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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:優太と道行きの麋──中
228/302

先に光を望んで直ぐに訪れた闇


 千極北部の邊俐林(べりばやし)――。


 首都火乃聿の北部に繁茂した竹林であり、数多の魔物が生息する魔境。衝天の神樹には勝らずとも、人を十も立てようと届かぬ高木の群に形成された自然。枯れた低木の根も落葉を敷き詰められた地面に埋もれ、地下に眠る虫や生物の息を微かに感じる。

 蒼褪めた月光の濾過の如く樹冠から射す一条、その下で黒頭巾の男が葉叢の奥に蟠る宵闇を見渡していた。外套に匿した中には、鋼の手甲から指より長く伸長した鉄爪を仕込む。鋭く見回すのは明らかに襲撃を怖れた挙措。

 林間に吹く不吉な風に乗り、鬱勃と舞う落葉の擦れる音に紛れ、林間を奔る跫が一つ、二つ。頭巾の奥から覘く双眸は、焦燥と混乱の色を一切滲ませず、泰然と光の中に姿を晒して待つ。

 風の凪いだ暇に二つの人影が挟撃を仕掛けた。左右の樹影を劈いて踊り出る。呼吸を短く止めてから、狙いの一足を決めると佇立する外套を短刀で貫く。

 しかし、鋒が裂いたのは虚しくも寸前で脱衣された物。目を瞠った二人は、樹影の濃い林間に閃いた鉄爪の刃先に喉を断たれ、血を撒いて斃れる。あわや外套に隠匿した姿態が貫かれる前を選び、避け遂せた男の前に並ぶ死体となった。

 爪に着いた血を払ってから、手甲の中へ仕舞う。手背から前腕に亘る部分を保護する鞘は、掌に握る紐に加えた力加減で、内蔵した刃の固定や出入を可能にした仕掛。

 憂いの息を吐いてから外套を羽織り直す。森に来て三度目の刺客。北へ進む都度、排斥の一矢に先を鎖される。男が手練だからこそ、その襲来は先方の危機を報せる警告と知れる。これ以上の進行は危うい。

 男にはやむを得ない事情がある。懐中に忍ばせた文を届けると約束したのであった。西国の魔力郵送があれば、距離の如何を無視して送れるが、宛先の人物が信ずるに価するか否かを見定める為の人手。

 剣呑な森は、未だ肚の奥を見せず、北を見据える男の行く手に幾度も険難を拵える。男の出身は西国、炭鉱の町を縄張りとする【猟犬】。以前より噂に聞く此所は、東国では赤髭の贔屓する選り抜きの暗殺者が跋扈する巷とされる。

 これまでの襲撃は、その下端の一。森に住まう魔物の中では低位でありながら、身の熟しは捷早である。斯くも生き延びるとは想像だにして居ない彼方は、続く四度目の刺客はより上位の輩を寄越して来るだろう。

 一つの怨みに身に覚えぬ者など無い生業、邊俐林では相互守衛を約束させる事で、帰路の途上に急迫する返報を免れた。彼等は赤髭の命を受けて人を狩る賎しい者でありながら、同業者を束ねて組織を築く。

 世俗では【蟻】と忌まれる名を、男も一人の殺し屋として当然ながら認知していた。同業者とて、組織に属さぬならば不用で訪ねれば死は必定。迂路を選んで行けば良い話だったが、期日が設けられ、邊俐林を抜けねば遅送、不審を買うのは一目瞭然。

 幸いにも危険を先に識っていた男は、今も首が胴に繋がっている。北進するに連れて冬の厳しさ増す空気に撫でられて、己の熱を確かに知る事が出来た。このまま敵を排して進む道は続くが、中途で脈も止まらねば僥倖。

 それにしても、異様なのは襲撃者の様子。予て衝突を回避すべく、赤髭を介して通行の報せを放った。男の来訪は既知であり、黙認される筈である。けれども現実では三度も襲われた。赤髭の不手際か、それとも【蟻】の中で十全に認識が共有されていないのか。

 どちらの可能性も低い。長年の堅固な体制を維持して来た赤髭は、その綿密さと注意力があって独裁を成立させていた。【蟻】への連絡を誤る訳が無いし、彼等もまた暗殺者とあって情報には聡く、何より主たる赤髭からの言葉とあれば下端にまで伝えぬ不備など断じて許さない性分。

