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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:優太と道行きの麋──下
265/302

不滅の皇都(弐―2)/覚醒への胙



 第一皇都――南区域・鳳の塔付近。


 単独で薄闇の中を疾駆する影があった。

 片手に紫檀の杖を携え、低姿勢になった頭で風を切っていく。夜目の利く琥珀色の瞳は、鋭く周囲を観ずると、即座に進路を判じて舵を切る。

 異観の街並みにも動じず、最も高く頭を天に捧げた摩天楼を道標にし、無音の走行で着実に目的地との距離を詰めた。

 街路の隅に蟠る陰気に殺意は無く、黄金の空の下に立つ暗影は認められない。不吉な静寂が続く分、優太の足は順調な足取りを刻む。

 途中まで同行していたイタカは、同胞と合流した後に火乃聿へと南下すべく恷眞を縦断する解放軍の討滅に取り組む段取り。

 その間に、彼と交わした約定は首魁の断罪。

 無論、これまで人や魔物の双方でも、大陸に甚大な被害を及ぼした悪行を鑑みれば、情状酌量の余地は皆無、言葉を弄する前に刎頚に処するが相応の措置。

 処刑を果たしたならば、優太と恷眞軍(まもの)の同盟も完了する。恷眞地帯の大部分を占有する皇都の処理に関しての詮議までは、戦の急場とあって取り決める暇も無かった。

 何か差し支えがあれば、後々イタカからの接触があるだろう。


 目標の摩天楼にトライゾンがいる確証も無いため、胸中に一抹の不安を抱えていた。敵地でありながら、伏兵が全く見当たらない。入念に策を巡らせていたトライゾンらしからぬ構えである。

 或いは、懐に詰め寄られても勝算があるのか。

 過ぎ行く景色は、益々不穏の影を色濃くして優太の前を渦巻く。

 進む毎に大気が淀んだ錯覚に体が鈍り、黄金の空は神々しさを増した。天然の要害として崖上に立つ都に、よもや不利を二重にすべく設えられた呪術的な罠があるのだとすれば厄介。

 闇人の体質からも、体内へ干渉する毒素などへの免疫は弱い。氣術で異常の発見と解毒は迅速であっても、相手の体が重症に堕ちる寸前まで欺く高度な技ならば尚質が悪い。

 優太は一旦足を止め、体内氣流、脈拍、筋肉の状態を確認する。

 通常との差異は無い、皇都までの道程で負った疲労は一度仮眠を摂ったお蔭で回復が済んだから今後の戦闘には響かないだろう。呪術的な侵攻に冒されて受けた異常は皆無。


 ならば――この体に現れた異様な状況は何か。


 優太は問題の正体を体内を探っていく内に、右腕の黒印が脈動している感覚に気付く。袖を捲って肩まで曝し、長手甲を指先まで脱ぎ払った。

 皮下に第二の心臓があるかの如く、黒印全体が断続的に鼓動音を鳴らして肌を上下させている。赤く燐光し始め、短剣で束ねられた絡み合う二頭の蛇が蠢く。

 激痛は無く、それでも心臓とは別に体の一部が刻む奇妙な脈拍は、途轍もない不快感を催す。まるで別の生物が腕と一体化したかの様にさえ思う。

 黒印が成長すると、赤く発光しながら範囲を拡げる反応は知っている。思い返せば、二年前の春に矛剴の使者が来訪する予兆としても、確かに同じ症状が看られた。


 優太は光で敵に位置を気取られるのを危ぶみ、付近の家屋の間にある細道へと駆け込む。今は一刻を争う事態ではあるが、黒印の変化の末に何があるのかを見届けたい一念もあった。

 赤くなった黒印を見詰める優太は、突然眼下にある『隈』から激痛を覚えてその場に踞った。

 眼球を抉るような痛みに堪えて目を閉じる。

 視界を閉じた瞼の裏に、奇妙な映像が流れた。


 雲上に突き出た塔の上。

 薔薇の蕀に似た意匠の欄によって円形に囲われた空間では、華美な装束をした壮年の男が跪く。

 頭を垂れた先には、西国文化の婚儀に女性が装う白銀の礼装(ドレス)の女性が居た。衣装にも劣らぬ美しい銀髪の頭頂には、同色の毛に膨らんだ獣の耳がある。

 女性は足下にいる男に目もくれず、その隣を横切ってこちらへと手を差し出す。嫋やかな手先が向けられ、優太の心臓がしぜんと高鳴った。

 微笑んだ女性が細めた目は、同じ琥珀色である。


 “――あれから、あたし考えたの。”


