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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:優太と道行きの麋──下
263/302

不滅の皇都(壱―3)/浄火の破魔矢



 優太やカリーナの居る中央の断崖となった場所の麓に拡がる第二の皇都は、四方の街で区分されている。其々にも、その方角を守護すると信じられた獣、『四片』を模した紋章を刻まれた漆黒の金字塔が建つ。

 仁那が鬼禽及び学院長と遭遇したのは、第二皇都の北区、龍が刻まれた東の金字塔付近である。


 鬼禽が大量の血を噴いて退いた。

 両刀の長巻を激しく回旋し、窮地に推参した包帯の男は学院長を睨め付ける。倒れた仁那の下へと歩み寄ると、その手を摑んで立ち上がらせた。

 足腰を砕かれる寸前まで攻撃された彼女は自力で立てず、助太刀に現れた男の裾に摑まる。

 ゼーダは、神異とも称すべき卒然とした謎の都の出現に任務を中断して駆け付けた。幸いにも逗留先が国境北部の神城であり、現場到着までの所要時間は然程長くなく済んだ。

 容貌に異変を生じた仁那と、彼女に覆い被さる異形の魔物、それを座視して嗤う青年。振り払うことすら躊躇っていた彼女の様子から、概ね対立構図に内包された複雑な人間関係を察した。

