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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:優太と道行きの麋──上
225/302

その道行きを案じて



 矛剴当主の屋敷に召集されたのは四名。異彩際立つ異種族且つ血族の中でも特異な出自を持つ人間で構成された部隊である。

 他にも広間に集うのは、矛剴の傑物たる『十二支』の位階に達した各分家の長であり、神の国を追放されて以来、中央大陸最強の部族、その中でも選りすぐりの遣い手。

 正面で睨み合う双方は、数に差はあれど発せられる威圧は拮抗していた。およそ安全圏と思われる部屋の隅に待機する響花は、部屋全体を内側から拡張するかの如き迫力を感じる。忌諱し合った闇人と矛剴が正式に面子を揃えて一室に参加する様相は、政治に疎い彼女にとっても異観極まりない。

 闇精族首領の実子で随一の戦士――サミ。

 魔王一族の異分子――穢人の東吾と西吾。

 獣人族魔術師の亜種――瑕者の眞菜。

 矛剴から現れる変異種――闇人の優太。

 密かに外様から吸収した戦力を先刻承知していた矛剴当主の煌人は、快く彼等を屋敷へと迎え入れた。無論、外部の人間を断固として信ずる事無き一族の目から匿して屋敷まで参上させた。

 一党を率いる闇人は、能力覚醒を待って療養中、視覚も眼帯に蔽われて機能を果たしていない。今ならば仇討ちの念願も成就する、猛者は音を立てずに凶器に手を伸ばすが、そんな彼等を制するのは『丑』の卓。

 十二支では『巳』亡き今、当主を除いて最優の勇名を恣にする戦士を殺害した仇敵。卓の最大警戒を全面に出した面構えに全員が手を止めた。そしてまた、彼等も漸く実感する。正面に対峙してなお、其処に在るかも朧な存在感、気配は目に捉えられる像のみが恃み。

 煌人の背後に控える壮年の矛剴は、納得して目を伏せた。初日にも遠目に見た時とは明らかに印象が一変した。もう師や神、大人に翻弄される子では無く、純然たる己の意思を以て稼働する悪辣で禍々しい暗殺機械。それは里に当主の世嗣を収奪せんと帰郷した先代の映し鏡を見ている錯覚に襲われる。

 過去に当主と親衛隊を殺害して殻咲響を拉致し、様々な策略を巡らせた挙げ句、新たに誕生した過去最高の氣術師拓真をも奪い、道具として利した末に無価値と断じた途端、事も無げに破棄する無慈悲、それこそ同族なる矛剴に仇為す悪鬼。

 連綿と続く矛剴の家系図を辿れば、先代闇人は現当主の祖父の兄から生まれた子である。幼少期から明瞭な黒印、自らの邪氣で産後の湯や布さえも漆黒に染色し、母の胎内さえ貪った形跡があった。壮年の男は、既に還暦を過ぎて早二十年経ってなお健在であり、過去に立ち会った出産で見た先代闇人の様子をよく憶えている。

 矛剴の血統に現れる闇人の条件。

 一つ、当主の血統にあること。

 二つ、生来より耳目が敏く、身の(こな)しの良い者。

 三つ、矛剴で誰よりも純血。

 三つ目は、矛剴当主一家が代々秘密裏に記録してきた闇人の状態から推測された事実。人間の身体機能と差異の無い構造でありながら、最も神族に(ちか)しく、魔法や『加護』とは一線を画する異能の持ち主。誰よりも矛剴でありながら、同族とは別の道を往く。寧ろ、北大陸では元来その憎むべき神に矛剴も忠義していた過去から鑑みれば、本来の矛剴の在り方を正統に継承している貴重な遺産である。

 矛剴当主秘蔵の記録、煌人からの伝聞、噂に聞く本人の人物像、この場での立ち居振舞いなどから統計した。戦闘力は主神に受けた使命の過程で、途方もない研鑽を積んだ晩年の闇人に同等。平均を些か上回る程度である。しかし、異常に高い学習能力のみは他を抜きん出ていた。

 現に、煌人と共に密かに闇人の修練を観察していたが、一族では理論を説かれようと何者も再現、淘汰し得なかった縢と瀧と仂の技を、僅か数日の内に独りで試行錯誤するだけで完成させた。まだ三人ほど強大な効力を発揮するには足らないが、視点は他の矛剴とは違う劃然とした線を引いて別の世界の住人だ。

