表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:優太と道行きの麋──下
252/302

異貌の襲撃者たち



 大陸の各地に散在していた“約束”が一つに集中する様相を、大陸の果てから見守る番人は愁眉を開かぬまま見つめていた。

 まだ定められた時ではない。

 それは運命の力によって、四人の集合が回避され続けて来た。東国首都の円卓会議でも、“無名の闇人”は故郷との因縁を決着させる為に離れており、“歪な魔術師”と“四聖獣の友”のみに留まった。

 また“異邦の末裔”が関与する事もなく、計画通りに事が進んでいる。


 しかし、数十年間守られて来た均衡が最悪の形で崩れようとしていた。

 辺境の街諢壬での一事、そして北部にて目的は排除、懐柔と複数あれど、“約束の子”全員を標的とした解放軍の策謀。

 中央大陸で勃発する最後の災厄となっては、魔術師の参戦も容易に予想される。

 然るべき地、然るべき時のみにしか集うことの無いとなるよう先代闇人の暁が仕組んだ歯車の調子は狂い、問題なく廻り続けたそれが軋みを上げ始めた。

 これが伊邪那美の仕業か、或いは魔術師の願望による歪曲。


 還り廟で視る現実は、ただ滔々と流れるばかりで干渉の余地までは与えられない。

 ただ無窮の無力感と孤独でその身を拘束する役目に、番人は辿って来た年月に置き去りにされてしまった幼い相貌を苦痛に歪めた。

 まだ終わらぬ神代の変化は、果たして吉兆なのだろうか。確かに戦の過程に幾つも絶望がある事は知っているが、少なからず希望も在る。

 その希望こそが、神の世界を終結させて人の時代を創る第一歩になるはずなのだ。


 しかし――番人の目には、これが凶兆にしか見えない。


 未来視の外部から、意図せず運命を変えるカルデラの響や矛剴拓真は、もう既に亡き世の中である。“約束の子”は、敷かれた“軌道(レール)”に添って歩み、宿命を全うするだけ。

