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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:優太と道行きの麋──上
219/302

受け容れる心と変化

明けましておめでとうございます。

年明け早々、風邪とは……



 (はなびら)の舞う幻想的な風景の中に、暁は遥か遠くの空を凝然と見上げていた。黒衣の裾が強風に煽られて激しく叩かれた様な音がする。虚空を眺める精緻な横顔を見て、花の絨毯に仰臥していた暗殺者二名は首を傾げた。

 上体を起こして様子を見ようとして、二人は背筋を百足の這うような恐怖に身を竦ませる。萎縮してしまった伝説の刺客の隣を、音も無く通過していくのは――女の姿形を象った“影”。足許の草木を枯らし、寄り付いた虫は塵と化していく。悉く命を奪う“影”は、暁へ悠揚と近寄る。

 暁は振り返り、“影”に向けて鋭い視線を投げ掛けた。


「まだ『噐』を満たされていない」


 “影”は返答せず、日光の下に色濃く映る。

 暁に手を伸ばし、肩に触れた瞬間に粒子となって霧散した。暁は微かに眉根を寄せて、“影”の消失を見守る。復活を渇望する怨念の魂、焦燥と執念に駆られて異界から漏れた澱が形を成して徘徊していた。

 暗殺者二名が緊張を解かれて、今呼吸を思い出した様に息を吐いた。何人も理解の不可能な、神聖という一語とは対を為す、邪悪よりもより悪辣で暗澹とした力の塊。事も無げに払った暁は勿論の事だが、彼以上に危険なモノを感じる。

 暁が顔を歪め、自分の右腕を見下ろした。それから遠い空をまた眺める。


「俺の力を跳ね返した……?」


「ど、どうしたんだい、暁?」


 仲間の問に、暁は小さく首を横に振る。


「存外、子供とは己が想像を超えるようだ」


「そりゃ、オイの娘も立派な護衛業になっとった」


「何々?子供自慢かい?それならボクだって……あー、印象薄いから説明しても判らないかぁ」


 暁の体が中空に浮かび上がった。陸地から完全に足の裏が離れ、高さを増して行く。二人はそれを見上げながら訊ねた。


「何処へ?」


「矛剴の里だ」


「何故に?」


「計画を掻き乱した輩を、今度こそ処分する。以前は一片(ひとひら)の情を掛けて止めを刺さなかった故の不始末だ。それを清算しに行く」


 暁は高速で滑空し、瞬く間に地平線へと極小の点となって消えた。


「……あいつに、情なぞあったのか」


「ボクも初耳だね」






  ×       ×       ×



 闇精族の里に屹立する大木の樹上に一つの影。

 張り出した梢は、象の胴もかくやという太さである。分岐した枝葉に実る果実や青葉は、冬を迎える季節の景色とは到底思えぬほど艶があり、生命力に燃えていた。

 葉叢に身を匿せば外部から目視するのは難しく、しかし内部からは樹林の様子が眺望できる場所となっており、見張としてはこれ以上に無い好適な位置。闇精族か、或いは獣のごとき感覚器官を持つ者でしか細部まで観察する事は不可能。

 優太は梢に腰掛け、眼下の景色を望洋と眺めていた。少し前に身を出せば、忽ち重力の手に摑まれてしまう。この高度は途中で飛行、或いは着陸時の衝撃を軽減する工夫でもしない限り、大抵の生物は原形を失った惨たらしい死体に変わり果てる。

 誰もが体の芯から竦み上がってしまうような場所でも物怖じせず、沈思に耽っている胆の据わった優太を、見張として配属された闇精族が付近を通過していく都度に、感慨と賞嘆の言葉を仲間内で交わしていた。縢と瀧が休養中ではあるが、未だ彼は眠れずにいる。

 優太は杖を抱いて、折り重なる枝の間から覗く樹海の絨毯より先の山々、その更に向こう側を見るかのように遠い眼差しを夜空に注ぐ。以前ならば、この独り夜風に当たる合間に誰かを思い浮かべ、空虚な心を満たしていた。優太には、今やその顔すら浮かばない。

 右の長手甲がひどく冷たく無粋に感じる。心の拠り所が過去にしかない、未来に懐く希望が無い。何の為に戦闘の修羅として身を窶してきたか、そこに何を気概として猛進したか、自問自答の末には重い暗鬱な闇しか映らず、繰り返す問答に苦辛は増すばかり。

