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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:優太と道行きの麋──下
269/302

不滅の皇都(参―2)/約束を違える子


前話の暁に続き。


 登場人物:嵌是(カーゼ)(享年:70~)


 身長:176㎝  趣味:昆虫採集。

 体重:60㎏   好きな言葉:恋。

 武器:糸針・罠  食の好物:甘い茶菓子。

 特技:罠仕掛け  苦手な物:快晴。


 西国最強の暗殺者として数えられる人物。

 千極の宦官殺しで有名であり、赤髭に畏れられる人物の一人。

 隻眼の男で、法被を好んで着る。武器に使うのは長い針の様な物に、魔物から採取可能な特殊な繊維(いと)であり、しなやかで固いこれを用いて人体を切断する。他にも即興で罠を拵えられる。

 快晴が苦手なのは、これでも歓楽都市の旧市街が好きであり、雨の降り易い地域であったため、町を離れた後に晴れ晴れとした空であるほどに寂しさが増すため。


 仕事道具として(蜘蛛の形態をした)魔物を狩るが、その影響あってか昆虫類に非常に興味を持っている。その愛は深く、後々の小話で語る積もりだが、暁と一緒に昆虫採集に出掛けた時、彼が虫を杜撰に扱うと激怒したほど。

 あと、人の色恋沙汰が地味に気になるタイプ。

 一時期、暁と旅行していた頃は響との出来事について根掘り葉掘り訊こうとしていた。


 月の村に実子が存在する(その誕生を知らない)。

 そこで一人の女性を好むが、結局自分の生業などから考えても彼女が危険になると諦観し、身を引いた。

 彼女の父親をある一件で殺してしまった罪悪感もあり、その娘を愛したという奇妙な経験があってか、ミシルの事も放っておけずに育てる事になった。









『この世界が、夜空に浮かぶ星と同じって知ってる?』


 潺湲と流れる小川の河畔に座していた黒衣の少年――暁は、その一声に面を上げた。細かな砂利を踏み締めて近付く足音に体をそちらに巡らせる。

 なだらかな斜面の坂を進んで側に寄ったのは花緑青の長髪を靡かせる少女だった。面識が無いため、名も知らず、話しかけてきた意図も判らず、ただ見詰めるしかない。

 獣人族の庇護の下、滞在を許可された暁を訪ねた人物の中にはいなかったし、彼等が存在を隠匿してくれたお蔭で、神族からの追撃なども無かった。

 この少女は如何にして自分の存在を感知したのか。

 北大陸を訪れたのは、これで二度目。

 中央大陸の戦争を終わらせるべく、助力を乞う為に齢十二で神族の都に入ったとき。その際に、主従契約を交わさぬ代償に、二度目の来訪を義務付けられた。

 既にカルデラ一族当主に忠誠を誓った今ならば、さしもの主神も契約を強要できない。

 ()()()()()()()だ。


 しかし、二度目につき獣人族以外に住む一族などもすべて見たが、この少女は人族とも神族とも、どれにも該当しない。

 容貌は人族に近いが、根本から異質さを感じた。

 予期せぬ来訪に動揺を匿した沈黙で迎える。

 暁の隣まで何気無い足取りで行くと、少女は拳一つ分の間隔を空けて腰を下ろした。磨かれたかの如く陽光を照らし返す眩しき砂は、柔らかく彼女を受け入れる。

 常に蒼天の北大陸に対し、靉靆とした笑みを浮かべる少女は、暁にとってどことなく美しく映って見えた。神聖で穢れ無き地の中で、唯一その遣りきれない憂いと諦観の綯い混ぜとなった姿が霞となって立ち込める。

 その雰囲気に感傷して、面識の無い不思議な人物の接近を許した不覚を、今更ながら改めて悟った。

 しかし、来訪者の影は胸中に漣すら立てない穏やかさであり、このまま浸ってすらいたいとさえ思う奇妙な安堵を与える。

 暁の思考は、その来訪の意図よりも質問の真意について静思していた。

 月だけでは寂寥の夜空を彩り、誰かの願を受け取る(まじな)いとしても重宝される輝きの礫たち。暁は幼き日から漠然と、中天に舞う月の欠片としか思っていなかった。

 幼馴染の少女曰く、太陽の眩さに身を焦がされた魂が月の支配する夜へと移り住み、その対価として己を燃やして夜を照らしているのだという。

 この大地が、世界が空に浮かぶ瞬きと同じだとは全く考えもしなかった。

 もし、その話が真実(ほんとう)ならば、点綴と無数に散らばった星空には、幾つもの世界が存在しているのだ。

 別の世界、まだ見ぬ雄大な景色――それらが、空に行けば幾つもある。旅をすれば、一生を費やしても網羅の叶わぬ途方さ。そして、旅路の途中で力尽きれば、そのとき己が新たな星となって空に輝くだろう。