 東国とは縁遠き男に対する私怨とは考え難い、【蟻】が独自で動いている。その底意が何であれ、赤髭に背馳する行いを看過している。

 目立った戦は平定したとは雖も、内憂外患の問題をを解消したいカリーナ・カルデラに命じられ、男は本来の主の許可を得て任務遂行を志す。最近では、特に彼女が懐疑的に想い密かに監視しているのは阿吽一族。天嚴の要塞再設備の計画にも参加せず、間者を使って地方の権力者と何やら蠢いている。

 先日に要塞建設の目的で地勢検査などで派遣した調査隊。今は鳴りを潜める矛剴の赭馗密林が付近にあって用心し、二重三重と衛兵の環を固めて調査を行った。

 隊員の蠍人族による決死の潜入の結果報告では、夥しい人の死骸が散乱しているという。どれも新しく、未だ肉あり虫集る汚穢の浸る血池を見出し、あまりの衝撃に半狂乱で帰還。

 持ち帰った遺骸の身許を調べれば、音に聞きし傭兵の物。更に深く追及すれば、彼と同時期に消息を絶った者が多出する怪異を突き止めた。

 矛剴一族と阿吽一族、【蟻】を巻き込んだ何かが発生している。男は跫を忍ばせて、北進止めずに今なお夜闇に燻る敵意の火種がちらつく林間を歩む。暴虐の渦は消えて、安寧の静寂に憩う人々の臭いに釣られ、次なる戦の深憂に悶えて夜を低徊する暗影が見受けられる。

 男は先を急ぐ、胸を焼く不気味な感覚に従って。


小僧(ユウタ)、お前に何も無きゃ良いが……」


 いつも騒擾の渦中にいる少年を想起する。

 旅を始めた頃は、領主の息子による悪行を暴き、聖女暗殺事件の容疑者とされた。心優しくも彼の周囲には苦難ばかりが連続して立ち塞がる。

 歓楽街へ往くまでに先代への恨みまで受けて国賊に貶められて数多の刺客に襲われた。眥を決して王国へ潜入し、協力して怨敵を改心させて災厄を凌いだ。もはや英雄の偉業を果たしたはずだった。

 しかし、その行く先が暗澹とした闇へ向かった転機は昨年の春からである。今まで暗殺業を拒絶していた彼の下に各地から依頼が殺到した。相棒(ムスビ)の要望に応え、渋々と承諾し任務に赴く。当時の誰もが深刻に捉えなかった、それ故に衝撃を受ける事になる。

 生還した優太の面構えは――冷徹だった。そして自己憐憫とも恐懼とも付かぬ幽けき聲で、一同を(また)しても戦慄(おのの)かせる。

 ――初めてなのに手際よく為し遂せた。

 組織内では、それより彼は壊れていったとされる。表面上では忌諱しながら、報酬を目的として依頼を完遂し、常に人を最速で殺し葬った。暗殺を当為とし、次第に積極性が顕れる。膨れ上がる己が技術と殺した数の記憶に、心は打ち拉がれて原型を留められなかった。

 優太に随伴した間諜による後の経過報告では、一時的に恋人を忘却した衝撃の影響か、人格に変異まで齎したのである。容姿にも多少の変は見られど、人目惹くのは本質にあった。

 二年前に峻拒した大事の為に少数を切り捨てる手段、それよりも遥かに陰険で醜悪とされる大事の為に状況の全を唾棄する思考。

 優太は取り返しの付かぬ壊れ方をした。このまま進行すれば、彼こそが世界的に脅威と成り得る。曾ての仲間として、何よりもその婚約者を傍で警護した身として阻止しなくてはならない。

 運命の徒に翻弄され、諢壬の闇に投身するは己の宿世と杖を片手に駆りし醜態を見咎めたなら、男は選択を強要される。遺憾の決別か、断腸の許容か。


「……頼むぞ、小僧……!」


 先を急ぐ足に後ろを顧みる余裕はない。

 頭巾を追って樹影を伝って行くのは、暗闇にも彼を見失わぬ碧眼の少女だった。本来は首都にて拘束されている筈だが、反対を振り切っての独断行動。

 悪戯を成功させた悪童の様な笑顔で、一定の間隔を保ち、執拗に追走する。修行の果てに気配を消す特異な技術を体得したとあって、やや調子に乗った軽快な足取りは、程々の緊張感も混ざって奇妙。

