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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:優太と道行きの麋──中
232/302

蒼火と紫陽花


 屋敷の庭園に出た怪物は、凍り付いた岸壁と雪原を見回す。学院長は襟巻きに白衣の前身頃を閉じてもまだ、震える体を抱いていた。防寒対策を余念無く講じた厚着も、中央大陸北陸部の寒気は繊維の隙間から刺すかの如き寒風が吹く。

 怪物の体表は厚い皮膚で固められているといえども、諸肌脱ぎにした上半身と氷原に付けた掌や裸足は寒い筈であった。しかし、特性ゆえに気候の寒暖には耐性を備えており、初めて見る雪を手で掻き上げ、巻き上がる刹那の氷霧と戯れている。

 製作から驚異的な成長速度を見せた怪物に、外界との接触で刺激を与える。戦闘行為は後日行うとして、知性の急成長に未だ余地があるなら、焦らず機を待つ必要があった。再測定ではあるものの、二日後には成熟した人間と差異無い思考回路が完成する。

 従属する親と学院長以外を信ずるに値せぬ人間とし、戦闘兵器として育む。大戦後に世界が残り新体制が確立した後にも、差し向けられる悪意への抑止力として稼働する。無論、どんな猛者であろうと勝機は無い、喩え竜族であろうとも苦戦は必至。

 巨躯が躍動する都度に地響きの様な音が伴い、近辺に立つ樹木の梢から氷塊が落ちた。雪景に躍り、暫し独りで遊んでいたが、足許の雪塊を拾い上げて掌中で何度も握り直す。崩れる雪を再度持ち、再び球体を作らんとし始めた。

 小さな物が出来ると、氷原の上を転がして巨大化を試みる。雪塊が堆積した雪を巻き込み、大きくなって行くと学んだのだろう。ある程度まですると、次は別の球体の製作に取り掛かる。先程の工程で学習し、より能率的な作業を独自で模索した。

 学院長は感嘆に細い息を吐く。

 知的好奇心が強い印象がある。仮に物の製作が進み、己の能力を弁えれば、道具の製作を行うまでに至るかもしれない。専ら食欲に偏っていた獰猛な欲求も、これから多岐に渡って追及して行く。

 怪物は二つの球を合体させ、雪達磨を完成させた。目鼻や腕を再現すべく、側にあった木々の枝葉を折って突き刺す位置を勘考し、石も拾って試行錯誤を繰り返す。遂に稚拙ながら人を模した達磨の完成体を見回した後、腕を振り上げた。

 怪物は喉を鳴らして笑う。天高く掲げた拳固を、雪達磨の頭頂に振り下ろした。次は破壊衝動、物を壊して新たに創造する事で以前よりも精巧に作るという“意識”が生まれたのだ。

 学院長が卑屈な笑みを浮かべて静観する中、達磨を両断しようとした拳が静止した。訝って見ると、怪物が頚を捻って屋敷へと振り向いている。学院長もまた、そちらを見遣ると召し遣いの少女ナーリンが窓から見ていた。

 怪物は屋敷へと一跳躍で接近すると、壁を指先で破壊して中から強引にナーリンを摑み出す。悲鳴を上げた様子も委細構わず、再び跳び上がって雪達磨の前でナーリンを降ろした。未だ恐怖と寒気で震えつつ、目前にある達磨を暫し凝視して小首を傾げる。

 怪物は口許を笑みに歪め、頚を忙しくナーリンの左右から覗き込む様に振るった。


『ドウッ?ドウッ!?ナーリン、コレノ出来映エ、完成度、仕上ガリ』

「……目より、鼻の位置が高い」

『エッ、エッ、エッ、エッ?疑問、疑念、疑心。ナーリン、ノ顔、人相、面相、見セテ、看セテ、視セテ』


 震えるナーリンの様子に漸く気付き、怪物が股引で無造作に拭った両の掌で包んだ。掌中で淡い橙の光が溢れ、寒気を和らげる熱が発生した。折り畳まれた怪物の五指に腰掛けた彼女の表情も柔らかくなる。

