仁那の挑戦~初体験の冒険者業~
カリーナの書斎に再び呼び出された仁那。
今は千極帝護衛の責務に充てられ、暫し不在となる夜影の代理となる長作務衣の従者――茶菓子を伴って、書見台に一覧性を重視して丁寧に並べられた書類を見る。しかし、彼女の代わりにと茶菓子が率先して書類を取るため、やむを得ず用件を訊ねた。
大陸同盟の締結より、様々な事後処理と連合軍の編成、軍事費等の管理や予算案……軍備に関して誰よりも優れた見識を持つ赤髭の力を借りつつも、やはり度重なる重責に普通の人間ならば、倦怠感に休息を求めるが、本人は疲労の色すら伺わせ無い涼しい面持ちである。しかし、雑用にまで手を回す余裕は流石に無く、こうして仁那は度々彼女の手足となって労働する。
尤も、仁那の余暇を利するという時点で、英雄に憩いの間すら与えない理由は、それほどに重要であるのか、或いは仁那の憩う姿がただ目障りなだけか。
カリーナから語られる内容は、仁那にも極めて怪訝に思われるものだった。
「町内で魔物が?」
「二週間前からだ。主に商店街の方で頻繁に出没が確認され、人民が傷害を受ける件も事件数に含められる」
書類の内容を検めた茶菓子は、仁那の隣に戻る。必要な情報は脳内に記憶し、主に注進を入れる用意は万全であった。懐中から菓子を取り出し、後ろ手に組まれた仁那の手に握らせる。
真面目な話であるから、今渡されても困ると言いつつ、仁那は礼を言って口内に放る。会話中の食事に冷たい眼差しを送りながら、カリーナはその後を続けた。
被害件数が多く、止まらない事から実情を調査した所、地下を出入りすると発覚した。それより先は不用意に部隊を出しても、何が潜んでいるかも判らない上に、先の戦役にどれ程の費用を負担するかも未定である今、火乃聿に居る冒険者に仕事を斡旋する出費も惜しい。
手頃で簡単な――つまり、身近な場所から知人を当たれば安易に済むと考えられる。カリーナの人脈には、強力な戦士ばかりであり、誰を頼っても戦力として申し分ないのである。何よりも、町の為に慈善事業を行えば、その分国民からの支持も得られるのだ。
カリーナが依頼した人物――冒険者を本業とする結やガフマンは立場上忙しい、鈴音は魔王との作業に忙殺されていた。実践経験のある者の中でも心強い面子は、多事に当たって此方に構う隙すら見つからないのである。
他にも花衣の近衛を頼った所、上連と掟流、セリシアと觝がこれに応じた。斥候の二人組、気配感知と回復等の後援に長けた精霊魔法、魔物を操る技術を得手とする呪術師の編成。地下道が広いため、これともう一隊が必要となった。
そこで、仁那と茶菓子、旅人の明宏とヨキである。接近戦を得意とする自分と明宏、緊急時の離脱と後援の空間魔法、赤髭の部隊として強力な一兵である長作務衣の能力の高さに頼っての人選だった。
「わっせ、魔物との戦闘は未経験に等しいよ」
「その力、少なくとも人間以外にこそ揮うべきだろう。お前が制御で可能な限り、威力を抑制しているのは相手が人間であるからだ。
まぁ、今回の仕事場は……制御無しだと、都市全体に甚大な被害を及ぼす危険があるが」
「え、そうなの?」
「兎に角行け、お前の為すべき事を」
× × ×
明宏の獣人族としての感覚器官の鋭敏さを用いて、広範囲への索敵を展開し暗渠の中を歩く。戦闘に立つ彼の後ろに仁那、左右に茶菓子とヨキを構えた陣形である。今の所、ヨキが予防線として自身を中心に約半径三丈程の感知領域も同時進行で発動しているから、氣術師でも無い限りは問題ないだろう。彼等が付近に潜伏していたとしても、此所は水場である故に足音を立てずに動くのはさしもの氣術でも困難だ。
