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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:優太と道行きの麋──中
238/302

その言の葉は凶いの兆し



 加勢に赴いた四名を見上げ、仁那は暫し途方に暮れた表情で顔色を窺っていたが、瓦礫に埋もれた脚を引き抜く怪物の挙措に意識が再び引き締まる。聖氣を四肢に漲らせ、前に進み出ると両の拳を掲げた。

 敵数は単騎、然れど個体としての戦力は万軍に相当する。多種多彩な生態から織り成す攻勢の手と短時間で著しく成長を遂げる知性。新たに体得した『破邪の型』に易々と追い縋る速度も、兵器という一語すら生易しく思わせる。

 仁那としては、これ程の苦戦を強いられた例として、砂漠で拳を交わした神族の須佐命乎以来であった。否、それにも勝る難敵。

 伸縮自在且つ屈折し射程圏内を縦横無尽に叩く拳撃、外部から受けた熱量や運動量を吸収して放射する生態、純粋に仁那の膂力を受け止める頑強な身体強度。

 仁那が『破邪の型』を解放した状態、その上位交換として戦況の指導権を独占する。瞭然と弱点は露呈しているにも拘わらず、一度として掠りすらしない。

 聖氣の出力はおよそ『二〇%』。許容上限を超えて、調整を誤ると肉体に多大な負荷を齎す。まだ四肢にすら、己の秘めたる聖氣に連動する組織が未完成であった。

 聖氣によって内側から損傷した肉体は、修復が自然治癒であっても遅い。相手は手負いで仕留められる対敵ではないのだ。

 一瞬の隙が死に直結する。

 仁那の双眸に緊張の色が走った。


 深く息を吐いた仁那は、拳を数回にぎり直して腰を低く落とす。前方に右の掌を伸ばし、左拳を脇に引き絞る。顔は正面に据えたまま、右足を一歩前に出して、更に左半身を後方へと煽った。

 乾坤一擲の一打、相手は仁那の戦闘の“型”を既に学んでいる。次の手を予測し、確実に掻い潜って止めを刺す所存。ならば、虚を衝いて相手を滅する事だけが、仁那に残された勝利への恃みだった。

 怪物が肩部の空気噴射で瓦礫を一掃する。

 背から複数の骨管(こっかん)を生成した。蒼火から吸収し蓄積した熱量を使用し、管から肉を内側から焼く火勢で放射。

 豪速で跳躍した怪物に、仁那は停止させていた左を稼働する。地面を薙ぎ掃う回し蹴りで瓦礫の破片を飛散させながら迎撃した。前傾姿勢で襲来する状態では、十全に躱せない。


『遅いゾッっ!!』


 怪物の偉容が歪み、その輪郭を失って行く。

 仁那の脚は見事に敵の胴を寸断した。――しかし、手応えが無い。恰も風に舞う毛布を攻撃した様に虚しい。

 異様な感触に混乱する仁那を、正面から腕を伸長させ、掌の接触面積を拡大させんと巨大化して鷲摑みにした。怪物

 正面から縛する五指から逃れんとし、振り回した足首を伸長、屈折を繰り返して敵の頭上に振り翳す。爪先を敵の後頭部――脊髄などの中枢器官を擁する頚の上部へと定めて放った。

