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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:優太と道行きの麋──中
231/302

破邪の拳/優太の嘘

長くなりました。


 国境――神城付近の山岳部。

 屋敷の底には、機を待って獣が蠢いていた。

 体毛の無い大猩々の如き漆黒の偉躯は、部屋の隅に蹲って居る。扁平な鼻梁では感情の機微を読み取るのは難しい。突出した下顎部から漏れる吐息は荒く、矩形の歯牙の下より覘く眼は、理性と獣性が葛藤して爛々と光る。熱り立つ躰を抑える様に、五指で時折掻く様に床を抉った。

 脳を頭蓋の内側に叩き付ける勢いで忙しなく首を傾げ、闇に鎖された周囲に視線を這わせる。足許の瓦礫を指で打ち、壁に当てて跳ね返る物を再び打つ。所在無さげに天井を仰いで、長く太い頚部を激しく振る。その様子は、恰も玩具の不十分な環境に独り紛糾する童であった。

 外部から鉄扉に圧力が加わり、蝶番の軋む音に機敏に顔だけをそちらに巡らせる。数時間後に再び学院長と少女を伴った背広姿の男性に、呼吸を止めて中腰の姿勢で停止した。

 男性の背後では、平らげられた食後の鉄板の血を拭い、恭しく取り上げて引き下がる少女が居る。怪物はそちらを目で追い、長大な腕で背骨の突起を掻く。

 学院長が分析した生態等を仔細に説明し始めた時、少女が鉄板を取り落とした。室内に騒々しく反響する音に口を止め、学院長が彼女へと歩み寄る。直近に立つと、平手で仮借無い打擲を浴びせた。衝撃に頬を抑えて倒れると、続け様に腹部を何度も練り上げる。

 苦悶で呻く少女の姿に、学院長は恍惚の相であった。男性は低劣と卑称する光景を見て、表面上は笑顔を繕いながら、泣き黶の下の眼輪筋を幽かに引き攣らせる。大きく凋落した身分とあって、心痛の負担を軽減すべく不燃の怒りの捌け口を求めた結果、自身よりも非力な弱者を嫐る事で発散されていたのだ。

 戦禍で喪失した四肢に代替し、新たに与えられた不馴れな義手義足。訓練の中で順応した。しかし、厳冬の地域に本拠地を移転してから、気候の影響で金物は凍傷を負う恐れがあり、新たに耐寒仕様の物へと変更すると、再び訓練を始めなくてはならない。未だ五指も自由が利かず、生活の端々で些細な作業にも難儀する始末。

 些末な失敗であろうと、学院長は目敏く咎めて躾を建前に少女を甚振った。それが愉悦の材であるとは薄々感付いてはいるものの、命を救われた恩情には逆らえず、努めて悲鳴を押し殺して堪える。故に、軍服の下は内出血の痣等があって人目には曝せない。

 学院長の暴力がより苛烈になる。男性は傍観しており、興味も失せて髪を手で梳いた。今は趣向に奔った学院長を止めるのは野暮、無干渉でありたいという一念のみ。

 その隣で静止していた怪物が腕を伸ばし、人間の胴を掌握する程の手で二人の間に割り入る。昂る衝動に身を委ねていた学院長は、遮られて痛憤に厳しく睨む。怪物は動じず、黙然と学院長を凝視していた。

 我が手に生産された作品の一つに妨害を受けた事が甚だ気に喰わず、黒い腕を殴り付ける。無論、老身の放つ細やかな膂力では微動だにせず、寧ろその拳骨は硬い感触に痛みを訴えた。

 長い頚部を伸長させ、異常な程に大きく開いた顎で捕食せんと、牙で床を擦りながら学院長へ襲い掛かる。男性が寸前で合掌させ乾いた音を鳴らすと、怪物は動きを停めて首を戻した。

 少女を掌中に摑み、無造作に持ち上げて二人から遠い部屋の隅に移動させる。恐怖で壁に背を凭れて硬直する学院長と、笑顔を絶やさぬ男性へと頚を撓らせ高速で交互に振り向く。理性の無い狂乱の様相だが、それでも背後の少女を蔽い匿す様に立つ。

