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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:優太と道行きの麋──上
215/302

闇の奔流に触れた末路

・クリスマス編


設定~優太達が普通の高校生の場合~


――――――――――――――――――――――――――――――――


「はいっ!」

「……何だよ、その手」


 休憩時間に窓際の席から外の降雪を眺めていた優太は、隣の席から唐突に手を差し出す同級生の結に困惑した。掌中には何もなく、明らかに何かを催促する仕草である。

 優太は再び窓へ向いて無視した。


「はあ?クリスマスよ、あたしに献上品出すのが当然でしょ!」

「何処の暴君なんだよ。僕はサンタじゃないし、(トナカイ)だっていないじゃないか」

「形に拘ってどうすんのよ、面倒臭いわね」

「じゃあクリスマスなんて要らないよね?」


 嘆息すると、優太は背嚢(リュック)から風呂敷に包んだ弁当を取り出して結に手渡す。


「は?」

「君がそう言うと思って、作ったんだよ」

「えー……手料理とか、夫になった積もりなら止めときなさいよ」

「待ってて、今からサンタの服装を拵える。君の血を貸してよ、それで服を染色して完成だ」

「随分と猟奇的なサンタね……」


 結は思案げに天井を見上げて黙考すると、急に顔に笑顔を咲かせた。先んじて嫌な予感がした優太は、机上に組んだ腕に面を伏す。

 睡眠中と演技する頑固な優太の耳許に、妖艶に結が囁いた。耳介を撫でた吐息に思わず肩が跳ねる。


「なら、放課後に付き合いなさいよ……」

「嫌だよ、放課後は帰って花衣と祝うんだ」

「あたしと、どっちが大切なの」

「訊いても虚しいだけだ、止めておけ。これ以上、自分を傷付けるなよ」

「断言されるより腹立つわね!?」


 結果的に、優太は放課後に繁華街へと連行された。華美な装飾を施した店の風体に、眩しげに目を細めて優太は隣を歩く結に悪態を付く。彼女は如何せん楽しげで耳にすら入れていない。

 路傍に街路樹が整然と林立する道は、恋人が絶え間無く往来する賑わいであった。騒々しい巷に二人は波に揉まれつつ、目的も持たずに歩く。結の気分を害する事無い程度に装う積もりだったが、優太も次第に雰囲気を楽しみ始めた。


「そこのカップル!写真を撮らないかい?」


 優太達は樹頭に星を据え付けた針葉樹の前にて、写真機を手にして呼ぶ男性を見た。


「僕ら恋人じゃな――」

「面白そうじゃない、行くわよっ!」

「ええっ!?」


 優太は強引に引き摺られ、二人で撮影した。

 その場で写真を受け取り、結は満足げに眺める。優太は受けとるまでの間に購入した襟巻きを手に、結へと渡す。


「え……何よ」

「弁当じゃ不満だったんだろ?」

「ふん、気が利くじゃない」


 嬉々として首に巻いたが、裾が長く余ってしまっていた。クリスマスとあって、恋人と共有すべく通常よりも長い仕様である事に気付き、優太は思わず顔を顰めた。

 自身の失態に苦々しげな顔の優太へ、結は余った襟巻きを巻き付ける。ややきつく絞められた感覚だったが、優太はそれを甘受した。


「ふふっ、(あった)かいわね」

「……そうだね」


 気恥ずかしくなって顔を逸らす。


「何よ、自分で買っといて」

「知らなかったんだよ……ごめん」

「しょうがないわね……まっ、今は使う相手居ないし、あんたの時だけにしといてあげる」

「全然、役得感が無いんだけど……」

「直ぐに気づくわよ」


 そういって結は満面の笑みを浮かべた。

 結局、二人はその後に朝までクリスマスを楽しんだのであった。



 ~帰宅後~


「一緒に祝うって約束したじゃないっ!」

「ごめんなさい……」

「鍋が冷えてしまったぞ……」


 炬燵を囲い、涙目の花衣に説教を受けながら、ゼーダの作る鍋を食した。






 田舎町(リュクリル)では、花衣が同年代の友人と商店街の一劃に集合し、互いの日常に関する話題で談笑していた。天蓋の商店街は、昼を過ぎて旅人の足が過ぎて行き、暫し人影の少ない寂莫とした景色となる。虚しくも、路地に響くのは少女達の笑声ばかりだった。