 攻撃を察知した怪物の頚に命中――したが、亦しても虚空を摑む様な感覚。仁那は直近でその謎、怪物の身体に現れた変化を目の当たりにし、その真実を知った。

 怪物は肉体の一部を流動体に変え、攻撃をいなしている。足が貫いた部位は血液が滴っているが、明らかに直撃の寸前で自ら大きな孔を生成して避けた。


『ざざ残念、残念、コレは可哀ソウに』


 仁那を捕らえた右腕を筋肉増殖で肥大化させ、横へと摑んだまま引き摺り回す。瓦礫に激突させ、地面に叩き付けながら抉り、直上の空へと擲つ。

 上空に上げられた仁那は、全身の烈しい痛みに堪え、痛みに塞がりそうな目を凝らせ、直下に移動した敵影へと体を巡らせる。両脇に拳を引き絞り、全力で乱射を繰り出す。

 歪曲する攻撃の軌道、それらが無数の雨となって降り注ぎ、怪物を破壊の渦へと閉じ込める。噴火さながらに吹き上がる土煙と衝撃に、居合わせた一同が身を低くして耐えた。


 もはや戦闘を静観する【鵺】は、呆然としていた。これ程までに強力で無慈悲な生物、本能にのみ従う既存の魔物とは一線を画す異質な存在感。本質はそれ以上に人間の脅威だった。

 仁那の有する規格外の戦闘力に、事も無げに追随して行く能力は、この場に集う者達では太刀打ちが出来ない。無論、優太であっても好転するか定かではない位階の危険。

 アジーテが産出した悪質な化け物。


 傍観する【鵺】は、離脱の策を一考し始めた。

 これ程に強力、それも諢壬を破壊したとなれば、大陸全土が看過する訳もなく、アジーテが流れを想定していない愚者とも考え難い。漸く鎮静化された戦争を再発させる目的か。

 怪物の行動速度と広範囲にわたる射程距離から出るには、両腕を切断した上で再生力を無効化する工夫が必要になる。有効な手段として現状に備えられているとすれば、優太の邪氣での攻撃が効果的。

 仁那による牽制があれば、怪物の魔の手から確実とはいえずとも、高い生存率を確保し得る。成功する手段としても、これが最善だった。


 全員の傍に瓦礫を突き破って物体が飛来した。

 何事かと顔を巡らせた眞菜が慄然として身を固める。その様子を察した仲間もまた、そちらを検めて総毛立った。

 其処に切断された怪物の頭部があった。断面から骨や筋繊維が蠢き、喪失した部位の修復に絡み合って骨肉を尋常ならざる速度で形成する。

 生物ならば自害にも等しき自傷で躊躇い無く行う再生、喩え余人にはない回復力を有した人間でも、培った倫理観で手段としてすら念頭に置かない荒業。事もあろうに、怪物はそれを容易く選択した。

 仁那が攻撃の手を止める。【鵺】の傍に怪物は完全なる復活を果たし、粗挽きの肉塊となった昔の己を摑み取り、捕食を開始した。夥しい流血が歪な下顎を滂沱と伝い、それでも一心不乱に食する姿に全員は動けない。

 完食した怪物が肩を揺らして哄笑する。戦場に比類する者無きと見定めて、己が勝利を疑っていない様子だった。


『エネルギー補給完了――これで全員潰せる』


 地面に四肢を突き立て、背から先端を輝かせた突起を複数生成した。皮膚を突き破ったそれらは怪物の頭上に発光する円環を描かせる。

 次の攻撃が来る、広範囲に甚大な被害を及ぼす爆撃。先刻、至近距離で受けた仁那は、身を以て体感(しっ)ているからこそ、誰よりも先に未然に防ぐべく、渾身の左拳を突き下ろした。

 直線軌道で放った拳骨は、円環の中心部を徹し、胴に風穴を作った。いや、亦しても躱されてしまった。回避の為に肉体変形で接触する部位を流動的に変容させ、効率的に避けている。

 歯噛みする仁那と一同の前で、赫耀は燦めきを増して地上の太陽へと成長していく。全員がもはや阻止を断念し、無駄だと解しながらも防御態勢に入った。


「――氣道・羅刹天」


 遠方の空から黒焔(こくえん)の戦槍――否、弩の如き矢が無音で複数同時に飛来し、怪物の突起の根本を正確にすべて射抜く。貫通した途端に体内の氣流が阻害され、突起に供給されていた氣流が途絶した。