 異端と罵り蔑む、強力な武器でも一族の在り方を充たさねば放棄する矛剴とは違い、柔軟に適応する能力ばかりを向上させられた素質は、誰よりも熟達速度に優れている。

 嘗ての闇人暁は、師の戦技を一目し、一考したのみで、再現に至らしめ、以降は規矩であった師をも凌駕する。初期段階から普く技術を為す事の能う機能が充実した身体機能や思考を所持するのが鬼才の暁。神々にも匹濤する史上最高水準の暗殺者。

 ならば、優太は丹念な努力による経験の蓄積で己を高める一点に特化した才覚。模倣は精巧に、更に先へは鍛練でより磨いて着実に強化する。所見での失敗を、次は絶対に成功に収める事に於いて他の追随を許さない秀才。

 二代に亘る闇人の得物――隣の床に何気無く安置された黒檀の杖。使用せずに康生を不殺で完封した彼が抜き放った時、この場に生存者が居ない。果たして、最初に集会の義を無視し、斬り掛かる者は誰か。討死の順番に、ただ先頭を切って行く勇敢な者という不名誉な称号を刻まれるだけである。

 優太は一度だけ顔を揃えた十二支の居ない他方向の襖へを顎で示す。すると、隣に座していたサミが高速で大弓に矢を番えて放つ。その瞬間に全員が瞠目する。射出速度が弦の反発を利した範疇を逸して、襖までの間隙であたかも消失したかの如き速度に達したのだ。瞬きを一つも待たぬ内に短い断末魔の悲鳴が聞こえ、十二支は全身の肌が粟立つ。

 襖には血が滲み始め、水分を吸って脆弱となった部分をゆっくり突き破り、向こう側から射殺された矛剴の人間の亡骸が顔を覗かせた。

 氣術師は氣術師を感知できない――己の氣を自然界と一体化する事で、西方の魔導師が用いる魔力感知、その挙止に伴う音、体臭、そして同朋にすら知覚し得ない完璧な自身の透明化である。

 その条理を容易く、優太は破壊してみせた。如何なる手法で機を窺い、奇襲を仕掛けんとした十二支から遣わされた刺客を捕捉したのか。

 サミが座布団に腰を下ろし、優太は改めて正面に対する煌人へ顔を上げた。


「それで、諢壬の窺見からの連絡は?」

「興味があるのは、それだけかい?」

「十二支を揃えた魂胆を聞く」


 異種族ですら受け容れた煌人へ、この態度である。十二支の憤慨を買うには事足りる無礼を粛清するべく立ち上がるが、煌人に制止されて渋々と居合い腰を下ろした。見透かすように、優太が小さく鼻で嘆息をつく。

 煌人は一枚の紙片を投げ遣った。目も見えぬ相手に対する渡し方としては不相応だが、その例は闇人を除いた場合のみに限る。優太は宙に舞う紙を素早く指の間で挟み取り、隣の双頭の面前に展げた。

 耳打で西吾が内容を伝え、優太は徐に立ち上がる。振り仰ぐ兄の視線にすら応えず、音も立てずに広間を辞した。腰を上げた三人がその後ろを追う。


「私にも後で伝えろ、闇人」

「綺麗な顔、でも闇精族は無礼、殺す?」

「止さぬか、闇人様に忠義する同朋だ」

「良いから、早くしないと……かも」


 煌人は立ち去った四名を見送った。

 今回、優太の現段階での判断によっては、正式に矛剴当主の家に迎え入れる腹積もりだった。肚を決めた彼の判断に従い、十二支も列座したが要件も言わせず、ただ目的にのみ集中する闇人の姿に呆れ果てること頻りである。

 煌人もまた座布団から立ち上がり、響花に指示を送ろうと視線を投げ掛けたが、既に彼女は優太を追っていた。やや不快に顔を歪めつつ、煌人もまた自室へ向けて歩み出す。

 その隣には康生の配下が寄った。


「如何致しますか?」

「透……ゼーダの監視を頼む、子供に危害を加えられたら元も子もない」

「……?承知しました。それで、闇人は?」

「好きにさせなさい」


 部下はその判断に難色を呈するが、煌人は依然涼しい顔だった。


「少なくとも、“あの人”から指示があるまでは」




  ×       ×       ×



 初冬の風が山の命を眠らせる。曙光の射す池には朝靄が白く煙り、水面の上を幽かに揺蕩う。二年以上も続いた内乱を平らげ、乱世に終止符を打った救世主と謳われし侠客仁那の噂ばかりが人伝に膾炙する。旅を愛する彼女は、次なる大陸同盟戦争に備えて首都を離れられずに居た。歩く所に悪が蔓延れば、崩壊の兆しを与えて救済する。

