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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:優太と道行きの麋──上
217/302

旧き森の縁に応えて



 報告を受け、優太は即座に居間を辞して戸口に立つ。捕縛していた瑕者と穢人が脱した今、此方への返報すると考えるのが必然。それが増援を招いての戦力強化の方策、或いは何ら策を講じず感情のまま襲撃を再開するかの二択。どちらにせよ、子供や響花の居る現状では、この場での邀撃は最悪である。

 標的は己が判るなら、守るべきモノから一歩でも自分が遠くに居る事が安全策。邪氣の小太刀を生成し、桟敷から跳び降りた。あの異能力を二つ同時に相手取る労苦は、既に昨晩で経験済み。まだ明確な対抗策を考案していないが、戦場に不条理は付き物、臨機応変に対する他に無い。

 ゼーダが子供の眠る部屋で、元より闇人の住居にあった投擲用の短槍と長刀を携え、守備体制に臨んでいる。正面からの報復ならば不意討ち、狡猾に部外者を質として求めるなら死守。今は矛剴の掩護を要請する猶予すら無く、一人は正面衝突を演じ、もう一方が守勢に徹する配置だけが窮余の一策だ。

 事情を知らぬ瀧と縢も、二人の一変した様子と緊迫感より、敵襲であると察した。急迫する脅威の気配を漠然と感じて、其々が己の武装を手に戸口へと慌てて出る。縢は台箱を置いて上に腰掛け、両手を胸前で打ち合わせて瞑目した。瀧は腕を掲げて戦闘の構えに入る。

 林間に耳を澄ませる優太は、どの方角から強襲を仕掛けるか推測した。彼等ならば、氣術の空間把握能力の拡大を用いても、感知領域が十丈程度では知覚した瞬間には攻撃が鼻先に届いている。意識を傾けるなら、平生鋭く鍛えられた五感で対応する方が迅速。

 敵をば斬り殺さんとする凶相が、何れ樹間を殺気に呑み込み迫ると予測し、邪氣の小太刀の把から五指を緩め、もう一度だけ握り直す。敵の技を吸収し反撃する、あらゆる液体を支配下に置く能力。発動より前に首を刎ね、心臓を突き、命脈を断つ。暗殺機械の機能が目的を一つに絞り、意識を集中させて剣呑に目を光らせる。

 桟敷で瞑想していた縢が唐突に立ち上がり、下に居る優太へと叫ぶ。


「此処から半一町の丑寅、急接近中!」


 優太はそちらに体を巡らせ、全身から夥しい邪氣を放出する。優太を体内に擁する闇色の巨躯を唸らせた人の貌を模す怪物に形状を留めた。梟を模した面甲、眼窩の奥に深紅の光を発する奇態な顔貌。一対の角を持ち、赤髪を逆立たせた頭頂は地表六丈、現在の優太では上半身しか体格を維持するには限界であった。

 多量の邪氣を消耗して作られたそれは、握り込んだ左手を弓に変形させ、肘から分岐した別の前腕が把を摑んで固定する。本人の想像力によって流動的に、あらゆる形に変じる性能で優太が望む姿をそのまま具現した。

 右に千里眼を発動し、遠方の林間に焦点を合わせた。其処に指示通り、草木を踏み荒らして馳せる二つの異相。照準を定めて、巨人の右手に二本の太刀を生成して弩弓と化した左腕に矧ぐ。直線で此方を目指している、必中を確信して矢を射る。

 通常の弓矢を模した邪氣の飛距離では、半一町もの間隙を潰して敵を滅する前に消失してしまう。故に、巨大な弓矢とそれを使う者を邪氣で再現した。消費量としてはかなり甚大ではあるが、威力は絶大である。

 果たして、放たれた矢は樹林を貫いて飛び、森を駆け抜ける二つの影を射抜いて地面に突き立った。彼等の体内から残滓すらも許さず氣を吸収すると、眩い閃光を散らして爆ぜる。空に轟いた爆音は、敵に幻惑されているのではなく正常に機能し、確実に敵を仕留めた証。