 まだ――居るのかもしれない。

 響や拓真の他に、その性質を持つ人間が存在している。

 その行為は運命自体に大きく作用し、計画を基盤から蝕んで静かに、けれども大きく腐らせ、人々の道行きを破滅へと導く。

 明らかに神代の存続と人類に害を為す悪魔の如き敵性因子が潜んでいたのだ。


 北大陸にある“主神の座”と同様に世界の情景を俯瞰する力を持った還り廟は、普く凡ての運命を見透す力が備わっている。

 しかし、それでも不穏な影を落とす敵の正体まで看破するには至らなかった。

 何者なのか――やはり、闇人によって討たれてしまう筈の魔術師か。

 これからの展開によってはそうなのかもしれない。結果的に彼女が討伐されてしまえば、計画通りに“楽譜”は完成する。

 他にあるとすれば、あの夜の中で神樹の村と共に(ほろ)びる筈だった皇族の長女。

 確かにその行動の悉くが予想を逸し、闇人の精神的支柱として存立していた。

 兎も角、それは確実に姿を現すだろう。

 最も危険な局面で、“約束の子”の前に敵意の実像を帯びて出現する。


 番人は水平線の彼方を見遣った。

 何も無い果ての景色に、彼女のみが視認できる何者かの影を見据えて呟く。


『……まさか、貴様らか?――高天原の老害ども』


 還り廟の水面に微かな波紋が立つ。

 番人の立つ位置より離れた場から生じた異変は、風も凪いで人の世より遥かに離れた孤独な世界では殊に際立つ。

 振り向いた先では、跫もさせず歩み寄る黒い闇があった。それは光に照らされし物の映し出す影ではなく、光や音さえも呑み込んでしまう自然界を逸脱したモノだった。

 極めて邪悪であり、一見しても(まが)つことのみを予感させる。


 還り廟の番人は、手に携えた黄金の杖を回旋して足元の水を叩いた。

 彼女の力が伝播した水面には、映した者の真実の姿を晒す。金色の波紋が拡がり、光すらも拒絶する闇の本性を暴かんとした。

 しかし、水鏡に投影されたのは色濃い影。

 ただ景観に穿たれた空ろな孔の如く佇む。


『何者だ、貴様?その禍々しき邪氣を纏って』

「還して……躯、帰して……躰、返して……軆」


 番人が杖を軽く振るうと、前景が猩紅の光帯に圧倒される。世界の果てに轟風が吹き荒れ、静寂の海面は彼女の背後で十丈以上の高波を幾重にも作りながら後方へと頽れる。

 天空と蒼海のみだった景色を裂いて呑み込んだ燦然たる光が消滅すると、暗黒は跡形も無く消え失せていた。

 抉られた海面が再生しようと動き、地鳴りの如き水音と震動が遅れて到来する。

 番人は苦笑しながら手元を見下ろした。


『暁の小僧を(しご)いて以来であったからなのか……中々に加減が難しい』


 過去に還り廟へと迷い込んだ少年を理不尽に打ちのめした記憶が呼び覚まされ、我知らず笑っていた。

 暫し顔を綻ばせていたが、再び引き締めて天空を睨んだ。

 先刻の暗黒は、つい最近この場を訪れた闇人の比にならぬ邪氣を有していた。微弱に聖氣を内側に感じたものの、存在自体が異質である。

 本来ならば魂を保護する邪氣、これらを包容する器の肉体と聖氣。出現した暗黒はその条理を破り、邪氣を主体として生きている。

 闇人との生体構造とも違い、肉体が邪氣そのもの。

 前提条件として還り廟に到達するには、聖氣と邪氣の両性を備え、且つ『六神通』を体得した上で仙術まで技を昇華させた者。

 本来ならば世界では規格外と称される要素を三つも獲得した人間だけが許可される。即ち、発揮する事は無くとも所有していたのだろう。

 一撃で消滅してしまった“暗黒”だが、交戦が長くなれば危うかった。


 先代闇人のみが揃えた三つの力。

 番人は中空に游がせていた杖の上に腰掛け、唸り声を漏らしながら沈思に耽った。

 それ程の力を会得した存在ならば、還り廟から視えないなどあり得ない。敵意の有無を確認する前に、内側から充溢させる禍々しさに危機感が先立って攻撃してしまった。

 番人の力で消滅可能ならば、脅威の度合いについては処しうる範囲の怪物。

 単調な言葉の繰り返し、反転した邪氣と聖氣の構成比、還り廟へと入行を許可された性質。感じた違和感と、これらの要素を総括して再思考すると、番人は明確には捉えられなかったが、それに当たるであろう者の名が浮かんだ。


『うむ。……成る程……蛭児(ヒルコ)か。闇人の業は死してもなお魂を縛るか』


 杖で水面を叩く。

 波紋で揺らぐ空の映し鏡が、次第に別の場景を浮かべた。

 空気を孕んだ銀翼を大きく振って、雲海を泳ぐ竜族とその背に乗った四名。闇人の下に構成された精鋭部隊【鵺】が行動している。

 しかし、肝心の闇人が不在だった。

 杖で水を掻き廻した番人は、別の座標へと水面の映す場所を変える。


 この【鵺】が進行する空より少し南部の映像が投影される。

 雪中を厳戒体制のまま行軍する優太が居た。

 単独で行動するのは、自身を囮として仲間の接近を悟らせぬようにする工夫。何より標的である闇人の姿が捕捉できるなら、解放軍にとって彼の仲間の脅威は然したる興味を惹かぬ些事。

