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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:優太と道行きの麋──中
245/302

“篭の中の世界”──次は楽譜を持って

恐らく作中三人目の最強登場です。



 目を醒ましたのは、途方もない海上。

 凪いだ水面に浮かび、天下に豁がり曇天より差す斜陽に照らされる。雲は流れず、滞空していた。

 空が紅くない――優太は、ここが精神世界かと思ったが、濡れた服の重みや冷たさが膚に感じ取れる。五感に伝わる情報が現実であると証明していた。

 ならば、此所は何処なのか。

 困惑で周囲を見渡しても、陸すら窺えない海原の中心に、絶海の孤島として在った。氣術で水面の上に立ち、如何とするか黙考する。

 拓真との死闘を決着させんと意気込んだ最後の一撃を果たした時、僅かに母と思しき影を見咎めた後に意識を失った。

 何者かによる転移で訪れたにしても、大陸から大いに離れた位置ならば、その実行者の能力は破格である。

 拓真であろうと不可能であり、事実上で考えうるのは師の暁。彼ならば納得するが、如何なる底意を以てしての転送なのか。


 優太は己の脇腹に触れて一驚する。

 傷は跡形も無く回復しており、体内に巡る血流を氣術で調べるが、出血で失った物質はほとんど取り戻されていた。

 頭頂部も検め、拓真に聖氣で殴打された部分にも傷は確認できず憮然とする。死を覚悟した戦いの後が、ただ静謐を湛えた海の上だと誰が予想し得たか。

 現状を調べるにも、徴憑となる類いの物は見受けられない。転移の実行者らしき姿も無く、無窮の蒼海が保つ沈黙に諦念が湧く。

 死後の世界ならば了解し、拒まず受容しよう。

 感覚があるのは、せめて去る世界を最期に味わう天からの慈悲か否か。


 別の位置より、波紋が生じる。

 優太はそれを敏く看取し、発生源へと顧眄する。腰帯に差した黒檀の杖の柄を摑んで水面に鋭く踏み込んだ。

 やや臆病になって体を巡らせた先では、先刻まで無かった巨大な門が聳り立っていた。装飾も無く、ただ海上に巍然と佇むだけの白い扉。

 暫し黙視した後、優太はそちらへと歩み出して扉に触れられる距離まで近付く。

 不思議な扉――恐らく中は、別の空間と接続しているのだと直感した。何処へ繋がっているのか、開放すれば何が起こるのか。

 恐怖心と好奇心の葛藤の末、静かに触れる指先に力を込めて押そうとする。


『何だ、“楽譜”を持って無いじゃないか』


 突然その空間全体を震わせる声がした。

 老人の様で、しかし子供とも聞き受けられる奇妙な声音。正体を捉ませない神秘的な色を内包している。

 空から新たに雲の切れ目が生じ、もう一筋の斜陽が水面を照らす。そこに照らされた小さな影が立つ。

 優太は声の主が居ると思われる方向に振り返った。唯一、この海上で己以外の存在感を呈示する相手に、今度は杖を構えずに対する。


 そこに居たのは、幼い女児だった。

 優太同様に水面に直立する。

 柄の終端が捻れて螺旋状となった長杖を手にしており、縮尺を間違えたかの様に背丈と合っていない得物。

 目深に被った冑は、兎の耳を模して起立する二つの大きな突起がある。庇の下からは、僅かに琥珀色の隻眼が覗いた。

 頚部にある黄金の装飾を付けた首輪から、釣鐘状純白の外套が伸びて全身を隠している。その裾の長さは、海の上に浮かぶ程に長く、これもやはり背丈に合わない。

 杖を握る手は、手背まで保護する黒い手套の所為で隠れているが指先は褐色だった。


 異様な立ち居姿に当惑し、怪訝な眼差しを投げ掛ける優太。

 よもや夢の中で求めた他者の存在が女児とは思いもよらず、応答して良いか逡巡する。

 沈黙した相手に痺れを切らしたのか、杖で水面を叩いて歩き出した。天上から射す日光が、彼女に合わせて角度を変える。

 歩み寄る小さな存在に、ただ後退も威嚇も出来ずに憮然と待ち構えた。


『漸く来たかと思えば、通行証すら無い』

「君は一体、何者なんだ?」

『無礼者、“楽譜”を持たぬ奴に教える名など持たん』


 その様子に呆れ、ひとり落胆する女児。

 理不尽さに打ち拉がれ、言葉すら出ない優太は黙って彼女を見詰める他に無かった。一体、なにが適宜な対応なのか。

 海上に瀰漫した二人の空気にも、扉は黙然と見下ろしているだけだった。

 優太は正体を教えぬ女児を、漠然と乍ら門番なのだと察した。亦は門前に寄生する傲慢な精霊の類いに属する者だろう。

 兎角、優太が現状を調べるには、何としても女児と認識を共有する必要があった。此所が何処に存在するかを知らねば、帰る手立てすら見付からないのだ。


 その思考を読んだのか、女児は鼻を鳴らして虚空に横倒しにした杖に腰掛ける。扉を背にした姿は、矮躯でありながら威厳を醸し出し、やはり門番であると感じさせる。

 優太は首飾りの水晶を我知らず固く握った。

 尋ねれば、自分の存在が消えてしまう予感がある。此所に来た僅かな時間で、何度も本能的に悟るものがあった。

