復活まで残り……『弐』/カムイと神豪
今回では、中央大陸最大の謎に迫ります。
内容は、こちら。
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・カムイについての事柄。
・迷宮の存在意義。
・皇族について。
花衣の父の過去。
三種の神器の真相と所在。
・第一次大陸同盟戦争勃発の要因の主犯。
・アキラが神樹の森に住めた理由(これも重要になります)。
最上階は一人を除いて無人の空間だった。
欄に頬杖を突き、曇天を見上げながら隣に立て掛けた聖剣を時折なでる。
今や騒々しい北の空を穏やかに見詰めているのは、彼女だけであろう。本来ならばその戦場に参ずる必要のある戦力を保持した豪傑でありながらも、最上階にて現を抜かしていた。
誰も居ない空間を恰も占拠した様な感覚に浸って、一つに纏めた短い髪を弄る。
孤独を楽しんでいた少女は、最上階を目指す忙しない足音に後ろを顧みる。
同じ赤髪の文官が急いだ様子で階段を駆け上がって最上階に辿り着くと、周囲を鋭く見回した。少女を発見すれば、足早に歩み寄って威圧するようにその背後で仁王立ちする。
切迫した彼に対し、少女は口元を綻ばせた。状況とは対照的な表情には呆気に取られ、意表を衝かれたように暫し沈黙する。
二年前から交流のあるジーデスとしては、珍妙な光景であった。
この少女――セラは、自由人として知られる。
幼少から『勇者の加護』と強い資質を見初められて西国軍部に入隊し、尋常ならざる実力で異例の昇進を遂げた。敵を壊滅させる事に慈悲などなく、ただ戦いを楽しむ戦闘狂として畏れられている。
明確な計画性は皆無であり、常に気の赴くままに活動する童心の権化とさえ称呼された。
だからこそ、現在も北で繰り広げられる大戦に嬉々として参加することを確信していたジーデスは、想定外にも大人しい彼女に違和感を抱く。
活気に充ち溢れていた瞳は、平時に似つかわしくない郷愁に似た哀感を見せる。
思えば、彼女について知る事は西国中枢政権に魔王討伐と魔族への抑止力として抜擢された事のみ。それ以前の記録については、カリーナさえも含めて誰も知らない。
彼女の性格から、自身の過去にも頓着が無いのだと勝手に納得させられる。
無論、そこに自分から語りたく無いという理由があるのか、などとは一切疑わずに。
ジーデスは黙って隣に寄った。
同じ赤髪の所為か、並び立てば後ろ姿は兄妹に見えるだろうと、彼女を探していて理由に全く関係の無い感想を心中で溢す。
セラは喜色を相に浮かべ、欄の上に飛び乗る。
慌てて制止しようとしたジーデスの心配も委細構わず、片足で立つと両腕を水平にして拡げ、平衡を維持した姿勢で止まった。
天守閣に吹き付ける風は障害が無いため、勢いなど全く減少せずに体を叩く。思わず欄に縋み付くジーデスとは違い、余裕綽々と動かぬ天秤の如き安定力で立ち続ける彼女は、彼の怖じ気付いた姿に笑った。
「セラ、早く降りよう」
「怖がりだね~、ジーデスは」
本来ならば庇護すべき年下の少女に怯懦を嗤われるなど、元騎士としては名折れも甚だしい。
些か立腹したジーデスは、セラの襟首を摑んで欄から引き摺り下ろした。抵抗する彼女を羽交い締めにして捕らえる。
楽しそうに燥ぐ彼女に、幼児の相手をさせられているかの様な錯覚にさえも陥った。
少しすると、合間を見付けて拘束を脱け出した彼女は少し距離を置き、小癪な笑顔でジーデスに振り返る。
この戦時になんと呑気なことか。
「セラ、此所で何をしていたんだ」
「んー?……ジーデスにはさ、前に故郷の話したでしょ?」
「あ、ああっ……あった様な、無かった……様な」
