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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:優太と道行きの麋──下
258/302

復活まで残り……『参』/不吉な襲撃

今回はとても長くなってしまった(いつもですが)ので、休憩を挟みながらでも読んで頂けたら嬉しいです。



 邊俐林の中を進む一団。

 黒衣のカリーナを囲う様な陣形で進む中、先頭を任されたサーシャルは付近に忍び寄る足音などの気配を嗅ぎ取っていた。森林限界の木陰に至るまで【蟻】に支配された林間は、剣呑な空気を孕んでいる。

 情報のみであり、興味関心を抱いた暗殺者たちがカリーナを一目見ようと近くまで来ているのか。どちらにしても、近衛としては不用意な彼等の接近は警戒心を煽る行為にしかならない。

 上連が許可を得て立ち入る事に成功した。

 無論、ここで滞在する予定などなく、休まずに縦断して中央大陸北部へと出る積もりである。

 カリーナは【蟻】を懐柔することもせず、ただ静観する彼等の立場を尊重して、通行の許可のみを求めて上連を遣わせた。暗殺者集団は組織として一つとはいえど、その意思は個々で違う。

 団体がどちらにも傾かないように見えるが、中では既に解放軍への刺客として働く者や、同盟軍を諜報する輩もいる。組織内での抗争のみを禁止されているがゆえに、ここは平穏なのだ。