 孤独に歩んだ道程だった。仲間が居た、友が居た、相棒が居た。だが、今や戦時の厳酷さに隔たれ友情の仲とは再会も出来ずにいる。

 相棒は――一つの憧憬だった。対敵する者を殺める暗殺の徒としての性に抗えない己とは一線を画する光である。戦場では彼女の様に、ただ利害の不一致で生じた諍いで相手と命の遣り取りを強要されるのではなく、自らの気の赴くまま探究する過程で生じる戦いに挑む者でありたい。

 二つの争闘は、幾つもの戦を経た今の優太には、相互の意義と差違を明確な理として得ている。戦闘に於ける目標が相棒、ならば生来より自身が望む安寧の象徴とは如何なるものか。

 だが、今やその相棒も理想像から次第に乖離していく。組織を統轄し、世界勢力の一端を担うにまで登り詰めた実力は名状し難き栄光。それでも、以前の相棒とは全く違う、陰険な力を垣間見せた。その光は憧れではなく、どこか痛々しいものに変わって行く。

 では、まだ見失っていないものは――?


 “――今までありがとう。大丈夫だよ、また帰ってくるから。”

 “――ん……じゃあ、待ってる。”


 脳裏に断片的に浮かぶ、眦に涙を溜めて翡翠の瞳を濡らし、それでも微笑む金色の少女の相貌。今まで見た景色の中で、貴賤を量る比較すら不遜。神々しく、清らかで、世界と天秤の針に掛けても替え難き記憶。絶対に守ると誓った、だからこそ険難多き道だろうとも挑む一歩を積み重ね続けた。しかし、その少女に関連する情報は、次第に色と光を喪失しつつある。

 一体、何に奪われているのか――優太は自らも底知れぬ憤懣を胸の内に(とど)める事に全力を消尽していた。苛烈な魔物の襲撃に終止符を打つ戦力と言われても、気分は休まらない。

 優太の双眸が樹上の暗中で仄かに光った。恰も蹂躙し食い尽くす魔物を、強かに狙う更なる強者の肉食獣、否、今の優太は抜き身の刀であり、納まるべき鞘を見失って、ただ触れる物を斬り断つのみに特化した兵器へと変容している。

 敵味方という枠を無視し、双方にとっての大いなる災禍となる手前。精神の支柱は傾いで、僅かな力で均衡を喪って、根底から存在を瓦解させる。残るのは血濡れて錆び、刃先に幾つもの損傷を刻む痛々しい一振りの刀。

 凄惨な結末を迎える前に、優太を引き留めているのは、記憶の内で儚く瞬く星の如き金色の少女の微笑。名を忘れても、その声は力強く全身に反響する。

 一直線に硬質な樹皮を踏み鳴らし、此方へ向かう跫が背後から聞いた。黒檀の杖で軽く足下の梢を叩いて立ち上がる。優太は思考を打ち切り、未だ胸裏で燻る黒々と渦動する負の念を呑み込み、音源の方向へと振り返った。

 厚い樹冠を貫き、一条の光で照明された枝葉の上で、縢と瀧が佇んでいる。平生の二人には物珍しく、落ち着きを払った穏やかな笑顔で歩み寄って来ていた。

 優太は悠然と二人を迎える。前まで来た縢が差し出したのは、響花が作った弁当であった。自身の現状を省みる作業に耽溺していた故に失念していた、この森の中で唯一の楽しみ。

 縢が優太の手に握らせると、自分達も持ってきたとばかりに見せる。三人はその場に並んで腰を下ろし、夜気に澄んだ緑の景勝に感嘆した。夜食の肴には丁度良く、口内で弾けたあたたかい旨味に優太の緊張した神経の糸が程好く弛緩する。

 森の冷気と響花の思い遣り忘却を促す。遺憾ながらその感覚に気付き、優太は眉を顰めて直ぐに森林の絶景を睥睨した。自分を歓迎する数少ない矛剴、闇精族、取り巻く環境がすべて不快に思う。

 弁当を完食した優太は、雑念ばかりで味わえなかった後悔と早々に味覚に伴って生じる鬱陶から逃れられた安堵が綯い混ぜとなって、複雑な面持ちになった。判然としない自身の問題が、精神状態を掻き乱す。


