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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
五章:優太と道行きの麋──上
212/302

還るべき場所は其処に



 現当主――矛剴煌人の説明を受けて後刻、屋敷を出て寝床への誘導。里の滞在期間中に身を寄せる住居の手配は既に済んでおり、忌諱の対象たる闇人に対する待遇における煌人の差配に、何者も不満を述べる事は無かった。

 その理由としては、先ず第一に宛がわれた場所が里外れの林間に位置するという点が大きい。無論、その場所は今回の訪問に用意した建物とは違う、元来そこに在り由緒ある家屋が優太達を待っている。


 石窟を内に秘する北の崖を登り、優太とゼーダは案内役の康生の後ろに従いて行く。ふと崖の上に足を止めてみれば、既視感が甦って優太は思わず呼吸を忘れる。

 此所だ、暁が幼少期に村を見下ろしながら道具作りを嗜み、響と邂逅した場所である。優太が夢の中より見た頃と比較すれば、やや草木が盛んに茂っているが、見渡す全景に差違は無かった。

 奇妙な安堵を懐き、後方から微かに殺気を漂わせた康生の眼差しに改めて前を向く。煌人より害為す行いを禁ずるとの厳命を受けているとは雖も、未だ背中を見せる安心感とは程遠き剣呑な関係に進展は無く、康生は緊張感を解こうと苦笑する少年の態度が殊更に苛立たしく顔を歪める。

 屋敷で唐突に行われた試合、忠誠を捧げた主の御前で軽々といなされた醜態。この汚名を挽回、雪辱を晴らす為の機を探って康生は、怨恨を惜しみ無く乗せた眼差しを向け、今にも噛み付かんという気迫。

 幸先の良し悪しは兎も角、優太の身辺に届く凶刃を退ける為に同伴したゼーダは、常に康生と優太の間に立って牽制する。かつて『巳』の実力者、半身を失ったとはいえ容易に斃せはしないと弁えてか、康生からの攻撃反応は無い。

 その足はより奥地へ――先に拡がる翡翠の海の如く、異常に繁茂した下草によって敷かれた境界線の前に立ち止まる。唖然とする優太の前で、康生だけが踵を返して里に戻る。どうやら、案内は再び此所では無用と心得る。

 稠密に頭頂を風に揺らして波打つ草原も同然の道無き森に阻まれ、視線を右往左往させる。ゼーダに打開策を求めるが、何故かこの時ばかりは彼も黙って樹間の先を見詰めていた。

 優太は助言も期待出来ぬと諦観し、膝上まで延びる雑草に踏み出した。乱暴に足を押し進めれば、重なり合った草が絡んで後に躓く。足を一々振り上げて進むとなれば、体力のある優太とて苦しくなるのは自明の理。

 如何にして、この叢を行軍するかと思い巡らし、踏み出した一歩がその憂慮を晴らす。

 目前の草が風の凪いだ瞬間に不自然に蠢き、割れて一条の杣道を晒す。優太を誘導するかの如く、進む毎に等間隔で草の中に道の終端が延長される。学術都市言義で目にした跳ね橋や、大扉の機械仕掛けとは大いに対照的な運動、森に宿る超常の力の効果であった。

 ゼーダは、此所に人智を越えた力の気配を現地で悟っていたのではなく、先代闇人不在の際に矛剴がこの辺り一帯を調査した時に解明されたのである。然るべき位置、明確な動機を持つ者が叢の特定の位置に立つ事で道が拓ける。

 優太は足下の草を観察した。鶸色に近い葉肉は、接触を意図して近付けば、人の皮膚を避けて不自然に傾いだ。やや異色ではある上に、人体を避ける不思議な習性が疑問だが、神樹の森北部に群生する毒草の一種である。

 火に強い耐性があり、逆に熾火に利すると毒素を含む煙を立てる。北部の寒冷地を好み、また季節問わず地中や地表の死骸を苗床として育つ場合もあった。これは“骸取り草”と呼ばれている。

