表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:優太と道行きの麋──下
260/302

復活まで残り……『壱』/“黒”の亀裂


 歴史とは、紡がれた人々の意思。

 その人はこの国の存在を抹消したかった。

 この“歴史”とは、忘れられぬ過去の足跡である。

 誰かへと伝承する為にあり、人が過去に生きた人や場所を想う進化を遂げてから、言葉や文字による保存を必要不可欠な手段とした。


 しかし、その国は望まれなかった。


 誰も望まなかったから。

 王さえもが拒絶したから。

 民も君主さえもが否定すれば、それ即ち国が自らを忌諱するも同断。

 主が放棄した都は、永遠の闇に消えるが定め。

 人の手には負えない秘密を、悪意を抱えていた。我欲に塗れた始まりも、人の手で始まったならば、人の手で終わらせなくてはならない。

 

 王よ、王の子よ。

 どうか彼の城を歴史の光より守りたまえ。

 神よ、その系譜よ。

 どうか安らかなる悠久の眠りを与えたまえ。

 人よ、人の裔よ。

 どうか彼の都を記憶より消したまえ。


 亡き国を想うは“かれら”で良い。

 もし歴史の光の下に晒されるならば、大陸上の人類の破滅、或いは都の完全消滅を希望する。

 世界の害悪でしかない、“籠”の外から来訪した民の作りし造物は、迷宮だけでなくてはならない。

 過剰な異界の主張は、双方を破滅させる。


 能うならば、邪悪なる魔術師の手が届く前に、匿すか滅するか、その二つにのみ懸ける。

 この書を閲覧した後、余人の目に及ばぬ限りの処分を望む。


 潰えし我が国――ベリオン、またの名を大和(ヤマト)の消滅を祈って。



 ――カルデラ図書館迷宮・最深層

   第九書架……皇国の遺産・第一集より。






    ×         ×




 長く続いた【蟻】の急襲は免れた。

 暗殺の手練れといえど、彼等もまた二年間もの月日を刺客を退け続ける修羅場に身を置き続けた強者の一人。寧ろ数に恃んで一斉攻撃以外を講じなかった【蟻】は、ただ無謀に数を減らしてしまう結果となった。

 その間に、掟流としては大きな疑問を抱える。

 人海戦術で挑んだ【蟻】の攻勢は、処理しきれるとはいえ、一時的にカリーナを無防備にしてしまう場面が幾度かあった。

 数を束ねた暗殺者なら、その隙を衝いて矢でも放てば殺傷は容易い。

 しかし、彼等がカリーナを狙撃する事は一度たりとて無かった。元より、トライゾンは彼女を側室として迎える意思があったからこそ、そもそも彼女が狙われる訳が無い。

 そうなのだとしても、それが却って掟流に集中した戦力に異質さが際立つ。近衛の全滅を意図し、陣形を崩す為に自身が最も弱小と侮られて来るならば納得はいく。

 それでも、対峙する暗殺者の気迫は牙城を一つ崩す程度の気勢に留まらない。明らかに、目標を前にしたものだった。

 何よりも、他の上連などに対しては、牽制程度の攻撃のみであり、不自然に間合いに一歩退いた様な感覚がある。


 不可解な事実に頭を悩ませながら邊俐林を脱したカリーナ一行は、林間を出た瞬間から広がる風景に唖然とした。

 地獄を抜けて漸く辿り着いたのは曙光に照らされた平野である。

 しかし、彼等を歓迎するのは、まだ新しい血煙の漂う凄惨な戦野だった。装備を固めた馬も兵士達さえも、死骸が散乱している。破損した武具が墓標のように立ち並んだ景観は、嘔気を催すには不足しない。