 怪物が意の儘に攻撃を発動できぬ事を悟ると、自身に突き刺さる物体を観察する。焔の如く揺蕩い粉を飛ばすが、皮膚を焦がす熱は無く、寧ろ体内から纂奪されていく感覚に筋肉が萎えた。

 何事かと振り向く素振りの怪物――その横っ面を上半身のみ顕現した漆黒の巨人が、振り上げた拳で強打する。

 深い谷を刻む眉間と面相、逆立てた真紅の頭髪が核である人物の内に眠る感情を体現していた。拳は捉えた相手の角をへし折り、下顎はさながら爆弾を炸裂させた威力で弾かせた。

 仁那は怪物の体から左腕を引き抜いた。殴打で地面を抉り飛ぶ敵の巨躯よりも、眼下に現れた新たなる闖入者を注視した。正体は言わずとも判る、仁那はその名を歓呼する。


「優太さんっ!!」




  ×       ×       ×



 突如として攻撃を妨害され、察知する事も能わず一瞬で殴られた。この事実に対し、文字通り怪物は反り身になって驚倒した。

 天を仰ぎ、欠損した顎からは流血が絶えない。再生力も心做しか減退している。肉体ではなく、体内の氣を直接的に打擲する様な衝撃は、未知の経験だった。

 学習の中で解答を得る理の範疇を逸脱した力による作用。互いに鎬を削った少女が用いた能力と似て非なる怪異な効力である。膂力の云々は無関係、体内の氣のみを狙った打撃は防御の仕様が無い。

 立ち上がろうと上体を起こすと、頚が無造作に地面に落ちた。千切れかかった筋で辛うじて胴体の神経と繋がっているが、頚部は内側から爆裂したかの様に外側へと弾けている。

 己の惨状を確認する事までは出来ず、始終その思考を巡らして徒労に思えてもなお解析する。

 漸う回復力を取り戻し、瞬時に傷を癒さんとした。頚の神経の殆どが接続を終え、全身が蒸気を立てる。

 転瞬。頭上の夜空に漆黒の球体が擲たれた。月光すら照り返さぬ異様な物質は、中空で不可解に停止する。放ったのは、先刻自分を殴り弾いた巨人の心臓たる少年だ。

 怪物がそちらに視線を遣ると、少年が腰を低くし、両の掌を胸前で力を込めて打ち合わせる。


「黑氣術――黒雨(くろさめ)


 炸裂音もさせず、滞空していた異様な輪郭は躍動し、次々と一部を地上へと落とした。放擲の一つが禍々しく刀剣や槍などを象り、次々と凶刃の流星となって荒れ地へと突き立つ。

 落下速度や分裂する武具の数から推察し、変体での回避不可と即座に判断した怪物は、頚を遠くへ引き千切り飛ばす。これで攻撃を遣り過ごし、相手が油断した隙に安全地帯で回復を行って不意を討つ。

 しかし、状況は未だに相手が優位であった。狡獪な思考で敵の撃滅を企んだ怪物だったからこそ、攻撃の微妙な変化をすぐに察する。

 頭上の黒い球体は、怪物の直上の空から離れない。移動しても距離は開かず、未だに凶器の発散を停止せずに追走していた。些細な変化ではあるが、球も少しずつ小さくなっている。

 怪物は頚の断面から肩部と同様の空気噴射機構を生成し、頭部のみで凶器の雨が降り頻る魔境を馳せた。小型の手を側頭部から生み、それを指の間に薄く頑丈かつ柔軟な膜のある形質に変換させて翼にすると、飛行の補助として機能させる。