 安堵して脱力した瞬間、胸に激痛を覚えて思わず襟を摑み、その場に膝を付いて項垂れる。喉から溢れる血を足許に吐き続けた。閉ざした右の瞼からも血涙が滔々と流れる。優太の様子が急変し、縢と瀧がその場から飛び降りようとして、横合いから二つの影に蹴撃を受けた。

 小屋から落とされ、地面に倒れ伏せる二人に駆け寄ろうとしたが、優太は足に力が入らない。筋肉が運動とは異なる微弱な痙攣を繰り返している。氣が決河の如く体内を荒れ狂い、血管を貪った。

 身体に蓄えた邪氣の総量、その四割を費やして発動した最大火力の反動、数秒間も瞬きせず千里眼を酷使した影響が重なり、優太の骨子を軋ませている。右目を手で押さえ、辛うじて面を上げた先に直立する二つの影。

 優太は再度、千里眼で丑寅の方角を目視する。先程仕留めた位置――そこに、彼等の遺体は無かった。

 双頭の魔族と女の獣人族が、淡々と優太を見下ろしていた。未だ周囲に燻る邪氣の残り滓を見て、西吾が素直な賞嘆の念を声音に表して呟く。


「驚いた、我々と接触して僅か半日程度で氣道・羅刹天。良い兆候ではあるが、全身を成すには至らず、さらに未だ扱いきれぬ状態か。

 先程のは私の死術……魔王の正統なる後継者とは異なり、一個の生命として『分身』を作れるのだ。持続時間は数分ではあるが」


 窓からゼーダが双刀の氣巧剣を回旋させて擲つ。氣術による操作で、手を離れた後も遠心力を増し、如何なる物質も焼き断つ刃が双頭を狙った。しかし、眞菜が手を翳すと、地殻を突き破って地下水が憤然と水柱を立てて湧き上がり、直下から氣巧剣を水圧で吹き飛ばす。

 液体を操る能力、水脈のある地勢では眞菜の能力は限界を知らない。ゼーダは舌打ちすると、室内で子供達を一瞥してから外へ躍り出た。二名に対し、間合いを測って短槍と長刀で躙り寄る。

 鋭い剣幕のゼーダへ、双頭の東吾が掌を突き出す。何らかの技が来ると身構えたが、何の現象も発生しない。

 眞菜が屈み込んで、手拭いで優太の面相を汚す血を拭った。体が不自由で抵抗出来ず、ただ警戒に睨んで観察する。至近で優太と視線が合って赤面し、小声で何かを独りごちて手元を速めた。

 西吾が腹部に腕を回し、優太を担ぎ上げる。誘拐を疑ってゼーダが踏み出した途端、双頭の首筋から怪音を鳴らして体が分裂し、奇妙な事に衣服を破らぬまま、二体の一面二臂の魔族――東吾と西吾になった。

 立ち止まったゼーダの眼前で、眞菜と東吾が跪く。唖然とする優太の耳許で、西吾は二人の姿を見詰めたまま語った。


「既にシラス国では主上陛下(カグツチ)に、任務を半日で仕上げなかった場合、戦死者とするとなっていた。我々は未だ生きていると雖も、行く宛は無い。

 なれば、最初に語った通り、穢人と瑕者の使命に従い、『伊邪那美の噐』、その補助器として貴方に仕えよう」


 手中に氣巧剣を戻し、事の成り行きを見守っている。不審な所作の一つがあれば、再度攻撃を仕掛ける積もりだが、今は頼り無さげに足下の覚束無い優太に頭を垂れる姿が異質でゼーダさえもが当惑していた。

 支えは要らず、自力で立てる様になった優太から離れ、西吾は再び東吾と融合して双頭となる。それでも、無防備に首筋を晒して片膝を付いた姿勢を崩さない。


「我々は、貴方の(しもべ)として、これより忠義を捧げる。この意思に関しては、貴方の意向は関係ない。我々は我々の務めを果たすのみ」


 氣術師と魔術師を調停する闇人、その存在を裏から補助する為の穢人と瑕者。神意の剣、その砥石となる事が存在意義。北大陸に追放された以上、彼等は元より己が宿運に従い、優太の配下に就く他に道は無いと断じている。

