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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:優太と道行きの麋──中
226/302

精鋭部隊【鵺】/疾走れ、泥吉!



 神樹の森には桜花の薫りが漂い始める頃、西国首都では祝祭が催されていた。街路を絶え間無く流れる人の波は、複雑に交わった点で時折喝采の声が上がる。渾身の一芸を披露する旅人の技に魅了され、耳目を澄ます老若男女、その場に集う人種も多種多様であった。

 一年前まで物騒な気配を孕む陰気が蟠った路地裏の闇は吹き掃われ、今や首都全体が歓呼の声に溢れる。西方の平和を満喫する人々の笑みが咲き乱れると、自然も影響を受けたように路傍の石畳の隙間に眠っていた種子もまた芽を生む。

 神殿さながらの荘厳な西国王宮の支柱に背を預けると、入口付近の高い階段の上とあって、優太は祝祭の巷を眺望していた。冬の名残を捨てた風は花芽吹く糧となって、植物園の草木に艶を与える。安穏とした空気に満ち足りる空間とは反して、優太の現状は多忙であった。

 この日は偶然にも剣呑な職責を免れる憩いの時間とあって、如何に過ごすかと思索したが、趣向は食欲か鍛練以外に全く関心を示さない。秘境を出奔して早二年、落着する処を探す努力も虚しく、大陸に蔓延る悪意を一つずつ丁寧に平らげる作業に日は暮れる。

 氣術師の体質に起因し、人よりも体力回復が早い事で睡眠自体も短縮され、誰よりも日の活動時間が長い。既に幼少期から重々承知していた性質ではあるが、優太の場合はそれが心の鬱積を生む要因だった。

 他が為に刃を揮い、遂行する能力を練磨した。余人よりも長く朝夕を過ごす身としては、受諾し完遂する量も明確な差異が生じる。経験をより早く積む事で、また意図せず腕を磨く。その末に秀逸した有能には、次いで重要機密に関わる重責に任命される。

 民を虐げ、戦禍を振り撒く野蛮な兵の無愧を裁き、優太は率先して武器を執り、単騎で敵勢を討滅した。暗殺者とは違う生を願ったのも遠い過去に置き去りにされ、自身の立ち位置は視えず、道行きに惑う混迷の闇に孤独に立つ。

 平和を守る為に影に闘う者として、街に響く笑声は救済であり、自戒の再確認ともなる。自らの行為が幸福に繋がっている事、本来は彼方側へと戻る戦いである事を胸に何度も刻む。

 波打つ絡繹は盛況を増し、ある界隈が感動する度に焜燿の如く首都の空を明るくさせる。そんな錯覚もあり、優太の目には街路を埋め尽くす雑踏の総てが血管を循環する血に見えた。首都の活動源であり、西国の核となる要所の景趣。

 都の市壁にも見張りが配置され、検問審査の猜疑心は数ヵ月前と比すれば幾らか緩和したといえど、未だ誰の目にも堅固な防壁として聳り立つ。不法侵入を試みる悪党の場合を想定し、幾重にも展開した迷彩結界、及び開発が進む魔力兵器の挨拶が苛烈に歓迎する。

 これを脅かすには、途轍も無い兵力と戦略を必須。今やこの体制は、東国の城塞都市の火乃聿にすら比肩するに至る。

 首都の堅陣を破るには、勢力の半数以上が鎮圧された反乱軍では困難。日頃の不平を武力で訴え戦乱の世に生きる難路を選んだ者として、降伏を選び難く、国を変える初志を忽せには出来ない。

 しかし、今は西国の枢機たる首都を潰滅させる威も無いと痛感し、確保した自陣の守備を固める以外には手を拱いて沈黙を保つ傾向にある。

 組織を設立した結は、各地に腰を据える反乱軍の要人を如何に攻めるか、戦略家としての成長を果たし、今や西国の軍法会議に可憐な少女でありながら、堂々と円卓に列座する。それに伴って、優太の下には後ろ暗い技を持つ者が事とする仕事に駆り出されてしまうのだ。

 階段を駆け上がる跫に優太は下を見遣った。軽快に高低差のある大きな段差を跳び、入口へを目指す小さな影。乱れた黒髪の毛先を春風に揺らし、両腕に芳ばしい香りを立たせる袋を携えた弥生だった。

