を見てあげて」

「…………」

「それを捨てて、こっちへ来て。きっと貴方でも、自分だけの居場所と仲間を――」

「うるさいうるさい!!耳障りだ!!」


 トライゾンが一刀を揮った。

 波状に延びて拡大する斬撃が、円形の屋上の反面を勦討していく。無風の高空を颶風で薙ぎ払い、花衣へと襲いかかった。

 当然、回避もできない花衣は直撃を予感し、恐怖で目を固く閉じて身構える他になかった。


 轟音が爆裂し、屋上の欄干の一画が吹き飛ぶ。


 風が去った後の静寂の中、刀を振り抜いたトライゾンの浅く荒い呼吸音だけが残る。

 花衣は死を覚悟したが、まだ聞こえる外界の音に違和感を覚える。背中などを人の体温ほどの何かが絡み付いている感触もあった。

 ゆっくりと目を開く。


「その通りだ。肝の据わった女だな――悪くねぇ」


 そこに、黒い外衣(コート)の擦り切れた裾を靡かせて、花衣を両腕に抱える青年がいた。

 その背後では、塔の縁に摑まった怪物グラウロスが構えている。異様な組み合わせに唖然としていたのは花衣だけでなく、トライゾンもまた口を開けて硬直した。

 青年は怪物へと振り向いて手を振る。


「ナーリンの所在は?」

『多分ン、皇都の南西に移動シてル』

「そうか。こっちは二人が見付かったし、後は互いの健闘を祈ろう」


 怪物はうなずくと飛び立ち、空を劈いて眼下の雲海へと飛び込んだ。

 それを見送った後、花衣を床に下ろして中央へと進み出た。驚愕から立ち直ったトライゾンの鋭い眼光を受けながら、泥吉の様子の異変も斜視しただけで悟る。


「身内に手ェ出されちゃ、黙ってられんな」


 屋上に到着した青年――蒼火が不敵に笑う。

 トライゾンと正対する位置に着くと、掌に拳を打ち付けた。





  ×       ×       ×




 トライゾンの手元が微かに震えた。

 花衣の指摘で沸騰した怒りの熱が引かない。

 そして、更なる不快は絶えず眼前に現れる。


 根絶やしにした忌まわしき血の生き残り、皇族という柵以外に同じ血族関係にある青年。辿ってきた酷烈な遍歴の判る大火傷の体を、たった二人の為に奮い立たせている。

 一度はトライゾンの顔にすら唾を吐くも同断の行為を働き、遠隔地に転送してなお執念く現れる姿は拭いきれない慚愧のようだった。

 グラウロスと行動を共にしていたなら、その道程では学院長が『四片』に対抗すべく製造した合成魔獣『四凶』の迎撃を受けた筈である。

 常に追手から逃避し、名や身分を幾つも偽装して生き存えていた臆病者。カムイの集落を追放後、暫しを“北の孤児院”で過ごして戦場では神童と称されるほどの才覚を顕した。

 その末に東国の醜い宦官によって焼かれ、以降は悪意から逃れる日々を送る。あまりに巧緻な偽装工作に欺かれ、トライゾンも発見するまでに長い年月を要した。

 ただ逃亡の術理にのみ長けた弱者が、敢然と前に敵として立ち塞がる。


 だからこそ、苛立ちが募った。

 逃げの一手以外を知らなかった男が、大切な人間を得ただけで強大な相手との対面も慴れずに戦場に姿を見せる。運命に抗うべく、真っ向から衝突して叩き伏せるべく。

 優太や仁那も、誰かに敷かれた道の上を辿るだけだった駒から、いつしか己が道を切り開く先駆者となった。

 その背後にはいつも、誰かが()いていく。多大な信頼と友情、愛といった唾棄すべき瑣末な感情の足跡ばかり刻まれる。

 闇に潜んで、ひたすら復活の好機を待ったトライゾンには、父から譲り受けた財力と武力、歴史と血だけが恃みだった。

 そうでなければ、後ろに付き従う者などいない。

 皇族復権を契約した事で、『契約者』の何名かを配下として使役し、戦力の幅を一国すら凌駕する物に育てる。裏切者は徹底的に排除し、その体制を堅固な物にするまでの苦労は壮絶だった。