「あー、早めに食べ終わって、勿体無いなぁ」


 縢が陽気に笑い、優太の肩を叩く。

 逆に彼女は未だ半分も減っておらず、あまりにも堪能し過ぎている。瀧は厚い唇に遮られて、物を入れるのに難儀していた。箸で必死に押し込む必死さに縢がまた笑う。

 二人は能力が特異であると云われ戦場での活動が難しいとやや枷の様に見られがちだが、内面的には町に住む男女と差違が無い。それは、煌人が早々に保護し、武術の鍛練と情操教育を与えた結果である。

 縢の能力は、異常なほどに発達した空間把握能力を有し、氣術を併用する事で感知領域を更に拡げる事が可能。しかし、その認識能力の高さは先天性によるものではなく、縢が秘かに編み出した技巧による産物であると本人が言った。

 瀧の能力は、体内氣流の加速。普通の氣術師とは違い、上位の魔族や魔物にすら匹敵し得る身体能力や自然治癒力を生み、瞬間的な肉体変形も為す。その分、戦闘後の反動が甚大ではあるが、短期決戦ならば強力である事に相違無い。

 二週間前に表面上の和解を果たした、あの少年――(リキ)は、大気中の氣をより精密に、より多く掌握する術に長けていた。故に、あの強力な斥力や引力、圧力までも再現したのである。

 優太より受けた傷は中々癒えず、恐怖症にまで陥る惨状となり、教育的指導が利かないと煌人に引き取られてしまった。その特異な技の秘訣は教わり、優太も習得に向け修行をしている。

 幸いにも、皆が勘などを恃みとするのではなく、そこに根拠と技術的再現が確立させられている事である。運に委ねるのではなく、確実に実用出きる範疇であるなら、優太でも獲得する余地は大いにあるのだ。


「魔物か~、難しいね」


「縢にじては(むぶか)しそうだ顔じてる」


「何をぅ!」


 二人が争うのを横目に見て、優太は杖で二人を軽く叩いた。この高所では音が響き易く、枝葉が遮音の役割を果たしているとはいえ、魔物の耳は人の理解を超えた高度な知覚能力がある。この二人の声も何処から聞いているかは判らない。

 この地域一帯に棲息する魔物の情報を提供され、予備知識として頭に叩き込んだ三人だったが、実物が如何なるものか、その脅威や迫力が実像で眼前に現れた時、迅速な対応が出来るのかまでは不安があった。

 魔物を使役する呪術に心得は無い、正面から対峙すれば尋常な勝負が始まる。闇精族から一人配属された彼女とは険悪、容易に首魁まで辿り着けるかも疑問であった。


「自分の命を最優先に、最悪は里まで撤退するか、或いは矛剴の里に」


「え、どうして、どうして?」


「死んでしまったら、何も無いだろう」


「そんな事無いよ、戦場での死は怖くても、不名誉じゃないしっ!」


「……何を言っている……?」


 隣で無邪気に微笑む縢に振り返った。


「戦って死ねるなら、それが寧ろ本望だよ!それに殻咲は響花姉がいるから、大丈夫!」


「ぞう、縢の言う通り。闇精族を守る、神に仇為す、その途上で負っだ戦傷は誉れであり、枷では無い。ぞれが矛剴の信念であり、王道なのだ」


「戦いよりも貴いモノは、ない?」


「無いよ、それが矛剴の性だね。でも、もうすぐ煌人様も作戦が完成するって言ってたし、楽しみだよ!それまでに、うんと役立つ戦士にならなくちゃね!」


 優太は口を開こうとして、諦念に再び下を眺める。矛剴の人間が生きる意義を復讐に趣を置くのは識っていたが、死に恐怖しているにも関わらず、それを名誉と宣う事が優太には到底理解が出来ない。

 彼等に守りたいモノがあるとすれば家族――それでも、そこに親愛の情ではなく、ただ次に繋げて悲願を成就する盲執。白印が深層心理すらも束縛するならば、途轍も無い力の前に優太の言葉は届きもしない。当主の家から出た薫と燈の例が本当に稀少であると判る。彼女達は、白印の呪縛の影響を受けていなかった。