 女性は恍惚の朱で頬を染め、蕩けた双眸で見上げて来る。普通の人間ならば、この視線に射竦められただけで心酔してしまうであろう魔性を秘めた魅力だった。

 しかし、何故か優太は背筋が冷たくなった。

 この瞳の奥から匿し果せない、荒れ狂って渦巻く狂気の奔流が危うい光を内包している。触れられたら終わる、大きな危機感が脳髄を突き刺した。

 一歩ずつ、女性から遠ざかる。

 これは師の記憶か、当時の彼が後退りした。

 すると、女性が途方に暮れた顔で踏み出す。


 “――あんたに認められる王になれば、服従してくれるのよね。あたしのモノになってくれるって話よね?”


 虚ろな両目がこちらへ向けられている。

 女性が覚束ない足取りで目指して来る。


 その時、視界が目眩しく回転した。

 風景が変わり、黄金の空に囲まれていた空間を脱する。

 変転した後の景色は、優太にも既視感があった。整然と書架で壁を隠し、未だ生きているとさえ錯覚させる迫力をした魔物の毛皮が敷かれた一室。

 唯一室内に設けられた窓から差す陽光を背に、若い男が深刻な面持ちで睨んで来る。

 その人物に見覚えがあった。部屋の内装からしても、優太はそこが神樹の村の屋敷、村長の書斎なのだと判る。村からの追放宣告を受けたのが最後であり、懐古の念に心が揺れた。

 男は顔を伏せると、頭を抱えて呻く。


 “――もう直ぐ、長女が生まれる。”


 子供の誕生にしては、その声音に悲嘆の色が濃い。まだ生まれてもいない存在へ男が胸裏に秘した後悔と深憂を察せられる。

 長女とは花衣についての事だろう。

 生前の彼は、幼少の彼女を溺愛していたと聞くし、成年の歳を迎えても、その未来に深く思慮していた。

 目の前にした男とは明らかに違う様子である。


 “――いずれ、私はあの子を王として育てるべきと、狂った執着に駆られるだろう。いつか、あの魔術師に仕える為の、傀儡()として。”


 男は床に崩れ落ちると、こちらに躄って縋り付いて来た。

 眥に大きな涙を溜め、顔に貼り付いた乱れた髪の毛先すらも気にせず、必死の形相で訴える。


 “――どうか救ってくれ、わが祖国を!愚父が交わせし邪悪なる魔術師との契約から、娘を守ってくれ!!”


 彼の叫びが、直接耳にしているかの様に鼓膜を乱打する。脳内に谺する声の残響が遠退いてゆくに連れ、眼下の『隈』から発する激痛も止んだ。

 久しく視た師の記憶は、どれも鮮烈に過ぎる。

 塔の頂上に居た礼装の女性は、結と酷似した容貌の持ち主だった。何よりも頭頂に獣の耳と人族に近い顔立ち、それは獣人族の特徴に合致する。

 続けて映し出されたのは、若かりし頃の村長(ダイキ)。花衣の出生に嘆き、それが魔術師との因果関係に由来すると思われる発言をしていた。

 魔術師との契約――皇都の出現に伴い、関連する記憶が優太の中で喚び醒まされたのかもしれない。


 地面に立てた紫檀の杖の上部を案じて立つ。

 痛みの余韻は無く、不思議とこれまで体を苛んでいた異変も解消されていた。皇都の中枢に接近し、師の黒印に眠っていた記憶が甦った事による症状なのだろう。

 他人の記憶を視せられた後は、時間の経過と共に内容が曖昧になる。それでも脳内には、ある一語のみが強く焼き付いていた。


「邪悪なる魔術師……誰も彼も結の存在を危険視しているのか」


 優太も核心には届かずとも、その危険性については聞き及んでいる。神代から現代までを見透す還り廟の万人が、闇人と魔術師の因縁について語っていた。

 常軌を逸した執念、強すぎる我欲を継承させる為に、魂を幾代に亘っても転生させる。いま結の中にあるのは、先代から享けた魔術の資質、“約束の子”なるカムイや死術師を混ぜた血と並々ならぬ欲求。

