不滅の皇都(弐―4)/赫灼の勇将
「殺してよ」
とある国が滅んで、やや時が過ぎた頃である。
山道を行く人々の合間を縫って歩む黒衣の青年へと、その後ろを追従していた少女が脈絡も無く声を上げた。
何処もかしこも紛争の艱難辛苦に喘ぎ、地面は血を吸った後とあって、進む都度に薄氷を踏み締めたかの如く乾いた音を鳴らす。
通過する人相は、どれも不安に騒き立って耳をそば立てて、僅かに戦禍の臭いを嗅ぎ取れば一分の余白も無く恐怖の色に染まる。
往来する商人は、専ら武器を売る者たち。
現代で需要が高いにせよ、その懐の潤いと引き換えに命を危ぶまれる。自分たちが日銭を稼ぐほどに、何処かで人の命を奪う戦をより苛烈にしてしまう。或いは売った凶器で、己や家族が脅かされることが無きにしも非ず。
そんな不穏な風が過る林間の道で、僅かな感情すら滲ませない相の青年が居た。
東西の反目がより険しさを増す中で、西の土地を異国の装束で悠揚と歩む姿は異質。単衣に脚絆も無い臑を袴で隠す。
立派な東国の服装、されど不安で気の立った兵士や商人に絡まれることはなかった。
気配を忍ばせる意図が本人に無くとも、誰一人として彼を気取ることができない。無色透明の空気と化して進む足先を、予想外にも他人の声が阻んだ。
青年は半足を後ろに引き戻し、軽く肩越しに後ろを見遣った。元から行動を伴にし、自分を認知していた少女からの一声である。
道の中央で立ち止まって視線を合わす彼らの間を、山の流水を遮らない二つの小石の側を横切るように何ら気に留めず山道の絡驛は絶えない。
青年はただ黙視し、突拍子も無い一言に疑念で目を眇めるだけだった。
少女は不安げに佇んでおり、些か己の発言を悔やむ顔である。胸前で握った手が所在無さげに動く。
「私は、どうせ忌み子。皮肉だよね、神の寵愛を受けた『賢者』が、身内に厭われるなんて。……ねえ、貴方は私が嫌い?」
少女の悲痛な言問いにも、返答は全く無い。
無感情な青年の静謐を湛えた双眸は、半ば相手への無言を強要する威圧があった。特殊な集落から『勇者』に次いで発現した『賢者』を首都に護送する任を仰せ仕った彼は、仕事以上の干渉はしない事を求められている。
それに従い、襲来する害悪を斬り伏せる冷徹な剣として傍に仕えるだけの護衛。その範疇から出ぬよう、彼は少女との交流を禁ずる心積もり。
少女は承知の上で問い、そして返らぬ応えに諦念で笑んだ。
とある部族の集落で『御三家』として覚醒した彼女は、今まで家族から親しかった人間の悉くから冷たい感情を向けられた。首都への護送が決定しても、悲しむ者はいなかったのだ。
集落の外部では、きっと厚遇を受ける。
神の使徒として、国民からの篤い人望を受けるだろう。尤も、それは力に由来する信心であって彼女の本質のみを見た物とは全く縁遠い。
だからこそ、どちらにも属さずに少女を見る男の観点から思う気持ちが知りたかった。
「貴方は……嫌悪でも、過剰な崇敬でも見ない。私個人を見てくれる……だから、期待してしまった。ごめんなさい、本当に」
青年はやおら身を翻し、少女の前に歩んだ。
落胆で伏せられたあどけない顔を察し、その頭頂に手を乗せる。撫でずに、ただ置くだけだった。
どんな意があるかと疑い、面を上げた少女は困惑するが、やがて手の温もりだけに意識が向けられ、甘えるように自分の両手を重ねる。
「お前まで自分を厭う必要は無い」
「……貴方は、自分を嫌ってるみたいだけど」
「…………」
今度は青年が俯いた。
無意識に紫檀の杖の中程を握る手に力を込める。ぎし、と軋んだ音がして杖の石突が微かに震えた。
己への嫌厭に苛まれる必要はないと諭す彼自身が、最も強く己を忌んでいる。力から立場、そもそも生まれたこと自体を恨む。
動かない表情の裏では、空をも覆い尽くす怨毒の闇が渦巻いていた。