 女児が外貌に似合わぬ嫣然とした笑みを湛える。


『ようこそ、暁光に導かれし“約束の子”よ』


 両腕を広げる女児は、直ぐに無邪気な振る舞いへと変わる。自分を見下ろしていた相手の態度に、困惑すること頻りであった。

 この女児の目的が知れない。

 優太を此所に閉じ込める魂胆か、或いは処分する為なのか。敵意も悪意も感じない、不思議な空気の持ち主である。


『此所は“還り廟の扉”であり、余はその番人を仰せつかった者なり』

「還り廟……一体、何ですか?」

『資格はあるが、手持ち無沙汰の無礼を働きながらも“世界の真性”を問うか!』


 哄笑する女児だったが、大きく仰け反った勢いで杖から落ちた。水面に背を打ち、暫し逆さのまま硬直する。

 何故か自分が居たたまれぬ気持ちとなった優太は、視線を逸らして小さく嘆息した。

 質問の解を“世界の真性”と大きく呼ぶのだから、余人は知らない世界の匿された真実かと期待したが、女児の様子だとその信憑性を早くも開示前から疑ってしまう。

 女児は含羞に赤面して、赤く萌える頬を外套で隠した。


『ぶ、無礼者め!』

「僕が悪いんですか」

『し、然り!……何だ、その目は!?』

「いえ、別に」

『くっ……小莫迦にしよってからに……!』


 杖の上に再び腰を下ろす。

 落ちないように、予め両手で体を支える姿を微笑ましく見ていた優太は、睨まれて顔を引き締める。

 女児に絆されてしまったが、彼女は何か大きな役目を担っている存在だと判る。

 優太としては、警戒して然るべきだが、相手からの害意の無さと子供然とした振る舞いに気を許してしまう。

 実際に、子供かもしれない。

 しかし、相手が尊大に対応するなら、優太は彼女の望む状況に即した対処をせねばならない。


「度重なる無礼をどうかお許し下さい」

『ふん、次は無いぞ!』

「……それで、還り廟とは何でしょうか」


 優太が再質問をすると、女児が不敵に笑む。

 後ろ手で扉を指差し、顎使する様に門の間近に行くよう催促した。

 苦笑して従った優太が門に接近すると、先刻は無かった微かな間隙が生まれていた。向こう側から光が射し込む。


『特別に、一度だけ許す』


 優太は一度だけ番人たる女児に一礼し、恐る恐る扉の隙間へと顔を寄せて目を凝らす。この向こう側に“世界の真性”の欠片が視えるのだ。

 誰も居ない、亦は誰も識らない秘境の秘境。

 この世から隔絶されたと思しき海の果てで出逢った謎の扉と番人。

 いま己が主神や世界の成り立ちに近い、大きな摂理の真実に接触しているのだと感じる。斯くも神秘的な現況では、それらが夢や幻覚であるとは全く疑えなかった。


 覗き視る優太の背後で、番人は小さく笑んだ。

 海が騒めいて小さく波立ち、女児の足下へと殺到する。優太は今や、その変化すら感知できぬ程に扉の中に意識を傾注していた。

 予想していた反応に、益々番人は悦ぶ。


真性(ほんとう)の姿を知れ、篭の中の鳥よ』


 優太は先で視た真実に、思わず扉から飛び退いて水面に座り込む。

 熱い汗が伝い、驚愕のあまり全身の筋肉が緊張している。


「こ、これは……本当、なのか?」


 優太は、世界の本当の姿を識った。





  ×       ×       ×




 小さく開かれた“還り廟”の扉を覗く。

 その瞬間、優太の脳内に厖大な情報が流入された。脳内を異物に貪られる様な激痛に苛まれるが、それでも扉から離れられない。

 様々な景色、俯瞰された見知らぬ世界の在り方、その中で数多存在する海峡の中に浮かぶ小さな三つの島。


 優太は弾かれた様に扉から離れた。

 尻餅を突いて、水面から飛沫を上げる。唐突に取り込まれた情報の処理は完了し、激しかった頭痛の熱も引いていた。

 視た物が信じられず、右目を手で覆った。

 識らなければ良かったかもしれない、その先に遥かな“自由”を垣間見てしまったのだと優太は自覚する。

 杖から飛び降り、背後から悠々と歩み寄る番人の女児を振り仰いだ。依然として、その尊大な笑顔を崩さずにいる。


『視た景色だけでは、判らんだろう?』

「でも、判りました……自分の居た場所が、“篭の中”なんだと」

『そう、そして此所は“篭の出入口”』


 女児が優太の膝の上に座った。

 至近距離に寄せた顔で囁く。


『教えてやろう、暁の小僧が伊耶那岐の奴と交わした約定の内容までは開示せんがな』

「師匠を、知ってるんですか?」


 優太は思わず面を上げた。

 師も此所を訪れたなら、帰ることができる筈だと希望を見出だした。まだ自分は死んだ訳ではない。

 存外驚いて、番人は僅かに目を見開いている。


『ああ、奴は此所に幼少の身で辿り着いた。彼奴も、同じ様に驚いておったよ』

「そ、そんな昔に……」

『此所を訪れるには、三つの条件が必要だ』


 懐かしむ様に目を眇めて、番人は語り出した。

 “還り廟”の門に行き着くには、三つの要素を必須条件とする。どれかが欠けて居れば、一切の容赦すらなく世界に拒絶されてしまうし、前提として揃わねば此所を認知する事も不可能。

