密かに血錆で哭く刃
少女は疲弊し、膝を突いて項垂れる。
濛々と立ち煙る粉塵は、火薬や魔法の炸裂に催された破壊の痕跡。付近には身体の一部を損失した人体が転がり、破壊された武具の欠片が散乱する。瓦礫に圧し潰されて、血が紅く滲み出す場所さえあった。
金色の長髪を靡かせた複眼は、羽衣の裾を捌いて眼下に蔓延る叛逆者の醜態を嘲る。全身から漲らせた神々しい力で下界を照らし、威光に跪く者には安寧を約束し、逆らう悪には裁きの鉄槌を降す。蛆虫の如く、幾度も湧いて抗わんとした猛者も、もう屈伏する手前にまで陥っていた。
まだ立ち上がらんとする少女に、一条の閃光が放たれる。その直近に閃いた力の奔流が、地殻を突き破り、足許から颶風を巻いて爆裂した。爆ぜた衝撃に空中へ投げ出され、着地の体勢すら取れずにもんどり返る。
四肢に力が入らず、少女は脱力感に抗って呻いた。弔いの為に、あの人の為に勝利しなくてはならないのだ。その強固な意思が、少女を戦場から逃さない。
素直にはかれなかった、けれど師として仰ぎ、ある時は親の如く慕った者を屠られた。底の無い虚から滾る復讐の闘志は、完全にこの命を奪われる鎮まらない。それでも意思に追い付かず、全身が軋む苦痛で何度も地面に伏した。
少女の傍を駆け抜け、上空へと縹色の雷が奔った。戦野の空で優雅に舞う羽衣を目指し、果敢に拳打を放つ。しかし、中空で展開された無色の壁に阻まれ、自身が与えた力をそのまま反射されて吹き飛ぶ。
撃墜された縹色の光は、地面に落下した衝撃で窪地を作った。あの超常の権能すら通じない絶対的な強敵を前に、少女は己の力量不足に悔いて涙を流す。勝利の夢も、あの約束も潰えてしまう。
中空に浮遊した羽衣の貴影が高らかに哄笑した。戦士の頭上の空で、広く響き渡る喜悦の念に満ち足りた声音。まだ挫けぬと攻撃を仕掛けて、返り討ちに遭う仲間の苦鳴が耳に届いた。
暫し足下に見える虫の抵抗に応じていたが、羽衣の貴人は複眼は眇めて、興を削がれたと凶相から表情を消す。彼等の中枢を担う少女を灰塵とすれば、降伏の意を示すまで然程時間を保つ事は無いと判断してだった。
捻れながら集積する掌中の眩い光を標的に翳す。周囲一帯の空間を熱する高圧な氣の塊、想像を絶する威力を有するであろう物に、少女は苦痛に歪んだ相貌を悔恨に溢れる涙で濡らした。
そ愉悦に綻ばせた顔で反応を返す貴人は、終末を告げる光を指先一つの合図で放出する。誰もが敗戦と悲しくも確信して瞑目する。接近するにつれて圧倒的な光に掃われた影は、さながら失われて行く命を表しているかの様だった。
「君にしては、随分と弱気だな」
戦場の全員へ届く、透き通った玲瓏な声。
突如として何処からか飛来した巨大な闇色の矢が、少女を呑み込む光を一掃し、景色の輪郭を奪う太陽を切り裂く。完全に虚を衝かれた貴人の胸部を捉えたが、その肉体は強靭であり貫通を許されず、拮抗した耐久力と攻撃力が鼓膜を劈く怪音を轟かせて爆発する。
悠々と空を舞い踊っていた羽衣は襤褸となり、地虫と卑称していた人間の居る地面に墜落した。盛大に瓦礫を巻き上げて、皹割れた岩の隙間に背を埋める。
呆気に取られた少女の隣に、影よりも濃い闇が立つ。それは夜空の下で光り、三角の模様を浮かばせた深紅の双眸で墜ちる敵影を見詰めた少年だった。腰に差す漆黒の杖を引き抜いて、振り下ろした石突で軽く少女の頭頂を打つ。
打たれた箇所を起点に、全身へと行き渡り、疲労感を取り払っていく活力。奇態な回復にも、だが疑問を懐かず少女は膝を叩いて自身を叱咤し、奮い立たせる。