 優太はいずれ選ばざるを得なくなる。

 世界を救う為に、結を始末するか否か。


「僕は、どうすれば良いですか……師匠」


 摩天楼の見下ろす街で、孤独に立つ優太の弱々しい声が薄闇に溶けていった。





  ×       ×       ×




 火乃聿の北平野。

 数百の軍が対立していた場所は、今や三人の決闘場に様相を変じていた。結の解き放つ火炎が焦土にし、ガフマンが地殻を溶岩へと変え、グレイワンが全てを粉砕する。

 彼が斧槍を一薙ぎすれば、尋常ならざる火力で結やガフマンが積み重ねた功は虚しく無に帰す。猛威をふるう災厄の中心にあって、二人は敵が人間であるとは認識していない。一種の自然に対して無謀な挑戦をしている途方もない心境だった。

 グレイワンは二名を一度に相手にしてなお、余裕の態度は崩れない。

 ガフマンのみでの対抗は困難として、他の戦地に配属された三名に応援要請をするにも、他の人間は残らず倒れており、一種の油断が生じれば容赦無い痛撃を浴びる。

 世に謂われる最強を育成した旧き最強。闘争本能を剥き出しに、眼前の獲物へ嬉々として迫撃を繰り出す。

 特に結への猛攻は烈しく、ガフマンは片手間で払い除ける様な余力で処していた。

 相手が能力を引き出して戦う程に、グレイワンは出力を上げて行くことで同じ状況を延々と繰り返させる。結達としては、自身の力を高めても遠くなる一方だった。


 結の体を片手で掌握する。

 握力を段々と強くして圧迫した。骨の軋む音と苦しさに悲鳴を上げる彼女に、深く念入りにその心中を探るような視線を注ぐ。

 その後方で地面が火柱さながらに砂利の飛沫を上げた。

 遠距離から大きく跳躍し、落下に合わせて大上段から長剣を振り下ろすガフマン。その脚力は離陸から標的に衝突するまでの所要時間など無く、瞬時に地面を滑走したかに見紛う。

 されど、その後方からの高速の剣撃を一瞥もせずに斧槍の長柄で防御した。金属音は大きな音圧を拡散させ、地上は乱打された太鼓の皮の上を踊る塵埃の様に死体が振動する。

 ガフマンは長剣を押し込むが、圧力を増しても相手から反って来る抵抗力と再び拮抗した。グレイワンなる最悪の敵は底力が計り知れない。

 受け止められた衝撃が腕に還り、骨が伸縮運動を始めたような苦痛を覚える。把を摑む五指から脱力しそうになり、歯を食い縛って耐えた。

 グレイワンは満足げに弟子(ガフマン)の奮闘する勇姿を見ると、無造作に後ろへ放った踵で長剣もろとも蹴り上げる。

 稲妻が閃いたような音響が辺りを叱咤した。

 常人ならば受けた得物が破砕され、握る手から伝達した威力の余波で無事では済まない。桁外れに頑強な肉体構造を持つガフマンだからこそ、四肢が痺れる程度の被害で収まるのだ。

 弾かれた即座に宙で体を半回転させ、振り回した踵で反撃する。グレイワンの長柄で受け止めるが、同時に逆手に握り変えられた長剣が手元を抉らんと刃先を滑らせた。

 グレイワンは斧槍を手放し、摑んでいた結をガフマンの胸面に掌底と同時に叩きつける。

 躱して彼女が吹き飛ぶのを容認できる筈も無く、結を抱いて腹部を強か掌打を喰らって転倒した。背で地面を抉って遠くまで飛び、浮き出た岩盤に激突して止まる。

 血を吐いて転がる彼の耳に、グレイワンの哄笑が聞こえた。


 ガフマンは腕の中に居る彼女は動かない。

 反り身になっていた。

 否。

 頚椎から腰も砕かれ、体の支柱となる部分が完全に崩れている。双眸から光が失せており、開かれた口からは呼気が無い。萎えた四肢も、すべてが死体のようだった。

 ガフマンは自らの目を疑い、その胸元に耳を寄せる。彼の指では皮が厚く、小さな脈も感じ取れない。必死の思いで聞き取ろうとした。

 結の心音は――全く聞こえない。

 腕の中で全く動かない彼女に、ガフマンの腕が震える。

 分かっている、今まで死者を何人も看取ってきたが、結の現状は例に漏れず生命器官を破壊された死者の物だった。現実を否定するほどに、手元から伝わる体の冷たさや脱力の具合から酷烈に真実を叩き付けられる。