 頭巾と少女は、北の諢壬を目指す。各々の目的が交錯する時を目指して。




  ×       ×       ×



 千極北方阿吽統轄地――諢壬の地下街・嫩荼(ドンダ)


 街衢の一劃を進む四名は、外部の人間の臭いを敏く嗅ぎ付けた路傍の人間に迫られる。賑恤を求める貧民街の風体にサミは嘔気を催す。地上の栄えた外貌は、単なる虚飾なのだと悟った。実態は汚物を地下に無理に押し詰めたに過ぎない虚栄。

 巷談にも上がらぬのは、正視も厭われるからであり、諢壬の光と闇が表裏一体である様をありありと窺い知れる美醜の理だった。森の中では一様も目にする事の無かった景色である。

 気高く、猛々しく、高貴に在らんとした闇精族とは違い、野蛮で秩序すら奪われた混沌に彷徨する想い。纏った襤褸(らんる)の汚れ、痩せて眼窩に窪み落ちた眼の昏い眼差しは、生き血を求め宵闇を徘徊する骨尖兵(スケルトン)である。

 優太は首飾りの水晶を下げた胸に手を当てた。響花にせめて矛剴殲滅の果断を伝えるべきだったか。彼女が異を唱え、密告するなら未然に屠殺するが、何故か今更になって憂悶に胸が疼く。

 地下の出入口を封鎖する鉄色の塊を見上げ、適当に街路を選んで目指した。巍然として建てられた天幕の向こう側から、内より風を起こす活況が聴こえる。優太よりも耳の鋭いサミならば尚更であろう、外界で初めて知るには醜聞の夥しい。

 優太はこれまで辿った旅路を顧みた。神樹の森を脱した際に、逃避の先に憩う場として求めた田舎町(リュクリル)や様々な都市の感想。胸を衝き動かした情動の有無。

 どの景観も必ず陰を孕んでおり、自分の来訪を端緒として胎動が始まり、腸もろとも表出する。関わった町が凡そ無事で済んだ例など無く、特に出発地とした田舎町は、矛剴に因って鏖殺された。

 安寧を獲得するには、敵意を懐く者を許容せず、一切の妥協もせずに殺し尽くすのが最善。その為なら弑殺も是とする。だからこそ、門の前に通う阿吽一族の夬は抹殺対象と認定した。

 その眼で“仗惧の時間”を覘いた時、首謀者と思しき権力者を見付ける。要点だけを抄出するように、重要性のある場景の音までもを仗惧の体験した現実を忠実にしたモノを再生して読み取った。

 全容は未だ明かされずとも、弑すべき敵影の一つは暴いた。後は夬を追い詰め、確実に殺害するまでの過程で、結託した戦力等が誘われて妨害に出たのを一網打尽にするのみ。優太の脳内では目的を達成する為、前途に立つ多難を排する策に貴賤は無いと断ずる。

 【鵺】の往く先の路上では、清潔感のある背広姿をした男性に蹴り伏せられた男児が居た。頭を庇って、固い踵の打擲に耐えて小さく蹲る。憤るサミの両肩を摑んで制止する西吾の前で、優太は歩みを止めない。

 そのまま諍う彼等の傍を素通りした。忸怩たる看過に歯軋りして、外套の下で自分の体を抱き、小さく震えるサミは鋭い眼光で優太を睨む。響花の命が懸かるとはいえど、冷血にも程があるのではないか。

 後ろでは石畳に打ちのめされた男児は、四肢に力入らず嗚咽を漏らす。下卑た嗜虐の心を充たした背広の男達は、青痣や瘤を作った顔面を見て嗤う。


「餓鬼、今後も不用意に夬様に近付くなら、その時は覚悟しろ」

「ぅ……うう……!」


 背広姿の男の言に、夬の人名が出た。

 優太は踵を返し、虚空に手を突き出す。

 包囲されていた男児を中心に斥力が発生し、男達は路肩に打ち据えられ、塵芥に顔を埋めて失神する。唖然とするサミの前で、優太はそのまま男児へと歩み寄った。急ぎ立ち上がろうとする小さな体は力を失い、再び地面に伏す。