ジーデスは所在無さげにしていた手を後頭部に置いた。
以前、白豪に身を潜めていた際にセラから結婚の話を持ち出され、現在でも婚約者の関係が継続中(かなり一方的な決定)である。
その話題の一端で、彼女は自らの故郷にジーデスを招聘すると言っていた。無論、保護者の立場に近い生活を送ってきた彼としては、結婚する心積もりは毛頭無い。
この戦争中に故郷を憂いている者は彼女だけでは無かろう。
しかし、セラがこの時になって想い馳せる事自体が今回の異常さを物語っている。ジーデスとしては、その変化を機敏に感じ取っていた。
「勇者になる前に、西国最西端の山の中にある森で暮らしてた。集落があったんだぁ」
「最西端……」
西国最西端ともなれば、廃鉱や一度は閉鎖された港もある地域である。主に世界の果て、即ち海の向こう側が奈落の底に落ちる断崖となっていると信じられていた時代に、実際に確認せんとベリオン皇国時代の海洋学を専門とした調査隊を中心に栄えた場所だった。
当時は魔法の文化も現在ほどに発達しておらず、調べるにも人の手摸りなのだ。
結果としては、空間を繋がれて転移されたかの如く、大陸の最東端に辿り着いたという伝説だった。用が済めば意味を為さず、凋落の一途を辿る。
あの辺りに集落があるとすれば、以前に調査したカムイ一族の村の跡地や、今は絶滅した稀少な種族の墓地ばかり。
セラの出自は、その廃退した大陸の隅にあったとされる。
「小さかったから事情は覚えてないけど、親が死んじゃったから、ボクは遠縁の人が住む集落に引き取られたんだ」
「どんな集落だ?」
「んー、あんまり憶えてない」
眉間に皺を寄せ、虚空を睨んで必死に脳内から必要な情報を抽出しようと奮闘するも、セラは幼少期の記憶の不鮮明さに途方に暮れた。
隣で見守るジーデスは静かに待ったが、やがて正確な事が知れないと判ると、優しく笑って彼女の両肩に手を置く。
安心感に記憶の遡行を中断して、彼の背中に凭れかかったセラは、無邪気な猫の様にすり寄る。
当惑したジーデスが後退しても、一向に距離は離れない。
しかし、不意にジーデスを突き飛ばすように彼女は離れて顔を上げた。
「あ!でもね、親切にしてくれた人の名前は憶えてるよ」
「そうなのか?」
「先刻まで、その人のこと考えてたし」
「どんな人なんだ?」
「年下の子供に優しくてね、癇癪持ちの大人に怒られてるボクらを庇ってくれたこともあった」
セラが一時期引き取られた集落は、戒律を重んじる人間たちで構成されていた。
集落の外に在る者と能う限り関係してはならない、黄昏時には付近にあった古い迷宮の奥にある祭壇で祈祷する……など、他にも幾つかの習慣がある。
老若男女問わず、誰であっても必ず必須とされており、これを怠ると厳しい罰を受けるのだ。
当時は独特の風習に順応し難いセラの面倒を親切に見てくれたのが、彼女の想い馳せた人物である。
過分に厳しい集落の掟を破ってしまった子供の代わりに罰を受け、それでもなお厭わしいとも思わずに接してくれた。
家族を失って僅かの幼いセラは、直ぐに信頼できる人だと慕うのは必然。
集落の生活に慣れて数年が経過した頃、その人は追放されてしまった。理由は禁忌に触れるらしく、以降は風の噂にて少年兵となっていると聞き及んだ。
そして、セラもまた後を追うように『勇者』として国に歓迎される。以後の集落の様子は知らない。兵士として駆り出された憧れの人の行方も、セラは全く耳にする機会がなかった。
「炎の魔法は、その人に憧れて特訓したからね」
「あのセラに憧憬を……さぞや清廉潔白な人柄だったのだろう」