 暁は無意識にそんな想像を膨らませた、己の幼い心に微かに笑んだ。星という物の擁した世界に想いを馳せて、いま胸が少し高鳴っている。

 愛した人の為に夢を諦めてもなお、縋り付くような希望の焔は絶えず燃えていた。

 冷酷に人を切り捨ててきた殺人機械が抱く不思議な夢。

 足下の砂を手で掬い、宙へと撒いた。光を反射して断続的に、不規則に瞬くそれらを星に見立てる。


『星々に、それぞれ別の世界があるとしたら?』

「…………さぞ美しかろう」

『ふふっ、君って笑うんだね』


 驚いた暁は、隣に振り向いた。

 いつの間にか、自分から紫檀の杖を取り上げて膝と一緒に抱え込んで座っている。吹けば根本から折れて風に浚われてしまいそうな弱々しい蘖にも似た姿に始終心を乱されてしまう。

 嘲笑でもない、癪に障る慈愛も無い、小さな偏りすらない、感情の読めない瞳である。人形と同様に無感情ではない、暁でも理解し得ない複雑なモノが渦巻いていた。

 面に出さずとも狼狽で言葉の出ない様子に、少女はくすくすと笑って立ち上がる。

 川へと軽い足取りで歩むと、水面に勢いよく飛び込んだ。浅瀬の河床を強く踏み抜き、盛大な飛沫を暁の膝下まで届ける。

 陽光に照らされ、水と戯れる時の彼女から懶げな翳りが消え、無邪気に破顔した。


『ねえ、もう伊耶那岐さんとは話した?』

「……いいや、まだ」

『あの人、自由になりたいって』

「…………自由?」

『私の居る場所に、いつか行きたいみたい。でも神様だし、そもそも手段が無いから無理だって嘆いてた』


 何の脈絡もない話に、暁は首を傾げた。

 少女は片手に杖を携えており、不敵に笑って誘うように肩に担いでいる。足下で払われた水滴が白い肌に張り付いて光を跳ね返し、また別の星よ如く見えた。

 暁もまた重い腰を上げ、草履を脱ぎ捨てる。袴の裾を帯状に膝まで、素早く丁寧に捲り上げてから川面へと静かに足先を入れた。

 足首を()でる水流に視線を落としていると、おもむろに伸ばされた彼女に両手を握られる。

 手を引かれ、上流に向けて駆けた。

 為されるがままの暁は、ただ呆然と従う。いや、逆らう気さえも起こらなかった。


『私がね、漸く少し前に“篭”に入れたの。君という“異例”が生まれてくれたから』


 暁は“篭”の称される意味に気付いて瞠目する。少女の瞳は空よりも澄んでいた。

 至近に詰め寄った顔が、暁の琥珀色の瞳と視線を重ねる。糸を堅く結び付けられたかのように目が離せなくなった。


「……お前は……僕に、何を……」

()?違うよ、私は君自身とお話したいの』


 暁が平生から装う偽りも識っている。

 今になって気付いたが、少女からは全く気配がしなかった。氣術による隠密などとも違う、以前に出会った伊耶那岐に似た感覚がする。

 彼女そのものが、まるで自分達を取り囲む世界の如し。それでも、それが正鵠を射ているとは言い難い異質な存在感を放つ。


『君はきっと、最初の“約束の子”』

「俺が?」

『君が生まれてきてくれたお蔭で、きっと世界は変われる。君が想定する以上に、広く大きくね』


 少女は暁の顔を両手で包み、その額に口付けした。触れた感触も無いような軽い接触だが、それでも頭が不思議と冴えていく。

 ただ驚くばかりの暁の反応がそれほどにも楽しいのか、また愉快げに含み笑いを溢す。上流へとまた向かう彼女に、今度は自ら付いて行った。

 滑らかな水を蹴って進む様子は、外見よりも随分と幼く見える。


『私の事は『番人』や二神、勿論だけど高天原のお爺さん達も知らない』

「なら、何故ここに……」

『君だけだよ、私を見付けてくれたのは』


 振り返った少女の、またあの複雑な笑顔に暁は口を噤んだ。その顔を見せられると、言葉に詰まって何も判らなくなる。