「これから、友人を一人殺めなければならない」
「え……さ、避けられないの?」
「……これ以上、彼女の暴走を看過すれば世界が危うい」
青年は再び背を向けて歩き出す。
その胸裏に抱えた並々ならぬ覚悟は、哀しくも悲歎によって摩耗した芯を覆い匿す為の虚飾となっていた。友を殺めなければならない現実に感じた残酷さ以上に、己への忌諱が募る。
握る杖の中に納めた刀は、もう既に鋒を斬るべき者に定めていた。どれほど自身を呪って現実を憂いても、非情な体は実行を躊躇わない。
もし相手を前にしても、止める術を見出だせず簡単に屠る。
事情は知らずとも、少女は彼の醸す空気から重い楔の如き宿世に在るのだと理解した。
「何の為に、殺すの?」
「僕の愛する人の、夢の為に」
「貴方の夢は?」
「…………幼き日に、諦めた」
少女は彼の隣に並んだ。
道の先を見つめているようで、しかし瞳は山道の先よりも遠く、誰も辿り着けない最果ての水平線を眺めるが如く澄んでいた。
少女は知っている――『賢者』の力は、未来を占う事が可能なのだ。人の寿命、時間を特定すれば鮮明に視るのも容易い。
少女はこの男の将来を占おうとして――それを察した青年の手が、目許を覆って阻止する。
「己の行く末など、既に視た」
「貴方も、視れるの?」
無言で頷く青年の眸が真紅に変化する。
鮮紅の虹彩に、白い円の紋様が浮かび上がった。太陽の暈とも見える不思議な光を宿したそれに、思わず見入ってしまう。
「未来を視た。……いつかお前が、僕の友人の寿命を占う日が来る」
「いつ?」
「数十年後、とある歓楽都市の旧市街地に帰って来た嵌是という男を対象に。そして、お前はそれを最期に小さな村で死ぬ」
未来を視るなど、『賢者』にのみ許された特権である。事もあろうに、この青年は奇妙な変色をみせた双眸で成してしまった。
呆気に取られるも、偽りだとは全く思わないでいる。猜疑心も抱かせぬ謎の説得力を持った言葉と眼差しには、こちらも偽ろうなどとも考えなかった。
「未来の貴方は、夢が叶えられたのかな?」
「……そうだな、きっと」
「どんな夢か、訊いても良い?」
その質問への応答に逡巡したが、青年は小さな声で応えた。
「……美しかったんだ」
「え?」
「扉の向こう側に、いつか行きたい。それが……恐らく最初で最後の、己自身が思い描いた夢だ」
青年が早足になる。
少女の事を忘れたように速度を上げ、視線は変わらず何処か遠い。取り憑かれたように見開いた琥珀色の瞳は、いつも無情に在り続けた人間らしからぬ活力に溢れる。
後を追って駆けた少女は、前に回り込んだ。
しかし、青年はそれでも彼女が眼中に無く、体が当たっても直進しようとしている。抱き締めて止めても、まだ足を踏み出し、虚空に手を伸ばした。
「忘れさせる。“俺”の存在を、矮小な物なのだと、取るに足らぬのだと途方もなく告げる、壮大な世界が……あるんだ、扉の向こう側に、本当の自由が……!!」
「と、止まって!戻って来て!」
「なぜ“俺”に魅せた?そうすれば、苦しむ事など無かった。亡霊共も、響も、晋も、皆が縛るだけ、“俺”を放してくれない!」
「お願い……止まって……」
「俺は征く、必ず!そこで真の自由を――」
「やめて!!」
青年は我に返り、立ち止まる。
胴に縋り付く少女と、周囲からの注視。自分が何をしていたかを悟って、まだ我を忘れて夢を語った際に湧き上がった“あの感情”の余韻に震えて膝を屈した。
少女が当惑し、案ずる眼差しで青年を見る。
「愛する者が、守るべき者が生まれてしまった。“俺”はこの世界を見捨てて行けない……響が望む平和は、“俺”の独力では不可能だ」
「大丈夫……?」
「……ああ、済まない」
青年は立ち上がる。
少女は全貌を捉めずとも、彼が斯様に苦しむかを心のどこかで解していた。あの取り憑かれた目、止まれない足。