 支柱に背を預ける黒装束を見咎めると、それが自分が師と仰ぐ少年だと判じて駆け寄り、弥生は袋の中へ無造作に手を入れると、串肉を取り出した。優太は小さい手に差し出されて逡巡したが、予定も無く彷徨していたのもあって受け取り、徐に串肉を小さく噛む。


「如何でしょうか!」

「美味しいよ」

「良かった、先生の大好物と伺っていたので」

「いや、僕よりは結だと思うよ」


 いつかの港町への山道で食べた物。結は大層気に入って、各地で肉を吟味しては味を再現すべく調理する。尤も、火を熾す際も大火力の魔法を行使する豪快さであり、肉を灰塵に帰すことが多々ある。結果として優太が筋を捌いたり、火勢の調整を彼女の指示に従って行う。

 優太の意見には、頑なに道を閉ざす。己で見極め探究すると豪語する姿は、何処かに居る冒険者の面影に重なるが、探究の過程に付き合わされ、傍若無人な性格の彼女に扱き使われる始末には、些か業腹であった。

 しかし、その習慣が途絶えたのも数ヵ月前。軍義や組織管理に忙殺されて、二人は職務を終えた夜半か、今日の様な稀少な休暇以外に過ごす時間も限られ、会話内容は専ら敵情推察や制圧の策。いま想え返せば、あの二人で他愛ない喧嘩をしていた時期が好ましい。

 仮に結が戦役に耽溺し、己の威光に逆らう逆賊を狩る所業を是とし、必要犠牲として仲間を選んで処刑を悦とする精神の成長を遂げた場合、違えた道の先で優太には、彼女を斬る覚悟を決めていた。或いは……花衣と自分の未来を妨げる事があるなら、裏切りと罵られようと敵対も吝かでなない。

 結と優太を信奉する弥生としては、両者の敵対を目にして何を想い、どちらを支持し、戦う事を選ぶのだろうか。想定もしたくない最悪の未来だが、結にはその片鱗が見える。目的は何であれ、他者を害する事に躊躇いを覚えなくなった。

 優太か日々、対敵を屠る殺し屋に身を窶して自問自答を繰り返す中、彼女は同様に己を問い糺して道を顧みる事はない。組織を束ねる身としてその余裕を削がれてしまったのも悪因だが、猛進したのもまた本人の意思。

 人道を逸した力を持つからこそ、互いに認め合い、無為に揮わぬよう制御しなくてはならない。結の力が私欲のみで、他者に害を為すばかりであるなら、優太は決断を問われる。逆もまた然り、優太が悪道に奔ったなら、結によって撃滅されるのが定め。


「先生?」

「いや、何でも無い」


 今は考えなくて良い。

 優太は思考を打ち切って、弟子と共に町へ降りた。




  ×       ×       ×



 契約呪術の効果――響花の致死まで二日。


 自室で出立の準備は恙無く完了し、入念に点検した道具等を背嚢に容れた。杖以外の武装を大して要さない優太の旅装束は、いつも軽装である。

 数日間で氣術、抜刀術と居合い術、体術やその他諸々の戦技を向上させた今、赭馗密林に足を踏み入れた頃よりも格段に強くなっていた。それでも、これから対峙する敵の実力は侮れず、優太に一切の油断は無い。

 しかし、自信が身に付き、以前よりも勝機を見出だせる。その根拠の一つとして挙げられるのは、眼に顕現した力だった。

 遂に、優太は長らく枷となっていた千里眼の反動から解放された。弱体化して行く視力は、神樹の森に居た頃よりも動体視力などの視覚能力が高くなっている。より外界の物理的現象に依る刺激を知覚するのに高性能と化した。

 加えて、千里眼が真の状態へと昇華された事で、両の瞳には黒氣術とは別の異能力が宿った。先代が使用した、未来や過去を視る神通力。

 本来、師は認識能力の拡大を極めた先で、未来予知があると諭していたが、優太はまだその位階には無い。どちらにせよ、師が得ていた超常の一端を摑み取るに至った。

 (あまね)く時空を見据える神通力――『天眼通』。

 優太に捉えられない事象は無い。試行運転を何度か行ったが、開眼直後とあってまだ遠い未来を視る事は出来ずにいた。従前通りの遠隔地の目視は働く。師が忠告した言葉に従えば、予知した最悪の未来を回避すべく行動するほどに実現してしまう場合がある。