 “篭”の外側から来たと思しき彼女を見付けたのが自分、その意味とは何なのか。

 理屈では理解出来ずとも、本能的に察していた。


『私はこっちでは……そうね……異星人。まあ、篭の外と『地球』の仲介役をしてるの』

「外側の人間……とも違うのか」

『うん、扉の外の、もっと遠い場所』


 要領を得ない彼女の言葉に翻弄される。

 暁は全く理解を呈することが出来ず、首を捻って黙考した。イセイジン、チキュー、外の世界で信仰される神の名称なのかもしれない。

 扉の外にある世界とは、更に別の世界。

 そうなれば、もはや行き着く先は――夜空に流れる星々しかない。


 思考に耽っていた暁の面前に手が翳される。

 意識が引き戻され、彼女への視線を向けた瞬間に指で鋭く額を打たれた。眉間に残る痺れる痛み、体内に一瞬電流が奔ったような感覚がする。

 少女は真剣な相貌で、暁を正面から覗き上げる。


『いつか君の計画が成功して、夢を叶えたら、私の所においで』

「……お前、の所?」

『そ。魔法も神様もいない、また別の人達の物語』

「……そんな世界、在る筈がない」

『でも、面白そうでしょ?だから、星に願ってみて』


 少女は蕾が開いていくように、ゆっくりと穏やかな笑みを作った。

 暁はその言葉の意が判らず、到底信じられずに首を横に振ったが、無自覚に上を見上げて昼の空に無謀にも星を探している。心の何処かで、そんな世界を望む自分がいた。

 振り仰ぐ暁の胸を指で小突いて、少女が独りで駆け出す。


『その時までの、お楽しみだよっ!』

「な……!?」

『次は、連れて行く人を一緒に選ぼうね!』


 河から出て、川端の坂を登って行く。

 その途中で体の輪郭が薄くなっていき、坂の上に辿り着くのを待たずに空気中に消えた。幻覚か、或いは道に迷った霊魂と己が目を疑うが、触れられた額や手には感触が残っている。

 立ち尽くして、再び空を見上げた。

 夜が待ち遠しい、次に見る星空はどんな風に映るだろうか。


 坂の向こう側から、白髪の獣人族の少女が現れる。暁が此所に居ると聞いて急いで駆け付けたため、息が上がっていた。

 登りきって河を見下ろす位置に立つと、浅瀬に立って上を凝然と仰ぐ黒衣が見える。


「何してんのよ?そろそろ昼食なんだけど」

「……いえ、別に……直ぐ行きます」


 暁は川から上がり、草履を取りに行く。

 さほど遠くはなく、直ぐに到着した。

 しかし、暁は草履を手に取った時、そこに二つ砂を押し潰した跡を見受けて、不思議と笑顔を溢す。


「……いつか、その時だな」






  ×       ×       ×




 第一皇都――中央区・天啓の塔一階。


 頭痛を伴って甦る師の記憶が、戦闘中にある優太の行動を阻害する。全力が出せない状態でありながら、ガンダルムを名告る老練な兵との一騎討ちは熾烈さを増す。

 摩天楼の一階に擁する不思議な都市で、優太は脈動する黒印の反応が消えるまで凌ぐべく、路地を駆け巡っていた。

 物陰に隠れても正確無比な飛鏢の投擲が休む暇をくれない。一投の威力は高く、固い混擬土の建物の壁面に深々と突き刺さる。これを連続で行いながら正確さを失わない精度は畏敬する他に無い。

 優太は敵との距離を氣術で常に把握していた。

 背後からの投擲は、風切り音から軌道を読んで躱し遂せており、未来視を使うまでもない。武器の残数も懸念し、攻撃の手が緩んだのも判った。

 まだ記憶を視た際の頭痛の残響が体を痺れさせる。

 ガンダルムと正面から剣を交えるには、十全な体調で挑む必要があった。第一皇都を走っている時から、幾つもの記憶が脳内に投影される。それも手が離せない肝心な時に限ってだった。

