少年に休む暇も無く
しめやかに葬送の儀式が行われる。
闇精族が太古より守る儀礼の下で追悼する者は、亡き者への眷恋や悲嘆に歔欷すること頻りであった。戦線に赴いて還れなかった兵もいる、末路が魔物の臓腑であれ、或いは人手の届かぬ河川の下流だったにせよ、遺骸の一部でも弔えるのは奇跡であった。
魔物との交戦は苛烈で凄惨を極めた。闇精族は今暫く脅威に晒される事はない。しかし、彼等を操り人里を襲撃した怨敵――悪辣な手練手管を持った非情卑劣の外道儕は生きている。
葬儀を見守る優太は、張り出した樹根に腰掛けて杖を抱く。任務完遂に伴った此方の損害は死者二名と己の視力。急展開ではあったが、自分が手を誤ったとは考えておらず、またその胸に悔恨の念も皆無だった。
闇人としての宿業を享けた時から、悲劇を目の当たりにする道筋は必定である。犠牲無くして成果は得られない、その条理を深く理解したからこそ、目の前の者達が哀しむ様も淡々と見ていられる。
遂行の過程に求められる代価に、ただ最も大切な存在が無ければ良い。それで清算出来るのなら、然したる悪弊には為り得ないのである。
優太が真に守りたいのは花衣との未来、自身を救ってくれた仲間。彼等と共生する道の為に、同族殺しも厭わず闘う。それこそ優太の信念、何にも譲れぬ絶対的な決意。
火葬で空気中に火の粉が飛び交う広間。麋は闇精族のサミの隣に鎮座した。彼女の同朋、それも親しい友人までもが落命し傷心している姿を、慰めるのも無粋なのだと感じて静かにする。横目に盗み見たのは、朱の襟巻きに目許まで隠し、嗚咽を噛み殺しながらも、決然とした意思を宿していたサミの瞳。
会場を一人抜けて、広間を遠く見る首領サージと対面した。妻を傍に侍らせ、冥福を祈る言葉を囁いている。会釈してから近付き、杖を地面に置くと後ろで手を組んで直立した。
「済みません」
「いや、貴方を責める道理など私には無い。当初より想定していた犠牲者の数が少なかった分、我々は貴方に感謝するのが当然です」
サージは矛剴から提供された少数の戦力に、託ち顔すらせず鷹揚に応えた。旧き縁ある者の窮状に、煌人は族長として強者の矛剴を渡さず、優太を指名したのか。その部分に言及しても、彼ならば巧みに誤魔化してしまうだろう。
魔物を操る首魁の影は、まだ途絶していない。長く緒を引いて、未だ里の側にまで伸びている。いつ再び、この地に影を落とすかも判らない。
一晩思索して、敵の明確な正体までは摑めずとも、あと一つ決定的な証拠さえあれば断定は出来るまで追い詰めた。優太が矛剴の里を訪ね、その族長の依頼で闇精族の救援に向かった事を知っている。魔物の大群を操作する呪術。異端審問機関と鉄笠の黒鎧。これらの諸情報は敵の存在を示す符号となり、次の邂逅で解答を得る為の傍証となる。
鉄笠の部隊は千極、異端審問機関は西国の暗部と思われる組織だ。戦力としては、優太一人が太刀打ちするのは無謀である。次は闇精族を守り徹す事は困難だろう。
「……軍勢を率いていた黒幕は、恐らくまだ生きています」
「判りません、ですが注意します」
優太は一礼して去ろうとしたが、根の上に駆け上がるサミに阻まれた。鋭い剣幕で詰め寄り、片手に提げた麻の袋を差し出す。訝る優太の顔に突き付け、強引に握らせた。忌々しげに横を通過し、首領の前へ駆けて行く。
後ろ姿を見送った優太は、袋の中身を検めた。墨で名を記した小さな袋が二つ、其々に『縢』と『瀧』。意を察して、肩越しに後ろへ目礼した。戦死した矛剴の遺骨を、律儀に集めた物である。恐らくは頭蓋骨を粉々にして纏め、里に還れとの気配り。