 カリーナが同盟軍への参加を要請せず、通行許可に留めたのは、【蟻】を一括りで懐に招けば敵の手合いを呼び込む失態に繋がると危惧しての判断だった。

 邊俐林の中は組織の内部も同然。

 ここで同盟軍の中枢たるカリーナに害を為そうと動く人間は、即ち組織への反逆者となる。だからこそ、通行だけならば安全策として採られた。

 しかし、いつ喉を掻き切られるかも判らない。

 膚を刺す冷気に似た殺気が森に充満し、二年間も続いた逃亡生活の中で殺意を“臭い”として感知するまでになったサーシャルとしては、一刻も早く立ち去りたい現場であった。


「サーシャル、顔色が優れませんが」


 セリシアが進み出て問う。

 精緻に整った面差しは、木陰で翳る森でも輝いているように見える。サーシャルは僅かに見惚れながらも、手を振って否定した。


「えっ、ああ、心配するな。久し振りに静かな森で少し懐かしいだけだ。優太が居たら、同じこと言うだろ」

「そうですか。……旦那様は、いま北に居るんですよね」

「そう聞いてるけど」


 カリーナの含み笑いが耳朶を擽った。

 セリシアが振り返ると、彼女は口許に手を当てて小さく微笑んでいる。腹の底から憤怒を滲ませた不気味なそれに、サーシャルは背筋が凍って意識を森全体に集中させた。

 当然のことである。

 同盟軍の命令を無視し、優太は恋人の奪還に向けて敵軍と相見えていた。その剣で幾人も討ち取り、言い訳も出来ぬほどの死傷者を出して突貫する。

 穏便な事態の推移を望んでいたカリーナとしては、計画を台無しにされて甚だ不満でならないのだ。


「無名め、次にその面を私に見せた時は如何に処してやろうか」

「……なるべく、軽く済ませて下さい」

「一生の忠誠を誓わせてやろうか。連帯責任でお前たちも」

「重ッ!?」


 悲鳴を上げたのは掟流(ティル)だった。

 (テイ)は可笑しそうに笑っているが、その額から自覚の無い冷や汗が顎へと滑り落ちる。

 カリーナの人事が過酷であることを、彼女の右腕であるジーデスの惨状から知っているからこそ恐怖する近衛たち。

 しかし、不意に考える。

 戦争を終えた後は、世界の形が少し変わることはあっても、各々の遣ることにも変化が生じるのか。


「サーシャル、お前は戦後どうする?」

「え?明確な予定は無いけど……まあ、故郷に顔見せに行くかな」

「觝は?」

「一度、島に帰りたい」

「セリシア」

「名付けの由来となった土地を訪れたら、また冒険者業に勤しむか、旦那様の給仕として労するか」

「へー、綯伊は?」

「神樹の森で村の再興を」

「ふーん。掟流は?」

「妹や炭鉱の皆に挨拶を」

「妹と結婚しとけよ」

「殴りますよ?……逆に上蓮さんは?」

「俺は【猟犬】の面子と宴会とかやった後に、狩還爺さんとか銕の墓参りして、また冒険者やるかな」


 カリーナの含み笑いに全員が口を噤む。

 彼女の一挙手一投足には、人を扼する効果がある。本人はそれを戦略的に行使し、今までも人々を導いてきた。


「戦後に希望を夢想するのも構わんが、私は事後処理に追われる立場となるんだぞ?」

「あ、ハイ、すんません」

「その時はお前たちも扱き使ってやろう」

「鬼だ」

「悪魔か!?」

「邪神とかだろ」

「……私は構いませんが」

「カリーナ、意地悪」

「これほどにも邪悪だったとは……」

「……意欲があって宜しい。仕事を用意しておこう」


 それぞれが異色の声音で悲鳴を上げる。

 戦後の平和にも、まだ己が為すべき事が残っているのだ。

 安穏と暮らせる日は、まだ遠い。

 カリーナは先刻までの緊張感を忘れている近衛に呆れながらも、故郷の屋敷に帰る自分を想像した。いつか、母や祖母の眠るあの庭園を、無名や勇者、ジーデスと共に参りたい。

 世界の(かたち)が変わろうと、人の心から何かが奪われる事は無かろう。

 神族による支配を破壊した先には、分断された三大陸を繋ぐ和平を築く。

 誰にも語っていないが、カリーナはこのカルデラの血を自身の代で最後にしようと考えていた。知慧の一族と嘯かれる能力(ちから)に頼らない政治こそ望ましい。

 円卓会議の前までは、後世まで中央大陸を見守る所存であった。しかし、闇人暁と優太の惨状、強大な力に左右されて愛する人から忘却された花衣の苦しみ……他にも運命に翻弄された数々の犠牲者を目にして、それは変わった。

 カリーナは運良く、己の道が順調に進んでいるだけなのだと自覚し、その道を築くのに、先人が血肉を注いだのだと悟った。

 戦の事後処理を終え、新体制の行く末を見守った後は屋敷で穏やかな生活を送り、天寿を全うする。一族の重責を苦に思った事はあれど、恨み憎み嫌った瞬間は一度も無い。

 けれども、“一族”や“職能”に関係無い人生が羨ましかった。

 宿命に縛られる事もなく。

 カルデラとしてではなく。

 ただ一人の人間として。

 ただのカリーナとして。

 自分の愛した人々に看取られたい。

 それだけが、カリーナの夢想する将来である。

 ただ、それだけのこと。

 