撃ち墜とされた金色の羽衣は、獣の如し唸り声を上げて空へと再臨し、憤怒にその面貌は凶悪に変ずる。高貴な気風などない、爛々と耀く複眼が眦に血を溜めていた。握り締めた拳固の内では、煮え滾る熱が発生し、周囲の空気を急激に温めて陽炎を生む。
少年が合図をすると、直上の夜空で待機していた竜が両翼を拡げて着陸する。低く身を屈めた背に飛び乗る少年は、躊躇わず前方への飛翔を命令した。
深く俯いて少女は、前で繰り広げられる戦闘ではなく自身の心の内を意識した。脳裏に投影されたのは、自分の頭を無造作に撫でて髪を掻き乱す大きな掌。親愛を感じる感触と、破顔した厳つくも不思議な愛嬌の内在した面相。
喪失した大切な人に想いを馳せる。彼が遺したモノを、自分が守らなくてはならない。その使命感以上に、彼を憧憬する自分の心の貴さを解した。目標としてあの男を定めた自分の志に間違いなど無い、ただ突き進むだけなのだ。
羽衣の貴人が咆哮すると、音響は物理的な圧力を全域へ伝播させ、少年を乗せた竜もろとも吹き飛ばす。竜の重厚な鱗の背を蹴って、上空に跳躍した少年は、次の瞬間に満身を微弱に翠を帯びた黒い炎で燃え上がらせ、その次の瞬間には炎を軽鎧の巨人へと形を定めた。
躍り掛かる巨人は、手に駆る暗黒の刀で鞘を払いざまに横薙ぎに斬る。貴人は拳で相殺し、剣擊と拳擊が重なって地響きを起こす。逆袈裟に斬り上げれば、羽衣を翻して更に高空へと舞い上がって回避した。
少年が舌打ちし、後ろを顧みた。
少女の全身が紅い燐光を帯びている。
動きを止めた少年に、貴人は頭上から襲い掛かった。不意打ちの成功を予感し恍惚とした笑みを浮かべたが、灼熱の炎で形成された拳に横合いから強襲され、またしても地面に叩き下ろされる。
屈辱と顔面を殴打された衝撃に呻いて、蹌踉きながら立ち上がった貴人の前で、少女が昂然と仁王立ちしていた。乱戦の末に擦り切れた服、迷いが失せて澄んだ瞳の奥では戦意の火が烈しく燃える。歴戦の戦士の空気を醸していた。
「新しい世界?馬鹿馬鹿しいわね」
「……ッ……貴様ァ……!」
「創り変えるなら、もう少し後にしてくれない?あたしはまだ、この世界の事を確り理解出来てないのよ」
貴人が複眼から滂沱の血涙を流し、理性を破壊する憤懣に身を委ねて疾駆する。
少女は泰然とその場に立ち、後ろに引き絞った拳を正面へ突き出す。
自身を神と宣う羽衣を正面から烈火の奔流が迎える。人智を超越した力の加護を得た肉体は、皮膚が灰になり、眼球の水分は一瞬で蒸発した。火炎の波に洗い流されて所々が溶解した地面の上に、激痛で絶叫した貴人が悶える。
羽衣を焼かれて失った貴人を嗤い、少女が前に進み出た。
「未知があるなら、それを見逃す訳ないでしょ。何たって、あたしは――冒険者なんだから!」
× × ×
樹林の中を奔走していた足が止まる。
意思に関係無く、瞼の裏側に映された情景を視る瞳に激痛を覚えた。目許を押さえ、傍の樹幹に体を預けて倒れるのを堪える。
眼帯の下で心臓の如き脈搏で震える眼球。別の生物を眼窩に飼っている様な感覚に、優太は今にでも眼帯を引き千切って、己の目を抉り出したい衝動に駆られる。
不自然に熱を帯びた全身が鎮まるまで、前に足を動かしながら歯を食い縛る。外敵の気配を探知するだけで余裕など残っていないが、優太に彼等を逃がす心積もりも毛頭無い。