 世界の人々から文字通り隔絶されて佇む地。


 一つは、聖氣と邪氣を混在させた存在である事。二つ目は、『六神通』を僅かでも開花させた者。三つ目は、仙術を会得している事。


 番人の女児が三本だけ指を立てる。

 優太は己の擁する要素の中で、条件に該当するものを思索した。


 一つ目の条件は理解できる。

 拓真の操る聖氣が自身に放たれた事が原因である。

 聖氣自体は、個人によって独特の性質を有するが、優太が闇人であろうとも父子である故に肉体などの造りが(ちか)しい。だからこそ、聖氣を微量ながら取り込んだのだろう。


 二つ目の『六神通』は、もはや勘であった。

 主神の一部である『四片』が行使していた力。

 聞こえる事の無い遠方の音を知覚する超人的な能力を『天耳通』。

 他者の運命や前世を覗く『宿命通』。

 他人の心を知る『他心通』。

 遠隔地や過去、未来を視る『天眼通』。

 機に応じて自在に山海を移動する『神足通』。

 他者の来世を知り、黄泉國へ導く『天導通』。

 最も考えうる大きな要因として、『六神通』を体得した暁の黒印を吸収している。


 三つ目もまた、『六神通』同様の理由であり、拓真との戦闘で優太は仙術により近付いた事で、“還り廟”に認識された。


 これらがあって、優太は還り廟に辿り着いたのだ。

 しかし、優太は不意に疑問を抱いて、番人の女児に質問する。


「師匠が『六神通』や仙術を会得したのは、一七際の頃だった筈だ。幼少と呼ぶには些か過ぎる程に大きい」

『簡単だ。

 奴は既に仙術に相当する氣術の技量を有していた。『六神通』を複数の概念に分けて基礎化したのが、元々氣術だからな。

 認識能力の拡大、身体能力の強化……お前は識らんかもしれんが、氣術で他者の思考を読む手段もある』


 唖然とする優太は、はっとする。

 確かに、二年前のカルデラで花衣に扮した矛剴十二支が記憶の共有や心情の理解をしていた。しかし、あれは呪術だった筈だ……。

 その思考を、またしても番人は読み取る。


『呪術も魔法も、魔術と死術の派生。二つの起源たる仙術の模倣とされる氣術に、それが不可能な訳はなかろう』

「……はい、何かもう……納得しました。僕の修行不足です」

『何故、落ち込む!?い、いま気付いたのだから良かろう!?』


 番人の励声も聞こえず消沈する。

 氣術の技量を上げながら、まだ自分の知らぬ術があったと教えられた事で、己の無知と驕りに落胆を禁じ得ない。


 優太の姿に首を横へ緩やかに振ってから、番人は腰に両手を当てて胸を張る。


『これらを踏まえて、話そう!貴様が視た物、本当の状をな!』


 他には誰も居ない海上で、番人は彼方にまで聴衆がいるかの様に大声で説明を始めた。




  ×          ×


 


 三大陸で構成された、この世界。

 神族の住む北大陸、魔族の支配する南大陸、多数の種族が生活を営む中央大陸。これらが定形であり、文明を発展させ、独自の形を織り成して来た。


 しかし、これらは大きな力により空間を圧縮された篭の中である。

 篭の外には別の世界があり、この三大陸はその中でも三つの小さな島として存立している。

 神出る國――出雲島(いずもとう)と称呼し、秘境と認知された。


 此所は、二神たる伊耶那岐と伊邪那美の二人が一本の槍より想像した世界の中心地。世界が創られた原初の大地であり、神のみが滞在を許された憩いの場。

 二神は滞在し、そこで二面となる黄泉と現世を支配して暮らした。出雲島の内部で神族と呼ばれる伊耶那岐の子供達は、定期的に還る事を約して“篭の外”へと出た。

 出雲島――“篭”は、神の帰還する場として“還り廟”と呼ばれる。


 世界各地に鎮座し、神族は自身を崇拝する者達で文化や都市を作っている。

 しかし、数百年に一度のみ“還り廟”へと帰還すると、半世紀以上も間は中で過ごす“神無年(かんなどし)”。

 その間、神族は原初の地で営まれる三大陸の様子を見て、己の統治する地を如何に処すかを考える。


 即ち、“還り廟”――三大陸の地は神族が世界の規矩とし、二神や彼等を作り出し、世界の創成を命じた原始の神々が居る高天原(たかあまのはら)を擁する場所。


 優太達が信じる世界は、本当に実在する世界の中に圧縮され、ほんの一部として在る小さな島々――神に支配された“篭の中”である。



  ×          ×




『どうだ?』

「どう……と、言われても……僕にはどうしたら良いか」


 番人は虚空に浮遊する杖に座る。

 世界の真理を、重ねる様に人の言葉として説明されても、やはり理解しかねる壮大さだった。優太には受け止め難い規模である。

 これから挑む相手(せかい)が、ただの小さな篭の中に拡がるモノでしかないと知らされ、ただ絶望に打ち拉がれた。


『世界は残酷だ。

 闇人、その刀を作る鍛治、“還り廟”を守護する番人、中央大陸を平定する為に用意した短命な知慧の一族……』

「えっ……?」


 優太は最後の“知慧の一族”に思考が停止した。

 短命で聡明な血族ならば、カルデラ以外に有り得ない。中央大陸の平定というなら尚更である。


『最後のは、お前の従姉だろう?

