【猟犬】のアジト
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今は遠い記憶。思い出の片隅にある、薄れつつある温もりの家の中。
ユウタは師の背中を黙って見詰めている。藁かごを編む彼の手は、細くしなやかなで男性とは思えない綺麗な指をしていた。器用な手付きは、道具作りにおいても滞りなく作業を遂行してみせている。あたかも彼自身が機械仕掛けであるかのように。
ユウタが物作りに対し、少し心得があるのは彼を見習っていたからだ。実際に、彼から誉めてもらう為に、露骨に隣で共に同じ物の製作に取り組んでみたりしていた。武具の扱いや体術、幼い頃は何も考えずに習得していた戦いの術以外、彼から何かを教わった事がない。
『師匠はどうして、戦いや物作りが達者なのですか?』
純粋な気持ちで問うユウタに、師である男は苦笑して手元を止める。藁かごは既に完成していて、両手に抱えられると棚の方へと置いた。その挙動の一つひとつに注目する少年の眼差しを困ったようにため息をつく。
襷の紐をほどいて袖を払うと、ユウタの前に座った。どこか悲しそうな、どこか切ない表情で、言い訳を考えてそれがどうしようもなく虚しいと悟っている顔である。
無言で頭を撫でる手は大きく感じ、ユウタは猫のように顔を擦り寄せる。
彼はそうしてまた、あの言葉を囁く。
『どうか、わしのようにはならないでくれ』
× × ×
大喜な雲が流れ、月が隠される。街灯のない町が薄暗くなり、町で顔を会わせる三人の姿を影に包む。
ユウタは背に回した少女に振り返らず、路地裏へと突き飛ばした。森の中で生活していたためか、夜目の利く。彼はいまも自分達へと照準を定めたまま、番えた矢で弓を引き絞って待機する相手の姿を捉えていた。第一矢は凌げたが、続く狙撃を防げる保障はない。
逆に、相手は再び月が現れるのを待っている。
壁に身を寄せ、様子を窺う彼女の気配を背に感じつつ、ユウタは黒衣の人物が立つ建物へ、じりじりと距離を詰めた。狙撃手にとっては、視野の悪くなる環境が何よりも恐ろしい。闇夜で標的を見付けられない事はまさにそうだ。
相手が身動きの取り難い状況だという利点を活かし、距離を詰める。
呼吸とともに、体内を流れる氣を脚部へと集中させる。集積するエネルギーが下腿から爪先に迸った。氣術で操作された力の流動が、少年の跳躍力を何倍にも増幅させ、地を蹴ると同時に爆ぜた。風を味方に付けたかのように空へ向かって飛んだ少年は、宙で一回転すると弓矢を構えた相手の隣に音もなく着地してみせる。
月光が再出現した。明るくなる路地から二人が消えた光景に狼狽えた弓使いを、横合いから仕込みを光らせ、手首を撫で切りにする。刃の先端に付着した血を、振り抜くと同時に払った。
痛みに仮面の下で絶叫する相手の首筋に手刀を落とした。意識の外から放たれた打撃に、相手は崩れ落ちる。
ユウタは頬を伝う冷や汗を拭いながら、仕込み杖に納刀した。敵の矢は、ギゼルの至近距離から放たれる短刀の投擲に勝らない。村での戦闘経験に救われた。
倒れた相手の傷口を止血し、その場に安置した。ユウタは路地裏を確認したが、既に少女は姿を消していた。礼が欲しかった訳では無いが、何も言わずに逃げ去った彼女に不満を懐く。しかし、手配書に載るような相手に返礼を求めるのも野暮な事だと納得せざるを得なかった。
屋根の縁から身を乗り出し、飛び降りた。ティルには余計な心配をかける前に帰らなくてはならない。恐らく、夜間の外出を制止しようとしたのも、これを危惧していたのかもしれない。
ユウタは改めて彼の気遣いに感謝しながら、軽やかに着陸した。
「おい、そこの子童」
少女の消えた路地裏から、誰何の声がする。慌てて仕込みの把を握ったユウタの耳に、乾いた笑声が不気味な音響となって鼓膜を揺する。
