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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:優太と道行きの麋──上
220/302

人魔戦線(壱)/鉄笠の黒鎧

間違って削除してしまいました。

誠に申し訳ありません、再投稿も兼ねて修正も少し加えました。以後、この失態が無いよう努めて行きたいです。



 闇精族の里を北方より見下ろす崖に、魁偉な影が集団を成している。獲物を前にして、開かれた口内に覗く歯牙は、滾る欲望に唾液が大量に分泌されて尖端より滴り、吐息は冬の寒気で無くとも白く濃霧となって空気中に溶けた。

 見定めた地に住む人の血を啜る快感を求め、今にも飛び出さんとしている。だが、本能のままに行動する筈の彼等が、機を待ってその場に身を留まらせているのは、未だ指示が出されていない事に限る。――彼等には統率者がいた。

 何故に魔物が、統制する存在を容認するのか。その一つは、自身よりも遥かに強力な個体である事。最低条件であり、重要事項なのだ。続く二つ目は、統率者の指令に恭順する事で独自で獲得する利益よりも、より充実した悦を齎してくれるからである。

 地面を踏み鳴らし、樹影から身を躍らせる。夜空の星を背に昂然と崖の先端に立つのは、恰も天にも支える威容。一丈に及ぶ巨躯は、全身を奔馬の胸筋を連想させる重厚な筋肉に覆われ、片手に柄が長い大剣(だんびら)を提げた腕は微かな運動にも膨張する。

 茶の頭髪を繁らせた頭頂に一対の湾曲した角、加えて口端から天に向けて先端を伸ばす牙は、牛頭に象を併合したかのようである。頭部を支える首もまた樫の木と見紛う太さであり、異形の頭に異常に発達し鍛えられた人間の上半身、脚部は後ろへ折れ曲がった闘牛の脚。

 その姿形に氷山を削り出したと思わせる肉体を目にし、魔物達が賛嘆の声を上げた。夜の森林を騒々しくする下卑た魔の哄笑が輻輳する。魔物の密集により、その一帯は死の森へと変容していた。

 一際目立つ強靭な身体、語らずも周囲を圧する威圧感。統率者として遜色無い風貌でありながら――しかし、またその魔物もまた傀儡に過ぎない。真の頂点は、その怪物の肩に悠然と腰掛けている。

 柔らかい獣毛を使った上衣(コート)を身に纏うが、背からは八本の蜘蛛の脚を生やす男性。額に一角、後頭部に二角が突き出ている。八つの眼球を忙しなく、全てを他方向に動かして魔物を観察する所作だけで、その場の全員を畏怖させた。

 手中に口内から吐き出した太く艶に濡れた糸を球状にし、常に練り合わせた。脚の内の二本を巨人の肩に食い込ませ、器用に姿勢の安定を維持している。

 この統率者を信頼し、今宵の魔物は平時よりも昂っていた。熱い血潮に意思を任せ、欲求を満たすべく、その目に充足の光が灯るまで蹂躙と略奪を行う。飢えた獣となって、樹海の住人が生活する区域に忍び寄る。

 魔物の士気がより盛んに漲る中、牛頭の巨人の背後では岩に腰掛けた女性が居た。漆塗りの鉄笠、首を防護する為に襟の立った胸甲、長く手背まで覆う袖は前腕を過ぎた辺りで著しく膨らんだ形。肩には麦と月と思しき家紋が刺繍されていた。

 下半身は腰巻きが膝上まで隠すが、薄い脚絆(レギンス)と、足の甲まで防衛する薄い臑当。全てが黒塗りの具足で身を固めながら、足は草履も履かずに裸足であった。革鎧の上に付けた腰帯(ベルト)には、長く鈍い白い太刀を漆黒の鞘に納めた状態で佩刀する。

 火で何かを焚いた煙管(きせる)より紫煙を立ち上らせ、細く束ねて結った毛髪を撫でながら蛮声を上げる人外の群を見詰めた。

 この軍勢ならば、如何に一人で十の魔物を相手取る強者の集う闇精族の集落とて、無事では済まない。決定打となる解決策を講じて、その道具を事前に準備しているのは当然の理。そして、戦力を何処より調達するか、外界から隔絶し森に執着する風潮から鑑みれば、おおよその見当も付く。