 ただ、それでも隣に寄り添おうなどという殊勝な人間はいなかった。

 命令がなければ、トライゾンの意向に従わぬ者ばかりだったのだ。


 だからなのだろうか。

 過酷な宿世にある優太を、自らの命すら賭して愛そうとする花衣ならば、自分が求める“何か”を得られると期待したのかもしれない。


 蒼火が下衣(インナー)の袖を捲り、首の骨を鳴らす。飄然と準備運動を始める様には、全くの恐怖が見られない。

 挑発を目的としている事は容易に判る。

 実際、完全なる『皇族の力』を獲得した現在のトライゾンに優るとは到底思えぬ実力で、余裕綽々としている態度が擬装であるのは明白だ。

 それでも退かずに、寧ろいつ仕掛けて来るかと鋭く観察している。


「『緋鬼』――七支刀(しちしとう)。『翠鬼』――八尺瓊勾玉(やさかぎのまがたま)。『蒼鬼』――八咫鏡(やたのかがみ)。それが真の姿ってか」


 蒼火は目を細めて十の鏡と刀、そして王冠の宝玉を見回した。トライゾンの身に特殊能力を付加した装備の正体を看破している。

 詳しく歴史の伝承まで済んでいない蒼火にもまだ、その能力が何であるかは漠然とした予想しかない。


「たとえ同族とて、これらは貴様に有効。自殺行為と判りながら、なぜこの場に姿を見せたんだ?」

「勝算が無きゃ来ねぇよ」

「流石だな。本来の『勇者』なだけはある」

「……へえ」


 トライゾンの一言に蒼火は笑う。

 本来の『勇者』――その言葉に、花衣は理解するよりも内容を嚥下する事に専念した。戦闘前の余談に過ぎないにしても、彼等の会話はそれさえも重大な歴史に近づく。

 神々しき白装束に身を包むトライゾン、襤褸となった黒い外衣の蒼火は対照的だったが、それでも花衣には後者の方が美しく見える。


「本名はウィルトス、我が一族では“勇気”を示す言葉だな。虹希(コウキ)を自称し、それから何度も身分を偽造する」

「それで?」

「……セラという少女に、『勇者』として最重要である『勇壮(ギルガメシュ)』の『加護』を譲渡した。お蔭で、『賢者』と『聖女』は男だと聞いていたのに、随分と驚いていたらしいな」