仲間の死にも淡々とした優太の態度が気に食わず、今にも拳で殴打せん勢いの険相。根の下まで降りて、袋の紐を麋の角に引っ掛ける。杖を腰帯に差し、惻々とした空気の葬儀を独り抜けて森に出た。
視力の大半を失った感覚でも、緊急事態に備えて慣れておく必要があり、優太は目を閉じて獣道を往く。響花や煌人への報告は早々に済ませ、異端審問機関などの外敵への邀撃準備を行わなければならない。
矛剴は、響花と慎、ゼーダの例を除外し、最早救済の余地無しと断じて殲滅する。今の優太は冷然とした達観で物事を判断していた。同族であろうと、故郷であろうと関係無い。一分たりとも脅威となる可能性を見せるなら、排斥の対象となる。
しかし、自身が期間的に庇護した子供達に対する処遇には、判断を降し倦ねていた。まだ何も識らぬ子供、無実で未だ殺意の形や戦術の心得すら無い存在は、自分の采配によって違う道を歩むのではないのか。他の矛剴が生存を希うとしても断固として許しはしないが、あの子達はどう判断するか。
林間を往く足取りが、思案で重くなる。優太が黙考していると、背後から草を掻き分ける慌ただしい跫がした。振り返って、旅支度に身を包むサミが佇立している。後ろから遅れて、ゆっくりと首領とその妃シェルニーが現れた。
優太が何事かと質問する間もなく、サミへ近付く麋は頬を擦り寄せる。彼女もまた快く受け容れ、麋の太い首筋に抱き着く。怪訝な優太の手を、シェルニーが両手で握った。
「サミは貴方に従いて行きます」
「僕に?何故……そんな事を」
「力量を弁えなかった自分を指摘した人間は、私とサージを除き、貴方が初めてだと。同じ戦場に立てば、より自分を鍛えられるのだという彼女の希望です」
「どうか、我々からも指導役をお願いしたい」
サージが続いて深く礼をする。
ちらりと後ろを見遣れば、サミの眼光は凶器も同然の剣呑さを放ち、有無を云わさぬ気勢であった。確かに生徒二名が減った現在、他人に配慮する余力はある。邀撃体制も矛剴殲滅も、まだ当面先の話だ。
何より、更に“先”の未来では、穢人の双頭と瑕者の眞菜と同じく、近々必要となる人材であった。優太が少し思考してから諾うと、二人の張り詰めていた表情が柔らかくなる。
サミは荷物を麋に載せてから、軽い跳躍で騎乗した。優太とは険悪な空気でも、付き添う不可思議な生物とは心を許し合っている。仲睦まじい様子に、優太も微かに微笑んだ。
シェルニーは、優太の頬を愛おしげに撫でた。所作の一つに妖艶な雰囲気を醸し出す彼女にも、先日の様な戸惑いは見せない。
「昨晩、何かありましたか?」
「自分の為すべき事が定まりました」
「そう……だからなのかしら」
シェルニーは離れた。
優太は改めて黙礼し、サミを乗せた麋を伴って深林を歩く。振り返らないその背に、闇精族の首領が安堵の息をついた。視力を失ったと聞いて、山道を往来するのに不都合が生じるかと不安を覚えたが、少年の足取りは倦まず弛まず目的地へ。
未だ別れから陰りの表情を見せるシェルニーは、小さく呟いた。その声は、夫にも届かない、幽かな声音である。
「だからなのね――あの人に似て見えたのは」
シェルニーの瞳が懐古の念に揺れる。映る後ろ姿は、彼の者と重なって見えたのであった。それが破滅の凶兆か、或いは栄転の吉兆か、それは神のみぞ知る事である。
× × ×