 学院長が怒声で糾するが、男性が肩を叩いて諌めた。説明では僅かな知性と絶対服従の習性のみと聞いていたが、この短時間で物事に関心を示すまでに成長している。男性を観察し、学院長も視界に捉えて様子を窺う要心深さ。

 懸念されていた難題、戦闘では弱点となるであろう狂暴性への偏向――即ち理性の薄弱さは、少女の存在を糧に、個体の成長を促進された。製作段階では全く想定されなかった徴候に学院長も驚いている。

 少女が当惑して床を四つ這いで移動すると、後ろ手に伸ばした腕で制した。反らせた頚で弧を描き、奇怪な姿勢で見詰める。瞼は無く、常に血走った双眸を向けられ、少女も萎縮していた。

 男性は白い長嘆の息を吐いて、呆れ笑いを浮かべると首を横へ振る。恐らく主命であっても、少女の如何を譲歩する思慮は微塵も持ち合わせていないのだと察した。


「お前の親は私です。私の敵を排除する事こそ使命と弁えなさい。近い内、お前には出撃して貰います」

『嫌、無理、拒否。デモ実行、承知、遣ル。父サン、父上、親父?場所、位置、配置ハ?』

「迎撃です、対象は屋敷に接近する総て」

『了解、了知、承諾!』


 首を勢いよく戻し、顎を強か床へ幾度も叩き付けて首肯する。飛散する破片に退いた男性は、学院長と共に部屋を辞した。より長時間の対話を経て、その知能も人間に近い位階まで発達する可能性がある。敵対者の討滅には是非とも欲しいが、身内を狡猾に欺す術に長ける危険性も混在していた。

 強力にして凶悪、制御を誤ってはならないのである。仮に謀反を企図するまでになれば、此れを処理するのに被害は計り知れない。恐らく、大陸中は愚か史上最悪の魔物を誕生させてしまったのだろう。だからこそ、己が計略には必須であり、期待以上だった。これならば、大陸全土を掌理するのも遠い未来ではない。

 男性はくつくつと含み笑いを漏らして、廊下を軽快な足取りで進んだ。


 二人が退室した後、怪物は後方へ振り向いて踞る人物に顔を接近させる。呼吸は荒く、吐息が熱風と化して少女の前髪を煽った。獲物を至近に捉えた瞳ではなく、好奇心に観察をする理性の光を宿す。

 少女が恐る恐る面を上げて再び怯えた。明確な怯懦を目の当たりにし、首を左右へと空気を唸らせて振るった怪物は、彼女から飛び退いて距離を置く。無闇な接触が相手の畏怖を育み、現状に於いて逆効果であると学習したのだ。

 傷の痛みに躰を抱く少女。元より癒えていなかった負傷が、より酷くなっていると気付いて、膝に額を埋めて嗚咽する。己の身の上を覚悟した積もりだったが、やはり心を押し殺して過ごす事の困難に精神が悲鳴を上げていた。

 打ち拉がれる少女に、怪物が体を震わせる。隆起した背骨から、新たな骨が生成されて分岐し、筒状で少女へと伸びた。直上で止まり、孔から緑黄の霧が噴き出す。

 謎の霧が気管に入って咳き込んだ少女は、ふと己の身体に現れた変化に気付いて驚いた。暴力の痕から発する鈍痛と熱が引いて行く。上着の裾を捲って検めると、傷は癒えていない。霧が鎮痛作用を齎しているのだと解して怪物を見遣った。

 骨を体内へと再び収納し、怪物は膝の上に組んだ腕に顎を乗せ、歪な面貌に笑みを浮かべた。子供ならば凄み、泣いて退散する恐ろしい表情だが、今の少女には怪物こそ無邪気な子供の様に見える。

