不滅の皇都(参―1)/復活の契約者たち
登場人物:暁(享年60~)
身長:173㎝ 趣味:鍛練、工作。
体重:66㎏ 好きな言葉:空。
武器:仕込み杖 食の好物:塩辛い物、おにぎり。
特技:なし 苦手な物:西国の装束、舞踏会。
闇人として矛剴当主の一家に生まれた、優太の祖父の弟。
各方面から無類の刺客、最強と称される実力者であり、カルデラ当主の歴史でも最大の部下として働いた。
基本的な思考は仕事と幼馴染の二人にしか向かない。
容姿端麗とあって女性からの人気を募るが、彼を想った者は悉く不幸な末路を辿るため、かなりの曰く付き。仕事関係なら兎も角、普段は女性との付き合いが判らず、始終無口になりやすい。
好物が塩辛い物とおにぎりなのは、過去に晋(幼馴染)が弁当として遊ぶ際に持参した物を食べたのが切っ掛けで、表情には出ないが大層気に入っていた。
しかし、塩加減が判らず、また塩味があるほど良いという異常な趣向であり、屡々カルデラ屋敷の厨房に近付けさせて貰えなかった。
神樹の森で暮らしていた頃にも作っており、優太が辛い物が好きな理由は彼である。
物語で語られていないが、属性はヤンデレ寄り。
響との恋愛自体は諦めているが、その想いは健在。その為、彼女に害を為そうとした敵は徹底的に滅ぼし、彼女の命令が無ければ根本(たとえば敵が所属する組織)から滅ぼそうと企む。
四十年の月日を遡った中央大陸の南東は鍛冶の里。
鎚打つ音が山間に谺させる営みは、戦や生活を支える生業の者が集って生まれた里で永らく続いている。火と鉄に囲われた彼等の生は、間接的に人の手先となり、時に人を殺める事があった。
今は東西分裂の内憂が始まった頃合いであり、それによって彼等の需要は高まる。より多くの生産を求められたが、それだけの死が作られるのだという裏返しとして鍛冶には伝わった。
鎚を振る者でも、長く火に熱せられた錬鉄と対話を繰り返した手練れにしか悟れぬ戒め。自らも業の深い職でありながらも、留まる事を許さなれない。
安息はその手がいつしか止まった時。
一番鎚を誰かに譲位した引き際のみ。
彼等はそれまで戦い続ける、誰よりも深く熱い戦場へと身を駆り立てた。
里に居を据えた一家。
その縁側では、一人の男が両手で布に包まれた赤子を抱えていた。まるで石像のように動かず、静かな彼の腕の中は心地好いのか、赤子は身動ぎして幼い顔に満面の笑みを浮かべる。
繊細な男の手は、赤子が落ち着いて眠れる寝床だった。
背後では、来客用に茶を涌かした少年が盆の上に乗せたそれを慎重に扱い、彼の傍へとゆっくり置いた。
『お茶が入りましたよ』
『ありがとう』
少年は男の腕から赤子を受け取った。
すやすやと寝息を立てる赤子に自然な笑みが溢れ、茶を啜る横顔に一礼する。
静かな男は、凪いだ水面の如き穏やかな眼差しで赤子の顔を流眄した。よく眠る子供の顔に寄ろうとする虫を払う。
この二人の邂逅は、二日ほど前に里を襲った野盗との交戦中だった。
日頃の悪行を営む為に武器の調達として、鍛冶の集う地に目星を付けた野盗と、そういった襲撃を想定して里に雇われた用心棒が激突する。
少年の家は鍛冶だが、武術に通ずる父が応戦しに家を出た。元より父は侠客、少し前に里で暮らしていた当時の母に恩を返すべく住み込んで働く内に夫婦となったという。
そして、武の訓えを受けた少年もまた、争いへと強引に連れ出されるのだが、気性の穏やかな人柄があって野盗でも殺せない。
心の甘さは戦場では命取りとなり、遂に凶刃に体を裂かれる寸前にまで陥った。