 その間、怪物はその顔を凝然と確認していた。自身の雪達磨と比較して、頚を再び荒々しく振るっては唸り声を上げる。学院長の驚倒する姿すら気に留めず、ナーリンを再び凝視した。

 大きな黒い掌に身を委ねていたナーリンは、正面に据えられた怪物の顔面に身を固める。やはり、何度も対面はしているが、正視に堪えない凶相だった。子供の悪夢でもなく、戦士すら恐懼する威容。しかし、悪辣な学院長の最高傑作は、制作者とは異なり少女に優しい。

 突然、怪物が項垂れた。小さく呻き声を発し、体調不良かと学院長とナーリンが覗き込む。


『駄目、無理、不可能』

「どっ、どうしたの?」

『ナーリン、綺麗、美麗、端麗。コレ見本、規矩、手本ニ、再現、実現、表現、ハ無理ダロ』

「そ、そんな事は無い。それに、良く出来ていて、綺麗な雪達磨だよ」

『慰撫、励マシ、鼓舞、ハ不要』


 悄然と肩を落とし、雪達磨の傍で踞る。必至に宥めるナーリン。その両者の様子を、学院長は愕然と見守っていた。元来、他者とは相容れぬ性質になると想定された化け物が特定の個人に自慢し、評価の云々で気分を左右される。

 想定外でありながら、最悪の光景だった。親以外の相手に心を開くというのは、容易く外部に懐柔されてしまう事。即ち、最高傑作の兵器が転々と利用される悪夢が誕生する。

 怪物は不意に、袖から出た少女の指先を視た。金属の光沢を放ち、関節を曲げる度に硬い音が鳴る。自身の掌を見下ろして、頚を大袈裟に傾げた。繊細な力加減で指先により、彼女の腕全体を軽く触って確かめる。


『ナーリン?手、肱、肩、ガ違ウ、変、異様』

「……作り物だから」

『肉ハ無クシタ、失ッタ、消エタ?』

「うん」

『…………コレ、汚イ。ナーリン、ノ、肌、膚、皮ハ、モット……雪ミタイニ』

「……グラウロス?」


 怪物の肩部が歪に膨張し、瘤を形成した。無造作に千切り、指先で怪音を鳴らして捏ね始める。分離した肉は、変形する毎に白く変色して行き、やがて腕の形を生成した。怪物の指先から、更に小さな手が生まれ、より精巧に関節や窪みを再現すべく圧力を加える。

 何事かと覗いていたナーリンは、次第に意識が遠退いて行く感覚に意識を侵食され、怪物の掌に力無く横臥した。既に怪物の背骨から分岐した筒状の骨から、以前鎮痛の効果を催した霧が撒布されている。今回は麻痺、麻酔の類いを体内より分泌して発散した怪物の能力であった。

 ナーリンが眠った事を確認し、複製された小さな腕が彼女の衣服を脱がして行く。義手義足の継ぎ目となる部分が晒された時、怪物は動きを一瞬止めた。しかし、再び片腕で肉の脚部を造り始め、一方の腕は継ぎ目の補強具等を解除して行き、血の滲む手元を滑らせず慎重に作業を続ける。

 現在は麻酔で痛覚が限りなく鈍い。ナーリンは全く目覚める予感もさせぬ程に沈黙していた。興味深く静観していた学院長の前で、自身の一部から造り出した人間の腕をナーリンの肩に接続し、脚部も同時並行で接着する。

 若干の体色の差違は見えるが、生身の四肢がある。本来ならば異物として体内の細胞が知覚し、免疫攻撃が始まる人体の条理を無視し、怪物は人間の喪失した肉体を補った。雪達磨を製作していた頃よりも、明らかに手先の精密さや思考力が飛躍している。

 意識を取り戻したナーリンが、肩や大腿に走った痺れに驚いて起き上がる。神経の接続した衝撃に伴い、凄まじい激痛を発した。薄く涙を浮かべたが、次第に脈が通り血液の循環する感覚に己の手足がある事を察する。