 昨晩の戦闘もあり、猜疑心に未だ本性を現すかと身構えていたが、一向に面を上げない愚直さに諦念が芽生え、嘆息混じりに倒れた瀧と縢を見遣った。


「……もう一つ、小屋が必要だな……」





  ×       ×       ×




 あれより月が一度空を過ぎて明けた朝。

 体調不良とあって、その日の訓練は延長となった。千里眼の長時間使用と大量の邪氣を使用した反動は、自己管理の意識が低いと自粛し、響花の監視の下で休養する。その間、午前中はゼーダが子供と瀧や縢に武術を調練する事になり、より労苦が積み重なる一方であった。

 午後になって全員を擁する程に小屋は広く無いという問題にいよいよ向き直り、結果として新たな居住空間を設ける事を必要とされた。双頭と眞菜、ゼーダや子供達の奮闘で約五割が完成する。しかし、まだ不完全で粗末な家屋に子供達を寝かせる訳にもいかず、渋々と眞菜と双頭にゼーダが監視として宿泊した。無論、夜ばかりは囲炉裏を皆で囲ったが、以後は優太と響花が子供の相手をする。

 僅かな時間で客人の増えた闇人の住宅は、今新しい形になろうとしていた。異種族も交えての一夜が過ぎて、優太の下へ煌人より屋敷に参上せよとの通達があったのは早朝の事であった。


 大方の準備を済ませ、響花が外で待機している。急用とあって、言伝てに来た彼女は慌ただしく、事が尋常ではないと察するに時間を要さなかった。ゼーダは当然同伴するとして、瀧と縢までもが召集を受けており、少年の介護を人族に擬態した双頭、子供の面倒は眞菜に任せる体制。

 その間も建設工事を進行する予定であり、この森を優太が不在にする間も騒がしさは変わらない。未だ完全に信頼した訳ではないが、ゼーダがニクテスより習得した契約呪術を施したため、仮に子供に害為そうとした場合は絶命する正真正銘の呪縛。

 以前の呪術による拘束を振り解いた双頭でも解除は困難とされ、それを甘んじて受け入れたため、然したる問題として考慮する必要は無い。

 自室で優太は裁付袴を穿き、踝まで覆う足掛けのある布の脚絆に臑を通し、長手甲を装備して、夜空の紺碧に似た色合いの袷を着る。背中の腰帯には先日素材を注文し、自らで拵えた外装――刀身を秘匿する黒檀の杖を斜に差した。木肌の継ぎ目が目視出来ぬよう精巧に仕上げるのに苦慮し、抜刀の仕掛けにもまた紛糾したが、製作は里の鍛冶などと連携して上手く完成した。

 黒く艶のある外観に変わった所為か、初めて手にする得物の様に馴染まない。柄に手を添えれば、確かに握る感触も以前と差異が無いが、違和感に何度も抜刀しては納刀した。実戦での使い心地に依っては、改装が必要である。

 草履を履いて廊下を静かに通過し、桟敷から跳び降りた。下で待機していた響花は、麋の背に騎乗している。ゼーダが隣で支えているが、一般的な個体よりも大柄な体格であり、ほとんど安定した乗り心地で響花は楽しんでいた。

 桟敷下に住み着いた生物に疑問を呈するが、今や二人を懐柔させた麋に小言を吐くのも、些か己が器量の小さい人間だと実感するようで却って業腹である。非難の目を向けながら、五人と一頭はそのまま里へと降った。

 上に乗って先導の指示を出す響花に従い、麋は緩慢な歩調で前進している。いつもより骸取り草の道幅が広く、優太とゼーダは並んで後続した。前方が巨体に隠されているが、優太は周囲の景色から里までの距離をおよそ把握する。