 (うた)た同情に堪えぬ惨状にも、優太は手を貸さず、男児の傍らに片膝を突いて顔を覗き込む。路傍に居た一人が復活し、復讐に駆けださんとした瞬間、先刻よりも強大な圧力に壁面へ叩き付けられた。耐えられず再び意識を喪失して眠る。

 優太は徐に男児の襟を摑んで立たせた。当惑する姿にも、緊張感を解す微笑を湛えることもなく、冷淡に無言で見下ろす。

 氣術の斥力は、自分を中心とするのが一般的である。他の物体を起点とすると、困難であり技術的に可能としても、出力は己を基部とした場合の三割にも達しない。

 翻身して対象を目に捕捉した転瞬、それだけで強い斥力を発動させた事象が意味するのは、優太の凄まじい集中力である。戦場の火薬を詰めた弾雨にも怯懦せず、いつの日も神の刺客に襲われた日々でぎりぎりまで研がれた鋭尖なる神経が為せる(わざ)だ。

 黄土色の頭髪、顔に傷痕のある男児は、涙と土と(ハナ)で汚れた顔を拭って、腫れた頬や鼻の痛みに喘ぐ。優太が目配せをすると、西吾が駆け寄り、治癒呪術の燐光を掌中から発して男児の頬に触れた。鎮痛と自然治癒力の促進により、内出血で痣となっていた瘤は収縮していく。

 快癒した面相の痛み、解放感と小さな脱力感に浮かされ、膝から崩れ落ちた。安心感と自然治癒力の強引な底上げによる体力消費が原因である。西吾が予備の布で体を包み、両腕で抱え揚げた。

 路地裏へ続く道の方を眺め遣る優太は、腰の杖を抜き取り、外套の釦を外して眞菜へ預ける。サミが訝る中、優太はそちらへと進む足を止めない。眞菜は手元の外套を密かに嗅いでおり、西吾に手刀を強か後頭部に叩き込まれて自粛する。

 肩越しに三人へ振り向く。

 優太の広範囲に亘る氣術の空間把握により、急接近する気配を九つ感知された。氣術師四名、武装した傭兵四名に呪術師で構成された部隊。その編成は対闇人、氣術師で足留めと氣術の相殺、傭兵で追い詰め、呪術の効果で弱体化を狙い、確実に斃す算段である。

 この場に居る【鵺】の総勢力ならば、撃破にも然程の時間を要さない。それでも、夬の下に敵の接近を伝える猶予にはなる。単騎邀撃が妥当、夬にも早々に辿り着けるだろう。


「お前達は鉄色の塊を目指せ、其処に阿吽一族当主の夬が居る。奴を捕縛し速やかに地下から離脱、必要なら衛兵も処理しろ」

「な、闇人はどうする積もりだ?」

「僕が殿を務めるけれど、作戦失敗を仮想してサミがその子を傍に置け。合流については同じ手法でも使うよ」


 優太は路地裏の闇へと躍り込む。

 サミが顔を顰める中、二人は既に行動を開始していた。西吾は腕の中の男児を彼女に預け、背後を顧みず駆け出す。眞菜は名残惜しげに外套を畳んで雑嚢に収納し、彼の後を追走する。

 二人は厄介な多勢に一騎で挑む優太に、何ら憂心を懐いていない。確かに獰悪な魔の軍勢を殆ど全滅させた化け物だが、対敵は豊富な経験と卓逸した技量を持った狡獪な戦士の集団。思考を破棄し本能に身を委ねて人に集る暴食の獣とは別格。

 サミは憂慮しつつも、夬を狙う二人の後に追従する。男児の肢体は予想よりも軽量、戦闘行為に於ける阻害となる要素は少なく、弓矢による狙撃が主体のサミならば傍に置いて見守るのみで警護は事足りる。

 街衢の奥へ進み、天幕の周辺に群がる露店の盛況が彼等を歓迎した。其々が人相や己の特徴を隠す最低限の装飾を施しながら、華美な(よそお)いに互いの品位を推し量る者の声で溢れる広場。

 人族よりも高い身体能力を有する三人は、跳躍で虚空を舞い躍って、団塊の間を見付けて着地した。体勢を立て直すなど地に足着いた時に済ませている、地面を蹴って即座に駆け抜けた。


