親子喧嘩(壱)/闇の帝王
木っ端と化した当主の屋敷の残骸の上、優太は天高く瓦礫もろとも打ち上げられた後、為す術も無く落下した。因縁の兄弟喧嘩に臨んだ二人を、無粋にも横合いから強襲したのは未知の波動だった。
空間自体を震撼させ、優太達の体内を撹拌する迫撃。光と風圧を伴って通過した衝撃波は、里の入口となる杣道にまで及んだ。
諍う侵入者と矛剴、分け隔て無く悉皆を塗り潰し、圧殺する力の波頭により、鮮血が飛沫となって跡地を彩る。割れた地殻の間に死体は滑り込み、血の渓流が生まれた。
里全体に波及した爆轟により、轟音以外に生命の気配が途絶する。濛々と烽の如く上がる土煙に蔽われ、里の全容は外部からは見えない。
軋むような激痛に全身を叩かれながら、優太は立ち上がった。これまで体験した攻撃でも、異様な氣の流動であった。圧縮された高密度の氣流が放射され、万力の如く空間ごと破壊する力であると同時に、呪術と同じく体内から異物に食い破られる痛みだった。
外的攻撃の範疇を大きく逸脱し、生体を力尽くで捩じ伏せんとした氣の力。神族の揮う膂力や強い衝撃を伴う魔法よりも強力で異なる種の攻撃だった。
しかし、優太は自身の身体を見下ろして疑問に思った。
あれだけの威力を受けながら、五体満足で居る己の現状が不可思議である。生命が原形を留める事すら出来ず、巻き込んだ物体そのものの存在を拒絶するかの様な一撃だった。
邪氣での防御すら展開していない状態で、全く防護となる装備すら無いのに無事で済んだ事が疑わしい。
優太は衝撃波の放たれた方向に気配を察知し、邪氣の小太刀を生成して構える。彼我の距離は推定二丈にも満たない近距離、鋒を翳して威嚇した。
僅かに晴れていく土煙の中、鋭い刃の先に現れた景色に絶句した。優太の脳が外部から取得する情報に対する考察を中止する。
驚愕の余り、優太は凝然と見詰めた。
「……今度は、守れた、よな……?」
肩口から両腕を損失した煌人が、滂沱と溢れる流血で足許に鮮紅の泉を作る。衣服の下からも出血が滲み、前に踏み出して体を支えている足すら拉げていた。
血に塗れた端正な面差しは、苦し気に俯きながら背後の優太に対して微笑する。先刻まで非道な人間として聳え立っていた兄弟は、そこに優太の防壁として佇んだ。
煌人の惨状こそが、優太が攻撃を受けた後にある己の本来の状態であった。攻撃が来た瞬間、彼は理不尽な光の渦と弟の間に割って入り、守り抜いたのだろう。
目的が判らない、響花を殺害した男に非ぬ行為だ。生き別れた弟よりも、身近で支えてくれた彼女こそ価値があった筈である。
その判断について問おうとした刹那、優太は謎の圧迫感に襲われて口を噤む。
煌人より更に向こう側で、拍手の音が聞こえる。土煙の中に朧に浮かぶ人影が、悠然とこちらに接近していた。
身を乗り出して観察しようとした優太だったが、突如として煙幕の中より擲たれた緋色に耀く光の槍に戦き、反り身になって回避する。鼻先を擦過したそれは、高密な氣を練り上げた産物。
後方の木々を抉りながら林間を轟然と進み、遥か離れた山岳部で衝天の柱となって強い光を炸裂させた。強い振動と地鳴りに、遠方から伝わる威力に息を呑む。
煙を手で払って破り、黒衣の人影が現れる。
「時は擬えるものだ。私の後継、そして奴の弟子たる優太と敵対すれば、自ずと過去と同じ運びになる筈だった」
沈黙していた煌人が面を上げる。
今まで前髪を伝っていた大量の血が、彼の頬を伝って顎から滴り、紅い泉に波紋を生む。夥しい出血量に優太でさえ顔を歪めた。
眼前に居る黒衣の男――擦り切れた単衣の長い裾を靡かせ、袴から覗く両脚は鋼の光沢を放っていた。袂から伸びる腕もまた金属であり、間接を曲げる都度に艶が揺蕩う水面の様に変遷する。
その顔面は、黒い仮面で蔽われていた。頭頂も黒の兜を被り、目許も薄い布で覆われて、どちらを視ているかさえ判じられない。
義手と義足、優太が感知した氣流からしても、この相手には生身の部分が少ない。精々、胴と頚の一部、顔面程度だった。
風体から不気味さと周囲を圧する謎の威圧感を充溢させ、二人を制している。