 縦横無尽に滑翔し、黒い雨を凌いだ怪物は、初めて戦慄し、全身を再生させながら少年を厳しい眼差しで見詰めた。


 戦場に推参した優太は、黑氣術の猛威を回避して見せた怪物に視線を返す。そこから目を離さず、上空から降りて来る仁那に適当に挨拶をして杖を片手に構えた。

 単純な強襲では解決の見込は皆無。無知で挑めば、仁那の二の舞は必至。情報源は決死の覚悟で交戦した彼女が最も鮮明で判断材料となる。

 仁那曰く。

 未発見な部分も含め、多種多様で多方面に多彩な生態から成す戦法は、相手の予測を封じて意図も容易く捩じ伏せる。

 多少の損傷も、数秒が経過すれば完全復活を果たす回復力。優太が目の当たりにした光景から分析すれば、選択的に再生し回復・器官の生成を遂行する。先程の空気噴射機構や歪な手の形成がそれらに該当する。

 射程距離は通常上体で約二丈、伸長に限度は無いかもしれないが、やはりあの怪物も生物の範疇を越えない。質量の関係があり、あの偉躯では直立出来ないのと同様に、伸長した腕を掲げるにも限界があり、恐らく状態維持の時間にこそ上限がある。

 皮膚は頑強の一語に尽きるが、邪氣による吸収・遮断の特性を用いた攻撃、氣術による体内氣流の操作など、体内へ損害を与える事を肝とする流儀の優太には問題無い。接近して邪氣による串刺し、ほんの触れるだけでも生命を刈り取れる。

 街を破壊する爆撃の正体は、圧縮した氣の放出。邪氣で遮蔽してしまえば、凌ぎ果せる。頭部のみが生命活動停止を望める弱点。為すべき事は簡潔で単純だ。

 仁那と互角に渡り合う実力から鑑みて、行動速度は闇人として、生得し研ぎ澄ました視聴力でも対応が間に合わない。規格外の化け物に出し惜しみする必要性があるのなら、それは生存を諦観したのと同意義。

 優太の双眸が鮮紅に染まり、一重の黒い三角模様が虹彩に浮かぶ。氣術で体内氣流を加速・促進して身体機能の強化と増幅を図る。両腕には危殆に備えて邪氣を武装した。

 怪物に半身で対し、少し屈んで背中へと回した仕込み杖の柄を右手で逆手に緩く握る。正面から見れば、恐らく杖は優太に隠れて怪物からは見えない。

 その体勢で待ち構える姿に怪物は猛り狂って跳躍する。全速力で彼我の空隙を駆け抜け、摑み合わせた両の拳を斧の如く少年の頭蓋めがけて振り下ろした。

 誰もが死を悟る――さしもの優太も、この速度に応ずるのは不可能だと、仲間でさえ信じて疑わなかった。


 数秒前に遡る。

 優太の視界には、跳躍の姿勢に入る怪物とは別に、跳び出した後に攻撃を繰り出す像を見出だしていた。

 それは軌跡――一秒か数秒後の時に視点を置いた対象が取る行動。恐らく見てからの反応では到底敵わない。

 敵の次なる行動を、ほんの僅かな予備動作から看取して後の先を取る闇人が至る極致、もはや未来の敵すら視認する異能だった。真髄に辿り着いた者のみが得る。

 性質を遮断に設定した邪氣を仕込に纏わせ、優太は己が捉えた未来の敵影に心を澄ませた。

 優太は静かに、怪物が跳躍の姿勢に入った瞬間に抜刀していた。仲間は意識が大きく躍動する怪物に傾注していたため、その刃の閃きは見えない。いや、恐らく直視していたとしても、速すぎる剣は終端すら補足出来ないだろう。

 結果として、飛び込んだ怪物は胴を横一文字に両断された事も知らず、固く握り合わせた拳を振り翳した。取り残された下半身は、勢い止まずに瓦礫の中へ突き刺さる。

 納刀した優太は、手中で杖を一旋させ、石突を頭上へと掲げた。その場に泰然と体を据えて動かず、怪物の攻撃を甘受する姿勢である。

 空気を押し潰さん勢いで振り下ろされた拳は、その場に巨大な窪地(クレーター)を作る威力を有している。――にもかかわらず、杖の石突と接触した途端にその威は無へと帰して、両腕が停止したのだった。