神への反逆心を逆立てず、ある程度その“還り廟”の中での戦争を塞ぐよう遺伝子の単位から抑制される』

「それは、重々理解しています」


 闇人が主無くして無差別な殺害を行うように、その刀鍛治を担うドン爺が役を放棄した後、急激に衰弱死したのも同様の理由である。

 職能に適した環境と条件が揃わねば、不条理に襲われ、罰を課せられる。カルデラの宿世は、罰責云々の前に短かい命。

 不意に、『加護』の名の呪縛を享けた者の中に、“還り廟”の番人が挙げられていた。この女児は、生まれながらに人とは孤絶した空間に幽閉も同然に隔離され、訪れる人や通行する神を迎えているのだろう。

 師の幼い頃を知っている。正確な年齢は把握していないが、暁は半世紀以上は生きていた筈である。

 果たして、“還り廟”にいつから……。


『老いると人間の欲は活性化されるのだよ。だから短命の宿運を課せられる。ただ、二代前に矛剴の血が混ざってしまった事から、少しずつ変化した』

「それも……」

『これは、暁の判断ではない。その響、とやらは言動の悉くが未来視を改編する』


 優太が先代の黒印を仕込まれた事に似た状況が、既にカルデラで発生している。暁のみの独断ではない、彼を後押ししたのは響でもある。

 帰りを待って、しかし自ら捜しに行った先で彼等の道は決定された。

 いつかの彼女の記憶で視た言葉を想起する。


 “――あの人にそう決意させてしまったのは、他ならないわたしなの。”