ゼーダ達が行動を結界で封殺されている以上、絶対安静と注意された優太が動かざるを得ない。彼等が何もせず、この場を訪れる訳がないと断じて追跡すれば、案の定その気配の中に子供達が含まれている。
外部の人間が考えうる矛剴の子供の利用価値など高が知れている。概ね質として、自分達が優位に立ち回る状況を作りたいのだろう。氣術師の一族に攻撃を仕掛けるのだから、生半可な覚悟ではない。余程の自信を懐かせる迎撃の構えあっての策動なのだ。
不意に石に蹴躓いた。前に傾く上体を止められない。均衡を失った体に合わせ、意識も闇の底へと落ちていく。瞼を閉ざしているなら尚更、眠りに付くのは早い。堪える気力までもが起こる前に沈んでしまう。
地面との衝突を最後に途絶するかと思われたが、優太は腹部に添えて支える硬い感触に辛うじて気絶を免れた。掌で触れて調べれば、あの麋の荘厳な角である。再び萎えた己の脚部に力を込めるより先に、麋が頭を振り上げてひょいと投げられると、広く大きな背に跨がる形で落ちた。
麋が鼻を鳴らしている。道行きの補助を頼まれてくれるのだ。この協力に小さく笑った。
縢の教示を得て積んだ修行より、感知領域は自身を中心として半径十五丈にまで達する。距離を拡張するには、感知域内部に在る物体と体内の氣を同調させ、そこからより遠い場所を認識する。
云わば、中継地点となる物体を定め、それからより遠くを見据える。弱点となるのは、応じて自分の身の警戒意識が疎かになる事、これが縢にとっての課題であり、この秘技の難点。
優太は補うべく、距離の延長と行いながら、定期的に自身の近辺に重点を変える作業も行う。これで十全に身辺に及ぶ敵襲へ対応が為せる。
成長した氣術を以てして、まだ彼等は感知の可能な範囲に気配が存在していた。抜き身の小太刀を振り翳し、目標の居る方角を鋒で指し示す。
麋は承知して頭を軽く振り、蹄で地面を掻く。震動に備える体勢になった優太を確認し、偉躯を後方へやや引くと、勢いよく前進を始める。唸りを上げる前肢を突き出し、地面を蹴る後肢が地雷を炸裂させたかの如き勢いで土を巻き上げた。
言葉にすれば一つひとつの動作は荒々しくも、傍から観れば、全身の筋肉が滑らかに動き、伸縮する発条さながらの柔軟な連動。猛々しく、されど美々しい肉体美の体現であった。
本来ならば木々に閊えてしまう角や体は、草木を撫でて吹き過ぎる風と一体化し、それらの不都合を無視して駆けた。人の足では叶わぬ到着までの時間を省略し、猛然と距離を潰す。
標的と間近と感じた優太は、麋の背に足で立つ。後肢で地を蹴る瞬間に、麋の腰が撥ね上がるのを利して、その臀部を踏み台に機を合わせて跳躍する。
高く上昇し、前へと飛んでいく。障害物となる梢などを小太刀で斬り落とし、子供を拐う集団の一人に背後から柄頭を後頭部に叩き込む。突然の奇襲に振り向くことも出来ない。
ぐしゃり、と音を鳴らして一人は失神した。子供を抱えていないので、そのまま押し倒して馬乗りになると、武具の長槍を奪って構える。武装が小太刀の一振りでは心細い。
氣術で感じた敵の気配が警戒に蠢き、武装を構える。鞘と刀身の間に生じる独特の摩擦音から一人は抜刀、強く握って軋ませた手元の音で長柄の得物が数名、残るは腰の紐から外す音……斧か投擲武具だと推察した。
優太は無造作に鉄笠の一人へ擲った長槍に追い縋るように駆け、盾で投擲攻撃を凌いだ相手の顎から小太刀で貫き、脳を鋒で食い破る。鮮血を浴びながら、倒れる前に腰元の鞘から短剣を奪い、続く二人目へと投じた。
