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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:優太と道行きの麋──下
257/302

雪降りしきる庭園の取引



 地下牢の修練は、想定の範疇を逸していた。

 先ず、対闇人に行われる暁を相手にした組手。優太の場合は未来視を行使する戦法として、彼もまた同様の氣術を使う予定だった。しかし、まずは基礎として闇人の体術に順応すべく、内容は純粋な肉弾戦である。

 目標との実力差は考慮しないとしても、彼が手加減と嘯いた体捌きは、結果から述べると仁那を圧倒している。

 例えるならば、赤子のごとくあしらわれた。

 未だ暁に有効打を与えられた機会が一度としてない。触れる際には、一方的に彼ばかりである。そして、仁那の心中では接触は敗北と同義という認識になりつつあった。

 これでは、氣術で予測される云々を考慮する以前の問題として、真っ向勝負では勝機無しと残酷に告げられているも同然。


 仁那の体術の流儀は、相手の重心を撃ち抜く。

 相手の攻撃を躱し、同時に自分の拳足を叩き込む。己が膂力に相手の一撃の威力が加算され、より致命的な一撃を与える。

 そして、相手をその場から退かせる、体勢を崩す事が目的の拳法。

 さらに、単なる打撃ではなく、内側に伝播する波紋の如き一打を加えること。相手が頑強な甲冑を着込んでいようと、鋼の上から肉体を貫く打擲を真髄とした。

 つまり、後先構わず敵を叩くのが初動。

 闇人は相手の予備動作から先を読み取るため、仁那より先に動く。故に、仕掛けてしまえば仁那が手足を取られてしまうのが常に敗因だった。

 これに従い、闇人に対し、真に先手を取る手段は一つとなった。

 闇人から先に動かせ、迎撃の体勢を構える。なお、打撃に於いて急所を正確に突く闇人の膂力自体は、通常の人族と差異が無いとはいえど、無防備な胴に受けると痛打となる。


 この攻撃への対応策を考え続け――彼女の修行は二日が経過した。


 邀撃態勢で構える仁那。

 彼女へと低く床を馳せる暁。

 内懐に踏み込まんとする寸前で、仁那が足払いを仕掛ける。無論、避けられると想定した初手であり、既にもう頭を庇うよう腕を掲げていた。

 予測通り、跳躍して足下を薙ぐ仁那の蹴りを飛び越え、膝を側頭部めがけて突き出している。


 “――これを防御した後、足を摑んで動きを止めたら、わっせの拳を腹に叩き込む!”


 いざ防御した腕の上に膝が触れて――違和感を抱く。

 強い打撃を予想していたが、全くその衝撃が身体を襲うことはなかった。替わりに、胴を踏み締められる感覚を得る。

 瞠目した仁那が視線を巡らせる。途中で攻撃を停止させた彼が自分の上に立っていた。

 唖然したのも束の間、一瞬の後に体を半回転させて放たれた踵が、仁那の後頭部を強打する。横合いからの攻撃に構えていた故に、後部からの打撃には脆く、脳が激しく揺すられた。