 ゆっくりと歩み寄り、緊張に強張る筋肉を叱咤して前に立つ。怪物が口を開けて、瓦礫の一つを口に含んだ。頬を何度か膨らませ、固い咀嚼音を鳴らす。再び顎を下げた時には、紫の舌の上から球状になった岩が転がる。

 少女が表面を撫でると、体液に濡れている訳でもなく、表面は滑らかにされていた。削られたなら粗く、撫でた指先の皮膚を傷める筈だが、流水に永い時を経て作られた岸壁の様な感触。

 この怪物に、一体どんな性能が搭載されているのか。興味で顔を見上げた時、その異貌は以前よりも恐ろしくなかった。

 怪物は裂けた口端を笑顔で攣り上げ、小さく笑声を上げた。


『遊ブ、戯レル、興ジル。俺、僕、我、私?ト一緒ニ、共ニ』

「……貴方の、名前は?」

『名前、名称、呼名?君、貴女、オ前、ハ?』

「……ナーリン」


 少女――ナーリンが懐中から出したのは、古い本だった。表紙は剥がれ落ち、頁の端は焼け落ちた痕跡がある。これは彼女が戦で学院長に保護される以前から所有していた大事な品であり、唯一過去の己との乖離を阻止する証。

 保護される前の名は使えぬとして、物語の主人公から譲受したのである。飢饉など災厄に見舞われた里の出身であった主人公が、それらの原因とされる悪魔の王を退治すべく、偶然拾った卵より孵化した竜と共に立ち上がり、仲間を得て活躍する。喩え虚構の世界であったとしても、絶望する彼女を鼓舞する内容だった。頁をぱらぱらと捲ると、怪物は不思議そうに見入る。

 器用に指の間に挟み、怪物が取り上げた。ナーリンは驚いて取り戻さんとするが、片腕で押さえ付けられ、膝上に広げて物色される本を見詰める。

 中身を検めた怪物が再び首を高速で振り傾げ始めた。

 思考能力も低い今、相手の個体名を記憶するまでは脳が発達していないのかもしれない。思案した少女の前で、怪物が急停止する。そしてナーリンへと本を戻す途中、ある部分に綴られた一文を指し示した。


『――グラウロス』


 物語の主軸――卵の竜の名前を指し示し怪物は笑った。





  ×       ×       ×



 上空で飛行を続ける仁那達は、街一帯を襲う謎の災厄を俯瞰していた。街路を流れる濁流は、内側に怨念を孕み、生者を呑み込んで大きく膨れ上がる。一瞬の悲鳴もまた、怨嗟の叫びに変じて行く。

 正体不明の奔流は、屋内には侵入せず、外に居る生命体を優先的に捕食する。工事の騒ぎを聞き付けた住民は、その餌さとなって更なる膨張を促進させた。途方もない犠牲、鎮静化する気配などしない暴虐である。打つ手無し、しかし己の精神世界に坐す相棒の祐輔より、その正体が開示された。

 黄泉國の使徒――この世界と隣接する死者の行き着く終着地『黄泉國』から召喚された魂の渦である。世界全体を循環する邪氣の一部が、ある特定の“座標”――同質の力を蓄積する闇人の近辺へと集束する事で暴発し、この世に顕現した力。

 世界は戦争と平和、交互に行われる事で“輪廻の環”に循環する魂の量の均衡を維持していた。伊耶那岐はこれにより、『黄泉國』へと伊邪那美を封印する力へと変換している。人の本能に闘争本能と防衛本能、二つが備わったのもまた一対の神が互いを監視する為の仕業。

 前例の暁は、戦争が絶えず行われる事で“輪廻の環”の一部が崩壊し、一つの街を消失させた。物質に作用はせず、魂自体を奪って行く。防御するには聖氣のみで、無論それらを開花させていない人類は為す術無く屠殺された。里を出て北大陸に赴く際に一度、祐輔が同行していた時期に二度発生し、対処法は仙術のみ。