あの奔馬さながらの暴れ様を連想させるセラの傍若無人さを御したともなれば、ジーデスを含めて『勇者』に振り回された人物は感嘆と崇高の念を向けるであろう。
消息不明ともなれば、戦場にて命を散らしたか、或いは第二の故郷を手に入れて静かな時を過ごしている。後者の方が望ましいが、中央大陸の東西が引き起こした内乱より数年後の剣呑だった時代ともなれば、そうはならない。
生存は絶望的である。
「その人の名は、憶えてるか?」
「えっとね~……会えたら良いんだけどなぁ」
ジーデスの目の奥に、その表情が焼き付く。
セラには物珍しく、悲哀を混在させた笑顔だった。
「生きてるかな――虹希お兄ちゃん」
× × ×
中央大陸北部の崖に囲われた屋敷に、衝撃が走っていた。怪物が生死を問わず指名手配をしていた対象の片割れ――元阿吽一族腹心の男を捕縛して帰還したのだ。
トライゾンはこの事態に喫驚しながらも、愉悦と興奮で快く怪物を誉め称えた。
捕らわれた男は現在、自らを蒼火と名乗る男。
酷い火傷の痕を匿す服装だったが、屋敷内への武装の持ち込みを禁ずる為に検査で外衣を剥ぎ取ったので、上半身は袖の短い肌着一枚となっており、本人が晒すのを嫌った傷痕が露になる。
広間で蒼火は一人の男と対峙していた。
腰の後ろで両手を縛られ、正座を強要された姿勢のまま、眼前に居る艶やかな竜胆色の長髪を梳いた相手を睨め上げる。
視線には侮蔑、憎悪、忌避という様々な負の感情が宿っていた。
正面から受け止める男――トライゾンは、それを柳に風というように受け流す。
背後では、先んじて屋敷に保護された紫陽花が控えていた。彼女は二人の兵士が交差させた槍に阻まれ、蒼火への接近を認められない。
火廣金の手錠を填められ、身動きも満足に取れない蒼火は、紫陽花を一瞥して安堵の息を漏らす。奪われた彼女に、一見してトライゾンが手を加えた形跡は無い。
問題は泥吉の姿が無い事であった。
トライゾンにとって有用なのは紫陽花のみであり、その弟である泥吉にも幾分かの存在利益があれども、優先順位としては紫陽花に遥かに劣る。
優男に見えるこの男の、腹の底にある冷徹さの餌食になってはいまいか、ただ憂慮する。
広間に居る侍女や近衛の誰もが、蒼火の容姿に息を呑む。そして口々に醜いと称し、視界に入れることすら憚るように顔を逸らす。
露骨な忌避感を態度で呈する一同に、彼は卑屈な笑顔を浮かべた。
敵勢に不快感を与えられただけでも悦に値すると笑っていたが、唐突にトライゾンの堅い靴の爪先が顎を捉えた。
蒼火は顔を弾き上げられ、衝撃に伸びた首に引っ張られる胴が遅れて傾き、激しく転倒して床に横臥する。
トライゾンは傍に屈み込むと、前髪を摑んで蒼火の顔を上げさせた。至近から覗き込み、鋭い両者の視線が火花を散らす。
癪に障ったのか、再度トライゾンの拳が顔面へと叩き込まれた。打たれる彼の様子に紫陽花が悲鳴を上げて駆け寄らんとするも、兵士が阻んで許さない。
無抵抗な体を容赦無く打擲された衝撃で脳が揺れ、蒼火の目が虚ろになる。
眼力が弱くなったと察すると、トライゾンは笑顔で問答を始めた。
「君はカムイ一族、で相違無いね?」
「改めてよろしくな、神豪の端くれ」
「ッ……減らない口だね!」
蒼火の顔が撥ね上がった。
今度は倒れ込む前に髪を摑んで止められる。
紫陽花は槍で阻む兵士の腕を摑み、懇願する様に見上げた。彼女の悲泣の涙に濡れた強い願いを、しかし彼等は無情に黙殺する。
蒼火は手錠から全身を支配する謎の氣流を感じ取った。氣術師ではないが、直に膚に触れて伝達する外部からの氣の干渉を知覚した情報から分析する事は可能である。