 魔物の首に据えられた二頭から、複合された仁那の友人であると判別が付く。

 如何なる術を以て二人の生命を一個体へと集約させたかまでは推理不能だが、その残酷な技を為したのが青年なのだ。


 ゼーダが周囲を素早く眺め回した。

 広い路地を駆けて進む集団、その先頭を仕切って走る大男の肩に座る叶の姿を見咎める。彼女もまた、ゼーダの姿に相貌を安堵と歓喜で輝かせて手を振ってきた。

 戦場には似つかわしくない和やかな雰囲気だが、一先ず保護が済んだと了解してそちらに頷きで反応を返す。

 回転させた両剣を上に放る。

 手を放れた武器は、緩やかに上昇して行くと虚空で落下もせず固定され、更に回転運動を止めぬままゼーダの頭上で待機した。

 狙うは青年――学院長である。

 今後とも敵勢力を増強する厄介な技術の大元、その一人である彼は何としても討ち果たさねばならない。

 相手は地下室に隠って計算に暮れた人間、戦闘とは無縁の弱者。それでも油断はし無い、その懐から想定外なる珍妙な物を繰り出す危険性の高さだけは解放軍の中で随一だろう。

 正統な幹部などでは無くとも、警戒には値する。


 突然の闖入者に退けられた鬼禽を見て、優勢を謳っていた学院長の顔が曇る。武器を巧みに操る包帯姿、解放軍が敵視していた勢力の要人には該当しない特徴であった。

 奇襲で鬼禽の不覚を衝けるなど、練磨された戦闘の民に相違ない。何者かを詮索するよりも、撃滅の方が先決だと判断した。

 その視線は学院長に定められている。

 荒事を極力避けた人生が皮肉にも、こうした戦場では命取りになるとは承知していたが、鬼禽を連れて臨んだ所に敵に加勢参入という不利が重なった。

 何より、こちらを狙う仁那の怒りは修羅の如く気迫だけで対敵を殺さん気勢である。この二人をあしらうには、卑劣であろうとも手段に是非は無い。

 懐中にそっと手を忍び込ませた。


 仁那は後退した鬼禽に歩み寄る。

 袈裟に斬られた胴から流血が路上に音を立てて落ちていた。苦鳴する口許からも、顎を伝って一条の鮮紅が垂れる。

 ゼーダの鋭い一撃が鬼禽(ふたり)を苦しめていた。

 それは仕方がない。

 仁那を救わんとした彼にすれば、組み伏して襲う鬼禽が敵影として捉えられる。それ以外の認識を求めることこそ無理な話。

 躊躇っているから、自分の望まない結末までの過程が速やかに遂行されてしまう。回避したい死を急がせる。

 別れた後に、二人がどんな言句に乗せられて今の惨状に至ったかは知らない。それでも彼等が現状の姿を望んだ訳がないのだ。

 仁那は建物の上を振り仰ぐ。


「わっせを襲撃したのは何で?」

「それは嘗ての僚友が醜い末路を辿ったと報せたかったからだが」

「それで、わっせが苦しむ顔が見たかったんだね」

「それは、そうだ。私が設立を推した北の『院』で、計画を破綻させた上に幸福へと向かう貴様が許せなかったからだよ!!」


 仁那は目を細めた。

 そこに感情は無く、ただ冷然とした態度で学院長の言葉に耳を傾ける。

 北の『院』――それは、仁那が幼き日を殺戮と戦について学ぶ時間で過ごした場所を指す言葉だろう。


「そうだよ、私がお前達が過去に暮らした『院』に注力し、戦闘員として子供を育成する計画を本格実行した人間さ!」

「…………」

「どうだ!仇を目の前にした気分は?悔しいか?悲しいか?人間ではなく化け物として育てられた月日で得た苦悶は、どうあっても払拭できまい」


 愉快に叫ぶ学院長に、鬼禽も面を上げる。

 思考能力が半壊しようとも、言葉の意味を解釈する脳は現存している。だからこそ、そこに立つ青年の姿へと回帰した醜い老人が、自分達を強いたげる環境を作った張本人であると理解した。

 仁那は言葉を返さず、沈黙を貫く。


「知っているか!?あの場所では、途中から肉体改造を子供に施したんだ!神の能力を体得する前から貴様が誇った身体能力も、それが原因!その力があったから、今まで生きてこられたんだよな!?

 私に感謝しろ、そして絶望しろ!貴様は私が作った雑兵の一に過ぎないんだよ!!

 研究結果から、反動でその体は十八歳までしか生きられないようになってる。残念だったな、この間抜けめ!!

 そいつ等はもう戻れない、本物の化け物になったんだ!お誂え向きだろう!?醜い者には相応の末路しかないんだよ!

 知らなかった貴様には酷だと思うがな!」


 学院長は、絶望した仁那の表情を期待して屋上から身を乗り出した。

 その先で――。


「知ってる」


 仁那が短く応えた。

 学院長は意外な言葉に固まって、思わず戸惑いの声を上げる。仁那の応答は、施設で行われた悪辣な実験の末に、その体が短命になってしまっている事実も織り込み済みだという態度である。