誰よりも運命を変える強い力を持ちながら、環境と愛する者が枷となって、自由を放棄するしかなかった。そんな自分を嫌い、それでも他人の夢の成就に殉ずるしかない男。
少女は、『賢者』を拘束だと感じていた。
もし、大人たちの話が真実で『加護』が呪いであり、解放される術があるのだとするならば、それは自分には不要だ。
「俺は……“僕”が嫌いだ」
彼こそが、最も世界に束縛されていたから。
× × ×
鈴音は文字通り背水の陣で敵と対峙する。
勇者に対する私怨を燃やすキノトと、魔王継承の体制を糾するミキュは、相身互いに忌むべき種族でありながら、その連携力は凄まじかった。
敵は二対一という数の利で劣る鈴音を窮地に追い込むなど容易いからといい、慢心も無い攻撃の雨を浴びせる。
槍で払い墜とせる攻撃にも限度があり、致命傷を避ける程度にしかならない。被弾を軽微な被害に留め、生来の再生能力で回復する。
もはや対抗手段がこれしか無い以上、鈴音は実行せざるを得ない。だが、これは敗北しない方策であって、攻勢に転じて勝利を摑むまでの手順にはならなかった。
鈴音の対敵基本戦術は、素手か鉈で応戦しながら敵の生命を死術で刈り取り、武器に命を宿らせて相手の予想外を衝く。
この戦法を扱うに当たって必要な道具は、強い生命力を持つ生物の屠殺。敵勢は二名、足許の雑草などでは敵を薙ぎ払える強力な武器の生成は不可能である。
死術で物体に生命を宿らせるのに際して、その強さは注入する生命力に比例する。人間一人の分ならば、相応に強い戦力となる。雑草を幾ら束ねても、これに同等の力が得られるとは到底思えない。
武装も不充分である上に、背に仲間を庇い立って退路の無い危殆に瀕している。
ミキュは呪術や魔法の類いは一切行使せず、ただ魔族でも常識を離れた膂力と途轍もない重量の鈍器による殴打。受けに回れば押し切られる上に、片腕で家屋一軒を破砕するのも本人曰く全力には程遠いという。
行動速度は鈴音を常に逃さずにいられる。
それに加え、キノトという魔装使いを加えて相手取るとなれば、戦況の困難さは増すばかり。
魔族といえど体力は有限、持久戦に臨んでも、相手に同族が居るとなれば意味も為さない。諦観しない、それでも勝機は全く見出だせないでいた。
背後で守っているのは、勇者。
魔王の継承者としては、過去延々と対立者の第一人者として見做していた対象。経緯が少しでも違えば、ミキュ達よりも優先的に彼女を滅していただろう。
鈴音としては、魔王としての宿命が嫌だった。
死術の発言する嗣子が誕生するまで血を多く分かつ慣習。それまでに産み出された者は、適当な官位に就けられ、魔王の側近として働く。
魔王としての資格が無いと判断された時点で待遇は決定しており、それ故に紛糾が起こる。次代を担うのは死術に非ず、真に要するのは……そんな論争が絶えず、彼らの底意もまた我欲に充ちていた。
南大陸の存亡など、全く頭にない。
そんな人間が、魔族の未来を語る様ほど滑稽な物はなかった。同時に、醜く卑しい下心が広く複雑に分岐した一族の中で渦動する。
その矛先と定められた鈴音は、城や政治から離れた場所で育てられた。魔王として必須の要素を概ね修得するまで、ひたすら長く。
自分を擁護する父の魔王に嫌悪感はなかった。
ただ、私欲のみで容易く他人を害する同族の争乱が見るに堪えなかった。自分が消え去れば、彼らに笑顔が戻るのではないか。
そんな望みもあったが、心底には争いから逃れたい鈴音の蓄積した悲嘆があった。
逃げた先は、小さな狩人の里。
そこで出会った男――幹太は、忌むべき人族だった。
最初は魔族などの事情を知らない彼は、快く自分を受容した。その結果、次から次へと身辺を襲う災難に苦しめられたが、彼は全く鈴音が隣にいる事を厭わなかった。
憎むべき人族――そんな概念が打ち破られた。