装着した本人の意思とは反対の力で体を制御する特別製の手錠。何らかの呪術が付与されていると仮定して考察すると、『反対』という概念に蒼火はある事実に気付く。
右の五指を握り込もうとすれば、左手が反応する。畳んだ足を整えようとすれば、足は萎えて崩れた。
蒼火は確信して、前を見る。
正面から正対するトライゾンの形相は、万事を穏やかな顔で不敵に俯瞰していた余裕の表情は失せ、血を渇望する飢餓に飢えた獣さながらの凶相だった。
「『翠鬼』は回収中だが、なぜ『緋鬼』は闇人の手に在る……?」
「随分と……執着してんな……何でだ?」
「あれが揃わねば、我らが血族に宿りし『加護』が発動しない!」
蒼火の顔を床に叩き付けて放すと、天井を仰ぎ見て狂ったように哄笑する。さすがの近衛も平生の雰囲気とは異質な彼の振る舞いに愕然として動けずにいた。
彼等の意識が逸れた隙を見逃さず、交差された槍の下を潜って抜け、倒れて黙り込んだ蒼火に駆け寄る。
ゆっくりと抱き起こすと、血や打撃に腫れた顔で卑屈に笑いかけてきた。紫陽花は彼らしくも苦痛に堪えてこちらを安心させようとする彼に涙を禁じ得ず、その頭部を胸元に掻き寄せる。
「貴様らカムイが約半世紀も前に、我々から強奪した、あの秘宝がなければ!カムイの所為で東西の分断は明瞭となり、今年までの戦争が起きた!」
振り上げられた拳が、しかし彼を庇う紫陽花を視界に認めると、過剰に力んで蒼褪めた手を緩めて引き戻す。
トライゾンは自身を落ち着かせるべく深呼吸し、再び二人を見下ろした。その瞳は、少し熱が引いたとはいえど、今にも殺意を以て紫陽花さえも殺めん狂気を滾らせていた。
庇護対象である紫陽花が盾となって暴力から逃れた絶好の機会に、蒼火はますます笑みを深めて肩を竦めながら挑発の態度を取る。
「先人の魂胆なんざ知らねっての。先祖サマの墓の前で手ぇ合わせて愚痴りな。尤も、焼き払われた村にゃ白骨しかねぇが」
「奴等は吐かなかった!」
「おう、焼いたのはお前らか。ま、様ァ無ぇな。御愁傷様だよバカ野郎」
「い、言わせておけば……!」
トライゾンが痛憤に震える。
蒼火はここぞとばかりに畳み掛けた。隣で危機感を覚える紫陽花の危惧も察して、なおも彼への刺激を止めない。
それは久しく忘れていた一族の誇りと仇敵たる男への細やかな復讐か、或いは……紫陽花と泥吉を奪われた事への怒りか。
今にも実体を持って自身を切り裂く勢威を見せる悪意を前にしても、微塵たりとも臆さない。
普段ならば生存の為に、どんな人物であろうと利用価値を含めて相手が優勢ならば、虚偽を並べて欺き、平然と諂うのが蒼火の常道。
しかし、彼としては初めて守るべき者を手にした今では、向かうべき道が違った。
異形の怪物を前にしても立ち向かい、地下の泥を啜ってでも懸命に生き、何よりも仲間や家族を大切にする二人の生き様。
幼き日に余興で火炙りにされ、人への信頼感という情を余さず消された蒼火の中で、既に死んだ筈の感情を再起させていた。強者への反逆心、立場の貴賤は判断の如何には及ばず、ただ己が守護すべき対象の為に身を削る覚悟で挑む精神である。
「所詮は落胤風情の堕ちた神豪の端くれ、そんな野郎に屈しなかった、誇り高き我が一族に万歳――ってな!」
「いい加減に――しろォッ!!」
拳を突き下ろさんとしたトライゾン。
その瞬間、蒼火が肩で紫陽花を押し退けると、迫り来る拳固から体を転身させ、その場から飛び上がって膝をトライゾンの頚部に叩き込む。
瞬間的な呼吸困難によろめき、地面に跪いたところを更に蒼火の踵が追撃した。
隙を衝かれて痛手を喰らい、動揺している好機に二撃、三撃と激しい攻勢。