 町に馴染み始め、翌日から引き取ってくれた家の稼業を手伝う予定の花衣へ、よりこの土地について知って貰おうと、皆は兎に角脳内にある限りの記憶を手繰り寄せて言葉にする。その一つずつに微笑み、新鮮な反応を見せるとあって、誰も飽くこと無く時間の経過を忘れて没頭した。

 不意に会話中の花衣が口を止め、他方向に視線を遣る。皆がその異変を敏く感じ取って、その正体を商店街の路上に探ると、粗朶を背負子いっぱいに積んだ優太が旅人と話していた。

 周囲の様子すら知らず、花衣はその一点を見詰める。皆はほくそ笑みを浮かべ、肘で小突いて彼との思い出を(たね)として盛り上がる。優太が彼女の想い人であるとは周知の事実。少年に関連した話題で揶揄うと、花衣は矢庭に顔を紅潮させて狼狽する。

 旅人に一礼し、鍛冶の家に帰る途中で優太は振り返り、花衣へと手を振って戸を潜る。友人と良好な関係が築けていると見えて、その相貌は安心感と喜びがあった。家の稼業を手伝うあまり、優太自身が周囲から孤立している。

 花衣が自然に溶け込めるよう腐心し、故郷を失い蛻に等しい彼女と周囲の仲介となった。事故犠牲を厭わず、ただ少女の幸福ばかりを祈る姿勢に、誰もが悪人ではなく、優しすぎると心配したのである。


「優太くんって、何か可愛い。多分、人に甘えたいけど上手く出来ない(タイプ)なんだ。手先器用で仕事出来るし、目付きがちょっとあれだけど、よく見れば顔整ってるし……優良物件だね」


「美少年と美少女って、旨すぎる。やっぱり神樹の森って、本当に神秘の宝庫……?」


「あはは……」


 花衣は苦笑する他になかった。

 孤独に村の外れに暮らした優太は、根底では愛に飢えている。誰かに、自分を受け止めてくれる拠所となる事をを求めているが、容易に態度に示すのも難しくに引いてしまう。

 だからこそ、この家で静かに暮らして行く道を諦め、村を壊滅させた黒幕を追跡する旅に出る積もりなのだ。いつ出立するかは判らずとも、密かに準備を進めている。花衣と共に生きる道は、念頭にも無いのだ。

 断罪から(のが)れんとする犯人と、追跡する優太の旅にいつ終わりが来るのか。その果てに、再び此所へ帰って来る保証があるか否か、それも定かではない。そう考えた時、花衣の頭には暗鬱とした感情だけが渦巻く。

 誰かの為に命を擲つのも躊躇せず、敢然と危地に自ら躍り込む。喩え、自身に全く関与していなくとも、運命の力なのか、奇しくも我知らず渦中に取り込まれ、其処に大切なモノを見付けて守るべく奮闘する。春と夏の事件で、優太が如何なる(さが)を持って生まれたかを重々理解させられた。


「花衣は、今の内に告白して保持(キープ)しなくて良いの?」


「わたしは……怖い。優太を縛り付けて、枷になるのが嫌なんだ。きっと、わたしが止めても優太は絶対に行っちゃうから」


 神妙な面持ちで路地を見る。

 再び出てきた優太は、花衣の方へと一直線に駆けて来た。両手に服を持って、目の前に展げて見せる。

 面食らった一同の前で無邪気に笑っていた。花衣さえ愕然としている。


「はい、十五の祝いがまだだったからさ。(ミオ)さんに頼んで、花衣に似合う物作って貰ったよ!勿論、僕が働いたお金でね!」


 自慢気に胸を張る優太に、花衣は頬を桜色に染めて小さく礼を言った。小さい声に、祝いの品が不興を買ったのかと不安になって、優太は少し当惑している。周囲の弁解があって納得したが、未だ顔から陰りが消えない。