 サーシャルの耳が、前方から立ち塞がるように近付く足音を拾った。挙手の合図で全員の警戒を促し、弓矢を構える。


「……何か来る」


 カリーナは目を眇めて、闇に鎖された樹間を睨む。【蟻】との交渉の際、条件としては互いに不可侵と不干渉を誓っての同意であった。

 誓約に従うならば、進路に立つ事こそ彼等にとっては約束を反故にする蛮行。

 彼女は暫し考えた後、その解答に辿り着いて長嘆の息を吐いた。前方にサーシャルが聞き取った足音の正体にも心当たりがある。


「これは、やられたな」

「何ですか?」

「【蟻】は既に買収されている」

「……!?」

「組織内での分裂を避けるのが【蟻】の流儀ではある。どちらにも組織全体で加担せぬのが常識、逆にその認識をトライゾンに利用された」

「……つまり」

「個人こじんで、解放軍に雇われた……組織に属する総員がな。私達は奴等に襲撃されぬ道を選んだ積もりだが、解放軍に全体を雇われた【蟻】の懐に悠揚と誘い込まれたのだ」


 木陰から一斉に黒衣が躍り出る。

 サーシャルは弓に番えた矢の数を増やし、闇に紛れて迫る殺意へと放った。命中させようとも、その後方から次々と敵は現れる。

 敵陣の最奥に招待されたと知って、近衛は即座に臨戦態勢を取った。

 樹冠の下の暗闇に火花が散る。

 カリーナは自分が狙われているのだと推測し、周囲を見渡して――違和感に動きを止めた。

 暗中でよく見えないが、敵の攻勢には偏りがある。全方位から差し迫る様に出撃しているが、掟流を狙う勢いがどの方角とも異なる。

 何よりもカリーナが目標であるならば、近衛が拘っている間に樹上から弓矢で射抜くことも可能。だが、未だに射撃を受けない。

 掟流を侮って、彼から近衛の陣を崩さんとしているのではないのだ。

 明確に、疑われぬように彼一人を狙い撃っている。


「一体、狙いは何だ……!?」






  ×       ×       ×





 火乃聿の北方に重点的な防衛線を張り、解放軍の進軍を押し留める布陣があった。参謀カリーナの不在に代わり、赤髭総督が全指揮権を手にして戦地に兵士たちを差配していく。

 中枢に待機していた強力な面々も出張する事態となり、数ヶ月前の同盟宣告以来、綿密に組織された東西の混じる異質な軍団は、初めての戦役に対する不安はあれど、己の役目を十分に理解し、敵影が現れるのを油断なく待った。

 無論、彼らによる奇襲を懸念した赤髭により、北方のみならず飛脚詩音と狩人幹太の能力を活用した偵察を行い、敵の奇襲部隊が何処に潜伏しているかを捕捉する作業は完了済み。

 感知とすべてを看破する視覚、これらを併用した確認を逃れられる術など無く、実在したとしても大軍を匿すには及ばない。

 奇襲に対する防衛として、城塞都市の警備を以前よりも強化し、北方に戦支度を調えた。天嚴に備える筈だった物であり、これは半ば弔い合戦の意味も含む。

 少なくとも、同朋を失ったことに関して、東西の如何や境界線は存在しなかった。


 戦場の最前線で、結は襟足で二つに結わえた髪を活気よく尾の様に揺らして戦場を見渡す。一大組織の頭領として、何よりも長らく事務仕事で参加のなかった戦闘に高揚していた。

 ガフマンとの修行成果を看る為にも必要な作業である。

 しかし、ただの経過観察の為の戦場では無い事を承知していた。これは中央大陸の覇権を争う第二次ベリオン大戦と称して遜色無い。

 漸く解消した東西の軋轢に始まろうとした平和を横柄に自らの手柄とし、後世を己が物と欲する解放軍を討ち果たさねばならないのだ。

 事情に先立って、既に戦を開始した面々もいる。その中に独断で傍を離れた相棒が名を連ねているのだから、たとえ無関係な戦場だったとしても、この戦端への参戦は必至であった。

 是が非でも勝利を収めたい大事。


 隣で木箱に座して北を睨むのは同じ獣人族の明宏。冒険者として、今回の戦に参加している。

 そんな彼は、視線をちらりと同族でも神聖とされた当代の魔術師たる結に移した。戦場では各々の個性、最適な装備と戦法で戦うと弁えるが、こればかりには呆れて嘆息する。

 袖の無いパーカーに下衣(チューブトップ)、膝下までで脛を晒し裾を護謨(ゴム)で絞るカプリパンツと短靴という防御力の低い装い。これで兇刃を如何にして防ぐのか、甚だ心配でならなかった。