 既にやや艮の方角では、百人以上の解放軍の同胞が接近している。


『自身を捕捉した敵の多勢を好まぬ暗殺者らしからぬ行動。しかし現在の奴ならば万軍も玩具が如く(あしら)えよう』


 雪中を奔る少年の姿は、先の死闘で尋常ならざる位階まで氣術師として練磨された。高度な学習能力で貪欲に、無尽蔵に相手から学んで得た情報や技術を体得する。

 暁を覗けば現今の矛剴では最強の称号に相応しき実力者にまで成長した。邪氣の操作性能は、先代の闇人たちと比すれば平均以上だが、これからの展開で再び変動する。

 強敵と相対する都度に強化を遂げる。

 しかし、番人としては実力に未だ不安が残っていた。“楽譜”を仕上げる最後の作業は彼であろうという確信があり、それ故に更なる成長を期待する。


『蛭児が出たとなれば、遅々としてられんぞ。――急げ闇人、必ず師と神の宿願を成就させよ』


 番人は朗らかに微笑んだ。





  ×       ×       ×





 雪を降らす曇天の先に晴れ間を見出し頃は、既に太陽が山蔭へと急ぐ夕刻であった。積雪が足元を染め上げ、これまでの荒事の痕跡を抹消する。

 熾火が消えて焼け煤けた薪から微かに青白い煙が立つ。

 優太は廃村で独り出立の準備を調えた。

 肩に乗る雪を払い落とし、西方に見えた空を一度だけ振り仰いでから歩み出す。

 先方の安全を確認した後、【鵺】はナタスの背に乗って飛行し、敵地の領空から侵害する。尤も、その一行に優太は不在だった。

 彼等には花衣の救出及び現地で同じ目的で動く部隊の掩護を命じている。暗殺者としても、また尋常な一騎討ちでも強力な個体を揃えたあの小隊なら、大概の敵は処してみせるだろう。