「私の呪術で拘束し、時を見計らって誘拐する。捕縛まで衛兵の処理を眞菜、退却時の追手をサミが狙撃」

「外套を……ぅ……が無い……」

「眞菜殿、私には聞こえているぞ」

「サミなんて嫌い!」

「そこははっきりと言わなくていい!」


 大扉に続く階段を直線上に見据える路地に立った時、サミは彼等とは別方向へ。狙撃手は位置を覚られてはならない、無防備に晒された脳天や眼窩、武器を振る挙に出た刹那が弦を弾く機。

 廃墟の建ち並ぶ貧民街の屋根上を跳び回り、煙突で物陰になる上に足場が安定した位置を確保した。男児を煙突に凭れさせるよう寝かせ、担いでいた大弓を執って矢筒から取り出した矢を番える。

 一度だけ優太の方向を一瞥し、再び大扉前の鉄色の目印に眼を凝らす。複数名の人影を捕捉、武装した人間の集団である。

 深呼吸をして、ゆっくりと矢を引いた。何の企みあって無害なる闇精族を危殆に陥れたか、もはや問うまでもなく極刑、この一射で必ずや仇敵の心臓の鼓動を止めてみせる。


「皆の仇……獲るぞ!」




  ×       ×       ×



 仲間からの通達を受け、襲撃班を編成した。

 部隊の中には、中央大陸大戦で武勲を挙げた傭兵や暗殺者、今回の要ともされる矛剴と呪術師の面々を受け容れる。任務内容は、異種族それも伝説の中に在る特殊な血統の忌まれし子ばかりで成された【鵺】、その打倒という厳命であった。

 地下街嫩荼に来たとあらば、主命を完遂出来ずに失敗で終えれば、主の命脈が断たれる。阿吽一族を再興させ、新体制の主要地位への着任を企図しての作戦であった。知慧の一族カルデラに企及するまでとは云わずとも、強い権益を得んとしている。

 部隊の中に組み込まれた少年――呀屡(ガル)は、崇高なる夬の志の為に己が生命を消尽する所存。齢十六の彼は、幼少期に“北の孤児院”が崩壊した際に脱し、阿吽一族に拾われて以来、人間としての生活を与えられた。だからこそ、恩に酬いるべく、過去最大の悪弊たる闇人を討ち斃さねばなるまい。

 薄紅の頭髪は熱意に焦げた様に毛先は無造作に暴れており、藍緑の瞳は決意を秘めて光を宿す。眉間から眥にかけ、やや女性の様な柔らかい曲線を描く事で一見は虚弱な質と誤認されるが、左の面相に痛々しく残る火傷で相手を怖がらせてしまう。

 上腕半ばまで保護する厚い手套、柔軟な素材で出来た革装束と短刀を佩する腰帯(ベルト)。臑当、そして靴底を鉄製に拵えた特殊な具足。全身は細くも鍛えられており、外見に拠らぬ重い一撃が放てる為の構造になっている。

 夬が此度の地下で闇人を抑える役として直々に任命した一人。彼の秘する中でも、個々の戦闘力が極めて高い特殊部隊の一員。地上で戦死した仗惧もまた、その一人だった。

 仲間の号令に従い、呀屡は地面を蹴って貧民街の中を疾駆する。仲間の仇を、そして恩人の首を狙う不逞の輩を始末する。ただその一念に全身全霊を擲つ。そんな気勢をあげて挑む呀屡の隣の宙を滑空して並ぶのは、同じく“脱走者”の一人。

 翡翠の両翼を背から生やすが、精悍な面差しの少年。糸目の上の前髪を後ろに撫で付けた髪型は、こちらも癖が強くうねっていた。

 美丈夫に見える彼だが、着ている上衣(ジャケット)の顎まである高襟で匿した口許は、下唇を失った悲劇の傷痕がある。普段は飄逸とした人柄だが、本人の許可を得ず襟を取ると激昂して獰猛になる。

 稀少な鷹人族の(ハン)は、目許に笑みを浮かべていた。夬の抱える直属の特殊部隊でも、高い戦闘力を誇り、同年代からは羨望の眼差しを受ける優秀な遣い手。


「どうしたの、飜」

「いやさ、この作戦が終わったら俺ぁ隊を抜けんのよ。恋人出来ちゃってさ~」

「ええっ!作戦中だけどおめでとっ!」

「お、サンキュー」


 照れ臭そうに髪を整える飜は、翼を折り畳んで屋上に降り立つ。呀屡も足を止め、先行する部隊の背中を見送った。自分も後続せねばならないが、最も前衛で戦うべき飜が止まったとなれば、理由を問いたくもなる。