 今回の状況下から考え得る推論は、小さな紛争等も鎮圧された影響。即ち、暁の時代とは対照的に、平和による“過少な犠牲”により、邪氣や魂の補給を求めて黄泉國の使徒が遣わされた。

 充分な補給が完了すれば、使徒は還って行く。要因としては必要犠牲の数に合う人口、闇人の位置。最大でも半日程度の現象、一度逃れれば範囲も限定されている。

 説明を聞き終えて、仁那は空中で静止すると、(ジーンズ)の裾を捲り、両脇に拳を引き絞って深呼吸を繰り返す。不審に思った飜が隣で滞空する。彼女が躰に纏った氣が天色へと変じ、地面へと急降下して行く。飜でさえも追えない速度で落下し、直下で闇色の泥が飛沫を上げた。

 円形に泥が斥けられた空間が生まれ、中心では満身から青空の様に澄んだ蒼い光を迸らせる少女の姿が、地上を侵食する第二の天空の如く燦然と煌めく。

 片っ端から存在する生命を刈り取る亡者の激湍に向け正拳を放った。仁那の腕を延長するかの如く、氣で生成された腕が伸長して突き抜けて行く。再び泥が風圧に敗北し、街路から一掃された。

 風に洗われた街路に飜も降り立つ。泥の消えた景観よりも、それを作り出した仁那の力に驚嘆した。五感とは異なり、先天性の特殊能力や培った技術で氣を感知する事に疎い飜でも、身に犇と感じる高圧な氣の波動。全力の呀屡の膂力でも届かない破壊を体現していた。


「なら――わっせは問題無いね。このまま、根源を叩く!」

「んだよ、この力……」

「で、出鱈目すぎる……!!」


 二人の驚怖に震える姿に、祐輔が内心で嘲る。

 戦争までの準備期間、強力な力だからと慢心せず、仁那は鍛練に励んでいた。最強の敵たる暁に対抗するには、吸収・遮断・放出を操る邪氣を対処する事が第一の課題。操作精度に於いても、歴代の闇人を秀逸した存在であり、人間の身体を捌く術理に長け、翻って己の体術も世界で比類する者無き位階。世界の現況で、勝機があるのは最強と謳われる『Lv.10』の冒険者、或いは『四片』の加護を持つ四名。

 暁を打倒するには、圧倒的な膂力と速度、技と邪氣による妨害を意に介さぬ能力。『四片』の力に依存するのではなく、先ず己自身を昇華させなくてはならない。この意志の下で、修行は開始された。

 ガフマンが己が“肉体に宿るモノ”を開放させた様に、仁那もまた肉体に眠る力を開放せんと練り上げた。そして骨身を削る気勢で挑み、彼女は遂に獲得する。

 ある日に不意に浮かんだ発想で、左手の刻印に宿る四種の氣を全身に同時解放させた事を端緒に、微力ではありながら引き出した。そこで『伊耶那岐の噐』としてではなく、『仁那自身』の肉体の内に秘められた能力を開花させたのである。

 即ち、仁那本人が元来から擁する”聖氣“。

 本来ならば、人が生涯覚醒させる事も無い力である。但し、仁那自身も未だ発現が全身に到達していない。後の調査でガフマンは全身が開花しているが、それも本人の無意識であり、且つ発動可能な体部は半身のみの限定されている。仁那も、四肢に集中した部位が限界。

 それでも、思考速度や身体能力、外的攻撃への強度は通常時を遥かに凌駕する。『四片』のみではない、仁那の本質を開放した姿。何よりも”聖氣“自体が個体で異なる性質を有する。

 ガフマンの“聖氣”は対象を燃焼・熔解を起源とする『灼熱』。

 仁那は本人の願望が強く反映されており、救済が届かず苦しむ人々にもまた手が届く、悪意によって匿された者も暴き救抜する。また、その手が人々を脅かす毒や災いを遮る盾や鎧の役を果たす。

 救いを齎す御手――『仏陀(ブッタ)』。仁那が意識すれば、射程圏は千極の首都から南部の港湾都市にまで及ぶ。訪ねた事の無い地域へは正確な制御が不可能ではあるものの、届く位置にある。