 自分を一心に想った少年の行為が、嬉しくて堪らない。花衣は服を抱き締めて、朗らかに破顔した。


「明日から着てみる、ありがとう」


「!良かった、僕は先に帰って夕飯の支度するね。澪さんに教えて貰った事を実践するから、楽しみにしてて」


 慌ただしく家へ戻って行く後ろ姿を見送った全員が和やかな空気に包まれていた。


「和むわ……花衣よりも嬉しそう」


「うん、やっぱり花衣と優太くんは離れちゃ駄目だな」


 花衣は、優太からの贈り物を胸に微笑む。





  ×       ×       ×



 柱を打つ鈍い音に、意識が闇の底から引き揚げられた。

 秋季の曙光の兆しすら覆い匿す深林の中、朝の気配に敏い優太は、寝坊かと感じて後頭部を掻く。以下に昨日の疲労が蓄積していたのか、覚醒した脳で記憶を遡行して解する。寝台から上体を起こして窓から杣道を見下ろす。掘立柱に寄り添って静かに眠る麋が居た。一般的な種とは異なる巨躯は、建物の陰にすら収まっておらず、太い角を柱に預けている。

 裁付袴の腰紐を結び直し、寝台を静かに降りて草履を履いた。日課の体操を始め、体の節々を解していく。鳥の留まる様な緩慢な動作で、身体機能の確認を行う際に伴う疼痛は、回復が完全でない傷。苦痛があると知りながら、それでも続行する。

 体操を終了し、寝台に腰掛けて瞑目する。瞼の裏が作り出す暗黒に心を澄まし、室内に満ちる冷気を深呼吸で取り込む。体の芯に帯びた熱を奪い、適度に体が憩う。

 単衣を着ると前身頃を閉じて、腰帯を巻いて固定する。後刻に訪問する者達を迎える為の姿勢を着衣から整えた。廊下を音もなく渡って、戸口の桶を手にし、張り出しの桟敷を飛び降りる。山の斜面に浚われそうな体幹を安定させ、足裏で地面を摑む。

 杣道を行く間に襷で緩く袂を絞り、井戸に到着すると早速水を汲み上げた。井戸の底で冷えた水面を乱し、桶を上げて足許に置く。手拭いを浸し、体を拭って清める。髪を結い直し、身仕舞いを調えた後は、再度水を汲み直して小屋へ戻った。

 階段を軋ませぬよう注意し、戸口に桶を置いて居間へ向かう。長らく木賃宿や王宮の豪奢な貸部屋、町長の供する寝室などが長い生活の寝食を占めており、神樹の森に居た頃を想起させる生活が馴染む小屋の佇まいを気に入った。まだ訪れて一日程度の期間で、何処よりも安心感を懐かせる。

 居間には予て捌かれた後の物が用意されていた。料理に使える状態で保存されており、しかし優太は厳しき指導を受けていたが故に、ゼーダが起床するまで朝餉を待つ事にした。

 無為に過ごす時間を恐れ、桟敷の方へ出ると桶を中央へと移動して安置した。風が凪いで水面が穏やかになった時を見て、膝を揃えて正座すると瞼を閉じて前に手を翳す。

 水面では収斂する波紋が発生し、桶の形状を保持したまま、水自体が虚空へと浮上する。優太の氣術で液体にかかる圧力を再現し、物体と乖離させた以降も維持した。空の桶の上に水はそこに見えざる手に支えられ、浮遊する無色透明の桶へ空中で注がれたかの如く円柱状で停止している。

