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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:優太と道行きの麋──下
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不滅の皇都(参―3)/相克する光と影



 終戦の大地に降り頻る秋雨を眺める。

 任務を終えて、沿岸添いにカルデラの屋敷へと帰還しようとしたが、遠い海上で生まれた颱風の影響があって、やや強く吹く風と斜線を虚空に描く霤。

 各地を渡り歩いた経験があるが、どの土地に行っても目にする景色は新鮮である。北大陸は神聖と嘯かれるだけあり、確かに侵し難き清廉な一族や荘厳な神殿は伝聞に違わぬ風致だった。

 それでも、それらは神々が人を隔絶して築き上げた神のみの文明の象徴。

 血縁では神と密接に繋がりがあろうと、人の営みこそ身近にあった暁としては、湿気に泥濘んだ地面や雨滴を受けた葉肉の艶の方が愛おしい。

 もう道を分かたれた以上、落ち着いて故郷の小屋に帰るなど叶わない。

 響を連れて出た時から、どんな悲劇があろうとも途中で降りれぬ土俵に立つことを選択した。

 約二十年の後に生まれるであろう“次代”を殺せば、その計画も頓挫し、また延々と同じ時代が続く。

 結局、己の夢と響の夢を天秤にかけて、後者の方が尊いと思ってしまった。今も幽けし夢の焔を心中に見ては神経が騒ぐ。

 もう伊耶那岐と約定も交わし、これから本格的に神の勦討を開始せねばならない。全大陸の神代を終焉させ、“篭”の歴史上でも最大の平和を実現する。

 この願いが成就するには、自分の人生だけでは足りない。だからこそ夢を諦めただけの事、この世界に愛する者を持ってしまったのが最大の過ちであり、それを悔いる己への嫌悪も深くなる。