 今も強敵との闘争にありながらも、目許の黒印が未だに疼いて記憶を呼び覚ます。

 まるで――優太が戦うのを拒むように。


「早く、収まってくれ……!」


 しかし、今回視た記憶の断片は重要と思われる内容だった。

 十七歳の師が北大陸に滞在している最中、種族を指す単語であると思われる『イセイジン』を自称する少女と出会った場面。

 この“篭の外”――即ち出雲島の外部とは、また別の異世界から来たと嘯く。

 魔法も神も存在しないという俄に信じ難い場所に、いつか計画を完遂した末に夢を叶えた師を歓迎する素振り。

 万事を透視する『還り廟の番人』や伊耶那岐、そして高天原の神々からも姿を隠して、扉の中に入った異物。その口振りは、師が誕生したという異例の事態に起因した奇跡だと言った。

 伊耶那岐が羨望する世界の住人、また出雲島の優太や“篭の外”とも異なる天地に挟まれた場所なのだろうか。


「まだ、識らない世界がある」


 考察していると、ガンダルムの足が止まった。

 優太も近くの建物の壁に背を付けて隠れ、彼の居る方角の路地を窺う。追撃を諦めた、敵が姿を見せるまで待ち構える心算か。

 上階に向かう要所を押さえられては拙い。

 都市の中央に天井まで支柱の如く続くそれは、内部に昇降機があるとは氣術で確認した。都市全体を走行する不可思議な台車も一つだが、別の時代と交錯したかと錯覚さえする技術品で溢れている。

 この調子でいけば、伏兵は諢壬の阿吽屋敷で相対した警備用の自動人形を、より戦闘に特化させた高性能な機械があるやもしれない。

 敵は人間に限らず、生物とも断定できない。

 未知の敵性要素で充たされた都市に、優太の戦闘意欲が昂る。


 ガンダルムは敏捷に於て互角であり、建物の間を縫って奔る優太との距離をそれ以上空けることが無い速度で追走する。

 回避力の高い優太を狙撃するにも、武器の消耗が激しく、そろそろ懐中の飛鏢も三本を残すのみであった。徒に背後からの連投で撃っても、虚しく固い地面や壁に刺さる音ばかりが手応え。

 確実な命中を狙い、慎重に照準を定める。

 俊敏な獣を前にして、必要なのは正確な予測と狙撃精度のみ。急所に当たれば上々だが、現状として望むのならば手足が先決。

 複雑な路地の暗中を高速で馳せる影は、見失えば後々の厄介さが尋常ではなくなる。常に捕捉して撃破する以外に倒す手立ては無い。

 足音も無く、巧妙に影に紛れる技。

 過去に皇都にてカムイが侵攻活動で大混乱を呼んだ際に、忌まわしき暗殺者が誰よりも先に塔に侵入した。立ち塞がる兵を悉く一刀で片付け、武具の通用しない強者には神の御技を以て命を刈り取る。

 誰も一歩として彼を止められず、最上階まで短時間で到着した。

 そこでガンダルムは対峙し、皇都随一の自負がある剣技で立ち向かったが、自信を根から捻り潰す剣の絶技で返り討ちに遭う。言い訳の余地など微塵も無く、敗北感に塗れた一度目の死に絶叫した。

 その後、結局は王も守れなかった。

 あの敗北という汚名を、必ずここで雪ぐ。

 本人ではなかろうとも、彼の者の後継者ならば鬱積も晴らせる。


「逃がさんぞ、穢らわしき獣め」


 屋上から飛び降り、薄暗い路地裏に着地する。

 ガンダルムは面前で小太刀を交差させた。刃全体に掌から溢れた氣が伝わり、不可視の保護膜に似た第二の刃を形成する。

 氣の装填が完了し、それらをガンダルムは烈帛の気合いと共に振るった。


 壁に隠れていた優太は、彼を中心に広がって建物を無差別に破壊する氣の波状攻撃を感知する。真空の刃が固い壁さえも寸断し、衰えぬ勢威で接近していた。

 あの小太刀が烈風を纏う強大な魔装に変換されて遠距離攻撃を放つ。剣術のみならず、魔法の術にも心得があったとは予想外だった。

 氣術で斥けるにも既に近く、回避不可能。

 苦肉の策で伏せた優太の頭上を、水平に薙ぎ払っていく風の凶刃が建物を両断した。通過して間もなく、風圧に煽られた瓦礫の散弾が狭い路地を跳ね回り、優太は壁に叩き付けられる。