 師が食する際に、有害と無害の明確な認識を優太に学習させるべく、森の北部で毒草の観察を修練の一環で行った。その成果あって、優太は旅路で街より遠い密林でも食料調達で毒物を手にする事は無く、仲間を危機に晒す事も無かった。「食べれるなら何でも良い」という結が、未だ食中りしないのも優太の回避策あってである。

 しかし、何故この骸取り草がこんな密度で群生しているのかは判らなかった。その原因も、後に知る事となる。

 不可視の案内人に掻き分けられた骸取り草、優太達が過ぎた部分は自然と閉じて道を匿す。一目触れるのも憚られる神聖な土地を守る為なのだろう。焼き払うのも難しい毒草の防壁は、成る程どんな侵入をも拒む鉄壁に相当する。

 康生からの解放もあり、優太の軽い足取りで進むこと数分。前方にて草原の果てを目にする距離に来ると、道は開放の速度を変え、終着点まで素早く延びる。

 ゼーダが先に草原を抜け、道脇に立って待つ。

 歩調を緩め、遂に目的地に到着した優太が顔を上げれば、其所に一軒の家屋が静かに佇んでいた。

 本能を衝き動かす様な衝撃が全身に走り、ゼーダの説明も無く、優太は了解する。


 此所に、還って来たのだと――。




  ×       ×       ×



 骸取り草による防備に秘匿され、泰然と異人二人を迎える一軒の家屋。赭馗深林の中でも、更に奥深くに存在する静寂の林間に建つ。

 複数の掘立柱に支えられ、やや急な傾斜の上にあった。小さく併設された階段を傍に、一丈ほど上に張り出しの桟敷。建材となる木は、丁寧に防腐を施されており、褪せた木目などから年季があると判る。

 この地を訪れた経験は無い筈ではあったが、優太は心底から懐旧の念を覚えた。長い月日を隔て、実家に帰還したような感覚――何処か神樹の森の自宅を彷彿とさせた。優太は言葉を忘れて凝視する。

 誰何の声に我に返って、桟敷の横に設置された階段を上がる。続いたゼーダが段差を踏み締めるが、足下に軋む音を立てたのは彼だけだった。先行する優太は、何気ない足取りで物音を立てずに上がって行く。

 桟敷の上は風に浚われているとはいえ、埃や砂が堆積しており、足跡が確りと刻まれる。家屋本体には、扉が無く屋内の薄闇が二人を迎えた。長く奥へ続く廊下の途上で、幾つかの部屋がある。

 意を決して踏み入る優太は、一つずつ部屋を確認する。寝床や文机、書架を一つと子作りな簡素な箪笥を備えた狭い部屋が二つ、囲炉裏と竈を設えた居間。廊下の隅に立て掛けた槍、棍棒、剣、鎚……多種多様な武具が列座している。

 小屋ではあるが、些か広い屋内を眺め回していた優太は、奥の一室に辿り着いた。鎧戸や薦も無い窓の下に、文字を刻んだ石碑が一つある。少し風化しているが判読可能な範囲であった。

 表面を薄く張る埃を表面を手で払い、内容を検める。


 “――矛もて敵を()る者より選ばれし我ら。主に仕える事を最上の名誉とする無謬の剣とならん。我らの本願は正しき治世、正しき統制を成す者への忠誠。その為ならば死の谷を歩む生も正道となる。

 主に振りかかる(わざわい)のことごとくを闇に葬るは闇人(やみびと)の使命なり。

 意思は無く、声は無く、音は無く。主は我が為す事を功とせず、それを然るべき義務と弁える。母の座す黄泉の國へ還る日まで、このつとめを全うせよ。”