防御した相手の首を掻き斬る。鉄笠が急ぎ撤退の号令を悲鳴じみた声音で告げ、逃がすまじと手当たり次第に武器を手にした優太が猛追した。幾度と無く敵を斬り伏せる。
いつしか、敵勢に鉄笠以外に粗末な装束を纏った連中――盗賊や特殊な武具を提げた傭兵と思われる障害が立ち塞がる。血に塗れながら奔り続ける優太の姿に、捕縛されていた子供の目が恐怖に凍る。
また空中に紅い華が散る。自身の手で作り出す鮮やかで悍しい惨禍の景色。口許に垂れた血を舐めると、甘い味に舌が快感を覚える。優太の剣が次なる獲物へ趨った。血を浴びて、貪欲に啜る。
瞼で蔽われた闇の世界で、必死に人の気配を探って殺める。子供の姿を目標に、相手をただ屠り尽くす。
何の為に剣を振る?
――守りたいモノを守る。
何の為に戦う?
――自分の信念を貫く為。
何の為に人を殺す?
――自分を脅かすから。
何の為に力を揮う?
――目的の為。
目的とは?
――いつか、あの娘の隣に行きたいから……?
何の為に守りたいモノを守る?
――それが……自分の幸福の在処だから。
何の為に闇人を迎え容れた?
――僕が僕を愛せる為。
何の為にあの娘と約束した?
――……戦場ではない、何処かに行きたいから。
何の為に家族を欲した?
――……寂しいから。
孤独は満たされた?
――………………。
目的の為に奔って、一歩でもあの娘に近付いた手応えは?
――………………。
師の復活と、あの娘では、天秤がどちらに傾く?
――……そんなのは……あの娘に、決まっている。
余計な葛藤などせず、世界を終わらせてしまえば、あの娘に近付けるだろう?
――…………何を言っている?
この歪な世界の所為で、お前は苦悩し、苦悶し、苦心し、苦闘し、傷だけを負う。そんな凄惨な姿で帰って、彼女が受け止められるとでも?
――…………………………。
穢れたお前を、純粋なあの娘……お前が幸福の在処と称する彼女を染められる?
――…………ぁ…………。
否と答えるならば、一度世界自体を汚染してしまえば良い。皆がお前と等しい状態になれば、互いの罪も汚穢も意味を成さん。
――……僕、僕、僕は……。
さあ、おいで。
――……………………。
樹林を駆け巡っていた忙しさから一転し、いつしか優太の意識は闇の底に在った。
中有を漂う霊魂の如く、上下左右すら知覚出来ない無明の空間で、優太は陶然としている。時間の流れすら判らず、体感する外界が空虚だった。
“――こっちへ、おいで。”
そんな世界に聴こえた、唯一の音。
影よりも濃く、闇よりも濃い、およそ光に照らされる事によって産み出されるよりも前に存在する――“原初の黒”。
それが人の貌を成し、優太の目の前に現れる。
伸ばされる手、妖しい声は深く心の内に浸透した。もうどうでも良い、思考を放棄した優太は、その手に応じて腕を伸ばす。この時ばかりは感覚が戻った事に対し、何ら疑問すら懐かなかった。
僅かに指先が触れんとした。
『優太っ!!』
抱き締められた圧迫感に振り返る。
背後では、闇の中でも瞭然とした輪郭を保ち、優太を“原初の黒”から遠ざけようと引いている響が居た。耳許で必死に叫ぶ彼女の声に耳を澄ます。
『見失わないで、貴方が行きたいのは此所じゃないでしょう?』
“――おいで、求めなさい。”
『優太っ!』
響の声に呼び覚まされて、優太は現実に戻った。張り出した巨大な樹木の根に立ち、周囲を敵に包囲されている。中には子供の気配が感じられた。