そう、人族と魔族はきっと真面に言葉すら交わした機会が無いのだろう。それでも互いに定めた偏見に従い、どこまでも熾烈な闘争を繰り広げた。
幹太を初めに、弁覩、そしてガフマン。
そして――仁那。
太陽のような笑顔と、周囲の人間を変えてしまう。彼女を前にすると、逃げていただけの己を呪いたくなった。
けれど、不思議と怨恨の念は懐かなかった。
理由は自身でも理解できない、それでも恨むのではなく、自分もそうなりたいのだと思わせてくれる。誰かを憎まず、己が力で変えてやろうと志せた。
人族から永久に隔絶されていたであろう魔族との溝すらも、その行動と言葉だけで架け橋を作ってしまったのだ。
彼女と共にいる事で、血腥かった周囲が変遷していく。
仁那と、みんなが居る世界を守りたい。
だから、自分もまた魔族ではなく、この世界に生きる“人”として、種族に拘わらず人を守る為に戦いたい。
人族も魔族も……人はこれから変わる。
鈴音の腹部をキノトの双剣が抉った。
苦痛と疲労で膝を屈し、槍で倒れてしまうのを防いだが、もはや虚勢を張る体力すらも消耗している。限界が近く、視界が朧気になっていた。
満足げな刺客二名を見上げる。
「哀れな魔族よ。真の『勇者』を担う次代の者として、貴様を成敗する」
「じゃ~ね、魔族はあーしが何とかしとくから~」
二人が武器を振りかぶった。
その時、足下の地面を突き破って樹木が生える。急速に成長するそれは、体に絡み付き、太さを増していく。攻撃の予備動作に入っていた二人は、中途半端な体勢で運動を止められ、完全に動きを封じられた。
ミキュは即座にこれが死術の仕業だと察した。
しかし、そうなれば対価となる生命が必要な筈である。近辺にあるのは水路の汀などにある苔などの雑草程度しか無い。
余程の強い生命力を有する物でなければ、この樹木を誂えるのは無理である。
ふと、ミキュは視線を落とした先の光景に了解した。
地面に手を付いた鈴音から血煙が立っている。毛穴から霧状になって噴かれた血で白銀の頭髪は濡れ、黄金の瞳から赤い涙を流した。
鈴音は自らの生命力を対価に樹木の成長を促し、操作したのだ。一見すれば凄まじい技だが、実情それは自殺行為でもある。
幾ら途中で生命力の供給を停止させ、絶命を逃れたとしても、魔族の体であろうと負荷は甚大。実際に、止めたとしても生存に必要な力が不足してしまえば、その時点で破滅する。
命を喪失するやもしれない荒業を、敵はこの窮状で躊躇い無く使った。
爪の間から噴き出た流血が地面を汚す。
身体中から血を滴らせながら、夥しい失血で感覚の無い膝を三叉槍の石突で叩いて立ち上がる。肉体が脆くなっており、軽い打撃でも脳天まで突き抜ける鈍痛が生じた。
歯を食い縛って立ち上がる彼女に、二人は困惑した。
「莫迦な……有り得ん」
「や、ヤバ。普通、死ぬかもしんないのにやっちゃう……!?」
狼狽える敵に、鈴音は吐血混じりに応えた。
「称号や血に囚われて生きる人には、わからない」
血が足下に池を作る。
再生と崩壊が拮抗し、意識は段々と薄れていく。もう何秒と立っていられるかさえ定かではない。
「私には、友達がいる。仲間がいる。家族がいる。……そんな人達の為なら、私は頑張れる。魔王になりたい、『勇者』になりたい。それだけの為に、人の命を嬉々として奪うような人には……絶対に敗けない」
心の奥底から溢れる想いを変換し、紡いだ言葉。
鈴音は二年間の旅で学んだ。
仁那の様に話そうとすれば、価値観の相違による反発もあれど、皆が尊重し合える立場にある。彼女のみでなく、もっと世界規模に通ずる理なのだ。
人は必要な過程を省き、武力で解決してきた。
そんな陰惨な足跡から目を逸らし、ただ摂理なのだと強引に解釈し、規則なのだと納得して実行する。解消できた筈の誤解も、因縁もお互いに変えて、新しい未来を切り開けた。