「お見事。八咫鏡の力か」


 蒼火はトライゾンの後ろに控える鏡面を睨んだ。

 それは対峙した人間の本性、経歴、悉くを映して暴く鏡である。あれを前にして、たとえ自分自身すら欺す蒼火といえど、この力を回避するのは決して不可能。


 主に『勇者』には七色の『加護』が授けられる。神の信徒として戦う為に、誰よりも優れる為に、複数の異能を身に宿す。

 しかし、カムイの族長が幼い頃に『加護』を譲渡し、解放する術を教えてくれた。

 神の『加護』を持つ者を“縛られし者(アマデウス)”とし、『加護』の束縛から逃れた者を“解放者(ウィクトール)”。

 神に対抗するには、総ての“縛られし者”を解放するしかないと教えられ、しかし一つの『加護』を解放するだけでも身体的に凄まじい変化が生じる。

 七つも所有する当初の蒼火は、その負荷に耐えられず死亡してしまう。だからこそ、『勇者』に憧れ、蒼火を慕った少女ステッラ――否、セラに託した。

 他の『加護』はこれからの戦場で必要になる為に保持していたが、次第にカムイの(おし)えを忘れて大陸を彷徨した日々。想起したのも、つい先刻の事である。


「族長は、方法を教えてくれたのは琥珀色の瞳をした青年……つってたな。十中八九、闇人暁の事だろうけどよ」

「…………」

「その時に知ったぜ。解放だけじゃなく、“消去”する手段があるってな。そうする事で、カムイ本来の力が引き出せる」

「……」

「ま、重要なのはそこじゃねぇ」


 蒼火は肩を竦めると、両手に蒼炎を滾らせた。

 迸る熱気が屋上一帯に伝播し、足元から立つ陽炎で彼の姿が揺れる。

 正対するトライゾンは七支刀を回旋させ、白装束の裾を捌いて構えた。刀身から光が充溢し、屋上に瞬く星となる。


「これなら皇族の『加護』――人を不死にする力も消滅させる手段になるって訳だ」

「――させると思っているのか!?」


 逆手に握った七支刀で薙いだ。

 怒声と共に振られた一閃が、鋭利な風の刃となる。前景全体を刃圏に収めた凶刃は蒼火の頚の高さを唸り駆けた。

 対する蒼火は、その場で両の掌を床に叩き付けると、自身を中心とした蒼い火柱を打ち上げる。猛然と頭上へと昇って聳り立つ高熱の城壁の勢いに、風の刃の威力を相殺した。

 しかし、鋭さを失っても強烈な風圧は残り、蒼火の胸面を押して後退させる。

 後ろへと滑走する体勢のまま、蒼火は太腿に装備した鞘から短剣を投擲した。鮮やかな挙動で放たれたそれは、外衣の長い裾の内側から突然射出されたかの様に見え、トライゾンを戦慄させる。