 驚怖の余りに言葉を失い、自分の体を見回す他に出来ないナーリンへ、怪物は静かに彼女の声を待っていた。双眸は期待と興奮によって平時よりも輝く。

 さしもの学院長も、この反応は芳しくないと断じて歩み寄る。親よりも信頼する者が出来れば、制御下に置けなくなる。確実に服従させるには、現段階でナーリンと隔離する事。


「貴様ッ!先刻(さっき)から勝手な真似を……!おい、零零伍番も出撃に備えて格納庫に戻れ!」

『耳障リ、五月蝿イ、騒ガシイ。ソレニ、名前、名称、呼名ハ番号ジャナクテ、グラウロス』


 威嚇の一瞥で制止され、止まった学院長を無視した。


「ぐ、グラウロス……これは?」

『ナーリン用ニ、為ニ、ノニ、今拵エタ!』

「私の……手足?」

『少シ汚イケド、マダマシ、及第点、妥協』

「私なんかの為に……?」


 怪物は凄然とした笑みを浮かべる。


『本ニアッタ、グラウロス……ナーリンノ、同郷?同胞?同士?……違ウ、友達ダロ』


 ナーリンはその回答に暫し硬直した後、初めて破顔した。


「ありがとう、グラウロス」

『エート――――ドウ、イタシマシテ?礼ニハ及バナイ?マアナ?』


 後世に中央大陸史上で最も悪の産物と伝記される殺戮兵器(グラウロス)は、ただ一人の少女(ナーリン)の謝意に苦笑混じりで応えた。

 屋敷から泣き黶の男性が現れる。


「それじゃあ――グラウロス?出撃して貰うよ」

「なッ……もうですか……!?」

「契約呪術の解除の為に、諢壬には五日目の晩当たりに来る筈だ。其処を狙い撃つ。期待しているよ、グラウロス」


 怪物はナーリンを一瞥する。


『スグ帰還、生還スル、任セロ』




  ×       ×       ×



 日は暮れて茜色の空を制圧する夜の紺碧が呑み込む。静閑とした住宅街は、人々が異常災害の猛威に襲われて消えた事で、より夜気が冷たくなっていた。屋内に避難した者達の中にはも、未だ外出行為にすら怖じ気を震う場合もある。そこかしこでは、土地の管理者でありながら避難喚起すら出さずに居た阿吽一族を紛糾する運動の熱が微かに高まっていた。

 何者かによる尽力で被害拡大は阻止されたが、再発する恐れに諢壬の警邏が迅速な原因究明の調査を開始する。発生源は地下という情報に従い、捜査協力の為に奴隷商の祭典も中止された。この活動にさえ、阿吽一族は沈黙を貫く。

 いずれ問題の渦中の中心となる阿吽一族の屋敷は、生命を貪る“泥”の災禍を免れて静かに佇んでいる。煩わしい悲鳴や騒音が過ぎ去り、庭園のを眺望する縁側に青年が仰臥していた。襖を開けて夜風に当たり、外衣(コート)の裾を地面に汚すのも厭わずに広げる。

 日課である昼寝を阻害された事で、大いに気分が優れず天井を仰ぐ視線は鋭い。無造作な黒髪を掻き乱して起き上がった。

 元来端整な面差しは、躰の大部分に負った火傷を匿すべく、上半身には下唇の下から頚、手背、踝まで保護する薄い奇怪な下着(インナー)を着ている。新陳代謝の調整が困難な彼は、外気に当たって休む事を好んでおり、特段冬は外で過ごす頻度が高く、服装は北陸特有の寒気に晒されてなお薄着。高襟の外衣は襟を捲って七分丈になっており、黒のズボンも腰帯(ベルト)できつく絞らねばならない不相応な丈の物。臑まである革の長靴も通気孔が設けられ、装備は一貫して防寒としての機能を果たしていない。

 見張役として夬に一任された信頼は、部下の中でも並ぶ者が居ない。然れど、強い信用に応える忠義の気概を欠いた様子に、不平声を吐く者は絶えず周囲に居る。その態度もまた、夬本人にも伝わっていながらも、最も有能であると判断し、屋敷を預けるに足る側近の地位に就かせたのは、偏に強大な能力を持つからであった。