闇精族の住処を出て暫くし、サミを同伴した優太は闇人の小屋へ帰還を果たした。子供達が寝食を過ごす別の小屋は完成し、面倒見の良いゼーダは帰還者の気配を感じておらず、縋り付いて来る矮躯を優しくいなすので手一杯である。双頭と眞菜も、頭頂部に生えた獣の耳介や額にある魔族の角を揉みくちゃにされて渋面のまま堪えていた。
麋が桟敷下の支柱を叩く音で一同が振り返る。皆の注視を浴びて、優太が微笑すると子供達は一斉に飛び掛かった。幾ら無邪気といえど、任務帰りとあって疲労していると慮ってか、腕や服の裾を摑んでも強引に引っ張らない。
闇精族のサミに関しては、興味津々ではあるものの、本人の立ち居振舞いは愛嬌などが感じられず、どこか気難しそうな、如何にも生意気な感があって近寄り難い。珍妙な物を見たと、双頭や眞菜は憮然とする。
小屋の中では、昼食の香りが風に乗って辺りに漂っていた。朝餉を摂らず、里を後にしたため空腹感が催される。不覚にも腹の虫を鳴らして、それを聞き咎めた子供が笑った事に、優太も苦笑する。緊張状態が長かった所為で、随分と間の抜けた様に感じてしまう。
ゼーダは乱れた服装を正してから、優太の傍へと寄り添った。こちらは誰よりも苦労に堪えた疲れの色を顔貌に滲ませている。元より人の扱いが達者な彼が、特に好意の的になるため、育ち盛りの子には最適の遊び相手。この一ヶ月で誰よりも働いているのがゼーダであるとは、全員が了解していた。
子供達を刺激せぬ程度に退けて、彼の相を見詰める。
「どうした、『隈』が消えている」
「色々あって、僕の黒印に吸収されました」
「だから、なのか……?」
「何がです?」
「いや……話に聞く闇人暁に似ている」
目許から暁に移植された黒印が取り除かれ、優太の相貌は、劇的な変化を遂げていた。単純に印象ばかりではなく、姿形そのものに影響を及ぼしている。先日の少年とは、まるで別人だった。
程よく日に焼けた黄褐色は、今や透き通る白磁の肌に変色し、僅かに残っていた面貌のあどけなさは消えている。磨かれた刀剣を連想させる鋭く冷たい面構えは、以前の面影が無い。
長手甲を脱いだ右腕には、螺旋状に絡み合う蛇体と頭部を貫く短刀ではなくなり、肩に尾を振り、長い胴で波線を描きながら手背に刀を咥えた龍の黒印が刻まれている。
別の個体である闇人の黒印を吸収した故の変容なのか、ゼーダは首を捻った。否、或いはこれが本来の闇人の黒印、そして今の優太こそ本来の姿なのやもしれない。暁は『四片』の祐輔にも一部を分け与えた不完全である。幼き日に優太が目にした彼の背のモノも、仮の姿なのだ。
そこから導き出される推論は、暁の黒印による効果で闇人としての成長が妨げられていたという事。祐輔曰く、獣人族の長が秘蔵する史書にある記録には、歴代の闇人は琥珀色に黒髪、容姿が似た特徴があると記されている。
先日、各地に散った仲間からの情報では、闇人暁の容姿についての文は無い。先代と似通った特徴を照合せずに結論付けるのは些か速了ではあるが、優太が本来の姿に変貌した事は明白。それが自身の内に潜む闇人の本性と対話を成功してからか、それとも“千里眼を会得した時から”なのかは、判じ難い部分が多々ある。
一体、何がその条件となったのか。主人を決定せず闘い、襲名の儀も経ていないからこそ、優太は“無名の闇人”として前例を逸した存在だった。心境の変化があったのは、言葉無くとも理解している。だが、ゼーダでも分析は不可能だった。