 今は力尽きた少女の顔からは想像もできない、以前までの小癪な笑顔や物言いなどが脳裏に去来する。

 初めて会った時は、右も左も判らず、冒険者からの勧誘に困惑していた。隣には同年の少年を侍らせ、大口の割には己に自信の無い様子である。

 直ぐ傍にできた相棒を失いそうになると冷静さを失う。涙を流し、或いは諦観して自己犠牲を選んだ。善くも悪くも、自分の感情に忠実であり、復讐への激情にも素直だった。

 諭してくれた相棒、彼からの言葉を解した上で妹の為に身を擲たんとした炭鉱の少年にも、大切なモノについて説いている。成長の著しい様と、やはりどこか大人に甘えた所も愛らしかった。

 これからの大戦に思いを馳せ、失った故郷への郷愁に潰れてしまいそうになった時も、皮肉混じりにも激励してくれた姿も鮮明に記憶している。


 そう――失いたくなかった。

 この愛弟子(ムスビ)だけは、次代に遺したかった。死しても、この世界で自分が遺したい最愛のモノになっていた。


 グレイワンが斧槍の石突を地面に突き立てる。

 ガフマンの荒々しい怒りを浮かばせた相は、しかし戦意を失っていた。戦う気概の根源は、どうやら少女にあったらしい。


「戦いで人を庇うたぁ、お前ぇも甘くなったな」

「この娘は、いずれ冒険の志を世に伝播させる柱となる。断じて摘まれるべき芽ではない!」

「それ、魔術師……らしいな」


 グレイワンは再び結を見遣る。

 その心中には、かつての弟子が嘯く“冒険の志”を感じ取っていなかった。

 あれは――不気味だ、と物語っている。


 先刻、その体を圧し折る積もりでは無かった。

 彼女には高い治癒能力があるのを承知して、ある程度の損耗を与える所存で圧力を掛けたのだ。後方からはガフマンの強力な一撃、次に彼に対応しようと注力の先をそちらに向ける。

 幾つかの関節が砕ける手応えに、頃合いだと指を緩めようとした。


 その時、少女に異変が表れる。


 白い肌から黒い靄が煙り立つ。グレイワンの摑んだ指の間からも溢れた。触れた部分から蟻走感に次いで無数の針で刺された痛みが奔る。

 少女の背後から凝固した靄が、数人の影を形成した。どれも獣人族の特徴を持つ輪郭をしており、それぞれか多方向からグレイワンの腕に向かって這って来る。

 ガフマン以上の豪傑でありながら、その胆力を以てしてもその光景には戦慄した。影の触れた部分から皮膚が罅割れ、血が滴る。これまで見聞きした毒にも該当しない。

 ガフマンへと叩き付けた頃には、それが消失していた。それが不完全であった故か、或いはガフマンに露見するのを厭わしく思ったのか。原因は定かでは無いが、少女の体には何かが巣食っている。

 これを庇護するガフマンの心意気も認めたいが、言葉だけでは包み匿せない凶悪な性質が内在していた。


「お前ぇからすりゃ、可愛い娘かもしれんがな。そいつだけは止めとけ。俺ぁ危なくて触れられたもんじゃねぇ」


 グレイワンは地面を蹴って急接近すると、ガフマンの首に膝を叩き込んで吹き飛ばした。遠退く彼に置き去りにされた結だけが地面に転がる。

 それを踏み押さえ、軽く前へと蹴る。

 浮き上がった地殻の段差によって、下へと結の上体が垂れ下がった。

 嘆息して振り被り、標的の体を粉砕しにかかる。肉一片とて残せない、僅かな可能性でも残せば、そこから更なる恐怖となって滲み出す。

 グレイワンは自覚した。

 己が小さな存在に対して――恐怖していると。


 ガフマンが跳ね起き、再び飛びかかる。

 グレイワンは斧槍を無造作に前へと突き出し、結ごと地面を強く踏み込んだ。足下で上がる血で汚れる事も顧みず、踏み抜いた足下へ更に加圧して踏み砕く。

 地鳴りとなって平野全域に伝播すると、ガフマンの足下だけが浮き上がり、八つの切り立った崖を形成する。変動する足場に耐えられず、その場に伏せた彼へと、斧槍を遠方から薙ぎ払う。