 反動が無い上に発動までの所要時間が無い分、いま現在で仁那が最速で放てる能力。

 四肢の表面が黒金の光沢を放ち、拳の先から小さく青い火花が断続的に散る。上着(ジャージ)は両肩と背に波紋模様、脚や腕にも天色の光る線が浮かぶ。額には二本の角を象る焔が揺れる。


『何だっけか、『仁那・破邪の型』つったか。……本当にテメェにしちゃ命名の感性(センス)が良いよな』

「ふふふ、でしょ!……ん?それって、わっせの事バカにしてるよね?」

『それ以外にあるかよ』

「ちょっ、酷いよ!」


 仁那は不平声で悪態を吐きながら、中心街の方を振り仰ぐ。最も高く上がる“泥の柱”を見据えて跳躍の姿勢を整える寸前で、背後から上がる町民達の悲鳴に停止した。原因を打破する間に何名の死者が出るか。

 方向転換し、仁那は高く跳び上がった。彼女が去った後は強風が吹き荒れ、身構えても煽られて後退してしまう。通過した跳躍の余波に安堵した飜は、付近から穴を埋めんと再び迫る泥の気配を察した。呀屡を再び抱え、上空へと翔ぶ。

 眺望する街の景色の一劃では、町人を垣の内側へ高速で避難させる仁那の姿。もはや残像が明瞭な輪郭を映す勢い。しかし、泥の手は広範囲に渡り、仁那単体でも救える範囲と数には限度がある。

 飜と共に上空を移動する呀屡は、自身の身体を触って確かめる。負傷は仁那の能力によって治癒した、行動に支障を来す枷は無い。


「飜!ぼくらもやるよ!」

「マジかよ、死にたくねー!」

「泥が来る前に救助、(ヤバ)くなったら垣の内側にでも避難すれば良い!」

「好きな女の子に感化され過ぎだろ!?夬様はどうすんだ」

「……それよりも、遣りたい事を見付けた」

「おいおい、正気かよ。やるか!」


 情緒不安定になりつつも飜は仁那とは別に西側へと旋回し、翼で虚空を強く叩いて加速した。飜の最高速度で移動すれば、一分で現地に到着可能。泥の侵攻状態から概算すると、残り数分で街全体に行き届く。屋内や高所に避難した人間以外を救助対象とする。

 夬が治める土地、其所に住まう人々を死守するのもまた呀屡達の務め。主の安否も懸念されるが、目前の命を見捨てる訳にはいかない。呀屡としても、諢壬の安全云々は二の次である自覚があり、最も意識にあったのは仁那に守られてばかりでは隣に立てないという焦慮だった。

 阿吽一族の屋敷に居る同士に救援を要請する猶予も無い。救助活動を目的とした時、泥の原因を究明し取り除くにも、自分達ではまだ力不足であるという過酷な現実を改めて突き付けられる。鍵となるのは、中心街の“高い柱”だろう。

 呀屡が中心街の方角を確認すると、問題の起点たる位置の上空に鉄色の竜が滞空していた。背には何名かの人影。直下では幾度も碧の電閃が鋭く奔り、一部が変容して巨人を模す“泥”を寸断していた。

 飜は眉間に険しく皺を作り、明らかな嫌悪感を示して見ていた。速度を維持しながら、それでも他方に意識を回す余裕は賛嘆に値するが、呀屡は訝って見上げる。


「どうしたのさ?」

「彼処で……闇人が戦闘してるな。上空の竜なんか、夬様の購入した商品じゃねぇか。概ね、解放を交換条件に協力、それか懐柔したんだろ」

「竜って……それじゃあ夬様も」

「多分、捕まってるな。これじゃあ、計画も台無しだぜ」


 二人は沈黙した。

 主を見捨てて優先する事が背信に当たる。その行為への躊躇いが呀屡の胸裏で生まれるが、それでも飜は加速を止めない。何故ならば、夬を理由にして彼はいつも諢壬から離れなかった。現状が変化する事に怯えていた、恩人が重い桎梏となっているのだ。