 昨晩の戦闘を経て、優太は氣道・建御雷神の威を知り、己も未だ氣の操作術が未熟であると悟った。能力を掌握していない状況が後の窮状を招く発端となる。優太の戦場で得た経験則より導き出した解答は、至極簡潔な理の一つであった。

 神族の須佐命乎が氣術により放たれる斥力に耐えられた。これからはより強大な難敵との邂逅も想定し、より精密且つ繊細に自然の氣を把持する技量と感覚を養う必要がある。建御雷神を十全に操るまで昇華すれば、攻撃手段の選択肢や汎用性が広がり、大概の外敵を滅する能力が高くなるだろう。

 優太の流儀は、身体を正確に制御する事。そして的確に敵の急所を狙い、速やかに仕留める。暗殺の術理で求められる要素に重点を置いていた。昨晩の暴走気味な放電を、迅速且つ精緻な操作で対象に適量を撃てる程度に仕上げる。

 その為に、再び基礎的な修練を要した。愚直で単調であったとしても、成果は己の集中力によって歴然とした差異が顕れる。その修身がある極致に到達すると、己が師と同じく崖や山をも動かすに相当するのだろう。

 液体の状態維持が数分を経過した時、起床したゼーダが修行の様相を見て興味深そうに近寄り、他方向から氣術で圧力を加える。今まで静止していた水が歪み、今にも優太の支配を免れようと蠢く。慌てて力を調整し、樹林を背景にして対岸に座ったゼーダと水を挟んで氣術で競う。

 依然として余裕綽々と構える相手に、優太は玉の汗を額に浮かべて耐える。形状を保持する為の力と、ゼーダの妨害を遮る運動に精神力を費やし、開始時の難易度が急激に上昇して混乱していた。

 頃合いを見て、何度も強弱を変化させるゼーダに終始掻き乱され、優太は遂に脱力すると水が一斉に降りかかった。桟敷に伏せた瞬間、頭から水を被って沈黙する。

「良い修行になるだろう?」ゼーダは笑った。

「い、意地悪ですね……」優太は頭を振って水気を払う。

 確かに新鮮な修行ではあったが、基礎から応用へと激変してしまった。力の緩急に耐え凌ぐ為の精神力は、中々培われていない様である。優太へ一枚の布を掛けて、ゼーダは居間へと戻る。

 それから十数分後、桶の水を汲み直し、再度挑戦する優太の鼻先に朝餉の香りが漂った。緊張感が弛緩した途端、水が桶の中へ飛沫を上げて落ちる。……どうやら、まだまだ未熟なようだ……。


 森の中に光が届くまで太陽が昇った。

 朝から甘美な食事を味わった優太は満悦の相で、窓の外に視線を注いでいる。下の麋にも幾らか採取した山菜を与えたが、食欲が無いのか、或いは気分に召さなかったのだろう、一向に口にする気配を見せず睡眠を続けた。昨晩から勝手気儘に振る舞う麋に呆れ、世話を止めて放置した。何れ、何かしらを訴えるべく自分から動くか、住処へと帰るだろう。

 響花が来たのは、二人が完全に朝食を消化した後であった。骸取り草原を抜け、子供達を伴った彼女に、改めて注文すると慌てて里へ帰って行く。取り残された子は、小屋の中を探索した後にゼーダに興味を示し、彼を取り巻いて騒ぐ。

 性懲り無しに遊び相手を強要するわんぱくな子供達に、ゼーダは背嚢や雑嚢から取り出した道具と、森から得た木材で簡単な人形や遊び道具等を拵えて渡す。最初は彼の思惑通り、それらに夢中であったが、次第に構造を知りたいと好奇心に作製者に再び詰め寄った。観念したゼーダは、数名を同時に相手取って、居間で講習を始める。

 静かだった森に響く人の声が際立つ。時折混じるのは、ゼーダの制止や叱咤。是手が手間の掛からない子であった所為か、まだ落ち着きのない年齢を相手に困惑している様である。しかし、人の扱いが卓越したゼーダだからこそ、全員を未だ飽きさせず、自暴自棄にならずに済んでいた。尋常な者なら、既に白旗を掲げて伏している。