 周囲には矢すら徹さない稠密に編まれた鎖帷子の上に重甲冑を着込む者すら居るというのに、彼女にはまるで危機感が感じられないのである。

 今や一軍を与る将としては、あまりに不相応な身形。

 しかし、明宏の憂慮を払拭する防御力が彼女の薄着にも備わっており、それらは防刃性や打撃吸収の特性を持つ魔物の体毛を素材に作られた逸品である。

 それは、冒険者として彼女が苦難に立ち向かう毎に獲得してきた物だった。


 結が暇潰しに糒を食んでいると、隊列を組んだ集団の中を掻き分けて、紅蓮の巨漢が最前線へと躍り出る。最後は人の頭上を飛び越え、盛大に粉塵を巻き上げた着地であった。

 直近に降り立った獅子に顔を顰める結と明宏は、隣から響く哄笑で舌打ちする。

 赤い無精髭を撫でながら、獅子――ガフマンが剣脊の広く中途半端な長さの長剣を抜いた。愛用の武具を片手に、嬉々として叫ぶ。


「神族との肩慣らしにゃ丁度良いわい!我も最近は退屈していたんでな!」

「それは要するに、あたしじゃ退屈してたって訳?」

「むはははっ。実戦が無ければ修行に価値無し。我より受けた教訓を活かせよ、小娘」

「否定しないところが腹立たしいわ」


 隣からの騒音に眉間の皺を険しくさせた。

 この男は最強の冒険者の一人である。残る面子は、実際の名を耳にして驚いかされたのだ。

 先ずは右翼と左翼にそれぞれ一人ずつ。

 呪術師のルクス。あの憎きビバイとの結婚披露宴にて、負傷した相棒を治療した男食い。ガフマンの若かりし頃の同朋とは聞き及んでいたが、大陸では彼と同じ最強に位列する存在だった。

 次に魔導師バルダ。彼は東国の温泉郷にて昆旦と名乗って白豪に隠居してたが、成り行きで幹太達と共闘した人物である。

 実力を秘匿する為に、ルクスに呪術で魔力出力を制限されていた。それ故に瀕死状態まで陥る窮地でも、彼は笑いながら事の経緯を話していた。

 成る程、“最強”とはどこかがおかしい。

 過去にもう一人、最強と名を馳せた人物が居るが、その人は既に死亡している。


「本当にあの変人と胡散臭い男が最強?」

「実を明かすなら、ルクスは魔族であり、昆旦は年齢や姿態を詐欺っとる天狗族」

「天狗族?」

「鼻の長い事以外は容貌に人族と差異無い鳥族。二十年前の内輪揉めで全滅しよったわい」


 結たちの過ごした十数年でも数々のものが失われた。しかし、それは今に始まった事ではなく、誕生前の世界でも生死の理は変わらず循環している。

 ガフマンは、目前で潰えた幾つもの存在に想いを馳せて、間断無く開かれる戦場に臨んだ。それ故の最強、それゆえの【灼熱】。

 いまを笑顔で過ごしているルクスとバルダでさえも、その足跡には血が滲む。彼等が喪失の人生を歩んで尚、この苦界を生きていける所以とは何なのか。

 他者の人生ほど興味の薄い結は、自身でも物珍しいとばかり感嘆するまでに沈思した。同族を亡ぼされて、つい最近には復讐の矛先である<印>の黒幕も絶命したのだ。

 この旅路は進む都度に真実が浮き彫りとなり、新たな目的が動き出す。最初は復讐者として憎悪と、どうしようもなく明日を生きる事に追われた生活ばかりだった。相棒を得て冒険者として始動し、次は軍を率いる大将にまで登り詰めた。

 この手で果たせなかったとは雖も、怨敵は討ち滅ぼされたのだ。

 ならば――いまの(あたし)は笑えているのか。


「我らは皆、ある男の弟子だった」

「弟子?アンタが?」


 結の怪訝な視線に、不快に思わずガフマンは笑う。


「応とも。我の前は、間違いなくあの男の時代だったわい」


 恐らく、その人物も故人なのだろう。

 結はそう察して、質問の口を閉ざした。


「そうら、来たぞい!」


 ガフマンの声が後方全域まで響く。

 彼一人で万の軍に相当する鬨の声にさえなる。

 前方の地平線から凝然と地殻を突き破って上がる様に、整列した敵の軍勢が現れた。大地を踏みしだく足音の輻輳が、巨大な怪物の侵攻かと錯覚させる。

 敵勢はもう目前から(はし)って来ている。

 結は頭頂の獣耳の毛を撫でつけると、誰よりも早く前へと奔った。軍全体が勝手に迎撃へと出動した白影に目を瞠る。

 豪笑したガフマンが長剣を振り掲げ、眼前の景色を切り払うように振るう。


「征くぞ同盟軍、進軍せよ!!」


 第二の鯨波が天下に轟く。

 首都の北方より現れた敵軍を掃討すべく、ガフマンに続いて同盟軍が走り出した。互いに全滅させんと息巻く気勢の両者は、まだ遠かったはずの彼我の間隙をみるみる潰していく。