近衛が駆け寄らんとして、周囲に蒼い炎が円形に迸り、その足を阻んだ。
延焼せずにただ壁を張る炎熱で助勢に立てず右顧左眄する兵士、床に倒れて見上げるトライゾンを悠々と蒼火は見回す。足下から上がる戸惑いの声には、愉悦に溢れた笑顔で応えた。
「溝鼠に反抗されたのが意外か?」
「な、何故……動ける……?」
「思考とは反対にしか動けない、だろ?この手錠は。発想を転換させれば、逆に『反対には動ける』って訳よ」
蒼火は口の中に溜まった血をトライゾンの顔に吐き捨てた。
「性質は考えられるモノだとざっと、『反転』、『逆転』か『裏切り』、だな」
「ぐっ……」
「どんな感染呪術の魔装かは知らない。要は意思を望む事と反対に想い描けば、体は動いてくれる……そうだよな?」
あり得ない――トライゾンは唖然とした。
普段の人間ならば、奥底まで己を御せない。
如何に自我を制御しようとも、火廣金は奥底に生まれた感情を敏く拾い上げて機能する。天をも欺く詐欺師であっても不可能な芸当。
しかし、その半生を己にすら虚偽を並べて従わせ、反骨心を叩き折ってきた蒼火にのみ行える荒業だった。
どんな者でも、予想の埒外にある発想であり、実現には不可能という一語以外が敵さぬ状況下で不条理を作り出してみせる。
蒼火が膝を折って倒れる寸前で、紫陽花が抱き支えた。
「泥吉は……?」
「地下牢、まだ無事よ」
「……なら、いい」
「お願いだから、無茶しないでよっ……!」
背中に回された腕に力が入る。
紫陽花の体から伝わる震えに、蒼火は体温を感じながらあの男児の安全を知って安堵した。
まだ失っていない、此所に踏み込んだ時機を過っていなかった。
爪先に力を込めて前傾だった自分の体を立て直し、隣に彼女を控えさせながらトライゾンへと歩み寄る。
「カムイ一族の集落は九年か、それより前に近隣の部族に焼き払われたとか噂で耳にしたが、後で現場に行った時には様子が違ったな」
「…………」
「関節が折れて外れたのではなく、不自然に切断された指の骨。皹割れて片側が破壊された頭蓋、焼死体から失われた舌……」
「……ふふ」
「拷問された後なんてのは、十中八九バカでも判る。近隣の部族に怪しまれる大金を秘蔵してるなんて噂は無いし、犯行に及んだと思しき部族の一人を拷問したが、そんな事実は無かった」
「知っていたんだな」
「言ったろ。お前らが犯人だったとは知らなかった。けど、カムイの重要性を弁えながら襲撃した輩……神族とか天使とか、他に……縁深い神豪とかな」
蒼火の明晰な推理に、トライゾンは嫌味を含んだ笑顔で応えた。
それが正解であると、応答していた。
「貴様らに亡ぼされた大国を、必ず再興する」
蒼火は静かに語る。
そんな彼の狂気に、自身の運命を悟った。
彼を止めるのが、使命であると本能が告げたのだ。
「俺はそんなにカムイの歴史には詳しくないが、母さんからよく寝る前に話を聞かされた。
カムイは神様に滞在を余儀無くされた異界の民。
滞在を絶対にする為に、その中に『勇者』『聖女』『賢者』と三つの宿命を帯びて生まれる可能性を後嗣全員に組み込んだ。
その神に反逆し、いつか故郷に帰る為に『真の歴史を記す書物』と、主神より賜りし三つの『神殺しの宝具』を匿すために、生来から多数の『加護』を身一つに宿す特性を使って、迷宮を量産した。
勿論、善からぬ輩に見つからねぇように贋物を混ぜてな。神に滞在を強制され、自分達では逆らえなくなったから、いつか神を亡ぼさんとする勢力が現れた時の為に。
こっからは俺の推理だ。
大陸同盟戦争で、神に敵対心が強かった魔族を唆して戦争を勃発させたのもカムイだろ?