 機動力、判断力等の戦闘に関連する能力の他、多岐に応ずる能力に於いて統計して高い実力を有する。夬よりも明晰な思考、指揮を行う事から特殊工作部隊を統括する場合も委任される事が暫し。

 自ら作り出した空想上の神を信奉し、北大陸から中央大陸へ追放された伝説の血統の出身であるとされ、幼少期は東西の小さな争乱の種ともなったが、休戦協定の裏で行われる争奪戦を制した東国に渡った。

 本人に自覚は無いが、西国西端の部族に祀られる神族の長女『天照大御神(ビャーナクルタ)』の寵愛を享け、普く凡てを掃う“刧火”を主に、様々な『加護』を代々授かったカムイ一族。その末裔として西と東を転々と移動していた。その始点となったのは、”北の孤児院“である。

 曾ては神童と謳われた優秀な元少年兵。赤髭の占める中枢政権の内の一人である高官に養子として引き取られたが、待っていたのは大人の嗜虐であり、能力に由来して皮膚を焦がされる虐待に遭った。その一家が失墜して以来、放浪の旅を続ける。

 西国にも渡り、修身と嘯いて冒険者に一度は登録し、魔物の討伐を建前に迷宮を一つ焼失させたり、徒党を組んだ反社会組織(註.反乱軍の前身となる小さな団体)が潜伏する基地を襲撃。一度は過激行為に指名手配を受けるが、幾つも身分を偽って生きた彼は捕らわれる事が無かった。

 人間、魔物、無差別に敵対してきた彼は世間で狂人とまで謂われ、討伐隊すら編成される始末。これを逃れる為に、暫く僻地諢壬へと身を寄せて既に数年の月日が経つ。別段夬への忠誠心を心に持つ訳でもなく、罪責を逃れて逗留した先に長く居座る程度だった。

 騒動の最中、町内に侵入した【鵺】が地下街にて襲撃を始め、夬が捕縛れた事も見当が付いていたもあり、襖の側には纏めた荷物が置かれている。先ず【鵺】を率いる闇人の冷徹な人柄を把握した上で、既に夬は絶命したと達観した。

 敵の正体が阿吽一族であると名言していないにも拘わらず、忠実なる部下の一人を縛して次手を講じる際には、夬へと敵意の焦点を定めていた事から推察すると、闇人には如何なる秘匿の意も無効にし、強制的に情報を奪う術がある。直接対峙するのは危険、恐らく契約呪術解除の為に屋敷へ赴くのは時間の問題。

 不易な戦闘は避けるべく、早急に阿吽一族の屋敷を離れる算段を企てていた。火傷の疼痛に顔を僅かに歪めながら、外衣の裾を捌いて肩に雑嚢を担ぐ。次なる拠す所を求める足先だけは、門を潜って決別を告げる跫を靴底で立てんとした。

 しかし、青年は足を止めて後ろを顧みる。屋内から漏出した悲鳴と(しし)()つ音。杜撰な管理体制の地下牢で行われる蛮行である。阿吽一族の前途は暗澹としている事すら思慮に無く、悦楽に興じる下劣な元部下の歓声も聞こえた。

 再び歩き出そうとして、一際大きな悲鳴が上がる。僅かに驚いて踏み出した爪先が固まり、足許を睨んで一考した。

 青年は愚かと嘲りながらも、不意に地下で辱しめられる女性を想起する。一度しか面会していないが、地下街から調達した見目麗しい同じ年ほどの異性。悲鳴の大きさからして、五体に傷を入れられたのかもしれない。

 他者の安全を想う人情に欠いた青年は、興味本意で踵を返して地下牢へ。廊下を往く間にも、召し遣いが荷物を所持した旅支度の様相に戸惑っているのも眼中に無く、足は倦まず弛まず下を目指した。この地で高位の役職を獲得した事もあり、屋敷内では殆ど無断で動けるのは彼のみ。

 青年は地下牢前に立つ奇態な風貌に目を留めた。深く被った帽子に三本の角を持つ山羊の頭部、天井に届かん長身を曲げた黒装束の男。阿吽一族と現在協定を締結した異端審問機関(バーサルト)に所属し、契約呪術を発動した張本人である。