 結は既に敵の先陣に飛び掛かっていた。

 馬の鼻面を踏み締めて、突きだした踵で騎兵の一人を蹴り落とす。鞍に飛び移ると、更に上へと跳躍した。

 頭上高く跳び上がった少女の影に敵兵の視線が募る。宙を舞う美貌に呼吸を忘れた一瞬の後には、彼女の周囲に顕現した白銀の剣によって斬り裂かれた。


「擬・魔術《信心の剣》」


 自由自在に飛び舞い、敵陣を蹂躙する七本の剣は切り裂いた者の魔力を吸収して、より大きく成長する。再び主の下に還ったときには、大盾に見紛う太さの剣脊を作る怪剣と化していた。

 投じられる長槍を撃墜し、防御としての役割も両立させる。反り血も浴びず、その足下に血の海を作ってなお純白を思わせる姿に、兵士たちは『白き魔女』の通り名に納得する。

 これが二年前から世間を騒然とさせた問題児、一度は国賊に堕ちながらも一軍を統率するにまで至った極めて異端な少女。

 そんな結に味方の兵士は、しぜんと畏敬を胸にしながら、不思議な昂りに衝き動かされて雄叫びを上げる。

 結は魔法で気流を操作して滞空すると、その場で発生させた風を弾丸の形に固定させた。全方位への散弾として照準も合わせず一斉掃射する。

 撃たれた者は頑丈な鎧もろとも空洞を体に作られて倒れ、外れた弾丸は着弾した地面で盛大に爆ぜ、水柱さながらに塵を噴き上がらせた。


「《風唸り翔る礫(ワイバーン・ショット)》!」


 恐怖で足を鈍らせるに足る風の散弾。

 凶悪な砲門へと自らを変換させた結にも、だが解放軍は止まらずに剣で襲い掛かる。臆する心は出陣前に切り捨てたと言わんばかりに、鬼気迫る表情で肉薄していた。

 命を擲つことすら躊躇わない戦士の形相は、如何なる兵をも圧する勢いがある。

 それでも、結は獰猛な笑顔で対した。

 掌中に炎の球体を複数現出させ、無造作に下へと投げ放つ。

 

「《迸る炎の行進(クリムゾン・パレード)》」


 彼女が唱えた途端、地面に着弾した炎の球体が巨大化し、鎧も馬も焼き焦がしながら転がり続ける。炎の進撃に対し、解放軍の後衛として控えていた十数名あまりの魔導師が応じた。紡いだ詠唱と共に生成される水の防壁に止められ、蒸気を発して消滅する。

 空中を旋回していた白銀の剣の剣脊に乗り、戦場を上から見下ろして結は冷笑した。

 何人も魔導師を束ねたとて、体内に保有する魔力が常人とは桁違いである結の攻撃を止める事は適わない。

 解放軍には、一人ひとりが高度な技量を有する魔導師が所属している。その事実を知ったとしても、結の顔には依然として余裕の笑みが鎮座した。


「活きが良いのが居るじゃねぇか。それがオメーの見つけた新時代か?

 ――ガフマンよう。」


 戦士たちの咆哮で充ちた空間に、奇妙にも透き通る声がした。

 耳にした者の動きが止まる。

 結さえもが停止し、誰の声であるか戦場を見渡して探った。

 誰もが止まった状況下で、ガフマンだけが正体を察して蒼褪める。


「同盟軍――――下がれ!!」


 彼から発せられた忠告。

 その時、両軍構わず大気に奔った大振動に地は皹割れ、爆発し、夥しい人間が空へと散った。





  ×       ×       ×




 強烈な乱気流によって巻かれ、空へ飛沫の如く散る夥しい兵士。戦野を駆け巡る蒼銀の竜巻を何人たりとも止める事はできない。

 魔のもたらす災禍の前に、風を受けて耐えられる者などおらず、仮に接近を許されても、数瞬の後には猛々しい蹄で踏み伏された。

 森林を勦討する竜巻とは別に、兵団を斬り崩していく人物がいる。手に提げた黒刀の一閃より放つ紫電は、一斉に数十もある兵数を殺ぐ。

 撹拌する暴風と、断ち斬る凶刃。

 二つが結託して襲い来る現状に、強固な信念で討滅せんとした兵団は足を挫かれ、遠目に戦況を窺っていた後衛は離脱を図る者さえ居た。

 踏み均すイタカの災厄は、自身を狙う銃弾や矢の悉くを防御する。渦巻く風は鋼さながらの硬度な壁に似た力を有した。

 その前進を阻む障害として、分隊長たる猛者が挑み、そして敗北と共に真紅の絨毯として踏み敷かれた人は数知れず。

 蹴り上げた砂塵さえも、竜巻の強風に乗れば一種の弾丸となる。イタカを中心として全方位へ不規則(ランダム)に射出され、回避もままならず凶弾に斃れた兵の屍が積み重なった。