六〇年前に発生した争いとか宣ってるが、開戦から僅かで神族に助勢を乞うほど中央大陸は疲弊してる。ずっと続いてきた訳じゃねぇ。
誰かが、魔族を利用した、それがカムイ」
蒼火は今になって了解した。
ここに至るまでで、北の小さな村の前ですれ違った男が『異邦の血』と称呼した理由を十全に把持する。
母親が聞かせた『異界』からも、即ち自分達が『異世界』から『神の支配する三大陸の世界』へと踏み込んだ異邦人であると解釈した。
自分達は、“神の世界”の情報を持ち帰ろうとし、それを拒絶された一族。
紫陽花と、広間にいつしか入って来ていた人物は戸惑いに首を傾ぐ。
迷宮――太古に作られた遺跡であり、何者がどんな目的や手法で製造したかも一切が不明とされる。
ただ、その中には魔物が生息し、最深層には絢爛たる宝物や神代の遺物があるとされていると、世界が認識していた。
カムイと呼ばれる一族が、神への復讐として作ったモノ。いずれ故郷に帰る為の布石、語り継いできた兵器の真相だった。
「母さんは言ってたよ。特に『神殺し』については、族長の血筋が行使することで他者を支配し、記憶を都合よく操作し、あらゆる毒に耐性を持つ能力を得る。
代わりに所有する『加護』を差し出してな」
「それでも、不滅の肉体が手に入る」
「その効果を知って、欲をかいた何代目かの族長の愚かな息子が『三種の神器』を収集して出奔し、勝手に築き上げたのが【ベリオン皇国】――そうだろ?
お前はその思想に則って、ただ無敵の肉体が欲しいだけだろ」
蒼火はトライゾンを睥睨する視線を鋭くした。
漸く痛痒から回復した彼が立ち上がり、くつくつと笑って首肯する。
かつて神聖とされた大国を支配した末裔は、その国の成り立ちに備わった邪悪さを帯びた口を狂喜で歪めた。
「ああ、そうさ」
すべてを肯定する一声に、その場の一同が戦慄する。
そして――。
「――どういう、こと?」
歴史の主人公たる、神豪の純血を嗣いだ少女が声を上げた。
× × ×
動揺の渦中にある広間へ進み出た。
花衣は屋敷内へと招かれ拘束された男に興味を持って、扉の前で聞き耳を立てる。その最中で次第に繙かれていく真相に戸惑い、いつしか足を踏み入れていた。
平穏な国を再建する、その一心で歪で手段を選ばぬ卑劣さを持ちながらも進むトライゾン。亡国の恨みも憎しみもあれば、トライゾンの凶行にも少しは納得していたのだ。
しかし、今の話を聞けば事情は標榜した目的とを大いに違える。
カムイ一族を裏切り、興国した愚者。
その所為で、永い間ずっと神を敵意の的としなかった三大陸の歴史が積み重ねられた。
『三種の神器』にもたらされる絶対的な力のみを希求し、その悪意は血の中に引き継がれて世界を苦しめている。
まだ突然の話でまだ理解が及ばぬ部分もあるが、それでも話の筋は把握した。
蒼火は全身を電流が奔るような感覚に悟る。
存続した自身の族長の純粋な血統が目前に現れた。真贋を問う間も無く、目にした姿で正真と納得させられる不思議な力を感じる。
「いまの、話……本当、なんだ」
静寂の中に、透き通る声。
トライゾンは一切の躊躇いなく応えた。
「ああ。
私の父は、君の父の弟だった。
当時のカムイは表層化した二文化の対立の意思を激化させて、中庸にあるベリオン皇国分裂を図った。皇位を継承する君の父親と結託して『神器』を奪取。
そして遁れた君の父は、神の注視を集める為にも神樹の森に住まった。あそこは当時、神の子息の遺体を保管する要所として、常に神族に監視されていたからだ。
その間にカムイが迷宮の最奥へと戻す作業、つまり反逆行為を匂わせる動向を隠す為に」
トライゾンの父ーリュゼは、国を壊滅させた兄ダイキに烈しい怒りと憎しみを抱いた。