 喉を駆け上がる物の感覚に口を手で押さえる掟流は、その奥で忽然と発生した蒼銀の竜巻を認めた。

 目を凝らせば、風に巻き上げられて辺りへ四散していくのは千切れた人体だった。血を撒き散らすことで、血煙の濃度は増していく。

 断末魔の悲鳴が輻輳し、地底から響き渡る亡者の怨嗟に似た不気味な声たちに、これまで数多くの戦闘を経験した近衛一同が戦慄で皮膚が粟立つ。

 その中で、カリーナのみに異変があった。

 彼女の腰にある矛剴特有の白印を刻まれていた部位が、唐突に激しい振動を始める。何かに共鳴するかのように、体内を叩く甲高い音が四肢を萎えさせた。

 思わず膝を屈するのを、隣から觝が支えた。

 その足下は、血でぬかるんでおり、泥を踏めば赤黒い泡が弾ける。どれほどの夥しい血を与えれば、斯くもこの土地を陰惨な景観に変えられるのか。

 竜巻が止み、吹き飛ばされる人間が消えた。

 その中心に現れた者の姿に一同が愕然とする。


 蒼銀の焔を体に滾らせる大柄な麋鹿。

 その背に跨がり殺伐とした艶で刀身を濡らした黒い刀を片手に掲げ、周囲からの迫撃に殺意を以て制する凶々しい黒影がある。

 それは見慣れた姿とは遥かに異質だった。

 脳では味方であると認識しながら、別の回路が励起されたかの様に体はカリーナを庇う体勢に入り、警戒に武器を抜き放っている。

 近衛一同が緊張で呼吸が浅く、早くなる。

 まだ距離は遠い。然りとて、彼から発せられる殺意の重圧は距離の如何を問わず、目にした者すべてを支配した。

 カリーナさえも、見た事もない従弟の異様な姿態に本能的な恐怖を覚えた。


「あれが……優太、なのか?」

「以前とは様子が随分と違うぞ」


 理不尽な戦力差にも、嬉々として対敵する。

 体力の限界も近いのか、些か剣を振る手先に()()が欠けてているが、だからこそ未だに戦わんとする姿は一種の戦闘狂である。不要な殺戮は避け、戦場こそ忌避する以前の彼とは異なる。

 全身を武器に変換させた剣呑な後ろ姿は、敵味方の境など関係無く、前に立てば斬り伏せる獰猛な気配を漂わせた。


 カリーナは白印の異常から復調し、前へと進み出た。彼女は一族の宝物である『顕現の鵞ペン』を手にすると、隣に侍らせていた邪氣の黒玉を扁平な円形の板へと変容させ、その上に腰掛けた。