 慎などと同様で、純血ではないのか。秘密裏に見繕った番から生まれたのだとしたら、確かに可能だろう。しかし、矛剴の中でも特に血統を重視する当主の一家が果たして妥協などするのか。

 仮に、薫達の様な存在が中に居て、矛剴に僅かでも希望を見出だせたなら、死力を尽くして救おうとしただろう。それでも、周囲から厭われ、換言すれば当主の直属部隊は迫害された者で構成されている。そんな彼等でも、矛剴と同じ思想を持っているならば、優太が理想とする矛剴との和睦も至難。

 優太は途端に目前が濃い暗闇に包まれた感覚に陥る。帰る(ばしょ)も無く、戦いの在り方として求めた目標は荒み、仮にまだ和解が出来たなら救おうと志した矛剴には神を殺害する以外に道は無い。

 諦めるのは速了か、しかし白印の呪縛は優太が無意識の内に従っていた黒印と同様の束縛力。簡単に抵抗するのは難しい、それも連綿と受け継がれた意思と怨恨が根付いているとあれば尚更である。


「……殺すしか、無い」


 第二次大陸同盟戦争に則って、云わば師の筋書に従って神々を滅する。それが根本的な解決に繋がるなら、優太もその道に進むのも吝かではない。しかし、仁那の様に何にも縛られず、自身の選択で物語の設定以上の結果を叩き出すまでにはなれない。

 仁那が『四片』の獣と友情を育み、彼等と人々を繋げたのは、暁の想像を超えていたに違いない。”両者の絆“として出現が予言され、事前に知っていた祐輔が慎重を期して観察を続け、それでも心を開いた事が証拠である。

 彼女なら、矛剴を変えられたのだろうか。優太は、無力感の内から甦る煩悶に再び呻いた。自分では変えられない、闇人の運命に抗えても、他者を動かすには至らない。

 暗然とした苦悩の迷宮、希望もなく光すら点けて直ぐに呑み込まれて消失してしまいそうな暗黒を低徊する感覚。見据えていた先を見失って、今まで辿った道すらも暗がりに閉ざされ、進退を窮する。

 標として大切なモノを想像すれば、響花が真っ先に浮かんだ。


「……君じゃない」


 次に浮かんだのは、師だった。


「他にまだあった筈だ」


 離れた仲間達が居る。


「もっと、大切な……」


 燃えて灰塵と帰した故郷。


「そうじゃない」


 一人悶々としている優太の様子に、二人が首を傾げる。

 優太は瞑目した。

 瞼の裏に、カルデラの屋敷の情景が浮かぶ。靄に囲われた路地に古色蒼然と建つ。まだ曙光は届かない、頭上で後退していく夜空。山頂の冷気に少し体を温めるべく、玄関の石段(ステップ)を駆け上がり、階段を上って上階の廊下へ。

 一室の前で、天井を見上げながら待つ金色の少女。此方に振り向いて微笑み、右手を握る。繋いだ手から、彼女の体温を感じた。

 名前、名前、名前、名前は……――――。


 目元に激痛が走る。

 千里眼の反動ではない――目元の『隈』から熱を発していた。今まで身体に異常な症状を発しなかった体の一部が、突如として異物感を催す。視界が明滅する、肺が酸素を受け付けず、胸骨の上から臓物を押し潰さんとする圧迫感。

 脳内で映像が再生された。神樹の森を出る時、田舎町から旅立つ時、山頂の町で再会した時、その体を自分の剣で貫いた時、それでも笑って自分を受け容れてくれた笑顔を見た時、最後に交わした抱擁……。

 優太は前に倒れ、腰を下ろしていた梢から落下した。咄嗟に氣術で引き寄せんと縢と瀧が手を伸ばすが、彼の落下速度が初速から尋常で無い事を悟る。まるで、自ら墜ちる事を望んでいる様だった。