しかし、假八達の話に依れば、暁は中空を移動していたという。この二年間、各地の遺跡の最奥や、ロブディ図書館迷宮の深層にある書庫に秘蔵された書物を「白き魔女」が、そして点在する神族に纏わる社の跡地などを優太が調査した結果、『六神通』と呼ばれる力だという。
その中でも『四片』の輸慶が持つ『神足通』と呼ばれ、機に応じて山海を飛行する能力。仁那は朱雀門の力を解放しない限り、まともに扱う事も難しい。
兎も角、そういった超常の力を用いる敵がいたとしても、大方の敵を先んじて知覚する二人の警戒があれば、正確な判断も下せる。
「何か居るな」
ヨキも肯いて、前方の闇を見据える。
仁那は拳鍔刀を手に取って身構えた。水を蹴って進む音が近付くのを、確かに茶菓子も聞き咎める。しかし、問題なのは音の律動であった。二足ではなく、四足の動物が水を蹴るように短い間隔。
その変化を敏く捉えた明宏は、闇の中に蠢く存在の輪郭を脳内に思い描く。二つの赤い光――音の正体と思しき生物の両目が開かれる。
松明に火を点けて翳せば、目前に出現した姿が詳らかになる。
騎兵の馬にも等しい体躯に、二尺を上回る厚く鈍い灰色の毛皮である。鋭角の鼻先はひくひくと動き、鞭のごとく長く細い尾は水に力無く浮いていた。全体的に大きいが、足は不相応に細く華奢で、確かに水を蹴る音の異様さが納得できる。
「あ、あれ……鼠?」
「火鼠――火乃聿北部の荒野に生息する魔物の一種、厳冬に自ら発火し、仲間と暖をとる習性があります。その火を見つけた旅人などを誘い、捕食する目的でも用いられ、火に触れると肉が腐敗します」
茶菓子の滔々と語られる生態の説明に、仁那は訝って振り返る。彼は主の疑問を解消出来たと、判り難いが自慢げな表情だった。
「あれ、詳しいね?」
「カリーナ・カルデラの提供した書類に記してあった物です。今回の駆逐作戦に於いて、予備知識として纏められた物でしょう」
カリーナが書見台に並べたのは、この付近の魔物について纏めた物だったのだ。
火鼠という魔物に関して事前に理解を得ていれば、対処も安全に済ませられる。ヨキの矢で仕留めれば、人の肉を腐らせる火に当てられる危険も避けて仕留める事が可能。
しかし、ヨキが矢を矧いだ瞬間、火鼠は小さく鳴いて奥の方へと逃げ帰る。明宏がその後を追走し、仁那達も後続した。不用意に追跡すれば、返り討ちに遭うのが冒険の常だが、相手は一体である上に此方は感知が出来ている。
火鼠を追って向かった先で、暗渠内に立つ観音開きの扉があった。表面に雲海に頭を擡げた巍巍たる霊峰を表現する意匠を施した物で、泥水などを受けて些か汚れていたが、風化もしていない。火鼠が通ったと思われ、隙間が出来ていた。
全員が意を決して間隙に滑り込んで入ると、支柱が路肩に林立する遺跡が広がっていた。床は地下水で満たされているが、中は等間隔で魔石灯籠が機能し、内装を明らかにする。
「何だろう、此所は……」
「成る程な、魔物の出現した理由はこれか」
「どういう事?」
「これは迷宮だ、考古学の発展を促すもの」
仁那は西国へ行った経験は無いが、知識としては聞き及んでいた。冒険者が挑戦し、何階層もある内には神秘が匿われている。ガフマン等はそれを幾つも踏破する事で腕をあげたとされていた。