「ゼーダ、今から“樹液”を摂取します」
「!そうか、少し待て」
小屋から清潔な包帯を持って戻ったゼーダは、瞼を閉じた優太に目隠しとして巻き、後頭部で堅く結んだ。闇人に関する情報は殆ど保存されていなかったが、事前に聞いていた煌人の助言より得た『天眼通』の開眼に不可欠とされる手順で処置を施す。
掟として“樹液”を摂取してから数日は何も見てはならない。故に視覚を遮断すべく、瞑目の他に幾重にも注意が必要なのだ。
包帯の上から、更に黒い帯を重ねる。優太は目許を撫でて、完全に視界が絶たれた闇の中に、耳眼を研ぎ澄まして周囲の気配を探る。外界の現象を知覚するのに、五感の内で人間が最も恃みとする視覚を封じられ、今の優太では襲撃にも十全に処し果せないだろう。
ゼーダによって手に握らされた竹筒の栓を抜いて、中の液体を一思に飲み干した。口内に拡がる苦味に堪えて、舌にも残さず嚥下する。
優太は空の竹筒をゼーダに渡し、小屋への階段を上がった。昨夜の夜戦の疲労もまだ残っている。
「おい、闇人!私の訓練はどうした!?」
「後にしろ、僕は休む」
サミは不満げに唸り声を上げた。
その隣に眞菜と双頭が寄り添い、肩に手を置いて、何やら得心顔で何度も頷く。初対面で距離の近い相手に当惑しつつ、眉間に皺を作るサミの反応に、益々心得たといった様子である。
「嬉しいぞ、同朋よ。闇人様に忠誠心があるようだ」
「眞菜は……ぉ……応援……から」
「な、何だ貴様ら。よく判らんが、誤解しているな?」
ゼーダが蒐集した情報に依れば、闇人が『千里眼』を発現するには、二つの条件が要る。無論、“樹液”の摂取で『天眼通』を完成させる過程は、その後に行われる事であり、それよりも重大な事実が前提として求められていた。
開眼自体が闇人でも稀少とされるが、兆しとなるのは――擬似的でも従う主を得た場合である。ガフマンが二年前に矛剴の里に侵入し、持ち帰った書物に記録されていた。条件を充たす部分から推考するに、優太は無意識に何者かに忠義している。嘗て窮地に共闘したカルデラ当主、一代組織を設立した相棒、目標にして婚約者の少女、この三つが有力だ。
今、この小屋に来た時から“完全な闇人”への道を歩み始めている。仮に完成を企む者が居るならば、惜しむらくは“襲名”だけである。こればかりは、先代から受け継がなくてはならない。それを暁は望んでいないからこそ、実現は不可能。
しかし、ゼーダの胸には、いつまでも払拭できずにいる一抹の不安があった。この地なら、その理屈さえも覆す危険性が潜む。石碑に触れんとした時もだが、優太を闇人の正道へと惹き付ける力がそこかしこに働いているのだ。
「……嫌な予感がする」
「優太っ、帰ったの?」
前垂をした響花が小屋から飛び出した。
双頭が顎で示すと、段差を駆け上がって行く。眞菜が不機嫌に面を歪めるが、ゼーダ共々その手を子供達に引かれる。遊戯の再開らしく、この三週間も面倒を見続けた者にとっては、休憩も無い労役の時間の開始宣告であった。
特に人気募る双頭は、角や体の節々を握られて困惑していた。魔族の体は、他種族でも珍しく奇態な機能が秘められており、接触するだけで防衛本能の如く現れる箇所がある。お宝探しも宛らに体のあちこちを触れる際の強さや皮膚の摘まみ方などを研究し、子供達は一喜一憂した。云わば最適の児戯の玩具である。
無知な子供であるが故、獣人族でも眞菜は皆に受け容れられた。響花と違い、子供慣れしていない部分を弄ばれる。狼狽する彼女の反応を双頭の余興とするのが日常的となっていた。