 優太は文字を撫でる指先を止めた。

 文面を見て、触れて、解する。どんな言葉よりも、自分の奥底へ浸透する言葉は、何度も脳内で反芻される。深い闇に誘われ、沈思を始める前に、肩を引かれて呼び覚まされた。

 優太が慌てて石碑から離れた様子に、ゼーダは安堵の吐息を漏らす。肩から手を離し、一室を軽く眺め回した。住居人の長期間不在の証拠に、厚く埃を被っている。この部屋を提供した煌人の真意は理解したが、前以て掃除をしていない辺りが意地悪だと不平を内心で呟く。

 此所は何者の住む場所で、何者を育む環境なのか、優太は石碑と奇妙な安心感にその正体を摑んでいた。師が生まれ育ち、そして彼が神と離反しなければ、自分も此所で生活していた故郷――即ち、闇人の家だった。

 二年前に冒険者ガフマンが潜入した情報に依れば、神代の追放時以来から闇人が後継者を育成する拠点。此所に始まり、此所に還る。この時、優太は背後で風に揺らぐ骸取り草の騒めきを聞いて背筋が凍った。

 死体を苗床に成長する……その生態から推測すれば、自ずと解答が得られる。

 あの草原は、歴代の闇人の骸から成長した物なのだ。死してなお、この地を護るべく先代が、巣を発つ次代の帰郷まで、次なる後継者を迎えるまで外敵を排する為に。悠々と自分が踏みしめてきた道の下に先祖が眠る、そう考えて優太は石碑の前で固まった。

 こんな異常な教育が、二千年以上にも亘って行われ、旧態依然とした体制を絶対に伝承すべく己の骸を擲って、この地に縛り守る。きっと、暁は己が師をも、事情を知悉した上であそこに弔ったのだろう。

 自宅の傍に建てた師の墓を想起して、優太は自分自身の行いに安心を得た。闇人の慣習と異なる道で、愛情を以て師を葬った事が誇らしくなる。この環境を異質だと感じる部分がある分、如何に闇人を否定する師の薫陶を正しく受けたかを証明していた。

 機械とは違う、闇人は人間なんだ。貴方達とは決定的に違う……。

「優太、先ずは掃除としよう」ゼーダは襷で袂を絞り、準備に取り掛かる。

 室内の様相は、確かにこのまま利用するには不快感を残すほどであった。鼻先を擽る埃が煩わしくて堪らない。優太も先ずは掃き出す為に箒を探す。居間の片隅に二本が丁度あり、自分とゼーダに一本ずつ分配した。


「それにしても、僕らを迎える予定があったのなら、先にやっていてくれても良かったのに」


「安易に触れてはならない、煌人様にも畏れる所があったのだろう」


 清掃作業を開始する二人は、その後一言も交わさずに室内の埃を掃き出す。盛大に舞う埃に嚔をするゼーダを時折笑った。矛剴の里に来て、最も安穏とした時間である。康生の敵意を受けていた先刻と比すれば、大きな解放感に満ちていた。

 優太は室内の片付けを完了すると、手套を外し、引き続き廊下に安置された武具の手入れを始めた。如何に住人が不在を長くしていたか、刃の曇り具合を観れば容易に想像が付く。砥を入れる音が静かな通路に断続的に届く。

 箪笥の整理、鼻腔を擽って嚔を催す埃との格闘を終えて疲労したゼーダは、張り出しの桟敷に一人座して武具を研ぐ優太の姿を後ろで見る。この小屋の景色に、異様に馴染む姿。それが危険に思えて止まず、ゼーダは頭を振って否定した。

 手拭いで武器を拭き取り、入り口の横の戸棚に置かれた桶を手にして桟敷を飛び降りた。山の斜面へ軽快に着地を成功させ、慣れた足取りで坂を登って行く。何処に向かうのかとゼーダが箒を放り出して追えば、少し小屋より離れた場所の井戸に優太が立つ。

 ゼーダは唖然とした。優太は此所に来た事も無ければ、樹林で遮蔽されて一見では見えない筈の井戸に、あたかも元より住み使用していたかの如く、全く違和感を懐かずに水を汲んでいる。何かが拙い、明らかに危険だ――本能的にゼーダは恐れた。

