幕間:是手と魔王~火乃聿・天守閣~
是手は一人文机に向き直り、首都の様子を記した手紙に宛先の人間を思い浮かべ、空へと緩やかに擲った。空中で鶴の形状に変化すれば、気流に乗って自動に相手を目指し飛翔する。ゼーダの助手として、状況報告の書を認める為に必須とされる東西の表意文字を学習した。
乱世を生き抜いたゼーダにより、護身術と並行して学んだ技術。平和な世界では必要とされないが、これまで数多く行使しなくてはならない急場を経験した。やはり、時代はまだ荒れている。
損害賠償を支払い、これまでの謝罪などを含め、これからの贖罪を誓った魔族が撤退した事で、自身の故郷である港町にも平穏が約束された。これからは、堂々と仲間の船乗りと連絡が取り合えるが、二年間も勝手に離れていた自分の現状報告など、一体誰が受けたいだろうか。
慣れ親しんだ潮風吹くリィテルに想いを馳せるも、その筆は紙面を滑らず、文字は一つとして筆先から作られなかった。迷う自分の心を、どう綴るかさえも分からない。
「あれ、是手だ。何書いてるの?」
「仁那の姉ちゃん……」
背後から是手の肩に手を載せ、軽く凭れ掛かって来るのは、昼食を済ませて小屋に戻ろうとする仁那だった。白紙の紙面を認めて、首を傾げて訝る。文字に覚えが無いのかと一瞬思ったが、それで筆を執る訳もない。誰かに送る手紙で、何を書こうと惑っている事は容易に察せられる。
仁那の後ろから鈴音が顔を覗かせた。是手の様子を見ながら串団子を頬張っている。あまり興味は無さそうだった。
しかし、是手は顔を強張らせる。
彼女の側頭部に生える一対の角――魔族であると知って、無反応ではいられなかった。自分の故郷を蹂躙した憎き敵とも言える種族が、人を虐げる暴挙に及んだ元凶が目の前に居る。鈴音の所為で、関係の無い人々が巻き込まれたのだ。
鈴音を睨みつつ、是手は紙面へと視線を移す。
今は国の復興を尽力する仁那の相方と雖も、それまでの行いが消える筈がない。是手には到底許し難い相手である。
「……何だよ魔族、あっち行けよ」
「………………ごめん」
「謝んなよ、それで許される訳無いだろ」
是手が鼻で嗤うと、鈴音は目礼してそのまま立ち去る。二人の間で狼狽する仁那に一応謝罪の言葉を入れて、是手もまたその場を辞した。苛立ちに廊下を歩く足がいつもより早い。
是手と擦れ違いで食堂に入り、仁那の下に歩み寄る大きな黒影。尾を撓らせて緩慢な歩調で近付くと、白紙の手紙を眺めて影は唸った。
「これは仁那殿か?」
「あ、アグナさん……。実はこれ、是手の物で」
「……港町出身の子供か」
「知っているんですか?」
魔王アグナは頷くと、是手の通った廊下を見遣る。そこに小さな少年の影はなくとも、色濃い憎悪の影を見出だした瞳が眇められ、自分もそちらへと向かう。
仁那は付いて行こうと踏み出すが、脳内で厳しい制止の声がかかった。一連の様子を黙視していた祐輔の判断である。如何に大陸を結ぶ平和の象徴となった仁那でも、この一件に関しては容易に触れてはならない問題である。
是手と魔族の間に生じる確執と蟠りは、本人達以外に解決は望めない。仁那は無力感に、是手が腰を下ろしていた椅子に力無く座った。
× × ×
庭園の石を蹴る是手は、鍛練中の結とガフマンの様子を傍観していた。激しく魔法が衝突し、熱風と衝撃波が周囲一帯を熱する。微かに焦げた臭いが鼻腔を満たして咳き込んだ。爆弾を互いに投擲し合っているとしか形容出来ぬ苛烈な戦闘である。果たして、これは本当に修練なのか。
呵々と大笑しながら、魔法を帯びた一刀を振る舞う。結は機敏に躱すが、連続で押し寄せる強力な攻撃の渦に圧され、踏み込めなかった逸機に幾度も歯噛みし、攻め倦ねていた。
是手にも、彼等と同様の力があれば、港町の魔族を一掃し得たのだろうか。脳裏を過るそんな考えに頭を振った。それでは、仲間を踏み躙った魔族と同じ思想だと。
ゼーダは語っていた――人を救う力は、何も敵を斥ける為の力は、単なる武力のみではない。個々で信ずる力に定型など無く、各々で誰かを守る方法も違う。それが失敗を積み重ねる事で、次手を講じる際の手本となり、より良く、そして多くの仲間を救う術として成長する。
是手の周囲には、剣を以て敵を討つ者ばかりだった。だからこそ、別の形を見出だすのは難しい。
結が吹き飛ばされ、地面に転がった。ガフマンは毛先を焦がし、いつもより赤い鬣を逆立てさせて笑う。
「何だ、小僧。我の訓練を受けに来たか?」
「ちょっと、是手を巻き込んでんじゃないわよ!それとも、あたしじゃ不満な訳かしら?」
「おい娘、如何せん根を詰めすぎとる。お前さんは暫し休憩を挟め」
「あら、疲れたの?他愛ないわね、【灼熱】も」
「むはは!安い挑発だが買ったぞ、来い!」
再び始まる業火の嵐。