 後刻には闇人に葬られる末路を知らず、手中では小さく虫を千切って口に運んでいた。食事中とあり、青年には気付いていない。時折、悲鳴と共に面を上げては肩を揺らして笑声を溢す。女性の惨事を肴としているのだろう。

 青年は笑って、爪先で男を蹴る。


「よう、何してんだ。中は随分とお楽しみな様だけれど」

「……!――ああ、灯羣(ヒムラ)殿。斯様な醜い欲の溜まり場へ如何した?」

「ちィと用事があってさ、女の面でも拝もうと」

「ははっ、灯羣殿にも嗜虐の心得がありましたか。では楽しんで下さいな」

「ありがと。ああ、それとだな――」


 外衣に付いた砂を叩き落として青年は微笑を浮かべながら、男の帽子を無造作に上から押さえ付けた。視界を塞がれて狼狽え、手元の虫を落とす男の様子に、一変した冷たい表情を浮かべる。

 触れる帽子から蒸気が上がり、次第に周囲の景色が熱によって歪む。男の声もまた、女性の悲鳴を掻き消すほどの悲鳴と化した。


「――その名前も今日から不要だ」


 蒼い炎が掌中から溢れ、一瞬にして男を包んだ。高温の熱に直接焼かれ、半身は既に灰塵となって床に落ちていた。青年がもう一方の片手で床に延焼する炎を吸収する。

 僅かな焼け跡を遺し、男は死した。後々屋敷に到着する闇人よりも先に始末した動機は、単なる気分でしかない。本人は女性の惨憺たる姿よりも、目先に居る男の焼死体に悦を覚えた。尤も、死体の身許が分からぬ程度に焼尽した故に、闇人も此所で立ち往生するだろう。

 指先に残る灰を落とし、青年は地下牢の鍵に触れる。指先から迸る炎熱が鉄を熔解させ、施錠された扉は抵抗もせず開く。石段を軽快に降りて行き、悲鳴の発生源までの道を辿る。

 反響する声と無粋な壁の織り成す閉塞感に、青年は不快感で顔に渋面を作った。これ以上進む興味を途中で削がれてしまう。指先に蒼い炎を灯し て鬱屈とした暗中を歩む。

 夬は地下街から定期的に少女などを召し遣いなどを名目に買い取り、職務で疲労した部下の欲の捌け口として相手をさせる。何より、彼は同性愛者であり、専ら対象とされた経験のある青年が体裁でも完全な忠義を誓わない第一要因。


「次はアジーテの野郎に就くかな」


 青年は地下牢に到着した。

 歩む先の一室では、複数名の男に集られている女性を発見する。女性は髪を引っ張られており、躰の各所には刃傷があり、近くには短剣が落ちていた。大きな悲鳴の火元が判明し、青年は肩を竦めた。

 主の危殆も悟れずに興じる彼等を嗤笑しながら、大きく響くように拍手する。乾いた音に、動きが一斉に止まった。剣呑な生業とあって、音には敏感なのだ。それも、悟られずに背後を取られたとなれば警戒心を抱くのは必然。