 命令するまでもなく、板の上に腰を下ろしたまま上昇し、戦場を俯瞰する高度まで移動する。

 近衛も彼女の意を察し、武器を構えて各々が散開した。

 護身については、氣による攻撃の悉くを遮断する鉄壁の防御を誇る“黒玉”がある。

 なれば、自らの防衛は為せるので、近衛には優太への加勢を優先事項として命じたのだ。

 もう言葉すら無く命令を察するものだという彼女の信頼とも傲慢とも付かぬ行動に、怒って善いか否かを判じかねる面々は、屍を飛び越えて優太の下へと馳せた。


 接近する気配に優太が後方を顧眄した。

 イタカも敏く足音を聞き咎め、警戒に眉を顰めると凶器の竜巻を発動させる。再び散乱した人の四肢や刎ねられた頭部が巻き込まれ、風に乗って飛散していく。

 立ち止まった彼等を見てイタカが愉悦に浸る中、優太は前を見据えた。

 近衛の面子が北上している事には一驚したが、それは花衣への義理立てとしてだろう。彼等は少なからず、城中では既に近衛の任を解かれていた筈だ。

 彼女が誘拐された責任は無い。

 いや、そもそも責任の追及や犯人捜索などは現在に於いて些事。今は一刻も早く、トライゾンの根城へと辿り着き、首魁の頚を獲るまで。

 別動隊で送り込んだ【鵺】も、予定ならば既に到着し、作戦を実行しているだろう。本陣に混乱が起これば、展開された軍隊にも余波は現れる。

 今は目前に立ち塞がる障害、或いは敵より供された練習台を使い潰す。


『恷眞軍との合流地点も近い。気を抜くなよ人間!』

「イタカ、後ろの人間達は加勢。攻撃対象の認識から除外しておくんだ」

『ふん。貴様で妥協しているというのに、これ以上に下賤な人間の援護など侮辱に等しいわ』

「恷眞指導者としての矜持は兎も角、不要な戦をしている場合じゃないだろう」


 優太の指摘に口を噤み、不満げに鼻を鳴らすとイタカは発進した。馬上から優太が横薙ぎに放つ剣閃が前方の軍列を斬り崩す。

 人の頭上を高々と飛び越えたイタカは、着地した蹄から拡散する爆風を発生させ、一帯に陣取っていた兵士を蹴散らした。

 優太は氣術で後頭部を奇襲する矢を予知し、翻身すると『緋鬼』の刺突を虚空に突き出す。

 一瞬の後に襲来する悪意へと向けて、鋒から鋭尖な聖氣の一閃が飛び、矢で射んとした弓兵の胸を穿った。突き抜けた聖氣は、その後ろに控えていた部隊も貫いて爆発する。

 手応えに上体を前に戻した優太だったが、その肩を別の矢が掠めた。

 一騎討ちの対戦ならば、優太が後れを取る事は無い。しかし、この多勢による乱戦や不意打ちは予知の弱点である。

 毒が塗り込まれていたのか、傷口から痛みが皮膚の上を駆けるように広がっていく。疲弊した体では、毒の巡りも早い。

 不意打ちで止まった優太を側面から狙い撃つべく、俊敏に槍を持って駆ける兵士を、上連が横合いから切り裂いた。

 イタカの隣に立ち、鉄爪に付着した血を払う。


「見てない敵の動きが事前に判るなんて反則だろ」

「済みません、上連さん。助太刀、感謝します」

「旦那様、傷を治癒します」


 歩み寄ったセリシアが囁くと、優太の肩の矢傷から淡い光が溢れ、傷口が塞がれていく。痛みも引き、全身の疲労が少々和らいだ。

 同時並行で解毒も完了し、改めて進撃しようとした優太だったが、その首筋を一本の針が命中した。途端に意識が揺らぎ、イタカの背に倒れる。

 吹き矢を放った觝は、半ばイタカから奪うように眠った優太を背負った。


「休ませる」

『人間の言葉は解せぬ。――が、成る程、おそらく休憩だな。やはり人間は貧弱よ。

 しかし、先を急ぐにしても休息は必要か。なれば俺は奴等を始末した後にする』


 イタカの纏う竜巻が益々勢いを増し、解放軍を蹂躙する。

 カリーナの近衛が参戦して、平野へと進軍した解放軍の殲滅を完遂したのは、およそ二時間を経た頃だった。



 同時刻。

 一方で仁那は、鍛練を終えた後だった。

 この地の何処かに埋め込んだ己の黒印の一部を用いて顕現した暁は、不完全体であるが故に時間も限られている。

 初期と比すれば、その体は朧気になり始めていた。彼が背にした壁の岩壁も透けて見える。

 仁那は寂寥感で顔を伏せそうになるのを堪えた。

 とはいえ、たとえ力が薄弱となっても、やはり一勝すら敵わなかった。これが次の戦役で絶対に対峙しなくてはならない敵の本領にすら届かないともなれば、先は思い遣られるばかり。