「ゼーダ、あの麋は何でしょうか」


「私も見た事の無い種だ、既存の動物や魔物とは明らかに違う。角の形状、体格、人語を解し恭順する知性……か。魔族擬態の持続時間は、魔人と呼ばれる魔王軍幹部でも一日が限度。その間も“鷹の目”で観察していたが、一度たりとも解除していない」


「……何かの化身した姿?」


「よもや『四片』の如き者ではあるまい」


 正体不明の麋――その正体が如何なるモノであろうと、敵でないなら斬る道理は無い。機を見計らって隙を衝く算段で接触した刺客としては、優太の発作的に起こる不調の際に殺められた。単に気に入られたとも考え難い。

 振り返った響花は、麋を見上げて険しい面持ちの優太を見た。彼も背に跨がりたいのだと勘違いをして、自身の後ろに招く。緩やかに首を振って遠慮したが、脚を曲げて低い体勢になり、麋も騎乗させる心積もりである。

 ゼーダへ振り向くと、首を竦められてしまった。優太は遺憾ながら、響花の声に応えて麋の背に飛び乗る。立ち上がると目線の高さが急変し、思わず奇声を上げた。

 麋は故意に歩調を乱したり小刻みに飛んで優太達を揺する。普段から馬車には慣れていると雖も、自身の体力を恃みに山中を駆ける矛剴、騎乗経験の薄弱な響花は始終混乱していた。これでも動揺もせず、冷静に平衡を保つ優太は胸に彼女を受け止めながら、冷然とした眼差しを麋の後頭部に注いだ。

 ゼーダは必死に笑いを堪えているが、包帯の下から既に喉を鳴らしてしまっている。耳敏い優太に気取られると弁えていながらも、やはり疼く可笑しみを押し殺すことは出来なかった。

 麋の悪戯とゼーダの微笑みに苛立ちながら、優太達は里の北に立つ崖に到着する。これ以上は目立つとして、響花を両腕に抱えながら麋から降りた。簡潔に指示を与えると、麋は何歩か退いて木立の中に待機する。

 響花は案内として里へ四人を導き、複雑な道路にもその足は倦まず弛まず屋敷を目指す。矛剴の里の地勢に知悉し、煌人の使用人として客の脚を疲れさせないためか、緩やかな傾斜の迂路を自然と選び採っている。

 道中に衆目を集めるのは当然、だがその中には先日に感じられた恐怖や憎悪のみならず、好意的なものを感じて優太は振り返る。躙り寄る害悪の臭い、音、気配の手掛かりを一つとして看過せぬよう鍛えられたからこそ、害意や悪意には誰よりも敏感であるからこそ、其処に入り雑じる別の情念にも敏かった。

 矛剴の里の住人を見回すと、一人、また一人と僅かな団塊が優太へと頭を下げる。錯覚かと自身の目を疑ったが、恭しく、けれど形式だけでなく深甚な想いの籠った行為。ゼーダの手が優しく肩に置かれた。

 忌諱されるだけであった里の景観に生まれた僅かな変化、そこにどんな意味があるかを心得て、優太も彼らに軽く頭を下げて応じた。言わずもがな、彼等は優太が預かる子供の親だろう。夜間外出の禁を犯した子への懲罰を避けられたのは、少なからず優太であると弁えている。親でさえも疑った優太に、それでも嫌悪を示さなかった。

 響花の先導で、遂に屋敷に到着する。

 屋内を進む内、初日には無かった賑わいがそこかしこより聞き取れる。当主一人で住むには広く持て余してしまうので、限られた者に提供しているのかもしれない。夜とは全く異なる様相を見せる矛剴に戸惑うしかなかった。