吹き荒ぶ風が熱く、是手は壁際へと避難した。距離を置いていても力の余波が強く響く、やはり最強の冒険者と救世主と唱われる結の力や名声は伊達ではない。一体、彼等はどうやって強くなったのだろうか。
苦難を幾度も乗り越える時、そこで何を学んでいたのか。是手の疑問を解消する答えがあるやもしれない。
「此所に居たか」
是手は自分以外の第三者の存在を察知し、振り向いて慄然とする。
「魔王……」
「是手といったな」
× × ×
「まだまだ行くわよ!」
「ちょい待ち」
攻撃を畳み掛けんとした結を、手刀で頭を叩いて止める。
「何すんのよ!?」
「待て待て、騒がしくするのも後だ。あれが終わるまでな」
ガフマンが見る先に、対峙する是手と魔王。
事情を察した結も口を閉ざし、ガフマンの横腹を肘で打ってから静かに見守る。
魔王アグナは瞑目し、目前の少年に謝罪した。
「済まなかった、許される事では無いが、我々はチミの故郷を荒廃させた犯罪者。大陸同盟以外に、私に可能な限りの償いをする」
「気安く言うなよ!アンタの所為で、オレの故郷は無茶苦茶になったんだ!後、真面目な話してんのにチミって何だよ、バカにしてんのか!?」
「済まない、癖だ」
魔王の言葉に歯軋りする。自分の怒りをぶつけているのに、飄然とした態度に見えて、子供の自分の意見など軽く受け流されているかの様に思えてしまう。
しかし、是手には明確な目的が無かった。自分の故郷に暴虐の限りを尽くした魔族の長、そんな相手に憤懣留まらぬ思いこそあれど、果たしてどんな償いをさせたいかまで、その考えにはまだ至っていなかったのである。ただ、小さな子の様に喚く事しか叶わない。
不満を相手にぶつける事以外に術を知らない。
「……アンタに問いたい。何の為に、何を守る為に港町の皆を……?」
アグナは両目を見開いた。
斬首も切腹も覚悟での謝罪であった。今、自分が死ねば是手の願いは叶えられるが、大陸同盟に亀裂が生じてしまう。それでも、一人の少年を苦しめ続けた痛みは推し量れない程である。アグナにとって、償いの為に死を選択するには充分だった。
しかし、少年は未だ問いを投げる。既に刑罰を内側で判決し、その決断に間違いが無いかを再確認すべく、アグナに動機を訊ねているのかもしれない。
「私には何人も子供が居る。
中でも、鈴音は愛情に飢えており、それ故に周囲からの圧力に弱かった。生来の力の所為で、自分の地位を巡って争う家族の惨禍に耐えきれず逃げ出した。これは私の配慮が至らなかった末の結果だ。
だからこそ、こんな魔王の制度を作り上げるに至った起源の北大陸を妥当すべく、矛剴に協力して中央大陸に乗り込んだ。何より、娘を取り戻して変えようとした。
私はただ、娘を守りたかった」
「……愛情の、為に?」
「ああ」
「……そっか……」
是手が踵を返して庭園を去る。
その直前で振り返って、アグナを厳しく睨め付けた。
「勘違いすんなよ、オレは許した訳じゃない。戦争が終わったら、真っ先にアンタを訴えに行く」
「……ああ、覚悟しよう」
魔王は深々と一礼し、去り行く少年の背にいつまでも頭を垂れた。
食堂に戻ると、仁那と鈴音が待っていた。
是手は鈴音を見上げると、視線を剃らして文机に向き直る。
「私の身勝手で、貴方の家族を傷付けた。本当にごめんなさい」
「別に良い。許してはないけど、納得した」
鈴音はその回答に目を瞠る。
「魔族にも守りたいモノがあって、オレとはそれが違っただけだ。この世界に生きてる限り、どうなったって避けられない。相手の意思がそうなんだって、受け入れる事が大事なんだ。
今は……オレの大切な人を守る為に戦う。それに魔族が協力するなら……守るモノが一緒なら、拒絶しないから」
是手は受け容れる強さを、自分の信ずる力とした。
価値観、文化、立場の相違が生み出す犠牲。魔族がただ好戦的で戦闘狂いだという偏見が流布した世と違い、実情は愛情を元にした争乱だった。考えたくもなかったが、是手は自分が魔王アグナの立場にあったと仮想すると、その行為にも納得が出来た。
死術という強い能力を所持し、大陸の命運を預かる者が何よりも大切な人を喪いかけた時、取り戻す為ならどんな凶行も躊躇わないだろう。ただ、魔族にも守りたいモノがあったなら、それで納得が行く。
これからを生きる為に、様々なモノを受け入れて吸収し、独自の思考などを育んで、今後その悲劇を繰り返さないよう努めるのが自分の強さだという解答に辿り着いた。
「手紙……今なら書ける気がする」
「……そっか、判んない所あったら教えてあげるよ。ね、鈴音」
「ん」
「仁那姉ちゃんよりは書けるぞ」
「な、何ですと!?」
その通り、仁那の助力は殆ど要らなかった。
あれだけ紛糾した文章作成も恙無く完了し、今自分の想いと、これからの方針、そして仲間への気持ちを綴った手紙を、窓から外へと解放した。
次回はきっと登場人物紹介です。