 優太が単騎で別行動を取ったのは、単に奇襲を図ってのことだった。

 既に【鵺】の出動と各々の顔が露見している。何処を巡っても解放軍の目に留まるのは不可避であった。

 しかし、能力の詳細までは彼等も把握していないのが幸い、あの特異な力による強襲を受けて狼狽えていること必至。

 優太はその隙を衝いて裏から敵の頭目を叩く。

 狙うは解放軍総司令を務めるトライゾン一人。

 敵の本陣と接する境で、氣術による気配の完全隠蔽を行えば、誰にも悟られずに懐まで忍び込める。

 例え想定外の感知能力に接近が看破されても、その時はもう間合いの中に捉えている頃だ。


 踏み締める雪の冷たさも忘れ、紫檀の杖を握る手に力が籠る。

 トライゾンの腹心には、必ず居る。

 響を誘拐せんとした際に相見えた老翁が隣で構えている。一度敗北した相手だからこそ、彼に対する闘争心が燃え上がった。

 しかし、念願の再戦とあっても今はトライゾンの暗殺こそ第一優先事項。その過程にあるなら、殺意も敵意も無い、ただ感情の対象とせずに排除を意図するのみ。

 遣る事は変わらない、為す事は必ず遂げる。


 この戦いを終えても、より強い相手が待っている。今の自分では敵わない手勢ばかり。

 師に基礎を叩き込まれ、暗殺術は戦場の中にてのり剣呑に研ぎ澄まし、拓真との激戦にて仙人に肉薄する位階まで辿り着いた。

 まだ成長の余地はある。

 これから来る苦難の為にも力が必要であった。

 今は苛烈な戦場に一時でも長く身を置いて、更なる高みを目指す事が最善。

 優先の胸裏では、今まで鳴りを潜めていた昏い感情が静かに首を擡げていた。貪欲に、傲慢に進み続けて敵を喰らう、その渇きを満たす為の獣性に似た本能が昂る。


 不意に優太は足を止めた。

 自身を取り囲む全景が、木々に遮蔽されている。我知らず森に立ち入ったかと振り返るが、休憩に腰を下ろしていた廃村は忽然と姿を消していた。

 足許に視線を落とし、深く積もった雪を蹴る。

 次に樹冠を見遣るが、そこに積雪は無く青々とした葉肉が揺れた梢の動きに敏感に反応して踊った。

 優太は樹幹に歩み寄って触れようと手を伸ばしたが、あたかも木が自ら離れて行くかの如くいつまでも指は空を虚しく掻く。

 足許の大雪、積雪の無い樹冠、触れられない物体たち。これらを顧みて、優太は自分がいま何者かの呪術による迷彩結界に囚われたのだと了解した。

 廃村の周囲は広い平地であり、森はまだ地図でも先の地点にしか無かった。

 突然現れたのだ森林の不可思議さも加え、当人の姿が目視不可能な現状から、恐らく設置型の罠の様な呪術。

 予て仕込んだ呪術の結界に、外部から生物が入ると効果が出る。

 呪術に免疫の無い闇人ならば効果覿面、斯くも容易く術中に嵌まるとは不覚を通り越して賛嘆に値した。

 優太は改めて背後を振り向く。

 外部からの侵入は可能でも、結界内に囚われた生物の脱出は拒絶する性質だろう。


「僕の感覚器官を機能不全に追いやって動きを封じる魂胆か」


 優太は地面に手を置き、自然界に流れる氣を膚で感じ取る。

 周囲一帯に特殊な効果をもたらす人工物の気配を手繰り寄せた。自然に存在しないからこそ目立ち易い。

 より長距離まで探知の利く今の優太からすれば、結界の基部となる罠の地点を暴くなど造作も無かった。


 四方に二つずつ――八基の呪術を付加した物品が埋められていた。

 罠の本体を千里眼で視るが、地上からは埋めた痕跡すら無い状態で機能している。思い当たる節がある、異端審問機関(バーサルト)の人間等による工作だ。

 やはり呪術師本人は確認出来ずとも、脱出の算段が付いた優太は、さっそく破壊作業へと取り掛かろうとした。


 しかし、結界内部へと別の生命体が入った。

 氣術の感知領域に、堂々と侵入する敵意の塊が現れる。その方角は西方ではあるが、先刻と同じ地下を突き進んでいた。

 地中を掘って進行するには、異常な速度である。人間の出せる速力ではなく、気配の躍動する様子から土を掻く腕の一振りの射程が長い。

 能力ではなかった。

 ただ純粋な運動のみによって為されている。

 気配に既視感があった。

 感じ取ったのは、猛然と地を食い破る肉体が催す奇妙な体内氣流の反応。各部位で其々が全く異なる個体から()()ぎされたかの様である。


 氣術で『認識能力の拡大』を行い、未来視を発動する。

 地中より迫る敵影が如何にして優太を襲うか、それを映像として先読みする。身体を置き去りに、未来へと加速する感覚器官。

 視界が一変し、数秒先の同じ場所へ転移する。


 自分を円形に複数の腕が地面を破って出現。

 その腕の間隙で更に複製された腕が分岐した。小さな腕達による網を作って空間を鎖し、無造作に叩き下ろして、中心部を圧迫する。


 この映像を視て確信した。

 相手は諢壬を襲撃した解放軍の生物兵器。言義で優太達の取り逃した学院長を懐に招き、トライゾンの意向で開発されたと推測される悪辣なる怪物。

 その能力は確認し得る物でも六つ以上あり、極めて凶悪だった。街を一撃で半壊させ、聖氣や邪氣を行使する戦闘員がもたらす致命的な一撃すらも耐久する。

 今の自分の実力を考慮に入れて勝敗を予測しても、相手の未知数な部分が勝機を見出だす目を曇らせた。闇人の氣術で生体破壊を行っても生存する生命力ではあるが、弱点は既に判明している。

 長い頚の上にある頭部――その一点のみが、再生不可とされる。

 常軌を逸した再生力だからこそ、その戦法も何の危険も顧みず想定外の範疇を冒す。知性は常時成長し、速度に上限があるか否かは不明だが、既に敵を翻弄する機転や能力から、どんな変化を遂げても脅威の他にならない。