 全身を強打した優太は、蹌々と倒れそうになって踏ん張ろうとしたが、堪えられずに片膝を突いた。

 その横合いから、接近していたガンダルムが宙に飛散する大きな瓦礫を蹴って投射する。またも蹴られた物は、途中で崩壊して幾つもの弾丸に分裂した。

 優太は突き出した掌から斥力を発生させ、多数の凶弾を反射させる。余波が瓦解した建物の残骸たちを勦討しながらガンダルムの体を後ろに駆け抜ける衝撃となり、離れた屋上の床に叩き付ける。

 逃すまじと優太は疾走した。

 ガンダルムは全身を圧迫する力の運動が直撃して、苦痛に怯んでいる。狙い討つならば、今しかない。

 足を加速させた優太の前を、ゆっくりと半透明な球体(シャボン玉)が浮遊する。目的も無く風に揺られるそれらを気にも留めずに通過しようとしたとき、氣の躍動する気配を察知した。

 本能的に危険を悟ってその場から飛び退いた後、シャボン玉が破裂音と共に閃光を放って弾けた。

 強い熱風を炸裂させ、優太は瓦礫の山を跳ね転がる。追撃とばかりに、また漂っていた幾つものシャボン玉が連鎖爆発を起こす。重なる爆風が優太を壁や地面に叩き付けた。

 物に摑まって風圧に耐えた優太は、周囲の気配を探知する。ガンダルムとは別の場所に、新たな人間の反応があった。

 刺客は彼一人ではない、恐らく各地の様子でも見られたように、現在進行で契約者は復活しているのだ。


 優太は方向転換して、そちらに走る。

 再びシャボン玉が飛ぶが、優太は氣術で全て分解させ、不発弾へと変える。探知した通りの場所に潜んでいた敵が、合図に無反応の爆弾たちを見て驚いていた。

 視界に捕捉し、優太は瓦礫の上を飛んで颯然と傍を通り過ぎながら仕込みで一閃する。頸動脈を断たれ、シャボン玉の刺客は瞬時に絶命した。

 改めて優太はガンダルムのいる建物まで走り、屋内へと入って階段を登る。

 その途中、二階で家具を風の魔法で擲つ少年を見咎め、攻撃を左右に駆けて躱しながら懐に潜り込んだ。至近距離で狼狽えるその顔面を摑んで壁に叩き付けると、体内氣流を逆流させて即殺する。

 激しい痙攣の後に事切れた敵の遺体を払い捨てて、再び上階へと上がろうとしたが、今度は隣室から壁を突き破って旗袍の女性が出現した。

 構えたまま床を滑走し、掌底を優太めがけて捻り出す。間一髪で回避した優太の背後の壁を、風を巻く掌打が塵に砕いた。

 優太は背を向けて走って彼女から距離を置き、氣術で辺りの家具を連続で投じる。壁を作らん勢いで鎮圧に放たれた障害物は、たった振り下ろされた足の一撃で破砕され、跳ね返った木っ端に乱打された優太は壁に打ち据えられた。