 幼き純心の拓真に、二人が夫婦でない理由を訊ねられて、苦しそうに応えた彼女の声。本人は無意識に、その運命を察していたのだろう。

 優太は改めて、自分の背に乗せられた幾つもの人の命を知り、自分の足下に幾つもの犠牲にされた骸があると悟る。


 “還り廟”の番人は朗らかに笑んでから、優太へと顔を寄せて囁く。


『これを聞いて、どうする?』




  ×       ×      ×



 優太は水面に腰を下ろし、黒檀の杖を抱いて顔を伏せた。一人では処理しきれない。

 拓真の聖氣と、暁の黒印を体内に与えられて世界の理自体に直接触れた現状の中では、もはや矛剴の里での決着や、戦闘を静観していた慎達の安否よりも重い現実として映った。

 この”還り廟“の番人は、主神と暁に次いで“篭の中”に在る普く事象を把握している。


 優太が現在懐く疑問を解消する鍵が、ここに用意されていた。

 番人が許容する限り、望むだけの真理を得られる。暁や神々を除いて、“篭”の存在に触れて認識した優太だからこそ許された特権。


「番人、“楽譜”……とは?」


 第一に訊ねたい事は、番人が最初に要求した事。

 此所へ訪れる三つの条件を備える事により“資格”を所有していても、扉を通行する為に必要不可欠な物として言葉の節々にあった。

 それを獲得する事が如何に至難であるかは、挑む前から承知している。“外の世界”へ辿り着くには、相応の試練を受けなければならない。


『……この世は、神に支配された時代。だからこそ、時代の終局を彩るのは曲だ。崩壊する音、新時代の風が吹いた時、奏でられるのだ』


 番人は両腕を拡げ、その場で回る。

 “還り廟”に豁がる無窮の蒼海を示した。世界の果ては、凪いだ海面の上には二人以外の音は存在しない。

 優太が訪れるまだ、ただ静謐を侵すことなく番人は無言で待ち構えていた筈だ。


『この索漠とした世界ではつまらん。

 世界創成の神代より、一度たりとて侵害されなかった『時代の沈黙』を打ち破る、鮮烈で豪快な音色。

 篭の中に生きる全てが、それを終わらせんと戦い、そして成就させた時に出来上がるものが“楽譜”……暁と約束した』

「な、何と?」

『事が完了すれば、“開門”に代わりの者を遣わす(よこす)とな』


 還り廟の番人はゆっくりと進み出て、優太の右手を摑んだ。艶かしい褐色の指先が、掌に文字を綴る。

 優太はそれを目にしたが、見憶えの無い文字だった。これまで中央大陸で巡った際のベリオン皇国の言語、現代の東西の文字、南大陸の古代文字とも異なる。

 番人が顔を上げ、満足げに胸を張る。

 杖で数回小突いた水面に波紋が発生した。基部を円形として複雑に重なり合う幾何学模様の輝く線が足下に浮かんだ。

 二人を照明する斜陽の溢れた雲の切れ目が広がり、優太は眩しさに思わず目を瞑る。


『貴様を“資格者”として正式に認める』

「……これから、自由に往来可能……という?」

『端的に言えばな。だが頻繁に訪れるなよ、此所は世界と“時間の流れ”に些か齟齬が生じている。長居する事で、貴様を知る者から忘れられてしまう事もあるぞ』


 世界から隔離された“還り廟”に滞在するだけで、自分が繋いできた縁は薄れていく。


『これで蘇生も最後だ』

「えっ!?僕は既に死んでいたんですか!?」

『死体で来られて驚いたぞ。規則に少々反したが、初回の来訪にして資格者という立場に免じて蘇生させた』