 大気に一条の直線が刻まれ、すべての崖の岸壁中程から爆発した。敵を凄然とさせる威力は、余波だけで周囲一帯の大地さえも動かし、断層を幾つも作る歪な地形に変じる。

 ガフマンは宙に四散する瓦礫を蹴って、猛然と肉薄すると渾身の力で長剣を振り下ろした。手元から業火が溶岩のように充溢し、前景を呑み込む勢いで奔る。

 正面から受け止めんとするグレイワンの斧槍は刃全体が白熱し、熱風だけでガフマンを吹き飛ばすような風圧と高熱を発した。

 怯まずに挑み、武器同士が噛み合う。

 雷鳴じみた炸裂音が鳴り響き、拮抗の末に行き場を失った二人の熱が打ち上がり、戦野を照らして曇天を焦がす。

 ガフマンは武器を押し込む為にまた一歩、踏み込む。

 しかし、その手元から力が失われていく感覚にぎょっとし、視線を下ろした。相手とかち合う剣、斧槍から伝わる冷気がガフマンの炎熱に勝り、武器全体を凍らせて着々と手にまで伝わっている。

 火炎の焦点を自身の氷結された体へと移し、凍った手元を瞬時に回復させた。

 僅か一秒にも満たない内の作業。

 それでも、グレイワンが次手を打つには充分な時間であった。

 グレイワンが翻した斧槍の鉤爪で薙ぐ。

 ガフマンは剣脊で受け止めたが、身構える体勢も力も十全に整えられず、振り払われて瓦礫に埋もれた。


 ガフマンは痛感した――この男には勝てない。

 これが最強の真髄、あらゆる魔法を網羅し、その研鑽された武具と並外れた身体能力、頑丈な強度、練り上げられた精神と判断力。凡人の企及するところを許さない頂を恣にする人間。

 この戦闘力こそ、数十年前の世に【大陸】のグレイワンと畏れられた男の所以である。


 脳全体を乱打するかの如き震動で失神したガフマンから視線を外し、改めてグレイワンは結へと向き直る。

 今の内に摘んでおかなければならない。

 あの不可思議な力と、内側から段々と滲み出る脅威の香り。如何にガフマンが重宝しようとも、この危険性だけはどちらにしても排除しなければならない。


 足下乾いた音が鳴った。

 見下ろすと自身の足下から亀裂が広がっている。緩やかな変化の兆しに視線を注いでいると、体に重圧がかかり始めた。指先を動かすにも平時より力が要る。

 視線を前に戻すと、拉げた体を血で濡らした結が少しずつ起き上がる。骨が再生し、継ぎ合わされる怪音で体が正常な形に戻ったとき、正面に向けられたのは表情の抜け落ちた人形の顔。

 グレイワンの足が地中に埋められていく。


「“重力倍加”……かッ……?やるな童、だがそりゃあ俺の知る限りだと……()()()()()使えないって話じゃなかったか?」

「か……むい……?」

「魔術師の血統とか聞いてたが、胡散臭ぇ話だと思ってた……俺が聞いた話なら、魔術師は黒髪に琥珀色の目ッつー話だったよな?」


 霞んでいた思考が、少しずつ復調する。

 結には聞き憶えがない『カムイ』の単語に首を傾げる。西方の壊滅した一族の名であり、カリーナが異様に気に留めていた。

 魔術師が黒髪に琥珀色の瞳、闇人と同様の特徴を持つという事は、八咫烏からの情報で聞き及んでいる。

 港町の一件で変色して以来、確かに一度疑問を覚えた後は然して問題ではないとして気にしなかった。


「先代もそうだった」

「……先代、知ってんの?」

「一度だけ会ったな。魔術師なんざお伽噺だとか思ってたが、実物は二十も下のガキとはいえ、えらい美人だった」

「……アンタ、何歳なわけ……?戦える歳な訳無いでしょ……!?」

「鈍ぃなぁ。ガフマン(あのバカ)も救いようが無ぇが、本当にあの小僧はこんな連中で神を滅ぼす気だったのか?」


 結は目前に立つ脅威が奥底に孕んだ、ある矛盾に気付いた。

 優太が時折視る師の記憶の断片について、逐次報告を受けている。それがこれから来る戦争の火種を先んじて見付ける手だてになるからだ。

 先代魔術師は、先代闇人と同年であったという。大陸同盟戦争の真っ只中にあった時、彼等は十二の齢とされた。その根拠としては、闇人が村を発って北大陸に航り、主神と契約する為の歳だからである。