 脳震盪の鈍痛と目眩に短く息を吐く。

 途絶直前の意識で、今度こそ顳顬を爪先で打たれ、仁那の目に意思に関係無く暗幕が降りた。


 これにして、百度目の敗北を期した。


「仁那、立てるか」


 呼び覚まされた仁那は跳ね起きた。

 飽くほど見た天井を仰いだ光景だが、復活する度に激しい驚悸で身が痺れる。横に屈み込んで覗いてくる暁の顔に安堵した。

 背中に添えられた彼の腕に甘え、体重を掛けて間の抜けた声と共に疲労を含んだ息が吐き出される。

 いつしか、手錠が両手に嵌められていた。

 細部にまで心を配るトライゾンの視線を躱すには、相応の偽装技術を要する。その上で弊害となるのは手錠と監視の罠だった。

 魔法や呪術には知識だけで実際的な技能が備わっていない仁那は、暁の能力に倚籍する他に無い。

 暁の仙術により、修練の前後で破壊と再生を繰り返すことでトライゾンの目を欺いた。

 室内に仕掛けられた監視用の呪術的な罠への対策は、もはや余人に真似は能わぬ術である。

 常時発動している罠の基部に触れ、仙術で内容を書き換えて大人しく拘束された仁那の偽造した情報を送信する。

 更に戦闘の痕跡を消す為に、暁からの治癒を受けた。

 その際、祐輔の沈黙が暁の手によるのだと知る。数ヵ月間の共闘で、仁那の身体は『四片』の中で最も親和性が高く、無意識でも体の各部に強化を行っている傾向があった。

 純然たる仁那の身体能力を高めるべく、暁が自身の接触によって封じたのである。


 暁の力を恃みとした安全性の中で修行する仁那だったが、彼女としては奇妙な感覚だった。

 誰かに教授される体験は、これにて二度目。

 絶望の淵から救った侠客に護身術を学んでから、誰かではなく己の旅路で学び、ただ実戦でひたすら練り上げた。

 これから打倒する敵の師から学習する。

 実力差の所為で、なにかを会得する前に意識を断たれている気がして、進歩しているか全く判らないのが現状だった。

 唯一、成長点として自認しているとすれば、何をされて倒れたか、情けないものの敗因が判る事だけが救いである。

 しかし、本人は知らぬ間に闇人へ対応する神経が完成しつつあった。敗因が判るという事は、優太が自分を倒す手の内が読めるのだ。

 斯くして、無為に思えた仁那の組手は奇しくも成長に繋がっていた。


 続いて、戦闘で主要戦法となる聖氣。

 仁那の聖氣の操作法について、暁が提示できる方法は一つしかなかった。

 黒印に仕込んだ僅かな邪氣しか無く、何より実際に聖氣を操作した経験が皆無である暁には、元より実践的な事を教示する事は適わない。

 故に、あとは仁那自身が突き詰めなくては、優太に対する切り札の作成に勝つ事は夢見物語となる。

 だからこそ、仁那は講義じみた説明にも、真剣な姿勢で取り組むことにした。暁も仁那の要望に応えるべく、環境を整える作業にも協力する。

 それ故に最も集中力の養われる――暁の膝の上に、彼女が座った時点で、聖氣の解説が始まる合図となった。


「仁那」

「えへへ、なに?」

「聞いているのか?」

「うん、もちろんだよっ」


 声音から滲み出る色は、真剣とは程遠い。

 暁もその様子には始終困惑を強いられた。集中力を高める対策が、ただ彼女を甘えさせる機会にしかなっていない。

 それでも、講義後の反復を行わせると、仁那は内容を確りと記憶していた。どうやら、提示した手法についての正誤に関しては問題が無いと判って彼も安心したのである。

 今宵も暁は、膝の上で自分にすり寄る少女の行為に疑問を覚えながらも、滔々と聖氣について説く。


「聖氣は肉体の保護を第一とする。

 故に、防御に用いれば何よりも硬い。転じて、聖氣を展開した肉体の攻勢は、高い攻撃力を有する」

「そうなの?」

「……以前も話した」

「んふふ、わかった!」

「…………」

 “――疑わしい。”