声の主は何の警戒もないゆっくりとした歩調で、物陰から姿を出す。自分を見つめる少年に対し、両手を広げたまま、刀剣の刃が届かぬ間合いで足を止める。
「何か、僕に用ですか?」
「ああ、お前さんに話だ」
その人物の身なりは、正に先程の弓使いと同じだった。白い仮面に黒衣、低い声は男のものである。ユウタは相手の手元に視線を這わせ、相手の動きに目を凝らす。
「話聞いてくれたら、解放してやるよ」
男が後ろを指差すと、それを合図に第三者が出てきた。それも、脇にあの少女を抱えている。
「あの、人質として捕らえたのかもしれませんけど、僕は彼女と親しい訳ではなくて」
「薄情者!」
「お礼も言わずに逃げた君が言うのか」
少女は必死に逃れようと身を捩っている。その光景を憮然として眺める少年に、男は大笑していた。夜だというのに、一切の遠慮ない様子にユウタは怪訝な表情をした。
「それじゃ、しょうがねぇ。けど、害意はない。ホントに話を聞いてくれたら、それで良いんだ」
「・・・判りました」
少女を連行したまま、ユウタは二人の後ろを付いていく。観察して解ったのは、相手が武装をしていないこと。体術が秀逸している手練れなのかもしれないが、それでも警戒の色が薄い。ユウタが背後から切りかかる事を予想してもいないのか、背中を晒したまま歩いている。この奇妙な態度に違和感を覚えながら口にせず、黙って歩みを進めた。
× × ×
ティルの家とは違い、路地裏の廃屋が立ち並ぶ場所から少し離れた所で、二人は足を止めた。続いて立ち止まるユウタに、灯りの点いた赤塗りの建物の中へと催促する。中へと足を踏み入れると、そこは書斎だった。ユウタよ記憶としては、丁度ハナエの父親の一室とよく似ている。
「此所は、【猟犬】のアジト。この町で汚れ仕事を請け負う、暗殺者集団の事だ」
室内には、蝋燭が一本火を揺らしていた。
その傍に、椅子に深く腰掛ける初老の男性がいる。手足は細く、喘ぐように天井を向いて苦しげな顔は、今にも逝きそうなほどである。背凭れに全体重を預けていた老人が、上体を起こす。
「ヴァレン、その子は?」
嗄れた声。長らく発声していなかったかのような音に、黒衣の男はユウタの肩に手を置いた。馴れ馴れしい態度に、その手を払う。
「いや、町中でウチのもんを返り討ちにしててね。見た所、若い割に実力があるもんだから、勧誘しようかと」
ヴァレンは老人に対し、事情を話した。少女を巡ったユウタとヴァレンの仲間による争いを、相槌を打ちながら聞いている。書斎の本すら持ち上げることに難儀しそうな細い腕で、ユウタを手招きする。流石に貧弱そうな相手に強く拒絶の意を示す事が出来ず、渋々その傍へと歩み寄った。
老人の瞳がユウタの姿を映す。長い沈黙の中で、彼のか細い呼気の音だけが聞こえる。
「黒髪に琥珀色の眼……憶えがあるな。確か、数十年前に短い間、仕事をしとった奴だ」
「あれ、シュゲン爺さんの知人?」
「そう、確か君と同じ格好をして……そう!その杖だ!」
ユウタの仕込みを見て、老人──シュゲンが声を張り上げた。一瞬、ヴァレンが小さく息を呑む。死人も同然に弱っていた人間が、途端に生気を取り戻したように大声を上げる。ユウタは若干引きつつも、握っていた紫檀の杖を差し出す。
三尺ほどある得物。一見はただの杖だが、少し捻りながら振り上げれば、隠れた凶刃が本性を晒す。受け取ったシュゲンが、優しくそれを撫でて見回した。懐かしげに目を細め、ユウタへと返す。
「間違いない。これは奴の物だ。黒髪に琥珀色の眼、東国の服と仕込みの杖」
「どんな人ですか?」
興味本意に尋ねると、シュゲンは部屋の隅の椅子を指差した。ヴァレンがユウタの脇から進み出て、椅子を持ち上げると少年の後ろに置いた。
ユウタが腰を下ろすと、シュゲンは机に頬杖をつきながら、記憶を探るように瞼を閉じて話し始める。