 草原の前に立って待つ優太は、再び帰還した響花から長手甲を受け取った。諸肌脱ぎになって装着する際、慌てて体を背ける彼女を訝りながら、腕を通す。煌人の配慮か、黒染めの長手甲は柔軟な素材で作られていた。

 他にも、五分袖の単衣と土踏まずを保護する布の脚絆。何れも黒で統一され、その真意を問えば煌人の命令である。闇人と矛剴を区別する事を避け、優太も黒装束で過ごせとの意。

 優太は簡単な動作で感触を確かめ、響花に短く礼を述べてから小屋へ戻る。背後で手を振る彼女を一度だけ顧みてから、階段の中程で足を止めた。里に戻れば、従前通りに農作に勤しむのだろう。けれど、昨晩の様子から鑑みるに、里からは快く同族として受け容れられていない。

 響花は立ち止まった様子に首を傾げる。再び段差を降りて、自分の手を引いて小屋へ導こうとする優太の行動にひどく驚いた。ゼーダのみでは子供への待遇が困るだろうし、優太には自分に割り当てられた仕事で手の届かない部分があり、響花にそれらを補って貰う心算だ。

 戸口に立った時、響花が足を止めた。優太の顔を凝視し、その頬へと手を伸ばす。身を引いた彼の様子が殊更疑わしく、怪訝に見上げた。


「優太……?」


「ん、何か?」


「わたしの勘違いなら良いけど……少し疲れてない?そうなら、当主様に連絡するから」


「大丈夫だよ」


 響花を半ば強引に居間へと誘うと、自分は桟敷の下に居る麋の傍に腰を下ろした。自分の疲労を一見で理解するのは、結と“彼女”ぐらいだったというのに……。

 脳裏に映像が浮かび上がった。天蓋のある街路で、此方を見詰める金色の頭髪をした少女。その面貌にだけ邪氣の様に黒く靄が重なって、不鮮明になっていた。何者であり、自分にとってどんな価値があったか、思考する程に解答が遠ざかる恐怖だけが胸中で膨らむ。

 今になって、右腕の長手甲に違和感を覚え始めた。無性にそれが不快感を催し、脱ぎ取って地面に叩き付ける。何事かと首を優太の肩に乗せる麋は、暫くしてから口で拾って目の前に差し出す。

 未だ払拭出来ない負の念を抱えながら、優太は静かに受け取る。今になって、手套を喪失した事を痛手に思うが、やはり悔恨の要因には思い当たる節が無く悶々とした。

 遣る瀬なき鬱憤や煩悶を僅かでも解消すべく、優太は柱に凭れて眠ったり、来訪者の姿が見えるまで麋と戯れる。それでも、胸裏に蟠る懶いが晴れず、無味乾燥とした深林の風致に吹く冷たい風で舞う落葉を徒に目で追った。

 氣術で紫檀の杖を呼び寄せ、手中に収めると腰をやや低くし、柄に右手を添える。眼前を過ぎて踊る葉に向け、抜刀して斬り掛かった。剣閃が宙に残光を残すかの如く、そして軌跡に触れた葉の総てが静かに切断されている。戞々たる納刀の響きと共に、優太は深く息を吐いて残心した。

 また次の風を待って、再び目前に捉えた葉を一つとして逃さずに断ち斬る。麋が危険を察知し、一歩を退くまでに何度も刃先が空を劈き、また両断された物が足許に散乱した。

 その場に正座になって瞑目し、深呼吸を繰り返す。膝の上に横にした杖を両手で握り締めていた。眦より血涙が頬を伝い、顎の先から滴りそうなのを手背で拭う。最近の視覚を苛む激痛は、優太にとって機能不全の凶兆。矛剴を本格的に見極めて、完全な『天眼通』に昇華させざるを得ない。

