魔王の述懐/ガフマンの再始動
首都の出来事は、闇人暁の力によって中継されており、人民の命が問われる焦眉の急を凌いだ和睦の円卓は、瞬く間に新聞や飛脚を通じて西国の西端にある僻地にまで伝播した。過去の亡霊が復活を喧伝する為に放った一時の脅威と雖も、これを斥けた面々の事も国民の記憶に深々と名を刻む。
敵勢の中枢が持つ圧倒的な力に敢然と立ち向かって生存した猛者の中でも、特筆されて人民が希望の光と嘯くのは、あの騒乱止まぬ西国の戦を平定した「白き魔女」でもなく、二年前から消息を絶っていたカルデラ当主も該当しない。皆が注目したのは、南の港湾都市より続き武勇伝を残して去る少女――侠客の仁那であった。
その名前は知荻縄とガフマンを発端に隠然と大陸中に知れ渡っている。隕石を破壊し闇人に正面から敵対するその勇敢な姿は、たとえ神通力によって現場を遠くから静観しており世界の行く末も然して気に留めなかった冷淡な者でさえ心打たれたのであった。
直ぐに記事に取り上げられ、首都にその面貌を拝謁しようと旅人が殺到するのは時間の問題であり、救世主と持て囃されるを望まぬ少女の性格も委細構わず、数日後には街道が今までとは別種の賑々しい雰囲気となった。
ただの旅人として生活した仁那が、此所に来て世界に戦力として認識され、同時に第二次大陸同盟戦争における最重要な職責を帯び、本人としては意図せず甚だ息苦しくてならない身分となった。ただでさえ、夜叉の妻として気品ある振る舞いに努めようた気を引き締めた連日からの解放と思われたが、当面はその拘束がまだ続くようだ。
その間にカリーナを中心として、新たな計画の話が持ち上がっている。当然、円卓でも宣言したベリオン皇族による治世と統制――かつてのベリオン皇国の創立。その合意に必要なのは、現西国王家ヴィルゼストと東国千極帝の署名であった。
これにはやはり、数十年前から続く怨恨により困難な様相を呈すると予想されたが、仁那が危惧するよりも安易に、この両者は何の紛糾すらも見せずに意見を合致させた。カリーナの手練手管かと思われたが、本人は否定する際に冷笑を浮かべて否認する。……やはり何かしたらしい。
回帰すると同時に改良される新体制――ベリオン皇国に設ける立場として、現在国の中枢政権を担う人材を役職に充てる予定だが、千極は赤髭を除いて悉くが罷免され、未だ優秀な人物の選出に手間取っているため、話は先送りになる。
皇国の長には、やはり皇族末裔で長女の花衣が指名されるのが理の当然。しかし、元より町娘としての生活の方が質に馴染む彼女にとって、この重責は些か嫌厭の色を示さずにはいられなかった。消去法で妹である叶は快諾しているが、果たしてこれから先がどうなるかはカリーナにさえ予想し得ない。
東西が仁那への処遇を如何とするかと思慮するより先に、彼女はそれを強く否定した。無論、重苦しい責務をこれ以上は請け負える余裕が無い事が真意であるが、却ってその反応が謙虚だと受け取られ、より国民からの支持を得てしまう。
事情があって滞在期間が長期に及ぶと予見し、仁那には天守閣では静かな場所に建つ小屋が割り当てられた。無論、これは本人の強い要望あってである。
宣戦布告から早一ヶ月が経過する。
仁那は物置も同然の小屋で起居を過ごす事となったが、此所に何の不如意も無く、平和な日々を送っていた。長く足を留めず、次の地へと巡らせていた疲労は、本人の知覚しない部分で蓄積していたらしく、滞留した先で休息を得ると一気に体に襲い掛かった。
これを癒すのに専念し、最初は惰眠と軽い運動、密かに取り寄せた美味を堪能した。城下町へと逃走に成功した明宏達は現在、茶屋『填顧』に身分を隠して労働者となっている。
旅人である二人は仕方無いが、悪事を企て天守閣に潜入した跡取り息子は罰として暫し勘田の抱える従業員になった。そして、秘密裏に逃げ遂せた帝室の長女秋京は『秋』と名を改め、以降は茶屋で暮らす所存だ。勘田の傍を離れる積もりは毛頭無く、その所為で生じると予想される面倒事も一顧だにしない態度を貫く。