 しかし、仁那による救世を求めぬほど、大陸全土が久しい安寧に浸っていた。もう枕元に護身の武具を隠す必要は無く、敵襲に怯えて一夜震えて耐える寝ず番の役回りも来ない。後に二国終焉戦争と記録された惨憺たる戦を終えて憩う者にも忘却された諸悪の根源、その一族が居住する秘境にも変動はある。

 時代と共に変遷するのが世の理、無常の中で同じ意志を貫けるのは、時代の中に果てた死者であり、俗に英雄と敬称される偉人。尤も、その所業が偉業であるか否かも、世の思潮に左右されるとなれば、英雄に認められる定型も無い。

 救国の美女と讃えられる『白き魔女』こと結びの相棒への視線もまた、今変調を来す時代の流れの中で変わろうとしていた。一人の英雄として名を馳せていた存在は、些細な事件を端緒に人望を喪い、失墜するのも珍しく無い。

 東国で開催された平定の円卓に参加せず、姿を晦ませた彼の行方を知るのは、いま大陸を動かす要人の面々のみ。名だけで『白き魔女』や『金色の娘』、カルデラ当主を害する反乱分子を抑止する効果がある。不在を知れば、ただ戦の空気に息をする事が至高とする戦闘狂の凶刃は容易く抜き放たれる。

 帰還は何時かと思案される中、北方の深林では常に雲が天上の蒼窮を遮り、沸々と陰を湛えた樹間を埋め尽くす闇が胎動していた。森の付近を中心に活動していた盗賊、その地に赴いた形跡のある名高き傭兵などが消息を絶つ。その度に、深淵に蟠る暗黒が深まるばかりであった。

 三人を連れて小屋に帰還した。黎明を過ぎた後であり、地上を包む光量は次第に増していく。瞼の裏で僅かな明暗の傍証を読み取り、大体の時間帯を把握する。

 起床した子供達がゼーダを中心に犇めき合っていたが、響花の姿を見ると翻身して駆け寄る。黒檀の杖を預かった彼女は、視線を右往左往させた末に、漸く解放されたゼーダへと投げた。氣術で引き寄せ、摑み取ったのを目にして安堵したのも束の間、子供の突撃に押されて呑まれる。

 弄られる眞菜と双頭だが邪険にする事は無く、過度な接触を求める子供の波に揉まれ続けた滞在期間中に既に慣れてしまい、鷹揚にそれを処していた。優太の下にも集い、奥地に咲く特別な花を贈る子も居り、一輪ずつ渡されて束となった物を胸に抱き、一人ひとりの頭を撫でた。

 響花の注意で渋々と離れて行く子に謝り、自室に向けて段差を上がろうとした。しかし、桟敷の支柱に角を預ける影が横臥している。蠢いたそれが、頭を擡げて優太を振り仰いだ。

 小屋に戻った優太を迎えたのは(ディン)だった。“樹液”を摂取した頃から、外観が明らかに萎んでいる。逞しかった四肢は萎えて立つ事も叶わず、艶に濡れた大角は枯木の樹皮の様に割れた表面。眼窩の奥に落ち窪んだ瞳は未だ光を灯しているが、弱々しく瞬きをする度に消えてしまいそうである。

 常に人の先を歩み、先導の役を担っていた雄々しい麋の面影は無い。一月の交流とあって、些か情を懐いた優太は、桟敷下の支柱の近くで屈み込み、麋の頭を優しく撫でた。氣術での健康状態を維持しても、ただ僅かに時間を延ばす延命措置でしかない。様子は見えずとも、手に触れた毛並み、浮きだった骨の凹凸が克明に状態を伝える。