優太は初めて――絶対的強者を目の当たりにした気がした。敵意を懐く事すら憚られる、歯向かえば死も同断。神族すら超越した力の集合体がそこに在った。
両腕を拡げながら、肩を揺らして笑っている。
その傍らの虚空では、意識を失ったゼーダが浮遊していた。彼も重傷を負っている。
「煌人、少々お前という男を見誤っていた。自由に生きる弟への嫉妬より、家族の愛情が勝るとは」
「土壇場で……人間は変わる者だよ、父上」
口端を持ち上げ、生意気に笑う煌人に失笑する男。
父上――優太は頭を振って、存在自体を否定した。生きている筈が無い、そんな訳が無い。
優太と煌人の父、それは嘗てカルデラの坐す山の孕んだ溶岩に呑まれ、無惨にも息絶えた人間である。
その名は拓真、暁の一番弟子にして矛剴で強力無比とされた先代当主。
「誰よりも矛剴に束縛されたお前が、優太を救う道理が無い」
「さて……どうだろうな。響花に会わなければ、そんな事も無かったよ……。それにしても、二人分は……面倒いな」
煌人の足許にある瓦礫が内側から爆ぜる。
四散する木っ端を避けながら優太が見た先に、無傷の響花が横臥していた。肌蹴た服から覗く肌にも外傷は無い。
その状態を見て悟った。自分よりも最優先に、彼は響花に最も注力し、且つ優太を防護していたのだ。如何なる防備も撃ち破らんとする力に対し、自らを犠牲にするだけでは清算出来ぬ力へ傲慢にも二者を庇った。
優太が見上げると、煌人は振り向いて片目を瞑る。
「響花は……俺の、希望だったよ。弟と違って、矛剴の重責に死にそうだった俺を傍で支えてくれた。
呪いよりも重く、他者から虐げられる日常に在りながら懸命に生きる。その強さには素直に惹かれた。
だから……まあ――」
煌人は振り返って、優太の首に下げられた首飾りに目を眇めて笑う。
「あの子が認めた男を、守らなきゃなってさ。弟には胡散臭い男としか見られてないし、良い男として」
「……兄、さん……?」
「本当はお前が羨ましかったよ。運命に強く抗える精神の優太にさ、少し期待してたんだ。お前なら、本気で矛剴だけじゃなく、世界を覆せるんじゃないかと」
「どうして、何で」
「お前ならそれが出来るって信じてた。強い、自慢の弟だ。だからこそ、矛剴になんて縛られて欲しくない……だから、外部の奴等と手を組んだ」
煌人が片膝を突いた。
堪えていたのか、その喉から血が滝となって落ちる。響花に振り掛かり、その艶かしい肌を鮮やかに塗った。
その時、優太の感知する気配が一つ忽然と現れる。煌人の直近に、恰もいま生まれたかの如く出現した生命の息吹。
優太が方向を探り始めるのを待たず、煌人の足許に居た響花が起き上がった。周囲を見渡して茫然自失としている。
驚愕に優太すら硬直し、拓真もまた驚嘆で笑った。
「はは、殺すよう命じた筈だが。まさか仮死状態にしていたとはな。
優太、久しく再会した息子への手向けとして教えよう。この身は聖氣を一度全身に解放させたが、お前の知る通り暁との戦いで四肢や生命機能に大きな傷を負い、今では出力も七割程度だ。
町中にある水晶を媒介に、この力を伝達させて対象を“支配”する。
煌人の体にも水晶を埋め込んだが、抵抗出来るとは予想外だったな」
煌人の体内に細工――優太は即座に理解した。
彼は動けぬ拓真の傀儡として、いつかは判らずとも長い時間を占有されたのだ。響花への殺害行為も、優太との戦闘も、大陸中を掻き回した犯罪までも。
響花は重傷の煌人に、言葉を失っていた。
「響花、矛剴に縛られず……幸せになってくれ。子供は、闇人の小屋より更に南方の山で、卓が匿っている……」
「煌人……様……」
「これまで、他者に利用されてきた、自分の選択を放棄して生きてきた人生、偽りばかりだったけれど、これだけは……これだけは、己の意思だと断言できる」
煌人は首を伸ばし、動けずにいる響花の額に口付けした。
「お前を愛していた」
たった一言――それを最期に、煌人の全身が脱力した。
後方へと体が傾いて行く。
慌てて追い縋って手を伸ばした響花の手を、優太は摑みながら、煌人を胸に抱き締めた。力無い、失われていく体温の感触。
本当に失ったのは、響花ではない。今まで応援してくれた家族は、離れた場所にもう一人いたのだ。