その窮地を偶然にも通りすがった男に救われたのである。野盗を瞬く間に打ちのめして縛り上げた。
今は救命への返礼として、宿を貸している。
近場で仕事があるらしく、暫し里を拠点にしたいとの旨を聞き、少年の独断で泊めた。父も諭して、彼の滞在が許された。
負傷した父への処置や、病弱な母の世話で幼い弟へ手が回らず、客人の男に致し方なく頼んだのが現在だった。
最初は赤子の扱いに心得が無いのか、顔に出さずとも当惑していたが、男の雰囲気には落ち着くのか今や赤子は安眠を貪っている。
『すみません。助けてもらったのに、弟の世話までさせて』
『問題無い』
『盗賊を追っ払ってくれて、本当にありがとうございました。改めて、礼をさせて下さい』
『必要ない。こちらも世話になった』
男が飲み干した碗を盆に置く。
単衣の襟を正し、髪を結い直した。
着々と再出立の準備を始める彼に名残惜しさを感じた少年は、我知らず俯いて唇を噛み締める。これ以上の希望は僭越にも程があると弁えながらも、感情を押し殺せない。
鍛冶に直向きで子を顧みない父、床に臥せって構えない母、まだ言葉も通じない赤子以外では、初めて自分を見てくれる人だった。
男は立ち上がると、背を向けて数歩だけ進み出て止まる。その髪を揺らして振り返り、少年の様子に目を眇めた。
『仁義、面を上げろ』
堪えても溢れる泗で汚れた顔貌で男を見上げた。客人に向けるには粗末にもほどがあるし、煩わしく思えてしまうだろう。
少年から充溢する惜別の情に、さしもの男も苦笑する。それでも嫌厭を微塵たりとも滲ませず、縁側へと再び歩み戻った。
腰を下ろす事は無けれど、少年の頭を撫でる。慣れて居ないというのが手付きで判ってしまうが、手先から感じるそれも嬉しく思える。
少年の相が僅かに笑みに戻った。
『すみません、俺って弱くて』
『誰しも始めは弱い。恥ずべきは己の弱さを識らぬ傲慢だ。それに比すればお前は聡い』
『強く、なれますか?』
『ああ』
少年は腕で無造作に泪を拭い、洟をすすった。
この男は家に招いて、まだ少ししか経っていないのに、他人に甘えたい少年の幼心を感じ取ってくれている。
鎚の音響が遠くから耳に届いた。
午後の鍛冶が始まったのだと感じたが、男の視線は西の山腹を指す。訝って少年がそちらへ顔を巡らせるが、至って変異は無い。
『先日逃亡した残党が一峰を登った先から進行して来ている』
『えっ!本当ですか!?』
『行ってくる』
歩み出さんとした男の袂を片手で摑んだ。
反射的だったため、少年は己の行為に目を見開く。振り向いた彼の表情は、無言で放せと告げていた。
幾ら強くとも、不安になってしまう。
少年はその心情を口にできず、それでも体は向かう事を許さないと放さずにいる。
男はいつ放すかと黙視し、やがて体の正面を少年へと戻した。片手に携えていた紫檀の杖を少年の膝に安置する。
『弟を守れ』
『…………』
『必ず戻る。その約束に大事な物を預ける』
『……絶対、ですよ?』
男はゆっくりと頷いた。
少年は渋々と手を引いて、抱いた弟を包む。
背を向けながら、東の山へと男は進んだ。背中には一抹の躊躇すら無く、戦意すらも感じられない。その足取りもまた、小用を片付けるように緊張の欠片もない悠々とした歩だった。
『仁義。いつかお前に弟子が現れるとする』
『えっ?あっ、はい!』
『それが名も無き年若い娘であったなら、お前はどうする?』
『女子……ですか』
遠ざかる男の背から投げ掛けられた問。
その奇異なる内容に真意を考えたが、解答に辿り着くよりも先に声が届かなくなると判り、慌てて彼の質問について思量した。