 鋭利な破片が刺さり、或いは掠めて上着は襤褸にも等しい惨状となっており、下から覗く皮膚には幾つもの裂傷から血が滲む。

 多彩な能力を所有した契約者が、己が突然の復活を利して奇襲を仕掛けて来る。氣術で感知しても、必ず死角を突いて来るのでは対処が間に合わない。

 常に氣術で探るにしても、その集中力さえ削ぐ強力な脅威たちだった。


 床に倒れた優太の状態に、女性が冷笑う。

 複数名を同時に相手取り、この道中にも戦闘ばかりだった彼は、その自覚以上に損耗が激しい。


「ぐ……ッ」

「往生しろ、邪悪なる侵入者!!」


 女性が必殺の拳を携えて迫る。

 飛びかかって来る相手に、優太は虚空に伸ばした手を強く握った。その挙止に合わせたように、女性の体が全方位から氣に圧迫され、細く潰された。

 拉げた細い肢体が床に転がり、血溜を作る。

 優太は即座に立って上に急いだ。階段を最後まで上がり、屋上へと通じる揚げ戸を押し開けて外へと出る。


 ガンダルムは床に仰臥していた。

 口許からは血反吐が垂れており、胸面は深く鎚を打ち込まれたかの如き窪みができている。よく確認すれば、体の各所にも同様のものがあった。

 もう動けないのだと察し、優太は歩み寄って仕込みの刃を抜く。

 弱々しく振り仰ぐガンダルムの微笑にも手を止めず、喉元を刺し貫いた。歪な胸に手を当て、途絶した心臓の鼓動を感じた後、刃を引き抜いて血を払う。


 次から次へと刺客が押し寄せる。

 最上階に辿り着くまで、一体何人の敵と遭遇するのか。ここには鍛練の材となる強者が犇めいている。より高い場所へ、連れていってくれるのだ。

 優太は期待に笑んで、昇降機のある柱へと向かわんとして――背後に覚えた気配に振り向く。


「……優太さん、みつけたよ」

「……仁那?」


 成る程――――次は、君か。






  ×       ×       ×




 摩天楼の一階にて、仁那は確信した。

 いま目の前に居るのは――優太ではない。

 暁が育て、花衣が愛し、結が信頼し、皆が認めた少年とは全くの別人。

 瓦解した建物、火薬の臭い、道端などに倒れる死体の数々。最後の敵から突き立てた剣を抜いた姿は、外観以上に傷付いている心を垣間見せる。

 愚かしくも、本人が無自覚であり、更なる惨状へと自ら突き進もうとしているところだった。

 此所が戦場であり、会話の通じぬ敵は滅ぼすのが正しい行動であるのは否めない。不殺などという綺麗事を徹そうとしている自分の甘さをまじまじと見せ付けられているようだった。

 しかし、それは彼も同じな筈だった。

 余計な殺生はせず、殺す剣よりも守る剣であると恋人にも誓った信念とは、大きく離反した血腥い在り方。

 まだ一言も通じていないのに、その眼中には更なる敵との遭遇、より力の高みへの昇華を望む志向、そして標的を狙う冷たい殺意で判る。

 花衣が語っていた、優しい幼馴染の名残すら跡形も無い。


 仁那は上着を脱ぎ捨てる。

 以前よりも冷徹な空気を纏う優太へと、欄から身を乗り出して少しでも近づく。


「わっせも早くトライゾンさんを止めに行かなくちゃいけないからね、手短に済ませるよ」

「トライゾン?……ああ、あの男か」


 何気なく呟かれた彼の一言に気を留めた。

 この摩天楼を訪れる時点で、その目的はトライゾン一点の筈である。まるで、つい先刻まで全く意識下にすら無かったという言葉だった。

 トライゾンを倒す理由など、中央大陸の混乱を平らげるため、或いは花衣を救う以外に有り得ない。

 仁那の中で、悪い予感への確信ばかり固まる。


「優太さんは、何しに来たの?」

「僕は……奴等と戦う為に、此所へ」

「どうして、彼等と戦うの?」

「……?強くなる為」


 背筋に悪寒が走った。

 突然、目の前の少年が優太の姿をした別の生き物に見え始める。途方に暮れた顔で、戦闘にのみ趣を置いた思考を語った。本当に優太ならば、最も大切な事を失念している。

 仁那は『四片・白虎門』を視覚のみに励起させ、弁覩特有の“見極める力”で相手の心の内を透視した。感情を色で識別し、悉皆を看破する力の前では、如何な氣術師でも秘匿不能。


 視界に映る優太の姿が、色濃い闇に包まれた鬼の影に変容した。全身から瘴気に似た赤い殺意の霧を発散している。

 手に携えた抜き身の仕込みは、刀身が赤黒く錆びて罅が入った痛々しい姿だった。現実では白く鋭い剣でも、一度(ひとたび)その真性を窺えば磨耗しきった心を象徴する。

 花衣の救出なんて眼中に無い。

 もっと別の事柄に囚われ、そこに嬉々として耽溺している。狂気すら感じる勢いで戦闘に没頭し、屍の数だけ成長を確信する彼の喜んだ姿は歪で邪悪だった。

 問わずとも、もう判然としている。

 暁が危惧した通り、魔術師や神族云々ではなく、それ以前に優太が世界を滅亡させるだろう。


 “――後は、頼む。”