 却って記憶力の低下を招いているかの様に思え、暁の顔が当惑から猜疑へと変わった。

 弟子以外の子供とは接してこなかった所為もあるが、響以上に深く接した女性もいない。故に振りほどく術を知らず、ここに来て祐輔の封印を憂いた。

 暁は彼女から身を引かずに続ける。


「聖氣は個々の肉体で性質が異なる。即ち、外部から別の聖氣に攻撃されると致命傷となる。外観以上に、内部の破壊が果たされる。

 仁那の体術と併合すれば、破壊規模はより広くなる」

「うんうん」


 聖氣の強化は二段階。

 ひとつは、高密度の聖氣を練り上げて解放した部位は、鋼の如き光沢を帯びる。

 別の聖氣による外的攻撃を防ぐ盾になるが、相手の攻撃に用いられた氣の密度よりもこちらの密度が高ければ、攻撃した敵の肉体が崩壊する。

 逆も然り。相手が自分を凌駕すれば、その威力は反ってくるのだ。

 それを一段階、上に究めると聖氣を体外に放出した形態となる。

 仁那が戦闘時に行使する『仁那・破邪の型』では、既にこれを伸縮する腕として再現していた。

 しかし、熟達した者は聖氣を完全に肉体から分離させ、武器や様々な物の形へと変える。

 仮にこの状態の聖氣で敵に接触させると、内部に侵入してより広範囲の肉体を食い破る毒と化す。

 より毒性を以て強力となった聖氣は、邪氣を多く含有する肉体の闇人や、自身よりも遥かに高密度な聖氣を保有する相手にも有効である。


「聖氣を解放させるには、三つの例がある。

 一つは、互いに均衡を保った『四片』を取り込む。これこそ全身の聖氣を解放させる唯一の手立て。

 二つは、仁那や赤獅子同様に、瀕死寸前までの修羅場を幾度も経験させた上で鍛えた肉体。先述の物に匹敵せずとも、一部を開花させれば充分に強力だ」


 暁は上階から降りてくる人の跫を聞き咎める。

 仁那を膝の上から抱き下ろし、牢屋の中の薄闇へと姿を透明化させていく。


「えっ、音無さん!三つ目は!?」

「ああ、三つ目は――」


 暁の姿が消えた。

 仁那は不満の唸り声を上げたが、鍛練後であるという痕跡を消すべく、服の乱れを直して寝台に横たわる。

 三つ目の解放する手段が何なのか、次回に問い質すべく、そして再び膝上に座して満喫すべく、今日の内容を復習した。







  ×       ×       ×




 滾々と地上に現出した“黄泉國の汚穢”は、約一時間も現世を汚染した頃に、漸く静かな消滅を始めた。原因は泥の出現が一過性の現象ではなく、今回で泥の内包した戦士が全滅した事に限る。

 正面に立つ最後の矛剴の亡骸へ、優太は『緋鬼』の鋒を突き立てた。胸骨の隙間から心臓を射抜いた刺突は、死者の体を黄泉の呪縛から解き放つ。

 刃先から刀身内部に宿る聖氣を放出し、内側から肉体を爆発させる。身体は泥を噴き出して袈裟懸けに裂かれたかの様に割れ、まだ優太への攻撃を諦めまいと手を伸ばしながら倒れ伏した。

 最後の敵を討滅し、その場に膝を突く。

 優太は肩で息をするほどに疲弊し、支えとして地面に突き立てた『緋鬼』に縋り付いた。黒水晶の刃の上を滑り落ちる泥が、地面へと染み込む。

 敵はトライゾンだけに留まらず、殺められた死者までもが自分を攻める。たとえ相手を滅しても黄泉國の死者として復活を果たす。

 優太の周囲で、終わらぬ戦の連鎖が起きていた。

 尽きない悪意を前に、ただ剣を揮うだけ。

 終わりがない、夢見た終幕との距離は縮まらぬどころか、より遠退いていく一方だった。どれだけ自身を血で染めれば、幸福の在処へと辿り着けるのか。

 夜空に萌芽する黎明の太陽に似た琥珀色の瞳は、いまや途方も無い敵意との対峙にくすみ、そして濁っていた。


 優太はふらりと立ち上がると、周囲を顧眄した。

 屠った敵の残骸も、血を滲ませた雪まで戦闘の痕跡が“泥”によって平野の上から浚われた。生命も槍などの武具も、すべて奪い去った怨念の波が残り香を大気に未だ瀰漫させているかのように空気が重く淀んでいる。

 だからこそ、夜闇と災害の傷痕に暗鬱とした空間の中で、微弱に揺らめく翡翠の烽火を発見できた。

 地に横臥した白馬へと、優太は『緋鬼』を鞘に納めると、疲弊した体を引き摺って、その側に腰を下ろす。微量ではあるが、“泥”に冒された部分が膚を刺す疼痛を発した。

 戦闘中に急激な衰弱によって行動不能となり、地面に倒れたムジカは、その解放させた聖氣の加護によってか、“泥”に取り込まれなかったのである。

 黄泉國から遣わされた数多の刺客を討伐し、優太が兄弟対決に(かかずら)っている合間、闇人へと集中的な敵意を差し向ける勢力を削ぎ続けた。主に今回の急場を凌いだ戦果は、彼女の尽力に限る。

 原因不明の戦闘不能――力の酷使となれば配慮の足らなかった己の不覚ではある。過去に普段慣れない大量の邪氣を行使した影響で、全身を凄まじい負荷に破壊された経験がある優太としては、その可能性を一概に否定はできない。