 ゼーダも一驚し、肩越しに彼女を凝視した。


「知ってるよ。言義で貴方の研究成果をカルデラ使節団の面子(メンバー)が調査する内に、それが発見されたって報告があったから」

「は……?」

「貴方が施設運営に携わっていたのも先刻承知していたし、別段驚かないよ」


 呆気に取られた学院長の姿に、仁那は思わず嘆息した。

 彼女の背後で、鬼禽が両翼で自身の体を包む。

 内側から微光を発し、次に翼を広げたときには傷が癒えていた。鷹人族の羽毛が有する治癒効果は変容してなお健在である。

 負傷の苦痛から解放された鬼禽は、四足の獣じみた低姿勢で飛び出した。

 仁那に向かって一直線に向かうのを見たゼーダは、頭上の回転する両剣を氣術で作動させ、対象を狙撃する。

 落下する凶刃の環にも怯まず、鬼禽は直進を続ける。たとえ胴を寸断されると悟っても臆する理性すら無く、ただ本能で眼前に立つ少女のみに意識を尖らせていた。

 仁那は両者の動きに対し、静かに拳を握って俯く。


「もう、やめてよ」


 仁那の姿が陽炎の如く揺曳して消えた。

 その次の瞬間、両剣が停止した。目標を見失い、更に頭上の凶器に起きた不可解な現象に足を止めた鬼禽も上を見上げる。

 そこでは、幽けし煙にも見紛うほど薄い羽衣を纏い、撫でるように両剣の刃先を指で止めた仁那が浮遊していた。

 異色の双眸が優しい眼差しを鬼禽に注ぐ。

 緩慢な降下で地面に降り立つと、両剣を路地に突き立て、微笑みながら鬼禽に正対する。

 その場の一同が彼女の挙措に宿る異様な気配に視線が逸らせない。


「おいで、二人とも。わっせが受け止めてあげる!」


 嫋やかな仕草で手を伸ばす。

 鬼禽は眼前の空気を輝かせる様な仁那に恍惚の忘我で止まっていたが、離れた屋上で学院長が攻撃合図の一声を放ったと同時に跳躍した。

 束ねれば樫の木の幹ほどにもある太さに肥大化した両腕を突き出して突貫を行う。相手に避ける様子が無いと知って、激突の直前にもう一度地面を蹴って再加速した。

 仁那は両の掌で受け止める。

 衝突の威力は炸裂音を発し、一帯の地面を吹き飛ばした。ゼーダや叶達、学院長の立つ建物まで波及する。建物が倒壊し、路上では断層が作られた。


 攻撃を真っ向から受けた仁那は、しかしその場から一歩も退いていない。

 本能的に戦く鬼禽に、柔らかく笑いかけた。


「わっせ達って、本当についてないよね」

『うあ……仁那、俺……ぼく……は……』

「わっせが知ったのも、一月くらい前なんだ」






  ×       ×       ×



 仁那が未だ首都火乃聿に滞在している頃、言義の人体実験の結果(データ)などについて処理していたカルデラ使節団の団員から、定期的に連絡が入っていた。

 当事者の仁那は、地下で行われていた実験が何だったのか、その点に疑問があった。

 人体を改変する技術。人間の体は緻密で繊細に様々な物質で構成されている。定められた形の組織に僅かでも変化が生じれば、外面にまで及ぶ大きな影響を及ぼす。

 仁那が以前から疑問視していた自身の身体についての謎を解明する種があるかもしれない。

 無論、先進的な科学技術は、野を駆けて下町で理よりも情を重んじてきた仁那に理解し難い物ではあるが、『四片』すらも把握していない真相を知りたいという欲求があった。

 祐輔が『器』と見定め、力の譲与前から仁那の身体を氣によって少しずつ改造したのもあるが、やはりそれでも神族の血を与えられるまで耐久した理由にはならない。

 祐輔かの干渉よりも前に、仁那の体組織は常人と異質な要素を擁している。その原因は何かを問い質したかった。


 使節団の情報処理で送られた内容の一つに、最も己との関連性が高いとされる研究結果の報告書があった。

 北の『院』と思しき場所で行われる、訓練児童への投薬。食物へ薬を注入し、訓練を受けた子供に定期的な摂取をさせた場合の状態を観察する工程だった。

 結果として、子供の身体能力は短期間の内に格段の成長を遂げる。基礎体力などの向上も望める薬物の開発は成功に見えたが、同時に適合率などの問題も発生した。

 児童の中で成功例があるのは約二割。

 適性の無かった者は免疫力の著しい低下、数日の苦悶を強いられた末に死亡する。

 投与された薬の仔細はまだ明かされていないが、何を基本として調合された物かの見当は概ね付いており、使節団が推測した正体が書き足されていた。


 薬の原型は――矛剴の血液。

 神代から由緒ある数少ない一族は、独特の力を有している。それを東国の兵団に武装可能かを実験すべく、後天的な力の覚醒を目論んで試行された。

 氣術の資質が発現せずとも、彼等は元より北大陸では武術に於いて最優の血族。中央大陸北部の森に在ることが確認されるまでは伝説でしか人の耳には届いていなかったが、当時の言義学院長が着眼し、これを推進した。

 予測通り氣術の才を見せた例は一つとしてなく、強制的な肉体の変化に伴った反動として成功体は十八の齢を迎える前に死ぬ。引き換えとして強力な身体を獲得する。


 仁那は矛剴の名に甚く驚かされた。

 あの施設では、人間を人工的に矛剴の肉体へと改造する実験場となっていたのだ。試行が開始された時期には、もう仁那も『院』に所属している。

 つまり、仁那の身体もまた開発を受けていた。

 仮に自分が実験の成功例なのだとすれば、これまで不条理と断じていた身体的怪異にも筋が通る。仮初でも矛剴の血肉を得れば、暁の黒印の一部を変化させた『四葉の刻印』に短時間ながらも適合するだろう。