 怪物は首を傾げて、漸く半身が無い事を悟ったが既に遅く、支える足の無い上体は地面に落下して俯せに倒れ伏す。その頭部を踏みしめて、優太は頚部で脊髄を保護していると思しき部位を推し測った。


 攻撃を止めた原理は、氣術師でも高度な技術力を要する手練だった。

 怪物が相手を叩き潰す為に作動させた腕の運動に伴う氣流の速度や氣の量、それと対になる氣流の向きと同じ速度、そして量を杖に作り出して衝突した際に相殺した。互いに食い合った氣は、流速も体内で運搬される氣の量も攻撃前の状態へと強制的に戻ったのだ。

 曾て炭鉱町での決闘にて、(クロガネ)に対し用いた技である。以前は無意識であったにせよ、今や呼吸も同然に扱えるのだった。


 優太は右の掌底を怪物の頚部に叩き込む。

 最も生体で氣が集中する心臓と脊髄、どちらであっても損傷すれば甚大な被害となる。

 更に、肉体の殆どを捨てて頚を保護する行動からしても、脊髄の損傷は、心臓以上にこの怪物にとって危険なのだと了知した。

 優太の手が触れて僅か数秒、怪物が口内から紅い飛沫を散らす。体内氣流の操作で、血流及び神経に伝わる生体電気に用いられる氣を逆流させた。生物として、絶命必至の痛撃である。

 断末魔の痙攣を残すばかりの怪物を見下ろし、優太は念の為に脳組織を破壊しようと仕込を抜いて鋒を翳す。


『まだマダ……終わラナいッ!』

「ッ――こいつ……!?」


 優太の瞳が深紅に光った。

 およそ一瞬の後、自分を狙い撃つ敵の豪拳の像を捉える。仁那の様な身体強度の無い優太ならば、一切の余地無く命脈を絶たれてしまう。

 怪物の脳天を蹴って後方へと跳んだ。

 草履の足の裏を擦過していく黒い腕に空気が唸る。生体機能を破壊した筈だが、もう動ける状態にまで復調していた。

 優太は背転倒立を繰り返して仲間の側まで移動する。草履を見ると、片足は藁が抉れて穴が生まれ、足袋の一部が砂を踏んでいた。

 これまで如何なる手段でも確実性の高い氣術による抹殺が効かない。対象としては様々な魔物などでも実験したが、失敗した例は皆無。根本から生物とは異なる理の世界に身を置く住人なのか。

 いや、それよりも異質だった。掌と衝突した時、あの感触は……


「饕餮……だったか。氣術が効かない」

「えっ!それ、倒しようがないよ!?」


 狼狽える仁那を制して、優太は続けた。


「触れた時の違和感から推察するに、ヤツの躰は純粋に生物の肉で構成されていない」

「……というと?」

「明らかに、不純物。何か特殊な物質でも混ぜられている。益々確信を得たよ、これは天然の生物ではない。

 ――人為的に産出された兵器だ」


 饕餮は再生が遅延され、まだ腰までしか取り戻せず、立ち上がる事に苦慮している。眥や口端から滝の如く血を流している、明らかに重傷、それでも止まらない。

 街を破壊し、人々を大量に殺傷した機能。

 優太や結、ガフマンなどは暫し殺戮兵器と卑称されるが、それは能力が余人に比べて稀有であり強大だからこそ。戦場では誰よりも討滅に有効策ではあっても、能力の用途が大量殺戮に限らない。

 しかし、この饕餮は違う。

 紛れもなく、純然たる殺戮のみを目的として生み出し、必要な機能を備えた本物の兵器だった。






  ×       ×       ×




 仁那の奇跡の力、優太の人体破壊にのみ集中した氣術すら有効打にならない。益々謎の深まる怪物――饕餮の脅威に、皆が身構える。

 敵対者全員を見下ろし、特に優太へ警戒で瞳を鋭く光らせていた。足の五指を残して、既に体組織の九割が修復を完了した状態である。また振り出しだった。

 そのまま攻撃を再開すると、優太は仕込の柄に手を伸ばしたが、饕餮は踵を返して置き去りになった下半身を摑み上げ、再び捕食を始める。亦しても取り残した自分の半身に齧り付く行動に、優太も疑問を呈した。