 遊戯を妨害され、敵襲かと険相で振り向いた一同は、青年の姿に直ぐに態度を変えて平伏した。


「お前ら、出動命令だ。主様が大変だぞ」

「灯羣様は、やはり屋敷の守衛で動けぬと」

「だから頼むわ」

「はっ!承知致しました!」

「そうそう、任せた――――――よっと!」


 衣服を着用し、牢の外へと背を向けた数名を背後から焼き滅ぼす。両の掌から放出した浄化の火焔で瞬時に灰へと変換する。明るくなった地下空間は、再び闇に鎖された。

 灰を靴で掃って女性へと向き直る。

 毛先の跳ねた黄土色の短髪に、眦のつり上がった強気な印象を受ける目。傷物といえど豊かな肉置きは異性を魅惑する魔力を充分備えている。

 短剣を片手に握り締め、震える足で立ち上がった。


「何するんだよ、そんな危ねぇ(モン)なんか持って」

「弟の所へ……帰るのよ!」

「ああ、きっと死んでるぜ、そいつ?」


 諧謔調で放った青年の言葉に、女性の表情が消える。


「外じゃ未曾有の災害が発生したんだよ。地下街含めて町人の数は半数まで減少。家屋に被害は無いけど、死傷者は多いぞ?それも、地下街がその過半数を占めてる」

「う、嘘……」

「お前に嘘付いて得あるのは、いま灰になった奴等ぐらいだろ。別に俺は様子見に来ただけで苦しむ顔なんか興味無いし、コイツらを燃やしたのも気分だ」


 女性は必至に首を横へ振って否定するが、動揺の色も見せぬ青年に脱力して項垂れた。


「死んでない……弟は、死んでない!」

「そうかぃ、弟想いで素敵だな。何でも良いけれど、取りあえずはお前をどうするかな?」


 手中で蒼い炎を滾らせる。

 女性は恐怖心も無く、喪失感に打ち拉がれて動かぬ様子だった。青年は興醒めしたと炎を消し、女性の首を摑んで持ち上げる。か細い苦鳴を上げる彼女を正面から視た。

 先程までの絶望は失せ、今や憤怒と生への活力に相貌を染めている。生き存らえる為でも、青年には一切媚びる様子の無い強壮さが瞳の奥から放たれていた。面食らった青年は、片方の口角だけを上げる。


「つまんねぇ顔すんなよ。――そうだな、いつか俺を楽しませる時の為に連れてくか」

「……何っ……を……ッ?」

「これから北へ向かう。今はまだ、お前を如何に使うか悩んでいる。だから、思い付くまで手元に置くとするよ」


 青年の言葉に女性の顔が蒼褪めた。

 街を離れてしまえば、弟の安否すら判らない。仮に生存していたとしても、彼の気分に依っては永久の別れともなる。


「待って……せめて、弟を探しに行かせて!」

「……仕方無いな。地下街には少ししか寄らねぇぞ。つか、その前に服だな」


 男は雑嚢をからもう一着の外衣を取り出して投げ渡す。


「……確か、灯羣だったでしょ。アンタは……」

「いや、それ本当の名前じゃ無いし。誰にも本名明かす積もり無い。あ、人に訊く時はまず自分から名乗れよ」

「……紫陽花(アジサイ)、そう呼ばれてる。本当の名前は家族だけにしか明かさない」


 ロイヤ――その名は死した両親と弟しか知らない秘密の名である。喩え、己の命運が青年に委ねられていたとしても、決して信念だけは譲らない。

 青年は虚空を見詰めて顎を掻いた。


「……じゃあ、俺は……」

蒼火(アオビ)

「あ?」


 思わず間の抜けた表情となった青年に、女性――紫陽花は不敵な笑みを浮かべた。


「どうせ今考えようとしてたなら、先に付けても問題ないでしょ」

「……立場判ってんのかよ。現状、お前は俺の所有物だぞ?」

「返事は?」

「おい、だから――」

「返事!」

「…………はいはい」

「早く服を持って来る!」

「命令する気力があるなら、自分で探せよ。少しは働いていたんだろ、此所で」

「じゃあ運んで、歩けないから」

「地下で待ってろよ、仕様がないな」

「こんな場所に取り残すなんて有り得ない!」

「注文が多い、調子に乗るなよ。後で尻叩きしてやる」


 青年――蒼火は両腕で紫陽花を抱え上げ、地下牢獄を後にした。




  ×       ×       ×



 阿吽一族の屋敷を脱した青年――蒼火は、背後に紫陽花を随えて街路を歩む。屋外の安全を既に確かめた町人達が小さな集団を隅で作り、情報共有を行っていた。蒼火の予想通り、これから騒動の中心は屋敷へと舞台を変える。慎ましくも平和だった日々との訣別が始まった。