 敵陣を蹂躙する優太は、周囲一帯を害意一色で染め上げられた戦地を臆さず前進を続ける。

 無謀、短慮、蛮勇と嘲られる行動も――しかし、彼に対して必殺を確信して攻撃した者は返り討ちに遭うばかり。

 どんな方角から奇襲を仕掛けても、槍の穂先は空を切り、矢は味方を射止め、剣は鋒の向こうに敵影を見失う。

 氣術の『認識能力の拡大』を最高水準にまで練磨させ、未来視を開花させた感覚は次々と脅威を報せた。

 滂沱と脳内に流れ込む情報を速やかに、そして冷静に処理して実行する。

 回避と同時に反撃の一手を繰り出し、討ち洩らしを一つたりとて残さない。

 前後から突き出された戦槍の挟撃を、それぞれの穂先に『緋鬼』と紫檀の杖で横から押して静かに軌道を逸らす。

 仲間を刳ってしまった手応えに狼狽えた両名に向け、槍の下を掻い潜るように懐へと入って喉元に一閃した。

 血を振り撒いて倒れる敵を蹴り倒し、同時進行で氣術の『身体能力の強化』を最大まで高める。前に相手を蹴り倒した足で踏み込みを極めると、そのまま掌底を突き出した。

 優太の手は大気を摑むかの如く、前方にあった空気自体を押し出して兵隊を圧迫する。

 不可視の硬い壁が激突した錯覚に隊列が狂い、遅れて総身を殴打する衝撃波に吹き飛んだ。


「邪装――黒鴞(こっきょう)


 優太の声に呼応し、邪氣が闇色の軽甲冑となって体を包み込む。梟の面甲と翼を象り、あらゆる攻撃を斥ける最上の防具と化す。

 跳躍すると翼を行使して滞空した。

 振り仰ぐ数多の兜や面に向かって、仮借無い飛ぶ剣閃を見舞う。凶器の驟雨に悲鳴を上げて血煙を辺りに濃く煙らせる死体の数が凄惨さを増していく。

 最後に邪氣の羽を一帯に発射させた。

 地面に突きささったそれぞれが、先端を幾つにも分岐する鋭利な杭へと変化し、森の一劃に新たな黒い林を創成する。


「黑氣術――黒竹(こくたけ)