 女性にとって、魔物も謂わば捨て石。相手を疲弊させ、協力関係の相手より提供された切り札も消耗させる。闇精族の襲撃など単なる布石、より大きな成果を得るべくして踏み台とする為の作業でしかない。

 牛頭の巨人が咆哮を上げると、岩の斜面を蹴散らして魔物の進軍が始まった。殺気と欲望に塗れた雑踏が遠ざかる中、月夜の星明かりに濡れた崖で静かに戦況を眺望する位置に座り直す。

 二、三度ほど大剣を素振をしてから、悠然と進み出る牛頭。肩に乗る蜘蛛は振り返り、女性に軽く会釈すると牛頭の首筋を叩いた。頤を持ち上げ雄々しい叫びを天空に響かせると、蹄で岩場に足跡を刻みながら走る。

 この怪物達の進軍、如何様に処すかは無聊を慰める余興に価する。尤も、期待はしていない。所詮、時代の進展に取り残され、森に匿われ続けた長い月日を名誉と嘯く醜い部族だと揶揄した。

 侮蔑の眼差しを敵の住まう大木へ差し向け、短く嘆息した女性は腰を上げた。戦闘が始まれば、林間には敵の目も行き届く。その際に自身の姿が視界の隅にでも捉えられたのなら、それは後の慚愧を誘い愚昧極まる失態。

 事態の終息には立ち会うとして、暫く身を匿す必要がある。侮るべからず闇精族、その耳と目は森林の草木と視聴覚を共有しているかの如く、敏く外敵の気配を気取る。用意した魔物の戦力ならば確実に潰せるが、油断は出来まい。

 森の奥に向かおうと足を踏み出して、女性が無造作に腕を振る。膨らんだ袖と、樹間から高速で閃いた銀光が衝突して火花を散らした。小さく飛び退いた女性は、煙管を投げ棄てて太刀の把を握る。

 見据える前、樹影より月下に姿を晒したのは、外套に身を包む闇精族の少女だった。片手には強く把を期しませる握力で短剣を逆手持ちに携える。その双眸は爛々と怒りと殺意に燃えていた。

 不敵に微笑した女性の態度がなお気に食わないと、少女が地面を蹴って肉薄する。鞘から緩慢に抜き放ち、肩を竦めた。


「仕方無い、戦場に返り血は必至か」


 横薙ぎに一閃された太刀が唸りを上げ、急迫する敵を打つ。咄嗟の判断で短剣で防御し、金属音を響かせて横へと転倒する少女に、追撃で大上段から振り下ろす。涼しげで全く力んでいない表情からは予想だにしない膂力であった。

 少女は地面を叩いて横に跳び、躱して遠く距離を置く。勢い余って背を樹幹に預けた。攻撃を仕掛ける隙は愚か、自分の間合いにすら把えられない。

 苦々しげに歪めた相貌が、一瞬で蒼褪める。目前に現れた太刀の鋒を短剣で受け止めた。より樹幹に磔となる少女を、手元へ徐々に力を入れながら微笑む女性の殺意が襲う。


「せめて、私を楽しませて下さい」


「…………ッ!」


 女性が太刀を振り上げると、背中を預けた木もろとも吹き飛ばされた。木っ端と共に血が舞い、少女は草の上に倒れ込む。刃先が掠めた右のこめかみの裂傷は浅いが、出血で視界が塞がれる。

 激しい拍動、切迫する危機に呼吸が辛くなる。少女の四肢は、未だ数度の剣戟の余響で麻痺し、指先へ十全に意思が伝わらず力が入らない。行動速度の倍速を行った自分の動きに、甲冑でありながら対処し、容易く打ち払う技量。明らかに格上の敵であった。

 衝撃で軽度の脳震盪を起こした感覚が、相手の近付く足音を体内で反響させる。距離感が把めない。愉悦に染めた顔で、女性が見下ろす。


「さあ、まだまだ踊って下さい」


 見上げる少女は、戦慄に目を見開く。



  ×       ×       ×



 魔物の進軍が開始され、戦の喧騒から離れた静謐の深林でも新たに戦端が開かれた。欲望に駆られた魔が林間を埋め尽くして頽れの如く里へと迫る。

 早くも樹上に潜伏していた闇精族の斥候が、頭上から奇襲を仕掛けた。里では既に報せが行き届いている。迎撃体制が展開されたとはいえ、自分達の仕事は如何に里に躙り寄る悪魔を削るか。