 幾人かの闇精族が見咎めて、絶叫を上げる者もいる。だが、夜闇よりも色濃い黒い靄が優太の体から充溢した。緒を引いて広間へ向け墜落する。

 空中で優太を保護する邪氣の繭が形成された。一時的に世界全体から彼を隔離する、音も色も熱さえも奪われた無の世界に意識が揺蕩う。

 背を打つ一陣の風が吹き、周囲を覆う暗闇が勦討された。変転したのは対照的に一面が白銀の世界、氷雪を黒く染める血と死体が散乱する場所であった。

 悍しい光景に息を呑んでいた優太は、鎖を地面に擦る音に振り返る。


「……僕?」





  ×       ×       ×



 優太は血濡れた銀世界で、異形の影と対峙していた。片翼を失い、鎖に縛られるのは全身の皮膚までも邪氣に包まれた己の姿であった。黒貌にしては異様。

 梟の嘴のような面甲、初列の風切羽の先に細かく切れ目のある翼、軽鎧姿の武者に見紛う風貌は一見して正体を秘匿しているが、奥で剣呑に光る両目に宿った琥珀色の輝きは、自分であると察するに時間を要さない。

 歩み寄って行くと、怪物の前に椅子が出現する。木組みの些末な物だが、優太は何かに催促されているのだと悟って、素直に腰を下ろす。軋みを上げる椅子の音に、怪物が面を上げた。

 視線が合致すると、優太は寒気がした。心臓を下から指で撫で上げられたような虚脱感に小さく喘ぐ。


『裏切者め、主も持たない裏切者め。だからこうして傷付く』


「……君は……“闇人”?」


『そうだよ、お前に否定され、迫害され続けた闇人の本性だよ』


 忌諱の念を惜し気もなく言の葉に乗せ、優太を睨め上げる怪物――闇人。翼を捥がれた背からは、未だ出血が絶えない。面甲の間からも断続的に流血が伝って滴り墜ちる。

 惨憺たる姿に目を逸らさず、優太は訊ねた。


「僕が憎い?君が人間であると、ただ証明したいだけなんだけど」


『闇人に意思は無い、感情も。在るのは使命感、義務、摂理。ただ機械として備えた機能通りに役目を全うする』


 優太は憐憫を禁じ得なかった。その反面で、己も同じものであるという親近感に複雑な心境となる。主に全て委ね、命令に従い敵討つ矛となるだけの闇人、目的も見失って暁の筋書にただ従い、それが自分自身の選択であるか疑心暗鬼になり、矛剴を救うという己の選択も早々に諦観しようとしている優太。

 神々が示す威光に生まれた影、それを取り除く事こそ闇人の領分であり生存意義。復活の為の素材として選出され、封じる為の呪縛を課せられた、醜く憐れな神の走狗――それが己の真の容だと。

 それこそ、優太が真に嫌厭した在り方である。だが、自分の本性を根幹から見直すと、闇人と差違が無い。


「……僕は君の様にはならないと思っていた」


『どうして?』


 闇人の背に新たな邪氣の翼が生えた。

 しかし、何処からか飛来した杭に打ち付けられ、隆起した氷塊に両翼を磔にされる。一瞬の出来事に瞠目した優太の眼前で、闇人が悲鳴を上げた。面甲の内側で曇ったそれは、筆舌し難い悲痛な響きを含んでいる。

 優太を見る瞳に変化が現れた。

 虹彩が深紅に染まり、瞳孔とは別に黒い三角(トライアングル)の模様が浮かび上がる。優太が目を見開いて固まる様子に、喀血に塗れた顔を振り乱して叫ぶ。


『師にも夢にも近付けはしない!そんな世界にどんな希望を懐く!?』


 それ故の、この惨状、この醜態。


『また誰かの為に犠牲になるのか、無為な自己犠牲を重ねた果てに幸福が待っていると?戯れ言を抜かすのも大概にしろ、欺されているだけだ、お前に意志なんてありはしない!!』


 然り。この胸に抱える空虚が苦痛であるなら。


『スベテ、奴の筋書通りだったんだよ!!僕らの苦悩も、苦痛も、悲劇も全て!仕組まれた物は成長とは云わない!』


 優太の瞼の裏に、仁那と結の後ろ姿が浮かぶ。

 状況が重なって、確かに暁の台本通りに事が運んでいる。どんな道を辿っても結末は同じ、張り巡らせた巧緻な伏線に人々を絡ませ、物語を紡ぎ、その終着点へと集束させる。

 それでも、あの二人には少なからず、自分の意志で押し進めて来た。誰にも左右されず、己自身の選択で物事を見据えていた。

 いつか聞いた言葉を想起する。


 “――それでも、きっと良いモノも引き付ける。それで、色々な人があなたの優しさに気付く。

 ユウタの守る力が、きっとこれから沢山の人を救う。”