 強力な力にも(すべから)く処し遂せぬ難点が付く。

 より厳しく己を律し、冷静に対処すべし。成長するほどに背負う戒めの重さは増すが、今の優太には然して苦痛とならなかった。

 優太は寝台の上にあった着替えを見る。畳まれた衣服に重ね、小さく折られた紙片があった。指で取って展げると、筆跡に滲む癖などから響花だと察する。

 ――無事に帰って来い、か。

 優太は文机の上に置いて、裏に返信を小さく綴った。響花は闇人や子供の身の回りの世話を任命されており、この部屋にも掃除に来る。敢えて目に留まるよう中心に置き、寝台の上から服を取り上げて着替えた。

 五分袖になった黒の袷は、響花が仕立てた物。後ろ(みごろ)に矛剴の白印が刺繍されており、恐らく彼等との険悪な雰囲気が良好となるのを願っての事だろう。響花は何の弊害も無く、優太を矛剴の一人として受け容れる積もりなのだ。

 不要な気遣いと知りつつ、優太は感謝した。

 青鈍色の袴の裾を足掛けのある黒い布の脚絆で絞り、草履の鼻緒を指を摑む。布の手甲を前腕に填め、腰帯で袷の襟を閉じる。黒檀の杖を腰帯の後ろに斜に差して、一旦立ち止まって内装を眺め回してから部屋を出た。

 諢壬で決着を付ける、響花の契約呪術を解除した後は、先に決定した通りの事を遂行する。優太の暗く冷たい決意が、薄暗い部屋の陰を色濃くした。


 身支度を終えて待機する三人とゼーダ。

 サミは特に、誰よりも落ち着かぬ様子だった。普段から森の外に出る事を禁じられた闇精族の掟が骨の髄まで浸透しているので、幾ら見聞を広める経験と雖も、過剰に神経が反応してしまう。

 双頭と眞菜は至極冷静であり、主からの指令がいつ降るか、その一点以外に関心が無く、遠い空を見詰めていた。双頭は縢の遺品である台箱を背負い、曳斗は小さな陶器などが収納されている。眞菜も予て麋から死の数日前に落ちた角から製作した小振りの(ステッキ)を腰に携帯した。

 枯葉を踏む音で振り返ると、高襟の黒外套で顎や膝下まで匿した優太が居た。三人に同じ外套を無造作に投げ渡し、ゼーダの前で立ち止まる。


「ゼーダは此所で待機して下さい。連絡用に東吾を配置します」


 優太が視線を遣ると、双頭の体や分裂し、服が複製されて二人の魔族に変貌した。東吾はゼーダの隣に立ち、西吾は一人だけ袖のある黒い上衣(ローブ)の袖に腕を通して台箱を背負い直す。その分裂をサミが興味深そうに見ていた。

 優太は森の叢に一瞥を投げる。ゼーダは意図を察して、深く頷いた。そこに監視の眼があるのは明白である。今の優太には氣術師すら感知する特殊な技法が備わっていた。

 ゼーダも先の予定を了知している。彼等が帰還すれば、矛剴の里に残る用事は一つ。残酷な選択ではあるが、優太が選んだならば致し方無いこと。矛剴には先の未来を見出だせなかったと暗に語られる。

 サミが弓を矧ぐ姿勢になるのを制止した。三人の前に優太は立って其々の面を見回す。

 死術師一族と魔術師一族の隠された存在と、森の守り人として決して人目には触れる事のない闇精族で構成された精鋭部隊。優太を頭目とした四名は、矛剴の私欲や神族の使命、況してや全大陸の命運の為に働かない。彼が示す目的の為だけに戦う。


「僕らは今日から【鵺】を名告る。当面の目的は諢壬に潜伏する外敵の駆逐だが、その後に控える戦いこそ重要だ。今回は全員の実力を量る機会でもある、しかし響花の命運が懸かっているので手は抜かない」