 それでも、要因がそれのみでは無いと思えて仕方がなかった。過酷な戦況に遭遇するよりも前から、何かを負っていたのではないか。


 優太は腕でムジカの頚を抱き起こす。

 吐血に濡れて咳き込む彼女の口許を手拭いで拭おうとするが、頭を振って拒否された。自力で立ち上がるのも困難な体は、その逞しさとは裏腹に全身が萎えている。

 外傷の無い純白の体躯の所々から、皮下より血が湧き上がった。触れてもいない部分が風に撫でられるだけで破ける濡れ紙のごとく。

 その様を見て、内部からの崩壊と察するのは容易であった。


『貴方の所為ではないわ』

「原因が何なのか、判るのか?」

『我が子に、地位と力を譲渡したから、としか』


 優太は愁眉をいっそう険しくさせた。

 ムジカを抱いた腕も、出血で赤黒く染まっている。刺激せぬよう、ゆっくりと地面に置いた。

 視線はいまだに力強く、優太を仰いだ目はそれだけで幾人もの強者をひれ伏せさせる威圧を放つ。

 共闘者にもその迫力を向ける気勢に、優太は漸く険相を崩して苦笑する。


「力の譲渡……?」

『貴方が“聖氣”と呼ぶ私の力は、代々我が血筋で譲渡してきたモノよ。此度の戦闘で私が用いた物は、その残滓に過ぎない』

「聖氣は……譲渡可能なのか」


 闇人の体構造は、邪氣の吸収と保有、蓄積を延々と繰り返す。死者から奪い取り、また体外に放出させた邪氣は必ず体内へと還る。力の大きさ故に、使用量を誤れば肉体への反動は大きく、回復も遅くなった。