いま、自分や仁那がそれを証明している。
「私達は魔族でも人族でもない。この世に生きる“人”として、一緒に歩みたい。その未来を……誰にも邪魔なんてさせない」
言い終えた途端、全身から力が散逸する。
槍を握る手も離れ、前に体が傾く。下では己が流した鮮血が迎えていた。ここで意識を失えば、彼らを押さえている樹木の拘束力も消失してしまう。
それでも、堪える力も無かった。
「そうだね。ボクらの力はその為にあるんだ!」
薄れていく意識を、真紅に光る手が救った。
× × ×
倒れる寸前の鈴音を救ったのは、セラだった。
ただ、その様子に変異が見受けられた。
セラが負っていた外傷がすべて回復していた。
全身が微かに赤い微光を帯びており、氣で編まれた緋の甲冑を装備している。紋様などの意匠の無い簡素な外観だが、それが尋常な防具でないと瞬時に察知させられる雰囲気を醸す。
白金の如き色をした一対の翼で鈴音の胴を下から掬い上げた。陽だまりの温かさを連想させる熱を宿し、鈴音は危うく再び意識を手放しかける。
一体、何があったのか。
セラは快活な笑顔で振り返り、鈴音の手を握り締めた。
唐突な行動に驚いたが、彼女に握られた部分から体内に氣が流れて来る。瀕死になっていた体内の組織が活力を取り戻し、回復速度を加速させていく。
失われた生命力までも回帰し、唖然としていた鈴音よりも、拘束されていた二人が驚愕していた。追い詰めた敵が強化されて復帰することなど、戦場ではよくある。
しかし、その復活が異様であった。
「貴女……一体……」
「貴女、じゃないよ」
「……?」
「セラって呼んでよ、鈴音」
虚飾無い笑顔で言われ、鈴音は我知らず口を半開きにしたまま固まった。普段の不真面目さを全面的に露出した不快な諧謔ではなく、慈しみ、そして親しむ心を感じる声色。
益々セラに顕れた変化に困惑させられる。
それに、鈴音を回復させた力は何なのか。単純な回復魔法とは全く異質な氣の作用であった。
「『勇者』はね、普段は身体能力を著しく増強して、魔法の威力も高める効果なんだ」
「……今の、貴女……セラは、何?」
「『加護』を“解放”して……強くなったんだ。ボクと、その周囲に居る仲間にも、同じ効果を及ぼす……みんなが『勇者』になる力だよ!」
『加護』の解放――聞いた事の無い力の行使。
言葉に偽りは無い、先刻から体に力が漲っている。疲労感などの枷から解き放たれ、戦闘前よりも優れた調子にあると判った。
地面を踏み締めて立つ――もう揺らがない。
セラと共に二人の前に立つ。
樹木で拘束されたキノトは蒼白になっていた。
軽甲冑の魔装は、攻撃を感知して自動で発動する機構。本人さえ気取れない死角からの防御も実行する為に、意思を介さず纏う者の氣を吸収して起動する。
それ故に、この樹木から逃れんとするなら剣や魔法による攻撃以外は通用しない。
しかし、元より甲冑はキノトの身体能力の強化まで役割を担っており、彼女自身の自力はあまり高くない。振りほどく腕力もなく、重ねて魔装が気付かぬ内に体力の氣を消費していたため、魔法を使う余力すら無かった。
ミキュはこの樹木を破砕して逃れる事は可能である。
しかし、武器を振り上げた姿勢のまま固定されたため、全く力が入らない。縛り上げられた際に軸足が搦め取られて微かに地面から浮いてしまい、不運にも自由が微塵も利かない。
従って、強化した敵軍に対し、無防備な状態を晒している。
ミキュの前に鈴音が立つ。
鋭利な刃物の輝きさながらの眼光でミキュの胸部を睨み、一本ずつ指を折り畳んで硬い拳固を作る。その拳骨から周囲の景色を歪ませる陽炎にも似た殺気を発していた。
キノトの前にセラが寄る。
後ろへと大きく聖剣を振り絞り、笑顔を湛えたまま口で小さく時間を数えていた。……攻撃実行までの残り時間、即ち刑を執行するまでの僅かな猶予を削る声。