 七年前に死した闇人の享年は約六十。

 正確ではないものな、同年である魔術師も六十前後と仮定しても、そんな彼等よりも二十年の時を先に生きたグレイワンの歳は、戦場を拠り所とする者には有り得ない数字になる。


 結の前の男は、その巨躯を持つ限りで尋常な物差しで計るには些か不当かと思われたが、精々四十から五十である。


「ぐはははっ」

「闇人とも魔術師とも面識あって、桁外れに生命力が強くて長生きしてるって話じゃ、無さそうね」

「俺が()()()()となると、これは小僧じゃなく魔術師様の計算か……お前ぇもな!!」


 グレイワンが倍増する重力をものともせず、振り絞った黄橡に光る腕で結の胴を刳り貫く。あまりの拳圧に上半身と下半身が捩じ切れ、寸断された胴体から後方の地面へと唸れる竜巻が野に吹き荒ぶ。

 腹部を消し飛ばされた結の上体は、再び意識を喪失して風に浚われるまま飛んだ。残された腰から下部は、依然としてグレイワンの前に直立している。

 必殺の命中にも残心し、注意深く結がこの場に残した肉体を観察した。盛大な一撃を喰らっても血飛沫を上げず、剥き出しとなった粗い断面から覗く筋肉や臓物の欠片は、溢れ出ることなく脈動している。

 やはり、彼女の秘密は肉体にあるのだ。

 グレイワンが確信を持って、さらに微塵に分解せんと黄橡の腕を振り上げた。


『ふふ。相変わらずね、アンタは。でも“これ”には、まだ死んで貰っちゃ困るわ』


 ある声が、グレイワンの耳朶を打った。





  ×       ×       ×




 一驚に手元が止まった瞬間、結の下半身の断面から黒い帯状の“何か”が飛び出す。触手か、或いは尾か、それとも指か、どれとも判じ難い奇態な物体が旗のように風に靡く。

 警戒に後退すべく足を持ち上げんとしたが、グレイワンの体は未だに強化された重力に囚われていた。本人を吹き飛ばしても未だに効果が持続しており、それどころか重さは増すばかり。

 黒い“何か”は振り掲げられたグレイワンの右腕に巻き付くと、聖氣を発動していない肩口から柔い肉に刃物を入れて裂くかの如く、容易に太く頑丈な筋肉の鎧を纏った腕を切断した。

 切り飛ばされた腕から血が滴るよりも前に巻き付いて包むと、そのまま根本の下半身に引きずり込んだ。

 吸収したグレイワンの腕を養分としたのか、腹部まで再生する。次に後方へと伸長し、瞬刻の内に上体を持ち帰ると、無造作に接続した。

 意識が無いまま、力無く垂れていた首や腕に活力が戻り、光を取り戻した(まなこ)でグレイワンを捉えると微笑んだ。


 グレイワンはその笑顔で悟る。

 いま相対しているのは――吹き飛ばした娘じゃない。懐かしい気配のする奴だ。


『礼を言うわね。アンタの聖氣を喰らった事で、肉体の中に眠ってたあたしの意識が目覚めた』

「成る程なぁ。……現代に甦っても、お前ぇが求めた小僧は死人だぞ。


 魔術師――真姫(マキ)さんよ?」


 結の顔をした魔術師は、口許の血を拭う。

 虚空に何気なく伸ばした手から白い光子が空気中に撒布され、長い杖の形へと集結する。

 グレイワンが不意打ちに斧槍を突き出すが、魔術師との間に紫色をした半透明の壁が建ち、刃を頑なに阻んだ。優雅な彼女に押し込まんと、左腕から武器の鋒までも聖氣で武装した。