 行動可能な程度まで回復した紫陽花は、それでも片足の腱を切断されてしまい、跛行も危険な状態として足を包帯と添え木で固定し、松葉杖を突かせる。

 蒼火は幾度か立ち止まり、彼女の足許を見遣った。壊死させず、二月程度で回復するように、屋敷内の備蓄にあった薬品や道具で処置を行ったため問題は無い。自身の火傷もあり、医術にも心得があった。紫陽花を抱えて運ぶ心積もりは無く、その様子を見守るのみである。

 利用価値の有無を判断すべく手元に置く己の酔狂と雖も、紫陽花は夬の下で契約を交わした奴隷である。現に呪術の術式を組み込んだ金具の首輪を嵌められていた。夬の生命活動の停止が確認されない以上、破棄される事も無い。

 紫陽花の首輪が未だに機能している事を鑑みて、夬が生存していたとしても契約書を焼却してしまえば無効となる。しかし、屋敷の内部構造を具に確認した上で、阿吽一族が所有する奴隷の契約書の保管庫、夬の執務室や書斎に隠された仕掛を作動させたが、何処にも無かったのだ。

 夬本人が携帯している可能性は無い。記憶を辿れば、密談に来訪していたアジーテ一族の長に何人かを提供していた。商品条件に人族、それも傷云々は関係無いとする奇妙な内容である。腱を切断されているとはいえ、肢体の大きな欠損は無い。紫陽花も商品として提供され、契約書を譲渡した場合も考え得る。

 なればこそ、北に潜伏するアジーテ一族と合流しなくてはならなかった。転倒しかけた紫陽花は、蒼火の外衣を摑んで踏み堪える。引っ張られた彼は、その腕を引いて立たせた。


「埒が空かない、荷車とか牽くか」

「蒼火が押すの?」

「馬だっつの。旅の醍醐味は徒歩だから遠慮していた手段だったんだが」

「そんな辛気臭い顔をして旅の良さを語られても説得力ない」

「燃すぞッ……!」


 蒼火は路傍へと移動させた紫陽花へ待機命令を降し、コートを脱いで羽織らせると徐にその場を立ち去った。

 紫陽花は町人や街の風体を見回す。長らく地下で生活を送り、夬に雇用されて以降は屋敷から外出する機会が錚々なかった。故に、街を穏やかな気分で観る現状が怪異に思える。弟の安否確認を急ぎたいが、足が付いて行かない。

 無力感に苛まれる彼女の元へ、戛々と地面を打つ馬の蹄と車輪の音が近付く。面を上げると、小さな荷台を輓曳する黒毛の馬を拵えて来た。我が物顔で手綱を引く蒼火は、紫陽花の隣へと飛び降りる。

 両腕で紫陽花を抱え上げ、荷台へと乗せた。自身は前に乗り、再び手綱を操って馬体を撓り打つ。馬の嘶く声と共に、街路の中央を緩やかに発進する。


「諢壬の商売は災害後で膠着状態、お前用の旅装束は行商人にでも注文する他に無いな」

「北……何で?それに、私が一緒に行く必要性無い」

「北にお前の奴隷契約書を所持してる輩が居る。奴等からそれを剥奪して、俺の物にしなきゃ始まらんだろ。契約内容に『期日内の受け渡しが完了しなかった場合、奴隷は死ぬ』、だなんてあったら元も子も無い。……さっさと弟見付けるぞ」

「待って、弟も連れて行く気!?」


 蒼火は振り返って小首を傾げる。


「お前な、俺がいつまでも怪我人の世話する訳無いだろ。弟も離れたくないとか駄々を捏ねる未来も目に見えてる」

「……足手纏いを増やす積もり?」

「お前と二人きりよりは現状改善に繋がる」


 中央広場を目指していた蒼火は、不意に前方の空に浮かぶ黒影に視線を留めた。次第に接近し、輪郭が大きく、明瞭になって行く。漠然とした危機感に手綱を放して立ち上がった。

 こちらも存在を気取り、背後から身を乗り出す紫陽花を片腕で制止した。高空から迫る影の速度は尋常一様ではない。全身を砲弾、それ以上に加速した質量体として直進している。