眼帯は既に無く、だが瞼は閉ざしたままである。自分の物ではない血が、髪の毛先や服から滴った。全方位から畏怖を滲ませた敵意が膚を刺す。
敵勢から一人が前に進み出た。
「実力的に申し分無し。それによく見ると、情報通り……やっぱり良い男ね、闇人」
嫣然と笑む敵に対し、優太は口内の血を小さく吐き棄てて正対した。
「邪魔をするな」
× × ×
ゼーダ達は昼食中、卒然と展開かれた謎の呪術に出口を鎖されてしまった。優太から告げられた敵は脅威として認識していたが、敵襲は想定よりも早く、子供や響花と隔離された環境下、彼等が狙うなど優太か人質となりうる響花や子供以外に有り得ない。内側より結界を解除する作業におよそ数分の時間を要し、三人は慌てて外へ脱出する。
静寂の空間には、あの子供の戯れる姿もない。三人が小屋の中に駆け、響花と優太の姿を探した。床に拡がる上掛けは、恐らく急いで取り払って落ちた物。優太は追跡に出ている、それも単独!
まだ療養中の身では、戦闘行為は危うい。途中で失神も考えられる。相手が手練れの軍人ならば、人質の奪還は容易に行えない。非戦闘員は全員が捕らわれている、つまり子供のみではなく響花の敵の手中と考えるのが普通だ。
今さら気配探知を開始しても、果たして認識可能な範囲に在るか否かなど知れている。ゼーダは桟敷下に麋が居ない事に気付いた。
其々が武器を手に執り、森へと駆け入る前に頭上から声が掛けられる。
「何やら嫌な予感がして戻って来たが、どうやら当たりだったみたいだ」
梢の上で器用に平衡を保ち、大弓を携えたサミが居た。三人の切迫した様子から事情を察知し、肯くと西の方角を指し示す。
夕餉の支度で材料調達に出ていた彼女は、主に東で獣を狩猟していた。闇人よりも広範囲に渡って音を拾う鋭敏な聴覚、驚異的な身体能力を有する闇精族は、異変があれば即座に認知する。その際に優太と出会す事も無く、戦闘の音も聞こえなかった。
残すは東方面のみだろう。骸取り草を抜けて行く道筋を辿るなら、必然的にその方角に定められる。サミは些か得意気な面持ちであり、神妙な顔で双頭が見た。
ゼーダはふと疑問に、組んだ腕に顎を埋めて黙考する。自分の設えた呪術的な罠の数々を突破したのは、小屋に結界を発動させた輩に相違無い。解除までの作業で感じた難易度からしても、杜撰でその場凌ぎの物だと感じた。
問題点はそこではない。
矛剴の警邏が監視する深林に外部から容易く侵入した事実こそ、ゼーダに違和感を懐かせる。中央大陸最強に等しき武の一族たる彼等の追跡を回避して、この場に辿り着くなど不可能に近い。加えて、この骸取り草の中に現れる道の存在を知って利用するにしては手際が良すぎる。
いや、元より知っていた……矛剴の監視の目を潜り抜け……手引き、侵入幇助を為した裏切者が居る……。
血の絆による強固な砦を築く矛剴に内通者など有り得ない、とは断じれない。曾ての神樹の森でも、外界を排する体制を嫌悪し、少し促せば村を炎で焼く反乱者も居た。一概に絶対の信頼が存在するとは言い難い世である。旧態依然とした価値観や文化にも、必ず分岐点となる破壊者が現れるのだ。
ゼーダは先行きの暗雲を予知して唸った。よもや、煌人はこれを認めた上で優太を招いたのではないか。それも、“あの人”とやらの指示に従っての招聘……そう考えても、やはり真意は捉めない。
不自然に重なる状況が、ゼーダを悩ませる。あたかも出来の悪い義肢を填めて、行動を満足に起こせない不快感に似ていた。真実の探究、あと一歩で詰まる所を何かが妨げている。