 飜の表情が固い。呀屡を見ては、気拙そうにしていた。躊躇いに何度も顔を上げては俯く繰り返し。よもや彼にも相手に心中を伝えるのに逡巡があるとは初めて知った。

 呀屡は小首を傾げて飜の前に出る。


「お前は戦いよりも、“あの娘”を探したらどうだよ?」

「……もう、生きてないよ」


 脳裏に焼き付いた記憶、幼い心を破壊するには充分な衝撃があった。人情よりも人殺しの業を学んだ醜悪で陰惨な過去。呀屡や飜が最も封印したい記憶とされている。

 北の国境付近に建設された孤児院、戦で集まる孤児(みなしご)を快く受け容れるとの建前で、一度招き入れた子供を機械として再教育する千極でも類を見ない人道逸した監獄。強力な兵を多く輩出するとあって、廃止への免罪符とされていた。

 呀屡は日々を絶望に染色されてしまい、一時は自決すら判断し、それを仲間は英断と讃える程だった。それでも、中には貴く捨て難いモノがある。

 特に呀屡は、同じく孤児院を総轄していた“師範”によって、特段厳しい修練を積み、鍛えられた少女が居た。名は無くとも、忘れもしない烏の濡れ羽色をした髪と海を連想させる碧眼。

 特別な想い出などない、ただの一目惚れだった。孤児院(ここ)に閉じ込められているのが、あまりにも不遜に思われる美しさ。彼女とは、“孤児院”かわ焼け落ちた頃から出逢ってすらいない。

 呀屡は未だに奥底で悔やんでいた。


「いや、でも“師範”に一番育てられて、滅茶苦茶強かった女だぜ。ほら、無駄に青い目が綺麗な――」

「思い出させないでくれ!」

「いや、聞けって。……“救世主”の話、聞いてるか?」

「?東国(センゴク)を救ったっていう?」


 飜が首肯する。

 彼が語るに、その少女の人生は壮絶の一語に尽きるという。過去に北部国境付近で孤児院と謀り、自国を勝利に導くとの大義名分を掲げて子供を虐げた施設の出身。数少ない東西の混血であり、碧眼に黒髪の少女である。

 施設崩壊の後は、侠客の男に拾われて生活し、新たに東の国を旅し、結果その足で赴いた土地の悪を悉く暴いた問題児。魔族に支配されし港湾都市の解放、温泉街に蔓延る“西人狩り”運動の撲滅、学術都市の時計塔に内包された非道なる人造人間の実験を破壊、遂には赤髭総督の悪政を廃止させた伝説を打ち立てた。

 今や大陸最高戦力の一端を担うにまで登り詰めた旅人である。通り名を――侠客の仁那。


「……いや、まさか」

「生きてんだって!ほら、あの『暁の宣戦布告』で隕石を首都から退けたヤツ!黒髪!碧眼!孤児院出身!」

「それが、彼女だって?」

「そうだぜ、きっと。田舎だし【蟻】の妨害で随分と情報来るの遅かったけどさ!」


 呀屡の胸に一縷の望みが芽吹く。

 もしそうならば、あの娘――仁那と今は名告る少女に逢いたい。


「……逢えたら、良いな」

「逢いに行こうぜ!終わったらお前も隊を出て、一緒に――」


 呀屡の両肩を抱く呀屡の背後に悪魔が立っていた。いつしか会話に夢中であったといえど気配すらさせず、自分達に覚られず接敵した影。片手に微かに湾曲した杖を携え、矛剴の家紋を拵えた黒装束に、飜の全身が危険信号を発する。

 呀屡の両肩を引き寄せ、翼で屋根を叩いて上昇する。飛行する飜の行動に当惑していた彼も、眼下の景観でも色濃い闇として佇立する人間を認めた。

 二人が消えた後の屋根上に、氣術師が三名跳躍して現れる。其々は刀剣や槌を手に駆り、標的たる少年へ躊躇い無く振るった。しかし総て躱され、一撃を見舞う度に一人が戦死する。何れも急所且つ即死を狙い衝いた必要最低限の剣技。