 知らず識らず死人となっていた自分に、顔が引き攣ってしまう。優太としては、確かに違和感があった。

 此所に来た際に完全治癒された状態で居たからこそ、最初は死後の世界なのだとも錯覚したのだ。現に、図らずもも世界の果てに転移されていた。

 番人に頭を垂れて、深々と礼を尽くす。


『良き心掛けだ。では行け、貴様のやるべき事がまだあるだろう?』

「あ……その前に、訊きたい事があります」

『む、“資格者”ではあるが、質問の数が身分不相応であるぞ。……まあ、余は寛大であるから赦すけれども』


 尊大に振る舞う女児に、優太はさも深く喜びを表すように大仰に反応してみせた。彼女も、数十年来の来訪者に甘くなっているのだろう。

 微笑む番人に、優太は深呼吸して質問をした。


「“魔術師が世界を滅ぼす”、神族や師匠、矛剴がそう予言する意味とは、何ですか?」

『………………貴様の相棒か』

「はい」


 番人が初めて緊張の面持ちを見せた。

 “還り廟”でさえも深刻に捉える事柄なのだろう。

 優太としては、旅先で矛剴と接触する機会が多いからこそ、そして問題の中心に在る相棒が傍らに居るからこそ脳内から一度も離れた事は無かった。

 世界の滅亡――優太達が目指すモノは、確かにそれに近い。しかし、手法や過程は違えど同じ未来を志す矛剴が敵意をもって告げるのだから、おそらく真意は優太達の望む状とは異なる滅亡。

 魔術師の結は、神族とは別に世界の敵となる可能性を秘めている。

 仮に言葉通り、彼女が脅威となるなら、優太自身の手で始末しなくてはならない。自分と出逢った事で、彼女の旅は始まったのだ。

 何よりも、今や花衣とは別に半身の如き存在へと膨らんだ結の命を他人に委ねる訳にはいかない。


 番人は、首を横へ緩やかに振る。


『先代の魔術師が細工した“約束の子”、神族とは違う支配で篭の中の時代を作り出す敵性』

「約束の子……」

『いずれ世界を終わらせる英雄』


 番人は四本の指を立てた。


『闇人、魔術師、死術師、そしてカムイ』

「カムイ?……確か、もう滅んだ西方の民族ですか」

『あれは、高天原に住む原初の神々と約定を交わして“門の向こう側”から来た唯一の血族だ。異称を“異邦(とつくに)の人”』


 優太は意味が理科期できずに首を傾げる。

 番人がその額を杖で鈍く叩いた。


『貴様も知っておるぞ。

 迷宮(ダンジョン)を造り出したのはカムイであるし、勇者と聖女と賢者……どれだけ薄かろうと、彼等はカムイの血が無ければ選ばれない』

「え゛、無作為では無く?」

『そうだ。今は純血のカムイは、この世に一人。混血なら多数居る……その中の一人が、当代の魔術師だ』


 優太の身近に居た、敵対者の賢者と聖女、友人のセラはカムイの血統。“迷宮”を何者が作ったか、その奥に秘蔵された神秘は何の意義を持ってかは知らなかった。


 そして結は、“異邦人(カムイ)”と魔術師の混血。


『だが、それだけではない。奴は……死術師の血を取り込んでいる』

「え……魔族の血も……?」


 番人は呆れながらに語った。


『魔術師が死して、数代を経て再び誕生すると知っているな?』


 優太は首肯した。

 闇人は先代が余命を鑑みて、任務遂行可能な期間を全うした時に次代が矛剴当主の家から生まれる。魔術師は獣人族の族長の一家から輩出され、先代の死から数十年後に現れるとの風聞。