 本日が最後の鍛練となるらしく、暁は既に下半身が消滅していた。

 彼の手には一冊の書が摑んである。

 それを仁那に手渡すと、無表情で機微が判り難いが満足げに頷いていた。


「告白すると、俺が見た予知では……仁那と優太は、必ず戦う事になる。

 現時刻には、既に解放軍に与する元同盟軍幹部の要人たちが屋敷へ集い、会合を開く。そこへ優太が現れ、一人ずつ抹殺してトライゾンを追い詰める」

「……そう、だったんだ」


 そんな予感はしていた。

 仁那の中に、漠然と予感とも確信とも付かぬ感覚があったのだ。言義の時計塔前で矛剴との戦闘状態に陥った際に、彼の中で膨らみ続ける歪で醜悪な闇を垣間見た。

 仁那が己が道を進もうとするなら、その闇がいずれは優太の表層までをも支配し、必ずや目前に聳える障害として現れる。


「制止の為に仁那が身を擲ち、瀕死のトライゾンを庇って対峙する。地上でも戦争が勃発し、二人の死闘は数時間に及ぶ。

 そして、仁那は……敗北する」

「今は、どうなの?」


 仁那が問うと、しかし暁は横へ首を振る。


「今の俺は、物質の分解・再構築が可能な程度しか仙術も扱えない。未来視での先読みが扱うのも、数秒先だ」

「……」

「だが、現状はあの時と違う。

 前に予知した内容から、最初こそ小さな違いとはいえど、少しずつ大きな変化を現した。予定では既に到着する優太も足を阻まれ、来ぬ筈のカルデラ当主が北上し、少し拙い物も現出する。

 すべてが……予定外だ」


 暁が仁那の肩に手を置いた。

 どこか慣れた、子供を窘めるような手付きには年季を感じる。何処かの森の中で家族の情と共に育んだものなのだろう。


 仁那としては、彼が理解できなかった。

 愛する人の為にとはいえど、世界を破壊するにまでは至らない。中央大陸を平和にする、その理念に従えば、神族の支配を脱するという壮大なる計画にまでは行き着かない筈なのだ。