 全てを塞き止めるまでは行かずとも、斃死した魔物の骸を防壁に、野蛮に秘境の地を踏み荒らす外敵に立ち向かう。部隊の中でも勇猛果敢な戦士は、片手に銀の剣を手にして優雅に舞い、一体を確実に仕留めて数を積み重ねる。

 里の付近まで到達した魔物には、迎撃部隊の警戒網から弓矢が一斉掃射された。闇精族で代々伝えられる秘伝、鏃に即効性の獰猛無比な毒を塗ったそれらが、凶刃の豪雨に変わって侵略者を討つ。

 人外魔境の森へと変貌し、魔と人、生と死、聖と邪が犇めき合う混沌が生まれる。正面から対立するのは、凶悪な魔物が織り成す数の暴力、そして策略と武器の闇精族。急斜面を走破し、里の内部へ侵入を果たした魔物は未だ居ない。

 暴虐の波に捕らわれ、陣を張って迎え撃つ事が精一杯の闇精族。総数のみならず、個々の戦闘力を含んだ戦力比は同等、緊迫し次々と死者を生みながらも、均衡は傾かない。どちらも攻め倦ねているのは一目瞭然であった。

 だからこそ、敢えて、その事態を予見していた双方は、決め手となる秘策を用意していた。何も正直に戦う事が戦の作法ではない、勝利への解答を導き出す方策は幾らでもある。互いにその思考を持ち合わせているのなら、勝敗を決するはどちらがより狡猾で残忍になれるか。

 魔物と闇精族の切り札は、既に対敵打倒に向け始動していた。


 森を眺め下ろす断崖の上で、索敵を行う縢の隣に陣取る優太。油断無く周囲の様子を窺っている。魔物の発する鬨の声を遠方より聞き、戦の苛烈さがより強さを増したのだと悟る。この場もいつ襲撃されるかも予測不能だ。

 瀧は縢の前に立ち、氣巧眼で戦況を眺める。この精鋭部隊は、闇精族の首領が同伴者として認めた少女を捨て置き、独断で行動している。目指すは魔を率いる首魁の影。

 縢の全神経を森全域へ、可能な限り傾注させている。故に、どの方角から敵が来ても彼女に感知されてしまうため、優太の警戒は無意味だと思われたが、本人の意図は異なる点に注意しての事だった。

 多種多様な魔物が結託し、人里を襲撃する不可解な現象。習性とはいえど、個体差によってその機会(タイミング)も不定期であり、偶然にも総て合致するなど有り得ない。加えて、優太が闇精族から提供された近辺に棲息する種にはない魔物まで参入している。

 南方山岳部に隠れ住み、牛頭男(ミノタウロス)と人間の間に生まれた半人半魔の種族である牛善。西方北部の雪山に群生する紅色の巨大な身体に先端が二つに分岐した尾を持つ獄狼(アゲドルフ)……その他諸々。この地域には一体も姿が見受けられない小鬼(ゴブリン)耳飛(チョンチョン)も含め、最早構成要素が理解不能である。

 これは、各地の魔物を集合させた部隊で、何かを企む輩が存在する事は明白であった。魔物を使役する呪術師、或いは多種族を統率する珍妙な能力を持つ稀少な魔物が“首魁”であると推論する。

 敵が一筋縄ではいかない相手であるという事は予想していたが、現実はそれ以上に剣呑に過ぎる。だが、優太は自分にとって好都合な部分もあると一考していた。魔物よりは人間の方が、迅速に屠り易いという殺伐とした思考があった。

 対人戦闘でなら、比類なき武者である。

 感知を潜り抜け、闇精族の奥の手を早々に潰しに掛かる輩を警戒し、優太は厳戒体制を解かなかった。千里眼ならば即座に敵の本隊を看破したが、濫用すれば反動で視覚能力が減退する。あと数度の症状で、確実に光を失うという危うげな実感があった。