双頭が先行を始めた。今は優太や子供達の救出が先決である。サミの耳が手繰るものに従い、三人は進路を度々変えながら急ぐ。間に合わなかった場合、最悪は優太の討ち死にもある。
今の彼は死に体も同然、尋常に闘える状態ではないのだから、保って数分だろう。それこそ、身体に異常事態が発生しない限り……。
サミが戦闘中の一団の気配を捕捉した。もはや競うように四人は駆けて向かう。仮にもゼーダは、暁に保護者の後見人として選ばれ、何よりも恩人の息子を見守ると半身にも誓った。双頭と眞菜は絶対の忠義、サミにもまだ目的がある。
小屋から約半刻の位置でサミは足を止めた。
全員もまた、彼女より向こうに広がる前景に唖然とする。ただ一人、いつも自己主張を苦手としていた眞菜だけが、恥も惜しまず恍惚の忘我で囁いた。
「……きれい……」
其処に地獄が顕現していた。
太い樹木の根が張り巡らされた場所では、地面に真紅の水面が揺れる。日を浴びる林間で、池の内には亡骸が惨たらしく散乱していた。樹幹ごと身を槍で貫通され、磔にされた死体もある。
ただ夥しい死の痕跡が、周囲を埋め尽くしていた。ゼーダ達は言葉を失う中、水を蹴って駆け寄る小さな影を見咎める。全身を返り血に濡らした子供がであった。
サミは両腕を広げて迎えんとしたが、その様子に鼻と口を押さえて思わず後退る。地獄と形容するに相応しい惨状を、幾度も自身で作り、そして見てきたゼーダでさえ呼吸を忘れて蒼褪めた。
子供の顔から表情の色が失せている。あれだけ無邪気だった姿は以前の面影など無く、今や魂を抜かれた蛻の様であり、ゼーダ達に駆け寄るのも何処か壊れた人形じみていた。
一人ずつ雑嚢から引っ張り出した外套に包んで保護する。皆が小さく呟いているが、ゼーダ達には聞こえない小声であった。
サミがある方向を振り仰ぐ。
見上げた先にゼーダ達も視線を移すと、日光を背にした人影があった。血染めの服は、吸水し遂せなかった血が滴り落ちる。半ば水分を失ったそれは、泥の状態に近かく赤黒い。跣のまま歩く跫は、足の裏まで濡れて粘着質な音を立てる。
その脇には、同じく血塗れで意識を失った響花を担いでいる。単騎での奪還を成功したのだろう。
目を閉じている所為で、何度か辺りを不自然な挙措で見回した後に、漸くゼーダ達へ顔を向けた。
その人影――優太は悲愴な微笑を湛えて、根の上から飛び降りる。足下で上がる血飛沫すら避けず、血の池の中を歩いてゼーダに響花を差し出した。
戦々恐々とする一同が彼女を受け取ると、優太は後ろへと倒れる。足首まで浸す水嵩の血に着水する寸前でサミが背中に手を回して支えた。
至近距離まで接近した事で、サミは誰よりも早く彼の状態を悟った。それは、袈裟懸けに前身頃を裂いて皮膚に刻まれた刀傷。深くは無いが、負傷してから幾らか時間が経過している。放置すれば手遅れとなるのは容易に察せられた。
「帰って闇人の治療だ、急げ!」
サミが叱咤すると、ゼーダは肯いて彼を担ぎ、来た道を急いで戻る。
優太は人質を全員取り戻した。用は済んで踵を返したところを不意打たれたのか。戦場で油断など有り得ない、氣術で気配感知も行っていた筈だ。
まさか……優太以上の刺客がいる?
道中、ゼーダの胸から不安が霧消する事は無かった。
アクセスして頂き、誠に有り難うございます。
五章の中盤が始まったという少し微妙な所です。意外と長くなりそうですが、氣を抜かずに確りと書きたいと思います。
次回も宜しくお願い致します。