 愛する人が居るなら、その一生を傍で潰えて、死後も工作する必要は無い。子供の代――次代の闇人にまで期待を寄せるのではなく、自身で決着させられただろう。

 彼の力量ならば――一夜にして普く凡てを無に帰せる。

 神代の世界を滅ぼした先に、何があるのか。

 それは自分ではなく、それを他人の手に。


 彼の目の奥にはどこか、憧憬が感じられた。

 何を対象にしているかは判らない。

 少なくとも、響以外にも彼が神を滅亡させる意味がある。闇人の宿命に辟易した事も含め、底意は一つに非ず。

 それが知れるのは、恐らくその宿願を成就させた時だ。


「あの時に視た未来と違うのは、俺が鍛えたという事。つまり、以前の予知した仁那よりも」

「――うん、強くなった気がする」


 仁那は握り拳を作ってみせた。

 世界最強の男と、その一端とはいえど数日間も鍛練に望んだ。惜しむらくは、短期間しか実施できなかったこと。

 しかし、暁の手応えも含め、彼女自身が成長を実感していた。

 なれば充分、もはや予測された実戦に懸けるのみ。


 ふと、仁那は自分に手渡された一冊を見る。

 蝶番のある奇妙な書物は、頁を繰り続けると数枚にわたって紙面が黒く塗り潰された物があった。

 その部分だけの閲覧を拒絶する意思がありありと察せられるそれに、首を傾げた。

 書を注意深く観察する仁那を他所に、暁は天井を軽く振り仰いだ。


「…………そろそろか」





  ×       ×       ×




 仁那を幽閉した地下牢の直上に位置する広間。

 そこに修羅場が展開されていた。

 槍の穂先を花衣に定め、いざ突かんとするトライゾンに一同の心臓が凍り付く。義憤に訴えた彼女に悔いの念は無く、覚悟の瞑目で待ち構える。

 一輪の花が散ることを、皆が確信した。


 その寸前で、広間の天井が崩落する。


 瞠目したトライゾンは、槍を投げ捨てると花衣を抱えて飛び退く。瓦礫が降り注ぎ、穿たれた天井からは更に黒い塊が頽れ込む。

 床に魁偉な巨腕を突き、上階から天井を突っ込んで来た化け物に騒然となった。その総身は漆黒であり、湾曲したS字の両角のみが銀の光沢を輝かせる。

 天井の中心を突き抜けた事で、照明(シャンデリア)が破壊されて広間が薄闇に包まれた。

 しかし、侵入した怪物が何者であるかを一同が即座に察する。

 憤懣で目を血走らせたトライゾンが叫んだ。


「貴様ッ、何をしている――饕餮(とうてつ)!!」


 侵入者こと饕餮(グラウロス)は、口内から噛み砕いた人間の肉片を吐き出し、滴る血を辺りに撒き散らす。

 トライゾンの背後に控えていた衛兵が飛び掛かるが、飛ぶ虫を払うが如き無造作に振った肱で打たれ、拉げた肉となって壁に叩きつけられる。

 騒ぎを聞きつけた襟巻きの老翁が小太刀を手にし、広間の中心に屹立する怪物の腕へと駆ける。鞘走りから叩き出される最速の刃先で皮膚を斬り付けたが、表面が鉄に見紛う硬度に変質して弾かれた。

 老翁は手応えから刃が立たぬと知れると、頭上から迫り来るグラウロスの顎を察知し、側転でその場から脱する。

 蒼火が怪物を糾した。


「馬鹿野郎!(おせ)ぇんだよ!!」

『衛兵ガ思ったヨり多かッた。悪イ……悪い?いや、俺頑バった、ナーリンなら褒メてくレル』


 蒼火とグラウロスの言動に、誰もが驚く。

 口ぶりから、彼等が裏で結託していたのが判るものだった。トライゾンは壁際に瀕死状態で倒れる衛兵と、噛み砕かれた人間()()()物を見回し、グラウロスの狙いを把握する。