 この麋の正体は、優太や矛剴――氣術師の父祖たる神族の天隠神。(カグツチ)とは違い、伊耶那岐の肉体ではなく力を受け継いだ存在。氣術師を遺した以外に詳細が無く、その遺体から神樹が誕生した神話の裏には、まだ何か多くの真相を隠している。

 優太は柱に凭れて庭を見た。子供は朝の微睡みから完全に覚醒した直後で興奮気味であり、響花の服を四方八方に引いて児戯に誘う。その際、幾つかある子供の派閥が争い、中心部で揺すられる彼女の服が乱れる。

 視線の遣り場に困り、顎を上げて空へと逃れる。訪問以来、厚い雲を湛えた曇天の空は、麋の衰弱に合わせてそこかしこに青空の欠片が見えた。確かに奇妙なのは、天下を蔽う分厚い雲底からは、山蔭から現れた曙光が当たり、日暮に陰る林間の暗黒も然して深くない。

 雲は存在する筈の空から、快晴と変わらぬ光が地上に届く。天空が意思を以て、この地に在るモノを匿す為に雲を滞留させているかの様だった。不可解な現象を発生させる根源とは何なのか。

 麋が鼻息を荒くすると、口端から流血が迸る。枯れて乾いた落葉が受けて、より鮮やかな赤へと染まった。優太は音で察知し、麋の背に触れて確めた。体内の氣流が乱れ、体の各所で内出血が起きている。体温は異常に低く、毛は乾いて逆立つ。

 直立も困難な動物の末路など知れている。捕食されるか、衰弱の一途を辿るか、どちらにせよ死への顛末。幾ら内情が神の化身でも、身体に現れる異常な症状は、確実に死期を示唆する。

『もう、長くないみたいだ』悲痛な響きを込めた声音で麋が囁く。

「見れば判る」優太の無機質な声が応えた。

 自分を見守る為に復活した師から送られた使者。不完全に復活をした者が現代を生きる命と同等で在れる筈が無い。相応の危険が伴い、承知の上で優太の監視役を承諾したのだ。

 麋の吐き出した血が瞬時に乾燥し、風に吹かれて舞うかの如く黒い粒子に分解され、優太の指先の皮膚に溶けて行く。流血のみならず、口内や体毛の間から漏洩している。空中に撒布され、剰さず優太へと吸引された。

 感触に驚いて、優太は自身の掌を見下ろした。自身の体内に蓄積する力の源が躍動している。人を殺めた時の感覚に似たモノを得て、呼吸が乱れて膝を地面に突く。絶えず麋から充溢し、付近にある大きな塊に寄せられ、総てが集積する。

 麋から溢れるのは、死者の道行きを案内する魂の標――邪氣そのものだった。一個の生命には微量しか所有しない氣が、麋から多量に排出される。

 優太は眼球の脈搏が加速する感覚に呻いて、蹌踉めいて支柱に背を打つと、その場に腰を落とした。長い間隔を経て再発した苦痛に堪えて、麋の方へと躄る。断続的に浅く荒い呼気が腕に掛かり、優太は麋の不調を強く感じた。


『もう、神族からの侵攻も防げない。この身体だと、(えれ)ぇ出きる事が少ない。空に膜を張って隠すか、防ぐかしか』

「君だったのか」


 天隠神――その字の如く、天を隠す。確かに、神族の長女天照に監視され、瑕者と穢人の刺客を遣わされたが、以前の様に本人の出現や配下の八咫烏の襲撃は途絶えた。

 その要因は麋であり、神の一部と雖も氣術師すら感知の不可能な規模に結界を展開し、優太に猛撃を仕掛ける敵勢を阻んでいたのだ。少年が考え、独自の回答を出すまでは妨害する天からの兇手を斥ける為に人知れず奮闘していた。

 優太は内側に漲る邪氣に困惑する。


『元は死んだ身……それも元神族だ、復活した後も黄泉國から邪氣を多く持ち込める』

「……僕の力の糧に、なるっていうのか」

『暁の命令じゃないけど、問題ないだろ。

 これまで、何も出来なかったからさ。兄弟喧嘩して、仲直りも儘ならない状態でおっ()んだ。宙ぶらりんで、何一つ為し遂げられない。

 だから、最後くらい、兄さんを止められる何かを作りたかった』


 麋の体毛が色を失い始めた。艶の無い白毛になって行き、生命力が体内から霧散していく。触れた掌から手応えを感じる優太は、神妙な顔で麋の顎に手を添えた。これまで体内に蓄えた邪氣は、どれもが自分に敵意を向ける害悪ばかり。