 縢が首を上げた。

「戌亥の方角、距離は……一町」顔を顰め、歯切れの悪い声で縢が告げる。

 瀧の氣巧眼で観察すると、確かに敵影が捕捉し得た。しかし、その光景にあまりにも驚愕して言葉を失っている。身を乗り出した優太が淡々と訊いた。


「敵の特徴、数、様子は?」

「闇精族の少女と戦闘中……なんだけども、相手が黒鎧の人間なんだよねぇ……それも、見た事がない。呪術師っぽくない」


 優太が合図すると、縢が感知を中断した。氣術とあって多大な集中力を要する、長時間の維持には精神的疲労が伴う。適度な休息を与えなければ、後の戦闘で撤退や続行も望めず、選択の幅を自ら削る愚挙である。

 黒檀の杖で岸壁を軽く叩く。敵の手はまだ遠い、だが首魁の懐に飛び込む過程で少なからず遭遇はある上に、回避も困難となれば殿を務める人材が必須。一つ一つを撃破する時間が勿体無い。

 結と同様に、強力な魔導師が部隊に属していれば、まだ別の手法も採れただろう。無論、現状に備わっていない物を羨む時間も惜しいと、優太は軽く頭を振った。

 縢の捉えた黒鎧の戦士が敵の本体であると断定するのは早計だとしても、それらに繋がる手懸かりである事は容易に想像できる。まずは身柄を確保し、尋問する。


「僕が奴を捕らえる。君達は接近する魔物の足止めだ」

「え……う、うん、了解!」


 了解した二人に振り返らず、優太は崖から飛び降りた。十丈もある高所から躊躇い無く降りた少年の背を追って、怯えながら氣術で身体能力を補強して宙に身を躍らせる。

 先行する優太は、闇精族と交戦する魔物の間をすり抜ける。擦れ違い様に気付いて飛び掛かった小鬼の首を仕込(しこみ)で一閃して刎ねる。後続した縢と瀧には手の動きすら見えない。悪弊となる敵が、触れるだけで悉く手足や半身、首を失って死滅する。

 魔物に組み伏せられた窮地の闇精族は、頭上を一瞬だけ通過した黒衣の影を見咎めた後、身体の上から魔物が横へと倒れる。押し退けて確かめれば、脊椎の部分を刺し貫かれた痕があり、傷口からごぽりと血が溢れる。

 優太を中心に、森林に瀰漫する血臭。森の紅葉が、真紅に上塗りされていく。自身が辿る道の足下に転がる死体を避ける事で二人は手一杯。歩を止めず、速度を緩めず、行動の一切を滞らせずに目的地へ。

 優太が剣を振るえば、死の結果が目前に転がる。これが闇人、伝説の刺客が造り上げた遺産。濃密な死の瘴気を発散する死神が、二人を導いているかのようだった。

 噛み付かんと吼えて跳躍したのは、燃える紅の体毛を逆立てた獄狼であった。巨大な顎が優太を呑み込もうとする寸前で、縢と瀧が優太の前に飛び出し、掌中より斥力を発する。

 空中で静止した巨躯は、拮抗する事も出来ずに音もなく後方へと弾け飛ぶ。仰向けに地面に転倒した獄狼の腹部に飛び乗ると、体内で血流が多く集中する首の太い血管の位置を正確に見定め、優太は仕込の鋒で寸分違わず、鋭く切れ目を入れた。三人が過ぎ去った後、血溜まりの中で巨狼は事切れる。

 刃先の血を短く払って納刀する。走行中に感知を始め、縢の指示する方向に数瞬遅れて魔物の影が現れる。縢が背の台箱を展開し、収納していた短刀を操って弾丸へと変換し、接敵する前に仕留めた。

 背後から追走する魔物には、瀧が途中で腕に氣を蓄えて突き出した拳撃に根本から樹木が折れ、倒木に潰され、遮られて滞った魔物の悲鳴が轟く。後方に向け、瀧は新たに両腕で引き抜いた大木を投擲した。

 優太は肩越しに一度だけ二人に振り返り、そのまま岩場を駆け上がる。


「此所は任せた」


 一声を残し、首魁の居る場所へ。

 二人は足を止め、彼を背に守りながら猛り狂う魔物の群に対峙する。些か怯懦と恐怖が心に芽生えるが、奥底では魔物同様に闘争本能の火が燻る。戦に重きを置いていた矛剴の性が獰猛に牙を剥く。