拓真が肩を竦めて笑う。
息子の死を、ただ見下ろしている。響花は彼の正体が拓真だとは把握していない。しかし、留まる処を知らぬ憤懣が沸々と胸の中に起こる。
歯を食い縛り、前方を睨む彼女の傍らで、優太はただ俯いていた。
拓真は兜を押さえ、呆れ半ばに頭を振る。
「見事な道化だったな。弟とそこな娘の為に、争乱の中を奔走し、伏線を張っていたと。傀儡としては杜撰な――」
言葉の途中で、拓真は高圧な氣の衝撃を受けて後方に吹き飛んだ。宙で背転して優雅に着地する。
屋敷の跡地一帯で空気がある一点に向けて収斂する。瓦礫が宙に浮かび上がり、微細に粉砕されて行く。渦巻く不可視の力に巻き込まれ、周囲の木々さえもが歪曲していた。
謎の現象に困惑する響花も、僅かながら背後から波打つ力の躍動を知覚して振り返る。
優太の体から翡翠の氣が粒子となって中空に発散されていた。三角の紋様を浮かばせた真紅の双眸で、拓真を睨め上げる。
「もう良い。もう希望は――捨てた……!」
× × ×
響花に煌人を預け、前に進み出た。
子供達が無事であり、響花が生存しているならば、まだ自分の目的は続いている。救える命は在っても、いま眼前で救えた命は潰えた。自身がまだ子供であるのだと悟る。
目に視える物に囚われ、裏で哭いている誰かの声が聞こえていない。師が悲劇を阻止する為に鍛えた耳目の鋭敏さを生かせず、兄の死を看過した。
心の奥底でまだ不殺で事を成せると信じていたモノは棄てられた。今度こそ、目的完遂の為に非道で非情な人間になれる。
優太は瞳に怒気を滾らせ、拓真と正対した。
「戦ろうというのか?お前では勝てんぞ」
「響花、この場から離れて。兄さんの言う通りに、子供達と落ち合うんだ」
「させんよ。制裁が先だ」
拓真は高く跳躍すると、その片腕で球状に蓄えた氣の塊を殴打するように響花へと叩き付けんとする。落下速度に加えて放たれ、必殺を確約する密度の氣が内側で光を弾かせていた。
肉薄する巨大な氣の塊に萎縮する響花を庇う様に、優太が高速で移動し割って入る。頭上に掲げた両手から、燦然と煌めく円形をした翠の防御壁が展開された。
大気の氣を練り束ねた物であり、優太が邪氣を除いて発動し得る最強の盾。これで落命の危地を幾度も凌いできた。
衝突する二色の氣――優太は上から押し寄せる圧力に、少しずつ膝が折れていく。まだ拓真の第一撃を受けた際の余響が全力を封じている。
振り返って、優太は響花を叱咤した。全力を防御に消尽している今、声は出ない。拓真による不条理な圧力が、絶え間なく優太の芯を叩く。
声なき声による訴えを受け、響花は煌人を氣術で浮かせながら、樹間へと飛び込んだ。
逃げ行く彼女の背を見送り、拓真は小さく仮面の下で嘆息を吐くと、手元へ更に力を込める。
呆気なく防壁は粉砕された。
しかし、球状に留められていた氣もまた炸裂し、当主の屋敷が建っていた場所を更地にする。高熱の爆風に煽られ、間一髪で全身に氣の防護膜を装備した優太は、それでも勢いを殺せずに吹き飛んだ。
衝撃の余波が膜を破り、五臓六腑を内側から乱打する。吐き出した血と共に舞いながら、瓦解した家屋に激突した。
朦朧とする意識、悲鳴を上げる関節。
戦闘に投じるには、あまりに限界な体だった。
空中を移動して接近する拓真は、家屋に埋もれて下半身のみが露となった優太の無様を見下ろす。氣術の位階としては雲泥の差がある。
優太と拓真では、勝敗は前から決しているのだ。
「悪いがお前に勝機は無いぞ。煌人の所為で計画が潰えてしまった……再興の余地も無さそうだ。その上、奴もそろそろお出ましになる頃だ。――早々にあの娘を始末する他に無いな」
その一言が、優太の意識に気付けの鞭を打つ。
家屋の瓦礫が拓真を目指して射出される。爆発的に跳ね上がる発射速度により、烈しい空気摩擦を起こして木片や農具が発火した。
火を巻いて迫るそれらを、拓真は事も無げに氣術で静止させる。近距離で空気摩擦を発生させるに及ぶ速度を発揮させ、物体を操る技量には彼も賞嘆の念を懐く。
感心して見下ろした拓真は、家屋の残骸の中に優太の姿が無い事を察知した。