 途端に亀裂が入るも、それ以上の破壊が為せない。

 グレイワンは手応えから悟った。

 貫かんとした部分から、微少な箇所で高速再生が行われており、回復と破壊が拮抗している。


 対抗するグレイワンを嘲り、魔術師は杖で軽く横へ薙いだ。

 壁の向こう側から地面が液化し、濁流で高波を作って普く人間を呑み込む。グレイワンには波程度の水圧など踏み耐えるに易いが、足下の液化が進んで益々体が沈んでいく。


『事が済めば、高天原の老害を駆逐し、二神の力も取り込める。暁の魂も自ずとあたしの手中よ』

「小僧の後継にゃ興味ねぇのか?」

『……そうね、あいつに似て生意気な顔はしてるけど、本丸が復活してるなら、そっちを獲るのが先決よね。当代の闇人なんて正直にただの障害。

 あたしの不在中、ある程度は暁の計画を封じておく為、そしてあたしの計画を完結させる装置。いや――――』


 魔術師は首の骨を鳴らす。

 これまで長く眠って凝り固まった体を、時間を、運命の糸を解すように。


『――その為の“(むす)び”、だからね』

(イカ)れた女だな」


 グレイワンが斧槍の石突を地面に突き下ろした。戦場を浚う濁流の衰勢と共に、平野の地殻全体が一つの生命の如く蠕動する。

 魔術師は直立が至難だと判ると、跳躍して彼の頭上に滞空した。

 四方を囲うように四角錐の岩石が屹立し、先端から黄橡に発光する球状の氣が出現した。


『何をする気なのかしら?』

「お前ぇを封じる、その依り代になってる童もろともな。俺ぁな、あの小僧も気に入らねぇが、お前ぇよか増しだろ。弟子には悪ぃが、ここで死んで貰うぜ」

『そんなの出来るわけ無いでしょ』

「魔術師の血族は、その童で最後だろ?なら根絶にゃ問題ねぇ」

『……ッ……?!』


 余裕だった魔術師の顔が歪む。


「まだ覚醒が完全じゃねぇのさ。腕一本、他人から譲渡された訳でも無ぇ……聖氣?だっけか、それを喰った程度じゃ、“体を使える時間”も限られるだろ」

『……ええ、あの子が起きそうだわ。でも、アンタを殺すなんて一瞬で済む話よ。……そろそろ、あたしの可愛い傀儡も完成しそうだし』


 魔術師が微笑むと、四角錐の柱が崩壊する。

 異常を気取ってグレイワンが顧眄したとき、身体中に風穴が穿たれる。視認すら許さない達人の刺突ではない、氣を練り込んだ高度な氣の攻撃であったのだ。

 膝を屈した直後、前に魔術師が佇立していた。

 面を上げて反撃せんとしたが、腐食したように腕の関節が肉から崩れ、骨までもが液状となって落ちる。

 魔法、魔術ではなく呪術――否、それよりも高位な死術なるものだろう。

 行動不能になったグレイワンの頚部を白い杖が貫通した。


『時間制限もそろそろだし、アンタが復活したとなれば皇族(リュゼ)の息子が上手くやってくれたみたいね。数十年振り顔馴染みだけど、急いでるから』


 魔術師の相貌が面前に接近する。

 嫣然とした笑みに背筋を悪寒が走った。


『アンタの聖氣を覚醒させた肉は、一応あたしの覚醒時間を延長する為の養分として貰うわ。


 それじゃ――さよならね』


 誰に看取られることもなく、グレイワンは目前の脅威を前に被捕食者となって散った。






 ガフマンが起きたのは、その後刻。

 いつしか天幕がそこかしこで張られ、敷かれた布に負傷者などが運ばれるが、見る限りでは概ね手遅れな者が多かった。

 平坦だった火乃聿北部は無数の崖と瓦礫が散乱しており、掘り起こされたと思しき地層の深い場所に通っていた水脈が露となり、窪地にはまだ誕生して間もない池が作られている。

 失神前までの戦闘が現実であると語る景観に、ガフマンの脳裏に瀕死となった結の姿が想起させられた。

 内出血で痣だらけの体を叱咤して起き上がる時、右腕に乗る小さな重みを感じ取ってそちらへと向く。

 ガフマンの腕を枕に、結が眠っていた。

 外傷は無いが、負傷した痕跡として衣服は赤黒く染まっている。幾分か経っているのか、撫でると貼り付いて乾燥した血糊の破片が布地に落ちた。


 グレイワンは退却したのか。

 あの男が敗北するなど可能性として一切無い。気紛れの撤退、興醒め……生かされた理由など皆目検討が付かない。

 何を目的に掲げ、結を生かしたのか。

 安穏と寝息を立てる結を前に、取り敢えず命を繋げられたと安堵した。




 そして――北の空に広がる黄金の光と地震に、人々は過去の都を目にする。







アクセスして頂き、誠に有り難うございます。


既にお気付きになられている方は沢山おられると思いますが、この物語の勢力派閥は暁と真姫、その双方を主軸にして狂う出雲島です。

もう少し覚醒は後の予定でしたが……筆の勢いに任せていたら、つい……。


次回も宜しくお願い致します。

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