強くなった先で、自分に学びたいと志願する名も無き娘。
男へ回答が届かなくなるまでの猶予が短いとあって、ぱっと脳内に浮かび上がった事を言の葉に乗せた。
『えっと……仁那、と名付けます!妹が生まれたら付けたかった名です!多くの人に愛される子に、師として育てます!』
聞こえたか。
男はその姿が林間に消えるか否かの際疾いところで、少しだけ振り向いた。顔までは窺えずとも、確かに届いただろう。
それから少し経ち、東の山から烏の群れが飛び立った。羽を休めた木の近くで、何かの騒ぎ立つ様子を覚ったからである。
次いで野盗のものと思しき蛮声が鎚の音を掻き消したが、ほどなくして絶えた。
男は帰って来るのは今かと待っていた時、腕に抱いた弟から嬉しそうな声が上がった。
何事かと見下ろせば、手で空を掻いている。その仕草が意味するところを考えようとしたところで、膝上にあった杖が消えている事に気付く。
獣に盗られたかと慌てて、ふと弟が見る空へと視線を移すと、杖らしき物を横に咥えて蒼空を泳ぐ龍を見た。
滑らかに蛇行して東の山へと向かう様が、少年には綺麗に思えてしまった。
後で顧みれば、どうしてそう思ったのかは己でも定かでは無いが、あの龍がきっと男へ届けたのだろう。彼はもう此処へは帰らない。
少年は強さが何かを求め鍛練に励んだ。
数年後、母が他界したのを期に家族を重んじる態度に急変した父へと稚児の弟を預けて旅に出た。
旅先で男に会うことは無かったが、侠客として俗世を渡り歩いた少年はいつしか老人となり、そこで名も無き娘との邂逅を果たす。
まるで過去に自らが口にした言葉を裏切らぬかを試されている様に思えながら、この奇縁を老人は喜んで受け入れた。
煤汚れた少女を介抱し、旅の伴として連れる。
この少女に対して、自分が幼少に注がれなかった愛を不器用ながら伝え、数ヶ月を経た頃に意を決した。
『数ヶ月間、すまなかったな。遅いとは思うが、お前に名前をやろう。俺の家に妹が生まれたら付けたであろう名だ』
『はい、お願いします!』
文字に書いて見せた。
――仁那。
少女はうんと目を開いて凝視する。確と己に刻み付けんと意気込んでいる。
老人はあの日を想起した。
強さへと続く道の始点を示してくれた、名も知らぬ男の背中を。
『どうだ?』
『ジンナ、ですね!判りました、わっせはその名に恥じぬよう頑張りますっ!』
『んんっ?いや、違うぞ?』
『私は仁那では無いのですかっ!?多くの仁義を尽くす様にと!』
『いや、違くは無いのだがな……?』
終ぞ再会する事はなかったが、未だに目標として前を歩み続ける偉大なる彼の存在を。
× × ×
第一皇都――中央区・天啓の塔前
神聖なる都にて誰よりも高く聳り立つ塔。
仄かに燐光する雲底を貫いて、摩天楼は人の手の届かぬ空まで続く。中央大陸を俯瞰する高度まである塔は、正しく衆より崇められし存在を掲げることのみに意義がある。
時代の混沌の末に再臨した都の威風は、仰ぐ者に等しく畏怖と、謎の帰属意識を植え付けた。与する者には栄光を、対する者には相応の罰を授ける。
都の枢機となるのは、正しく皇王のみ。
王の意は、都のすべてを掌理している。故に、内側に招き入れられし命すら支配圏。生殺与奪も自由に許された。
倫理も損得も関係なく、ただ対象が王の意向に反するか否か、判断の如何にあるのはそれだけ。
摩天楼の麓の一劃には、高い家屋の建ち並ぶ住宅街となっていた。嵌め殺しの硝子窓から覗く屋内は家具などが生活感を思わせる配置である。