 だからこそ、変調の兆しとなった仁那が居る今こそ、呀屡を救う好機だと飜は断じた。

 腕の中で、呀屡が瞼を固く閉じて顔を逸らし、歯を食い縛る。その様子に飜は苦笑して、西側の空へと翔んだ。



 被害拡大が収まり、“泥”が消失したのは四時間後だった。



  ×       ×       ×


 諢壬を襲った未曾有の災厄。犠牲者数は町人の半数にまで及ぶ激甚なる被害。北部、西部を中心に救助作業を遂行した三名の尽力により、屋内や屋根上に逃れた町人は安全であった。

 地下街に蔓延っていた奴隷商や奴隷達、そして貧民街の住人も同様に、屋内に避難していた者を覗いて全滅。突然の災害に見舞われて興を削がれた祝祭の参加者を束ねた集団が数時間後、土地の責任者たる阿吽一族への批判運動を始める。

 平和を貪っていた住民もまた、烈しい騒動の渦中に巻き込まれ、久しい闘争の熱が弾ける。敵対勢力の差別が付かぬ程に争い、(ほとぼり)が冷めるまで街は荒廃の様相を呈した。

 その発端であり、未だ騒動前で静寂の空気を湛える中心街の広間に一体の竜が着陸している。その足許では、夬を拘束した西吾と眞菜が我が手柄と主張し、主人へと差し出す。怯えた被拘束者の面には、一族の当主を嗣いだ矜持も信念も欠片すら無かった。

 両手を腰の後ろで縛られ、膝立ちで待機させられた夬は、目の前から歩み寄る影に心底からの悲鳴を上げる。対抗策として用意しようとした竜に裏切られ、手足を傷つけられ、今や拷問に遭おうとしている。

 “泥”との戦闘で疲労していたが、響花の余命も一日と残り僅か。悠長に休憩をしている暇も無い。優太は屈み込み、夬の前髪を摑んで強引に面を上げると、真紅の双眸で覗き込んだ。

 夬は真正面にある虹彩に浮かんだ三角を見詰め返すと、次第に催眠状態に陥って目を見開いたまま失神した。過去から未来まで視通す瞳の前には、如何なる隠蔽も通用しない。

 暫くして、優太が手を離して立ち上がる。夬は地面に額を打ち付け、頭を垂れたまま沈黙した。命の惜しさに情報提供を拒む感情は無く、部下同様に死するまでに至らず、サミは安堵の息を吐いた。

 優太はその隣に居る泥吉の前で立ち止まる。


「君の姉は、まだ生きている」

「ほ、本当かよ!?」

「夬の部下の玩具として。屋敷の地下牢に監禁されている。奴は殺すなり何なり、好きにしろ」


 泥吉の顔が憤怒で赤く染まり、倒れている夬へ拳を何度も打ち付ける。姉を辱しめる外道、いつか喉笛を噛み切る積もりであったが、曾て無い程の憎悪で意識が燃える。サミが諌めるが、止まらない。烈しい憎しみで染まった相貌は、殺害するまで収まる気配が無かった。

 優太はその様子を肩越しに見遣って、次に竜族――ナタスへと振り向く。


「西吾が交わした約定を果たそう。僕もまた、君が“姫と慕う少女”の救抜に協力する。地下牢だから、君では入れない」

『……地下の“泥”から逃れるには、彼等の手無しには出来なかった。それでは対価が釣り合わぬ、追加報酬も厭わず呑もう』

「なら【鵺】に加わるんだ、その少女共々ね」

『……了解した、ルリを頼む』


 優太は口端に微かな笑みを浮かべた。

 長距離移動で時間短縮をするにも、人の足では遅い。矛剴の里、北の辺境諢壬、そしていずれ向かう土地についても、【鵺】の移動時間を短縮する道具が必須。ナタスの飛行能力等が好適であり、“泥”の消失後に行った事情聴取で知ったルリもまた、戦力としては期待できる。