 栄養補給……確かに、あの尋常一様ではない再生には、多大な氣などを消費するだろう。だからこそ、分離して栄養を含んだままの肉体で補い、摂取しているのか。

 今は栄養の補給を行わないと戦闘の続行が困難だと仮定したならば、今こそ討伐の好機だろう。

 しかし、そんな思惑を無視するかの様に一分と経たずに食事を終えた饕餮は、何度か多方向の空を振り仰いだ後、猛烈な空気噴射で上空へと昇る。頭上からの砲撃に備え、拳を引き絞った仁那だったが、饕餮のいつまでも仕掛けぬ様子を訝った。

 北の空に向けて前傾姿勢になった饕餮は、一度だけ頚を撓らせて、眼下後方に立ち尽くす一同にけたけたと笑い声を上げる。


『任務完了ラしい。それニ、ナーリンが待っテル。だカラ帰る……次会っタら絶対に殺すカら、覚悟シテおけ』

「待て饕餮、お前の主を問おうッ!」


 西吾の張り上げた声に、饕餮は冷たい声音で返した。

 それは、知性を宿した魔物とか、そんな類いの物ではない。限りなく人間に近い獣だった。


『ダから、グラウロス。次、間違エタラ今殺す』


 猛然と北の空へ消えて行く姿態を静かに見守った後、長らく緊張感に満ちていた場の空気が弛緩して優太以外が座り込む。

 絶望的な状況下、勝敗すら判らない死闘は、怪物の撤退によって閉幕した。釈然としない結末であり、また先で再び饕餮が現れるという示唆。

 優太は主がアジーテであると推測していた。命令する立場としても、恐らくその考えで相違ない。しかし、ナーリンという一語に引っかかる。

 人名なのか、饕餮が囁いた時の声は穏やかだった。


 最も苛烈な戦闘を繰り広げた仁那は、能力を解除して仰向けに倒れた。疲労の所為か眠っており、頬を叩いても反応が無い。

 困り果てた【鵺】だったが、嘆息して仁那を担いだサミは、ふと優太の方へと視線を巡らせる。


「泥吉は、姉に保護されたか?」

「……ああ、頼もしい用心棒を連れていた。恐らく、当面は問題無い」


 姉……互いに思い遣りあう姉弟。

 優太としては、煌人が唯一の肉親ではあるものの、やはり未だ猜疑心を払拭できない。だからこそ矛剴殲滅でも躊躇い無く斬れるが、替わりに最も強敵になりかねない。

 十二支も並大抵の戦士では対処が不可能。【鵺】の全席力で拮抗、または全滅が苦しい所である。

 カリーナは、姉と断じて良いのか否か。優太に対し、尊大に命令を下す姿、大人びた雰囲気は姉として遜色無いが、従弟であろうと労働力として最大限活用する遣り方に、優太は思考を停止し、無駄に考える事を止めた。

 自分が家族と呼べるのは、花衣と師匠、受容してくれた燈、生き別れた母とゼーダ。

 ゼーダは無事だろう。

 響花からの手紙があるという事は、それだけ闇人の小屋の環境が穏やかであるという証左。あの時の様に襲撃などの大事は無い。

 しかし、優太に矛剴からの刺客が嗾けられている中で、彼が無事であるというのが些か疑問に思える。


「それで、これからどうする?」

「……先ずは、先に矛剴殲滅を終わらせよう。里に戻って充分な休息を摂った後、以前示し合わせた作戦内容を決行する」


 優太の判断に、逡巡すら見せずに眞菜と西吾、ナタスにルリが(うなず)く。同族殺しに加担する、その意味を弁えた上での判断だった。正誤や倫理観などを排し、【鵺】として頭目である優太が実行するのなら従うまで。