 先日はその第一歩として、真姫を殺害した。

 もう後戻りは利かない。


 深淵を覗くような昏さを孕む琥珀色の瞳で、鬱屈とした雨天を見上げる。

 途中で雨宿りに立ち寄った茶屋の縁側に腰掛けたまま、安穏と過ぎる時間に身を委ねた。雨が上がれば、また歩かねばならない。

 止まる事も、顧みる事も許されないのだ。

 いつか生まれる“次代”には、そんな切迫した状況に陥って欲しくない。


『ねえ、暁。あたしは見てるわよ』

「黙れ」

『もっと殺めなさい、人を。そして私の母胎(おなか)へ還るの、それがお前の使命よ』

「黙れ」

『何故、お前だけが、お前だけが特別なんだ。我々だって同じ闇人なのに、何故自由の権を放棄した、早く蛭児になってしまえ』

「黙れ、お前たちとは違う」


 脳内に谺する声に、暁は滔々と応えた。

 第二の黄泉國と称するに価する邪氣を体内に保有する今、時折だが殺めた者の魂や先代の怨念、伊邪那美と精神が接続される。

 暁の体を、別の者が支配せんと語りかけた。

 無論、それらを御すからこそ主神と契約ではなく約定を交わすという対等な関係にあれる実力者なのだ。

 暁は際限無く湧々と溢れて来る声たちに、瞑目して精神を落ち着かせ、自分の中から乖離させていく。やがて怨嗟が鎮まり、再び屋根瓦を滴り打つ雨音が聞こえる。


 暁は漸く回帰した静寂に深く息を吸う。

 この今だけは密かに、闇人としてでもなく、カルデラの使者とも違う、ただ普通の人間として憩いたい。

 儚い願いに想いを馳せて、望洋と空を眺めていた視界を鮮やかな緑の長い髪が遮る。少し顔を上げれば、そこでは愉しげに笑う少女のあどけない表情があった。

 両腕が首に回り、背中に華奢な体がのし掛かる。


「ほーら、なに黄昏てるの?」

「……イセイジン」


 北大陸を出たあの年から、数年が経った。

 それまでの間、謎の少女――イセイジンは顔を一度たりとも見せなかったのだ。一時の幻覚とさえ思えた邂逅を、またしても前にして呆然とする。

 その様子が面白いのか、少女は暁の頭頂に顎を乗せてけらけらと笑声を上げた。雨音が遠退くと錯覚させる無邪気で明るい空気に充たされ、しぜんと言葉を失う。

 今さらイセイジンは何をしに来たのか。


「言ったでしょ。連れて行く人を考えようって」

「……そんな話もしたか」

「したよ、酷いな~。そんなんじゃ、幼馴染はともかく女の子を傷つけちゃうぞ」

「…………善処する」


 粛々と謝罪する暁は、隣に移動した少女を斜視する。背丈など容姿は成長しており、以前の神秘的な雰囲気よりも同年の人間と感じた。

 “篭の外”と、そことも違う場所とを仲介するという神の如き偉大な役目を担うとさえ豪語する少女は、相も変わらず目的が判らない。


「連れて行く……とは?」

「君の計画が完了した時、その戦いで生まれた犠牲者の救済みたいなものよ」

「何が目的なんだ」


 勘繰る暁の姿勢に、依然として笑顔を絶やさずに振り向く。いつだって偽りが無く、まるで笑顔以外を知らないような子供の相貌。

 この複雑な感情によって組成された視線を受けてしまうと、暁はなぜか弱ってしまう。正体不明の相手ならば、警戒で刃を突き立てて尋問していた。

 イセイジンに対しては、この常道が通じない。

 始終困惑させられ、翻弄されて、大事な部分を誤魔化される。

 暁の頬に、彼女の手が添えられた。


「私の世界でも、報われない命があるの。幸せにするには、“こっちの世界”に転生させることが必要なの」

「……俺達の世界から、転生者を輩出する。そうする事で、お前の言う『チキュー』から人が招かれる訳だな」

「そう、鎖された世界は廃れていくばかりなの。だから、異次元とも呼べちゃう世界と適度な交換が最善」


 神々に支配されて閉鎖した世界は、“篭の外”でも同じである。だからこそ、真の自由を得るには“篭”の消滅、即ち全神族の抹殺と縛られし者(アマデウス)の魂の解放。