 仕込みの刃圏に捉える為に、至近距離にまで踏み込む。相手が体躯ゆえに懐が深いが、変幻自在の体機能の前では寧ろ近接戦こそ危うい。

 遠距離では諢壬を壊滅させた砲撃が飛来する。

 爆撃の威力ならこの平野を窪地にし、地図を書き換える。


 以前までの氣術ならば、その攻撃を邪氣のみでしか防ぎ遂せなかった。全力を投じても、暴力的な氣の台風には抗えない。

 しかし、この機関に力を蓄えたのは怪物のみに限らず。

 死を一度体験してまで技を練り上げた優太も然り。


「丁度良い腕試しになる」


 優太は両の掌を地面に強く叩き付けた。

 大地を震撼させるほどの威力も無い筈の打撃だが、それが地中に含有される氣の全てへと伝播することで、巨大な力の波となって拡がる。

 地下が生物の体内の如く躍動し、その運動によって内部が圧迫される。

 硬い地盤すら掘削しながら足下を駆ける怪物も、自らが開拓した空間が押し潰されてしまう。

 結界が展開される範囲ならば、優太は地面の中を自在に操作が出来る。罠の基部の破壊に至らずとも、怪物を地中から炙り出す事は適う。


 片手で土を摑み、引き上げる様に腕を振るった。

 その瞬間、幻惑の森の一劃のみが直上に押し上げられ、自然の摂理を裏切って断層が生まれる。上昇し続け、地下約二十丈ほどの地層が外気に晒された時、そこに怪物の姿も明らかとなった。

 上下から圧縮された岩石に圧迫され、胴体が固定されて身動きの取れぬ状態で優太の眼前に持ち上げられる。

 強靭な身体強度をも物とせぬ岩床の圧力に、潰れた部分は搾られた様に流血が迸った。


 優太は即座に仕留めんと、仕込み杖の柄を摑んで疾駆する。

 此所は元より平野であり、呪術の作り出した幻の林は、そこに在る筈の無い虚像。触れる事が叶わぬのではなく、触れずに済める。

 目前に立ち塞がっていようと、草木を障害物と見なさず前進できた。直線軌道を描きながら最大速力で敵影へと迫る。

 絶命までの手順(みちすじ)として、頚部を肉体と分離させることで神経系を断ち、無防備に再生を始める隙を討つ。

 大脳を直接破壊し得るならば僥倖、しかし如何様にも変幻する肉体構造の前では尋常な剣はいなされる。相手は弱点を初手で攻撃するという思考を持つゆえに、その裏を掻くしかない。