 優太は二つの桶を、やはり音も立てずに階段を駆け上がってみれば、一つは桟敷に安置して、もう一つは柄杓で水を掬って手拭いを湿らせ、武器の刃を丁寧に拭く。

 ゼーダは進み出て、優太の手を摑んだ。


「優太、それは私がしよう。お前は自分の寝台を調えておきなさい」


「その前に食料調達をします。矛剴の里に供されるよりは、安全かと思いますから」


 優太は弓矢を背負い、研いだばかりの山刀を手にして再び斜面に飛び降り、林間を颯爽と走り抜ける。些か平時よりも機嫌が良いと感じるのは、恐らく神樹の森での生活環境に似ており、懐かしみと興奮に喜悦しているのだろう。

 不意に桟敷に取り残された花衣製の手套を見咎め、ゼーダは拾い上げて懐中に仕舞う。持ち主が帰るまで、風吹く場所へ不用意に放置しているのは紛失する恐れがある。

 それにしても、不可解なのは何故此所に置いて行くのか。優太にとって、最も思い入れある品である筈なのに、それこそ武器を拭った後に粉が付着して黒ずんだ手拭いの隣に放り出した。

 胸中に不安が募り、自然と優太の走り去った方角を見詰める。然程の時間も経たず、鹿の一頭を仕留めて帰還するだろう。運搬にやや難儀する様な筋力でも無いし、食用に必要な部位のみを取り除いて手間を省く。神樹の森でゼーダがビューダと共に、一時期だが優太に訓練を施した時の知識を活かして。

 あの頃とは変わらない、優太の基盤となるモノは、決して揺らぎはしない。

 ゼーダは懐中にある手套を握り締める。先程まで装着していたのに、それは冷たくなっていた。



  ×       ×       ×



 夕餉の支度を済ませ、鹿肉を煮込んだ鍋に箸を伸ばす。調理は獣相手に知悉したゼーダが専ら担当し、手伝いに身を乗り出したが優太は何故か厳しく指摘されたり最適な手法を叩き込まれたりと、彼による実践講義が行われて困惑する。

 優太の技量は、師には遠く及ばない。彼の手元は、料理でさえ何をしているのか、分析するのも至難とする速度で捌かれて行く。疑問を呈し、応答する彼の言葉は単純で、懇切丁寧に教えられて漸く解するだが、いざ眼前で披露されるのはそれら過程を高速且つ正確に遂行する師の手練の精密さで幻惑される。

 故に、基礎は師とはいえど、調理については殆ど優太独自の力である。しかし、ゼーダから厳しく咎められた点は、果たして己の作業が杜撰だからか、それとも単にゼーダが完璧主義なのか。綿密さで事を為し遂せる彼と比較すれば、手作業では周囲から丁寧だと称される優太もまだ到らぬ部分が多々見受けられるのだろう。

 やや憔悴した様子で食事を摂る優太は、しかし自分が仕留めた獲物の味に満足して、椀の底に残る澱すらも箸で掻き寄せて堪能する。神樹の森を出立する頃より、明らかに食欲は増していた。

 次の御代わりに夢中となっている少年に、ゼーダは懐から手套を投げ渡した。受け取った優太は、暫くそれを眺めて当惑する。


「僕は、そんなに寒くありませんよ……?」


「……いつも大事に付けていただろう」


「……あっ……そ、そうだよね。何を言ってるんだろう」


 優太は手套を右腕に填め、食事を再開した。

 花衣が丹精込めて作った品、身に付けるとやはり安心感が湧く。自分の言動の奇妙な点は、食事に専念していたため反応が遅れただけの事。……本当にそうだろうか?