 前者は次代達が完遂し、後者はカムイから生まれる“約束の子”が成就させる。


「ねえ、私はこの子とこの子が欲しいな!」

「……誰だ」

「仁那ちゃんと、優太くん」

「ジンナ……?仁那(にな)の事か」

「そう!この子達と、君を絶対に幸せにしたい」


 暁は嘆息して、未来に生まれる希望の顔を思い浮かべた。

 いずれは血の宿命で自分に近付いて行く弟子と、人と『四片』と魔を繋ぐ架け橋となる悲運の子供。まだ完了もしていない計画の先の話を持ち出されても、暁には答えかねた。

 況してや、彼女の口振りは二人がこの戦いの果てで死ぬと暗示している。暁が予知した数十年先の未来では、そんな事象は確認できていない。

 不確定要素の登場にも備えて、布石を打っている途中で暗い未来を予感させる彼女に、細やかな苛立ちさえ感じた。


 微かに顔を顰めた暁に、イセイジンが首を傾げる。肩から流れる緑の髪の毛先に雨粒が付く。

 いつしか風向きが変わり、屋内へと降雨が吹き込む。暁は氣術で景色を遮蔽せぬ不可視の壁を生成して雨を防いだ。

 感嘆の息を漏らすイセイジンは、随感に手元で大きく拍手する。


「凄いね、これが氣術!伊耶那岐が言った通りだ」

「……話したのか?」

「うん、君が彼を訪ねる少し前にね。短い時間だったけど、約束したんだ。死んだら、私の所に招聘してあげるってね」

「……俺は転生などしない」

「いーえ!絶対に連れてくから」


 頑なに主張するイセイジンに、暁は嘆息する。

 死後の魂を移植した黒印で固定する事は可能だが、操作できるか否かまでは試行実験すらしていないため、可能かは判断が付かない。

 いや、幾ら仙術を会得してあらゆる因果に干渉し得る力を手にしたと雖も、所詮は人間。作戦が終了する頃には、各地に仕込んだ黒印も効力を失い、消滅する他に無い。

 そうなれば、イセイジンの思惑通りとなる。

 暁は膝の上に握った拳固を見下ろす。


「わかった、お前に従う」

「えっ!ホントに!?」

「但し、条件がある。俺の夢が、叶えられるまで……待って欲しい」

「ふふ、諦めたんじゃなかったの?」


 イセイジンが朗らかに笑む。

 暁は緩やかに首を横に振った。


「これから生まれる子達が、諦めまいと邁進するというのに、俺がこれでは示しが付かない」

「ふーん」

「尤も、叶う保証など無いが」

「良いんじゃない?分かった、待ってるね」


 縁側から腰を上げた彼女は、また姿を消していた。音も無く、細く立ち上っていた煙が途絶えたように思える退場である。

 暁は隣の床に触れ、そこに残る確かな微温を感じ取って己の正気を確かめた。夢ではない、イセイジンとも契約した以上、自分には遣るべき事を何としても遂行せねばならない。

 きっと夢は叶えられないだろう。

 それでも、響の思い描いた世界を創るまでは去れない。


 意を決して立ち上がった暁が空を見上げた時、すでに頭上は晴天となっていた。






  ×       ×       ×




 壁を蹴って水平に虚空を切り裂き、轟然と肉薄する仁那。

 両手にした拳鍔刀は、素手と剣で生じる得物の差を補う為か。金属の性質から、彼女の氣に呼応して硬度は鉄よりも固くなっている。

 一度でも直撃すれば、そのまま昏倒する威力だとは容易に想像が付く。

 しかし、優太の流儀においての難敵ではない。

 元より防御より転身に重きを置き、相手の先を取り続ける事こそが敵を捌く方法。たとえ金剛力であろうが、斬れぬ鉱物を武装しようが、然したる問題にはならない。

 優太は旗を翻すように直進する仁那を躱し、すれ違いざまに仕込みで胴を撫で斬りにした。血を巻いて後方の瓦礫に頭から突っ込む彼女へ、氣術で浮遊させた部屋中の家具を上から注ぐ。