 加えて、神族と父祖を共にする血族とあれば、軻遇突智(カグツチ)から与えられた血に馴染むのも可能性としては有り得る。


 無に等しかった心には、その光景が未だに鮮烈に残っている。

 仁那が幼少を過ごした『院』が焼け落ちる。焦熱が肺を焼き、燃え盛る火が前景を烈しく彩る。屋内から響いてくる悲鳴も長くは無く、瞬間的に大きく踊る人影は崩れていった。

 いま思えば、彼女は自身の心痛に疎かっただけであり、人や縁に恵まれた現在から顧みれば、悲惨の一言では尽きない悲劇。

 戦争孤児の流れ着いた先は軍事用に設えた訓練施設であり、飢餓や孤独から逃避して愛と救済を求めた子供を感情無き機械に育成せんとした。

 生まれた時代を、己の無力さを呪うしかなく、仁那はまた自我が形成されて間もない時期だったため、彼等の教育に不信感すら無く従順の姿勢を見せた。

 周囲よりも精神面が幼く、それ故に吸収力が高い。施設の教育者――“師範”からは、際立った特質の様に仁那の性質を評価し、扱って戦闘に集中特化した肉体を作ろうと画策した。

 悲惨な『院』は、赤髭総督の創設案に言義の学院の強い申請があって設立された軍部の一端。東国中枢以外の情勢への情報漏洩を防ぎ、言義という軍事開発に大きく貢献する部分のみを隠匿している。

 戦時中に暗躍した矛剴の一員を捕らえ、その戦術などから特殊能力に着目し、研究へと乗り出した。


 先代千極帝が隠居に使用した小屋で、仁那は報告書を机上に広げたまま、外の景色を望洋と眺めている。

 仁那と同室しているのは、最近になって魔王たる父親からの猛烈な親愛に流石の煩わしさを覚えた鈴音(スズネ)だった。相棒の少女が己の肉体の実態を知って(ものう)く面持ちであり、如何に言葉をかけて良いかと当惑している。

 仁那はその血族などには捉われない視点を持つ。

 嘗て中央大陸を侵略し人族を苦しめた歴史を有する魔族であるからといって、鈴音や魔王に偏見を作らず対した。矛剴であるからといって、中には卓などの共感し合える人間がいるのだと信じて無為な殺傷はしなかった。赤髭の軍事制作の一環で生まれた過去の記憶からの怨恨などを抱かず、同盟結成にも反対せず、私欲の暗殺さえも実行せずにいる。

 矛剴を軽蔑しているのではない。

 仁那が懸念するのは、信じていた“自分”が“混ざり物”であり、これまで語ってきた言葉を覆してしまうような事実ではないかということ。

 そこだけが悔やまれた。


「ねえ、鈴音」

「……どうしたの」

「わっせって、造り物なんだ。だから、今まで人間として物を語って、嘯いてきた事すべてが間違いになるんじゃないかな?」


 鈴音は応答に逡巡した。

 報告書の内容から、彼女は己が生の残り短さを嘆いているのではないかと推察していたからである。僅か数年しか皆と時間を共にできない悲哀よりも、彼女は“これまでの自分”が崩れ去るのを危惧していた。

 鈴音は仁那の前へと腰掛ける。

 正面から真っ直ぐに顔を見詰めて話した。


「仁那がどんな体でも、仁那に救われた人達はいる。私もそうだったから」

「……そうかな」

「仁那が自分を信じて進む限り、皆は背中を押す。間違ってたり、危なかったら止める」

「うん」

「だから、心配しないで」

「……ありがとう、鈴音」


 そ言葉に、仁那は心の憂いが晴れていった。


 地下牢獄で鍛練の合間にも、気紛れで暁に伝えた事もあった。

 矛剴でも秘密とされた闇人を出生とする彼ならば、感じる事も違うだろう。矛剴を研究材料として生産された生体兵器の一つが仁那である。

 暁は特に嫌悪などの色を窺わせなかった。


「血が己の全に非ず」

「えっ?」

「独自の文明を持つ一族には尊ぶべき慣習があり、血に由来する規則を破れば罰するべき重罪。然りとて、その人間性まで否定される覚え無し」


 小首を傾げる。

 暁は片手に破断した檻の鉄格子を持っており、手中で回旋させた。回転運動が増し、その像が朧気になるまで加速させると、途中で摑んで停止した。その時には、既に抜き身の鉄の剣と化している。