「四〇、いや五〇年前の事か。
珍しい容姿の男が、この町の領主に雇われてやって来た。当時、その領主は公金の横領から密売に手を染める、どうしようもない奴だった。そんな輩を暗殺する為に、我々にも依頼が回り、早速その息の根を止めるべく十人を送り込んだ。
ところが、全員が翌日には骸になって帰還した。送り返して来た奴を調べると、たった一人の所業だと知った」
シュゲンの目線が仕込み杖に移る。ヴァレンは扉の横の壁に背を預け、欠伸をしていた。少女は未だに黒衣の人物の腕の中で抵抗している。
「若い頃は、ボクも腕のある刺客。仲間を引き連れ、集団による領主の暗殺を企てた。だが、その側に随えられた黒髪の男に、全滅寸前まで追い込まれた。
逃げ惑う我々を容赦なく、それも一刀の下に切り伏せた敵に、ボクは瀕死の傷を負った。それが、その仕込み杖だ。
何とか逃げ延びたが、その後は依頼を断念した。そうして間もなく、領主が殺されてあの男が我々の下を訪れたんだよ」
崩れかけた蝋燭を、ヴァレンが取り替える。
「暫く、その男はボクらと共に仕事をしたよ。
だが、たった一月経つとこの町を去った。それから何度か風の噂で耳にした。そして二〇年ほど前、国境で勃発した戦争で奴が死んだ事。歴史に刻まれるほどの大戦だったから、ボクもその話を信じたよ。
だが、十数年前。奴が再び此所に現れた。
随分と老けていたが、その実力は健在だった。丁度、今日の君みたいに我々の標的を守りながら、全員を返り討ちにしてみせたのだ」
笑いながら話すシュゲンに、ユウタは気まずそうに視線を逸らす。仲間を切られた事への怨恨などを見せない相手の振る舞いが不気味であった。間違いなく、自分なら怒りに身を委ねて攻撃に出ていたであろう事情にも、シュゲンは然るべき定めだと了解しているかの如く嘆きすら見せない。
「その時、赤ん坊を抱えていてね。これから、国境の森で隠遁すると言っていた。挨拶がてらに寄ったと、血濡れの刃を目の前で拭いて見せてね。その時の鬼気迫る感じは、ボクも怖くて頷くことしか出来なかった。
そうか……今考えれば、その赤子は君だったかもしれんな」
ユウタを感慨深く眺める。
「あの、その人の名前ってわかりますか?」
過去の話を聞いて、ユウタが得たのはその化け物のような手練れが、自分の師であるという確信だった。十数年前に、国境の森に隠れるという話は、まさに師から聞いた話と合致する。氣術師のタイゾウ達ですら名を呼ばず、ユウタ自身も尋ねた事がない。
シュゲンは拍子抜けたような顔をすると、鼻の頭を揉んで唸った。必死に記憶の抽斗から、己に瀕死の傷を与えたかつての敵の名を絞り出す。
「たしか……アキラ、だった気がする。各地から収集した情報でも、彼の名が囁かれていた。暗殺業や護衛に転々としていて、かなり名を馳せていたようだ。
彼は、君の何かな?」
「……師匠です」
ユウタの言葉を、シュゲンは胸の中で反芻する。彼の面影を持つ少年に、過去の記憶が重なった。いまでも鮮明に甦るのは、印象の薄い顔。気を抜けば、すぐにでも記憶から抜け落ちてしまいそうな相貌。刻まれた恐怖だけが漠然とその輪郭を象っているように、その姿を瞼の裏に投影する。
時を経て、形は違えど再会した仕込み杖。それがシュゲンに、懐かしい友と顔を合わせた喜びにも似た感情を湧かせた。
ユウタとしても、自宅付近の洞窟で見つけた物で、扱い易いために旅にも携帯した。それが奇しくも、師の物であるとは思いもしなかった。この仕込みの刃が錆びていなかったのは、最近まで師が手入れを施していたからである。五年経とうとも、丹念に磨かれた刃はその切れ味も鋭さも失わなかった。そして、それがまさに後継者として以前の使い手の教え子を引き寄せたのかもしれない。
「彼はどうした?」
「五年ほど前に眠りました。僕は今、人探しの旅の途中でして」