不意に風が吹き、双頭の東吾が骸取り草の方へ視線を遣る。ゼーダも従って顔を向ければ、樹幹に背を凭れて不敵に笑う煌人が静かに佇んでいた。
角を引き抜いて槍とし、構える双頭の警戒に煌人はまた口角を上げる。神族が闇人への刺客として育成した手練れにも余裕綽々とした態度であった。眞菜が子供達を小屋の中へ押しやり、戸を閉めて煌人に対する。
ゼーダは二人を制して前に進み出た。彼の落ち着きを見るに、瑕者と穢人の滞在は既に露呈しているのだ。争う事もせず看過していたのは理由があると推察し、今この場で戦闘に発展させる気が彼に微塵も無い事もゼーダには判った。
「優太への挨拶でしょうか」
「いや、響花の様子見がてら、子供の世話が出来ているかを拝見しに来ただけだよ。随分と苦労してるみたいだね」
「多感な時期ですから、落ち着いた方が怪しい」
煌人は小屋を見上げた。
「良い兆候だな、もうすぐあの人の計画通りになる」
「闇人としての成長を、企んでいる者がいると。それも、貴方より上位の人間……何者だ?」
「ここで明かすのは早いけれど、何か一つくらいは良いか。闇人暁の計画を破綻させる唯一の失敗、それが彼だ」
煌人は笑って、三人に笑みを湛えて、小屋の窓から覗く子供らに手を振り踵を返した。
× × ×
響花は一室の隅に蟠る陰気の中、胡座を掻いて座る優太を見つけた。生気を抜かれた蛻の如く俯いて動かない姿に戸惑いながら、その隣へと屈み込んだ。睡眠しているのか、呼吸は穏やかである。
その肩を抱いて体を動かし、返り血で赤黒く変色した袷や長手甲を脱がせ、代わりに袖の無い単衣を着せる。脱衣の際に体に負傷は無く、しかし如何に体力を消耗したかは理解した。昨晩は矛剴の里付近まで轟く魔物の咆哮を耳にした程である。さぞや激戦だったのだろう。
脚絆を外し、股引に穿き変えらせる。目を逸らしての作業だったが、問題なく着衣できた。ここまでされて動かぬ優太の状態だと、体調はあまり芳しくない。
農業に従事する身とはいえ、筋力で男を持ち上げるには一苦労が要る。優太の脇に手を入れ、無理矢理ではあるが寝台の上に横たえる。上掛けを肩まで掛けて、枕を頭の下に入れた。
窓に新たに設置した筵を下ろして遮光する。今は眠りの妨げとなる物を可能な限り排除しなくてはならない。包帯に黒い布を重ねた縛めのような眼帯は、恐らく先日から彼を苦しめていた『千里眼』の症状を鎮める治療法に違いない。
響花は物音立てぬよう努めて、静かに暗室の中で立ち上がった。昼食の残りを持って戻ろうかと一考していると、上掛けを退けて伸びた優太の手が服の裾を摑んだ。
起きたのかと優しく指を解かせ、逆に自身の両手で包む。寝台の隣に椅子を移動させて腰掛けた。柔らかい毛布に安置された体は、呼吸に伴って上下する。安眠だと見て、響花もしぜんと顔を綻ばせた。
生誕して少し、煌人と生き別れた少年が十数年間も厳しい生活に身を置いてきた事をゼーダから聞いている。実の親を知らず、俗世からも隔絶した環境で生活し、独特の感性を育んだ。特にその人格を決定付けたのが闇人暁であり、共感し難き宿命を傍で支えたのが花衣なる人物。
夢と目標を得て、協力してくれる仲間が応援してくれた。それでも、少年は孤独だった。誰かを救うべく奔走した本人が、誰よりも救われず、心が悲鳴を上げているにも拘わらず、耳を塞いで人を斬り続けた悲惨な末路が、この姿なのだと響花は感じた。