だからこそ、反乱軍もとい解放軍を組織していつか皇国の再建を目指した。兄の暗殺さえも企んだが、それを知った闇人暁に壊滅寸前まで追いやられた。
トライゾンは意思を継承し、一から全て組み直した。
二〇年前から神族に反抗の意を見せる矛剴を利して深層の『神器』を入手すべく、炭鉱町シェイサイトの開拓を支援し、二年と数ヵ月前に漸く発掘した。
その奥に普く生命を従える力の呪術書――『神器』の一つたる『蒼鬼』の所在と権能を報せた。そこに闇人優太が居合わせた事のみが慮外の出来事である。
加えて、その書の意味を解さなかった矛剴にはリィテルで使い捨てにされ、カルデラによって魔物を操る術式を破壊された。
皇王のあらゆる毒を撥ね反す肉体を与え、変幻自在に形を変える宝石――『翠鬼』は、ガフマン達によって迷宮最奥から発見された。
神豪を介さねば、ただの光る石であり、今ではある少年の短剣として利用されている。
そして、反逆者を切り捨てる為の王の刃――『緋鬼』。
神代の鍛冶に火廣金で鍛造され、数々の反逆者の聖氣を吸収し、我が力に変換する特性でより強さを増す能力がある。
神樹の根本、そこには中央大陸最古の迷宮が存在する。麓に移り住んだダイキが、『緋鬼』をその奥底、すなわち神の息子の遺体が埋葬されている最深部へと保管した。
今はどういった経緯か、闇人優太が武具として行使している。
「なぜ、闇人優太が所持しているのかは不明だがな」
トライゾンは懐中から水晶玉を取り出した。
掌に乗る大きさだった物が、懐から出た途端に拳四つ分へと拡大する。その中に、戦場を疾駆する優太の姿が投影された。
忌々しげに口許を歪ませ、地面に叩きつける。
「君の父ダイキが、大恩があると闇人暁の隠居を許したのは、私の父が差し向ける刺客から守ったからだ。
そして、君の愛しの幼馴染と出逢う……かな??
どうせ、近衛のフジタとかいう守護者もそれを大層喜んでたんだろう」
花衣は思い当たる節があり、はっとした。
守護者として常に村を守る十人の戦士、その長を務める男に問えば、いつも『“先生”には恩がある』と聞いた。
そして、父もまた優太への追放宣告の際に、彼への恩義を感じさせる言葉があったのだ。
“――貴様が今日まで、神樹の森に滞在できた理由。それは、お前の先代が成した偉業と、ハナエの頼みあっての事だ。”
“――私は、ユウタの師に一生を掛けても返礼の出来ぬ恩がある。その彼が遺したユウタを、みすみす合意も無しに引き渡す事には賛同できん。”
花衣が生まれる前から、彼等は繋がっていた。
親の世代から受け継がれた禍根が、最も苛烈な形として世間を掻き乱している。優太とは違う場所で、また自分も大きな運命の流れの中に在ったのだ。
ただ存在することが使命ではなく、遣り遂げるべき事があった。
あの父が遺したモノに、決着を付けなくてはならない。
「わたしも、“カムイ”……ですよね」
「ああ、そうだな。そして、『三種の神器』は皇族にしか力を発揮しない」
蒼火は自分の手を縛る手錠を揺らして見せた。
「多分、というか絶対にそうだが。
前回の失敗も兼ねて側室とかを東西の混血で体裁を良くする。反抗するなら、この手錠でイイコって寸法だ。その為に、或いはその為の試作として作ったんだろ、これ」
花衣は、ばっと振り返ってトライゾンを睨む。
回復したトライゾンは、平時の剽げた涼しい面を取り戻し、彼女の視線に微笑で返した。頬に付着して固まった蒼火の血を手拭いで消して、縮小させた水晶と共に懐中にしまう。
蒼火は暫し両者を見比べたあと、その眼差しを金色の少女の横顔に固定した。
翡翠の眸からは、陰惨な過去をそこに焼き付けて傷付いた跡があるように感じられる。
噂では故郷を焼かれた事件の跡に、辺境の町に移り住んで暮らしていたが、またそこも失って二年間も命を狙われ続ける生活を過ごした。