 しかし、彼我の距離がまだ遠い内に、樹間から覗いた敵の正体に驚愕する。


 怪物の全貌はやはり、複合された魔物の集合体。

 頭部は青い単眼、山羊に似て巻いた一対の角は、笛の如く複数箇所に大きな穴が空けられている。両の犬歯が欠け、鼻は旗魚さながらに鋭く伸びた形状だった。

 猪首をした屈強な人間の胴だが、背には細かい灰色の長い体毛が密に重なって筆の様である。脚は膝を腹に付くほど曲げ、踵から蹄まで異様に長い足となっていた。

 薄く濁った白い偉躯の隅々まで縞模様が伸びており、時折それらが肉体に寄生した別の生命体の様に蠢く。


 確かにその異貌、正真正銘の怪物。

 しかし、優太が警戒していた対象とは全く別の個体だった。


「形状が違う……以前とは別の怪物……!?」


 身動ぎも出来なかった怪物の喉が鳴嚢の如く異様に膨張し始めた。己の全身すら隠すほどの大きさにまで急速に成長する。

 優太は前方から膚に届いたより低い冷気に危険を察知して、横へと進行方向を急転換した。未来視で予測する暇も無い。

 諢壬で見せた砲撃とはまた別の能力、放出される物の見当すら付かない。


 回避に全力を注ぎ、横へと跳躍した優太と森は、怪物の口から放たれた光の中に消えた。





  ×       ×       ×




 一峰を下った蒼火は、南の平野に勃然と巻き上がった雪煙に視線を投げた。解放軍本拠地から離れた場所が既に戦地となっている。

 つまり、敵の視界は自分の位置まで届く範囲という証左。此所から先は何処から刺客が襲撃を仕掛けて来てもおかしくはない。

 背後を静かに従いて来る二人が拉致されぬよう気を配り、為るべく物音を立てぬことに努めた。

 些細な徴憑が己の在処を知らせる種となる。

 戦力が蒼火のみに依存した三人組では、慎重に歩を進めても本拠地に辿り着くまでの過程で遭遇する危地の数も増す。

 トライゾンの懐に侵入した後も、紫陽花の奴隷契約書が何処に保管されているかを調査し、廃棄して脱出するには、やはり人の足よりも速く移動する手段が欲しい。

 無理を惜しまず馬を調達し、紫陽花たちを連れて敵陣に潔く踏み込んだ方が得策だったかもしれない。

 現状の中で窮余の一策となるのは、身の都合を偽ってトライゾンに一時的に共存の意を示し、遣り過ごすこと。

 しかし、自身が指名手配者である以上は、その手法すら通用しない恐れも充分にある。


「夜が来る……今日は隣の山に隠れて過ごすしか無ぇか」

「ねぇねぇ蒼火!」


 蒼火は立ち止まって彼女へと顔を向けた。

 今にも凶刃が木陰から現れないかという剣呑な状況下で、警戒心の欠片も無く弾んだ声で自分を呼ぶ神経を疑う。

 無視して進みたい一念もあったが、己の知らぬ敵の気配を同行者がふと目にした場合もある。


「何だよ、静かにしろ」

「良い事を思い付いたんだけど!聞くわよね?」

「……碌でも無かったら張り倒すからな」


 声を潜め、耳打ちで紫陽花は伝えた。

 至近距離で吹かれる吐息に耳朶を擽られ、些か落ち着いて聞けはしなかったが、伝達したい情報の概ねを把握する。

 蒼火は思いも依らぬ提案内容に目を剥き、思わず彼女を二度見した。得策といえば得策、しかし博打の要素も高く、彼が想定する最悪の一策との危険度も差して変わらない乾坤一擲。