ゼーダの主観で語られた物事を聞いたからこその感想だが、響花は優太の救済となる人間が一人もいないのだと悟った。比類無き強者に成長し、皆に頼られて退路を見失い、望まぬ未来を進んだ結果を、ただ享受した優太の精神に憩いは無い。
握った優太の手が、響花の中から逃れんと動く。放した途端に虚空へ伸ばし、其処には何もなくとも、彼にしか見えない何かを摑もうとしている。空しい感触に幾度も呟いて、空を握り締めた。
「花衣……」
「……そんな人、居ないよ。わたしが此所に居るから」
中空を彷徨する右手を再度包んだ。今度は離れぬよう確りと指を絡めた。瞼の裏に投影された想い人の姿を求めて魘されている。休まる間も無いのかと、優太への憐憫で響花は目を伏せた。
小屋の中へ駆け入る足音に顔を上げ、寝台から離れて廊下へ出る。優太を遊び相手に所望した子供かと思い、唇に人差し指を当てて静粛の意を示すが、戸口から射す光を背にした影の形が異様であるのに気付いた。
立ち上がる四肢は逞しく、けれど人ではない体毛に覆われ、臀部から尾が伸びて床を撓り打つ。薄闇で不気味に光る金色の双眸が、響花を捉えた。
その正体は魔物、しかし周囲には骸取り草がある上に、念を入れてゼーダが付近に設えた呪術の罠がある。この固い防備を突破し、闇人の小屋に現れるなど考えられない。
響花が悲鳴を押さえ、廊下にあった斧を手に取る。武に疎い響花ではか弱い抵抗だが、それでも大人しく魔物に喰われる理由は皆無だ。
飛び掛かった魔物に合わせて、斧を振り下ろした。相手に避けられる距離でもない、彼女にしては完璧な攻撃である。しかし、直撃の寸前で柄を摑まれた挙げ句、握り潰されてしまった。
折れた斧を投げ捨てて逃げるが、背後から腰帯を摑まれ、魔物の脇に担がれた。
「は、放して……やめてっ!」
悲鳴じみた声で訴えるも、魔物は聞く耳を持たず、窓の外へと飛び出す。降りた先では、子供を複数名の鉄笠の黒鎧、夥しい装飾品を身に付けた奇怪な装束の男性。足許には、縄で縛られた子供達が居る。
ゼーダ達に救援を求めて小屋を見たが、家屋全体を透明な立方体が包んでいた。結界の類いだろう、あれで彼等の身動きを封じているのだ。
「予定通りだ、それでは撤退するぞ」
鉄笠の一人が指示を出すと、一人だけ身形の違う男性が骸取り草の群生する方へ指先を振るった。そこに道が生まれ、全員が辿ってこの場を脱する。響花は魔物の脇で必死に足掻くが、脱け出す力が無い。
ただ胸中で助けを求めて叫んだ。
小屋では、寝台から上体を起こした優太が筵を上げて外の様子を氣術で探った。ゼーダ達の居る小屋を包囲した結界の氣、途絶えた子供の笑声が事の異様さを伝えている。
そして、骸取り草の中を歩む複数人の不穏な気配。
「……奴等か」
夢とは廊下の小太刀を手にして、桟敷から飛び降りた。着地の衝撃が目許に伝わると痛みを発したが、頭を振って堪える。
響花と子供が危険だ、矛剴を殲滅しても彼女達は無害なのだ。ここで見殺しにする訳にはいかない。
鞘を抜き捨てて、優太は草原の中に香る害悪の臭いを追って駆けた。
アクセスして頂き、誠に有り難うございます。
寒さで腰痛が始まり、お風呂でよく体を温めたら回復しました。
家族の団欒で笑い話の種として言ってみたところ、「その歳でそれはヤバいでしょ、おばさんじゃないんだから」と姉から心配されました。……え、そうなの?(オチはありません、はい。)
次回も宜しくお願い致します。