 新たに鍋の中身を椀に移す優太は、口内に拡がる味に集中し、何度も咀嚼する。ゼーダの愁眉が開かれる事は無く、終始その様子を怪訝に見詰めていた。

 茜色の空の彼方から夜の兆す夕刻、優太は戸口の方へ振り向いた。鍋は底を見せ始め、二人の箸の勢いも徐々に手元に拘って、満腹感が重く体を苛む。東国首都を発ち、漸く得た柔らかい寝床のある部屋で警戒が薄れていた最中でも、優太の耳は林間に紛れる物の発する音を聞き咎めていた。

 骸取り草を進む跫が近付く。だがゼーダにはまだ可聴のし得ない知覚範囲の外である。徐に立ち上がって、優太は廊下の短刀を片手に戸口に向かう。

 ゼーダは鍋に蓋をして、囲炉裏の火を氣術で早急に掻き消す。室内は日が傾いたのもあって、途端に深い闇が廊下を包む。視覚の暗順応を待つ猶予もあるかは判らない、自身も棍棒を手に部屋の物陰に身を寄せる。

 優太は桟敷から飛び降り、その縁を摑んで下に入り、掘立柱に潜んで来訪者を待ち構えた。氣術で跫を忍ばせる工夫も無いまま、堂々と林間を抜けて小屋に迫る影を見付ける。

 骸取り草を通過し、柱の傍まで来た人影は一人の少女だった。優太に気づく素振りすら無く、やや感嘆に間の抜けた声を小さく漏らして振り仰ぐ。両手で畳まれた衣類を抱え、階段へと小さく歩み寄っている。

 優太は物陰から躍り出て、少女の背後に立った。


「どうかしました?」


「えっ、え、あの、わっ!」


 突然、背後から声を聞いて飛び上がり、衣類を抱いて振り向く。至近距離に短刀を携えた少年の姿に心底から戦いて、顔を蒼白にして後退る。

 優太は短刀を前腕に沿うように持って隠し、階段へと催促した。その全身を斜視したが、得物と思われる物は無い。衣類の隙間に暗器を隠した様子も見られず、拳足を主とする戦法の持ち主ならば、屋内に招いても狭い空間で取り抑えるのは容易い。

 害にはならないと判断し、優太は段差で転ばぬよう後ろに立って支えた。室内に待機するゼーダの警戒を解く為にも彼女より先に戸口に立った。


「ゼーダ、大丈夫です。今からそっちに案内するから、火を熾して」


 優太の声を聞いて直ぐ、居間に明かりが点る。

 呪術と魔法に心得のあるゼーダの技量を事前に知る優太としては、然して驚くべき事実では無いが、少女は吃驚して暫く固まっていた。優太の後ろに恐る恐る従い、居間へと足を踏み入れる。


 既に日は落ちて、清澄な夜空に微弱ながら一つずつ星が瞬く。光無く樹林の輪郭は奪われ、小屋を包囲するかの如く、影が繋がって巨壁を築く。樹間を埋め尽くす骸取り草さえも闇に同化し、小屋から溢れる光の外は完全に像を失った無窮の暗黒が広がっている。

 囲炉裏を囲う影が一つ増えた。

 火の光に揺れ動くのは、優太よりも小柄である。既に食事を終えたばかりのゼーダは、首都に居る仲間への報告に手紙を綴り、文机に向き直っていた。無論、矛剴が情報漏洩を畏れて連絡を禁ずる可能性があるため、里より赴いた少女とは別室で密かに行う。

 その間、優太は椀に水を注ぎ、訪問者の前の床へと安置した。礼を言って飲む彼女の様子を観察し、足許には先程の短刀を隠している。弛緩していた緊張の糸が再び張り詰めて、優太の双眸にも警戒の光が灯った。

 事の経緯を訊ねると、煌人の命令である。

 旅路で汚れたであろう優太達を慮り、着替えを供して少女に運ばせた。闇人の下へ遣わすとあって、戦闘力も無く口の堅い者として選出されたのが彼女であったが、優太達の凶刃を片手にした歓迎に怯えている。