 消滅寸前の魂が、最期まで想ったのは愛弟子。

 その行方を案じ、もしもの事があれば仁那に託すとまで言った男の醸した物悲しい空気とあの微笑み。

 優太には見えていないのだろう。

 帰りを待つと約束した花衣、いずれ全てを終わらせた弟子を待つ師の墓標と育った家、背中を押してくれた大切な人や守るべき仲間たち。


 仁那はもはや、涙すら禁じ得ない。

 無意識に瞳から頬を伝って流れるそれに、優太は不可解だと眉間に皺を寄せた。当然だろう、自分を気遣ってくれる人の思いさえ、現状の彼は判らないのだ。

 師や大人の思惑が交錯し、故郷の村を焼かれてしまい、そこから止まる事を許されずに自分の現在地すら把握の付かない域まで奔走した。

 期待してくれる周囲、死してなお自分を救わんとした者の遺志に、彼自身が退路や余裕を失っていたのである。


「何が訊きたいんだ?急いでくれ」

「……判った、この一問で終わらせるよ」


 これは最後の確認である。

 優太が、優太であってほしいと縋りつく想いだけで紡ぐ問いの言葉。


「いま、優太さんの夢って……何?」


 その質問に対し、優太は全く逡巡すら無く応じた。

 さも当然とばかりに、誰しも理解しているとさえ感じさせる堂々とした応答である。


「師匠に近づく。その為に、強敵と戦い続けるんだ」

「戦い続けて、師匠みたいな力を付けて、どうするの?」

「憧れに近付くだけだ。理由なんてそれ以外に必要なのか」

「約束は?大切な人との」

「約束……?仁那、何の話を――」

「もういい」


 仁那に言葉を遮られて動揺する。

 その瞬間、氣術が勝手に発動し、優太の脳裏に未来の映像が流れた。塔の中で強い雷が落ちて、この場所が光の鉄槌に粉砕される。

 何事かと顔を上げると、仁那の姿が消えた。彼女の居た位置の欄が火花を生じて拉げる。

 頭上に忽然と出現した気配に、顔を上げた。

 中空にて仁那が右の掌を前に突き出し、もう一方では拳を後ろに引き絞った体勢で構えている。眼下の建物に向けて、明らかな憤りの情念を滾らせた眼差しを突き刺す。

 怒りの視線に射竦められた優太は驚愕しながらも、その場から飛び退く。


 一瞬の後、屋上に雷霆が叩き付けられる。

 轟音と衝撃で床は崩壊し、優太は足場を失って転落した。屋内に散乱する瓦礫に体を打ちながら倒れ伏せた優太は、起き上がって荒れた部屋を見遣る。

 そこかしこで焦げた臭いと煙が立ち、破断した欄からは電気の弾ける音がした。

 唯一無事だった文机の上に、仁那が降り立つ。


「忘れたんだったら、思い出させてあげる」

「僕の邪魔をするんだな、君は」

「うん、そんな状態で花衣に会って欲しくないから」


 毅然と応えた仁那は、拳鍔刀に手を添える。

 戦闘態勢だと理解して、優太は腰帯の背中に納刀した杖を差す。妨害に出るのなら、敵として立つならば、これまでの関係や情など不要。ただ討ち砕く対象にしかならない。

 床に落ちていた木片を摑むと、それを媒体に氣巧法を発動する。

 破損した物体の一部でしかない物が、優太によって鍔迫りすら許さない絶対両断の剣の柄として変貌を遂げた。木片の先から、三尺余りの長さをした光の刀が現出する。

 瓦礫を蹴って跳躍し、電光石火の踏み込みで相手の懐に入り込んだ。逆手持ちにした氣巧剣を、最速の軌道を描いて振り抜く。


 距離を潰し、攻撃の動作に入るまでの所要時間の短さに仁那は面食らった。氣巧剣を目にするのは初めてであったが、光を都合よく中途で留めたような武器は、恐らく尋常な物質では受け太刀も適わない。