 その一環としても、後に現る者への指導は重要不可欠であった。自分には他人への訓示は苦手とする傾向があると自覚しており、先の苦難が容易に予想される。

 優太の鬱々とした気分を慮って、麋は隣で大袈裟に溜め息めいた深い呼気を彼の耳許で漏らす。杖で小突かれて、柱まで引き下がった。

 奇妙な悪戯を仕掛ける麋に疑心を懐きながらも、先の展開とまだ見ぬ生徒に想いを馳せる。やはり困難な状況しか思い浮かばなかった。





  ×       ×       ×




 桟敷の下に体を休めていた優太は、背後で土を掘り返している麋の臀部を優しく叩く。振り向いて訝しむが、彼の視線が樹間に固定されていると知った。風の凪いだ転瞬に訪れる不気味な静寂に全神経を研ぎ澄まし、その瞳が何かを追っている。

 麋は桟敷下の奥へと移動し、事の次第を見守るべく適度な位置に座した。前へと漫ろ歩いて行く後ろ姿、警戒して慎重な足取りだった。

 優太の耳に、遠くの梢に留まった鳥が飛び発つ羽音が届いている。その様子が妙に異質であった。事前に感知した何かを回避すべく枝を離れるのではなく、唐突に出現した別の存在に脅かされると知って、急遽飛行せんとする慌ただしさ。

 栗鼠などでは鳥は慴れはしない。更に大きな獣による侵害が無ければ、その場を動く事すら無いだろう。

 樹皮が軋む音、反発した枝が撓り揺れる葉の摩擦音。樹上を俊敏に行動する物体がある、猿ならば鳥も退く、枝を踏む質量は確かにそれと同等だ。ならば侵入者と身構えたのは杞憂か。しかし獣も冬の眠りに備えて静かになる時期、天敵の少ない猿は地面に身を落ち着かせる。

 優太がより前に摺り足で進もうとした瞬間、樹影の翳される林間の中に、僅かに動いた影を見咎めた。その方角から直線軌道を描いて短刀が飛来する。咄嗟に上体を後ろに煽って跳躍し、背転倒立を繰り返して掘立柱に寄った。過去位置に突き立つ凶器は数本、長一尺の刃渡りを同時に投じる技量があると分析する。

 昨晩の双頭と眞菜が罠を解除し、再び戦闘を仕掛けて来たのか。異変があればゼーダが感知する仕組みであるから、彼から報告が無い以上、その可能性は低い。時間帯とこの位置を襲撃する手勢のやり方から敵の正体が判明し、優太は愁嘆の息を吐く。

 一本の短刀を掌中から発した引力で手繰り寄せ、麋の方へと杖を放った。角で器用に受け止め、再び奥へと引き下がるのを見た後に、優太は柱の物陰から飛び出す。時雨の如く降り注ぐ夥しい刃の群に、優太は己に触れる直前で全弾を停止させ、刃先を逆方向へと転換させて撃ち返す。

 次の刃をそれらで弾くが、撃墜し損ねた物たちに対しては、自身に命中するであろう数本を即座に判断して手中の短刀を投擲する。一本を弾けば、軌道を変えられた物が別の刃を打ち、その現象が連鎖的に生じて優太から逸れた。

 敵の連投が止んだ機を狙い、優太は森へと踏み出す寸前で再び立ち止まる。藪から躍り出た影が鼻先へと右手の斧を振るう。本来は硬い針葉樹を伐る為の伐採斧だが、元より形状が薄く鋭利に作られたそれは頑強さよりも切断を重視している。

 優太は上体を屈めて躱し、斧の柄を左で摑む。左足を軸に回り、相手の背に自身の右肩を打つ様に密着した状態で、右肘を敵の後頭部に叩き付けた。斧を放して低く腰を落とし、翻身して今度は踵で横から相手の軸足の膕を打ち抜き、体勢を崩す。

 後ろに傾く相手を避けて、その右脇へと潜り込み、相手の右手首と肘を両手で握って固定した。地面に倒れた瞬間に内肘を手刀で叩きいて曲げると、斧を握る手を振り翳して喉元に突き付ける。