 暗黒の竹林に命が散華する。

 地面に降り立つと、竹は黒い粒子となって霧散して体に吸収された。杭から解放された死体が続々と地面に仰臥する。

 優太は自分の拳を見詰め、微かな笑みを浮かべた。いつ死ぬかも定かではない、一対多勢の無謀な挑戦、間髪いれず振り掛かる死の波頭を凌ぐ作業で精神が満たされる。

 その都度に、突き詰められた氣術の腕がより先へと進む感触が得られた。

 朧気であった正体不明の極致――“仙術”と呼ばれる最高到達点が()える。

 しかし、そこに師の影は未だ見られない。もっと先に彼は居る、もっと、もっと先に……。


 背後から、斧槍で薙ぎ払おうとする大男が現れる。刃は風の魔法による援護を受けて、岩壁すら破砕する威力を以て振り翳された。

 優太はただ動かず、その場で背を向けたままの体勢で『緋鬼』を構える。その目もまた、前方のみに向けられていた。

 隙と見た大男が満を持して渾身の力を乗せ、腕の血管が裂けんばかりに筋肉を膨らませて振るう。


「イタカ」


 優太が直撃寸前で静かに名を呼ぶと、凶刃との間に蹄が割って入った。斧の柄を踏み押さえ、大男を至近で睨め下ろす。

 叩き伏せられた風の斧槍は地面で炸裂し、周囲を吹き掃うように拡散していく。

 蒼銀の炎を纏う脚に妨害され、大男が手元に乗しかかる重圧に、厳つい顔を苦し気に歪めた。


「貴様は正に、人道を外れた怪物。人を殺めるのも躊躇わぬ輩に、花衣様を求める資格など無い!!」


 大男の発言を聞き咎めた転瞬、身を翻してその頭部を優太が鷲摑みにした。兜の上から五指が食い込み、金属がぎしぎしと悲鳴を上げる。

 外部から途轍もない圧力を受け、(ひさ)げそうになり、斧槍を手放して兜を脱ごうと金具を外す大男だったが、優太の手は逃さない。

 全方位から助太刀の為に躍り出た敵兵を、イタカの乱気流が弾いた。踏み込んだ足を掬われ、内臓を乱打する不可思議な風に退けられる。

 優太がまた一人、軍隊の中枢を仕留めんとする様を傍観する他は許されなかった。


「黙れ……花衣は、誰にも渡さない……!」

「この、鬼め……」

「邪魔なんだよ」


 兜の下で血が弾けた。

 保護していた大男の面が内側で圧縮され、歪な肉塊となり、庇の下は流血の氾濫が起きている。優太が手を放せば、大男の体も均衡を失って地面に伏した。

 血溜まりを作る体を足場にして跳躍し、優太はイタカの背に飛び乗る。隊列の瓦解した兵団を睥睨する視線は、次に狩る命を探していた。

 猛威をふるう死の脅威に対し、部隊の各隊長が一点に集う。武器を構えて躙り寄り、緊張に顔を強張らせながらも踏み出す足は恐怖を振り切っていた。


「貴様もまたこれから打ち砕くべき神代の遺物なり!」

「これより先は人の時代!」

「新たな皇族、トライゾン様と花衣様を筆頭に」

「我らが作り出す時代の為に」

「貴様の犠牲を」

「新時代の血肉と致す!!」


 優太の右目が断続的に真紅へと変色する。

 沸々と内側に起こる憤怒が作用し、その殺意をより苛烈にさせていく。


「アンタらが、どんな矜持や信念を掲げようがどうでも良い。自由にすれば良いさ。

 でも――」


 優太が手を翳すと、近辺に踞っていた兵士達が一斉に破裂した。鎧の内側から肉片が飛び散り、近くの兵の鎧に貼り付く。

 不可解な現象と仲間の不審死に恐怖は伝播し、敵を包囲していた槍衾の輪が大きく後退する。優太を乗せたムジカが歩を進める毎に、人命の数は減った。

 隊長たちも我知らず後退りし、眼前の怪物から放たれる迫力に気圧されて息を呑んだ。無尽蔵に敵の命を食らう少年は、全く体力の衰えなどを見せない。

 幾ら質の高い兵数を束ねたとて、闇の一足を阻むには不足に過ぎた。


「彼女を欲する僕の想いだって自由だ。アンタらが邪魔立てするなら、殺して進むのは必然の理」

『貴様らなぞ踏み砕いて、恷眞の平穏の礎としてくれるわ!』


 優太はイタカの背を蹴って、隊長のみで組まれた先陣へと飛びかかる。喉を食い破らん狂犬に似た勢威で挑み、一人、またひとりと討ち滅ぼす。

 如何に防御しても、甲冑の隙間やわずかに生まれる防御の手薄な部分から、軟体の触手みたいに剣が急所を刺す。

 抵抗も虚しく、優太が駆け抜けた足跡は死屍となって刻まれる。正に死神の通り道がそこに舗装され、周囲からは敵意でなく、だんだんと畏怖へと変じた。

 伝染していく感情の色を機敏に察しながら、優太は臆する兵士を無視して疾駆する。


「本拠地まで、あと少しだ」