 ゆっくりとした歩調で檻に寄ると、軽く空を切るように剣を薙ぎ、返す刃でもう一度逆側へと一閃した。

 鉄格子の一本、その中程が断ち切られて床に落ちる。


「人間性とは過去の足跡の積み重ね。自らで決定した信念がある。それこそが人を人たらしめる。他者に否定されたとて軽微な傷、自らで否と断じた時こそ死を意味する」

「な、成る程……?」

「技も、剣も然り。その手で研磨したからこそ、目指した至上の型が生まれる。喩え血に依って考えを改める者が居ようと、今まで信じて進んだ道を易々と切り捨てられるか?」


 寝台に腰掛ける仁那へと振り向き、暁はその膝下に屈み込んだ。

 暁は剣を傍に置き、仁那の両手を自分のそれで包み込んだ。


「道程の流血を、結んだ絆を、繋いだ命を、築いた己を疑うな。血ばかりが道標ではない。本当に過っていたならば、お前を愛する者が導いてくれる」

「……!」

「仁那の道は、仁那の道。お前に救われ、そして信じた者の為にも変わる事無く、その歩幅で道を刻み、夢へと志せ」


 暁はその情の色が薄い相貌に、幽かな懐郷の念が兆した。仁那が見た彼の中で、普段よりも年老いてすべてを達観したような、その背後に一人の老人の姿が見える表情。

 容貌は自分と変わらない年の頃である筈なのに、あたかも親に諭されている様であった。


「これが唯一、優太に教え損なって悔いた、大切な言葉だ。」

「あ……」







  ×       ×       ×





 鬼禽が動きを止めた。

 踏み込んでいた足から力を抜き、仁那の前に跪くと両翼で彼女を包んだ。攻撃を受け止めた際にできた掌の僅かな傷にも、羽毛の治癒力を使用する。

 仁那が屈み込み、鬼禽の頚に手を添えた。

 二人の顔を覗き込み、微笑みかける。


「ありがとう、やっと通じた」

『すまん、仁那……俺達の所為で傷付いた』

『君を、好きだったのに、こんな真似をしてしまった』


 仁那は首を横に振った。


「だって、施設に居た時の無愛想なわっせを好きになってくれた人だし。どんな事したって怒らないよ」

『ごめんなさい、ごめんなさい』

「飜、貴方の恋人について教えて。わっせが後で面倒を見るよ」

『すまん、本当に……。赭馗密林の南端にある泉の畔に小屋がある。そこで彼女が待ってる』

「判った、任せて」


 二人の頭を抱き止せる。

 人の体では無いはずのそこから、あたかも三人で抱き合ったような温もりが得られた。呀屡と飜が肩に顔を埋める。

 左手の刻印から虹色の輝きが溢れた。次第に極光の如く柔らかい光を放つ赫耀となり、付近の路地に巣くう闇を払う。

 仁那の総身に満ちる光が、鬼禽にまで伝わる。

 その足元から七色に変色する火柱が立ち上がり、魔物の躰を焼き焦がす。それは熱反応によって発生した尋常な現象ではなく、仁那の高密度の聖氣が放つ力の波動が、人の視覚には炎に似た故の外観である。