 地面に仰臥した者は、自分の得物が突き付けられた現状に途方に暮れた顔だった。胴の上に片膝を乗せられて動けず、右腕は相手によって搦め取られ、少し押し込むだけで皮膚を扁平な刃が掻き切る。

 武器を手放した両手を挙げ、降参の意を示した相手に優太も上を退いた。葉叢から一人が現れ、両腕を頭の後ろに組みながら呵々と大笑する。


「あとちょっとだったのになぁ~!」


「強すぎるっす!」


 碎けた調子の二人に呆れつつ、優太は小屋へと振り返って驚愕する。麋から杖を奪い、それを回旋させる少年が居た。


「へー、これが闇人の得物ってか。材質は硬いなぁ」


 乱暴に杖を柱へ打ち付ける。

 優太が踏み出そうとした途端、強力な斥力で弾き飛ばされ、背後の幹に体が激突した。少年が発する力は、明らかに自分の数倍はある。如何に氣術で自然に存在する氣の多くを掌握しているか、少年の実力を垣間見た。

 しかし、今の優太にとって、彼の能力云々は然して問題無く、今は一つの感情に衝き動かされている。


「返せよ」


 傍で見ていた二人が恐慌に身を固める。

 深林の空気を氷点下まで急激に凍てつかせる静かな憤懣を湛えて、優太の全身から邪氣が感情を表すかの如く空気中に充溢した。形而上の物として亡き育て親より師承した仕込み杖を、恰も地上に散乱する枯れ枝も同然に扱う少年へ殺気を放つ。

 誰かに預ける事自体が稀有とされるほど、優太は杖を手放す事は無かった。特別な例を除いて、それを愛すべき師の代わりとして常時携帯し、我が身の一部として重宝する。心すら許さない他者によって、粗末に使われる事こそ、優太が世で最も厭い、断固として許されない非行であった。

 桟敷下の影で獰猛に笑うと、少年は杖を強く握り締めた。五指を絡めた部分から、全体の木肌に罅が広がり始める。氣術により手中で圧縮させた力の運動を杖に掛けているのだろう。その際に物質と反発して五指が千切れても可笑しくはないが、しかし杖を確りと握って放さず、亀裂は柄頭にまで深く刻まれる。

 優太の前で杖が刀身を残して破砕。少年は剣本体が破損しなかった事に驚いたが、それが『加護』の力なのだと察するに時間を要さなかった。

 そして、また――優太の痛憤が最高潮に達するまでにも、刹那の時すら無い。満身に邪氣を纏わせ、“黒貌”へと一瞬で変容した。地面を蹴って、十丈もある間隙を音もなく潰し、少年の刀身を握る腕を摑んだ。

 呆気に取られる彼を逃さんと握力をより強くし、至近距離から急所を速く、鋭く、強かに連続で打擲する。無慈悲に、非情に、容赦無く相手が人間である事すらも忘却した優太は、憤然と内側で思考を焼き焦がし、ただ全身を殺人機械へ変えて行く怒りに身を委ねた。

 骨を抜け、内臓を間断無く圧迫される苦痛に襲われ、悲鳴も上げられず呼吸困難に陥り、吐血混じりに苦し気な息が肺の奥から漏れる。感覚器官が機能を失って行く最中で、脳を蹂躙する烈しい痛みだけが意識を繋ぎ止めた。悲しくも、それがより己を地獄へと引き留める枷となっている。

 尤も、その裏では優太の力が働いていた。氣術で体内氣流を操作し、意識の復調を速くする。即ち、優太は失神を許さず、その苦痛を延々と与える作業を継続させた。致死寸前で止めると、今度は髪を摑んだまま移動し、樹木の幹へ顔面部を的確に叩き付ける。

 血糊が樹皮を汚し、それでも優太は手を止めなかった。鈍い音が断続的に鳴り、その内に肉の潰れる音が続く。既に刀身をその手から奪い取って、逃れられぬように足に突き立てていた。