 だからこそ、闇人には時によって魔術師に仕える場合と主神に忠義する者に分かれる。


『魔術師の魂が、転生して次代になる』

「……魔術師は、ずっと同一の魂という事ですか?」

『そうだ。

 成長する事で容姿や人格は違えど、本質はみな同じ。欲深く、求めるモノを奪う傲岸なる咎人。当代によって欲求の矛先は変わる時が稀にある。

 先代の魔術師は、先代闇人を強く欲して拒絶された。それが嫌なのだったのだろう。


 カムイ族長、死術師の血を混ぜて運命を変える力を大きくし、次代こそは手に入れんとした』


 優太は信じられずに頭を振った。

 番人の言葉を鵜呑みにすれば、結が欲するのは当代の闇人である優太である。優太の為に、彼女は世界を滅亡させる――その示唆だった。

 有り得ない、否、在ってはならない。


「しっ、しかし……結が同じとは限らないでしょう?異例ばかりの今回、彼女だって……」

『断言しよう。彼奴は先代と同質、欲はそれ以上なり。

 魔術師は闇人を必ず得る為に、予知した中でそれ以外の“約束の子”の要素を取り込まんとした。


 何故、魔術師が“予知”出来たかは謎だがな』


 優太は脳内で必死に情報を整理する。

 自分は世界の果てで、“篭”の存在を認知し、いずれは“楽譜”を持って、この門を開放せねばならない事。

 結が先代の転生した存在であり、カムイ、魔王の血を擁して本能的な優太を求めた結果、世界を滅ぼす敵性を孕んでいる事。

 確かに、二年前から結は変容した。

 冒険者ではなく、軍を押し動かす統率者。神秘の探求ではなく、破壊を好むかの様な性格。




 仮にそうなのだとしたら、自分で止めなければならない。

 優太は胸懐の裂ける様な痛みを覚えながらも決意した。彼女を止められるのは、欲望の矛先である自分のみ。

 師や響が願い、天隠神(ディン)や燈達が後押しした夢を成就させる為に、結と対立する必要がある。

 世界と相棒――どちらを切り捨てるか、惑う訳にはいかない。





 優太の体が透明に変化し始めた。

 周囲から霧が立ち、番人の姿も朧気になっていく。


『長居が過ぎたな。出来れば、次こそ“楽譜”を手にして参れ』

「僕は……」

『世界の行く末は貴様に任せる。魔術師の処断も自由にせい。貴様の人生だ、精々足掻いて……貴様だけの色で彩ってみせよ』


 遠ざかる門と番人の影。

 まだ訊きたい事はあったが、自然と口が閉まる。

 これ以上ない情報提供だった。

 後は、自分の手で詳らかにして行くのが、本当に為すべき事。

 優太は白んでいく意識の中、最後に響く彼女の声に耳を澄ました。




 “――成し遂げろ、“神亡曲(かみなききょく)”を仕上げるのは……貴様だ。”







アクセスして頂き、誠に有り難うございます。


“還り廟”の番人(ロリ)がネタバレをしましたが、まだ謎は多く残っています(少し言ってて恥ずかしい)。


――――――――――――


・暁と伊耶那岐の契約内容。

・暁と高天原の????。


・皇族について。


・魔術師が“予知”をした手段。

・魔術師が闇人を欲した動機。

・魔術師が災厄だと神族や矛剴が知る原因。


・カムイが“門”を通過した理由。


――――――――――――


 いま挙げられるのはこれだけで、他にも山積みです。

これから、ゆっくりと繙いていきたいです。



次回も宜しくお願い致します。




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