 起床する子供達の気配を背後に知りながら、優太は決然と意思を表明した。


「諢壬の鉄笠や西方の異端審問機関、彼等に関連する戦力は抹殺する」

「御意」

「うん」

「了解した」


 小屋の戸口から次々と子供が溢れる。

 四人の旅装束を見て、全員が駆け寄ると裾を摑んで放さない。ゼーダが優しく窘めるが、特に優太に募った子供は哀訴の嗚咽すらして出発を阻止しようとする。予定を皆に報せた積もりは無いが、子供達の情報源は恐らくゼーダだろう。

 西吾も眞菜も困惑し、自分達が懐かれていたかを知ると同時に、如何に自分達が絆されていたのかも判ってしまった。神族の為ならば冷血、無情であれと育成された身も、この僅かな滞在期間に憎悪すべき敵の子に情を抱いてしまっている。

 サミは特に人気が無く、目付きの鋭く気難しいそうな面差しの所為で誰も近寄ろうとはしなかった。しかし、何人かの女児が手に花を持って彼女に差し出す。その微笑ましき行為に、サミも相好を崩して受け取る。一人ひとりの頭を撫でてやった。

 優太は屈み込んで子供達と目線の高さを合わせる。裾を摑む指を優しく解いて、俯いて涙する顔を上げさせた。自分がこれまで出会った年下は逞しい質ばかりで、慰める方法に心得の無い優太は苦笑する。否、何時の世も子供の世話に苦慮せぬ大人は居ない。


「君達には、帰ったらお土産を買って来るよ」

「でも、お外の物は駄目だって父様達が……」

「そう、だから秘密だよ」


 優太の瞳の奥に冷たい意思が宿る。その色を微かに反応したのは、後ろから子供の肩を引くゼーダのみであった。

 ――帰る頃には、大人を気にする必要もない。

 今や矛剴の望んだ形とは違えど、本来の神族抹殺に向けて中央と南の大陸全土が活動している。神々を屠れば、白印の呪縛から解放され、一人の人間に還元されるだろう。しかし、その程度で優太が赦す筈もなく、慎やカリーナ、ゼーダや響花、子供達の意思が何だろうと断罪する覚悟だった。

 子供は暫しお互いを見合ってから、人差し指を唇の前に立て、しーっと黙秘の意を示すと溢れる可笑しみに無邪気な笑顔を咲かせた。

 優太は微笑んでから姿勢を正す。ゼーダに振り向く時には、既に冷たい表情に戻っていた。


「ゼーダ、僕の判断は間違っていますか?」

「……いや、私は見届けるのみ。お前が信じた道なら、止める道理は無い」

「ありがとう」

「……せめて、作戦前に墓へ参ろう。薫様には、そんな顔は見せられない」

「……母さん、か」


 優太が初めて母の様に感じたのは、西方山岳都市の屋敷で病に臥せ、昨年に逝去した(アカリ)だけであった。彼女もまた、矛剴を出奔した者であり、そして薫の実妹。

 特に白印の呪縛が強固である筈の当主の血筋から、拓真を除いて二名も自由な意思を持って生まれたか。その要因すら未だ未解明である。

 二年前の西国首都襲撃戦でゼーダが語らんとした白印に内在する真の意味も、優太は辿り着いていない。隠匿された真実はまだ多く残されている。

 沈思に耽溺する前に、優太は頭を振った。今の会話でその思考に行き着くのは仕方無いが、ゼーダが言いたい事とは違う。ただ決戦前に純然たる母と子として、十七年も不在の間に生き別れた子が如何なる成長を遂げたかを報告しなくてはならない。

 先代闇人暁のお蔭で自分自身の幸福を見付けたからこそ、彼を罪人として咎める事は出来ない。それでも暁に子供を奪われた悲痛に打ち砕かれて、薫は息絶えた。せめて殺し屋ではなく、純粋に人の子として顔合わせしなくては、歩んだ道程が悲惨である事を物語ってしまう。


「薫様も、きっとお前を待っている」

「……そうですね。僕も話したい事がある」

「そうだな、彼女も聞きたいだろう」

「喜んで貰えたら良いけれど」

 