『本番で倒れたら承知せんぞ、人間!』


 森を突き抜けて、両雄は怨敵の懐へと不敵に切り込んだ。



 彼等が目指す本拠地の地下でも、また一つの意思が来る戦闘に向けて、己を研ぎ澄ましていた。すべてが氷結する凍土の中で、その空間だけが夏の熱気を帯びる。

 素早く交錯する拳足は、躊躇い無い力を乗せて放った凶器だった。

 仁那は脇腹を打った相手の掌底に脚が痺れに揺れ、一瞬だけ生じた隙に次なる蹴撃が顎を強かに撃ち抜く。一手を許せば、あとは敵の為すがままとなってしまう。

 今までならば、そうだった。

 暁が攻撃で振り上げた脚を、そのまま踏み込みの足に転用し、腰に引き絞った拳固で上に弾き上げられて無防備な仁那の胴を突く。

 その寸前で、振り掲げた彼女の膝に受け止められ、着地した仁那はそのまま翻身し、足を踏み替えるように後ろへと振り上げた踵を暁めがかて放つ。

 暁は頬を掠めるほどの紙一重で躱しながら、その攻撃に合わせるかの如く、既に回し蹴りを仁那の頚に照準を定めて振るっていた。大振りの攻撃後で防御反応もし難い、洗練された反撃に仁那は瞠目する。

 半ば条件反射で動いた体が、暁の脚を受け止めた。少しずつ動きに付いて行けている実感を得て安堵したのも束の間、彼が半身を煽って振り払う第二の脚が脇腹を捉えた。

 足元がふらつき、前に姿勢が崩れる。

 その寸陰を容赦なく暁の打撃が衝いた。

 最後に受けた突き足で後方へと転がり、床に草臥れた仁那に乱れた襟を正した暁は歩み寄る。


「初期と比較して良い動きだ」

「そ、そうかな?」

「先を予測する体が完成直前だ。慣れてしまう前に、少し出力を上げて更なる向上を目指そう」

「え゛……音無さん、また速くなるの……?」


 立ち上がった仁那に、暁は再び構える。

 確実な進歩を得る為には、時間を惜しんで修行しなくてはならない。皆を守る事に専念した拳を特定の誰かを目標として掲げて鍛えるとなれば、その成長はかつてない速度で果たされていた。

 彼女は当面の目的である優太の姿を思い浮かべて、床を蹴って彼に肉薄する。

 彼を止める――進み過ぎた、道を見失った彼を引き戻す為に。


「やれる所までやるよっ!」

「能う限り足は地面から浮かせるな。常に最速の一足を意識しろ」

「ぶッ、ぐぇっ!?」


 段違いに加速した暁の攻撃に、仁那は白目を向いた。

 これにて、二一四回の敗戦である。


 この拳が交わる音が、地下牢に響き渡る。

 地下で脱獄や先行きを諦念していた囚人たちの耳にも明るく聞こえ始め、彼等もまた動き出す。

 不意に地下牢に囚われても諦めず、留まってまで何かに向けて己の技を昇華する意気込みが、地下に波及させた熱気で戦士たちを奮い起たせる。

 錆びかかった剣を、再び鍛え直すかの如く、熱が刀身たる戦士の肉体を白熱させる。

 錆を落とし、鍛え上げる準備は整い、以降は己の意気次第。仁那のみならず、地下牢のそこかしこで錬鉄を叩く戦士の調律が重なりつつあった。

 しかし、快く思わない人物も居る。

 特に隣室では、静かにその憤懣が大きなうねりを生んでいた。

 刃先に微かな熱を孕みながら、それでも凍土の底で冷えきってしまった戦意は、仁那への憎悪へと変換されていく。


「希望なんか、ないじゃない……」


 第二次ベリオン大戦――終盤戦の幕が上がろうとしていた。





アクセスして頂き、誠に有り難うございます。


伏線回収を行いたかったのですが、筆の勢いに委ねていたら、こうなっていました。

本音を語れば、先に進めるべき話題があっても仁那が修行で強くなる描写を書く方が楽しくて、つい書き足してしまいます。ユウタVSタクマ戦を書いている時よりも筆が進みます……。

実際、第二部は仁那の物語なので、彼女主体で書きたい。


しかし今の章(優太と道行きの麋――上・中・下)は、道を見失った優太が何処へ行くのかを主題にしているので、彼を蔑ろにはしたくない。

次いでに蒼火やグラウロス、飜と呀屡もハッピーエンドかバッドエンドかも脳内で最終会議中です。

個人的にトライゾンは嫌いなキャラ(として仕立てた人)なので、嫌らしい人間として露骨に書いています。


今章はユウタがメインですが、基本的に皆(中央大陸)の迷走を終結させる為のものでもあるので、頑張って書き進めたいと思います。


次回も宜しいお願い致します。





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