仁那も暇を見つけ、暗渠を利していつか城下町へ駆け出し、勘田と秋の提供する茶菓子を食したいと思う今日この頃であった。
ある日、仁那の下に一報が入った。
いや、ある意味では驚くべき面会であった。仁那の生活する物置小屋に報告へ訪ねに来たのは、あれから一度も顔合わせする機会も無かった旅の仲間である鈴音だった。
姿を見せるなり、唐突に強い抱擁を求めて来たからこそ顔が綻んだが、彼女が伴って来た人物に慄然として身を固めてしまう。
其処に居るのは、南大陸では名の知らぬ者は居ない。――世に魔王と謳われる魔族の王にして、鈴音の父親となるその人であった。
「次いでに俺も居るんだなぁ」
……幹太も同行していた。
仁那の緊張感が微かに弛緩した。
× × ×
雑草を一掃し、磨かれた墳墓の前には花束が飾られる。六角堂の内装は掃除の手が行き届き、地下礼拝堂に設けられた空間は埋められた。赤髭が残した数々の悪行の形跡は、千極帝の希望あって余に伝わらずに済んだ。
それでも林立する楓の紅葉に彩られ、物見に事後処理で終われていた高官が憩いに暫し訪れると共に、墓石の前に花を添えて仕事に再び従事する。その循環が一ヶ月で作られる場所に、仁那が利用する小屋は建っていた。厳密に言えば、霊園と隣接した刈られた草木が短く絨毯を敷く庭園の中である。
初代千極帝が晩年を穏やかに過ごしたいと言う願望で建てられ、その人生に幕降りるまで使用されていた場所。それを知るのは帝室の人間の他にあらず、快く提供してくれた春京への謝意として、何らかの返礼を考えようとしたが全音に諌められた。充分な働きをしてくれた、と皆が口を揃えて言うので、仕方なく大人しくしていた。
食事を届けに来る侍女、体調を心配する夜叉、談笑に訪れる花衣、騒ぎに来る花衣の近衛やガフマン達しか来ない場所。もはや生活に慣れ、此所に腰を据えようと必要な生活用品の補充について勘案し始めるまで滞在は長引いた。
そこへ、鈴音と幹太、――そして魔王が現れた。玄関口で固まる仁那は、目の前に魔王だと紹介された人物の容貌を確かめた。
黒色の肌は目許や鼻梁の形を視認するのが難しく、特徴を挙げるには難しい。陽光を受けても皮膚の脂が見せる照り返しも無く、一見して印象は“真っ黒”という一語が当てはまる。薄く細い縦に伸びた虹彩、先端が錨に似た形状の尻尾を持つ黒装束。白銀の頭髪に白磁の肌を持つ鈴音が彼から生まれたと言われると、些か疑問を呈する対照的な風体であった。
怪訝に思いながら会釈すると、礼儀正しく返す魔王――アグナ・ゼンデンギスに、魔族の恐ろしさは感じられず、常識を弁えた穏やかな人間なのだと思った。仁那は室内に三人を招き、椅子を用意して遇する。
茶は出せる物が無いので、致し方無く早朝に汲んで来た井戸の水を器に注いで供した。その精一杯の待遇、贅を尽くした生活を送る印象がある筈の魔王でありながら、そんな素朴な対応にも少女の気遣いを感じて礼の言葉を述べる。ここで、仁那は彼が優しい人柄であると同時に、その瞳の奥に統率者として万事を純粋に受け入れる気構えを垣間見た。
鈴音はそんな二人の応対に目もくれず、持参した鈴音研究中の秘伝の調味料を使用した弁当をぱくついている。食欲溢れる彼女に緊張感も抱けず、魔王は一口を咀嚼する度に娘の頭を愛おし げに撫でた。
安穏とした空気が流れているが、食事を終えた鈴音が幹太に抱き着いて離れなくなった途端、室内の空気が完全に凍りついてしまう。理由としては、概ね仁那は察しが付いていた。旅先でこういった人種とはよく会い、魔王もまたその例に該当するのだと空気で気付いたのだ。
「幹太、もう少しこっち」
「いやぁ、甘えてくれるのは嬉しいんだが……」