「任されたよ、優太兄!」

「見ぜでやる、矛剴選り選りの戦士の真骨頂!」



  ×       ×       ×



 何度目か、岩に叩き付けられて呻く闇精族の少女サミは、もう短剣を握る握力すら無かった。吐血し、身体の各部に内出血の痣が生じている。

 事も無げにサミをあしらう鉄笠の女性は、太刀を肩に担ぎながら悠々と歩み寄り、襟を摑むと力無いサミの肢体を持ち上げる。柔らかく微笑む相貌に、しかし一片の慈悲すら無い凶悪さが混在する。そんな敵の姿に怖じ気を震って、いつ止めが刺されるかと眼を固く閉ざす。

 優美な所作で口許に手を添えて笑う女性だったが、背後の崖で石が岸壁を転がる音に瞠目した。少なからず戦闘をしているのだから、少女と共に薙ぎ払われた石が落ちるのは自然。しかし、それでも空気中を瞬時に凍てつかせる殺気に身を固くした。

 翻身しながら太刀を振るった。――肩部に鋭い痛み、腕に力が伝わらず、放たれる筈だった剣閃は中途で停止した。女性が視線を動かせば、肩に細い刀の鋒が突き立っている。

 飛び退って引き抜き、距離を置こうとして体勢を崩す。地面に鎧を打ち付けながら退転した。立ち上がろうと爪先に力が……入らない。見下ろせば、其処に足の五指が根本から総て断たれていた。

 女性は自身の過去位置を検めて驚愕する。取り残されるように滴り落ちて崖を濡らす血の斑点と、踏み込んだままで静止した爪先。

 月光を浴びるのは、片手に抜き身の刀と黒檀の鞘を携えた少年。全体的に癖で毛先が跳ねた頭髪、前髪の下から覗くのは怜悧に輝く琥珀色の瞳。端麗な容貌は無表情でありながら、明確な殺意でこの場を圧する。

 黒鎧の女性が立ち上がる事に苦戦している間に、優太は倒れたサミの側に寄ると、肩を担いで岩陰の方へと移動させる。優太は邪氣で空気中の氣を吸収し、それをサミへと注入しつつ、氣術で体内氣流の循環促進を同時並行した。

 サミは身体を苦しめていた疲労の枷が回復していく感覚に、間の抜けた声を漏らす。優太はその様子を冷淡に見下ろして言い放った。


「体内の氣の量も考慮せず濫用するからだ。君の母親からは、弓矢が得意だと聞いたけれど」

「……私は、剣で強くなりたいッ!その信念は曲げられんのだ!」

「……何処ぞの妖精族と同じ事を言うね」


 嘲笑した優太は、漸く体勢を立て直した黒鎧の姿に杖に刃を納めて構える。不安げに瞳を揺らすサミを一瞥する。

 首領の妃から、部隊に加わる上で聞き及んでいたサミの能力は、ある事象に添う時間の加速・倍速・減速を自在に操る『加護』であり、特殊魔法――時間魔法を生まれながらに有していた。近接戦闘では相手を単騎で仕留めるには強く、斥候に向いた力でありながら氣の消耗が激しい。

 更に、飛行する鳥や目前で落下する物体、一定の距離と限界が決まっているが、その速度すらも制御し得る。肉体への負荷が大きくとも、戦力として恃みとなる武器だった。

 元より才色兼備、容姿端麗で本人は嫌っていたとはいえ、弓矢の技量も里の戦士でも主戦力を担うと期待されていた。それでも、自らが生まれながらに持つ特異性を主張する為に、サミは周囲からの声を無視した。

 過去に能力を過信し、里の外に居る魔物に戦いを挑んで敗北し、死の寸前で救出された雪辱から、サミは専ら剣に打ち込む事になる。それから敗戦の数が著しく減少したが、今宵は優太や黒鎧の女性に撃退された記憶が鮮烈且つ屈辱的に刻まれた。

 親の仇でも見る眼光を優太に向ける。それでも、今の優太はそちらに対応する気は毛頭無かった。気遣う暇を敵に衝かれては冗談では済まない。


「弓で敵を制圧し、接近した敵を短剣で処理する戦法。それが君には最適だと思うけどね」

「それが許せないからと……!」

「存外、厄介だと思う。弓で牽制されて、近接戦闘が不得手だと相手が懐に飛び込んで油断した瞬間、高速の体術で迎え撃たれる」


 優太の的確な分析に狼狽えたが、すぐに反駁した。


「私は剣の戦士になりたい!」

「好きにすれば良い、死ぬだけだから」


 冷たく切り捨てた優太は、サミが知る人物ではなかった。初対面で冴えた判断力と戦闘力を披露しながら、後で自分に対し怯えた様子を見せていた少年は、刃物も同然の冷徹な性格である。