 衛兵が思ったより多かった――その一言から察するに、蒼火と自分が対峙している間、グラウロスは屋敷周辺を警備していた人間を排除していたのだ。

 どんな利益を提示されたかは読めないが、少なくとも蒼火との協力関係となって主に反逆した事だけは判る。

 トライゾンが落ちた槍を再度手にし、グラウロスへと振りかぶった。


「この――裏切り者めが!」


 トライゾンが投擲に腕を引き絞ったが、狙いを定める最中に何処からか飛来した矢が手首を貫いた。思わぬ横槍に凶器を手放し、傷口を押さえて踞る。

 怒りに火照った面を上げ、矢の主を睨む。

 天井の穴から身を躍らせた人影が弓矢を矧いでいた。一目引く黒褐色の肌に先に鋭角を作る長い耳、闇精族の少女サミが広間へと着地する。

 彼女に続いて、二名が降り立った。


「我が闇精族(ダークエルフ)の郷を侵した大罪、ここで粛清してやる!!」

「花衣殿、我らが主の命に従い、救出に参りました」

「西吾、それ俺言いたかったやつ」

「もぅ……ら……や」


 眞菜が指を振ると、グラウロスの口から溢れていた流血が凝縮し、数本の鋭い槍へと変貌した。壁際まで避難していた老翁に掃射が、すべて巧みな剣捌きで躱される。

 東西吾が円形に燃え盛っていた蒼炎を腰の壺で吸収すると、屋敷の壁に放射した。

 瞬く間に広間の壁を侵食し、燃え広がる。

 蒼火が火の手から遠ざけようと紫陽花を肩で押し、その場から脱出しようとした時、両手を拘束していた手錠が外れた。

 喫驚して振り返ると、女児(ルリ)が片手に鍵を持って微笑んでいる。もう一方の手には、紫陽花の名を記載した奴隷契約の書状があった。

 蒼火は彼女から受け取ると、手中でそれを蒼炎にて焼却する。紫陽花の全身が瞬間的な解放感に満ちた。

 東西吾が両手に泥吉を抱えて蒼火に歩み寄る。

 その矮躯は所々に痣があった。以前、拐かされた時よりも増えている。紫陽花が奪うように抱くと、流れる涙で顔を擦り寄せた泥吉の額を濡らす。


「……あ、蒼火!」

「ああ、分かってる」


 蒼火が『加護』で治癒する。

 意識は無いが、大事ではない。彼の掌中から広がる淡い光に照らされ、泥吉の負傷が消えていく。

 その背後では、痛みで後退するトライゾンにサミが躙り寄っていた。


「覚悟しろ、悪党」

「悪党?ふふ……悪党、悪党と来たか」


 激痛に歪んでいたトライゾンの相貌が、突如として深い笑みを浮かべた。

 窮状にありながら喜色のある彼の不敵さに、サミは警戒を緩めず、矢の照準を合わせる。次の言を並べる口を動かしたとき、その喉に過たぬ一射を与えんが為に。

 トライゾンの唇が微かに動く。

 それを予備動作と判断したサミが指を放し、矢を投射する。


 しかし、矢を放つ前に屋敷全体を大きな震動が襲う。

 狙いが逸れ、絶命を告げるはずだった鏃はトライゾンの右耳を抉り、竜胆色の髪を一房だけ切り落とすに終えた。

 悔しげに矢筒から更なる一矢を手にしようとしたが、激しさが弥増す震動に全員が直立さえ困難になり、床に伏せる。

 その中で不敵にもトライゾンのみが適応し、サミを蹴り飛ばすと悠然と広間の中央へと歩む。


「少々手間取ったが、今しがた領内に『三種の神器』が揃った」


 強くなる地鳴り。

 トライゾンは両手を抱え、穿たれた天井を見上げて喜悦に豪笑する。


「さあ、復活の刻だ!

 これよりベリオン最大の華やかな歴史が幕を開けるッ!!」


 トライゾンの足元が光る。

 その光量はすさまじく、屋敷のみならず崖にで及ぶ広域、更に遠い恷眞全体にまで及んだ。



 その南部で、樹の根本に寝かせた優太を見詰めていた一行は、不意にその隣に安置した黒刀が独りでに震えているのを見とがめた。

 カリーナが周囲を制し、鞘から抜き放つ。

 黒い刃先に罅が入り、その中から煌々と光が溢れていた。


「これは……っ?」


 掟流は、腰元で幽かに何かが蠢く感触を得て、視線を下に落とした。

 鞘に納めた漆黒の短剣が、黒刀の異変に呼応して動いている。この奇妙な連鎖に当惑しながら、二本を引き抜いて面前に掲げた。

 表面の漆に亀裂が入り、そこから一条、また一条と光が迸る。

 そして――見守るなかで莫大な氣を放射し、一行もろとも森を光へと引き込んだ。


 屋敷の地下牢にて、書を開いていた仁那は注視していた黒い頁に亀裂のような物があるのを発見した。

 先刻までは無かったそれを指でなぞり、小首を傾ぐ。


「何これ?……うわぁっ!?」


 仁那の指で遂に割れたかのように、罅が大きくなると、紙面から()が剥落して光が獄中全体を呑み込む。


 光に包み込まれたすべての人間が悟った。

 地鳴りではなく、これは――復活なのだと。






アクセスして頂き、誠に有り難うございます。


 『三種の神器』、『神豪』が出揃ったところで、遂にあれが登場します。

 実は毎回の冒頭に置いている未来(さき)の描写は、優太が予知した物から過去に暁が予知した物へと変わって来ています。

 微妙か変化で判り難いと思います、すみません。


現状→

 優太&イタカ+カリーナ一行→邊俐平野。

 トライゾン達&【鵺】→神城付近の崖にある屋敷。

 結&同盟軍→火乃聿北部の平野。

 仁那→屋敷地下の牢獄。


 次回も宜しくお願い致します。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