 二階の広い一室に招かれた優太達は、そこで正座をして茶を啜る煌人を目にした。太刀を腰に提げたまま、穏やかな微笑を湛えている。対面に座る人物との談話に興じていた。

 優太の到着を悟って、振り向いた煌人は手招きで呼び寄せる。一礼して室内に入り、煌人の横に敷かれた座布団に座ろうとして制止された。


「む、そこは響花が座るんだよ」


「……弟では不服ですか」


「拗ねてるのか、優太?仕様が無いな、座りなさい全く。いやはや、兄として慕われる身分も悪くはない」


「戯言を」


「何!?」


 優太は嘲笑すると、その場を響花に譲った。

 粛然とした振る舞いで煌人の隣に滑り込んだ響花は、二人にも茶を供する。冷めた物でも満足して、舌の乾きを潤す程度に啜り、味に驚いて興味深そうな優太の様子に小さく笑う。代わりを頼む煌人の湯呑みに注ぐ。

 瀧が何処から調達したのか、口紅を唇に差して手鏡で確認している。当主の御前でありながら何と大胆なことか、縢すら呆れていた。否、その縢も後ろの床に手を付いて、脚を前に伸ばして寛ぐ。緊張感の無い振る舞いに、煌人は笑顔ではあったが、言葉の無い圧力が感じられる。

 煌人の対面に座す人物へ、優太は漸く視線を向けた。


「えっ……?」


「ああ、紹介がまだだった!」


 煌人が掌に拳固を軽く落とす。

 優太は驚愕に、ゼーダの表情を窺った。彼は表情一つすら変えずにいる。事前に知っていた、聞き及んでいたという伝聞ではなく、さも飽くほどの既視感だとでも語る無表情だった。縢と瀧さえもが然るべき常識も同然とばかりに、飄々と相手を見ている。この場で狼狽しているのは優太一人。

 外界との私的な交流を断じて禁ずる矛剴の風潮を予備知識として得ていた優太の事を、故郷を訪れる事が初めてだった少年を、誰も責められはしない。その無知は必然、ゼーダも話す必要性を感じなかったからこそ、口にしなかった。


 そこには、長い耳を持つ異種族が座っていた。






  ×       ×       ×




 屋敷に招かれたのは優太達のみにならず。

 もう一人――先が鋭角を為す長い耳介を持ち、艶のある肌は黒褐色であった。麗々と頭頂でうねる紫の頭髪は、毎日丁寧に梳られているのか毛先は僅かな陽光も反射して輝く。瞼を伏せれば撥ね上がった睫毛の異様な長さ、だが端整な面差しがそれらを整え、印象を神秘的に見せた。

 肩袖の単衣、裾を絞った山袴に弓と矢筒、短刀を装備した狩人装束。深緑を基調としており、山中では身を潜めて周囲に溶け込む工夫、後ろの襟には頭を覆い隠す(フード)まで付いていた。腰帯には雑嚢、燧や蝋燭、液体を容れた竹筒が並ぶ。

 妖精族に近い容姿だが、彼等は色白で日に焼ける事も殆ど無い。それは友人に一人居り、彼は港町の厳しい日射でも日焼けに苦しむ事はなかった。元より妖精族は、普段は日も届かぬ樹海の奥に居ながらも熱に強い耐性があるという。

 優太の知識であれば、この黒曜石の様な肌をした長い耳の種族は初めてではあるが、何処か既視感に判然とせず首を捻る。

 目前の男性は傲然と顎を上げた胡座の姿勢を崩し、ゆっくりと優太へと低頭した。


「御初に御目に掛かります闇人様、貴方のご帰還を心よりお待ちしておりました。サージであります、以後お見知り置きを」


 優太は呆然として、サージと名告る男の後頭部に視線を注いだ。苦笑して、煌人は説明する。


闇精族(ダークエルフ)の首領様だ。

 我ら矛剴が神代に追放を受けて、この赭馗密林に住処を提供して下さって以来の関係なんだよ。この森の原住民族で、妖精族や鉱小人族(ドワーフ)とは少し険悪なんだけどね」


 赭馗密林の原住民――矛剴と長く交流のある数少ない種族。各地を旅した優太でも、闇精族の存在を耳にした事は無かった。結の組織した団体に集う多種多様な種族を目にしたが、それでも闇精族と思しき個体は見受けられず、目の前で額を床に付けて止まっている彼を注視する。