 木片と埃を飛ばして床面へ無造作に積まれる。

 仕込み杖を構えながら、確認に摺り足で進み出て窺う。氣術で気配を探知すると、屋外へと鋼索を伝って脱出していた。

 部屋を見回すと、窓が突き破れた形跡がある。

 優太は窓枠に足を掛け、邪氣を編んで弓矢を形成した。矢を限界にまで引き絞り、鏃の尖端を遠景に躍動する仁那の影へと定める。


 仁那は遠く離れた屋上に降り立つ。

 柵に巻き付けた鋼索を回収し、振り返って優太の居る建物を見遣る。右腕からは、未だに再生を終えていない血が指先から足下に流れ落ちた。

 行動速度や近接戦は相手が上手。

 予想通りではあったが、考え得る最悪の実力差には程遠かった。以前ならば回避不能だった剣も目で捉えられるお蔭で、胴を割られる前に腕で庇うこともできたのだ。

 物体などの投擲などは、氣術師にとってはあらゆる場所で様々な物が武器になると暁からの教授があった為、その場でも怯まずに行動を起こせた。

 鍛練が糧となっている。

 仁那は実感を噛み締めていると、脱出口となった窓枠に動く影を見咎めた。

 目を凝らすと、優太が邪氣の弓矢を剥いでいる。


「うわわわッ!?」


 飛び退いた仁那の肩を颯然と飛ぶ矢が掠めた。

 突然の射撃を気取れたと胸を撫で下ろしていたが、突如として背後からの蹴撃を受けて床に倒れ伏せる。顔面を強打し、鼻を押さえながら振り返ると優太が静かに佇んでいた。

 三角を浮かべた真紅の双眸がこちらを捉える。

 即座に彼の瞬間移動に似た力に了解した。

 暁から既に聞き及んでいる。

 氣術で空間把握を行い、『天眼通』で時間を繋げることで可能になる『時空操作』があった。

 先刻射た矢の存在する時空と接続し、自身を転移させたのだ。反則的な手段だが、それ相応に乱用すると一時的に使用不可となる。


 優太は彼女の右腕を見て眉を顰める。

 攻撃が胴ではなく腕を斬っただけだった。

 上着の袖が断たれ、内側の皮膚はもう回復が完了している。常に祐輔の能力で治癒力を高めている故に、やはり通常の物理攻撃で有効となるのは頚を刎ねるのみ。

 一刀で即殺することが流儀である以上、遺憾ながら仁那の体力を削ぐ為に邪氣を武装して刻むしかない。


 優太は踏み込んで一閃した。

 今度は邪氣を装備した刃先であり、氣術で身体強化を施したにも拘わらず、その場から背転倒立で刃圏から離脱された。飛び上がった彼女が着地する場所を読んで一刀を叩き込む。

 仁那が床に貼り付くほど伏せて回避した。

 刃が通過した後に逆立ちになって回し蹴りを繰り出す。彼女の体こそ発動機があるかの如く何度も回転して踵で蹴り付けた。

 優太は幾度か躱した後、自分も伏せた状態から回した爪先で仁那の腹部を殴打するが、割り込ませていた彼女の手が受け止めている。

 それでも威力までも完全に防げず、倒れて床上を転がった。地面に仰臥したところに再び斬りかかるが、跳ね起きた事で床を刃先が虚しく擦る。

 優太は空振りの連続に歯噛みし、手中に高圧の氣の球体――氣弾を生成した。起き上がって構える彼女へと投球する。


「のわわッ!?」


 球に定められた氣が一気に解放され、その反発力の放出によって二人の立つ建物が爆発した。衝撃で空気摩擦が発生し、爆炎が溢れて周囲にも延焼する。尨大な量を圧縮していたため、その被害圏は拡大を続けた。

 放射状に飛ぶ氣弾の欠片が流星となって、遠い場所でも同じ現象を起こす。

 今や半時もせず、搭内に広がる都市が半壊していて。各地で上がる烽、道々を焦がす炎熱と死体の数々。

 その中を二つの気配が駆ける。


 一条の鋼索が虚空を裂いて飛び、終端に付けられた(フック)が路傍の街灯に引っ掛かる。

 爆煙を突き破り、巻き取らせる運動で街灯へと飛び付く仁那。仮借ない攻撃の数々で襤褸となった上着(ジャージ)を脱ぎ、腰に袖を回して前面で結わえる。

 遅れて後方から飛散する瓦礫に紛れ、優太が黒い翼を背負って現れた。片手にした杖全体が闇色に染まっており、格段に凶器としての禍々しさを増している。

 暗黒の右手が杖へと伸びていく。

 その挙動のみで脊髄に電撃を受けたかの如く強烈な危機感を覚えた。鉤を外しながら街灯を蹴って離れる。

 凶器を駆る右手が残像を見せ、跳んだ仁那の背面に黒い光が閃く。二人の影が交錯した寸陰の間に、剣閃と天色の線が刻まれた。

 飛行していた優太は、勢いが余って路地に転がる。坂道をもんどり返り、瓦礫の一つに摑まって止まった。

 仁那は背から血飛沫を散らす。急速な離脱と攻撃の命中で着地地点が狂い、建物の壁面に激突して地面に倒れた。


 優太は自身の腹部を押さえて踞る。

 僅か一瞬、こちらが攻撃を与えると同時に、仁那は咄嗟の反撃をした。本能的な行動、闇人の体捌きへの対処を体の芯が熟知したような動き。

 跳び上がって杖の抜刀より速く、こちらの腹部に鋭い踵を叩き込んだ。頚部を狙った刃は描く筈の軌道を乱され、背に深い一撃を入れるのみに終えた。

 これまで幾度も斬りかかったが、ここまで避けられるのは初めてである。無論、すべてが命脈を断つに相応しき必殺の一刀であったが、裏打ちされた自信と技を真っ向から否定された。