 旅立つ前、あの金色の少女に言われた言葉。

 実質、旅路では数多くの仲間に救われて来た。今顧みれば、優太も結に劣らず、己の信念を以て前に突き進んでいた。だからこそ、その周囲に人々が集まってきた、一族の怨念と罪悪感の間にあったゼーダを救えた。

 だが、結が組織を立ち上げ、より殺める命の数が多くなってから、初志を忘れて彷徨している。


 “――わたしは信じてる。”


 優太の起源は、師が死期迫る中に明かした名の由来、そして最後の日に遺した言葉。彼亡き以降、自分を支えてくれた幼馴染の一言である。

 毅然とした態度で、優太は言い放った。


「君は諦めるんだね」


 闇人の面甲の下の相貌が怒りに燃える。


『それが存在意義だ!!お前を諭し、正しき道へ導く事こそ使命!その為に生まれ、その為に生きてきた!今さらその条理を、信念を捻じ曲げる事なんて出来やしない!!』


 自分の意思ではなく、他人に従ったからこそ、苦悩は少なかれど、こうして傷付いている。だが闇人に己の現状を冷静に見詰める精神は無かった。今、優太が己の中に混在していた“闇人”を切り離して対峙し、目にすることが出来たのは、仁那に倣い自分の選択を始めたからである。

 優太は首を振って、尚も真っ向から闇人の意を否定した。


「君だって自分を最初から棄ててる。棄却した選択肢の(ほんとう)の価値すら見ずに。君の導く先だって、その畢生は母なる神への回帰だけだ、ただの逃避だ」


 闇人は鎖を盛大に鳴らし、抵抗した。

 だが拘束は何よりも固く、打ち据えられた杭の刺さる部位から、血が音を立ててより噴き出すのみ。

 苦悶と痛憤で歪んだ顔が優太を批難する。


『黙れ――――――ッ!!帰る所すら無い放浪者が、今さら何を言うんだ!!我々が還るべき場所は、既に定められている、今さら抗って何になる!?』


 その(こえ)に優太は思わず嗤笑した。他者に存在意義を定義された闇人は、その役目に従いながらも全く幸福ではなかった。忠誠を誓い、感情を捨てて敵を斬る、単調な作業の繰り返しでも、それが己が本分と弁える者なら少なくとも気概を見せる。

 それは自分自身の中で生まれ、育まれた――闇人とは違う部分。闇人には其れが無い、帰るべき場所を見失い、伊邪那美を求めるだけ。最初から己の可能性を放棄している。

 我知らず、優太もその一面に薄々気づいていながら目を逸らしていた。


「僕も長らく、君から逃げていた。誰かを救う前に、先ずは自分自身を確り見直すべきだった。主ではなく愛する人や我儘を貫く僕は僕、忠誠を至上とする君は君、だなんて区別する事が愚かだったんだ」


 優太は椅子を立ち上がって、闇人の前に屈み込んで、目線の高さを合わせる。


「僕も闇人だよ、忠誠を誓いたい相手がいるならそうする。愛する人が居るなら、その人を大事にする。神から享受した義務や使命じゃなくて、礎に己の意思を持って」


『……自分の……?』


「今なら受け容れられる……。僕は君と居ても大丈夫だ。拒絶しない、一緒に行こう。さあ、来るんだ」


『…………僕は…………』


「花衣が待ってる。彼女も、否定しない」


 闇人の翼が消滅し、鎧が剥がれ落ちて塵となって銀世界に溶け込む。優太は闇人を抱き寄せた。


『僕は……君になりたい』


「なれるさ。僕は君を支える、だから君も僕を受け容れてくれ」


 闇人は暫し返答に逡巡した後、首肯した。

 人の姿を失い、翡翠色の粒子となって優太の体を包む。体内に浸透して行く、心の鬱々とした気分が晴れて行った。



  ×       ×




 広間に着地した繭が破れる。

 その近くに麋が蹄を鳴らして駆け寄った。角で邪氣の繭に生じた亀裂を更に拡げ、荒々しく頭を振り回した。遅れて駆け付けた縢と瀧が中を覗こうと麋を押し退け、顔を前に出そうとして、目前で炸裂した繭に驚いて飛び退る。