首都火乃聿に迷宮があればカリーナが気付いているだろう。この地は東国中心よりやや西に位置している、この首都が建設されるよりも前に存在した古代の遺跡。
大きな発見に興奮する仁那だったが、ふと前方の闇から大量に押し寄せる火鼠の群れに悲鳴を上げた。数は大量で、更にその上に別の魔物が騎乗している。
攫猿――女性を拐かし、縄張りに持ち帰って犯すとされる魔物。外貌は辛子色の体毛をした山猿、異様に長く発達した五指は相手を捕獲する為だという謂れだ。
「この数……仁那、やれるか?」
「ええ!?でも、制御しながらの大技でも……発動に時間掛かるよ」
「それまで稼ぐ」
明宏と茶菓子が前に出る。
先鋒を務める二人は、敵の前衛を切り払いつつ、これ以上の侵攻を阻んでいた。茶菓子に魔物との戦闘経験は無いが、それでも戦闘では汎用性のある戦士として鍛え上げられている。喩え敵が人外であっても、敵対すれば等しく殲滅対象なのだ。
仁那を庇い立ち、ヨキが次々と矢を射る。休む暇も無く、果たして照準を確りと定められているのかと疑わしい速度の連射だが、寸分違わず眉間に命中させていた。
火鼠が火を纏って突進を繰り出し、明宏は湾刀を投擲して仕留める。近距離で処すのは困難であるため、得物を手放す他になかった。
無防備な彼に飛び掛かる攫猿を、回旋させた錫杖で撃墜する茶菓子。一撃で攫猿の頸椎を損傷させ、回転する錫杖の勢いで路傍へと払い除ける。そして器用に遊環で、火鼠に突き立つ湾刀を搦め取って後方へと投げる。それを受け取った明宏が再び斬り掛かった。
斥候の初めてとは思えぬ連携に見惚れるが、仁那は青龍門の能力を即座に解放する。前方に翳す掌中に左の紋章から手繰る氣を集積させ、球状に放出して装填した。
「二人とも退いて良いよ~」
頃合いを見て、ヨキが二人を呼ぶ。
斥候が飛び退いた前に、空間魔法の孔が開く。同時に、仁那の前にも同様の孔が生まれた。
「撃ち込んじゃって~」
「喰らえ!!」
遺跡の中に、轟音を炸裂させて閃光が迸った。
× × ×
あれから、迷宮の扉を封鎖して帰還した一党は、カリーナの書斎に詰めていた。彼女は古い書物の頁を摘まみながら嘆息する。
「お前達を向かわせてから、私なりに調べたが、首都の位置には、中央大陸東部で最大の迷宮があったそうだ。
西国の文化でも重宝される歴史の遺物、それを否定する当時の思潮によって、迷宮を封印する形で首都が建てられたらしい」
「でも、今まで魔物は現れて居なかったんだよね」
「それがどうやら……初代千極帝の遺産を処理していた春京陛下が発見した手帳に、その謎が書かれていた。
それに依ると、『我が盟友の暁に封印されし扉、その死より十数年を経て再び開かれんと予言す。彼の者亡き後、此れを如何とするか憂う』と」
仁那達でさえ嘆息を禁じ得ない。
要するに、あの迷宮は闇人暁が施した封印が解除された故に、町に魔物が現れる要因となったのだ。
「対処、どうするの?」
「まあ、考えはある。お前達が地図で位置を記してくれたしな」
「?」
この後、首都火乃聿に迷宮の存在が開示され、それに呼応して冒険者協会が建設された。更に、各地を調査していた冒険者によって、入口を封鎖された数々の迷宮が発掘され、首都に多くの冒険者が訪れる事になる。
なお、首都の謎を解明した仁那は、またしても本人の不本意な所で英雄、または世を考覈する学者だと嘯かれた。
小話です。
何となく、第二部に迷宮が無いな……と思って。久々の冒険者ストーリー(矢鱈と短かったけれど)書けてすっきりしました。
次回も宜しくお願い致します。