 響花の呪いを解いて矛剴を殲滅する目的の達成に近づく為に戦力を増強しなくてはならない。やはり、響花に契約呪術を掛けた者は、外貌からも異端審問機関(バーサルト)と思しき人物であり、阿吽一族の屋敷に潜伏している。

 南方諸島原住民と一度交わした故に性質は把握しており、一方が契約内容に拘わらず死亡すれば呪術の効果は無効。解決法は単純、ただ相手を暗殺するだけで事足りる。

 泥吉が得た屋敷の内部構造が恃みとなる。隠し通路や罠の類いは、現地で看破する以外の方法は無いが、千里眼の能力を用いれば造作も無く、優太は既に侵入方法を既に考え始めていた。

 上連の前に立ち、一礼する。


「改めて、お久し振りです」

「そうだな。再会が長過ぎるだろ?花衣も、新しい男見付けたぞ」

「――は?」

「いや、嘘、冗談だって。怖いから、そんな目をするな!悪かったって!」


 杖に伸ばした手を止め、優太は険相のまま話す。


「上連さんは、どんな任務で此所へ?」

「カリーナ嬢からのお達しでね」

「そんな呼び方、こ、殺されますよ……?」

「小僧でもカリーナ嬢は怖いのか。今一、俺には判らんのだが」


 蒼褪めた優太の顔を見て、上連も笑顔を引き攣らせた。記憶を手繰ると、たしかにカリーナの関係者全員が彼女の名を口にすると、苦笑するか、或いは恐怖で震える。特に反応が精神的大損害を受けた様な秘書ジーデスであり、それらと比して例外があるとするなら笑顔で語る勇者のみ。

 従弟とあって二人は対等かと思ったが、優太の反応を見るに並ぶ者は大陸には居ないと理解した。西国の王や、赤髭さえも言説で平伏させる彼女の姿を想起して、自身の軽率な呼称を後悔する。

 上連は咳払いで誤魔化し、優太の前に一枚の書状を差し出した。受け取った彼が内容を検める。

 軍事的協力を要請しているが、一向に返事の無い阿吽一族への監察。直接返事を受け取り、仮にこれを拒否した場合には、身辺の調査を強制する。

 優太は内容に眉を顰めた。

 軍備への費用を懸念し、非協力的な者が現れても何ら不思議では無い。各地でも同じ主張を持つ者も在るだろう。何故、阿吽一族への通達が上連を介して行われたのか。


「以前から、阿吽一族に不審な動きがあったんだよ。何度か失敗したが、間者を紛れさせて発覚したのは西国辺境のアジーテ一族との密会、互いに武器や東国の魔物の提供」

「魔物……?」

「その真意はまだ不明だが、明らかに不審だ。その上、此方が忍ばせた間者を悉く排するとなれば、余程内密にしたい、(やま)しい企み事があるんだろ」


 優太は思い当たる節に黙考した。

 西国と魔物を相互提供――闇精族の里を襲撃した魔物の軍勢には、明らかに東国に棲息する以外の物まで含まれている。不自然であったが、解明を先送りにしていたが、赭馗密林への蛮行は明らかな目的があってだと確信を得た。

 優太が“視た”夬の記憶では、矛剴の里の間者と出会う場景が確認された。詳細な人相までは暴けなかったが、夬は矛剴と共同で企図していたのだろう。


「カリーナ嬢の推論だと、二つ判る。

 阿吽一族は廃れた家名の復興を企んで、新体制での高い地位を確保したい。密林には、奴等が数日前に接触した近辺の盗賊や傭兵の死体が確認された。アジーテ一族当主も故郷を離れ、東国視察に出て行方を晦ましてやがる。

 そこから考えるに、奴等の計画は――大陸全土を混乱に陥れた矛剴を全滅させる事で勲とし、新体制の中枢に食い込む」


 優太の思考が停止した。

 内通者の存在は確かに居る。だからこそ、闇人の住居への入口も把握して潜入した行動も納得したし、幾ら機密とはいえ彼等が矛剴の警備が攻撃されずに遣り遂げた不自然さも決着する。