 苦笑した後、優太は一礼して三人を後ろに率いる。母の墓参りには、身を清めてから行く。返り血に染まった状態では、醜態を晒して悲しませる。

 優太達は骸取り草の中に踏み込もうとして、前方から此方へ駆ける人影を認めた。里の畑に出ている筈の響花に、サミが目を見開く。出発前に会えるとは思ってもおらず、優太も面食らって黙っていた。

 道中に一度も休まず力走したのか、呼吸はひどく荒い。優太の胸に倒れ込み、まだ会話も儘ならない状態である。焦眉の急で伝令を預かったのか、落ち着くまで彼女の言葉を待つ四人。

 漸く顔を上げた響花は、片手に握り締めた物を優太の掌の上に乗せる。優太が訝って掌中を見下ろすと、水晶を三日月の型にし、小さく穿った穴に紐を通した首飾りであった。


「殻咲家では、大切な人にその首飾りを贈るの」

「…………」

「良かったら受け取って欲しいな」


 優太は掌のそれを首に掛け、襟の中に仕舞った。


「君の呪いを解いて、必ず帰る」

「うん、いってらっしゃい」


 優太は外套の前身頃を直して前に進んだ。後続する三人は、後ろで手を振る響花に応える。子供達の声援もあって、予想よりも騒がしい出発とあった。それが心地よく、優太もしぜんと笑みが溢れる。

 終の別れでも無いというのに、彼等は手を振り続けていた。


 いつまでも、ずっと。






  ×       ×       ×



 諢壬の地下に拡がる歓楽街。

 奴隷商や客の公認を得て、夬が鉄色の竜族を重厚な楔で拘束している。狂暴性の高く、伝説の種族ともされる存在を侮らず、幾重にも鎖で縛った。同じく購入した少女は、夬の片手に握る首輪に繋いだ鎖で引き摺り回す。

 少女が小さく悲鳴を上げる度に竜族が咆哮する。鎖を巻く者はそれだけで気圧され、中には腰が抜けて作業の継続すら望めない者も居た。夬は確信と愉悦に相貌を微かに赤める。

 強大な竜族が誇りを捨て奴隷の身分に堕ちたのも、この少女に執心しての事。最初は如何に扱うかと悩んだが、よもや最適の道具――弱点を既に晒していたとは思いも依らぬ僥倖。要は人質として少女を利すれば、竜族の威力は阿吽一族の兵器と成り得る。

 部下の報告にある闇人の対抗策には即する。視覚を封じた手負いの状態にありながら、魔導の術を跳ね返し、帯刀者の抜刀より先に斬る。さすが大陸を平定した稀代の魔導師「白き魔女」の随身。真の脅威は彼に他ならない。

 なれば此方も最大火力を用いて退ける。闇人も所詮は人であり、厖大な氣を放つ竜族の砲撃をいつまでも防ぎ界せるか。加えて、武術が卓越していようと、鎧の如き鱗と軍を切り崩す鈎爪に勝るとは思えない。

 夬が高らかに哄笑し、少女の頭を鷲摑みにする。響き上がる悲鳴に竜族は怒りで目を血走らせるが、顎は既に抑えられていた。


「貴様は今日から我ら阿吽一族の下僕。この娘の命惜しくば賢明な判断をする事だな」


 怨嗟の唸り声で地下を震わせる鉄色の竜族――ナタスは、少女の身を案じて抵抗を止めた。依然として食い掛かる勢いの憎悪を眼差しに込めたままだが、落ち着いた様子に夬も嗤う。

 自分自身の所為でナタスを陥れてしまう事に、少女ルリは惻々と涙を目から流す。

 夬が具にルリの容貌を検める。

 目許まで前髪で隠す茶の頭髪。体の節々に赤い魚鱗が見受けられるが、貌は人族と差違が無い。購入の際に記した契約書の内容には、人族と火蜥蜴族(サラマンダー)の混血とあった。火蜥蜴族とは北の海峡付近の火山に棲息する赤竜(フレアドラゴン)と日々争うと言い伝えられる伝説の種族。竜族と同じく魔物と同視されるが、彼等以上に目撃例は少なく、第一次大陸同盟戦争より前に記録された物が最新とされていた。