 正面衝突を敢行する部隊は、次々と少年に挑んで返り討ちに遭う。次に挟撃を仕掛けた二人の傭兵の内の一人は、踏み込むや否やで刀の閃きに冷酷なる死の宣告を受ける。首から噴水さながらの出血、倒れて屋根を紅い流血で上塗りすると、滑り落ちて街路の床へと叩き付けられた。

 まだ終わらない。翻身と同時に一閃し、またしても一人は首が刎ね上がった。攻撃よりも先に、回避すら望むべくもなく、本領を発揮する余地など無い。回転しつつ瞼とは違う闇に包まれる視界、自分の背中を見る奇妙な感覚と共に絶命する。

 唖然とする二人は、煙突の上に降り立った。殆ど付着していない血を鋭く払って納刀する少年――闇人の優太である。これから戦うべき相手だと理解して、そして本能的に己の理解力を恨んでしまった。対峙した瞬間から終焉(おわり)しか浮かばない。

 優太が煙突の上に立つ二人を無感動に見上げた。獲物に狙いを定めた琥珀色の炯眼は妖しく光り、さぞや世の女性を惑わせるであろう美貌は、何の情念の火も灯さぬ静謐を湛えていながらも敵対者を心底から畏怖で凍らせる。その総てが戦闘では人を殺める最適の凶器。

 襲撃開始から数分で二人以外を撃滅したのである。あの艶やかで、然れど剣呑な兇刃を擁する黒檀の杖。抜かせてはならない、僅かな刃の光沢でも覗いたならば、未来への道が鎖される。一寸先の命を摑むのに、曾て無い艱難を強いられた現状。芳しくない戦況で、今や夬の恃みは呀屡と飜のみである。

 怯む訳にはいかない。

 呀屡には仁那との再会、飜には恋人との人生。幸福の在処を定めた今、けして此所で斃れられない。各々の夢を力に変換し、相対する敵へ気丈に笑顔を繕う。勝利という名の希望を叶える為に、最悪の敵たる優太へ戦闘以外の余念など無く培ったモノを注力する。


「最後の仕事、きっちり終わらせてやろうぜ」

「……うん……!」


 二人が構えた時、死神の全身が翡翠の光を帯びる。次第にそれが火花を断続的に散らし、小さく足下で爆ぜるや、瞬間的に強く発光して視界を白く塗り潰した。轟音と震動に襲われ、足元の屋根が頼りなく崩れ始める。刹那の浮遊感に意識が揺蕩う。重力の手に捕まり、瓦礫と共に屋内へと転落した。

 闇人が魔法を使うなんて聞いていない、話が違う!

 指先を幽かに痺れさせるのは電気。謎の雷撃を受けたのは確か、しかし詠唱もなく屋根を無造作に食い破った攻撃であった。魔法とは異なる技の下に具現した事象。

 背を地面に打ち付け、上から瓦礫が覆い被さる。必死に払い除けて起き上がる。瞼の裏の闇の中、口に入る砂埃を唾とともに吐き捨てた。

 痛みと砂の苦味に堪えて、次に眼を開ければ屋根が半壊した光景。残骸の木っ端が未だ煙雨の如く降り注ぐ。砂塵と土煙の立ち上る中、理解が追い付かず唖然とする呀屡の隣では、全身に火傷を負った飜が片膝を突いていた。傷の具合が呀屡よりも明らかに酷い。恐らく、咄嗟に隻翼で包み、呀屡を庇護したのだろう。

 高襟は焼尽して口許が露になり、下唇が無い所為で齦から流れ落ちる血は滑らかに顎を伝う。目尻からも血涙が後になって溢れ出した。呼吸も弱々しく、浅い。

 呀屡は慌てて彼を支えて立とうとした時、視界を塗り潰す真紅の散華に彩られた。肌に貼り付く微熱の液体、源泉は飜の肩口であり、暫し蹌踉として床に伏せる。


「――え?」


 かちり、納刀の戛々たる響き。

 動かなくなった飜の体に、呀屡の中で何かの千切れる音がした。





アクセスして頂き、誠に有り難うございます。

書くのに夢中で後回しにしていた事の処理に追われています(自業自得)。

次の更新もなるべく早くしますので、ご寛恕下さい。


次回も宜しくお願い致します。




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