幹太が振り向いた先で、魔王アグナは歯軋りをしていた。様子が一変し、逆立った頭髪の中から乳白色の角が額から一本現れる。掌を見るが如く、解りやすい反応だからこそ幹太に恐怖を与えるには絶大だった。
仁那はただそっとアグナの水を注ぎ足す。彼は所謂愛娘を溺愛する親馬鹿なのである。以前からの兆候なのかは不明だが、二年間もの空白に隔たれてしまった親子関係は、いま至近距離で互いに確かめ合えることで愛情の火に調整が利かないのかもしれない。
そう推測するのも結果は特に意味をもたず、ただ鈴音に甘えたい一心で居る魔王の激しい嫉妬である。
「……鈴音を誑かしたのは……チミか……!」
「お父さん、違いますよ!?俺ぁ、身寄りが無い彼女の一時的な保護者であっただけで……な?」
「……お義父さんなんて、まだ早いよ幹太。でも、幹太が望むなら、私は構わない」
「あれ、俺の娘にこんな悪ノリあったっけ?仁那、お前か!?お前の仕業か!?お、お父さん、兎に角これは違うんですよ!」
「お義父さんお義父さんと……随分と余裕じゃないか人間。チミの頭を捻り潰すなんて容易いんだよ」
「見た目めっちゃ威厳あんのに、俺の呼び方残念過ぎる!」
「幹太さん、水要ります?」
「水足すよりも弁護して?」
救援を求める幹太の視線にも、仁那が返すのは日頃の恩ではなく状況を湧いた嗜虐心に擽られて愉悦する朗らかな笑顔だった。魔王による難詰を受け、庇護してくれると希望した親友の助勢も無く、娘の悪辣な冗談によって板挟みに遭い苦しむ幹太は、会話の途中から机に伏して嗚咽に堪える。
流石に度が過ぎたと謝罪するが、その声すら届かぬほどに憔悴していた。魔王は胸裏の不満を大方言い済んで、清々しい表情で天井を仰ぐ。
幹太は人族、鈴音は魔族という怨み合う種族でありながら、更には身分差も生活の様子を比較するなら雲泥に等しい。山村に住まい土に汚れて生業を営む山賤と、大陸を統べる権力を約束された王位継承者。その二人が気兼ね無く生活するには、どちらかが己の身を擲って行く他に無い。
鈴音が山里へと帰る為に王位継承権を破棄する事、即ち南大陸では明確な処罰の例は無いが、追放に価する大罪である。その罰を蒙っても彼の下に行く覚悟を問われるのだ。逆の場合、次は人族との和合を成立させなければ、幹太もまた彼女とは一生道を違える。
この先に交わる筈の無かった二人が共存を求めたのは、奇しくも暁の策略あっての事だろう。異種の境を不明瞭にし、一度混沌とさせてしまえば以前の定形は喪われて混乱し、内側に起こる乱れを平らげんとして新しい形が自ずと生まれる。幹太と鈴音の関係も、ある意味ではこの一環にある。
「身内の揉め事に辟易した鈴音が大陸を航り、この山賤と巡り会うまでの苦労を思い遣ると、父親としての不甲斐なさが……」
「アグナさんは鈴音の事が大好きなんだね」
「勿論、従って愛娘に邪な虫が付かん事を願っていたが……おい、チミ!本当に手は出していないんだな!?」
「いや、何度も言ってるけど」
「何!?やはり信用ならん!」
「どこを思い出したんだよ!?してませんから、何も!?」
「これから、だよね幹太」
「鈴音、今だけ黙っててくれ?」
「チミ、鈴音に対して黙れとは何だ!」
「もう収拾付かないんだよ畜生!」
鈴音に悪意は無いが、それが却って魔王の猜疑心を助長し猛撃へと駆り立てる。両者の対応に追われる幹太に苦笑しつつ、仁那はふと現状を顧みて疑問に思った。なぜ、魔王が此所に居るのか。
彼が訪ねて、その身分を明かした際に最初に問うべき事柄であった筈が、親子と幹太の織り成す会話が微笑ましく、気付かぬ内に失念していた。南大陸の長たる者が居城を離れて此方へ参上する理由など、一月前の宣戦布告に関する問題を解消することに他ならないが、果たしてアグナがどの様な立ち回りをしているかまでは知らない。
「そういえば、アグナさんはどうして此所に?」