「探し人とは?」
「一ヶ月ほど前、変わった二人組を目撃したりしませんでしたか?」
ユウタは逃亡した守護者の話を切り出す。
実際に、彼らが今も二人で行動しているかどうか不明である。村の壊滅後は、独自に動いて隠れているかもしれない。ユウタが追跡している事実を把握しているかは知らない。
「一ヶ月……そう言えば、黒……いや藍色の髪をした二人組なら見た。凄腕の武人で、遠征に出た領主の護衛を務めていたよ」
× × ×
ユウタは【猟犬】のアジトで得た収穫について、沈思していた。その足はティルの下へと向かう。
藍色の髪の二人組、凄腕……この二つだけで、ユウタには思い当たる人物が脳裏に浮かび上がった。
ゼーダとビューダ、守護者の中でも狩猟に長けており、何度か自分も手解きを受けていた。春先の事件でも、村人達からの敵意に傷心していたところを励まして貰った記憶がある。二人が村の壊滅で暗躍した首謀者──そう考えると、首を横に振りたくなる。二人はユウタにとって恩人である。村人よりも自分に味方してはいたが、それは彼らなりの見解があってである。守護者として村を愛する思いは、誰よりも強かった筈だ。それに、この容疑も可能性の話であって、確実な悪意の下に実行されたと確定した訳では無い。
だが、ギゼルの死の不審さはどうあっても拭い難い。ユウタからすれば、口封じの為に殺されたとして考えられない死に方である。
シュゲンの情報によれば、いま二人は領主の遠征に付き添い、西の国の首都へと向かっているそうだ。早く追わなければ、仕事を終えた二人が次にどう動くか予想が付かない。ユウタとしては、この町で冒険者になる手続きをゆっくりと済ませたい。
「ちょっと、アタシの事を無視しないでくれない?」
「ああ、居たの?」
「扱い雑すぎるでしょ」
ユウタの隣を歩いていた少女は、眉根を寄せて不満そうに頬を膨らませる。今はフードを被り直し、その獣の耳を隠していた。既に露呈した身の一部を頑なに隠すのは、恐らく理由があるのだろう。手配書に載る理由にも関連しているのかもしれない。
シュゲンからは、会話さえ出来ただけで充分だと、少女を解放した。ユウタとしては、彼女とは今日出会ったばかりで、情も湧かない時間の関係である。押し付けられる形で、アジトを後にした。シュゲン達は今後、ユウタによる妨害を建前に、依頼を取り止めるそうである。
ゼーダとビューダが犯人であるかどうか、それを何度も繰り返し考察する内に、ティルの家に到着した。
「ちょっと、こんな所で休んでたのアンタ。それとも何、アタシを此所で襲おうって魂胆?」
「煩悩を働かせてる暇があったら、身の振る舞いを直せ。これからお世話になるんだ」
「はぁ?」
「成り行きだけど、君は僕に同行して貰う。君が指名手配を受ける理由を聞いて、それが冤罪だと無事に確認できたら、が前提だけど」
「安心しなさい、冤罪だから」
「へぇ、違ったら面白そうだな」
ユウタは胸を張る彼女を睨んだ。
「ああ、そう言えば名前は?僕はユウタだけど」
「何?もう夫にでもなったつもり?馴れ馴れしくて笑えるんだけど」
「はいはい。で、名前は?」
ユウタの再度尋ねる声に、彼女は胸に手を当てながら答えた。その身に纏うぼろ布では隠しきれないような、自信に満ちた態度で告げられる。
「私はムスビ!ムスビ様と呼びなさい!」
風でフードが取れる。
月を背に立った彼女の耳にユウタは注目し、それを咎めんと彼女の鉄拳が炸裂した。鈍い音が夜風に乗って路地裏に響き渡る。
執筆って体力消耗激しいですね。
食事を取ってまだ時間も経ってないのに、もう空腹が・・・。
ちなみにユウタの師匠のお話も同時連載中です。
『神の従僕で反逆者な男の終末物語』
(https://ncode.syosetu.com/n1209fw/)
暇潰しに読んで頂けたら幸いです。