「僕は……闇人の優太。君の名前は?」


「ぶ、分家殻咲の響花(きょうか)と申します……」


 殻咲という家名を聞き、優太は思わず手を止める。矛剴分家の一柱であり、カリーナの祖母にして師の仕えた響が出身とする。

 声にさえ肩を震わせる――矛剴殻咲の響花を名告る少女の返答は、まだ色濃く怯懦の色を窺わせる。囲炉裏の火勢を調整する優太の一挙を注視していた。

 煌人の髪に似た艶を帯びる黒髪は、肩口までの短髪。右耳の後ろで一房を朱の紐で軽く結い、里で農作に従事していた際に付着した泥が白く透き通った肌に目立つ。

 柳眉の下に柔和な先を描く灰色の双眸、鼻と口は子作りな面貌は、さながら命を得た精緻な人形であった。灰色の双眸は不安に揺れて忙しなく床に視線を這わせ、終始落ち着きが見られない。体は細く引き締まっていたが、結を想起させる豊かな部分に目が留まって、優太は慌てて視線を逸らす。

 茶の単衣の下に、裾を捲り上げた股引を穿き、磨耗して切れ掛かった鼻緒を足の指で摘まんでいた。晒された素足が熾火に照らされて赤くなっている。

 彼女の出で立ちを検めた優太は、新たに用意された黒の袷と裁付袴を着衣した。脚絆は暫く長旅の用意が無いため、背嚢へと仕舞い、襟を正して響花に向き直る。


「此所まで大変だったみたいだし、ゆっくりしていって」


「いえ、あの、私は……大丈夫です。一応、氣術の心得もありますし」


「……そっか。君、歳は?」


「一七になりました」


「僕と同年なら、敬語は要らないよ。それと矛剴を害する積もりは毛頭無い……といっても、あれだと仕方無いか」


 初対面で凶器を見せた自身の待遇を後悔する優太に、響花は初めて笑顔を見せる。漸く微笑んだ相貌に、優太も笑みを返す。康生の時とは違い、空気を和ませる笑顔が貴く感じられた。

 書を書き終えたゼーダが居間に戻り、優太の隣に座を占める。少女との距離を配慮し測った故の位置であった。対人に於ける相手の警戒などを助長せぬ判断、人心を制御すべく詐術などに長けた手練手管が皮肉にも役立っている。

 一族最大の裏切者二名を前にし、困惑する理由は頷けた。言わずもがな、いつ首を刎ねられるかと身構えるのも自然の反応である。

 響花が暇乞いを告げて立ち去る寸前で、ゼーダは一瞥し、優太を伴うよう促す。里へ送り届ける過程で、夜の様子を観察する好機だという含意を悟り、優太も床から腰を上げて後を追う。

 二人の後ろ姿を見送ったゼーダは、この時もまた胸の奥に支える違和感に眉を顰める。屋敷で告げた煌人の言葉は、どんな底意があるのか、依然としてその解答が見えずにいた。

 人材育成とは、優太の戦闘技術を初陣前の矛剴に教授する事。敵か味方か判じ難い時期に、その戦力を鍛練する行為には躊躇いがある。優太自身も未だ己の答えが見出だせぬため、不用意に返答出来ず三日の期間を設けられた。


「何か……嫌な予感が絶えんな。こんな時、貴女ならどうしましたか……薫様」


 歴代の闇人が生活を送ったとされる住居。利用期間は精々、出立前の十二年間、後継者育成の十数年程度である。しかし、出生から長く此所を離れた優太にも、何らかの影響が現れているのかもしれない。

 ゼーダは独り、沈思に耽った。





アクセスして頂き、誠に有り難うございます。

闇人の家でもう少し、ゼーダと談笑する描写を増やそうかと考えましたが、何故かこうなってしまって……。

思い通りにならない事って、結構ありますよね。清々しい思いで年を越せたら、と考えながら私は執筆しています。……はい、落ちはありません、済みません。


次回も宜しくお願い致します。




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