「闇人なる者の宣戦布告があったのは既に存じている。第二次大陸同盟戦争……彼奴等は我々が手を組む前提で話している。これには憤慨するのも致し方無いが、それでも神族による一方的な変革は暴虐に等しきもの、これに比すればこれまでの遺恨を捨てて団結するしかない。
だからこそ、中央大陸へ参上し、カリーナ・カルデラの提案に則って同盟を約した」
「……やっぱり、嫌ですか?」
「無いと言えばそれは嘘になる。果たして、これが正しい選択か否かと惑う瞬間が多々ある。然れど、この果断を是としてくれるのは仁那、チミの存在あっての事だ。
魔族に蹂躙されし無辜の民を救い、一度の敵対による偏見すら無く鈴音と友好な関係を築き、己の正義感を以て種族の云々など考慮の材にすらせず、如何なる苦難にも退治するその精神と所業は崇敬に価する。
単に、我々が此度の戦にて協力の姿勢となったのは、チミのお蔭だ。仁那という存在に争い無き平定の新たな可能性を見出だした」
南大陸と中央大陸――いがみ合う両者は、簡単には捨てられない深遠なる怨恨を、ただ神族の暴虐のみで覆せるほど処理出来ない。凄惨な過去は、途方もない憎しみの果てに作られた。だからこそ、それをたった一つの宣戦布告だけでは払拭などしない。
けれど、魔族も平和を望んでいる。仁那の遍歴は鈴音や周囲の人間から聞き及んでいるのだろう。だからこそ、協定を忸怩たる蛮行と一蹴していた固定概念を排して神族の暴走を阻止すべく重い腰を上げた。仁那が首都を守る為に隕石に応戦した姿は、全世界に伝えられている。だからこそ、信憑性と現実味を帯びて期待を寄せるに足りたのだ。
「仁那殿、どうか鈴音とこれからも良き友として、大陸を結ぶ象徴として、その志を貫いて欲しい」
机に低頭するアグナに、仁那は慌てて手を振った。大陸の王が頭を垂れるなど、それが況してや一人の小娘とあっては面目が立たない。鈴音はその父親の姿を黙視した後、仁那の方へと向き直った。
鈴音も父に倣い頭を下げる。幹太はもはや現状が見えない程に放心しているのか、徐に水を啜って外の景色を眺めていた。
「わ、わっせは……鈴音とはこれからも友達で居たいし、この世界が大好きだから、争いも無くなって欲しい。守れる物は守りたい。
精一杯、期待に応えられる様に生きるよ」
鈴音は頭を上げて微笑んだ。
「……仁那は初めての友達、だから一緒に頑張る」
「……改めて宜しくね、鈴音!」
二人の少女は卓上で握手を交わした。固く握られた手を見て、アグナは何度も頷くと、幹太の方を睨む。
「チミの事は認めてないが……だが、娘を保護してくれた事には礼を言う」
「いや、良いですよ……。鈴音と生活して、廃れてた俺の人生が幾分も素敵な事になりましたから。色々苦労したけど、それが人生に良い味をもたらすというか」
「そうか……。だが、チミと鈴音の結婚は認めてないからな!!」
「そんな話知らねぇよ!?」
仁那の小屋は暫し賑やかとなった。
× × ×
天守閣の北西に位置する丸庭園に、長剣を研ぐ音が広範に響く。中心に腰を据える赤い鬣の冒険者ガフマンは、刀身が鋭利に仕上がっていく様にその精神統一も並行しており、磨く分だけ自身の心も研ぎ澄まされて行く。
これは冒険者として迷宮探索の途上で遭遇する魔物と交わす命の遣り取り、或いは未開の地に踏み込む際に発生する不可解な現象との邂逅は常に死の危険が伴う。そんな心の踊る日々とは裏腹に、常に戦闘に備える心構えを作る為にこうした作業が必須となり、いつしか意識せず身に付いた習慣となった。
しかし、最近その心は曇り淀んでいた。本人はその自覚があり、その正体を弁えている。問題の解決を望ましく思うが、それでも困難を極める事案であり、容易には処すことができない。