 伝説の通りならば、生誕の際に別の真名(まな)が与えられ、呪文の如く唱えると火を操る術に於いて魔導師を赤子と蔑視する位階に在る火蜥蜴族の本来の力を取り戻す。道理で購入の際に竜族よりも少女が高価であったのかと、漸く納得して夬は頷く。


「お前にも働いて貰うぞ」


 夬は竜族を乗せた荷台を部下に運ばせ、ルリの鎖を片手に悠々と屋敷への帰還を図る。竜族を随える今なら、襲撃に怯える必要は皆無。堂々と道を歩み、戦わずして敵を制する。

 着々と自陣の守りが強固となる様を顧みて、先の栄光が明確な輪郭を帯び始めるのを実感した。


 彼の背を見詰めるのは、物陰に身を潜めた少年。逆立つ黄土色の頭髪を後ろに撫で付け、額を晒した面差しは、目の下に傷痕があるが、著しく瞳が小さい三白眼の所為で人相は悪いが、小柄とあって生意気な小僧にしか見られない。

 股引に襤褸で拵えた上衣である。冷たい石畳を跣で踏み締め、運搬される竜族の巨体に付き添う男を睨め上げていた。

 この少年――本名は明かさず泥吉(どろきち)と周囲に名乗る小僧は、歓楽街の路地裏に屯する八九三の下っ端であり、諢壬の貧民街の隅に住む。陰湿な暗闇の中で常に年長者達の顔色を伺いつつ、働いて稼いだ賃金を貢ぐ生活の中にあった。

 上前を掠め取る大人の遣り口に嫌気が差しつつ、それを逆手に取って己の嚢中を潤す術と、大人を躱す処世術で強かになった。

 唯一の支えは共に暮らす姉のロイヤ。貧民街でも美しいとされた彼女は、分け隔てなく接するが、子供を虐げる大人には容赦ない性格である。巷で有名な彼女と泥吉は、東国と西国の混血(ハーフ)。故に、時には人数の計算で不都合が生じると調整の為に迫害の対象ともなった。

 それでも二人で支え合って生きる中、二ヶ月前に貧民街へ立ち寄った諢壬を統括する阿吽一族の長たる夬がロイヤを見初め、屋敷へと強引に連れ去ってしまった。姉は仕事を得る好機だと付いて行ったが、あれから帰って来ない。

 弟を深く愛する姉の期間が遅いとなれば、余程多忙なのか、或いは拘束されているに違いない。泥吉は平生の働きで得た伝に、働いて稼いだ金の余りを費やして阿吽一族の動向を調べた。

 そしてつい先日、何かの企みか西方から客人を招いて詮議していた様子。仮に忙しくなるなら、その隙に姉を救抜できる。


「こちとら……ずっと待ってたんだぜ」


 泥吉にも策があった。溝の泥を啜って生きるように辛酸を舐め続けた生活に終止符を打つ。もう阿吽一族の報復に怯え、攻め倦ねる日々に別れを告げられる。

 今回、彼が購入した竜族――さぞや夬を激しく憎悪しているだろう。少女を想って従っているのは、泥吉の目からも読み取れる理。その怒りを利するべく、先ずは少女を救い出して夬の契約書を燃やし、最終的に竜族へと届ける。

 姉をその後に助ける為の戦力としては申し分無い。竜族の助力を得て、屋敷もろとも夬を抹殺すれば姉との生活を取り戻せる。


「待ってろよ姉ちゃん、俺が必ず助け出してやっからな!」


 救助の策に向け、気勢を上げる泥吉。

 その背後の闇を異形の影が複数往来していた。魔物でも人間でも無い何か、怨念の吹き溜まりの様なモノが生きる人々の気配を嗅ぎ付け、静かに蠢く。だが、それは何かを待って人里に襲い掛かろうとはしなかった。

 泥吉が背筋を悪寒が撫でる感覚に振り向くと、其処には彼が見慣れた暗闇。だが、少しいつもとは違う陰険な空気を内包していた。

 気味悪がって、泥吉は早々にその場を後にする。

 泥吉の視線から隠れた“それ”が再び集まり、人の形を成して歪んだ笑顔を浮かべた。






アクセスして頂き、誠に有り難うございます。

更新できる内に更新したい。次もいつになるかは判りません。


次回も宜しくお願い致します。



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