 トライゾンは反射的に振り払った七支刀で粉砕した。

 相手は『勇者』として訓練された過去、そして戦場で練り上げた体技がある。尋常な武具の勝負では確実に上手。差を付けるには遺憾なき『加護』の発動のみ。

 相手の攻撃を防御して安堵したトライゾンだったが、宙に四散した短剣の破片が静止し、七支刀を持つ手元に吸い寄せられるように飛んで突き刺さった。

 戦いて見ると、破片の尖端が皮膚を食い破って更に奥へと侵入している。


「“叛逆(ティアマト)”」

「ッ……小賢しい。弾かれると再攻撃を仕掛ける力か!『勇者の加護』とは別にカムイの力まで使えるとはな」

「いま不死身なんだろ?こんなん痛くも痒くもねぇ筈だろ」


 トライゾンが再び剣閃を放つ。

 先刻の風とは異なり、逆巻く炎の円が回転しながら迫撃する。高速で床を抉り進む炎熱は、標的が横へと走り逃れても追走した。

 幾ら逃げても追尾し、且つ花衣や紫陽花と泥吉の居る場所までは行けぬとなれば不可避。

 蒼火は急停止し、藍色に発光する左の掌打を炎の円環に叩き付けた。掌から蒼火の姿を覆うほどの水が溢れ、炎と接触した部分から激湍の勢いで蒸気が噴出する。

 屋上全域に瀰漫する熱気と欄干を叩く水飛沫。

 花衣は咳き込みながら、紫陽花達の下へと駆け寄って避難する。蒼火は横目でそれを見送りながら、炎を消滅させた左手を引いた。


「“鎮炎(エア)”……ってやべ!?」

「そこだな――ウィルトス!!」


 煙幕を切り裂いて異形の刃が閃く。

 間一髪で屈んで避けた蒼火は、地面を転がって瓦礫の石を一つを摑んだ。手中で黄色の光を纏ったそれらを無造作に宙に投げると、旋回しながら弾丸となってトライゾンを襲う。

 肩を貫いて欄干を切断しながら雲海へと消えていった。


「“月光弾(シン)”……如何なる物体も貫通力を持たせる力か」

「律儀な説明、どう――もッ!?」


 立ち上がった直後の蒼火の肩を七支刀の刺突が掠めた。たとえ鋒を躱しても、枝刃が次なる牙をもって回避したと慢心する者の肉を噛む。

 注意していた蒼火は枝刃が触れる前に屈んで避けており、橙色に光る左手で床に触れた。


「“土操(エンキドゥ)”」


 床面が剥がれて瓦礫が腕全体を包み、即席の巨腕を生成する。刀を振り抜いたばかりで無防備なトライゾンの顎先を狙う。

 振り上げた岩の拳固が轟音を打ち鳴らして相手の顔を撥ね上げた。

 血を吹いて仰け反ったトライゾンの体が意思に反して静止する。肌を撫でる空気が固まったかの如き感触を覚えた。

 自分と蒼火の体が緑に光っている。


「“空隔(エンリル)”。……もう一発食らっとけ!」


 空間ごと固定されたトライゾンは、身動きがとれずに歯噛みする。幾ら『三種の神器』を揃えて不死身となったといえど、蒼火による攻勢で翻弄されていた。

 皇族の『加護』を十全に発揮できていない。

 己の未熟さばかりが際立つ。

 一方的に攻撃を受ける恥辱に絶える顔に、再び岩の拳撃が叩き込まれた。“空隔”から解放され、欄干まで空を裂いて吹き飛ぶ。

 背を強打して欄干に凭れるトライゾンは、全身に乗しかかる重圧によって床に平伏した。


「“重力操作(アヌ)”」

「……『勇者』は、カムイの力を使えない……筈だッ……!!」

「言ったろ。俺は既に“赤”の『勇壮』をセラに譲与した。不完全だから、少ないがカムイの力も使えンだよ」


 蒼火は取り押さえたトライゾンから王冠を奪おうと手を伸ばす。

 皇族の『加護』を解除する方法は簡単であり、その源となる神器を没収すれば彼等は無力化される。どんな後遺症が残るかは蒼火にも判らないが、少なくともまともな対話をするには今の状態から剥奪しなければならない。

 蒼火がこの場で神器の『加護』を消滅させれば、後世に中央大陸を力で支配するカムイは出現しない。


 王冠を摑んで頭頂から引き剥がさんとした時、周囲の空間が真っ白になった。

 蒼火は驚いて変異した景色に顧眄する。

 視線を巡らせる最中、頭上から影を落とす気配を気取る。

 そちらを振り仰ぐと、白銀のドレスを着衣した獣人族の女性が浮遊していた。嫣然と微笑んだ顔で蒼火を見詰める。

 混乱と気味の悪さで顔を顰めると、彼女が手を差し伸べた。


『さあ、あたしに仕えなさい。哀れな異邦人』

「そんな言句で従う阿呆なんざ居ねぇよ」


 冷たく一蹴すると、彼女は含み笑いを溢す。

 ますます気味が悪いとなって、蒼火はその場から数歩退いた。


『ほんと、可哀想よね。カムイって』

「――蒼火ッ!!」


 白い空間に紫陽花の声が響いた。

 驚愕で見開いた目の映す景色が、一面の白から再び摩天楼の屋上へと変化する。黄金の空と果てしない雲海、頭上に浮かぶ奇妙な紋章。

 右手の景色では起きたのか、紫陽花が必死の形相でこちらに駆け寄ろうとしていた。花衣と泥吉が背後から服を摑んで止めている。

 何事だろうか。

 蒼火は自身の正面へと顔を戻す。


 そして――左で七支刀を振りかぶったトライゾンが見えた。


「残念だったな!!」


 全力で一薙ぎされた七支刀の刃が蒼火の腹を切り裂いた。







アクセスして頂き、誠に有り難うございます。


あと二話で同盟軍VS解放軍は終結します。

残すは蒼火がトライゾンを倒して家族(ふたり)を守れるか、グラウロスがナーリンと幸せになれるか。

意外と重要です。

というよりも、『五章――下』は怒濤の展開なので今までの謎が次々暴露されています。

書いてて自分自身も焦らされているような気分だったため、筆が進む毎に爽快感があります。



次回も宜しくお願い致します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