特に、この愛用の長剣を見ると想起してしまう。これは故郷で打たれた物で、今では亡き父トードが唯一遺した形見。花衣を守る為に身を張り、町と共に潰えてしまった最期を遂げ、誰かの為に献身した末の死ならば子としても誇らしくも思えど、やはり悲哀の念が無い訳がない。
新たな仲間、次々と明かされる神族との因果、普段ならば昂り、更なる追究に励む所で、自分の熱意はその気負いに冷めてしまう。こんな志では敵前にて最初の死人となるのは瞭然としている。
敵は曾て無い程に強大である。本気になれば、世界を一夜にして滅亡させる能力を持つ過去の亡霊、今なお世界を支配する至上の一族。南大陸と同盟を結んだとしても、多くの犠牲が費やされるだろう。自分に出来る事は、それを最小限にするべく多くの敵を討ち滅するのみ。
だが今の自分は気概に欠けている。決定的な熱意が無かった。
「なーに小さくなってんのよ、らしくない」
「……おお、娘か」
気配に気付いて振り向けば、背後で傲然と立つ結が居た。天守閣を散策していたのか、護衛も伴わずに一人で庭園の中へと踏み入る。岩に腰掛けたガフマンは、歩み寄る少女を懐かしげに見詰めた。確かに最上階の円卓でも再会したが、火急の事態にてあまり互いをよく見る余裕が無かった故に新鮮に感じてしまう。
二年前よりも大人びた雰囲気と、経験を積んで纏う余裕と自負が醸す風格がありありと伺えた。今や一国に匹濤する勢力の頂に座る身分、ガフマンが訓えを施した駆け出しの頃とは別人である。
ガフマンの長剣を押しやって、片膝の上に座った。彼の巨躯あってか、その脚も椅子と同じ人の臀部を受け入れる面積を有しており、いざ腰を下ろしてみれば安定している。その感覚に足を浮かせて確めて笑う姿は、あの頃と変わらない。
長剣を地面に突き立て、結と向き直った。
「この二年間、大変だったか」
「最初だけね、指名手配が免除されて冒険者業を再開できたの。あ、見なさいよ、あたし『Lv.8』になったのよ!」
「ほう、上位級となれば試験が必須だが、貴様は通過したのか」
「勿論、楽勝よ全く!どうやら、あたしは生粋の冒険者の様ね!」
「むはは、小癪な奴め!我から見ればまだまだだわい!」
結の頭部を鷲掴みにしてわしゃわしゃと撫で回す。嫌悪の表情を浮かべながら抵抗しない反応を鑑みるに、侮蔑の感情が意中には無く信頼しているという証左なのだと判る。ガフマンは自身の教え子が二年の時を経て成長を報告しに来るという状況が素直に嬉しかった。冒険者の職業は安易ではない、途中で落命する場合が多々ある。
今や数々の修羅場を潜り抜け、冒険者として練り上げられた姿が師としての何よりもの幸福の証となる。
「して、坊主は?」
「あいつは相変わらず『Lv.1』。昇級の話は来てるんだけど、機会がいつも合わないのよ。町の復興やら、後は戦場に行ったり。あいつの特性が刺客に最適だから、西国の高官どもが調子に乗ってよく依頼するのよ。それで忙殺されてさ」
「そういえば、姿が無いな」
「矛剴の里よ……きっと、決着つける積もりね」
「今、坊主がどれ程か知りたかったがな……」
「無茶苦茶に強いわよ。剣術や体術なら組織内でも並ぶ者無し、戦場じゃ純粋に兵器って言われてるわ。しまいには……隠密性とか、暗殺術が以前に増して精巧になってる」
二年前に結婚披露宴で見せた抜刀術は、ガフマンをも慄然とさせる速度と正確さを披露した。あの技の精度が格段に上昇し、人を暗殺する術理にもより心得が深くなったとなれば、冒険者ではなく戦場にこそ生きる――兵器そのものとは、成る程確かに言い得て妙である。
強力な力を所有するからこそ、他者からの依頼がより多くなり、応える程にそれは増して行く。これは、優太が最も忌諱する戦争に適した武器となるよう周囲が彼を地獄へ追いやったとも言える。
ガフマンが望んだ形とは大きく反する。自分の意思ではなく他人の意思に押され、少年は道に迷いかけているのかもしれない。だが、今のガフマンは優太に何かを諭す顔も無い。迷い悩む己が説いたところで、果たしてその胸に届くかなど高が知れている。