 肉体から分離させても、必ず帰還する。

 この法則から、聖氣もまた個人から離れずに再生すると考えていた。絶対に断てぬ糸で繋がれ、死に瀕するまで永劫に宿る。

 だが、優太の予測は大いに覆された。

 聖氣は別個体へと継承する事が能う力――その新事実に絶句する。


『己が“聖氣”を与える事で、対象の中に眠る力を覚醒させる。私とは異質ながらも、我が息子は同じく“聖氣”を解放させた』

「外的な刺激、か」

『しかし、譲渡後に……その“聖氣”を保持していた者が死するのは定め』


 強大な力を譲る故の反動。

 肉体を司る重要な器官とも呼べる聖氣を他者へと与える、それは心臓を捧ぐも同断。命を引き換えにした継承方法が、ムジカの血統では自然の摂理とされている。

 闇人が後代の鍛練に余命を費やす事もまた、彼等が全うすべき最期と同じなのだろう。

 些か憐憫の情を禁じ得ず、注いだ視線に滲んだ僅かな含意を察してか、ムジカは冷笑に似た鼻息を吐く。


『時代の遷移に適する為に選んだ手段。我ら魔物に限らない、哀れまれる道理は無いわ』

「済まない。そんな状態で戦闘に参加させてしまった」

『解放軍とやらが邪なる者であるのは事実。共闘は必然よ。それに、貴方を見定める為でもあったわ』

「僕を……?」


 怪訝な視線を投げ掛ける優太の前で、ムジカは苦心惨憺としながら立ち上がる。隣から補助することで漸く直立姿勢を維持した。

 離れるよう指示し、充分に優太が距離を置いたことを確認すると、全身から周囲の地面へと燃え上がる翡翠の火を熾し、その場で天高く上がる火柱を発生させる。

 物理的な現象とはまた異なる熱風が吹き荒れ、優太は風圧に数歩も後退させられた。

 何かの信号か、命の火を最後に散らす勢いの後に、ムジカは俯いたまま動かなくなる。駆け寄った優太が下から覗くと、まだ生きていた。


『貴方もまた強大な勢力の一つ。なれば、害悪か否かを見極めなくてはならないのよ』

「……僕は、ムジカ殿のお眼鏡に適ったかな?」

『ええ。及第点ね……()()は信号よ。私の息子を呼んだわ……信頼に足る人間と判断した上での、ね』


 優太は一歩身を引いて、一礼した。


「必ず解放軍を壊滅させる」

『一時的ではあるけれど、貴方と我ら恷眞軍の同盟を認めます。後は……好きになさい。息子はまだ十にも満たぬ齢、礼節は弁えているけれど、至らぬ点は目を瞑って』

「承知した」

『後は……頼んだわ』


 ムジカの体が脱力する。

 それでも、四肢はしっかりと地面を踏み締めていた。直立したまま生を終えた彼女の王としての威容に感嘆し、届かぬとしても優太は再び黙礼する。

 これまでの旅路で魔物は人命を貪る者、純粋な邪悪として魔物を見ていた。

 しかし、縄張りを守らんとして解放軍と戦い、中には地位を譲った弱体であろうと最期まで戦う誇り高き勇士が存在する。


 ムジカの“信号”から屡々、異界と混ざり合った後の戦地に、地面を蹴る蹄の音がした。その跫が彼女の鳴らす轟きに似ており、優太の胸裏に僅かな安堵が芽生える。

 母親にも優る威厳を響かせて参じたのは、対照的な黒い麋鹿だった。体高などは届かずとも、その体は巨大である。

 巨大な角、鬣や尾、蹄冠から球節にかけて雄々しく燃え上がる蒼銀の火炎は、ムジカに見劣りせぬ火勢を見せていた。


「君の母君から、魔物との一時的な同盟を認められた」

『塵芥、名乗ることを許そう』

「これは何とも悪し様に言うね……。僕は優太だ、君の名は……あるのか?」

『母より授かりし号はイタカなり!俺を呼び、尊べ!』

「…………」


 慇懃な母親とは違い、傲岸不遜な態度に呆れ果てた優太は、無自覚に冷たい一瞥を送る。嘆息した後に、ムジカの遺体を見上げた。


「彼女を葬りたい」

『恷眞の大地で眠れるなら墓標は不要、そう母上は言い遺した』

「……そうか。急いでるから、少し手心の籠らない物になってしまうけれど」


 優太が地面に掌を打ち付けると、ムジカの立つ地面のみが沈んでいく。断層を生じて降下していくと、その穴を戦闘で巻き上げられた大量の土などで覆うと、直上から岩を砕いて生成した石柱を突き刺して固定する。