 邪氣による外的攻撃ならば、再生力を無効化するが、仁那の聖氣はその不条理も跳ね返す。拓真の時も然り、こちらの力が弱体化される他に彼女自身の高い治癒力もある。

 一撃で急所を狙い、邪氣で致命傷を与えなければ勝利は望めない。危惧した通り、以前よりも別格の強さを手に入れている。

 武装の改良、闇人対策に特化した体術、以前よりも高威力の聖氣。まだ秘匿している奥の手はあるかもしれない。


 未だに引っかかる。

 戦闘に発展した理由が判らない。

 守るべき約束とは何なのか、過去の記憶を遡っても重要な約束とは、師が響と交わした世界革命だけである。

 成就されるべき宿願は、それだけだ。

 それを阻害するのが計画の柱となる仁那であろうとも排除する。狙える急所を過たず、そこに総てを叩き込み、一瞬で勝負を決める。

 “約束”の為に強くならなければならない。

 憧れた師の背中に追い付くには、更なる戦火に身を擲ち、この手で多くの命を奪っていく数だけ強くなる。


 “――わしのようにならないでくれ。”


 師の一言が脳内に過る。

 またも黒印からの激痛が始まった。

 全身に張り巡らせていた邪氣が体から霧散していく。仁那へと肉薄せんとしていた足が脱力して膝が震える。

 意思に反して能力を抑制する力が働いていた。


「何なんだ、これは――……!」


 優太の瞼の裏に、映像が浮かぶ。

 静謐の『還り廟』の凪いだ水面の上に、番人が彼方の空を眺めている。扉と彼女だけが居る筈の空間に、別の人影があった。

 門前にて、膝を抱えながら扉を見上げる子供の後ろ姿。

 ゆっくりと振り返って、こちらを見た。

 その黒髪は、万人を狂わせる魔性じみた美の芳香すら漂わせる艶麗さがあった。膝との間には木組みの小さな玩具を持っている。

 美しい目鼻立ちは、どこか既視感があった。

 それよりも目を惹かれるのは瞳色(どうしょく)

 左は琥珀、右は真紅だった。


『兄様、私の目は馴染んでるかな』

「えっ?」


 映像が途絶える。

 優太は消えてしまった女児の影に、不思議な困惑で暫く動けなかった。




  ×       ×       ×





 瓦礫を蹴る跫がする。

 我に返った優太が面を上げると、高密度の聖氣を武装した片足を振り翳していた。距離と速度からして必中不可避、中空を劈く鷹さながらの速さで顎に爪先が吸い寄せられる。

 寸前で体内にまだ残留していた邪氣を右半身に集中させ、頭を庇うように掲げた前腕で攻撃を防御した。それでも威力までは削れず、衝撃が脳天まで抜けて後方へと上体が仰け反る。

 意識を失いかけたが、持ち堪えて半身から右腕全体に邪氣を装填した。強く練り上げられ、皮膚の上に薄く紫の光沢を帯びた黒鉄の拳へと変容し、後ろに傾いていく体勢から仁那に突き出す。

 腕を象って射程距離を延長した邪氣が迂回し、仁那の側頭部を強かに打った。防御に転じた彼女の聖氣と衝突して金に爪を立てるような怪音が鳴る。

 二人の体が弾け、攻撃の余波が周辺の建物を崩壊する。発光させた魔石を孕む街灯は、強大な氣の衝突に反応して明滅し、或いは内側で爆散した。

 仁那は衝撃で後ろへと回っていく体から後ろ手で鋼索を投じ、優太の胴に絡める。手元を引いて踏ん張る彼を軸に自身の後退を防ぎ、身を翻して拳を構えた。

 左腕も同時に何周もする鋼索で拘束された優太は、自分の鼻面にめがけて接近する相手の拳撃に頭を横に煽って躱す。耳を擦過していく剛腕に沿わせて振り出した己の手刀を仁那の首に叩き込む。