 しかし、サミの顔色は優れなかった。彼の言葉には動かず、顔に渋面を作っている。


「どうした?」

「本当に、こんな道しかないのか。矛剴と判り合える事はないのかっ?」


 優太は漸く得心して、彼女を見た。

 闇精族として、矛剴とは親交がある。さらには、戦の後に同族の遺骸を可能な限り全力で回収し、丁重に弔うほどに同族に義理堅い彼等ならば、確かに優太の矛剴殲滅に潔い同意を示せないのは仕方ない。

 しかし、矛剴を野放しにする――それは大陸同盟戦争を経た後の新時代で、彼等が再び大陸で最大の脅威になる。白印の呪いはそのままに、憎悪の矛先を失った彼等は狂乱し、暴走の果てに見境無く人々を殺めるだろう。

 宿運の呪縛――優太は右の拳を、皮膚が蒼白くなるほどに固く握り締めた。


「……矛剴は危険だ。その妄執も、呪いから解き放たれても本質は変わらないよ」


 優太は自嘲気味に笑って、サミに背を向けて歩き出した。荒地となった諢壬の一掃された景観の寂寥を血臭がより凄惨な光景に変える。感受性の高い者が居たならば、拒否反応で嘔吐していたかもしれない。

 瓦礫の隙間から伸ばし、そのまま死後硬直で虚空に掌を拡げたまま停止している手。瓦礫の隙間から溢れ、乾いて貼り付いた生々しい血痕。火に炙られて舞う人だった灰。爆撃の余波で逃れられなかった住民の肉片が散乱する。

 戦争か終わろうとも、優太の歩む道行は剣呑でいつも死臭に充ちている。跋扈する敵意に気の休まる(とき)は無く、常時携帯した仕込み杖で一つ、また一つと刺客を屠った。或いは、自らが刺客となって誰かを暗殺する。


「もう、僕にはこれしか無いんだ」


 優太の自己憐憫に満ちた独り言は、誰にも聞かれず夜気に溶けていった。


 東の夜空から、優太めがけて紙鶴が飛翔する。

 先んじて気配を感知したサミが指し示すと、優太は手で受け止めた。

 差出人には、響花とある。

 優太は紙面をゆっくり展げた。

 響花の契約呪術の解放という吉報の後とあり、彼女から改めて感謝の意を示した手紙なのだと予想し、西吾と眞菜が額を寄せて手紙を見詰める。

 内容は――無かった。一見は白紙だったのだ。

 しかし、目の鋭い優太や獣人族、魔族という面子では、紙の中に残る僅かな痕跡も見逃さない。暫く眺めていたが、優太は紙面のある位置に目を留めた。


『助けて、助け――――』


 優太は、血の気の引いて行く感覚に襲われる。

 次いでそれを発見した眞菜と西吾でさえ瞠目し、赭馗密林の邦楽を睨む。


「何か……何かが里で起きている……?」


 優太は懐中に手紙を押し込み、振り返る。

 事情も聞かず、自身に向けられた一瞥のみで察したナタスは背を低くした。全員が飛び乗ると、翼で空気を摑み、ゆっくりと浮上していく。

 悠々と空を我が物と泳ぐ場合ではない、優太達の知己に何か危機が差し迫っている。


 優太は首飾りの水晶に手を当てて、頭に過る不安を振り払った。

 一同は里への道程を急ぐ。




アクセスして頂き、誠に有り難うございます。


次回から怒濤の展開です(予告)。


矛剴と優太、主神が矛剴を呪いで縛った真実、暁とは別に裏ですべての糸を引いていた黒幕、煌人の想い、響花と子供達……全部に決着がつきます。


次回も宜しくお願い致します。




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