混凝土の壁に挟まれた路地は音をよく反響させ、闇に紛れる者の存在感を暴露した。
その道々に蟠る陰気を、跫もさせずに段々と塔への接近を遂行する。黒衣で暗闇に同化し、無音の疾走で気配の徴憑を微塵も残さない。
奇しくも普く生命体を感知する都の中で、肉体の含有する氣の総てが邪氣である体は、もはや死人として注意対象から除外されていた。
南地区から走行を続け、中枢を目前に控える侵入者――優太は、建物の角から塔の前庭に続く大通りを窺う。
静謐を湛えた前庭に噴水があり、解放軍による警戒網が無い。敵意の臭いも無い澄んだ空気に満たされ、快く襲撃者を迎え入れんと塔は凸形の入口は扉も無く内装を覗かせていた。
氣術で付近の気配を探知するが、優太以外の生命反応は皆無。より細部まで摸るが、鳥獣も虫すらもおらず、完全に無人の町となっていた。
あまりにも無防備に過ぎる。
移動中に警戒していたが、結局その行動を阻む手勢も無く、体力の消耗無く到着したのは芳しい結果ともいえた。
それでも数多の謀で短期間に大陸中を混乱させたトライゾンが妨害を一つも設えずに内懐に招くのは、明らかに塔内部が最大の罠である他に思えない。屋上に彼がいると仮定すれば、確かに対敵の頭上を陣取って迎撃が行える点に注目すれば要害の意味は為す。
しかし、己が退路を絶つも同断である。
この場で戦況を推し量るのは尚早、内部構造を確かめるまで互いの優劣は判じ難い。外観は黒曜石の如く艶のある漆黒をした衝天の円柱。壁面には偵察用の設備は無く、気配を感知する術に長けた外敵には侵入の容易である脆弱な城。
優れた索敵能力すら遮断する特殊な力が働いていると想定するなら、やはり意を決して屋内に飛び込む他に、これ以上の前進は叶わない。
優太は前庭へと低く駆け出し、入口の側の壁に背を付け、周囲への警戒を怠らずに中を覗き見た。屋内は一寸先すらも鎖すような暗黒が内包されており、不審な空気感が増す。
突入を実行した直後に蜂の巣になり、勝負になるかもしれない。
それでも、今の優太には窮地もまた望む処、強敵との廻り合いこそが成長の必須要素と弁えて、むしろ伏兵の存在すら期待していた。仕込み杖で斬り伏せ、氣術であらゆる攻撃を斥ける。幾らでも遣り用はあった。
一寸先の闇に敵影を望み、優太は壁を突き放すように飛び出し、入口の中へと躍り込む。
塔内部への閾を飛び越えた――その瞬間に、頭を鎚で打たれたかの如く謎の衝撃によって上体が仰け反った。
満を持して待機していた伏兵の迎撃を受けたかと思ったが、外的攻撃とは違うものだった。優太の脳内で、塔内部の空気に反応した何かが覚醒した故の現象である。
頭を押さえて踞った優太は、自身の瞳が意思を介さず勝手に千里眼へと変化していくのが判った。遥か遠景にある火乃聿の平野、皇都近辺の地域の映像が視覚を通じて流れ込む。その中に、イタカを先頭とした魔物の軍と争い合う場面も見受けられた。
皇都から大軍が出動し、次々と各町を征服していく。火乃聿の荒れた戦場で同盟軍と激突する彼らが、兵を薙ぎ倒して着実に首都まで侵攻の足を進めた景色があった。
「ぐッ……この、何だこれは……!?」
「――“契約者”だ」
何処からか声がする。
暗かった塔の中が照明され、全貌を明かした。
外部に広がる街衢と同じ風致の空間が広がっており、およそ塔の大きさに不相応な面積が収められている。
いつしか高い建物の上に居た優太は、即座に北大陸を包む“空間圧縮”と同様の原理の力なのだと察知した。頭痛は止まない、未だ体を苛む物の正体は知れず、体を不自然に強張らせる。