 しかも、被る危険の大半が紫陽花へ矛先を向けていた。


「正気か?」

「守って貰うだけじゃ駄目よ。何なら今は蒼火は私のご主人なんだから当然でしょ」

「今さら従者としてってのも気色悪いんだが」

「何?なら旦那様の為に身を尽くす妻が良い?」


 その一言に、一同が固まる。

 蒼火は仏頂面で対するが、紫陽花は暫し崩さなかった自信満々な表情を含羞に染めて俯いてしまった。自身の言動を恥じる様子は、見る者にも共感させてしまう。

 居たたまれなくなった蒼火は嘆息すると、前方に視線を移した。


「ま、立場云々は要らん。だから……まあ、危険な役になるかもしれんが、俺からも頼む」

「!任せて」

「良かったな姉ちゃん!」

「うん!」


 闇夜に咲いた紫陽花の笑顔に、蒼火は黙って見詰める。

 誰かを使役して己を守ることに専念してきた人生で、誰かの危険を排除しようとし、守る為に骨身を削った過去が無い。

 だからこそ、背中に庇った二人の姿が不気味で、しかし温かく思える。


 蒼火の脳裏に、軍に追われた家族たちの最期の姿が去来する。

 焼かれた村、有能な人材を選出してその他を抹殺され、蒼火だけが孤独となった。


 忌々しい記憶が一瞬でも過ったことで苦々しい気分となり、思わず舌打ちする。

 進もうとして袖を紫陽花に摑まれ、渋々と振り返ると、やはり笑顔の彼女が居た。暗い過去を想起した後の所為か、いつもより明るく映える。


「生き残るわよ……必ず!」

「最悪は二人を贄にして逃げるまでだ。同盟軍に奴等を妥当して貰うまで隠居だな」

「また台無しなことを言う」


 蒼火が再び進むと、その後ろからまた大きな声で会話を求める紫陽花の声が響く。


「蒼火、これが終わったら何処かに暮らしましょ。私とアンタと泥吉の三人で」

「はあ?」

「水が綺麗な町が良いわね。もう流石にあの地下街には戻れないと思うし」

「……暮らすならあんな所は後免だな」


 蒼火はかつて自分が領主の補佐となって統括していた町を思い出す。

 薄暗い地下で眩く栄えるのは奴隷商人の宴が開催される天幕の周囲のみ。その他は蔑まれ、泥を啜る日々である。

 共に生活するならば、身内にそんな困窮した環境に置きたくない。


「私と蒼火で働くのよ。……そんな細身で仕事出来るの?」

「少なくとも紫陽花よりはな。ま、火傷の所為で力仕事もキツいし、正直に言うと夏場は動けねぇな」

「養うのは構わないけど、それじゃ生計が立たない」

「また何処かの町長やら領主の下に就いて、高収入の職場に身を固める」

「……そう言えば、アンタって仕事できる男だから諢壬で夬の右腕だったのよね」

「その意外そうって顔をやめろ」


 三人での生活――それを想像して、蒼火は自分が家を持ち、誰かの為に働いて二人の居る場所へと帰る姿が奇妙にも人間味に溢れた物に思えた。

 今まで屋敷の床で寝ていたのとは違い、泥吉か紫陽花に叩き起こされるまで柔らかい毛布に包まれて眠る。

 寝惚け眼で家内の様子を眺めつつ朝食を取って、二人に見送られながら職場に行く。

 世間で当たり前と呼ばれても、蒼火からすれば異様に過ぎる生活だった。


「飯は泥吉が上手いのか?」

「うーん……私達、まともな食材を手にした覚えが無いから、屋敷で少し嗜んでた私くらいじゃない?」

「兄貴の飯が食いたい!」

「……練習しとけ阿呆が」


 蒼火が突き放すように言うと、紫陽花は親しみを込めて彼の肩を叩く。


「ふふ、なんだか楽しみね」

「その前に大仕事があんだけどな」

「さっさと片付けるわよ」

「調子良いな、反吐が出る」


 談笑する三人の体を轟音が揺らす。

 聞き取った方角から庇い、紫陽花たちの前に立った蒼火は、片手に火炎を小さく点して構える。先刻見た平野での戦争かとも考えられたが、断続的に鳴る音は次第に近づいていた。水柱の如く、幾つも大量に巻き上がった雪と土が空へと伸びる柱が立ち上がる。

 その位置が着実に蒼火達の居る山との距離を詰めていた。一つずつの間隔は長く、しかし次の柱が生まれるまでの時差は極端に短い。

 凄まじい速度で移動し、行動するだけで盛大な自然破壊が伴う。

 まだ正体を見極める事は出来ないが、脅威が迫っている。それも、漠然と自分を狙って来ているのだと推察できた。


「紫陽花、泥吉を連れて隣の山に行け」

「あ、アンタは!?」

「俺はこのまま南に走りながら、騒がしい音立てるバカを引き付ける」


 蒼火は二人を置いて山の傾斜を滑るように駆け降りた。

 枯れ木の幹を蹴って更に加速しながら、柱の方角を随時確める。僅かながら、土の噴き上がる地点が逸れ始めた。

 予想通り、自分へ向かっている。


 より注意を惹くため、片手の掌中に生成した岩石の塊を高速で射出する。散弾の如く放たれた岩が、土柱の周辺に着弾した。

 命中した弾の有無を確認すべく、少し足を止めて反応を待つ。


「来ない……――ッ!?」


 様子を窺った蒼火の足許が揺らいだ。

 踏ん張って耐えようとした次の瞬間、直下の土砂と共に空中へ高らかに投げ出された。遅れて打ち上げられた土や石が体を強打する。

 急襲に驚きながらも、宙で体を回して下を見下ろした。

 自分の過去位置はまだ土煙で見えない。


 着地する地点を探し、顔を他方向に巡らせた蒼火は、濛々と煙る土の煙幕から突如出現した四本の赤い熱線(レーザー)に肩や脚を浅く切り裂かれた。

 元より火傷を負って痛みに敏感な部分を高熱の一撃に噛まれて呻く。


『卑怯だよん、アイツは玩具があるのにオイラに無いんの可笑しいんよん。だから人間で遊ぶんぶん!』


 傷口を押さえて枯れ木の梢に摑まった蒼火は、まだ消えない土煙の中を睨んだ。


「また気味悪いのが来たな」






アクセスして頂き、誠に有り難うございます。



次回も宜しくお願い致します。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