 しかし、麋から託される邪氣は、それらとは全く違うモノ。優太を応援し、その道行きの幸福を祈る者の想い遣りである。


『心配すんな、手間は掛けさせない。その内、迎えが来て元の場所に葬ってくれる。但し、お前さんと顔合わせするのは拙い、どっか適当な場所に放置しといてくれ』

「……他に、何か言い遺す事は無いか?伝えたい相手も」


 麋は一瞬だけ戸惑ってから、諦念に嘆息する。


『強いて言うなら、やんちゃな兄さん。道は違えたけれど、それでも愛して……るって言ってくれ』

「……承った、他には?」


 親しみを込めて、角で優太の頬を突いた。余力を振り絞っての、最後の挙止である。


『お前さんに。これから辛ぇ事が沢山……あるけど、それでも……めげずに頑張れ。兄さんを止めて……そんで、師匠も止めて……幸せになりな』

「ああ、必ず」


 麋の全身から力が抜けた。

 優太は掌を面前で合わせて黙祷する。最初から奇妙な性格で、それでも自然と懐に踏み込んで来た。麋の存在が現れて以来、決着が無いかに思われた自問自答の終着点を見付けられたのである。そこに於いて感謝すること深甚であった。

 麋の急逝と共に、蒼空が拡がる。蟠っていた雲が一掃され、一斉に抑えられていた光が地面を照明する。樹冠を通って澄んだ空気を射し地面に落ちる一条の線。

 優太は邪氣で生成した巨人の腕で麋を持ち上げ、丑寅の方角へ歩み出す。誰も追わせぬ為に、邪氣の壁を背後に打ち立てた。

 暫し木漏れ日が傾いだ柱となって乱立する林間を進み、ある程度の距離が小屋との間にある場所に射した光の下に遺体を安置する。

 そのまま歩を進め、優太と眞菜達が戦闘し、樹林が伐採されて岩盤が剥き出しとなった荒地の中心で立ち止まった。

 上空から夥しい漆黒の鳥影が降り立つ。翼に孕んだ空気を叩いて降下速度を制御し、身体を安定させて着地する。結界が崩壊し、阻まれていた神族の刺客が次々と標的目掛けて滑空した。待機期間の長さに昂り、烏の目は血走っている。薬物投与でも受けたかの様な興奮状態にあった。

 平時より狂暴化した彼等の前で、優太は眼帯の結び目を解く。緩慢な手付きで布を取り払い、外気に固く閉ざした瞼が晒され、冬の空気を涼しく感じる。

 天隠神から譲受した邪氣によって、眼の完成が促進された所為か、もう痛みも感じない。ただ眼球の内に新たに生まれたモノの形や気配を明確に把持している。


「もうアンタらの思惑に付き合う必要は無い。仁那と同じ遣り方では進めない。なら――」


 優太の足下に蜘蛛の巣状に亀裂が奔り、地殻が震動する。空間一帯を圧縮し、烏達は呼吸さえ難しくなって、その場に立ち尽くす。


「僕の遣り方で世界を変えるだけだ」


 開かれた琥珀色の双眸が真紅に変わる。

 瞳孔を囲う黒い三角(トライアングル)を顕し、未来(さき)を見据える眼で蔓延る悪意達を冷たく睥睨した。

 もう――道行きの案内となる麋も要らない。




  ×       ×       ×



 森の奥に置き去りにされた麋の遺体。

 其処へ人影が音もなく歩み寄ると、片膝を突いて顔を覗く。安らかな獣の死相を認めて、影は立ち上がる。


「ご苦労だった」


 遠くで烏の悲鳴が轟く。

 影はそちらを見遣って、微かに微笑んだ。


「お前がそちらの道を選ぶなら構わない。結果として“奴”や俺の筋書を外れたが」


 死体が宙に浮かび上がる。


「天隠神を葬り、また来よう。その時こそ躊躇わず――“奴”に引導を渡す時だ」










アクセスして頂き、誠に有り難うございます。

過去に一日に一話を投稿していた過去を顧みると、五日の間隔が空いた今が凄く異常に思えてしまう。本当、久々に書けて良かった。


次回も宜しくお願い致します。



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