前方に三名――奇異なる風貌をした彼等のうち、中央に立つ老人には既視感があった。
襟巻きに腰に二本の小太刀を佩刀した風体。
矛剴の里にて響花を誘拐せんとした解放軍の構成員である。一度、敗北の味を教えられた優太としては、望外の遭遇だった。
喜悦で獰猛に微笑む優太を、老人は肩を竦めて笑う。
「獣よ。ここに至るまで幾千の命を殺めた所業、正に彼奴の弟子よ」
「アンタら、なぜ今まで隠れていた?」
「隠れていたのではない……ご帰還なさったのだ。我らが王と、我らの敬愛する神が」
「神?帰って来た……?」
敵の一人が屈み込む。
床に触れると、亀裂が建物全体に広がった。足下が揺らぐ感覚に、優太は急いで縁まで疾駆した。老人達も示し合わせていたのか、既に避難を始めている。
建物から迷わず跳躍し、落差の小さい建物の屋上へと受け身を取って転がり込んだ。背後では先刻居た場所の崩落する騒音が鳴る。
優太が振り返ると、そこに総身を瓦礫で形成した巨人が佇立していた。魔物でも見たことの無い雄大さであり、挙動の一つひとつに地鳴りの如き音が伴う巨体が腕を振り上げた。
危険を感じ、再び別の建物へと飛び移る。次の瞬間には、瓦礫の怪物が下ろした腕によってまた一軒が撃砕された。
宙で爆風に煽られた優太は、次の着地地点と見定めた場所で第二の敵が構える姿を見咎める。
懐中から取り出した木っ端を中空に放る。無造作に撒かれたそれらが、優太を標的として一斉に飛び足した。
集束する殺意の針に、優太は身を捻って紙一重で躱す。頬と肩を掠め、血の滴が飛び散った。
まだ足場まで遠く、着地するまでの間に優太は全身を再び回転させる。その前面が背後へと回った時、瓦礫の怪物めがけて邪氣の大槍が発射され、その脳天を貫通した。
床に転がり、その勢いを利用して跳ね起きると一気に敵までの間隙を殺し、稲妻めいた速度で仕込み杖から抜刀する。敵が次弾を装填する前に頚を斬り落とした。
間髪入れずに納刀した優太を横合いから小太刀の鋒が穿つ。鋭い刺突を放ったのは、二人の影から奇襲を仕掛けた老人だった。
優太は前に上体を倒し、そちらへと体を巡らせる運動に合わせて回し蹴りを放つ。
それを老体とは思えぬ俊敏さで飛び退いて回避し、懐中から二本の飛鏢を投擲する。
予備動作を隠した素早い手際にも優太の反射神経は反応し、杖で上に打ち上げ、残る一つを手に摑み取った。後退した老人の首へと高く一投すると、上から落下中にあったもう一本の飛鏢の柄頭を蹴り抜いて放つ。
小太刀二本を逆手持ちにする老人が飛来する凶器を撃墜しながら肉薄して一閃した。襟巻きの下に隠した口許は、まだ余裕の笑みを浮かべており、振るわれた刃先には強者としての自負が宿っている。
優太は跳躍して彼の肩に片手を付くと、小太刀を持った攻撃の手元を第二の踏み台にして更に高く蹴り上がる。命を刈り取る銀閃は空振りし、標的が虚空に残した血の滴が付着した。
敵の肩部に置いた手を支点に逆立ちとなった優太は、そのまま老人の体を突き放すように腕で飛び上がってその背後に着地する。
手刀を後頭部に振り下ろさんとするが、老人は逆手持ちにした左の小太刀を後ろに突き出して攻撃する動作に入ったのを見咎めて中断し、左肩に杖の石突を打ち据えて阻止した。
老人は前へと転がると、翻身して優太に再び飛鏢を投じる。潜り抜けて回避した処へ、さらに連投を繰り返す。
高速で打ち出される凶器の投擲は間が少ない。
正面から速く撃ち出され続け、上体で処しきれる範疇ではないと判断して優太も左へと床を転がって避け、即座に立ち上がって体勢を整える。