「よーん、さーん、にーい、いーち……ぜろ!」
「安心して、もう貴女の様な魔族が生まれないよう、私が変えていくから。だから今は……」
二人の体が、万力を宿した凶器となって振るわれる。
キノトの顔面に聖剣の剣脊、ミキュの腹部に鈴音の鉄拳が突き刺さった。人体から鳴るとは思えぬ轟音、衝撃が空気を伝わり水路の水を波立たせる。
二人が渾身の踏み込みで放った一撃により、刺客二名は樹木を引きちぎって飛んだ。
「「吹き飛べッッ!!!!」」
回転する二つの影が火乃聿の市壁に突き刺さる。壁面に上体を埋め、四本の足が情けなく宙を垂れた。
セラは聖剣を地面に突き立てると、飛ばされた敵の行方を見届けて大笑する。鈴音は全ての鬱憤が晴れ、肺の奥から満悦の息を吐く。
思わぬ強敵の、思わぬ奇襲だった。次代の『勇者』を自称し、栄光に憧れた者。魔王の血を深く憎み、破滅を企んだ者。
血と称号に執着した二人に敗北を許す直前まで追い詰められたが、時代が築いた確執の境界を乗り越え、互いに理解し合おうと歩み寄ったセラと鈴音が勝利した。
市壁へと向けて、セラが歩き出す。
「油断なら無いからね。二人とも身ぐるみを剥いで、早く縛り上げちゃおうか!」
「『勇者』らしからぬ発言」
「うん、ボクは『勇者』じゃない。ボクだけが『勇者』じゃないんだ」
笑顔で進むセラ。
その体から鎧が消滅し、鈴音の体に現れていた力も解除された。
「みんな『勇者』だよ、もちろん鈴音もね!」
「……そう。私は魔王になる、でもセラよりはまともな勇者になれると思う」
「もー、そういう事じゃないのに!!」
膨れっ面になるセラに、鈴音が小さく笑った。
「ありがとう、セラ」
「こちらこそだよ、鈴音っ」
× × ×
深いふかい闇の中。
ただ一点のみが照らされた空間に佇む大太刀と、その上に座している白い影。
その正面に、周囲の暗黒よりも黒く暗い影を足下に落とす男。
『もうすぐ、約束守れだねい』
『……ああ、神亡曲は終演に向かう』
白い影は太刀の上で膝を組んだ。
空の無い頭上を振り仰ぎ、中空に体を横たえて嗄れた声で笑う。笑声はどこまでの谺し、反響して来る事はない。
男は背を向けて、闇の中へと進み出した。
『良いねい。“約束の子”に期待して正解だったわい』
『『輪廻の環』も消えれば、お前の望みも叶うだろう』
『そしたら、アンタの心置無くって訳かい?』
『…………人類はいずれ、“もう一つの世界”に辿り着けるのか?』
立ち止まった男の問いに、白い影は肩を竦める。
『総ての『縛られし者』の救済が先じゃい。そうせりゃ、みんな行ける。……死ねばね』
『……取引成立まで、残り僅か。お前も、そろそろ此所を出る時期だ』
男は再び足を動かし、闇へと消える。
同化したその姿に、白い影は身を起こして嘆息した。
『……安心せい。みーんな、幸せになる。優太も、結も、虹希も、鈴音も、仁那も……みんなで行くんや、そこへ』
アクセスして頂き、誠に有り難うございます。
そろそろ、物語の主軸である“約束”についても解禁になります(ここまでの道のりが長かった……)。
一部二章を執筆している辺りから考えており、当時の自分としては果てしない距離に思えており、一体いつになるのか憂いていました。
少しずつ進めているのだと思えると、少し自分でも感慨深いです……(勝手に感動してます)。
次回予告(の様なもの、一度やってみたかった)。
走りすぎた少年。
浴びた返り血は多く、殺めた数は途方も無く、暁光に鍛えられた名刀は血錆に苦しみ、そして遂に折れる。
一歩ずつ踏みしめた少女。
自らで戦う事を選択し、見回し、振り返りながら、自分と仲間と足並みを揃えて確かに進み続けた。
そんな二人の道が、いま最悪の形で交わる。
次回も宜しくお願い致します。