 身を焼かれる痛みは不思議と無い。

 鬼禽は灰塵ではなく、光の粒子となって分散していった。柔らかい砂の山が触れた箇所から崩れていく様に、常に変わり続ける色彩の炎の中で消滅を始める。


『仁那……』

「どうしたの、呀屡?」

『……どうか、変わらずにその仁那で居てくれ。ぼくが信じた君を、貫いてくれ』

「うん。……愛してくれてありがとう、応えられるように精一杯頑張るね」


 その一言を最期に受け止め、鬼禽は完全に光の塵となって虚空に溶けた。


 二人を包んでいた炎は、仁那へと吸収されていく。

 身にした装束がすべて黒く染まり、背に四葉模様を拵えた金とも銀とも依らぬ色の細い袖をした羽織を纏う。仁那の双眸が黄昏色に統一され、前髪が編まれて一対の角を象った。

 毛髪が白くなり、結われた髪の毛先が虹色の火を灯す。髪を束ねる紐から一輪の菊の花が咲き、内側からより強く光を放った。

 周囲に浮かんでいた極光がより鮮明となり、衝立となって仁那の姿形を匿す。彼女を視認し得るのは、上から俯瞰する学院長のみである。

 仁那は自らの風体を眺めて得心した。

 いま体を包んでいる光などの正体は、神族に類する質の氣。

 肉体の覚醒を意味する聖氣の開放に伴い、体の中に巡っていた神族の血が共鳴反応を起こし、そこに宿っていた力が誘発される形で開花した。

 暁が示唆していた強い感情に喚び起こされる力とは、正にこの事なのだろう。

 二人を苦しませずに送り出したこの力は、血の主である軻遇突智(カグツチ)の性質とも異なる。仁那の体の中で変質し、生まれ変わった能力だと悟った。



 衝撃波の難を躱し、隣の建物の屋上に移動した後に起きた仁那の変貌に、学院長は後退りする。

 予備知識として、仁那が所有する力はすべて把握済みの筈だった。『四片』の力を行使した状態や、聖氣を開放した姿の特徴も記憶しているが、いま彼女の見せたものはどれにも当たらない。

 まさしく、土壇場で開花させた力だった。

 経験や前例、計算尽くしで己の戦場を作る科学者たる学院長としては、最も忌避する敵である。いつだって想定の埒外にある異例(イレギュラー)が恐ろしい、研究者ならば尚更だった。


「何だ……それは……?」


 心の底から、隠し切れず、虚飾の無い怯えの声が洩れだした。

 羽衣が風に戦ぎ、仁那がゆっくりと中空に持ち上がる。屋上の高さまで上昇する間、極光は彼女に合わせて出現する領域を広げた。

 半身をこちらに向け、右腕は掌を差し出すようにし前へ出し、左手を面前で垂直に立てた奇態な構えで対する。微弱な光を帯びたまま、空中に居ながらもそれが当然とばかりに涼しい面持ちでいる。


「新しい力――『仁那・神楽の型』だよ」

「神楽……神族の力か……!?」


 仁那は垂直に立てた左手を腰元まで引き絞り、手刀の形で固定する。前腕部に極光が光子となって集束し、肘の辺りで密度を増していく。

 学院長は攻撃だと判断して、懐中から取り出した小さな笛を吹く。

 澄んだ音色が道々に響くと、街角から大量に異形の魔物が出現した。神々しい光の源である仁那を発見し、続々と飛び掛かる。

 仁那はそのまま宙で一歩前に踏み出すと、全方位から牙を剥く魔物ではなく、学院長だけを見詰めて左手を突き出した。


「――『破魔矢』!」


 仁那の手刀が空を切った時、肘に集中していた七色の光が矢の形状となって、多方向に光の粉を振り撒いて飛散する。

 彗星の如く散ったそれらは、害意を以て接近した全ての魔物に命中すると、苦痛を与えずに焼き尽くし、光へと分解した。完全焼失と共に花火となって皇都の一劃に華を咲かせる。