睨み合う両者は、先手を打つか否か、その心内にて己と詮議していた。
優太は頬の浅い傷を指で拭って血を払う。
塔の中まで感知領域を広めても、結果からして老人や戦士の存在感は見事に隠匿されていた。確かに、空間を圧縮する特殊な力場に氣術といえど干渉して精確な情報は得られない。
内部に新たな都市を内包しているとなれば、上階までの距離がまた一段と遠く感じる。トライゾンの喉元に刃を突き立てる間合いには無い。
歯噛みする優太へと、直下の床を貫通して発光する鞭が伸びた。直線ではなく、しなやかに、滑らかに蛇体さながらの動きを見せ、退いた優太を幾度も追撃する。
縦横無尽に切り裂く刃は、一度回避したとしても同時に足下を薙ぎ払っているかに思わせる。鉄であろうと何であろうと切断する様は鎌鼬の如し。
異形の剣の猛威を前に、優太は身体機能の大半を回避に費やしながら分析する。
常に氣を鞭へと流し込んだ魔装の類、射程距離は長く、鞭の刃圏を脱する事は叶わない。それでも所詮は氣を使った攻撃、それも本体から直接供給されている物体ならば倒す方法は容易だ。
鞭から距離を置いていたが、いつしか背後に回り込んでいた老人の回し蹴りが側頭部を命中する。固い踵に殴打された鈍痛で呻く。
不覚を取ったが、それでも鞭の直撃は避け続けた。触れれば断ち切る異様な凶刃、全く油断なら無い。
翻身と同時に振るった足で老人の顎を撥ね上げて突き放した右手全体が黒く変化する。
「黒貌――邪装・遮断強化」
邪氣を纏った右手で鞭を摑み取ると、そのまま氣術で本体から流された鞭内部の氣を総て逆流させた。
発光していた全体が破裂音と共に爆散し、床下から断末魔の悲鳴が響く。氣流の逆流とは、即ち万物の破壊に当たる。体内から供給される流れと対となる運動が衝突すれば相殺にのみ留まるが、仮に後者の力が勝れば体内を撹拌されて絶命に至る。
氣術師、それも人の体内氣流を操作する術理を心得た闇人を相手に、迫撃用の魔装は自滅の策となるしかない。恐らく屋内は盛大に飛び散った血肉で汚れているだろう。
優太は掌中に残った鞭だった物を捨て、再び老人の方へと向き直る。
「流石だ……暁に殺された昔が懐かしい」
「僕の師匠を知っている口振りだな」
「我々は“契約者”、皇都と契約を交わし、死後も『守護者』として働く事を誓った者なり」
優太は守護者という単語に違和感を覚える。
神樹の村にも、村の防衛を担う凄腕の戦士が居たが、それらとは何処か異なる響きを持った言葉だった。
死後も契約に従い、戦士として戦う。むかし暁に殺された記憶と嘯く言動から、簡単に察した。
「要は、アンタも亡霊か。各地で暴れているのも、その復活した“契約者”」
「然り。それでも些か語弊があるぞ」
「どうせ、守護霊に訂正しろだなんて言うんだろ」
「それこそ正しい。私は特に、皇都に仕えた戦士の長たる十名の『守護者』の一人、結様が誕生した日に復活し、この時を待っていた!」
「結……!?」
老人はそれぞれの腕が別の回路を擁するかの如く、両手の小太刀を前後で手中にて回旋させる。重い棍棒で空を切るような鈍い音がして、辺りに微風が生まれた。
優太も半身で彼に対すると、杖を後ろに回して柄に右手を緩く絡める。
「いま仕方、二名の『守護者』を屠った技量、見事なり。敬意を表し、このガンダルムが全力を以てお相手仕る!」
両者は地面を蹴って飛び出した。
× × ×
第一皇都の町を走る台車――後世に機関車と呼ばれる物を移動手段とし、車上では仁那が塔を振り仰いでいた。鉄道を走る奇妙な機械仕掛けに驚嘆しつつ、視線だけでも先を急ぐ。