周囲を見渡そうと首を巡らせ――その逆方向から、虚空を切り裂いて飛行する優太が胴に体当りした。拓真の胴を両腕で捕らえ、響花からより離れた方角へと押していく。
拓真が片腕を無造作に振り上げた。
その拳固が重厚な緋色の氣を纏い、優太の背中を捉えて強かに打擲する。破裂音が鳴り響き、振り抜いた拳の先の地面に優太は叩き付けられた。
蜘蛛の巣状に皹が拡がる窪地の中心に、俯せで倒れる少年へと、闇の帝王は空中で首を竦めた。
彼が両手を打ち合わせると、周囲の地面が捲れ上がり、優太を全方位から挟む。次々と折り重なり、そこに一つの巨大な山が完成した。
「終わりか?お前はその程度なのか。これでも、まだ二割にも届かんくらいだぞ。土壇場で浮力を用いて飛行したのは驚いたが、それだけではつまらん」
拓真によって築かれた歪な山、杜撰に重ねた岩の隙間から翠の光が燦めくと、四方八方へと礫となって飛散した。内側から優太が岩を蹴り上げ、拓真の居る高さまで上昇する。
優太は目指す先で悠然と浮遊する黒衣を睨んだ。
大気中に含有される氣を、一瞬で魔導師数名に相当する量に収束させて操る事が戯れであると豪語する。どれもが今まで目にした、そして想像した高度な技巧を有する氣術師とは桁違いだった。
幾ら氣巧拳で装備した氣の鎧でも、一撃で破壊されてしまう。防御も碌にさせてくれない。
「でも、これで響花とは離れた。これで思う存分戦える――今にアンタを叩き墜としてやる」
「やってみろ、小僧」
拓真の掌中に、直径一尺の球が出現した。それもまた、優太が全神経を注がなければ生成出来ぬ大量の氣を小さく圧縮した塊である。
優太は千里眼で先読みし、直ぐに旋回を始めた。
球から幾つも飛沫の如く氣の弾丸が放出される。高速で滑空する相手の体温を感知して追尾し、接触したと認識すると強大な氣を爆裂させる凶悪な自律型爆弾。
優太は縦横無尽に空を馳せて、紙一重でそれらを回避していた。未来視で着弾が最も危惧される一弾を避けながら、弾雨を発する拓真への活路を探す。
しかし、優太の行動を先回りするように弾が軌道を変える。一発が腹部で弾け、怯んだ隙に次々と連鎖爆発を巻き起こす。
「この鍛え上げた氣術で、お前の『天眼通』と同じ“未来視”を可能にした。空間把握能力を限界まで鍛え上げたこの修身は、もはや数秒先までをも把握する」
「ぐッ――……まだだ……!!」
多方向から氣の拳を受ける優太は、迫り来る弾丸に向けて手を翳す。自分が拓真の実力に及ばない事は承知した。ならば、この戦いの最中で己を鍛えて淘汰する他に勝利への戦法は無い。
緋色の凶弾の数々が、優太に接触する寸前で分解されて淡く微光する粒子に変換された。それらは、後方に伸ばした優太の掌中へと集合していく。
分解と構築、それらの工程を同時並行し片手ずつで行う。拓真から放たれた氣を一度破壊し、自らの一撃へと再組成する。
優太の背後では、巨大な翠の太陽が煌めいていた。里全体を照明する力の集合体を掲げながら宙を蹴り、怨敵へと肉薄しながらそれを投射する。
拓真が己を包む形状で展開した氣の防壁と激突し、夜空の闇を圧倒する閃光が爆音を森へと伝播させた。
爆心地で一人漂う優太。
相手の姿が消えた事を訝り、千里眼で相手の奇襲を予測しようとした瞬間、横合いから高速で接近した拓真の蹴撃を受けた。回転しながら空を劈いて隆起した地面に突っ込む。
勢いはそれだけで止まらず、優太は硬い地殻を突き破って跳ね上がった。氣術で防護していなければ、何度も死を迎えていただろう。
体勢も整えられず、急停止も間に合わないまま上昇する優太へと、轟然と空を滑翔して狡獪に先回りした拓真が拳で打ち下ろす。直下の地面へと息子を容赦無く叩き伏せた。
意識を失い、半身を地面の亀裂に埋めた優太を嘲る。
「弱い、弱いぞ。その程度で歯向かっていたのか。時期尚早だったか……仕方無い、奴の計画通りに事が運ぶのは癪だ」
緩やかに降下しながら、倒れる優太へと掌を向ける。
「ここで死ね――優太」
アクセスして頂き、誠に有り難うございます。
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