「我が坊主の分も引き受けなくてはな。あの性格は、町で穏やかに暮らす方が向いとる」
「……あいつがそうなったら、あたしは一人で冒険者なのね」
結はガフマンの胸に凭れて庭園の敷石を望洋と眺める。
「我の仲間は、呪術師のルクス、魔導師のバルダ、斥候のミッシェル……どちらも隠居に入るわ、最後のは愛した女で想いも告げられずに目の前で死んだ。そん時ゃ、一人になって先をどうするかと悩んだ時期もあったが、胸にまだ滾る未知への探求心の火は潰えておらんだ」
「ふーん……そうなの?」
「要は、一人になってまだ冒険者であるか否か、自問自答する他に無い」
「あんた、今はどうなの?」
「む?」
結の琥珀色の目がガフマンを射竦める。
もう二年間も冒険者としての職業から離れ、山里に隠れ、そして今や戦役に駆り出されようとしている。確かに、その問いが自分に向けられるのは必然である。
「判らんな……故郷も無い。戦争後に凱旋し、報告する積もりだが、居なくなると考えるとやはりな……。特に、今回の敵は我の中でも天上天下で最強の敵となるやもしれん、いつになく死の臭いが漂っとる」
「死ぬかもしれないって事?アンタにしては随分と臆病になってるわね」
「むはははは!直截的に言うわい!」
ガフマンの哄笑は、結にとって些か気丈に振る舞っているかの様に映った。あの世に最強と言われる冒険者が他人に憂いを見せるなど、天変地異にも等しい事態である。尤も、敵の勢力がそれに敵った脅威だ、彼でもそうなるのは仕方がない。
結はガフマンの膝から立ち上がった。
「じゃあ、やっぱ止めようかな」
「む?何をだ?」
「あんたに魔法と体術教わるの。聞いたわよ、大陸で魔装の技に最も精通するのはガフマンだってね。あの隕石を叩き斬った時に確信したわ。
あたしは自分の願望を叶える為に、どうしても力が必要なのよ……ほら、だから折角教えて貰う積もりだったのに、相手がこれじゃあ、ね……。
あんたは馬鹿みたいに笑って、あたしの教師として恥じない様にしてれば良いのよ。あたしの面目に関わるから。良い!?」
ガフマンは面食らって暫し硬直した。
自分を直視せず、未だ小言を吐き続ける少女が励ましているのだと察して驚きを禁じ得ない。誰かを叱咤激励する事が多く、偉大なる先駆者として道を示して独自の道を刻む歩を促すのがガフマンのこれまでの行いであった。
己を顧みて、今掌中に在る残ったモノを確める。まだ在るのは、自分を支えてくれた教え子であった。予感した通り、世界を動かす人間に成長した彼等に、まだ師として前に立ち、目指すべき姿としてその目の前を進まなくてはならない。
後進を育てる為に出来るのは、自分自身の志に反しない生き様、冒険者として未知との邂逅を目指し猛進する事に徹する心構え。自尊心が高く、人に対して素直になれないが、それでも他人を想い遣る優しさの混在した少女。
自分にとって教え子であり、時に危うさを窺わせ躓きそうになる姿を支えたいと思わせる、云わば手の掛かる娘に感じられた。
例え死しても、この少女にだけは、何かを遺したい。彼女の中で永劫に目標として、いつかは超える壁として、そして親として。
「我が哀愁の情に小さく見える……?勘違いも甚だしいぞ、娘よ。我はガフマンだぞ、【灼熱】と異名を持つ冒険者だ。
良かろう、今から貴様に特訓を付けてやる!予め注意するが、短剣や犬程度では済まさんぞ」
「勿論、掛かって来なさいよ!」
ガフマンの心が弟子の存在に再燃し、次なる戦いへの希望を得た。
アクセスして頂き、誠に有り難うございます。
いや、寒いですね。どれだけ厚着してもお腹が冷えて、いつも風邪気味になってしまう……。皆さんも体調管理に気を付けて下さい(私が脆弱なだけかもしれないけど)!
次回で四章最終話となります。
次回も宜しくお願い致します。