 煌人の一声に頭を上げたサージが朗らかに笑んだ。優太も深く一礼する、恐らく優太の存在を既に聞いていると感じて、自己紹介の言葉が自然と出なかった。否、緊張感に取り込まれて閉口している。

 いや、必要は本当に無かったかもしれない。従来、闇人の慣習として名を与えられず先代より襲名する事が決定事項。その役目を継承する為に感情を殺して日々の鍛練を行う。

 出産と同時に黒印が確認されれば、親の感情云々を問わず強制的に森の奥へと移され、再び教育が始まるのだ。優太という名に、闇精族が如何なる反応を示すかは、ゼーダにも想像は付かない。

 煌人が顔が強張っている優太と、複雑な感情を瞳に浮かべるゼーダの心情を察した。


「当代の闇人ですが、先代より優太(ユウタ)の名を授かっています。本人もそちらを好んでおり、出来れば以後その名で呼んで頂ければ」


「では優太殿、で宜しいでしょうか?」


「は、はい」


 辛うじて絞り出した声に、闇精族はまた笑う。

 煌人が茶を一度で酒の杯の様に呷ると、床に置いてサージに向き直る。


「では、本題に入りましょうか」


「ええ……闇人様。

 今、外界では北大陸との戦役に魔族と中央大陸が同盟関係を築く運びとなっており、恐らくですが近々曾て以上の戦になります。それに先駆け、各地の者どもが戦時に武器の供給などを想定し、北部国境に新たな駅や城塞が建設されていました。

 しかし、活発であるのは人のみではありません」


「……魔物?」


「そう、奴等の活動も盛んとなっております。

 人を喰らう種は、獲物が動く分だけ其処に敏感となります。ですが、軍を成した人間に対抗するには、野獣の如き魔物風情では到底太刀打ち出来まい。

 従って、数が少なく、且つ援軍も望めぬ孤立した里や少数部族を狙うのが好適と、奴等にしては知恵を巡らせたものです。そして、その対象として我々も奴等の目に留まりました」


 第二次大陸同盟戦争を宣告された世界情勢を知らない(てい)で、僅かに目を見開かせた。尤も、人外の動きまでは把握していなかったため、半ば演技でもない。

 魔物の捕食対象は人間、或いは同種もあるが、大抵は前者を食するのが一般的である。特に彼等が跳梁跋扈する人里離れた森、或いは迷宮の類いには強力な個体が生息する(ケース)もあった。優太は対人戦に於ては組織内でも最優と讃えられていたが、旅路では結が魔法で仕留める程に苦手な場合もある。

 何より、人の活気を嗅ぎ付け、飢えた魔物ともなれば、通常よりも討伐の難易度は上昇する。サージの言葉の端からは、闇精族が少数であると窺える。普段は耳に聞かぬ闇精族が多い訳もなく、且つ密林に身を潜める妖精族も少ないという。

 優太は情報を一つずつ嚥下した。


「我々も戦闘の術理と対処法を心得ている故、撃退する事は差して難く無い。しかし、ある日から魔物の行動が異種とも軍を成し、戦略的な攻勢に出たのです」


「統率者が出現した可能性が?」


「然り。その黒幕を討ち取り、早急に事の鎮静化を行いたいのですが、我々のみでは難しい。今は守勢に徹していますが、軍勢の気勢が激しくいつ押しきられるか。迅速に統率者を処分したい」


 サージに代わり、煌人が言葉を紡ぐ。


「そこで優太、お前にやって貰いたい。闇人として闇精族と交流の輪を作れるのは良いし、彼等を救った功績で里からの印象も変わるかもしれないぞ」


「…………」


 煌人の有無を言わさぬ迫力に、優太は顔に渋面を作った。瀧や縢の鍛練を怠る訳にもいかず、且つ子供の面倒や眞菜と双頭の監視を省く危険も無視出来ない。里からの悪印象を払拭する仕事を請け負う事は、純粋に矛剴を見定める優太の主旨にも反すること無く、より接近して見られる。