 音を聞き咎めたゼーダが戸口から飛び出し、下の景色を見ると慌てて飛び降りる。背後から優太を羽交い締めにしようと踏み出したが、その背から放たれた斥力に桟敷下まで転がった。

 我を失い、ただ少年を破壊する。今の優太は誰の目からも、恐怖の対象にしかなり得なかった。


「優太……どうしたの……?」


 少年の顔面を幹に押し当て、真紅の双眸で背後を顧みる。段差を駆け下りて、恐る恐る優太に歩み寄って来る響花が居た。動揺と困惑の色に染まった相貌で、声音は震えて小さく吐き出された物である。子供達も張り出しの桟敷から身を乗り出して静観していた。

 再び前に向き直り、少年の後頭部から手を放す。頽れて幹に縋り付く少年の後頭部へ、持ち上げた草履の足の裏で首筋を狙う。その動作に次の暴力を察知した響花は、駆け寄って横から抱き付いて地面に倒れ込む。

 起き上がる優太に、首筋に腕を回して必死に抑え込む。彼が握る刀身が脚に食い込んで痛むが、それでも頑固に力を緩めない。

 ゼーダが地面を蹴り、優太の左手に襤褸布を握らせた。昨晩の戦闘で磨耗した、花衣より贈られた手套の残骸である。


 “――優太、起きなさい。自分をよく見詰め直して。”


 優太の脳内に谺する声――響が呼び掛ける。

 全身から怒りの熱が消え、邪氣が黒印へと吸収される。琥珀色の瞳に光が宿り、密着する響花とゼーダが握らせた布切れに現実に戻った意識で周囲を検める。


「え、あ……僕は……?」


 優太の掠れた声に一同が安堵し、脱力する。

 ゼーダは自我を取り戻した様子に、愁眉を開かず険相のままだった。彼の怒りは異常の一語に尽きる。感情を抑制する闇人の性質は、一旦精神が一つの情念に偏ると制することも不可能に暴走するのだ。

 しかし、ゼーダの記憶から重なるのは、過去に薫に傷害の意図を持った人間を執拗に苦しめる拓真とも酷似していた。果たして親の遺伝か、闇人の性質か、或いはその両者が複合した故の事か。どちらにせよ、凄惨な顛末にゼーダは重傷の少年を見て戦慄する。

 負傷した彼を抱き上げ、小屋の内へと戻る。

 取り残された優太は、左手の布切れを握り締めて呆然としていたが、面前で安心して微笑む響花へ視線を移した。自分を止めるべく身を挺した事に謝意を伝えるが、その前に苦痛で彼女の顔が歪む。

 膝上を切った刀身に血が付着していた。


「あっ、ごめん……僕は……」


「う、ううん……大丈夫だから」


 蹌踉と立ち上がる響花を両腕で抱え、桟敷まで跳躍して降り立つ。子供の近くに下ろし、直ぐに傷の手当てを始めた。止血処理を行う優太の手はずっと震えている。誰かを傷付けた悲嘆と、己への深甚なる恐懼が全身を支配して、指先は響花に直接触れるのも拒んで何度も取り乱した。

 響花は目を伏せながら、優太の手を自分のそれで包む。咄嗟に引き戻そうとする彼を摑んで放さなかった。


「大丈夫だから……ね?」


「……済まない」


 手套だった布切れを手放し、響花の手に縋って、それを額に押し当てて嗚咽を漏らす。子供達が慰めに肩を寄せて来る中、下では麋が柱に角を打つ音がする。

 優太はそれから意識を失った。





アクセスして頂き、有難うございます。

鏡花→響花に変更しました、五章の話をこれから修正していきます。


クリスマスですね、一年って本当に早い。現を抜かしている時こそ、事故などに遭い易いので、充分に注意して楽しんで下さい。

メリークリスマス!


次回も宜しくお願い致します。




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