 完成した墓標を見上げると、イタカは不満げに眉を顰めた。

 隣の優太はその様子を覚って、振り向く。


『墓標は要らんと言った筈だ』

「人間なりに敬意を表して……だ。彼女には大変世話になったからね」

『……フン』


 脳に電流が走る。

 氣術が意思に関係無く発動し、未来の映像を呈する。数瞬後に背後から頭部を急襲する黒い弾丸を捕捉した。その速度は銃器から射出された物である。

 優太は上体をやや横へ傾けた。

 予知した通り、轟音の頭部のあった虚空を裂いて黒い物体が轟然と過ぎ去る。火薬の臭う微風を鼻先に感じ、銃器による攻撃だと確信した。

 イタカと共に振り返れば、森から樹間の数だけの兵数を束ねた軍隊が出現する。行進する多勢の猛烈な威勢に、再び『緋鬼』を抜き放った。

 銃器は西国の軍部で二年前に開発されていたが、未だ普及していない武器である。弓矢よりも速く、高い殺傷力を誇る凶器を帯びているとなれば、生半可な防御では通じない。

 如何に処理するかと思索していた優太の隣で、二人を防護する蒼銀の火の竜巻をイタカが生成させた。

 銃弾が烈風に弾道を歪められ、優太達の居ない方角へと飛んでいく。


『乗れ。人間の足では遅い』

「母親とは違って、乗り心地が悪そうだね」

『蹴り殺すぞ貴様』

「いや、失礼した。お言葉に甘えさせて貰うよ」


 イタカの背に跨がると、『緋鬼』の鋒を高々と頭上に翳した。

 地面を蹄で何度も削り、自らの士気を高めるイタカは、唸り声を上げると突進を敢行した。蒼い竜巻を伴って対岸を支配する兵団へと牙を剥く。


「押し通る!」

『振り落とされるなよッ!!』






  ×       ×       ×




 戦争の足跡を聞くのは、解放軍本拠地となる屋敷の園庭で寒空を見上げるナーリン。雪上に黒衣で佇む彼女の傍へと、巨大な怪物が躙り寄る。

 扁平な顔面に湾曲した一対の角、体色の黒いそれは、自らをグラウロスと名乗る生体兵器。しかし、己の本分を放棄して少女と戯れていた。

 儚げに空を映す橙色の瞳を隣から覗き見て、頚部を微かに震わせて笑う。

 ナーリンが水を掬う受け皿の様にした両手の上に、降り落ちては淡く溶ける粉雪。受け止める皮膚は白く、生命感が無い。

 グラウロスはそれだけが甚だ不満でなら無いと唸り、その度に彼女は驚いて振り返った。


「な、なに?」

『ナーリン、その腕に肌色塗ッたタら?』

「……気に入らない?」


 大仰に頷いてみせる怪物に小さく笑う。

 何事にも大きな反応をみせるグラウロスは、既に戦闘以外にもナーリンとの会話によって、その知性は赤子同然だった頃の名残が無い。

 しかし、時折みせる言動にはまだ童心らしき物があり、ナーリンはそれを微笑ましく見守った。


 学院長からは良き傾向と見られ、交流を強いられたが、全くの遺憾は無い。

 グラウロスとは異種ながらに友人関係にある。この接触などを不快に感じた事は無かったが、しかし魔物と人の感性による相違であるか判じ難い問題も浮上していた。

 些か依存とは違う、奇妙な独占欲をみせる。

 格納庫へと戻らずナーリンの傍へ常に居ようとしたり、片時も離れまいと産み親やトライゾンの命令にさえ背く場合があった。

 調整を済ませたグラウロスは、確かに学院長による点検などを受ける必要性も皆無。されど、そこで与えられた自由性は彼等の許容する範囲をはみ出しつつある。


 グラウロスは腰を下ろし、腕でナーリンを抱え上げると、膝上に乗せた。

 戸惑う彼女に牙が当たらぬよう頬擦りし、体温で暖めんと優しく胸元に抱き寄せて包む。


「グラウロス、そろそろ時間」

『嫌だ、ココに居る。ナーリン暖かイかラ』

「格納庫は寒い?」

『…………ウん、寒い』


 幼児のように甘えられ、当惑していたナーリンの耳許でグラウロスが囁く。


『大丈夫、ナーリンは守ル。これ終わっタら、何処カで一緒に暮ラス。誰モ居ない所、そうスレバ、ずっとナーリンと一緒』

「……グラウロス?」


 ナーリンが見上げると、グラウロスがある方向を注視していた。岸壁に囲われた土地へと踏み込む外部との唯一の通路、そこに人影がある。

 思わず身構えるナーリンを庇うように抱き、グラウロスは威嚇に唸り声を上げた。


「取って食ったりしねぇよ」


 武骨な声で話しかけた人物に、グラウロスの警戒が強くなる。

 そこに居たのは、諢壬で相対した蒼い炎を使う男であった。傷が痛むのか、片腕を押さえて蹌踉と庭園へ躍り出る。

 額から垂れる血で片目を閉じながら、その男――蒼火が怪物を振り仰いだ。


「今の、聞いたぜ?」

『何、ナニ、ナに?』

「お前、別にトライゾンに忠義してる訳じゃ無いんだよな?」

『父に用カ?』


 蒼火は、グラウロスの胸元で大事に保護されたナーリンを一瞥する。視線の鋭さに驚いた彼女の様子を嘲笑すると、再び怪物へと向き直る。

 至近距離で交わる視線――一方は敵意、そしてもう一方は同情だった。


「見るに、その女……奴隷だろ?」

『……ダ、ダから何だ。ナーリンは、俺オレのモノの』

「そうか。でも、いずれは屋敷の奴等に使い潰されるだろ」


 ナーリンは思わず蒼火を凝視した。

 奴隷の首輪をしている事から誰もが奴隷であるとは予想できる。しかし、それを材料にこの怪物と対話を試みる者が居るのは予想だにしなかった。

 大抵の戦士でも、ここで踵を返して撤退するのが賢明な判断である。危険を冒してまでグラウロスに接触する蒼火の底意は蛮勇か、或いはこの反応さえも計算した策謀か。


 蒼火はグラウロスの目に動揺の色を見出だし、微かに口角をあげる。


「トライゾンはお前の障害になる」

『……ナーリンは、オレの』

「なら、取引しようぜ?」

『取引?契約?』


 蒼火は片手を差し出した。

 その指先から、まるで催眠の毒素でも振り撒かれているかの様に錯覚しながらも、グラウロスは彼から目を逸らせなかった。

 不思議な緊張にナーリンを抱く手に力が入る。


「お互いに手に入れたいモノの為の、お約束ってヤツだ」









アクセスして頂き、誠に有り難うございます。


次回から、同盟軍vs解放軍(反乱軍)の本格的な戦況も書く事になります。ムスビが頑張ります。

仁那の修行も混じるかもしれません。


シェイサイトでガフマンから譲り受けた光るナイフの原料、リィテルで魔物の暴走を促した呪術書、優太の手にした黒い刀。

これらと皇族の関係も明らかとなります。


次回も宜しくお願い致します。




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