 口を噤んで俯くサミを背後に庇いながら、優太は前に進み出た。片足は踵で支える奇妙な立ち姿の女性は、あの長物を扱うには重篤な損傷。踏み込めば勝てる。

 正体を暴く為に捕縛を目的とする、四肢の腱を斬って行動力を奪えば良い。優太は踏み込もうとして、唐突に樹影の中から弓の弦が軋む音を聞き咎め、すぐ側の岩影に飛び込む。弦が張る音と共に、矢が優太の後頭部の空を切り裂いて夜空を馳せる。

 岩から顔を上げた優太は、樹林の騒めきにその愁眉をより一層険しく寄せた。風の吹き去った葉擦れでもない、葉叢の内に保護されていた物体が一斉に蠢く音である。続けて雑踏が崖を震わせ、樹影の中で僅かに樹冠から漏れた月光に漆の光沢が光る。

 女性の背後から、新たに十人の鉄笠をした黒鎧が出現した。全員が完全武装で、崖上で敵対する少年を注視している。立ち居振舞いから、優太を間合いに入れまいと警戒している手練れの雰囲気を醸していた。

 優太は相手からの警戒を、実力を認め敬意を表した証だと考えず、気分を改めて引き締める。岩陰で口を押さえて気配を消すサミを一度だけ見遣ってから、再度黒鎧の前に姿を晒した。しかしそこに堂々とした潔さ、無勢の劣りを弁えて諸手を挙げて降伏する意思は皆無だった。

 手に提げた刃物以上に危険な存在だと、漆黒の鎧が武者震いで音を立てる。目前に佇立しながら気配は無く、けれど幽鬼とは断じて違い、実体と近辺を敵意で覆う異質な戦士。


「闇人ですか……予定よりも早い」

「…………アンタらの予定、それは何だ?」

「いえ、機密事項ですので。貴方が少し早く現れたとなると、我々も足留めしなくてはなりませんね」

「もう良い、力尽くで吐かせるだけだ」


 優太が一足を前に出した。

 その転瞬。鉄笠の全員が腰の雑嚢から一握りの大きさの球体を取り出す。優太は空気中に漂った微かな臭いで、その物体の意味を理解して目を瞠る。反射的に口と鼻を手で覆いながら、飛び退()がった。

 全員が球体を投擲する。総てが優太に向けられていた。優太は接近するそれらの強まる臭いに、いよいよ確信する。それは感覚器官の鋭敏な闇人には、呪術と同じく凶悪な武器――催涙弾だ。

 辛子や刺激臭を発する薬草を調合し、球に籠めた地面や対象に着弾すると砕け、空気中に撒布される。粘膜などから効果を表し、痛覚を激しく刺激して相手の感覚を奪う。

 優太が邪氣の手で総てを受け止めんとした。これが砕けた瞬間、尋常に敵と討ち合える可能性は限りなく低い。最悪は一度撤退、即ち敵の逃亡と策謀を看過する事になってしまう。未然に防がなくては、後の劣勢を約するも同断だ。

 しかし、崖を突風が横殴りに吹き荒び、催涙弾を横から遠くへと浚って行く。優太は後退する足を止め、風上に目を向けた。


「早く仕留めさい!貴方の仕事でしょう!」


 体に乱気流を纏うサミが、優太を叱咤する。

 時間魔法の他に、彼女が習得していた魔法の技である。弓矢、短剣、魔法と多岐に渡って操れる戦士は錚々いない。

 優太は微かに口角を上げて、杖を構えた。


「当然、仕事は完遂する」


 夜空の下に、仕込の刃が唸る。





アクセスして頂き、誠に有り難うございます。

予定が多くて忙しく、体調不良が連続して投稿が少なかった分、奮闘して行きたいと思っています。

これからまた寒くなるそうなので、皆さんも体調管理に気を付けて下さい。


次回も宜しくお願い致します。





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