 受け止めた部分から収束された光の刃によって焼き斬られてしまうのみ。

 直感に従い、後退(バックステップ)のまま横に煽って回避する。光の剣先が掠めた頬に灼き焦がされた感覚が走った。思わず顔を覆ってしまいそうな激痛に堪え、地面を蹴ってさらに後ろに飛ぶ。

 刃圏から逃さんと追走する優太が、氣巧剣で何度も斬りかかる。

 それぞれの一閃が妙技であり、致命傷を避けるので仁那は手一杯だった。火傷を負った左の頬の痛みが、今や命の危機を報せる悪寒となった背筋を凍らせる。

 背をこちらに向けたかと思えば後ろ手に握った剣を回旋させたり、奇妙な太刀筋で繰り出される斬撃が一切の油断を許さない。幸いにも、最大の警戒心が精神を研ぎ澄まし、戦闘への意識集中を捗らせた。

 それでも、受け太刀の不可能な高威力の剣を前に回避ばかりでは勝機は無い。


 部屋を一周しながら高熱の刃先を避けた仁那は、後ろにあった文机の上を転がると同時に、一つの拳鍔刀を氣巧剣の手元へと投擲する。

 狙い通りに命中し、優太の手から木片が弾けて床の隅へと飛んだ。更に手元を引き寄せるようにして拳鍔刀に付けていた細い鋼索を操り、手首に巻き付けて動きを止める。

 仁那は机を挟んで彼を睨みながら、円を描くように歩いた。

 優太は手首を強く引き締めて圧迫する鋼索に顔を歪める。引っ掛け針の役割を担う拳鍔刀が肉に食い込んでいく。このままでは、過剰な圧迫で血が巡らないどころではなく、手首から切断されてしまう。

 痛みに堪えて、氣術で文机を飛ばし仁那の腹部に激突させる。

 突然の殴打に対応し遂せず、机に仁那が押し飛ばされ、手元に搦み付いていた鋼索と拳鍔刀が取れた。

 解放された手首を擦って、優太は机と壁に挟まれた仁那へと歩み寄る。


「確かに、君とは一度戦ってみたかった」

「んのォ…………ッ!!」

「僕の妨害をするなら、仕方無いよね……殺したって」


 優太は斥力を強化し、机もろとも仁那を屋外へと薙ぎ飛ばす。壁を貫通していく彼女を追って駆け出した。

 先刻の攻撃は未来視でなければ予測不能であったし、鋼索を用いた武具は厄介である。それも、氣巧剣をふるう優太の動きを読み、斬舞の隙間を的確に突いて手元を撃ち抜いた。

 回避の体捌きからも、以前よりも動きがより洗練されていると判る。

 ならば、彼女の知らない成長を得た氣術で対抗するのみ。


 屋外へと瓦礫に塗れながら弾かれた仁那は、空中で拳鍔刀を別の建物の壁面に突き刺し、鋼索を発動機で巻き取らせて移動する。

 壁に着地し、破壊された建物の中からこちらを睨む優太と視線を合わせた。

 勝利の条件は、彼を行動不能にまでする事。

 そしてもう一つが――彼の剣を破損させる事。

 闇人の剣を鍛える鍛冶が、その本人の気質に由来する『加護』を刀身に授与する。即ち、剣を破壊する事は相手を倒すのと同義。

 特に優太の『不屈』は、彼が志を変えなければ剣も絶対に折れない、という力。

 しかし、先程の透視では血錆で悲鳴を上げて今にも折れそうだった。

 これは、優太自身が信念を捨てたり、絶望に屈した証拠である。本人は無自覚であり、彼自身を変えるには刀を破壊して知らせるしかない。


 皆を導いて走っていたが、いつしか道を見失い、それでも止まらなかった少年。

 仁那は彼を救う為に、己を鼓舞した。

 壁面から鋼索を回収し、優太の居る建物へと足下を破壊するのどの強い力で跳躍する。


「貴方を、()()で止める!!」

「やってみろよ」





アクセスして頂き、誠に有り難うございます。


最近、筆の速さが上がってきた氣がします。このまま更新も順調にして行きたいです(この言葉もフラグにならないよう努めます)。



次回も宜しくお願い致します。




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