街全体に張り巡らされた鉄道に従って動き、設定された順序に合わせて駅と呼ばれる場所に自動で停車する。動力源は魔石と思しき物を使用し、無人走行を続ける。
亡国の文明には、今よりも先進的な技術が眠っていた。それは学問などに興味の薄い仁那でも納得させられる光景で充ち満ちている。
中央の摩天楼の近くに停車した。
雁木屋根のある台で正確に停止した車体の上より飛び降り、仁那は発車を待たずに街を走る。
塔の付近に全く人影は見当たらない。
大通りを駆けて摩天楼まで一直線に向かう。敵が居るならば、何かしら仕掛けて来るか、或いは罠がある筈である。
注意して多方向を見ながら前進を続ける仁那の前方で、路地の一部が輝く。罠と思って、仁那は拳鍔刀を建物の上へと投げた。腰帯から伸びる細い鋼索を付けたそれは、屋上に突き立つと巻き上げて仁那の体を運ぶ。
言義の昇降機の上下運動を補助する機械の原理を利用し、小型化した発動機が付帯している。
『四片』の力を使った身体能力ならば家屋を飛び越えるなど容易だが、能力を行使した氣の反応で敵に察知される危険性を説かれ、言義の科学者が仁那に進呈した武装。
拳鍔刀の凹凸のある刃先は突き立ち、何処でも固定し易い形状。
屋上に上昇した仁那は、大通りの路地を見下ろした。輝いた地点から、次々と武装した人間が出現する。あたかも、そこに召喚されたかのような光景だった。
何者であるか思索して仁那が身を乗り出して見ていると、彼等の内で銃器や弓矢を携えた者が一斉に射撃を開始する。慌てて飛び退くが、壁面を穿ち、床に突き立つそれらは着弾と同時に赤い光を放って爆発した。
熱と衝撃で吹き飛ばされた仁那は建物同士の間に転落し、慌てて屋上の欄に擲った拳鍔刀の鋼索を搦めて空中で静止する。もう一振りを前の建物投擲して壁に固定すると、そちらへと発動機を稼働させて移る。
高火力の魔装が束となって押し寄せると、一弾でも直撃すれば命は無い。再生の余地を許さず肉片も残さない威力で狙撃して来る。
攻撃の所為で一瞬しか見えなかったが、集団は人族や妖精族などを主に構成されていた。こちらの攻撃が入れば、一打で倒れるだろう。そう考えれば、魔物よりも遣り易い。
しかし接近もまた困難だった。
あの数に、あの武装――接近中も仮借無い弾雨に晒される。優太やカリーナの様に邪氣による遮断効果のある防具がなければ無事では済まない。
先の戦闘で使用した『神楽の型』が、解除から時間が経過するごとに負担が大きかったのだと感じさせる。増していく疲労感は祐輔の特性でたる『助勢』で回復傾向にあるが、予想以上に反動が大きい。
使用回数が少なく、体にまだ神族の力が順応していない証拠だった。なるべく能力使用を避け、能う限りの現場を仁那の自力で切り抜けなければ温存できない。
宙を振り子のように移動しながら壁面に着地したが、拳鍔刀を固定した部分の壁が内側から爆裂した。落下する仁那は、頭上で宙を回転しながら瓦礫を蹴って飛ばす人影を見つける。
蹴られた物体が弾丸となって飛来し、仁那は拳鍔刀の殴打にて辛うじて防御した。背転して地面に着地すると、投射した鋼索を敵の腕に巻き付ける。
「拳法家に魔弾の弓兵、多彩だ……ね!!」
手元を強く引っ張り、そのまま搦め取った敵を地面に叩き付けた。路地に上半身が突き刺さって動きを止めたのを確認してから鋼索を回収する。
「うん……多分、死んでないよね?そうであって欲しい」
休む暇は無く、一人を仕留めた仁那を後方から矢の雨が襲撃した。