 学院長の四肢にも突き刺さり、胴と頭以外を崩壊させた。至近距離で“花火”が炸裂し、煙を肩口や股から上げて絶叫する。

 屋上の床面を転がる学院長は、失った手足を見る。魔物の細胞を移植し、人工的な半妖と化した筈なのに、全く再生が開始されない。

 回復も無理だと即座に解して、這ってでも戦場から離脱せんと動く。腰を使い、蛞蝓さながらの移動方法で前進するが、行く手に何者かの足を見付けて止まる。

 顔を上げれば、そこに両剣の鋒を突き付けるゼーダが仁王立ちで待ち構えていた。

 悲鳴を上げる学院長へ、容赦無く振り下ろし――その刃先が仁那の掌によって止められる。


「……いいのか、仁那?彼奴はお前の友人を……」

「うん、でも殺して良い理由にはならないよ。今になって後悔するんだ、言義で何度も斃した警衛たちとも、もっと別の道があったんだろうなって」


 仁那は『神楽の型』を解除する。

 羽衣が消えて平時の姿に戻ると、学院長の襟首を摑み上げた。強引に上体を持ち上げた事で、顔が半分襟に埋もれている。

 仁那を見る目は、恐怖に支配されていた。

 圧倒的実力差を前に、計算を打ち破られて絶望する彼に、怒りの感情を包み隠さず応対する。


「貴方には償って貰うから。わっせは絶対に許さないし、死ぬなんて逃道も与えない」

「ひっ、ひぅぅっっ……!!」

「もう二度と手足は生えて来ないけど、義手義足なら動けるでしょ。それでこれからの大陸を支えるのが貴方の使命、わかった?」


 仁那の放つ気迫から、その言葉はもはや何者も逆らえない威迫に化している。ゼーダさえも自分が学院長の立場でなかった事を心の隅で安堵する迫力である。

 学院長を床に叩き下ろし、ふんと鼻を鳴らした仁那は、不意になにかを感じて上を見上げた。

 極光が消え、再び黄昏の斜陽に照らされた町で上空から発光体が落ちてくる。

 手を伸ばして摑み取ると、掌には鬼禽の羽が一枚あった。まだ温もりを感じるそれに、虹色の光が宿っている。

 複雑な思いに唇を噛み締め、掌中を見詰める仁那の下へ男達が駆け付けた。


 叶はゼーダの内懐へ一直線に力走し、押し倒す勢威で飛び付いた。

 真正面から受け止めたゼーダは胴を打つ強烈な頭突きに若干の苦しさを覚えながら、胸にすり寄って来る叶の頭を撫でる。


「久しいな、叶。大きくなった」

「手紙を寄越さないから心配した!」

「忙しかった、申し訳無い」

「ううん、会えたから良いのっ」


 再会を喜ぶ二人をみていた仁那に、ゼーダが振り返る。

 足元で失神した学院長に猿轡を付け、念の為に短刀を二本、腹部と胸部に突き立てた。魔物の再生能力は生きており、仁那が行使した謎の力で焼かれた四肢が戻る懸念は不要であっても、油断なら無い。

 魔物としての力が発揮できぬよう、常に激痛を与えておく。肉体組織の機能が傷の回復に偏れば、人体の常軌を逸した膂力などは発揮されないだろう。

 何より、恐怖を与える事が効果覿面であると判った以上、有効活用しない手はない。


 襷掛けに紐で学院長を自分の体に縛り付けて背負い上げる。叶がやや触れ合いが直ぐ終わってしまった事に不満の声を漏らすが、現状はまだ戦場の真っ只中であり、自重する。


「私は叶を連れ、戦線を離脱する所存だ。庇う者が多くては、やはり私も戦い難い」

「そっか」


 仁那は鬼禽の羽を雑嚢に仕舞うと、代わりに奥から茶の襟巻きを引っ張り出し、首に巻いた。


「仁那はどうする?」

「わっせは……あそこに向かうよ」


 目指すは、崖上に建つ皇都の中枢。

 最も高い摩天楼が集中したそこを仁那は振り仰ぐ。

 あの場所にトライゾンが、花衣が、そして……優太が待っている。暁から頼まれた事もあるが、優太は自分が止めなければならない使命感があった。

 背中を押してくれた飜や呀屡の想いも継いで、自分が信じる事を貫かねばならない。


「気を付けろ、何があるか判らんぞ」

「百も承知だよ。それでもわっせは止まらない」


 両の拳を叩き合わせ、仁那は不敵に笑った。


「待っててね、花衣。そして――優太さん!」








アクセスして頂き、誠に有り難うございます。

次回、漸く結の戦場に入れそうです!まだ優太とイタカの件、カムイの面子の話も残ってる……。


五章、やっぱり想定以上に長くなりそうですね。すべてはトライゾンの所為です、あの優男風の詐欺師の仕業です。


私もトライゾン打倒に向けて、頑張りたいと思います!


次回も宜しくお願い致します。

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