 蒼火は前方一帯へと強烈な蒼い炎を放射した。太く伸びる一条の光線の如く空を切り裂き、猛然と滑空を止めない黒影を正面から迫撃する。赤い熱をも凌駕する炎を一点集中に圧縮し放つ、蒼火の必殺必滅の一撃であった。

 幾ら巨体でも貫通し、指向性のある炎の軌道を少し移動させるだけで寸断可能。前方へ加速を続ける怪物には必中不可避、想定される最小限に留めた損耗も身体半焼となる。

 しかし、眼前に肉薄する巨影は、寸前で軟体の如く躰を歪曲させて光線を躱して他方へ飛行する。蒼火達の側面へと回り込み、背から強力な空気噴射を行って方向転換し、再び高速で接近を開始した。

 荷台へと飛び移った蒼火は、紫陽花を庇い立って右腕を無造作に振るった。荷馬車を包む半透明な立方体の壁が生成される。空間自体を断絶し、隔離する鉄壁は周囲一帯の空気を凝固させた物。破壊するには魔法や砲弾の火力でも困難。途中で再突撃を始めた怪物では、撃ち破る為に蓄えた突進力も損なわれ、充分に発揮できない。

 しかし、怪物の翼と思われた部位が変容し、太い腕となって空気の壁に叩き付けられた。空間全体が軋む音と、激しい振動で発生した重圧が内部の二人を襲う。透明な正方形に亀裂が走り、小さな穴が穿たれた。

 隙間から頚を捩じ込む怪物は、頬被りの薄布を面前に掛けて、恐らく獰猛な狂気を孕む面相を隠している。握力のみで空気凝固の壁を破壊し始め、蒼火は手綱を焼ききって馬を解放すると紫陽花を抱えて能力を解除し、荷馬車から飛び降りた。

 抵抗力を失った怪物は、そのまま荷台に着地する。掌を見下ろして激しく頚部を振る怪物から距離を置いて、馬を口笛で呼び寄せた。踞る黒い偉躯の背後を駆け抜け、馬は二人の側へ寄る。

 諢壬に滞在中、多用していた為に懐かれ、厩舎に預けていた黒馬だからこそ反応した。紫陽花を馬上に移動させる。


「……”劫火(マルドゥク)“が至近距離にありながら崩壊しない耐熱性と容易く放射攻撃を躱す速度、“空隔(エンリル)”も破壊する膂力か」

「にっ、人間の友達が作れないからって、あんな物と気安く関わるべきじゃないでしょう!?」

「冗談言えるほど余裕なら捨てるぞ。友人なんざ居ない……少なくとも、あんな化け物はな」


 怪物は漸う立ち上がると、二人を見遣った。


『人間ノ排除、殺戮、殲滅。早ク終ワラセテ、ナーリント遊ブ』

「俺らは不特定多数の標的(ターゲット)の一部か。そう逃がしてはくれなさそうだな」


 蒼火は馬を後方の路地へと転回させ、手綱を紫陽花に握らせた。

 怪物の方へと進み出て、肩越しに言い放つ。


「綱で方向転換と減速(ブレーキ)、撓り打ちで加速、足で軽く叩く時は一回が降りる、二回は前進開始だ」

「なっ……蒼火はどうするの!?」

「殺さなきゃ止まないだろう、こんなの。最悪は他を殿にして撤退する、それまで離れた場所で待ってろ」


 蒼火が臀部を蹴り上げると、黒馬は駆け出した。紫陽花は小さな悲鳴を残し、遠くへと行く。怪物が追走の体勢に変わった瞬間、蒼火は五指の先から蒼い火焔を球状にして複数放った。

 威力は小さくとも、熱量は凄まじく皮膚を焼き蝕む。足を止めた怪物に対し、大胆不敵に手招きをする。


「野暮用を作りやがって。来いよ、遊び相手になってやる」

『……面白イ、楽シイ、ワクワク!』







アクセスして頂き、誠に有り難うございます。

もうすぐ三月、色々な意味での転換期ですね……小説は変わらず書いて行こうと思います。

(一周年経ってたので、自分を祝おうかと思います。……よく遣った、自分!これからも書け、自分!)


次回も宜しくお願い致します。



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