急いで建物の影へと逃げ込むが、爆風は狭い路地を焦熱の濁流となって奔走し、背中を焦がして圧迫する。
転倒した仁那へと、屋上から飛び降りた剣士が凶器を振り下ろす。その場から跳ね起きて回避すると、拳鍔刀で剣を側面から叩き折った。武器を破損した二名に掌打を打ち込んで失神させる。
明らかに敵の数が異常だと感じ、仁那は屋上の欄へと拳鍔刀の鋼索を搦めて上昇した。いちど戦場を俯瞰できる位置に戻って、態勢を立て直す以外に一時的撤退も接近の続行も判断が付かない。
しかし、そんな彼女の行動を読んでいたかのように爆撃の矢が飛来した。
「嘘でしょっ!?」
周辺への着弾と共に、炸裂した爆炎の波と轟風に仁那は呑まれた。
矢を放った面々が敵の消滅を確信して弓を了う。身体能力が高く、奇態な機械仕掛けで自在に移動する戦法には面食らったが、凶弾の雨を前にしてはいつまでも逃げられる訳ではない。
爆撃された地点から濃密な煙が立ち上る。
他の白兵戦を得意とする人間がその場へと募り、現場確認へと赴いていた。懸命な戦いぶりだったが、その健闘もここまで。
弓兵たちは深く息を吐いて警戒を解いた。
その時、奮闘した外敵に覚えた驚嘆、その念が胸中で冷める間もなく土煙が内側から切り払われる。
高く跳躍した少女は、鶸色の氣を纏った異様な姿となっていた。甲羅に似た盾を両腕に填め、蛇の紋様が衣服に浮かんでいる。
「『四片・玄武門』!体は疲れちゃうけど……もう形振り構ってられないよ!」
仁那が虚空へ拳を突き出すと、周囲の建物が瓦礫へと変貌し、それらが一斉に砲弾として射出された。砲門となる彼女から際限無く発射される爆弾により、弓兵は避難も叶わず撃ち抜かれる。
全敵を強引に撃破した仁那は、瓦礫の山の上に膝を突く。
自然治癒力の『助勢』を再始動させ、回復の促進を加速させた。万全の状態を維持して摩天楼に侵入を成功させなければならない。
いま対峙した者からも伏兵の戦力は侮れないし、何よりも……先客が居る。
駆け出さんとした仁那に、足下から呼ぶ声がした。見下ろすと、そこで倒れていた敵が苦しげに見上げている。
「何故……我々を、殺さない……?」
「わっせは助けたいだけであって、敵を殺したい訳じゃない」
「……綺麗事、だぞ……」
「決めたんだ、友達が信じてくれたわっせを裏切らない為に。だから甘くたって辛くたって遣り遂げてみせるの」
仁那は大通りを通過し、前庭も駆け抜けて塔の入口に飛び込んだ。僅かに空気の揺らぐ感覚の後に、照明された町並みが目に入る。
唖然とする彼女は、ふと町の一画に堆積した瓦礫の山を見た。
そちらへと向かって屋上伝いに接近する内に、人影を目にする。仰臥する老人の喉から血塗れの刀を抜いた黒衣の少年。
仁那がその場で立ち止まると、彼もまたこちらを振り返った。
「……優太さん、みつけたよ」
「……仁那?」
アクセスして頂き、誠に有り難うございます。
今、物凄く結末に悩んでおり、ここが節目となるため一度削除して、書き直すか、覚悟を決めて再投稿するか脳内会議をしていました。結果として、その“節目”まで猶予が作れるよう後の展開を改編していく所存です。
そこまで、まだ距離はありますが、脳内では三つルートがあります。
主人公を地獄に堕とした完全なバッドエンド。
各々で複雑ながらも納得いく(?)普通エンド。
ご都合主義にならない加減のハッピーエンド。
情けない事に、自己判断で決定できない場合、皆様にアンケートを取るかもしれません(極力そうならない努力をします)。
次回も宜しくお願い致します。