 合わせられた攻撃に狙い打たれ、瞬間的な呼吸困難に陥った仁那は、それでも攻撃を中断せず矢継ぎ早に次の拳を振るった。

 拘束された状態でも巧みにいなし、踏み込まんとした相手の足を鮮やかに払う。体勢を崩したところへ、振り上げた踵を顎に落とす。

 脳震盪で彼女が倒れるのを見計らい、邪氣で鋼索を引き裂かんとした。

 しかし、元より体から邪氣が抜けていく怪奇現象もそうだが、残った物で鋭尖な刃を形成しても、切断できずに拮抗している。

 絡操は即座に理解した、仁那は最初から想定して鋼索全体に聖氣を纏わせたのだ。尋常な理の中にある物体では、邪氣の干渉を撥ね付けることは不可能。唯一の対抗手段である聖氣を解放した者のみに許された策だった。

 復活した仁那が上体を起こした勢いのまま、頭突きを優太の胸に突き刺す。

 喉の奥から溢れかけた反吐を堪え、優太は体を回して鋼索を解く。肌に食い込んだ鉤を取り外しながら、邪氣の飛鏢を素早く連投する。

 飛び退いて回避した彼女の体の輪郭が、陽炎の如く揺蕩う。背景に溶けて消えてしまい、気配すらも完全に途絶した。


「消えた……!?」


 氣術でも仁那の気配が感知できない。

 不意に、頭上に新たな存在の気配を視た。

 振り仰いだ先では、天井を彩る極光が棚引いている。視た事のない波長の氣によって現出した謎の現象だった。

 搭内の都市全域を柔らかく照らす光の中に七色の光を纏う人影がある。

 そこに奇妙な構えをした仁那が、中空に浮遊していた。羽衣を帯びて黄昏の双眸は、強く優太を睨め付ける。


「『仁那・神楽の型』――破魔矢!!」


 突き出した仁那の手刀から光線が放出された。

 直前に横へと転がった優太の過去位置から爆風が吹き荒れ、瓦礫を七色の火炎が焼き付くす。岩なども炎に巻かれ、屑となって崩れていった。

 消散していた邪氣が、一斉に優太の体内へと回帰する。漲る活力に回復を悟り、直ぐ様それらを武装へと変換した。

 気配自体が別人となる仁那の新たな力。

 出し惜しみしていては、再び劣勢に陥れられるだろう。

 邪氣の翼を広げ、強膜まで黒く染めた優太の深紅の眼光が仁那を射抜く。彼女と同じ高さまで躍り出て、優太は片手に抜き身の剣を執る。


「黒貌――邪装・黒鴞(こっきょう)


 同時に飛び出した両者が、都市の上空で幾度も幾度も衝突と離反を繰り返す。時には螺旋を描きながら地面に墜落し、低く道を馳せて益々都市の景観を荒んだ物へと変遷させる。

 天井間際まで上昇した仁那へと異形の闇が肉薄した。

 これ以上の接近を防ぐ為に、七色に光る矢を乱射する。全方向への乱れ打ちは隙間を潰し、あたかも彼女自身が太陽となったかのように周囲を照らす。

 回避は望めないと知って、それでも優太は突貫を続行した。仕込みの刃で光の散弾を斬り墜としながら進み、標的の内懐へと宙を滑走する。未来視と邪氣による絶対攻撃を織り混ぜた迫撃は、如何な仁那といえども防ぎ遂せない。

 遂に至近まで踏み込んだ優太は、右手に充填した大量の邪氣を凝縮し、大麋の脚を象った武具へと変貌させる。戦慄で身を引かんとする相手の胸面へと、渾身の力で叩き付けた。


「――黑蹄(こくてい)ッ!!」


 仁那の胸部に蹄の跡が刻まれる。

 吐血して萎えた四肢を投げ出し、下から突き上げた優太の体を支柱にして垂れた。全身を覆っていた七色の光が消失する。

 羽衣を失った彼女を、優太はそのまま無造作に投げ捨てた。

 墜落する影から目を逸らし、昇降機へと向けて飛行する。最後の攻撃は強力だったが、それでも邪装を阻むほどの障害には不足。戦闘中で気付いたのは、難儀なことに『神楽の型』を発動中に聖氣を行使するのは無理なのだ。