 優太が片手に杖を持って、目を開けた。

 目許の『隈』が消えた優太の面貌に、全員が言葉を噤んだ。右目に血涙を流して、麋へと振り返る彼の挙措の一つひとつに、注視が募る。


「ゼーダから、『樹液』を貰って運んで来てくれ。恐らくあと二度の反動が来れば、失明する」


『任されたは良いけんど、あんま期待すんなよ』


 喉を鳴らした後、東方の言語を発した麋に縢が驚倒する。


「君、何者?」


『んー、そうさなぁ。優太のご先祖様の一部だと思ってくれ』


「……名前は?」


 優太の淡々とした問いに、麋が首を捻る。


『分離する前は、天隠神(ディン)だったね。ほらほら、神樹の根本に埋まってる神様……の一部だ』


「……君も師匠と同時期に復活した?」


『酷く荒い起こし方だった。幾ら暁とはいえ、一応神様の完全復活は不可能みたいでさぁ、仙術で蘇ったらこの有り様』


 麋が蹄を鳴らしてみせる。角に貼り着いた邪氣の繭を振り払った。

 優太がそれらを吸収すると、満足げに傲然と顎を上げる。巨体の躍動に全員が口を閉ざして見入った。


『暁が色々やって、(カグツチ)がそれに便乗。事態はもう理解不能(カオス)だね、ははっ!』


「目的は?」


『暁に依頼されて、君の行く末を見る“だけ”。あー、そういえばあとは……今、君の目的は何か訊く事?』


 優太が訝しげに眦をつり上げた。


『ほら、今の君は印象違うみたいだし!さあ、聞かせてくれ』


「変わらないよ」


 優太と麋の会話を、誰もが固唾を呑んで見守った。比較すると、如何にも矮小に感じる少年は、けれど物怖じせず堂々と麋に正対している。懊悩から解き放たれた優太は、口端に笑みを見せた。


「約束を守る――迎えに行くんだよ、花衣を」


『ん、了解した!』


 その時、頭上で金属音が打ち鳴らされる。

 闇精族の見張が、警鐘を金床に烈しく鎚を叩き落として報せていた。事前に聞いていた優太と瀧、縢は魔物の襲撃が始まる予告であると知って動き出す。既に広間の隅に蟠る闇の奥で、武器を構えた戦士達が所定の配置で迎撃体制に備えていた。

 優太が指で催促すると、麋は肯いて駆け出す。風の如く走り出たその後ろ姿は、颯爽と闇夜の中へと遠退いていく。

 優太は杖を握り直すと、里の出口へ向かう。今回、闇精族の切り札として用意された鋭鋒として、三人は軽く周囲の者に会釈してから林間へと飛び込む。


「縢、瀧。一応、森の奥まで行くぞ、魔物の陣形を見て、首魁が何処に居るのかを探る」


「ね、ねぇ優太兄?あの闇精族の女の子は……?」


「放っておけ。あの様子だと、連携に支障を来す。待機して合流を図るより、縢の感知能力で索敵を行えば地勢の問題も然して弊害にならない」


「え、でも」


「僕らが彼等に要請されたのは、任務遂行能力。趣旨に背いて約束を違えるのは、最も避けるべき悪手だ。……それと、前言撤回だよ」


 優太は高さを競い樹頭を伸ばす白樺の林で足を止めて振り返った。


「成功の捷径を常に考えた上で、もし君らが不必要だと判断したら、真っ先に切り捨てる……良いな?」


 二人は、優太の急変に戸惑った。

 優しかった彼の顔が冷然としており、声音も無機質で淡々としている。二人を切り捨てる判断にも、何ら抵抗を覚えていない様子だった。穏やかだった彼が、より研ぎ澄まされた刃の鋒の如く見えた。


「りょ、了解じだ……」


「お、押忍(おっす)!」


 やや恐懼を滲ませながら承知した二人に、優太は再び森の中を駆け出した。







アクセスして頂き、誠に有り難うございます。

体調が悪かったけど、書き切れて良かっ……問題が無いか、以後も再確認及び修正があるかもしれませんが、ご寛恕下さい。


新年早々、何だか幸先が悪いスタートですが、これからも執筆を頑張って行きたいです!


今年もも宜しくお願い致します。



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