 優太は縢と瀧に振り向いた。依然、話を真剣に聞く姿勢とは程遠い彼等だが、視線に気付いて顔を巡らせる。


「ゼーダは小屋で子供の面倒を。僕と縢、瀧は闇精族の救援に向かう。二人の実力を見る良い機会ですし」


「引き受けて下さいますか」


「微力ではあると思いますが、喜んで承ります」


「では、里に知らせますので、奴等の動向が判り次第、迎えを遣わせます!」


 暇を告げて、颯爽と屋敷を後にしたサージを見送った後、再び響花の案内で里を通る。屋敷を出る直前に、貨幣を入れた巾着を煌人より手渡されて喜んでいた。家族の為に献身した分、その重量は誰よりも貴く感じられるのだろう。

 帰路の途中、ゼーダはある方角に目を留めた。懐かしげな視線は、最初に里を見た時とは違い、眩しげに目を細めている。優太もそちらを眺めて、彼の心中を察した。

 彼処には、きっと薫と双子が出会い、生涯に通ずる友情を育んだ場所がある。警備の任を放棄し、密かに隠れて漫然と過ごしていた二人と、それを見付けて訪ねた優太の母。今やゼーダ一人の思い出と化してしまったが、胸に秘めたる感情は今も彼の生き甲斐として、その背中を押している。

 優太は遠退く屋敷を顧みた。薫の墓が作られているのなら、一度参った方が良い。帰郷しながら、母に未だ挨拶も無いのは憂いの種となる。拓真は兎も角、最後まで自分を愛してくれた肉親。カリーナに跡を継がせ、静かにこの世を去った燈の報告もしなくてはならない。


「ゼーダ、母さんの事をどう思っていました?」


「……姉の様な人、と前に話したが、正しくは違う。あまり人と接した事の無い私だから、今思えば気の迷いと一蹴するのも可能だが……初恋だったな」


「……そうですか」


「恐らくビューダもそうであろう。双子は何かと、思考や言動まで似てしまうのでな。まるで鏡の様だよ、姿形は全く以て似ているというのに、目に留まる印象は自分の欠けた部分を持つ人間なのだから」


 皮肉めいた言葉に、優太は小さく笑った。


「僕は少なくとも、母さんがゼーダに凄く感謝しているのは判ります」


「そうか……だと良いな」


「叶を口説いた事に関しては、流石に顔を顰めているでしょうけど」


「慎や是手といい……何故、私が彼女を口説いた前提があるんだ」


「満更でもない癖に」


「それは……人の好意には何が隠されているか判らん。あの子も逞しく育った、大人をからかう事を楽しんでいるだけやもしれん」


 卑屈になるゼーダに、優太は肩を竦めて首を振る。戦が終焉を迎え、無事に大陸の争乱を鎮めた先で、叶の元に帰るのか。ゼーダの帰るべき場所は矛剴の里であり、神樹の村である。しかし、前者は居場所とは成り得ず、後者は自ら焼き払った。誰よりも悲運にある男の旅路に、果たして終着点があるか否か。

 優太もまた、自身が何処に帰るべきかを考えた。戦が終われば、あの家に帰る。その事だけは明確である筈なのに、何かが引っ掛かる。不意に、手紙の内容で注意を引いた部分を想起した。

 花衣――という少女の名。暁の復活で有耶無耶となってしまったが、自分の薄れ行く記憶を取り戻す手掛かりとなる。

 優太は未だ遠い峰を見るゼーダに告げた。


「ゼーダ、帰ったら話したい事があります。花衣、という少女についてです」


「………………判った」








アクセスして頂き、誠に有り難うございます。

年越し蕎麦の準備万端、材料揃えたので後は鐘の音を待つばかりです。今年の紅白歌合戦を見るかどうかを悩む暢気な状態ですが、来年も穏やかに過ごせればと思って……祈ります。


次の更新も年内に行う積もりです、前文の部に年越しの小話を載せるかもしれません。

次回も宜しくお願い致します。



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