 却って己の窮状を招いてしまった仁那の失策には、ほとほと呆れたと優太は嘆息する。

 途中で発生した異常事態については未だに原因が不明であるし、拓真によって聖氣の攻撃を受けても同様の反応はなかった。

 あの女児――扉の前に座る子供は誰なのか。

 万人以外にあの場所にはいなかった。

 否、本当は居た……自分も、万人も気付いていないのではないか。


 飛行する優太の足首に、鋼索が搦められる。

 体に乗しかかる僅かな重量感と共に、万力の如き力で引かれて昇降機から遠い町の一画に叩き伏せられた。落下の衝撃を氣術で和らげた影響で死は免れたが、突然の妨害で頭は混乱している。

 鋼索の先では、その根本を摑む仁那がこちらに向かって歩んでいた。

 倒すべき敵は合致しているのに立ち塞がる少女の魂胆が判らない。

 さしも戦闘に興じていた優太も、目前に寄った相手を糾した。


「なぜ、邪魔をするんだ」

「わっせが約束したから。音無さんと、叶と、花衣とも……幸せにするって。優太さんを、間違った方向になんて行かせないって!」


 優太も邪装を解除し、鋼索をほどいて立つ。

 間違った方向とは、何だろうか。


「二年前、右も左も判らない優太さんは、ひたすら進み続けたんだよね。師匠みたいになろうって、師匠が望むように自分の幸せを摑もうって」

「…………」

「思い出してよ。優太さんは、戦いの果てに何を望んでたの?」


 目の前にいる仁那は、涙目でこちらを睨んでいた。

 その表情に、優太は直視できず俯く。

 敵前にあるにも拘わらず、幾度も殺そうとした相手に涙を流すなど考えられない。慈悲深い、それこそ文字通りの聖女でもなければ無理である。

 優太は自身に問う。

 ずっと、小さい頃から師に憧れていた。

 彼の様になりたいと願って、彼の死後も鍛練に打ち込んでいる日々が鮮明に思い出せる。

 それでも師の存在を忘れた一時があった――花衣である。

 彼の亡き世で、唯一隣に居てくれた少女。命を懸けて守り、血塗られた自分の隣を望んでくれた一人だけの存在だった。


 “――わしのようにならないでくれ。”


 師は……戦いの手段として、氣術を教えなかった。武器の扱いを、身を守る術として教えた。

 争いという方向で武術、氣術を教えはせず、いずれ迫る敵意についても予告せず、平穏を過ごさせてくれた。

 望んでいたのは、幸せな未来である。

 偉大な氣術師でもない。


「僕は……」

「花衣は待ってる。誰も、暁さんの様になって欲しいだなんて思ってない。その為に、人を殺し続ける行為なんて求めてない!」

「違う、黙れ。僕が望んだんだ、彼に企及することを」


 否定する優太から尨大な邪氣が溢れる。

 一対の角を象り、隈取りに似た紋様を描いて総身を染め上げていく。顔の『隈』と合流し、目許を包むと強膜までも黒くなり、真紅の虹彩に三角が現れる。


 その様子を見て、仁那も力を発動する。

 都市全域に極光が発生し、羽衣を帯びて彼女の姿が変化していく。

 四肢を天色の光沢を薄く帯びた聖氣を纏う。


 まだ伝わらない。

 道を見失った優太に、示すしかない。

 暁が伝え損なった言葉と、優太自身が大切にした信念(みち)を。


「邪氣道――禍津日神(まがついのかみ)

「止める――破邪神楽(はじゃかぐら)


 両者は、互いを否定する。





読んで頂き、誠に有り難うございます。


くっ……長い。

けど、後少しでゴールです!今年中には【三部】に行きたいですね。


次回も宜しくお願い致します。

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