 その行為を容認し、警備を抑える事が出来るとするならば、矛剴十二支に相当する地位が無くては至難。


「いや、夬は矛剴と間者で接触しています。それは、矛剴と共に何かを企んで……いや、違う」

「そうだ、今さら勢力的にも劣勢でしかない、汚名しかない矛剴に協力して何になる?夬にとって利益があるとすれば、矛剴殲滅くらいだ。賛同する内通者を得て実行に踏み切り、里の様子なんかを見てるんだろ。

 花衣から聞いた神樹の里の守護者と同じだ。内容は自身の命の安全保障か、それとも旧態依然とした一族への辟易。どちらにせよ、強固な一枚岩の体制があっても、中から必ず綻びが生じる。太古から続くモノなら、尚更な」

「……アジーテ一族も、同じ意思がある」

「みたいだな。

 カリーナ嬢としては、矛剴は全滅させるにも有用ではあるし、殲滅するにも大陸最強の戦闘部族だから一筋縄ではいかない。対立を回避し、贖罪の為にも戦争では加勢し、神を斃した後は互いに不侵条約を結びたいそうだ」


 優太は口を閉ざした。

 矛剴の呪縛は契約呪術とは違い、契約者を消滅させた程度では無効とならない。優太が痛感したのは、里の様子と縢や瀧の言動。根本から、本能や運命などへ仙術で神への憎悪を組み込まれている。仮に矛先――神族を失えば、狂乱して何を仕出かすか、余人の予想の範疇には留まらない。

 カリーナすら認知していない危険を内包している。優太は自身の手で、誰にも邪魔をさせず根絶させる所存だった。アジーテ一族や阿吽一族の介入も、大陸が共闘を願う意思も断固として容認しない。


「カリーナ様には報告を。

 阿吽一族とアジーテ一族の監視を担当します。僕から矛剴への協定申請も試みます」

「いや、お前一人にそれ程の重責は……」

「独断で和睦会議を欠席し、私情で矛剴の里に滞在した報いです」

「…………お前が筋金入りの頑固さがあるのは、花衣やカリーナ嬢から聞いてる。一応、伝えておくよ」


 優太は苦笑して頷いた。

 矛剴への協定申請も、阿吽一族とアジーテ一族の監視も虚偽である。最初から、総て抹殺する積もりだった。カリーナの干渉を断ち、確実に殲滅するには、彼女が自分に向ける信頼を利する他に手段が無い。

 矛剴殲滅を武勲とする為に暗躍する奴儕も含め、確実に全滅させる。

 上連は書状を優太に預けたまま、踵を返して去ろうとする。広間を出て数歩、彼はふと足を止めて振り返った。


「そうだ、小僧!」

「はい、何ですか」

「花衣への伝言なら、預かっとくぞ。どうせ文通する暇も無いんだろ?」


 優太は苦笑してから、間を置かずに決然と伝えた。


「“必ず迎えに行く”――と、伝えて下さい」

「はいよ。本当、カリーナ嬢といい、お前といい、俺を遣いっ走りにするよな」


 手を振りながら去って行く上連を見送った後、優太は振り返る。

 夬を殴り倒した泥吉は、既に怒りを鎮めて拳に残る余韻を噛み締め、無言で立ち尽くしていた。サミの憐憫の眼差しすら気付かず、優太へと振り向く。

 優太は正面から彼を見詰め返す。

 もはや惑うまでもない。胸に掲げた復讐を果たす為に、弊害はすべて排除する。ナタスを加え、優太は外套を羽織って歩き出した。


「行くぞ」






アクセスして頂き、有り難うございます。

五章『優太と道行きの麋』ですが、誠に勝手ながら題名を上・中・下に変更致します、御容赦下さい。


因みに、これは『中』となります。


次回も宜しくお願い致します。




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