もう他人の陰謀などに辟易していた時頃、またしてもトライゾンに拐かされ、その策略の手駒として扱われると知って絶望しただろう。
蒼火は自身に非があると訴える被害者ほど、与り知らぬところで他者の損害を招く言動をしていたと考えていた。
無知は罪。
しかし、この少女は明らかな“被害者”であった。被ったのは父が黙認した彼の過去より浮上した悪意からの追撃。事実を知った人間は、誰も非があるとは言えない。
蒼火は彼女の一挙一動に目を光らせる。
「貴方を沈黙させる武力も、現状を打破する一計も……わたしには無い」
「君は自分を囚われの姫と勘違いしているが、これから私と幸福の道を歩む輝かしい――」
「そんな人形のような生き方に、どんな幸福があるの?何で幸せなの?」
「…………」
「『神器』があれば、貴方だけでも力を行使できる。寧ろ、皇国の象徴として周囲に立てられるわたしこそ目障りでしょう」
「そ、そんな事は……」
「それなら処分すれば良いのに、それもせず優太や同盟軍を呼び寄せる囮にしている」
遮る花衣の一言に、トライゾンは停止した。
今まで小さな声で苦言を呈するしかできなかった弱者が、突然つよく噛み付いて来る姿勢を見せた。
半ば飼い慣らしていたと確信していたが、その手応えを裏切る反応に腹の底で怒りの熱が点る。
「醜い妄執に縋り付いてる貴方こそ不幸な人。寧ろ、『囚われの王子』です」
「…………」
「貴方はただ、嫉妬しているだけ。運命に抗ってきた二代の闇人と、カムイや同盟軍のみんなに」
「……黙れ」
「どんな逆境でも、懸命に立ち向かう彼等が眩く見えた。私の父にこそ恨みがあるのは貴方の父親。貴方には関係無い」
「……やめろ」
「きっと、貴方の父は……貴方に意思の継承を強要したんでしょう?幼かった貴方はそれに従い、そして対極的に自分の意思で進み、大志を抱いて国よりも更に先を見据えた彼等が羨ましかった」
「……もう、喋るな」
「憧れるなら、目指せば良い!貴方は間違ってる、彼等を支配して自分を正当化しようとしてるだけ!」
「――――――黙れェェエッッ!!」
トライゾンの怒号に皆が驚く。
彼は衛兵から槍を引ったくるように奪うと、穂先を前に構えたまま、花衣へと足早に近づく。不吉な予感が脳裏を過った蒼火が走り出そうとするが、足腰がすでに機能せず、紫陽花にもたれ掛かるしか出来ない。
接近する凶刃とトライゾンの脅威に、花衣は退かずに立つ。
先端が喉元に翳され、死が一寸先の未来を鎖した。槍を構えるトライゾンは、ただ怒りだけを感じさせる声音で問う。
「そうだな。皇国の未来は私のみで充分だ。惜しいが、君とはここで別れよう……残念だ、何か言い残すことは無いか?もし命乞いならば謝罪も含めてくれると嬉しいな私としては一考の余地がある程度にはまだ君を許容しているんだよだから惜しければその口から是非とも聞かせて欲しいその命の存続を願う私への服従を絶対なる」
「――言い遺すことは、何もありません」
花衣の声が広間をゆっくりと満たした。
トライゾンの顔から生気が抜けていく。
暫しして、力無い笑顔を浮かべると槍を握る手に力を込めた。
「では――さようなら、愛しの姫君」
槍が喉の皮膚に触れんとする。
死を覚悟して瞑目する花衣と、鮮血を予想して顔を逸らす紫陽花。
近衛や蒼火が見守るその現場が騒めく。
その瞬間。
広間の天井が崩壊した。
アクセスして頂き、誠に有り難うございます。
皆さん、もう夏休みに入られた頃でしょうか。いつまで続くんだよ梅雨!というように思う雨天続きの夏で洗濯大変ですよね。
なので、本作の内容もジメジメしないように心掛けて行きたいと思います!
次回も宜しくお願い致します。




